サリエリの独り言日記

サリエリの独り言日記

2010.04.29
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テーマ: 古典の日(312)
カテゴリ: 文学
 というわけで、髭黒の言いぶんを聞いていると彼に傾き、北の方の話を読んでいると彼女に加担したくなるというように、読み進むたびにこちらの感情が、どうしようもなく揺らいで来るのを、私たちは抑えることが出来ません。

 これは紫式部の新しい試みだと思うのです。内心の作意を出来るだけ抑制して、それぞれの人物が行動し、しゃべるであろう中味だけを、注意深く見守って書き記して行けば、ドラマは自ずと立ち上がってくるうえに、そこに漂っている空気は、古物語的な薄っぺらな善玉悪玉の話ではなく、どちらにもそれぞれ一理がある、というような複雑な味付けになっている。この感覚こそ、実はこの世の中で確かに遭遇する(した)はずの、リアルな味わいというものでしょう。
 ここで「髭黒はヒドい男だわ!」と、今どきの倫理基準で非難するのは簡単ですが、それだけではこの前後に描かれたこの夫婦の真の悲劇的状況を、ほとんど見落としてしまうことになります。今どきの倫理基準を持ち出したなら、それこそ光源氏を筆頭に平安時代の男どもは全員許し難い、ということになってしまうでしょう。
 b系物語にはずうっと一貫して一種男たちへの意趣返し的な構造が見て取れるにしても、ここへ来てその表現は、より複雑な世の実相を描く方法に位相を変えたか、とも思えてきますね。

 この会話に続いて、紫式部は北の方の姿ありさまを、もう一度克明に記します。

― いと、さゝやかなる人の、常の御悩みに、痩せ衰へ、ひはづにて、髪、いとけうらにて長かりけるが、分けとりたるやうに落ち細りて、梳(けづ)ることも、をさをさし給はず、涙にまつはれたるは、いと、あはれなり。こまかに匂へるところはなくて、父宮に似たてまつりて、なまめいたるかたちし給へるを、もてやつし給へれば、いづこの花やかなるけはひかはあらむ。 ― (山岸徳平校注、岩波文庫()筆者)

 (北の方は、もともと)たいそう、小柄な人であるが、日頃のご病気で、(すっかり)痩せ衰え、ひ弱になられて、お髪も、(もとは)とても清らかに長かったのが、分け取ったように抜け落ちて薄くなってしまい、櫛けずることも、ほとんどなされずに、涙でまとわり付いたままなのは、何とも、哀れである。細やかに照り映えるというところはなかったが、父宮に似なさって、(いかにも宮家らしい)上品なお姿でいらっしゃったのが、(身なりも)構いつけられないので、(今や、その)どこに華やかな気配があろう。

 ここの描写には、かつて空蝉やまして末摘花に見られたような、タメにする要素がなくて、この哀れな姿をどう見るかは読者の読み方によって、さまざまに変化するでしょう。もちろんやつれ果てた北の方本人の姿は、とても哀れなのですが、介護をしている髭黒の目から見た場合、それはどう映るのか?

 内心では「いとあはれ」と、理性で何とか抑えて来た髭黒ですが、それがどうも愛情ではなく同情から来ているらしいことが、上の会話の端々から顔を出す。北の方はそれをいかにも女らしく敏感に感じ取っているので、父宮のことは実は方便に過ぎない。彼女は「本当に私を大事に思っているのかどうか」を彼に聞いているので、形ばかりの憐憫で私に接するのなら止めて、というより「真心で私と接して」と言っているのです。
 私は別にこの男に加担するつもりはないのですが、髭黒に「真心」が無いかと言えば、それまでの経緯からみてそんなことはなかろう、と思っているのですが。

― つづく ―





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Last updated  2010.04.29 11:09:38
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ナガノ@ Re:Kyoto Tachibana High School Green Band 10.(09/07) 2年遅れで、この文章を読んで泣けてしまっ…
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