サリエリの独り言日記

サリエリの独り言日記

2010.01.27
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テーマ: 古典の日(312)
カテゴリ: 文学
 光源氏の目的が、別のところにあったとはいえ、ここに語られた「日本紀などは、たゞ、片そばぞかし。」という言葉は、当時の正統な教養とされて、男だけが許されていた「日本紀」(日本書紀ではありません、それも含めた漢文で書かれた六国史)など片端に過ぎない、ことの真実は事実の中だけでは語りきれない、と言っていっているわけで、ずいぶん思い切った物言いですね。
 ただ私には、ここには論理の飛躍があるように思えるので、当然のことですが、今どきの考えかたでは、歴史と物語はその在りようが異なるのです。しかし紫式部は、おそらくそれを意図的にやったのでしょう。はたして続けて光源氏が語るには、

― 「その人の上とて、ありのままゝに言ひ出づることこそなけれ、よきもあしきも、世に経る人の有様の、見るにも飽かず、聞くにもあまることを、後の世にも言ひ伝へさせまほしきふしぶしを、心にこめがたくて、言ひおきはじめたるなり。よきさまに言ふとては、よきことの限り選り出でて、人に従はむとては、又、悪しきさまの、珍しき事を取り集めたる、みな、かたがたにつけたる、この世のほかのことならずかし。 … ふかきこと、浅きことのけぢめこそあらめ、ひたぶるに、空言(そらごと)といひはてむも、事の心、違ひてなむありける。 … よくいへば、すべて何事も、むなしからずなりぬや」
と、物語を、いと、わざとの事に、のたまひなしつ。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫()筆者)

 「(そもそも、物語というのは)誰それの人のこととして、(何もかも)ありのままに語るということではなくて、善きにつけ悪しきにつけ、この世に生きる人の有様で、見るに飽かせず、聞き捨てにも出来なくて、後の世まで語り伝えたいような事柄を、心一つに収め難くて、語り置き始めたのでしょう。(人をことさらに)善いように言うとなれば、善い事ばかり書きたて、読み手におもねようとして、(逆に)これまた、悪いことばかり面白がって取り集めた(ものであった)としても、皆それぞれ由あることであって、この世の他の話ではないのですよ。 … (書き方に)深い浅いの違いは(もちろん)あるとはいえ、何もかも全部ウソと言い切ってしまうのでは、ことの本質を見誤ってしまいます。 … (ものは取りようで)好い方に考えれば、すべて何事も、ムダになることがあるでしょうか」
と、(今度は)物語を、たいそう、値打ちあるもののように、言いなされるのであった。

 ここに語られた言葉は、当時の通念をはるかに飛び越えて近代的で、感動的でさえあるのですが、さて当時の人は、どれほどかこのくだりの意味するところを捉えていたのでしょう。
 紫式部は日本紀だけでなく、漢籍の史書や詩にも通じていて、当時としては稀な教養を身につけた女性だったのですが、同時に女が男の教養を持つことの危険も充分知っていました。とはいえ、プライドを捨て去ってまで、その表現をたわめる気もなかったわけで、彼女はそれまで書き記してきた「物語」について、それなりに相当な自信をもっていたことでしょう。で、上のような物語感は、おそらくこの物語を書き始めたごく初期(たぶん「葵」や「賢木」の帖あたり)から、かなりハッキリと意識していたに違いないのです。
 しかし頭の中に意識されているということと、こうして言葉にハッキリと書き記すということは、これまた自ずと別のステージに上がる、という転換があるわけで、彼女はここで自身の物語感を、もう一度言葉で確かめていたのではないか?例えば、空言(そらごと)の集積が、ときに事実を越えた真実を語り得る、といった公理を。これは周囲を取り巻く現世の事実とは別の、独立した宇宙や時間を構成するということでもあり、であるなら女子供が絵空事にうつつを抜かす、という振るまいにも一理あるということになります。

 とはいえ、彼女はこうした考えかたを、例えばベートーヴェンの「ハイリゲンシュタットの遺書」のように、宣言文にするわけでもなく、あくまで物語の中にさり気に塗り込めているわけで、分かる人には分かる、だけど別に分からないまま通り過ぎても、いっこうに支障はない形にしていますね。
 で、そうした彼女の声を分かった人が当時いたのかどうか、私はいたと思うのです。ずうっと始めのほうで話しましたが、どんな大天才といえども、時代を超越して才能を開花させるということは、あり得ないので、彼女の周囲を取り巻く熱心な読者層の中には、相当程度彼女の意図を汲み取った人たちがいたのではないか、という気がしてしょうがない。そもそも宮廷には、物事を露わに言上げしない、和歌なら必ずその言葉に二重の意味を込める、という作法が普通に行われていたわけで、彼女の考え方を察した人は、少なくとも数人ほどはきっといたでしょう。

― つづく ―





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Last updated  2010.01.27 08:02:26
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TNサリエリ @ Re[1]:Kyoto Tachibana High School Green Band 10.(09/07) ナガノさんへ  コメントいただき、ありが…
ナガノ@ Re:Kyoto Tachibana High School Green Band 10.(09/07) 2年遅れで、この文章を読んで泣けてしまっ…
TNサリエリ@ ふたたび、コメントありがとうございます。 cocolateさんへ 私自身、彼女の演奏に刺激…
cocolate@ Re:エレクトーンというガラパゴス 1.(06/17) 再びおじゃまします。 826askaさんのYouT…
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