サリエリの独り言日記

サリエリの独り言日記

2009.06.27
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カテゴリ: 文学
 今年の正月から、何となく始めた「源氏読み」が、かれこれ半年ほど続いていて、我ながら興味の持続性という意味では、これまでなかったほどのおしゃべりが続いています。
 でまた、このあとこれが、どれぐらい続いていくのかというと、書いている本人が分からないから、予測しようがないのですが(明日にでも終わるかもしれません)、これまでの本文読みの進捗状況を、これまでかかった日数で割れば、あと二年ぐらいかかるか、というような話になるのですが、面白味だけが書き続けられる動機という、このブログの主旨からいうと、こういう機械的な割り算は意味を成しません(仕事じゃあるまいし)。
 半年前の初読のとき感じた面白味と、今現在感じている「源氏読み」という振るまいの興味は、おのずから変わっているわけで、この先半年経てば、これまた別の味を感じるかもしれず(これはほぼ間違いないでしょう)、同じようなテンポでダラダラ続いていくわけがないのです。

 今現在の関心は、実をいうと初読のとき感じたような、描かれている筋とか登場人物というようなことではなく、書かれている本文そのものから立ち上がってくる、気息のようなものに移っています。初めのころ新鮮な感想を忘れないうちにということで、ずいぶんムリをして偉そうな話もしてしまいましたが、ここ最近はあせらなくなって、感想を書くよりも「本文をどう読むか、どう読んでみたら面白いか」という方面に、話の重心が移っているのが、我ながら分かります。
 というわけで、やたらと原文の引用と、そのヘタな口語訳が多くなっているのですが、参考にしている岩波文庫本は山岸徳平さんの丁寧な校注が原文の横に付してあって、筋がたいへん辿りやすい。これと円地文子さんの現代訳を絡ませれば、ほぼ原文の意味が古語辞典なしで読めるのですが、それにしてもこうした校注も現代訳も、結局一つの解釈であって、いろいろ逐字的に読んでいると、どうとでも読める(解釈できる)という場面によく遭遇します。そういうとき、こうした研究者や文学者の偉いところは、一つの解釈を一つの字句に行なった場合に、それが他の字句との齟齬を来たさないということで、要は解釈が全体として一貫しているということです。したがって、その明瞭な一貫性が、逆に我々のような素人でも異論というか、違った感想を抱いた場合の所在も明らかにしてくれるということで、とても大助かりなのです。

 山岸さんの校注は、ほぼ全文にわたって、主語が()で付してあることと、読点がほとんど「分かち書き」のレベルで打ってあることで、口語で読もうとするときにやりやすい。この主語抜きというのが、原文を読むときの最大の難関かと思われるのですが、山岸さんの付した主語を辿っていくと、ちゃんと筋が読めるようになっているので、これはスゴイ(この主語の付しかたもまた、一つの解釈なのです)。
 それと私の口語読みなど、ほとんどシャレみたいなものですが(弘徽殿の大后のおしゃべりを関西弁にしたのは、まさしくシャレです)、「分かち書き」レベルで読点が区切ってあると、どこをどう読むか、おのずと的が絞りやすい。私はその順番を入れ替えないように、訳文の方にも読点を原文と対照できるように打ちました。あとで古語辞典などで調べるとして、場所がすぐ分かるようにするためです(それをやるかどうかは別です)。

 円地さんの現代訳は、さすがに小説家ですから、きわめて自由な文体で、ときに驚くほどのしなやかな文章が現れます。これは教科書風の古文訳の文体に慣らされた私などにはショックというか新鮮で、ときに「ホンマかいな」という場面があって、原文をあたるハメになる。というより、そういうことで、山岸さんの校注本を買ったのですが、むしろそういう読み方も出来るのか、ということが分かっただけでも気が楽になったのです。
 とはいえ、円地源氏には、そうした自由な訳以外に、大胆な挿入が行なわれていて、何か文体が違うなと思ったときは、たいてい新たな創作が、それもけっこう長文で入っているのです。初めは感心していたのですが、ときにハナにつく場合もあって、その話は本体のほうで追々したいと思います。私はむしろそれほど潔く「私なら源氏をこう読む」と、大胆に中味に踏み込んだ円地さんの自信に敬服してしまうほうで、学校などでの教科書的な逐語訳で、意味は厳密でも面白味とは縁遠い訳文を読まされていた、あの苦痛の時間を考えると、拍手喝さいしたくなるのですが。

 というわけで、私ならこう読む、むしろこう読んでみたい、というはなはだ悪趣味な作業を面白がってやっているわけですが、やはりこのブログを読まれる人がもしおられるとして、そんなのにいちいち付き合うのはイヤ!となっては困るので、そのあたり思案のしどころですね。
 「夕霧」や「若菜」や「宇治十帖」で、話したいことが山ほど初読のときからあって、ウズウズしているのですが、お楽しみは後回しにして、やはり多少しんどくても、「源氏物語」の本体がもっているもともとの姿、全体のバランスから言って、比較的省みられることの少ない前半の後半部、とくに「玉蔓十帖」をどう読むか、という問題をはずしては、全体を公平に見渡すことはできないだろう、という気がするのです。





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Last updated  2009.06.27 09:51:56
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TNサリエリ @ Re[1]:Kyoto Tachibana High School Green Band 10.(09/07) ナガノさんへ  コメントいただき、ありが…
ナガノ@ Re:Kyoto Tachibana High School Green Band 10.(09/07) 2年遅れで、この文章を読んで泣けてしまっ…
TNサリエリ@ ふたたび、コメントありがとうございます。 cocolateさんへ 私自身、彼女の演奏に刺激…
cocolate@ Re:エレクトーンというガラパゴス 1.(06/17) 再びおじゃまします。 826askaさんのYouT…
cocolateさんへ@ コメントありがとうございます。 三年ほど前に826asukaさんのことを知り、…

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