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いよいよ、退院の日、緊張のせいか朝5時に目が覚めた。いつもだったら、そく眠りに戻るのに眠れない。右脳出血による入院それから、数ヶ月の月日が流れた。リハの先生に「さらぱぱさん、大安を選んだの?」と言われた。意識していなかったけれど、退院日は大安だった。入院日を見ると仏滅だった。左手は動かない、足はびっこ、間違いなく障害者。でも命は拾った。旦那が入院している最中に旦那が秘密にして抱えていたものを全て見ることになった。そして、その山を乗り越えなければならない。最後のリハが終わり、会計を済ませて、看護婦さんや先生に挨拶をする。最初に2週間付いてくれた看護学生さんが見送りに着てくれる。「さらぱぱさん歩いてる凄い良くなっている。 何度もさらぱぱさん夢に出てくるんだよね。会いたかった」そして、作業療法士の学生さんは、手のリハ用の器具を作ってくれた。さらぱぱの手に合わせて。。「さらぱぱさんコレ使って、リハしてくださいね」学生さんたちは付きっきりで世話してくれた。いつも一生懸命ではつらつとしていた。お世話になった皆さんにはアロマのバスソルトを渡した。看護婦長さんが見送ってくれる。「奥さんもずっと不安な顔していたものね。今日はいい顔しているよ」ほんとうに沢山の人に見守られ、助けられてこの日を迎えられた。やっとここまでたどり着いた。けれど、ここからが再スタート。この先、旦那は働けるのか見えないけれど今日でリセット。病院を出た途端、涙が溢れてきた。旦那が気づかないように空を見上げた。
2007年08月23日
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PTのリハは退院に向けて2つのメニューが残っていました。1つは、階段の登り、そして階段の下りです。いつも普通に上っている階段ですが、麻痺して力の入らない足には、これはかなり恐怖のようでした。登りのメニューはだいぶ前から入っていました。初めは5段ぐらいの模擬階段の上り下り。慣れてくるとスクワット終了後は、リハ室の2階から病棟がある4階まで登りの練習です。初めのうちは手摺を使って退院が決まった頃には手摺を使わずに登る練習になりました。最後の1週間は下りの練習です。2階から1階へ鉄砲階段を下ります。こちらはかなり恐怖で、手摺を使い、先生が必ず横へ付きました。麻痺側から降りるのですが、これが力の掛け方を誤ると転倒します。手摺を使えば恐怖は半減するようですが、かなりゆっくりのペースです。こちらも、最後は手摺も杖も使わず降りるところまで練習します。退院が決まったことで、栄養指導も受けることになりました。これが予約を取って受けることになっていたのですが。。。まるおが前日の部活で、ホームベースを踏んだときに「グキ」っと骨がなったそうです。普通に歩けるのでちょっと関節がなっただけかと思ったのですが、階段を降りるときに「いててて、いててて」といいながら降りてくるので栄養指導の日でしたが、病院へ連れて行きました。関節をちょっとおかしくなった程度だと思っていましたが、レントゲンを撮ると、骨折していました。足の関節の小さい骨が剥がれていました。歩けるので程度は軽いほうでしたが、部活はドクターストップこの災難続きにとってもショックでした。結局栄養指導は間に合わず、時間を遅らせて受けることになりました。こちらは、糖尿病の食事をベースに説明されます。一日2000キロカロリーの食事で結構食べられますが、塩分6グラムが結構大変です。入院中に何度か旦那の食事を食べてみます。薄味でも、ちゃんと味が付いていておいしく食べられます。これを、家庭で再現すると「おいしくない」だしのとり方が違うのか、それとも調理の手順が違うのか私の料理は素材の味しかしません。退院後の食事の用意は頭を抱えることとなりました。
2007年08月17日
