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画像は偕楽園郊外の徳川博物館の東崖下に咲く水仙の花。 一帯は海退時に那珂川の堆積物で各種河川が塞き止められてできた湖。 水戸光圀公(黄門)は渡船して別荘へ通い詩歌管弦に遊んだという、 中国古典では仙人を天仙、地仙と分け、水辺に遊ぶ仙人を水仙といった。 * 水仙の花を撮ったりして観賞していると将に黄門の人柄が偲ばれる。 してみると水仙は湿地を好み当地高台では自然消滅しがちなのだろう。 匂い、房つき、八房等各種を排水路周辺に植え盛りの花を楽しみたい。 特に触れれば各種の匂いを発する水仙を集めて春を楽しみたい。
2019.01.03
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昨日元日、庭に四十雀が訪ねてきた。 頭を垂れた画像となったが年始の挨拶をしているわけではない。 木の切り口辺りに巣くっていた虫を穿り出して食していたところ。 四十雀を追って行くと塵集積所にごみが出されている事を気づかせた。 * 此のままでは4日の塵収集日までに不法排出が増えると気付き片付けた。 四十雀は率先垂範してお疲れと言ってくれたと勝手に考え、同時に 四十雀は気が利くから今年は彼の好きな樹を増やそうと思い立った。 「天知る地知る」というが鳥は此の「天」に位置付けていいとも考えた。
2019.01.02
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予約中のお節料理が届いていたので一段目を今朝二人で食べた。話題は過去、未来の事はご法度。此処に至ったことは二人の 歩みそのもので話は尽きている。未来は然程先ではないから触れぬことにしくはない。*今日この瞬間だけの事でこと足りる。二段目以降は、明日に来る息子、 孫夫婦と一緒に開けたい。その話題は過去は自慢話、未来は忠告になりこれまた面白みがない。聴くだけで後は花鳥風月のことと心に決めた。
2019.01.01
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2018.12.31
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昨日の雀は引っ込み線に留まって逃げず慌てず落ち着いている 普通は人の姿を見ただけで飛び去るのに病かなと心配したほどだ。 番で来ているのだから病のはずはあるまい。 3メートルの近さに寄って何度もシャッターを切った。 * 拡大して見て雀の相がきついのに気づき肉食動物の風貌と知った。 本格的に冷え餌も減り越冬の苦しみを共有したいと訴えているのか。 初めて人の生類類憐みの気持ちを理解し始めたのか。 だったら小雀にも人との信頼関係を密にするよう指導するがいい。
2018.12.31
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瑠璃ビタキに逢いたくてもみじ谷から徳川博物館まで散策した。 期待が外れヒタキ類、目白達には全く出会わなかった。 櫻川の崖中腹に柿がたわわに生っていたが鴉と鵯が独占していた。 特に鴉の威勢は脅威的で小鳥は深い森の中に避難しているのかも。
2018.12.30
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庭の彼方此方に万両の実がたわわに生っている。 でも、野鳥が啄んた跡がほとんどない。 今年は山野の生り物が豊作で食糧事情は潤沢なのか。 でも、藪蘭、老爺柿等は殆ど平らげられている。 * 庭に訪問する野鳥の種類と数が激減した。 今年は野鳥の環境でもいろいろな変革が生じたのか。 人間社会も自然災害が多発した年であった。年が改まるにあたり 「安而不忘危。存而不忘亡。治而不忘乱」を噛締める。
2018.12.29
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. 翅を震わし小口を開けて微かな声で呼び合う庭の目白。 学齢のころ目白仲間で山林を駆け回ったことを思い出す。 この啼き方をみんな「クデル」と言っていた。 スマホで調べると「口舌」の動詞化。「クゼル」かもしれない。 * 「クゼル」には鳥が盛んにさえずるの意もあるらしい。 「子飼いからくぜる宿屋の燕かな/玉丈」も紹介されている。 「くぜる」が訛って方言化したものかと考え疑問が解けた。 が、今までの様にクデルという言葉を使ていいかが問題だ。
2018.12.28
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昨日、庭に番の目白が来た。つかず離れずに囀りあっていた。 目白は少なくなり絶滅危惧種になるのかもと心配するほどだった。 目白を追った相棒たちも全て黄泉に行ったがこの鳴き声が聞こえぬか。 目白はいろいろな鳴き声を発して会話する。 * 「クデル」という言葉は最近使われずネットでも検索できない。 雄雌の愛の交換の手段なのだろうが方言かもしれない。 目白の好きな餌は蜜柑の他に百日紅の実もそうなのかもしれない。 まだまだ十分あるから何度でも来て「クデリ」を聞かせてほしい。
