35歳 、若年性 脳梗塞 になったおっさんが ブログ 始めました!リハビリで書いてますので長文多々有り。不定期。すいません。

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2019.02.06
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カテゴリ: 肉親との別れ
初めまして!の方もそうじゃない方もおはようございます、こんにちは、こんばんは。
36歳、2児の父なんですが只今ニート中のおおばです。

※ 長いです!! 泣いちゃうんで誤字脱字あったらすいません!!直していきます!!

タイトル通りです。こういうのが苦手や嫌な方が居れば回れ右でお願いいたします。
ただ、父の闘病が誰かの励ましや元気になればと思います。父は無くなる2週間ほど前に

『お前のラインやインターネット(ブログ)に載せろ。それが情報になるかも知れん』

と、言われたので、書いていきたいと思います。
(遺体などは出てきません。元気な時の故人の画像のみ出てきます。)

最初、上記の話を言われた時に、父の治療法が他にあるか?の情報を提供か?って意味かと思いましたが、

『もう、終わりたい。キツイ。』

と、既に言っていた父がこんなことを言うわけがない。
私が、以前のブログで色々な事をリハビリで書いている話をしているので、自分(父)の事を書いて今色々な闘病してる人にあてた言葉や私へのリハビリだと思いました。

それでは、始まりから書いていきます。

父の胃癌が分かったのは、2年前の2017年の5月。私が当時勤めていた会社の仕事を(電験三種を持っている)父にお願いした事からの始まりでした。

電気工事をしてもらい、帰りに『おとん、コーヒー一杯奢るよ。』と、労いのつもりのコーヒーがキッカケでした。

コーヒーを飲んでもらい、家に車で40分掛けて自宅に送りました。
その時は特に変わった様子はありませんでしたが、帰った後、凄く気分が悪くなったようです。
その日は週末だったので、次の日、すぐ近くの病院に検査に行きました。
検査の結果は数日で出て、胃がんと云うことが判明。
すぐ、大きい病院で精密検査しました。

結果を聞き、手術は出来ないステージ4の癌と云うことで、抗がん剤治療から始める話になり即入院。

入院時に父に付き添い私だけは検査や結果時、仕事で居なかったので先生に1人で会って父の状態を聞くことに。事細かに、しかし淡々と説明をしてくれる先生。
話も終わり、余命等は何も言われませんでした。しかし、思い切って聞いてみました。

『先生、父の余命はあとどれくらいでしょうか?』

『余命ですか?半年ぐらいです。』

サクサクっと言われて絶望しました。たった半年?
空手で師範代で、今も筋肉モリモリの父が?こんなに元気なのに?毎日ウォーキングと週2回バトミントンしてる父が?

信じられない話でしたが、受け止め姉達(長女・次女)と話、両親には言わないことに。


抗がん剤をして、元気なうちに色々しよう!!と、兄弟と話し計画をたてることに。

まずは、抗がん剤で入院する日、家族で写真撮ったりしました。
うちの家族は、他の方々が引くくらい仲が良いのです。
私も父が大好きですが、それは、連れ添ってきた母が45年経っても父が大好きな事と関係あると思います。



父が大好きで抱き着く私。脳梗塞で倒れる半年前だからかブクブクですね(笑)




抗がん剤中、食べ物が喉を通らなくなり、病院食以外でも良いから食べさせて良いと言われたので




病院で、唐揚げを食う父。なんでやねん。看護師さんもびっくり。




家族(子・配偶者無し)だけで私や長女は仕事も休み旅行にも行きました。



大分県にて。





胃癌で、食欲もないはずの位置に大きい癌があるので食べれるわけないのですが、病院の先生も首を傾げるほど食欲旺盛な父。とても元気でした。



余命半年を4ヵ月過ぎ、69歳の誕生日に皆でケーキを食べました。


ここからは、写真を掲載しませんが、本当に元気で余命を11ヵ月過ぎた去年の10月まで庭いじりもしていました。

そこから、急激に悪くなりましたが孫(私の娘)の運動会にきて、さらには母を四国まで運転して旅行に連れて行くと。

もちろん反対しましたが、父の強い希望で四国に行きました。母には何かあれば新幹線ですぐ迎えに行くとは言いましたが。
殆ど車からでず、旅館やホテルでも寝たきりの父でしたが、2泊3日をし、家に帰りつきました。
しかし、車から降りることも出来ずに私が抱えて家に。
次の日、病院でそのまま入院。

父は、私が大学を卒業してから母と旅行を1年に一回は行こうと話してたので、最後の旅行へ母を連れて行ってやりたかったのでしょう。

入院してから見る見る元気になり、去年の12月年末に退院しましたが、退院した次の日には体調が悪くなり3日後に再入院。
それから、もう家には戻りませんでした。

最後の入院期間、母は毎日病院に通い私や姉達も毎日ではありませんが週6くらいは通いました。

無くなる2週間ほど前まで少ないながらも食事をとっていた父。

ある日、父の好きなもの1日一品持ってこいと言い始めました。1週間ほどで好きなものを全て食べ終わった父、数日後『家族全員集めろ』と言うので、風邪で2日ほど病院に行っていなかった私も含め家族全員集まりました。