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居心地のいい、こちらの病院に移ってから、同室の皆さんの励まされながらリハに取り組んでいました。トイレにいけるようになったと言っては喜び、お風呂に入れるようになったと言っては喜び、皆さん自分の事のように祝福してくれました。こんな居心地のいい環境もいつまでも続くわけがありません。今月の下旬には同じ左麻痺のKさんの退院が決まりました。退院が決まるとメタボリックのリハで、汗だくになるほど自転車漕ぎをしていました。退院日「あせってはダメだ、絶対治ると信じて頑張るんだよ」と自分の使っていた、リハ用のボールを置いていってくれました。翌月早々に2人のおじいちゃんの転院も決まりました。70代のSさんは、リハのため半年近くこの病院に入院しています。「山形に行けば、友達がいるんだ。。」とよく話すおじいちゃんで転院が決まると最後のリハに一生懸命取り組んでいました。バランサーを使えば、リハ用のスプーンで一人で食事を取ることが出来るまで改善しました。もちろん、カラオケリハも。皆で「星影のワルツ」を歌うと90歳のおじいちゃんが涙ぐみます。どうやら、若い頃のあわ~い思い出があるようでした。退院の前日、お嫁さんが「やっとここまで来れた。いい人にもめぐり合えたし諦めずに頑張れば なんとかなるんだね」こんな話をしていきました。家の旦那には退院予定はまだ話されていませんでした。リハの先生からは経過が順調なため、退院予定はいつ?としょっちゅう聞かれていましたが、主治医からは何も話されませんでした。おじいちゃんの転院が決まった月の中旬に、経過を見るためCTを取ることになりました。検査結果は旦那一人で聞いても大丈夫でしたが、私にも同席して欲しいと旦那が言います。某日の夕方、検査結果が聞かされました。頭の出血は出血痕になっていて、腫れも大分引いていました。ハレで潰れていた右の脳の空間も見えるようになっていました。先生 「順調な回復です。脳の腫れも治まってきていますね。出来ることも 大分、増えました。退院予定ですが31日か七夕あたりはどうでしょうか?」私、旦那 「。。。」やっと退院出来る旦那 「7月吉日でお願いします。」旦那に迷いはありません。先生「では、その前に食事指導をしましょう」最初に自分で立てた目標通り退院することになりました。ブログを訪れてくださる皆様の暖かいお言葉にはいつも励まされています。ありがとうございます。おかげさまで旦那は7月吉日で予定通り退院いたしました。今は、リハに通いながら自宅療養中です。ブログのほうには私の思いをもう少し書き綴ります。ごめんなさいね。個人的な病状日記になってしまって。時間が許す方はお付き合いくださいませ。 さらっ子
2007年08月11日
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足のリハは急速に進んでいきました。杖なし歩行の訓練が始まると、あっという間に車椅子は卒業になりました。転院し1ヶ月を過ぎる頃には、リハのメニューにスクワットが入ります。筋トレです。お年を召した方は筋トレはありませんが、社会復帰を目指す人には自転車漕ぎなどの筋トレが入ります。コレが結構きつい。。。トレーニングが終わると結構な汗が流れます。外泊の方も1週ごと、いろいろなことに挑戦です。今回は、学校行事への参加でした。まるこの学校を見に行きました。その行事は所定の時間内で歌、ダンスなどを披露しそれを競います。まるこの学校は来年共学化のため、来年その行事が存続するのか決まっていません。まるこは3年生なので、どちらにしても最後の催し。この行事にかける意気込みはほんとうに凄い。朝から晩まで時間の許す限り練習していました。行事を見に行くことが決まり、担任へ相談しました。まずは、学校への車の乗り入れ。コレの許可が下りなければ、学校へは行けません。駐車場が少ないので、難しいかもといわれていましたが、先生の頑張りで許可証が出ました。許可が下りたのは2台の車だけでした。後は、当日の席です。1,2,3の順で行事は進むので自分の子が終われば。。。と思うのですが、上の学年ほど完成度が高いので、最後まで残る親御さんが多いのです。なので、補助イスをと頼んだのですが、コレが人が沢山入るので難しいとの事。早めに来てもらってといわれましたが、果たして旦那の体力が持つかどうか。。2階のギャラリーならとも言われましたが、手すりのない階段は下りれません。結局、先生が席に座っているということになりましたが、先生が最後の最後まで訴えてくださった結果、遅く来ても補助イスを出してくださることになりました。いよいよ学校へ行きますです。