2018.12.26
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根元辺りが際立って明るい。ワケを調べている。不可思議ではなくレンズのいたずらかも。 昨日は近くのフードセンターで年末首の食材の買い物をした。 妻を連れだしたが1時間半の買い物に全く音をあげなかった。 主婦の勘を取り戻して男に気付かないものを籠の中に入れていた。 もう既に怪我以前の状態に回復した感があり安心した。 * 帰宅すると農業兼業の仕事仲間が精米したての米を届けてくれた。 高齢になってまだ米作りをしている彼に元気を貰った感がする。 彼の細君も病で仕事ができないのを良くカバーし模範を示してくれた。 彼の奥さんへの土産を差し上げ乍ら「よいお年をー」と言って別れた。
2018.12.25
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前日の雨が凍っていた早朝の冬菊 プランターの冬菊が咲き始めた。寒菊は黄色というが赤系統の花なので冬菊と言えば間違いなさそうだ。ビオラの苗を買うときに一緒に籠に入れたもの。連日の本格的な冬の寒さを 堪えて強かに咲き始めた。*一輪挿しで庭の様子を妻に伝えたいが折角咲いた花を切るに忍びない。スマホで撮って冬菊に負けるなと元気づけたい。ビオラは毎年苗を植えるが寒菊、冬菊は一度も植えた事がなかった。来年は各種の冬菊を植えて冬の庭を華やかにしたい。
2018.12.24
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左 ヒヨドリ 右 キジバト庭先で啄んでいた雉鳩が電線でその状況を観察していた鵯に近づいた。 睨みをきかせて飛んできた雉鳩の姿に鵯は恐れをなして飛び去った。 自分の餌を横取りされたわけではないのに鵯を追払う必要性はない。 しかもここは鵯のホームグランドではないか。 * 鳩は平和の象徴とされているが実態は利己主義で攻撃性の塊か。 以前、雉鳩が雀を従えていた姿を見たが或いは日和見主義の権化かも。 好戦的な人間が平和の大切さを悟り鳩に平和の願いを込めただけか。 今将に第3次大戦の危機にあり恒久平和は鳩の画餅に等しいのか。
2018.12.23
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包装を解いて出番待ちの竹箒 昨日、ホームセンターで年末用の買い物をした。 通用口の辺りに竹箒が陳列してあったのでカートへ反射的に入れた 買う予定外であったが新しい年を迎えるための大切な道具。 使えば周りが清潔になり、同時に自らの腕、腰辺りの筋力が躍動する。 * 去りゆく年に竹箒でさりげなく別れを告げ 新年を清清しく迎えよう。 特に今年は庭の剪定を 強めにし伐採もしたから庭中明るくなった。 これで新春の光を満遍なく頂ける環境も整った。 この竹箒一本に諸々の願いを込めて明日からの出番に期待した。
2018.12.22
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椋鳥が止まっているテレビアンテナに鵯が飛んできた。 椋鳥は若鳥で群れから逸れて鵯の縄張りに入ったと思われる。 鵯は闖入者の親鳥を一緒になって真剣に呼んでいる。 空腹の幼椋鳥にとってこの瞬間が生きるか死ぬかの瀬戸際のようだ。
2018.12.21
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今季最後の山茶花が咲き残った。寒気、霜を避けて葉と葉の間に隠れて辛うじて花の色を保っていた。そのほかはすべてうす茶色に変色したか散ってしまった。この花も風前の灯、年が改まって椿の季節につなげられる。
2018.12.20
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温かいので探梅行と洒落込んだ。 ゆっくりと偕楽園を歩いて一輪の花に巡り合えた。 ふっくらとした蕾をたくさんつけているから狂い咲きではない。 先週の寒気を体感して開花のチャンスをつかんだに違いない。 * 斉昭公は梅の実を兵糧の目的にしたため探梅は眼中になかったようだ。 結果、偕楽園創設時の老木は全く咲いていなかった。 多分、平成になって偕楽園拡大の際に早咲きの梅木を植えたのであろう。 斉昭公の質実剛健の性格を垣間見る想いがする。
2018.12.19
