たなごってブログ

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2006.11.15
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テーマ: ニュース(96574)
カテゴリ: つぶやき
いじめや自殺やエライひとたち不祥事のオンパレでなんとも嫌な世の中。どこがどう間違って、3人の子持ちのお父さんが郵便局の強盗なんぞに手を染めてしまうのだろうか。吾輩にはさっぱりわからない世界だ。
いじめもそう。何がいじめだ。人間は感情を持った生物ゆえに、どこでも<いじめる行為>は出てくるのは当たり前。そのことを前提に議論をせねばならぬのに、「いじめ撲滅!」だとか、「予知できなかった。謝罪!」とか、この期に及んでいつまで優等生発言を続けているのだ!!

お役人さんたちは頭でっかちだから正直困る。いじめは、スポーツの世界でも芸能の世界でも会社生活でもどこでもある。そして今も昔もいじめはある。減りもしないし増えもしない。感情生物である<人間社会>では必ずストレスとして噴出する。それを如何に制御するか。この制御装置が正常に働かなくなってきているだけである。
特に感情をコントロールできない子供ならなおさらのこと。ちょっとした行き違いからいじめは発生するもの。いじめに如何に対処するかあるいは逃げるか、これを自ら考えて行動するのも処世術のひとつだ。これを学ぶ第一ステップとして学校に行っている、というくらいに考えておいたほうがいいと思う。

吾輩の子供もそうだが、最近の学校教育は極めてフラットな平等主義だ。運動会では順位はないし、勉強の成績でも評価がアバウト。こんな教育ばかりしているから、ちょっとしたことに過敏に反応していじけたり、傲慢になったりするのである。例えば昔なら、運動会で走るのがやたらと速いヒーローなら皆から一目おかれるし、とんでもない秀才であれば、これまた別の意味で一目おかれる。喧嘩の強い餓鬼大将だって一目おかれる。
「この分野ではアイツには自分にはとてもかなわない。でもこの分野は俺様のものだ!」みたいなところから、お互いを敬い、嫉妬し、そしてなにくそと頑張る精神を養うわけだ。この青臭い精神そのものが、社会人になってから十二分に活かされるわけである。この過程を踏まずに大人になってしまうと、ちょっとしたことですぐにくじけやる気を失い、目標を見失い、自分など世の中では不要な存在だ、、、なんてネガティブ思考に陥ったら最後、負のスパイラルに陥ってそのまま沈没人生なんてことになりかねない。そういう意味で、如何に子供時代に、いじめ、そしていじめられ、そして反省、あるいか反骨精神でその逆境を跳ね返す精神を養っていくことが重要と考えるわけである。

何故文科省はそんなこともわからずに、いじめがあったかどうかなんでアンケートをとっている。吾輩には理解出来ぬ。どの学校でもいじめはある。100%あるはずだ。我が母校でもあった。いじめはある、教師の暴力はある。生徒の暴力もある、なんでもあるのだ。そんなものだ。
はっきり云おう、ゆとり教育など全く不要だし、そんなことよりもっと競争精神を植えつけるようにもう一度、時代を逆走したほうがいい。そのほうが成人してから健全な社会を運営していける可能性は高い。但し、繰り返して云うがいじめはなくならない。いじめに巧く対処できる人間が増えるというだけだ。

少々乱暴だったけど、一応今日の日記として記しておきます。





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Last updated  2006.11.15 23:06:23
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