病院とは違い、歩くところはでこぼこです。そして、人ごみ、思いがけないところに小さな段差があります。杖つき歩行でしたが人ごみだと、ぶつかりそうになります。今回は最後かもということもあり、家族皆さんで来ていて、例年以上に混んでいました。先生に誘導され、旦那の席を確保してもらいます。私は旦那の後ろへ立ちました。旦那の席の横は、靴で席が取ってあります。でも、人は座る気配なし。すると、卒業生と思われるお姉さんが「そこ、すぐ来られますか?来るまで、席を譲っていただけないでしょうか」私のために声をかけてくれました。とても感激しました。人が沢山いる中で保護者へ声をかけてくださったのだから。心で思っていても、なかなかできる事ではありません。そのこの、おかげで、私も旦那の隣で座ってみることが出来ました。合唱は。。2年生はなかなかの出来なんですが、どのクラスも同じように見えました。昼を挟んで3年生の演技。まるこのクラスは1番目でした。演技開始の号令がかかり「はい」と威勢のいい返事が返ります。ここから演技開始。数秒でセットを作り、そして始まりました。「うっうまい」3年生は勢いが違うのよね。多分、かけているお金も違うのだと思います。衣装変えは当たり前、背景や舞台もかわります。どのクラスも個性的で見ごたえがありました。今年が最後ということで地元テレビ局も入っていていました。見ていた旦那は。。。。かなりお疲れモード。まるこが終わると帰りたいと言い出します。でも、人ごみも最高潮で出られません。結局最後まで見てきました。帰りも、段差、人ごみ車へたどり着くまで、かなり苦労しましたが何とか歩き切りました。車での帰り道「疲れた」と言いながらも、会話が弾みます。まるこの行事を見れた達成感で満たされていました。頑張った旦那に感謝です。
2007年08月08日
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外泊が許された、旦那は週末の外泊を目指してリハに打ち込むようになりました。外泊するごとに、PT、OTの先生に不都合が無かったか聞かれました。歩くほうは、段差の降りかた。健常者のときは感じなかった段差が、とても高く感じます。そして、OTのほうでは、お風呂の事を聞かれました。装具無しでの歩行は、足が内半足になり不安定になります。なので、外泊前には病院のシャワーを浴びてから戻っていました。でも、いつかは我が家のお風呂に入る日が来ます。どうやったら、うちの風呂に入れるかOTの先生が考えてくれました。我が家はユニットバス、ユニットバスに手摺が付くのかどうかかなり不安でしたが、旦那の手足の力が強いことと風呂のふちが掴める厚さということで、手摺は無しになりました。風呂に入る時に脇に腰掛けてから、片足ずつ入るのですが、幸いにも麻痺側に、すわれるくらいのスペースが開いていました。お風呂の入る段取りが決まると、今度は入り方のリハが始まりました。リハ室にはその家々のお風呂の高さにあわせられる、練習用の風呂が用意されています。それを我が家の大きさに合わせて練習しました。1日目は、浴槽内部で1回転。。次の日は90℃反転なんで。。。と思うのですが変な動きをしてしまいます。3日目にして、ようやく普通に出入りができるようになりました。いよいよ、外泊の日です。目標は湯船につかること。脱衣所に椅子を用意して、着替えをし、いざ浴室に。。。歩行も安定感がよくて、無事座るスペースへ移動します。そして、片足づつ入浴。練習と違い、湯船に入ると体が軽くなり楽に入れました。ふぅ~と大きな深呼吸が聞こえます。「ああ~ きもづいい~」2ヶ月ぶりの入浴でした。ゆっくりお風呂に浸かっています。お風呂から上がると、体がほてって、後から後から汗が流れます。拭いても拭いても汗が噴出してきて、Tシャツが引っ付いてうまく着れません。先のことを考えて私は手を出しません。見守るだけです。すると、服を投げつけて「めんどくせ~体になってしまったな」下を向いてしまった旦那に、もう一度頑張れとは言えず、Tシャツは着せてあげました。楽しい、入浴だったのに改めて障害者ということを感じてしまいました。
2007年08月05日