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遠祖は子供にヒモジイ思いをさせないよう屋敷に柿の木を植えた。しかし住宅開発でほとんど伐採されて残っているものは数少ない。 これもその生き残りでそう思うと春夏秋冬その樹が気がかりだ。 よく見ると此の樹に映像の様に乾燥した柿の実が一つついている。 * 樹になったまま秋の高温で乾燥し、身を軽くしてぶら下がっている。 縄文の 人達はこの様子を見て渋抜きのヒントを得たのであろうか。 そうとは知らぬ野鳥は全く近寄らず干し柿は寒風に晒されている。 これも木守柿。木ばかりでなくその一帯の平安を守ってくれている。
2018.12.18
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今の尉鶲は人に馴れず小高い枝を飛び回り地面近くの構築物に来ない。 もっと寒さが続いて食料が乏しくなると撮りやすい場所に降りてくる。 尉鶲を追っていると柿の葉が異様に明るく落葉しないものを見つけた。 奇跡でもなんでもなく幹に枝で押さえつけられているものだった。 * 葉が隔離されてから相当の日数が経っているのに頑張って張り付いている。 何時落とされ何処へ飛んでいくかが面白い。 年を越しても葉の色をとどめて幹に張り付いているのを見たいものだ。 葉っぱ一枚、明日はどうなっているかと関心を持つのも有意義ではある。
2018.12.17
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今朝6時頃の撮影 今朝の気温、-2度。いよいよ寒さが本格的となった。 庭先の小松菜も縮れて寒を閉じ込め、将に耐寒力の塊だ。 それを豆腐、イゴマ等を入れた具沢山の味噌汁とした。 それを食すれば小松菜の酵素とビタミンで耐寒力も鍛えられる。 今日は妻が独力で庭を散策する計画を立てた。 前日に室内の廊下を何度も往復して転ばぬ自信を身に着けていた。 その味噌汁は自ら計画を立てた餞の馳走であり活力源だ。 寒締め菜も朝採りも自分が生きているからできると自負している。
2018.12.16
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2018.12.15
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毎日通るアプローチに水仙の花が咲いた。 何かの悪戯で花茎も葉もダメージを受けたが咲けた喜びに浸っている。 それを見ると元気が湧いて「行ってくるよ。」と言いたくなる。 花は惜しみなく元気を呉れるが人間社会は不安がつきまとう今日この頃。 * マスクをしてインターホンで来意を告げた人にどうしたのと尋ねた。 上司からマスクをするようにと指示されただけと言ってマスクを外した。 寒いから風呂で温まって就寝しなさいとテレビでアドバイスしている。 それは普通の家庭風呂での死亡事故を増やす危険を拡散していると感じた。
2018.12.12
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急に冬らしくなり、木々の枯葉が舞っている。 庭の中央に備えたガーデンチェアにはふっくらと木の葉が積もった。 庭仕事のときはこの椅子等を用いて休憩方々木の将来像を頭に描く。 それももうこの寒さになっては家の中に移ったがーーー。 * でも、花の撮影時にはこの椅子を用い野鳥を待つときもある。 枯葉を敷いた椅子はなかなかの風情を感じ寒さを忘れて長居する。 時には七輪を用いて火を焚き炭をおこしたりもする。 先祖や自分の手で育てた木々と一緒に時を過ごすことは実に楽しい。
2018.12.10
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神式の結婚式典に参列したが神主の言葉が小声で不満タラタラ。 でも、自分は大きな声で自己紹介したから気が晴れ晴れとしている。 帰宅して躑躅の根締めの瓦礫に百両の実が生っているのに気づいた。 百両と名付けられた当時(江戸時代)の評価額は750万円らしい。* それも、葉が斑入りとか捩れたりで異色の物の人気度を表した評価。 古来、評価する癖がついて今は土地とか家屋に値を付けたがる。 その値が自分の持物の価値であるとされるがそれも目出度いことだ。 百両は「万両千両あり通し」に仲間入りできず縁起物から遠ざけられた。
2018.12.10
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12月8日軒先の梅の小枝に生贄をしたのは誰かと問題を提起した。 今まで自宅周辺に鵙が来た気配がないから鵯かもしれないと思った。 しかしアンテナに鵙が止まっていたので鵙であることの確証を得た。 このような住宅地にまで鵙が来るとは驚かされた。 * 約2キロ離れると偕楽園緑地帯があるが何故に人家近くに出没するのか。 それほどまでに緑地帯には昆虫や小鳥等が少なくなったのか。 緑地帯は美観保護のために除草作業、薬剤散布等が頻繁にされるためか。 目白等の小鳥の現象と何か関連があるのであろうか。
2018.12.09
