今日は少し Intermezzo 的なワイン。
名手(私は苦手だが)が作るちょっと遊び的な1本。銘に有る三角形はそれぞれのセパージュに対応した地域、ボルドー(セミヨン)、ローヌ(ヴィオニエ)、ブルゴーニュ(シャルドネ)をそれぞれ 3 分の1ずつブレンドした物。
ワインはまあ単純でどうしてもヴィオニエが勝ってしまってるがセミヨンでボディーを出し、シャルドネで酸味を出すことでそこそこには仕上がっている。ちょっとした遊び的アッサンブラージュだが一応理に適っている。
このワインを見れば判るようには高名な Vigneron 自身がこういうアッサンブラージュ遊びをしている訳で、実際他の作り手や高名ソムリエもこういう遊び心を持っている人がいるし、我々飲み手もそれに倣って即席アッサンブラージュ遊びをしても一向におかしくないということだ。しかし残念ながらエチケットに囚われた中級程度の飲み手にこういうアッサンブラージュに対して嫌悪感を持つ人が多いことを感じている。ワインを飲む事=芸術品を鑑賞することと捉えるのは別段問題は無いが世のワインの多くが(例えブルゴーニュで有っても)芸術品にまで達しない家内製手工業レベルで有り、 VT や、クリマ、醸造及び保管の瑕疵で完全では無い時、適当なワインとアッサンブラージュする事により劇的に質が良くなることはままある。こういう理解を持たない中級者には自分のワイン=自分の人格と捉える人も多く、アッサンブラージュする事により自分の人格を貶められたという曲解に至る人もいて、そうなるとお互い理解は不能だ。
さてそういう私も会食の際、隣席でビビンバやカレーを混ぜられると生理的に嫌な気持ちであり(多分に視覚的なものもあるが)、こういうアッサンブラージュに関しても同様であることは推測できる。
まあ、こうなるとワインもある種の宗教で異なった同一宗教内での派の違いみたいなものだ。ブルゴーニュ教内で美味しければアッサンブラージュを認めるエピキュリアン派、原理原則に拘りアッサンブラージュを許容しないオーソドックス派、みたいな感じで、歴史(及び現在進行形の紛争)が示すように、異なった宗教同士は比較的寛容だが、同一宗教の派閥争いは激しい対立を生む。ま、近親憎悪だな。
自分もいつかはオーソドックス派のテロの対象となるような気もする(笑)。
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