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ハーフ。タイム1時間49分36秒。 意地の50分切り。(笑)といっても、ハーフの目標は40分切りなのですが、アップダウンのきついコースで、この時期なのでよしとします。直前にボランテイアの腰痛の針治療を受けて走った昨年より4分ほどタイムを縮めました。今回は、次男と両親が同行してくれました。鯛めしや、蛸天などの、地域の名産の出店がたくさん出ていて、おいしく昼食。温泉で汗を流し、帰りにはちょっと足をのばし、町並み保存地区の大崎の御手洗に。ちょっとした観光。マラソンも勿論ですが、こうして両親や子供と過ごせることに感謝です。
2011.02.27
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愛農高校には専攻科というものがある。この学校のとてもユニークな制度で、卒業後、1年間、学校に籍を置いて、農家に実習に行く。簡単にいえば、農家に住み込みで働かせていただくわけだ。勿論、受け入れ農家は、農家としても、人としても、非常にしっかりしたところばかりで、そこから学ぶことは多いと思うのだが、なんせ、人様の家庭にどっぷり入り込み、働くわけだから、そのストレスは相当なものだと思う。慣れない農作業で緊張し、帰って休むところも人様の家庭だ。考えてみれば、我が家でさえ、そんなに一緒の時間を過ごしたのは、保育所に行く前だけだ。だから、長女がこの専攻科を志望したとき、僕は反対した。精一杯説得したけど、意志は固く、頑として譲らない。渋々認めたというのが正直なところだ。その専攻科の修了式が昨日あった。長女のひとつ上。長男の同級生、6名だ。すばらしい式だった。一人一人、一年を振り返って、今後の道について発表した。みんな泣きながらの発表だった。辛いこともとても多かったのだと思うが、それを乗り越えた自信と成長が、はっきりと伝わってきた。就農するならいざ知らず、普通に進学や就職するのには、この専攻科は何のメリットもないだろう。勿論学歴上も何のプラスにもならない。しかし、これから長い人生を生きていくうえで、この一年間の経験は代えがたいものになると思う。彼らの顔を見て、長女の選択もあながち間違いではないかもしれないと、思うことができた。
2011.02.20
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明日午後、長女の愛農専攻科の説明会と受け入れ農家との3者面談がある。午前中はその専攻科ひとつ先輩の終了式で、これは長男の同級生たちだ。それを祝いに行きたいというので、同行させることにした。片道400km。長男のバイトの都合で、早朝4時出発、夜中帰宅の日帰り強行軍。当初、途中から高速バス利用のつもりが、諸事情あってすべて車となった。昔、まだこいつが生まれたばかりの頃、「いつかはこいつと運転を交代しながら旅に出るなんてことがあるのだろうか。」なんて言った事があるのを克明に覚えている。そうそう、思い出した。当時、山形で枕木の家を建てた人の本を読んでいて、訪ねてみたいと女房に言ったら、あっさり、しんどいと断られ、それじゃ、こいつと、なんて、まだ歩き始めたばかりの頃の長男を見て出たセリフだったのでした。旅のスケールはちょっと違うけど、もう現実のものになってしまった。金も名誉もないけれど、贅沢な人生だと思う。
2011.02.18
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最近ペン字にはまっている。昔から絶望的に字は下手。一言で言えば幼稚な字だ。我が家で一番下手で、幼稚な字を書く。情けないと思いつつも、まあ、しょうがないと思っていたのだけど、今年、特別支援のしかも一年生の担任ということでそうも言ってられなくなった。4月から、子供のドリルなんかを必死に真似て手本を書いたりしてきた。ひらがなですら、書き順が違っていたり、字形を勘違いしてたりしていたものがある。例えば、「や」は、点と、長い棒は、教科書的には平行の関係なんだそうだ。僕は向かい合うように書いていた。「ふ」の点と点も同様。平行。「い」の関係になる。