サリエリの独り言日記

サリエリの独り言日記

2010.07.30
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テーマ: 古典の日(312)
カテゴリ: 文学
 それともう一つ「若菜」の帖以降、特徴的にみられるのがその全体構成の緊密さとともに、一つ一つの文章もまた濃密さを増しているように思えることで、ひらたく言えば「遊び」がない。これはまさしく私のようなしゃべりかたをしている者にとっては、はなはだ気の重い事態が予測されるわけです。

 これまで先に述べたユーモアの感覚も含めて、物語全体に流れているトーンには一種の余裕があって、であるからこそ、私など自分の気に入った部分だけを、取り出してはいろいろおしゃべりを重ねる、ということが出来たのでした。全般的な概説では、たぶん絶対出来っこないだろう超低空まで舞い降りて、読み続けてきたとはいっても、それでも全文を網羅するなどということは、もとより不可能で、見ようによっては「好いとこ取り」の気配もたぶんにあったわけです。
 まあそれでも、「源氏物語」前半に流れている気分というものを、ある程度は自分なりの仕方で再現出来たかなと、ごく身勝手な自己満足にも浸っていたのですが、これは平成の今どきに棲む私たちの気分に、いちばんマッチするところだけを取り出して、おしゃべりをして来たということで、考えてみればこんなに楽で面白い作業はなかった、と言うべきでしょう。

 明らかなことは、はじめにあげたような理由で、「若菜」の帖以降では、同じような調子のおしゃべりはまず不可能だろうということなのです。これだけ構成も文体も緊密かつ濃密になると、本文の気に入った一部を取り出すということが難しいというか、それをすることで逆に、この物語後半全体を覆っている気分を壊すおそれが多分にある。
 ならいっそ全文訳を試みたら、という話にもなりかねません。しかし前にもちょっと触れたことなのですが、はたして今どきの平成の世にいる自分が、全文の口語訳を何度も読んだとして(結果としてそうなることがあっても)、この物語全体の気分を、多少でも嗅ぐことが出来るのかと言われると、「ちょっと待てよ」というところがあるのです。最近また林望さんの新たな訳業も行われていて、その優れて柔らかい口語に、あらためて脱帽もし、いっそこれが完了するまで(二年ほどかかるそうですね)、このシリーズは休もうかとさえ思ってしまいますが、それでなおかつ、というよりそのように洗練された口語だからこそ、なおのこと実際はどうなのだ、どう表現しているのだろう、ということのほうが気になって仕方がない。

 どんなに優れた訳業であっても、それらは「源氏物語」の世界に入りやすいように、今ふうに間口を広げているだけであって、この物語がもともと蔵している本質的な分かり難さ、というものがそれによって解決されるわけではない。厄介なのはそうした本質的な分かり難さというものが、口語訳によって生じたものなのか、原文そのものに宿っている難解さなのか、1000年という時間の推移によって、自ずと生まれた問題なのか、皮肉な話ですが口語訳ではかえって判然としない、といったところがあるのです。
 「いやそんなことはない。むしろ現代訳ならそれだけで徹底して論ずるべきだ。今どき古典をスラスラ素読して理解できる奴などいるわけがない」と豪語して、与謝野晶子訳で「源氏物語論」をものされているのが、例の吉本隆明さんですが、相当な勇気だと思いますよ。しかし考えてみると、この理屈は古典の本質というのを突いていて、早い話そうでなければ「カラマーゾフ」も「異邦人」も、現代日本人は何一つ論じる資格はないことになってしまいます。吉本さんの言うところは、要は古典がその道の専門家の内だけで、祀り上げられる不条理をおしゃっているのでしょう。

 何度も言いますが、これは何も、さまざま試みられる口語訳の営為をくさしているわけではありません。この古典を享受していくうえで、どうしてもこの物語を自身の言葉で語りたい、というような衝動は、多少でも「源氏物語」の面白味を嗅いだ人々の中からは、必ず出てくるものであろうし、結局それは古典と自身とのあいだの距離の取りかたの違いでもあるでしょう。
 私はこれまた繰り返しになりますが、自分とこの物語のあいだの距離を最大限の1000年に拡げて、それでなおかつ、響いてくるかもしれない平安の世のうめき声のようなものに耳をそばだててみたい、なしうるならば平成的表現でそれらをしゃべってみたい、と思っているのです。

 となると、話はまた元に戻って来るので、今後のおしゃべりの仕方は、このままの低空飛行のやり方では難しかろう、はたまた上空へ駆け登って俯瞰的なポジションをとった場合に、こぼれ落ちるであろう原文の醸し出しているトーンというのを考えると、それもまた難しい。というわけで、話は堂々巡りの様相を呈しているのですが、まあ、あまりいろいろ考え過ぎて、銅鑼ばかり打ち鳴らしていても仕方がないので、しばらく間を置いてから再開することにしましょう。
 結局のところ、お前は本当にこれを楽しめているのか、という感覚だけを尺度にして、それが充分に確信が持てるようになれば!?ということなのですが。

源氏1000年 若菜の前に ― おわり ―





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Last updated  2010.07.30 15:36:49
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TNサリエリ @ Re[1]:Kyoto Tachibana High School Green Band 10.(09/07) ナガノさんへ  コメントいただき、ありが…
ナガノ@ Re:Kyoto Tachibana High School Green Band 10.(09/07) 2年遅れで、この文章を読んで泣けてしまっ…
TNサリエリ@ ふたたび、コメントありがとうございます。 cocolateさんへ 私自身、彼女の演奏に刺激…
cocolate@ Re:エレクトーンというガラパゴス 1.(06/17) 再びおじゃまします。 826askaさんのYouT…
cocolateさんへ@ コメントありがとうございます。 三年ほど前に826asukaさんのことを知り、…

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