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大木もない住宅地の一角に鵙が来るはずもなく また嘗て鵙の鳴き声を聞いたこともないのに 軒先の梅の梢にカマキリの生贄が刺さっていた。鵙の知恵を学習した鵯かナンテ思いをめぐらした。
2018.12.08
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夫婦は向き合って生活すべきであるのが私の信条。 でも、雀たちは群れに入っても目を背けあっている。 実は天敵をキャッチするには向き合ってはならない鉄則がある。 特に、辺り一面が落葉しては不安だらけで気が休まらない哀しさがある。
2018.12.06
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庭先の蝋梅が咲き始め周囲に芳香を放っている。 これは活花の枝を地面に挿して30年、その場所で高木になった。 今年は庭師が強剪定して3メートルの高さにし枝の広がりを狭めた。 調べると「素心蝋梅」。名前も意味深長で夫婦で可愛がっている。
2018.12.05
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異常気象で道路際に高砂百合が咲いていた。日中に気付いていたが忙しくてカメラを取り出すいとまがなかった。夕刻になって撮ったから暗い画像となったが師走の花らしくなった。根あかに対して根暗を非とされたがもうその時代は終わった。
2018.12.04
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駐車場の仕切りに植えた侘助が咲いている。 侘助は俯き加減に咲くと言うが視線を隠そうとしている花もある。 テレビアナが前髪で片方の目を隠している姿が気がかりであったが。 侘助もそれを真似ているのか。実が生らないのを気にしているのか。
2018.12.04
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二年前茶毒蛾に侵され耐えに耐えた炉開きの花が咲いている。枯死を覚悟したが患部を摘除し生還を祈った。妻が室内で転倒し寝たきりを克服したのと全く同じ様相だ。炉開きの花は3月ごろまで咲くがその笑みは新春への希望の光だ。
2018.12.03
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約半世紀前、妻が植えた「べにしだれもみじ」が真っ赤に色づいた。 庭に樹を植えた事は主婦の座の自覚と主張の顕われと黙って見ていた。 春の芽吹くころ、わざと「誰が植えたの?」と聞くのが習わしになった。 老爺柿が枝を伸ばしてその遣り取りを一部始終真似ているかのようだ。
2018.12.02
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此の蜘蛛、毒蜘蛛の画像と違うから恐れるに及ばない。 でも、彼方此方の防犯カメラの近くに網を張られると迷惑千番だ。 デスプレイに白い塊となって画像を汚染し効果を半減させられる。 尉鶲が退治してくれると期待しているが期待外れである。 * 幾千里の海原を渡来してきた尉鶲にとり蜘蛛は格好の蛋白源だ。 テレビアンテナ辺りで呼んでいないで働き方改革をし体作りに励め。 蜘蛛の網の粘着物が怖いのなら雄を呼び蜘蛛退治の共同作戦をせよ。 頻りにお辞儀をしているがお辞儀は馳走にありついたときだけでいい。
2018.12.01
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今年の柿は秋の気温が高かったせいで早く完熟してしまった。 しかし未だに赤い柿の実をたった一つぶら下げている木がある。 これは学齢時、半分渋くて渋い部分を吐き捨てて食したものだった。 鳥は啄んで傷をつけ柿に刺激を与える渋抜き方法しか知らないのだろう。 * 渋みの成分カテキンは有毒と思いどの鳥も口火を切ろうとしない。 厳寒で食料に窮したときに渋抜きの口火を切るのかもしれない。 勇気ある鵯が啄むか爪を刺して柿に刺激を与えるのだろうか。 それとも雀が集団の力で突っき回すのかもしれず超関心事ではある。
2018.11.30
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夏から秋にかけて雀の群れが来なくなり絶滅の噂を真に受けた。 しかし最近、20羽程度の群れが毎日訪問し元気な姿に安心した。 これは枝垂れ櫻。来年2月に剪定するため小枝が絡み合っている。 小枝が込み合っていいる木は雀たち小鳥の安住の場所のようだ。 * 木の実をくわえてすごい形相の雀は群れの先導者かもしれない。 群れは今年生まれた幼鳥の訓練の場。その子の親たちが取り仕切る。 老鳥は群を離れ、餌や危険等の情報の収集、伝達の役割を担う様子。 高齢者は疎外する対象ではなく種の保存のためうまく活用している。