だから、この活字の「ふ」は、点と点が対称の関係なので間違い? たまたま僕は「ふ」は教科書的に書いてきたけど、意識していたわけではないので、もし受け持ちの子供がこの活字の「ふ」のように書いても注意しなかったと思う。まあ、実際問題どうなのかは僕にもよくわからない。現に僕の使っているペン字のテキストの「や」は、昔から僕が書いていた「や」と同じだ。「ふ」を「ふ」と読めないなんてことも絶対ないだろう。実際、これだけメジャーな活字が「ふ」を採用しているわけだし。だけど、そういうことを徹底して突いてくる保護者にあたってしまったので、僕もパラノイア的にならざるをえなかったわけです。(笑)でも、そうやって、「文句を言われない字」を書こうとしているうちに、だんだん面白くなってきて、とうとう大人用のペン字のテキスト買ってきて、今、昼休憩を目いっぱい使って練習している。おまけに、どうしても手書きせざるを得ないような書類などは、これまでの数倍の時間をかけて、ていねいに書いている。これが、意外に結構気持ちいい。いままで、自分の住所を書くたびに、画数の多い「羅」を二度も書かなくてはいけないことに腹をたてていた(許されるときは「ら」と書いてました)のだが、今はこの字を馬鹿丁寧に書くことに喜びさえ感じている(笑)要するに、字を書く作業が、気持ちを集中させるのに適しているということなんでしょうね。普通、小学生くらいで気づくことに、僕は今頃になってやっと気がついたわけです。惜しむらくは、この老眼。目の疲れが半端じゃない。もう数年若ければ、もっと楽に練習できただろうに。人並みの字が書けるようになるのに、何年かかるやら。。
2011.02.18
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よびりんさんの「半分の法則」というのになるかもしれないけれど、何事も半分と考えると、随分気が楽になるなあと、最近よく感じる。例えば、夢や希望も半分かなえばいいじゃないかと考える。ハードルを下げてるだけで、後ろ向きな発想のようにも思えるが、むしろ、半分でよいと思うことで、無駄なものを削ぎ落とすことになっているような気がする。歳をとったせいか、なかなか決断できないことが増えた。決断力が鈍ったのかもしれないし、問題を複雑化しているのかもしれない。なまじ若い頃よりいろいろなことが予測できるので、あーすれば、こっちはこーだけど、あっちはあーだ、でも、こーすれば。。なんて、そこに不確定な要素がいくつか重なれば、もう完全にフリーズしてしまう。でも、これってよく考えたら、それにかかわることすべてに100点満点をとろうとしているのが原因かも。得意なことや慣れてることに関しては、100点満点の姿がわりとわかるから、手の抜き方も良くわかる。100の力で100点なら、70点でよければ50以下の力で十分なことが多いので、費用対効果というか、効率を考えて的確な判断を下すことができる。生来不精な僕はよくこれをやる。でも、不得意なことや慣れてないことは、そもそも100点満点の姿もよくわかってないから、手の抜き方もわからない。あれもこれもすべてにベストを求めて、結果、決断も身動きもできなくなったりする。そういうときに、ざっくりと半分でいいと考えると、とても気分が楽になれるし、結果良い判断ができているような気がするのだ。もうひとつ。これを書きながら気づいたことで、むしろこっちの方が大切だと思うが、要は僕の場合、決断できないというより、そもそも決断する必要のない、どっちでもいいような選択も増えたのだろうなとも思う。明確な目標があるときは、迷うヒマもなく、次々といろいろな決断をしているものだ。あるいは、決断するべきではないような事に首を突っ込んでいる。例えば、子供の進路なんて、心配こそすれ、僕が決断すべきことではない。なのに、気がつけば当人以上に思い悩んでいたりする。いらぬお節介もいいところだ。総じて精神的にヒマになったということなんだろうなと思う。目標を見失ってしまっているのだ。なんとかしなくちゃあ。
2011.02.16