そこで
『申し訳ないが、痛いし全身が怠くてきつい。もう終わらせたい』と言われました。
私が病院に行けない2日間で、トイレに車椅子で行っていたのに立てなくなり、部屋で簡易トイレに排泄。さらにはベッドから起き上がれなくなり、尿瓶で用を足していました。

正直、生きていて欲しいが父が苦しいのも嫌だ。
そう思ったので次の日主治医に相談。

まだ元気になれる可能性があるから治療するとの話でしたが、次の日から父は急に絶飲絶食になりました。恐らく早く終わらせるためでしょう。人間、食べなきゃ終わりといつも言っていたのに。

日に日に弱り、目も開けられなくなる父を少しでも楽にしてあげたいと、私の恩人の看護師さんに相談し、緩和ケアに入れることに。
そんな中、母との結婚記念日を迎えた父は、全く食べないのに、その日だけケーキと果物を食べ、母と写真を撮りました。

どんどん意思疎通が出来なくなり、発言も良く聞き取れなくなりましたが、たまに聞き取れる言葉は『早く終わりたい、キツイ』の言葉が主でした。

そんななか、毎日体を摩ったり揉んだり体を動かしたりしていましたが、示し合わせてもないのに各家族全員がバラバラですが日替わりで父に泣きながら気持ちを伝えた日もありました。

私は、『死んでほしくない、36歳だけどお父さんにまだまだ甘えたいくっ付きたい、一緒に居たいよう』と子供の用に手を握って泣きました。
父は、『泣かんでもいい、一生懸命働け。そしたら少しづつ悲しも薄らいで忘れてしまうから。家族の為に頑張れよ』と頭を撫でてくれました。



亡くなる3日前、キツがる父に、『移動だよ。もうすぐ楽になるよ。』父に家族でそう告げ意識が朦朧とする父に許可を取り夜にその日は帰宅。

次の日、インフルエンザで厳戒態勢の病院に全員にマスクをさせ10分限定で孫を全員連れ面会。

緩和に行くと、意識を無くさせ、1週間程度と言われたのでここが最後のお別れ。

すると、2週間前からほぼ笑わない父が目を瞑ったままですが笑って孫たちの声掛けに答えるのです。

孫たちが『じいちゃん』と呼ぶと呂律も回ってはいませんが『はーい』と答えます。

皆が周りで泣いていると、口パクで笑いながら『泣くな泣くな』と言っているのです。動画や写真を撮りましたがあんなに孫たちに答え笑う父は本当にすごい。

孫たちが皆帰宅し、いつも通り父の世話をしていると、急に痛がり始めたので夕方に強い薬を入れてもらいました。父もその薬が入ると寝るので、夜静かに声を掛けて帰りました。


2/3、子供の幼稚園の作品展がありその日は幼稚園へ。
リハビリでいつも運転している私。最近は雨の日でも頭痛が少なく、ふらつきも少なかったのにその日は頭痛とフラフラ。
妻に運転してもらい幼稚園に向かう途中、胸が動くくらい心拍数が上昇しました。9時と9時10分くらいに。
妻に胸がドッドッ言ってるというと、『脳梗塞の次は心筋梗塞?勘弁してよ』と言われました。
そんなことは無いだろ!!とか言いながら幼稚園を見て回り、中の良い父兄さんと別れて車に乗り込んだと同時に知らない番号から電話が、取れなかったのですが折り返し中に母から電話が

『お父さんが危ない!!』

妻の運転する車で兄弟達に電話しながらすぐ家に帰り、父の車で長女姉を乗せ病院へ。
次女が先に病院へ到着していましたが、病室へ向かっていると

『呼吸が止まったけど、まだ生きてる!!早く来て!!』と叫び声が。

病室に入ると、横を向き、私の2人の娘の写真を見ながら父がうっすら目を開け寝ていました。
私たちは父の手を握りながら必死にありがとう!!大好きだよ!!もう休んで!!もう頑張らなくていいから!!と必死に呼びかけ、数分後、心音が完全に止まり、父は静かに息を引き取りました。私が用意した私の子供たちの写真を見ながら。

緩和ケアに転院する前の日に、旅立ちました。

私の胸が揺れるくらいの心拍音の時間は丁度、父の呼吸が浅く早くなった時間と後から先生から聞きました。
なら、早く呼んでよとも思いましたが、そのまま容態が安定する人もいるらしく、バイタルが下がってから呼びました。との事でした。


