サリエリの独り言日記

サリエリの独り言日記

2010.01.28
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テーマ: 古典の日(312)
カテゴリ: 文学
 さてつづくくだりでは、なおのこと玉鬘に言い寄ろうとする光源氏と、玉鬘とのやり取りが語られるのですが、ここで紫式部はさらにコマを一歩前へ進めたようにも思えます。

 「さて、かゝる古言の中に、まろがやうに、実法(じはふ)なる痴物(しれもの)の物語はありや。いみじう気遠き、物の姫君も、御心のやうにつれなく、そらおぼめきしたるは、世にあらじな。いざ、たぐひなき物語にして、世に伝へさせむ」
と、さし寄りて、聞こえたまへば、顔をひき入れて、
 「さらずとも、かく珍かなる事は、世語りにこそは、なり侍りぬべかめれ」
と、のたまへば、
「めづらかにや、おぼえ給ふ。げにこそ、またなき心地すれ」
とて、より居給へるさま、いと、あざれたり。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫()筆者)

 「ところで、こうした昔物語の中に、私のような、律儀なる愚か者の話はあるのかね。おそろしく浮世離れした、物語に出てくる姫君でも、(あなたの)お心のようにつれなく、空とぼけている人は、世に居るまい。それじゃあ、めったと例のない話として、世に語り継がせて行こうかね」
と、すり寄って来ておっしゃるので、(玉鬘は)顔を(衣の内に)引き入れて、
 「そんなことをなさらずとも、このようなめったと無いことは、世間の語り草にもなってしまいそうですわ」
と、お答えになるので、
 「珍しいと、お思いですか、なるほど確かに、めったとない心地がするなあ」
と(言って)、寄り添って来られる様子は、まことに、しどけないことである。

 話の筋としては、そのまま玉鬘を口説く源氏の、口から出まかせの話として読めるのですが、ここの「まろがやうに、実法(じほう、仏教用語、まじめ、律儀)なる痴者(しれもの)の物語はありや」というくだり、表向き光源氏が自分のことを、口説きかけては自制するクソ真面目なバカモノ、と自嘲したように書いていますが、読みようによっては、そうした「実法なる痴者」を「あまりなるまで」描き切るのは私しかいない、と紫式部は暗にシグナルを読者に送っているようにも思えるのです。

 というわけで、停頓した話の中で、彼女は繰り返し読者にも我が身にも、今後の物語の展開にかんして、ある種の覚悟を促しているようにも見えるので、それは要するに、この先まったく古物語とは異なった世界に入って行きますよ、「実法なる痴者」の姿を、最後まで隈なく追い求めて行きますよ、と宣言しているかのようです。
 表向き、功成り名を遂げて、得意の絶頂になりつつある光源氏、そのままでは停止するしかしょうがなかった物語が、衣冠束帯を剥いだ素裸の源氏を見つめて行くならば、老いゆく彼の姿もまた「あまりなるまで」書いて行けると確信したのかもしれません。丸谷さんが言われるように、人の真実を表現するのに、あえてダーティーな主人公を仕立てあげるというのは、十九世紀以降の近代文学や映画などに見られる特徴で、ドストエフスキーやフロベールの主人公など、とてもじゃないが道徳的とは言いかねますね。
 紫式部はそれより800年以上前に、あるいは「愚か者の姿にこそ、人の実相が現れる」という逆理を嗅ぎ取ったのかもしれません。

 ちょっと余談ですが、反社会的なヒーローと言えば、映画でもいわば定番で、今どき多少食傷気味でもあるのですが、もうすっかり古いタイトルで、例えば「将軍たちの夜」(1967年、アメリカ、コロムビア映画)というのがありました。
 第二次大戦下のドイツ軍を舞台にしたサスペンスですが、戦争中連続猟奇殺人を犯した将軍が、戦後十数年経ってネオナチの復興に重鎮として祀り上げられる。その祝賀会の面前で、彼の異常な過去が暴かれて、たしか自殺するのですが、軍服と勲章に飾られた将軍の化けの皮が剥がされて、猟奇殺人者の顔が現れるとき、主人公役のP・オトゥールの演技がすごかったせいでしょうが、なぜか素の異常性格者の顔に戻っていくにつれて、むしろ人間的な尊厳のようなものが色濃く現れてくるのを、戦慄的な気分で見たことを思い出します。
 なかばサイボーグ化したヒトラーを思わせる冷血が、愚者としての本性に立ち返るとき、彼はむしろ心の平安を感じたのではないか?800年前の紫式部が、そこまで人を見詰めるうえでのカギのようなものを、掘り当てていたかどうか、これはまったくの推測でしかないのですが、ふとそんな空想に駆られます。

 さて、そのようにさり気に言上げしたとはいえ、彼女はそのまま痴者の地獄の話に入っていくのか、といえば、そうでもなくて、どっちつかずの玉鬘の物語から、なぜか内大臣家の話に、話題を少しずつ移して行きます。何だか巨大タンカーが舵を切るみたいに、静々とひそやかに。

― つづく ―





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Last updated  2010.01.28 11:05:54
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TNサリエリ @ Re[1]:Kyoto Tachibana High School Green Band 10.(09/07) ナガノさんへ  コメントいただき、ありが…
ナガノ@ Re:Kyoto Tachibana High School Green Band 10.(09/07) 2年遅れで、この文章を読んで泣けてしまっ…
TNサリエリ@ ふたたび、コメントありがとうございます。 cocolateさんへ 私自身、彼女の演奏に刺激…
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