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15km タイム1時間12分29秒。昨年より10秒くらい遅いけど、まあこんなもんだろう。できれば1時間10分をきりたいと後半はがんばったんだけどなあ。もうちょっと思い切って前半とばしてもいいのかもしれない。今回は女房と末娘は用事があって、実家の両親と、次男とで行った。朝早く行って、朝食は讃岐うどん。昼食は海鮮どんぶり。瀬戸大橋のふもとで温泉。いつもながら、楽しい家族旅行でもありました。
2011.02.13
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ついに観念して買った。もともとが近眼だからメガネをはずせば近くのものは見える。しょっちゅうメガネをかけたりはずしたりが面倒なのと、なんだか遠くも見えにくくなってきたので、いっそのこと遠近両用にしてみたのだ。慣れるのが難しいと聞いていたが、確かにコツがいる。普段から、顎が上がり気味なので視線が下半分の遠視用を通して遠くをみてしまう。あわてて顎を引くとはっきり見える。デジカメがピントをあわせているようなかんじ。おまけに、左右も視線をずらすとすぐにぼけるので、顔ごと動かすことが増える。そのときにも、ピントが合うまでしばらく時間がかかるので、なんだか自分がロボットになったような気分だ。(笑)顔を左右に振るとものが歪んで見えし、足元は常に歪んで見える。こいうのかけたまま、球技なんてできるのだろうか??しかし、メガネをはずさなくても、本が読めたり、字が書けるのは、大変な魅力だ。今もメガネをかけたままPCに向かっているが、とてもよく見えて快適だ。少々の不便さも姿勢が良くなると考えればOKだ。これから先、こうやって、いろいろなところで折り合いをつけながらやっていくことがふえるんだろうなあ。。。
2011.02.11
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ビデオの整理をしようということになり、大事なものをDVDにダビングすることにした。真っ先に取り上げたのが、10年前の取材ビデオだ。地元のテレビ局が一年間通して取材。月一度、ニュースの特集で5分程度放映し、最初と最後に特番のようなものがあった。僕にとってはまさに転機の一年。なんとかなるさで、百姓専業となったのが、最初の取材。あっという間になんともなりそうもないことがわかり、その上、米の大失敗やらなんやらが重なり、中盤以降はずたずた。貯金も底を尽き、最後の特番の頃は、ウツ病一歩手前くらいの精神状態だった。次男が小学校入学、翌年は長男の中学入学、末娘も小学校入学という年で、これからどんどんお金がいることはわかっているのに、どうがんばっても稼げそうにはない。取り返しのつかない失敗をして、家族を路頭に迷わせるのではないかと不安で一杯になった年だ。だんだんトーンの落ちていく僕の姿とは関係なく、屈託なく百姓仕事を手伝ってくれている子供たちの明るい笑顔をカメラはとらえてくれている。なんせ、このときのゲストだった東ちずるさんのコメントが、「家族に、かっこ悪いところや、つらいところ、しんどいところを全部みせてるこの父さんは凄い!」というものだったくらいだ(笑)子供たちのかわいい姿を思い出し、つらかった自分の気持ちを思い出し、しかし、ひとつだけ意外だったことがある。僕は、なんとなく、このころの自分を、ブヨついて生気がなく、もっさりしたおじさんだとイメージしていた。まだ、マラソンを始める前でもあったし。しかし、画面をみると、けっこうシャープなので吃驚した。そして、なんというか、戦う姿勢のようなものが感じられるのだ。一緒に見ていた次男と末娘が、「父ちゃん、かっこいい」と言ったくらいだ。(笑)あのころの辛さは思い出すだけでも胸が痛くなるし、二度とあんな気分は味わいたくない。でも、ああいうシャープさというか、戦う姿勢というか、雰囲気は、失いたくないなと思う。ここ最近のたるみははっきり身体にも出ている。正月太りは、そのまま解消されず、凍結路を理由の朝ジョグの休止も1ヶ月あまりになる。ピアノも弾かず、その分増えたのは酒量と睡眠時間だけと言う体たらくだ。今日8km走った。明日から朝ジョグ再開だ。とりあえず、原則禁酒。まずは身体つくりからだ。
2011.02.06
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