余命半年の父が約1年半戦いました。先生も相当驚いていましたが、『まだまだ頑張れたのにご本人さんの気持ちが折れてしまっています、残念です。』と、食べなくなってからいつも会うたびに言っていました。父に先生や我々家族が何度も話をしても父は『もう何も悔いは無い。一生分楽しんだ』と。

父は本当に若いころから無茶苦茶遊んできた人でしたが、そんな父が皆好きでした。

もっと、頑張れていたらまだ生きれたと思いますが、父は細く長く生きるより『旨いもん食って早く死ぬ』といつも言ってました。

その通り、実行しました。私は自分が入院してるときに2日で水が飲みたいと訴えていましたが、父は2週間も飲み食いせず(ケーキは1口食べてくれた)生きていました。中々死なんなと途中から苦笑っていましたが。



ここから、抗がん剤以外でした主な療法をお伝えします。

まずは、琵琶の葉温灸。
これは、熱に弱い癌を体の外から攻撃する方法です。

次に、丸山ワクチン。
本当は抗がん剤との併用が望ましいそうですが、父は途中から抗がん剤をしていない時期に投薬していました。

次に、生のゴーヤジュース
ゴーヤをブレンダーでピューレしたものを飲んでいました。これを、飲んで十数年苦しまされた花粉症が治ったそうです。父よ、治すのはそこじゃないぞ。

最後に、最近病院が閉まってしまったので書きますが
普段は胃薬として投薬されている【ある薬】です。例外として、すい臓がんにのみ投与が認められている薬らしいです。

名前はわからないので書けませんが、一切外部に漏らさないという理由で身体情報を提供するかわりに投与していただきました。その先生は『この薬が認可されれば沢山の癌患者が助かる』と、言っていましたが、先生自体がご高齢で何かあったようで、病院自体が突然閉まってしまい父の投薬も無くなりました。

父は、諦める日まで『まだ開かないのか?』とずっと言っていました。

共同研究者の先生が居るそうなので、その薬が早く認可され広く世に出回ればと思います。
その先生の治療を受けている間は、癌が小さくなり本当に元気でした。その病院が閉まり、父の命も共に消えたと、姉が言っていました。

この成果かはわかりませんが余命が半年→1年半でした。


もう動けなかったので受けられませんでしたが、受けさせたかった治療もあります。
それは、【高濃度ビタミンC治療】と、癌の栄養の元【ブドウ糖経ち】ですね。
もう少し、早く見つけて実践させてやりたかったです。

先ほど上記した名前の分からない薬は、副作用もなく効果も絶大だったようなので癌患者の皆さんの希望になればと思います。名前はわかりませんが、臨床試験をやって効果も出ているので必ず認可されると。

確かに父は治療をしていること知らない大きい病院の先生から『癌が切れるくらい小さくなった』と言われていました。


まぁ、父は切るより好きなモノを食べる道を選びましたが(笑)

父がもう一つ、心待ちにしていた治療があります。それは

【がん光免疫療法】

今年中の認可が濃厚との話でしたが、父は『待てんだろうなぁ…』と、いつも言っていました。



いつも、底抜けに明るく孫たちにも好かれたちょっとやんちゃな爺ちゃんでしたが、最後は安らかに逝きました。

遺言で通夜も葬式もするな!!遺骨も捨てろ!!と言われたので、密葬で終わりましたが、最後まで格好良い父でした。



最後の日、たった24時間後の火葬。

その日は、子供や配偶者達には帰ってもらい家族5人で過ごしました。

癌が分かる前に飲んでいた父が好きだったウイスキーを一緒に飲みました。
お菓子が大好きで、本当に美味しそうに食べていた父に最後に持たせてやりました。














父は庭いじりやDIYが好きでナフコさんに、いつもこのジャージ姿で行っていました。
なので、私が父が残した木や家を大切にしていきます。

私の娘たちが好きだからと、イチゴは今年、来年には父が植えたミカンと桃がたべれるかなぁ。
私の長女は、爺ちゃんと食べたかったとミカンの木の下で泣いていたよ。。

父は糖尿病から、免疫力が低下し癌になったとも言っていました。
糖尿は血管がボロボロになるので様々な病気も誘発するのですね。
私は糖尿では有りませんが、遺伝で血管は弱いそうなので脳梗塞になったようです。糖尿にもなりやすいので気を付けないと。
病院の先生に、身内に糖尿病の方が居る際は注意が必要と言われました。









最後に、父のおかげで頭を相当使っているせいか凄いリハビリになってるようです(笑)
病院(×2)の方々や、役所の人たちと話したり、葬儀場回りしたりと。。


父への言葉

最後まで、迷惑かけてごめんなさいお父さん。

私は必ず復帰して、お母さんや家族を守っていきます。安心して眠ってください。





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最終更新日  2019.02.06 13:24:52
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