サリエリの独り言日記

サリエリの独り言日記

2010.11.13
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 このお二人に共通する姿勢とは、事に対するに「父性的」な構えでの規律性、といったものでしょう。本人の個人的な思想とか性格とか事情などいっさい忖度(そんたく、他人の心をおしはかること)せず、本人が所属する組織、本人がそこで本来遂行すべき職務、対するに結果行った行為の当否だけを見、それを問い、そして裁断しているのです。
 「間然するところがない」とは、こういうものの考えかたを言うので、文字通り他言をさしはさむ余地はどこにもない。「身もフタもないではないか」と(特に女性あたりから)嫌われそうですが、すぐれて組織で仕事をし、それが機能するとはどういうことか、を知悉している人であれば、このような「構え」は誰でも持っている。

 身とかフタとか、そもそも組織とは機能集団であり、イヤな言い方をすれば「街場の町内会」ではない。今ネットで沸騰している「英雄」騒ぎは、まさしく町内会の論理なのです。井戸端会議では誰も責任など取らなくて好い(みんなそんなことは、最初から分かって騒いでいる)。

 以下、こうした時の「父性的」な構えの管理者は、どのようにこういう相手に対するのか、想定問答を少し長いですが、やってみましょう。
 この二人に言わせれば、
 「君はそういう核心を充分理解して、この組織で仕事してるんだろう」
ということです。続けて、
 「それに専念するところにこそ、君の栄光やプライドがあったんじゃないのか」
さらに、
 「で、もし今回のような事例で君の内心に不満があるのなら、なぜすぐに報告相談をしないのか。出来ない理由があるのか」
 「報告相談が出来ないのであれば、黙って辞職しようとは思わなかったか」
 「もし君の気持ちに、何かの揺らぎがあり、さらにそれを誰にも報告相談しなかった場合、この組織の栄光やプライドを共有せずに、そのまま居るつもりだったのか」
 「それが組織を起動する時に、君個人じゃなく、組織全体を危機に陥れる可能性は考えたか」

 ヘタな想定質問ですが(たぶんこの二人なら、もっと気の利いた言葉を発したでしょう)、この「父性的」な管理者たちにとっては、「そんなこと以上に、この行為は重大だと思ったから」とか「これは国民の知る権利だから」といった浮ついた弁明などは、そもそも、こうしたプロの機能集団においては発想としてあり得ない。「そんなこと以上に … 」と言われた瞬間に、「組織をどう思ってるの、こいつ」と思うでしょう。

 というような質問を投げれば、必ず本人は、
 「それほどに、私は悩んでいるんです、苦渋の末の決断です。この忠心からの気持を分かって下さい」
と言うのでしょうが、
 「それほどに悩んでいたのなら、なおのこと、なぜ相談しなかった」
 「怖くてようしませんでした」
 「どれだけ怖くても、これは何が何でも相談すべき事柄じゃないか。何が怖かったのか。俺がか」
 「いえ」
 「何だ」
 「中味が怖かったです」
 「中味の何が怖かった」
 「これは、ひょっとして、ずるいことじゃないかって」
 「 … 」
 要は本人は、こうした行為が、何を引き起こし、真っ先にどこに迷惑が行き、その後に何を出来するか、知っているのです。知っていながらやるという、行為の仕方そのものに、実は「心の疚しさ」を抱えている。
 「疚しさ」があるから、しばらく様子を窺っていた、世間の動向を見定めて、自身を精一杯仮装して世に現れた、ということでしょう(今回のケースで言えば、事情聴取を受ける前に、自分のことを擁護してくれていると、勝手に思っているテレビ局の記者に会った、というところに如実にそれが現れています)。

 で、ここからが肝心なのですが、例えば
 「で、やったあと、君はどうするつもりだったのだね」
 「どうするとは」
 「この結果を、どう始末するつもりなのか」
 「責任を取って辞めようか、と」
 「 … 」
 実をいうと、管理者にとって「責任を取って辞めます」という言葉くらい「無責任」な言葉はない。上司は内心「お前は自分が腹斬って、それで終わったつもりかね」と歯噛みする思いでしょう。組織にとって個人的思惑などどうでもよい。偽装した「義憤」という、まるきり個人的な欲望に駆られ、組織を紊乱させ、しかも後始末は知らん振り。
 自身の行った行為に、せめてあとのビジョンも多少は持っていたならまだしも、おそらく間違いなく「公私」にわたって、あとの始末など何一つ考えていないのです。あるのは「こうして自分は責任取ったのだから、誰かが何とかしてくれるだろう(すべきだ。すでに私は「免責」されている)」といったところが、せいぜいでしょう。
 要は、きわめて「子供」染みたマインドに侵されている。しかしまあ、別に海保に限らず、こうした人間というのは、我々の社会には必ずいるものです(まったく、「泣く子と地頭には、勝てない」のです)。後になって「その時は確かにそう信じてやっていたんです。このような結果になるとは夢にも思わなかった」と言われても、「国のかたち」が体を為さなくなってから、「その時は確かにそう思った(だから、仕方がなかった)」では、またもやいつか来た道。退屈な歴史の繰り返し、ということになってしまいます。

 管理者はきっと以下のように思うでしょう。
― 組織の栄光とかプライドより以上の価値があるから「義憤」というのであれば、そもそもこの行為をなす前に「あとの見通し」も持っているはずだろう、そうであってこそ、あるいは公に認められるかもしれない「義憤」というものじゃないか、もしそれを公私共々何も持ってないのだとすれば、要はそれはお前の隠れた「私憤」を、「公憤」に置き換えているだけじゃないのか。その「私憤」とは、結局は俺たちの組織に対するものだろう。 ―
 おそらく普通の管理者なら、このあたりのところまでは、たちどころに推測するのです。

― つづく ―





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Last updated  2010.11.13 11:30:58
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TNサリエリ @ Re[1]:Kyoto Tachibana High School Green Band 10.(09/07) ナガノさんへ  コメントいただき、ありが…
ナガノ@ Re:Kyoto Tachibana High School Green Band 10.(09/07) 2年遅れで、この文章を読んで泣けてしまっ…
TNサリエリ@ ふたたび、コメントありがとうございます。 cocolateさんへ 私自身、彼女の演奏に刺激…
cocolate@ Re:エレクトーンというガラパゴス 1.(06/17) 再びおじゃまします。 826askaさんのYouT…
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