サリエリの独り言日記

サリエリの独り言日記

2020.05.04
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「平時」と「非常時」
 日本政府は、過去にやって来た「新型インフルエンザ」だの「SARS」だの、中国由来の病原体を、なんとかうまくやり過ごしてきたせいか、多少、自国の医療体制とか検疫システムに、過信があったのかもしれない。逆に台湾や韓国やヴェトナムは、これら二つにずいぶん痛い目にあわされているので、かなり敏感に反応しましたね。彼の国々は感染症にかぎらず、常にこの巨大な隣国に脅威を感じざるを得ないので、当然それに対する準備もしている。先にも触れた「非常時」という概念に属する対応策をです。
 最近になって分かってきたことですが、日本には「平時」の法律はあっても、「非常時」の法律がないというか、そもそも敗戦後日本の法体系には、「非常時」という概念がどうも存在しないらしい。「非常時」法といえば、紋切り型に戦前の「国家総動員法」のような、国民の権利を根こそぎ剥奪し、政府の権力行使を無限化する法という、きわめて論議不十分な前提が、今でもこの国にはまかり通っているのではないか。
 何も「戦前に戻せ」と言っているわけじゃなくて、「平時」とは違う状況は、大地震とか戦争とかテロとか、今でも普通に起こり得るのであって、要はそうした時に発令施行されるべき法体系がない、ということなのです。これは明らかに国の形として不完全、つまり脆弱性そのものに他ならない、ということなのではないか?

 今回の武漢ウイルスへの対応は、チャーター便の帰国者が最初だったと思いますが、まさしく「平時」の検疫と防疫で対処しました。当時、一般だけでなく医療の専門家の中にも、「このウイルスは風邪の新種だから、一年もたてば季節性のインフルエンザと同じように扱われるだろう」と、ずいぶん楽観的というか、強気の発言をする人がいましたね。その根拠はおそらく、中国およびWHOから流れてくる、先に触れた「感染力、毒性とも中程度」という情報から来ているかと思われますが、それにしても、同時期の武漢の映像を見たときに、多少の疑念もわかなかったのかという気がしますね(最初WHOは「この新型ウイルスは、ヒトヒト感染しない」とまで言ってましたよ)。

 皮肉な言いかたをすれば、この場合の中国やWHOのいう「中程度」とは「ペストやエボラに比べたら、そんなに怖くない」という含意があったのではないか。それを丸ごと勝手に信じた、日本ほうが悪いということになってしまうのですが、さて世界中で、こうした見解をまともに受け入れていた国は、当の中国人も含めて、ほとんどなかったのじゃないか。ただ欧米諸国は、それらをまともに聞かないと同時に、やはり「SARSやMARSと同様、多分うちには来ないだろう(関係ない)」というしかたで、冷ややかに見ていたに違いない。
 おかげで、手痛いしっぺ返しを食らうことになったのですが、これもまた日本とは別の仕方で油断していたのだから、「誤認したほうが悪い」ということになるのでしょうか。
 日本はそれに比べれば、「平時」の体制とはいえ、よほど緊張感を持って対処していました。したがってチャーター便の帰国者からの感染拡大は、民間のホテルを借り上げたりと、かなり泥縄式だったとは言え、ほぼ無かったといっていい(このチャーター便を引き受けた、全日空は偉いと思いますよ)。

 問題はダイヤモンド・プリンセスのほうが、いわばまったくの不意打ちで、日本にやって来たということでしょう。そもそも三千七百人を超える乗客乗組員を、一挙にすべて隔離する施設なんて、日本にあるはずがない(諸外国だって、あやしいもんです。したがって、隔離停泊しているダイヤモンド・プリンセスを、あたかも「打ち捨てられた船」のように触れ回る、欧米メディアの報道はおかしい)。
 後からの調査で分かったことですが、船内感染の大半は横浜入港直前に発生していたのであり、入港後、個室隔離を行ったあとの感染拡大は、最少限に止まっていることが、疫学調査で分かっているらしい。「何も処置せず放置したから、感染が拡がった」という論説は、合理的根拠を欠いたフェイクだったということになります。どころか、重傷者はしかるべき専門病院に搬送して、当時として精一杯の医療を施したのではないか。地元の病床では足りず、静岡まで運んだ患者もいましたね。これはコロナ以外の重症患者を守るために、首都圏の病床を確保する必要があったからで、果たしてほかの国で、そこまでの対応をしたかどうか。
 記者団に対し、「私たちは検疫の任務を行っただけ」と口惜しそうに話していた、加藤厚労相の顔が印象的でした。まさしく、「平時」での対応しか意識しようのない厚労省が、現行の法制にしたがって粛々と指揮を執ったということでしょう。

 面白いのは、そうした中にあって、応援に駆け付けた自衛隊員からは、一人の感染者も出さなかった。検疫のプロである厚生省の係官や、横浜の職員から感染者が次々出たのに対し、きわめて対照的な結果となっています。テレビのインタビューに対し、「むしろ『検疫』というものに対して素人だったことが、幸いしたのではないか」と自衛隊幹部の人が語っていました。この場合の「素人」というのは、感染症や検疫のことを、まったく知らないということではもちろんなくて、「未知のウイルスであるがゆえに、より意識して徹底的に防護に努めた」という意味でしょう。
 船内に乗り込んだときの検疫官他と、自衛隊員のものものしい装いの違いは、そのまま「平時」と「非常時」の意識の違いを明瞭に表していて、日本でそれを本当に理解し、そのための訓練をしているのは、自衛隊員だけだったということです。同じような話ですが、東京の自衛隊中央病院も目下、コロナ重症患者の拠点病院の一つとなっていますが、院内感染を起こしていません。
 何も自衛隊礼賛をしているわけじゃなくて、しつこいようですが、「平時」と「非常時」の意識の切り替えという概念が、敗戦後日本には存在しないということなのです。早い話、「非常時」とは一定程度の「『私権』の制限」が前提されるわけですが、現在の日本でそれを普通に受け入れる人は少ないでしょう。政府側もそれを知っていて、したがって「非常事態宣言」ではなく、「緊急事態宣言」ということになる。明確な「私権の制限」ではなく、国民への「自粛」と「要請」という、はなはだ不鮮明な宣言となってしまうのです。

 これって一面、国民の「民力」に一方的に寄り掛かった、際限のない「要請」に見え、施政者側の責任と覚悟という面でも、不明瞭な「宣言」ということになりますね。私は今回の全国民十万円一律給付というのは、この「非常時」にともなう「『私権の制限』に対する、国からの保証ないし支援」と考えています。しかし、今だに基本的人権絶対視の人たちには、この「私権の制限」という言葉は禁句なのでしょう。したがって、その決まり方も、途中で低所得者に制限した三十万円給付案が出てきたり、はなはだ不明瞭なプロセスとなってしまいました。





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Last updated  2020.05.04 10:40:45
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TNサリエリ @ Re[1]:Kyoto Tachibana High School Green Band 10.(09/07) ナガノさんへ  コメントいただき、ありが…
ナガノ@ Re:Kyoto Tachibana High School Green Band 10.(09/07) 2年遅れで、この文章を読んで泣けてしまっ…
TNサリエリ@ ふたたび、コメントありがとうございます。 cocolateさんへ 私自身、彼女の演奏に刺激…
cocolate@ Re:エレクトーンというガラパゴス 1.(06/17) 再びおじゃまします。 826askaさんのYouT…
cocolateさんへ@ コメントありがとうございます。 三年ほど前に826asukaさんのことを知り、…

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