2018.11.27
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昨日の夕刻も尉鶲の姿があり矮鶏桧葉の辺りを塒と決めた様だ。建物の北に位置し人も猫も近づかない場所で安全かもしれない。 チェリーセージは雌尉鶲にイメージ的にそっくりと感じた。 花が散る前にもう一度同じ切り株に止まり撮らせてほしい。
2018.11.26
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2018.11.25
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朝食後に庭を散策しているとヒタキの鳴き声がした。 テレビアンテナに止まり人を呼んでいる気配である。 午後も何気なく外を見るとヒタキが軒下まできていた。 セージの花と一緒に撮ってくれと言いたげなポーズにも見えた。 * どうやらこの一帯はヒタキの縄張りに組み入れられた感がする。 お陰で蜘蛛の巣はほとんどなくなり、庭が歩き易くなった。 一緒に雀、四十雀も訪問するようになり賑わいを取り戻した。 更に尉鶲の動きを追い上を向く回数が増え筋力増に効果的だ。
2018.11.25
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昨日、パート作業をしてくれる家族が訪問し柚子を採取して行った。 序に檸檬の樹に接近した柚子の枝を剪定し棘の枝葉を束ねてもらった。 お陰でレモンの樹の周辺が清々として来春の花が楽しみになった。 檸檬は耐寒力が弱いが此処に馴れて毎年開花、結実が安定化してきた。 * 寒波襲来の情報に対応し各種の防寒作業をしたのは昔の話になった。 植物でも郷に馴れようとする努力をすると知り愛しさが倍増する。 また、寒さに耐えている隣の樹に感化される樹もあることを知った。 それらの樹が見事にこの地の寒を乗り越える姿に頭が下がる思いだ。
2018.11.24
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庭の落ち葉を集めていると何の音もなくヒタキが水飲みに来た。 急いでカメラを構えたがあっという間に飛び去った。 馴れるまで追い詰めないでそっとしておこう。 この水は地下水でミネラルも含有し美味しいからたんと召し上がれ。
2018.11.23
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キジバトが梅の切り口を定席にしようとしている。 庭を明るくするため枝垂れ梅を思い切って強剪定した切り口。 辺りを見渡すのに格好の場所と先取特権を行使したようなもの。 鴉、鵯も雉鳩のこの特権を剥奪することはできないに違いない。 *雉鳩は夏ごろまでペアーでいたが独りになってしまった。 猫に襲われたか、それとも子作りに失敗してペアーを解消したのか。 そう思っただけでも哀れに思いどうしたのかと声を掛けたくなる。 昨日は寡雀と軒下で遊んでいたが似た者同士で仲良くし給え。
2018.11.22
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盆栽を地植えにして10年。1メートル50の高さにした老爺柿。 枝が折れるほどに毎年たわわに小粒の実が生る。 完熟したように見えても飛び上がるほど渋い。 その渋が老爺柿を害虫から護り、人も古来その渋を採取し活用した。 * 野鳥たちは柿ではないと知っているのか赤くなっても全く無関心。 でも、寒に入り熟して落ちる寸前に全て啄んでくれる。 野鳥の好の餌ではないにしても餌がない時期の貴重な食料なのだろう。 此の樹は雌雄異株説を1本でも実が生りその誤謬を訂正している。
2018.11.21
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1週間前からこの辺りを巡回しているがなかなか下へ降りてこない。 その結果、この程度の写真になってしまったが尉鶲であろう。 尉鶲を見ると独りで孤独を噛みしめていると勝手に思ってしまう。 渡るまでは多くの友と一緒だったのだろうにーーー。 * 孤独は生き伸びる上での天命と頑なに守っている姿がいじらしい。 住宅地はいろいろな昆虫が人を頼りに集まるから餌は十分にある。 水飲み場もある。鵙などは近寄ってこない安全地帯だ。 ぜひ此処を縄張り一角として声を掛け合って一緒に過ごそうよ。
2018.11.20
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遅い朝食後、庭を散策していると小カマキリに出会った。 腹部が重たそうなのでまだ産卵していないのかもしれないと感じた。 早く使命を果たさなければ、生きてきた甲斐がないではないか。 立冬をとうに過ぎた。寿命は秒読みの段階ではないか。 * カマキリは卵で越冬し成虫で越冬することは殆どないらしい。 秋が異常に暑かったので陽気を勘違いしているのかもしれない。 物置の方に移動して行ったから安全の方角を認知している様子。 沢山産卵して天命を果たしてほしい。