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初めての外泊が終わった翌日から、いつものリハビリです。PTには、糖尿病で足をなくした方もリハビリをしています。同じ練習をしていると自然と仲間意識がでてきます。おばさま「あんたね、3週間でそんなに歩けるようになったんでしょ。 私は半年かかったのよ。大丈夫ちゃんと歩けるようになるから 頑張りなさい」おば様から、熱いエールを受けます。旦那は、早く退院したい一心で、リハは頑張っているようでした。リハが終わると、病室で自主練していました。移動は車椅子、けれど、歩行訓練は一気に進んでいきました。PT先生「さらぱぱさん、杖あったほうがいいね。。う~ん、ちょっと待って 杖が無いほうが歩きが安定しているんだよね。」PT 「もう少し様子見ようね」外泊から数日、一気に杖なし歩行の練習が始まりました。これと同時に病院内は車椅子での移動は見守りなしになりました。さらぱぱ「これで、気兼ねなくトイレにいける」これが、一番初めの感想でした。自分の装具も一番軽いものに決まり、杖なし歩行の訓練始まると今度は、靴の心配です。左右はびっこだし、軽いものじゃないと足が上がらない。今までのものでは履けません。次の外出はホームセンターへお買い物を行く事になりました。休日のホームセンターは混んでいました。運良く1台身障者用の駐車場が空いています。私「すみません、身障者マークないんですが、車椅子なので止めてもいいですか?」店員「いいですよ」身障者用駐車場まで移動したら、私の前にいた車がすっとそこへ止めてしまいました。その方も身障者マークは無く、車から降りる気配もありません。仕方なく、空いている遠いスペースへ移動。そこから車椅子で店内へ向います。するとね、視線が集まるのよね。健常者の頃は身障者マークのある駐車場に止めることはありませんでしたが、気にも留めていませんでした。所が、歩くのが不自由となった今となってはあのスペースは大事なのよね。私にも今まで、見えなかったものが障害をもって見えるようになってきました。
2007年08月02日
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外泊の前日、装具の付け方、介助のやり方を教えてもらうためにPTの先生に呼ばれます。PTのリハビリは午前中のため、この日初めて旦那の歩きを見ました。まずは、装具の付け方。ゴムホースのような感じのやわらかいものがL字になっているものをテーピングで固定します。畳から立つ練習。安定しているけれど、横に着くようにいわれます。そして、歩行。杖を使いながら、50mを1周します。足が疲れてくると、かっくんとひざが伸びます。PT先生「歩けるでしょ。結構安定しているから大丈夫。 ただ、ふら付くから必ず、麻痺側に立ってすぐ手が 出せるようにしてください」PT先生「だいぶ、歩けるでしょ。」私 「は。。い。。。。」正直、ショックでした。確かに歩いているけれど、うちの中の移動がやっとという感じでした。でも、外泊できるそして、外泊。移動は全て車椅子。それでも、うちに帰れるうれしさから、うきうきしています。立てるようになったことで車の移動は自分で出来ました。家に着くと、入り口には必ず階段があります。これが大変なんです。子供たちに手伝ってもらって家に入ります。家に入り、深呼吸をしてたどたどしい足取りで歩き回ります。前回の外出はしっかり覚えていませんでした。久々に、帰った旦那に対して、子供たちはそっけない。と思ったら、まるおはバットと羽根を持ち出して、旦那に羽根を投げるように言います。2人で、野球談義をしながら、素振りの練習。なんだか楽しそうでした。まるこはね、旦那に気を使いながらさりげなく接していました。翌日は、定義山に行きたいと言われ、まるこが付き添うことになりお出かけしました。命を救ってもらったお礼参りです。車椅子での外出ですが、久々の病院以外の景色に、やっぱり会話も弾みます。車椅子の移動は思った以上に力がいります。車の運転もあるし無理は出来ないなと思いました。それでも、旦那がいることで妙な安心感がありました。1泊2日の外泊はあっという間に終わりました。病院に戻り、1人で帰る車の中でなんだか切なくなって涙が流れてきました。
2007年08月01日
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