2018.11.19
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庭木の手入れ作業で冬眠を邪魔されて飛び立ったのか。 それとも、小春日にウォーミングにと飛び出したのか。 眼前をゆっくりと飛ぶ蝶に出会った。 夕刻になると寒さが厳しくなる。早く越冬体制に入った方がいいぜ。 * 昨日で庭の作業は終了し、春の準備が完了した。 落とした葉は浚わずに其の儘にしてほしいと特別注文した。 里山風に落葉を敷き詰め、白腹やアカハラを招きたいものだ。 でも、久々の強剪定で明るくなった庭は遠慮するかもしれないぁ。
2018.11.18
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庭の柿の木には残った果実がたった二つだけになった。二つの柿に今迄沢山の果実を生らせてくれたことを感謝する。そして来年も生り続けるように木を護るのが木守柿だという。次いで野鳥たちにも柿の恩恵を分かち与える広がりが生じた。*日本は自然災害が多く地盤流出、液状化で柿の木が枯渇する。柿の木を護るためにはその土地の地盤を守る必要がある。その地盤を護ることはそこに生けるものすべてを護ることになる。結局、残りの赤い柿はこの地に生けるもの全てを護っていると見た。
2018.11.17
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霜も降りず周りの草木も青々とした中で一際真っ赤に染めた漆の葉。私は紅葉としての風情を感ぜずレッドカードとして扱っている。山漆、蔦漆の生息している所はマムシ、雀蜂等々の住処でもある。 野鳥や昆虫に誘われそれらの住処へ立ち入らないとも限らない。*それらの害に遭遇した場合は救急車の世話にならざるを得ない。ウオーキングに出るときは長袖等それなりの恰好をする。履物も踵が隠れる履物、白っぽい帽子を着用している。身の安全を考えて行動することがゥオーキングの鉄則。
2018.11.17
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久しぶりに四十雀がやって来た。四十雀は定期的に人家を廻って素早く飛び去る。宛ら、時代劇に登場する巡検使の様に穿り回して次の場所へ急ぐ。今日の課題は各家庭の庭の冬支度が完了したかの諮問であろうか。*フェイジョアも檸檬もこの地に慣れたので冬支度は手間いらずである。昨日から庭師が代わったが彼の専門性に任せてあるので口出し無用。仕上げを御覧じろの心境で出来上がりを楽しみにしている。ただ剥ぎった葉は白腹等の遊び場にするので浚わないことと注文した。
2018.11.15
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門近くに学齢時に木登りした柿があり毎年その落葉が悩みの種だった。今年は、道路側を清掃しただけで後はごく自然に風が処理してくれる。柿落葉だけの吹き溜まりは色とりどりの寄せ集めで美しく厚みもある。冬深まれば白腹、赤腹が来てかき回し恰好な遊び場になるに違いない。*柿の木にはまだ4個程度の果実があるが、今日もスズメが啄んでいた。毎年、木守柿としてカメラに収めるので1個は残しておいて欲しい。でも今年は夏から秋の暑さで完熟が早く1個も残らないかもしれない。秋に途絶えた野鳥の個体も逐次戻って来たものの皆んなよそよそしい。
2018.11.14
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昨日ある薬局へ行ったらコロカシア系の観葉植物が飾られてあった。店舗のイメージにヒットし、店の商品等に信頼感を抱かされた。同時に観葉植物の冬越え作業を始めなければならないと気付いた。先ず夏に買ったコロカシアコーヒーカップを見直した。*妻の看病から主夫の座について2年、暮らしの神髄は食事と認識した。コロカシアは縄文時代の主食でその時代の暮らしを彷彿させる。妻はやつ頭に目がないので調理済みの物を買って味を確かめさせる。やつ頭の祖はコロカシアと思うと観葉植物は人を感傷的にさせる。
2018.11.13
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立冬を過ぎたのにアザレアが咲いているが虫たちはお呼びでない。 狂い咲き、返り咲きと言われるようなぎこちない咲き方ではない。 花の少ない時期に咲くアザレアは貴重と更に新品種の苗を植えた。 来年は新品種も含め春夏秋冬、年中花を楽しめると期待している。
2018.11.11
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