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ほとんどの場合、それは「小我の愛」です。本当は嫌いだけれど、この分に関しては付き合っていたほうが得だから、といった打算。別れたいけど、孤独になるのが怖いから離れないでおこうという打算。これらはすべて、小我から来る「怠惰」です。ただ、結局のところは仲がいいために離れられない「くされ縁」も多いものです。友人、親子、男女など、どのような関係にもそれは見られ男女の場合では「犬も食わない」などと言われたりします。誰よりもその相手と波長が合うのだけれどどうしても許せない部分がある。それで離れてはみるものの結局また仲が戻ってしまう。それを繰り返す様子は、人間として微笑ましくも有りますがやはりその中には相手を何が何でも自分の色に染めようと言う小我が働いてはいるのでしょう。
January 30, 2006
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人間関係を避けている人がいる中には、たまたま何か嫌なことがあって人が煩わしくなり、ただ一時的に人を避けているだけの人もいます。そういう人は、代わりに動物や自然を愛していたりと一見変わり者のようであるものの、案外いい人が多いものです。しかし最近増えているのは、「たましいの萎縮」による自分自身への引きこもりです。何らかのきっかけで他人そのものが恐ろしくなり自分の殻に閉じこもってしまうようになるのです。最近急増しているいわゆる「引きこもり」は、心の引きこもりを実際の行動に移してしまうほどに、「たましいの萎縮」が高じてしまった人たちなのです。一方で、これと逆に、見た目には友人が多くても真の人間関係が結べないという人も増えています。楽しげな友達の輪に入りながら真の友達が得られない寂しさを抱える人たちは、若い人にとても多いようです。しかしそこには往々にして仲間はずれになりたくない一応友達がいたほうが安心といった小我的な打算いわば「失うことの恐れ」があります。「失うことの恐れ」が働くのは、人間が霊的存在でありすべての人が類魂であるということが、解かっていないためです。真の友人がいないことが寂しいならまず自分から本当の友達になることが大切です。自分が友人たちと真に関わっていないと「カルマの法則」により誰からも真に関わってもらえなくなるのです。
January 29, 2006
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人間が何かに惹かれ、感情を覚えるのは、そこに「神」を見るからです。人は「神我」を持った存在、言い換えれば髪の一部なので遠いふるさとを恋い焦がれるように、私たちのたましいは神の光をどこかで常に追い求めているのです。そのため私たちは、あらゆる芸術、感動的な物語自然の美しさなどの「真・善・美」にふれるとそこに宿る神の光にたましいが感応し、喜ぶのです。ある人物に対して尊敬を感じるのも、その人の「神我」が、人一倍「神我」の光を大きく輝かせて生きている崇高なたましいの持ち主に惹きつけられそのあとを慕っていきたくなるのです。こうした尊敬を「たましいの先輩」と呼ぶべき存在へと感情とすると、人にはまた、「たましいの後輩」的な存在に対する慈愛という感情があります。慈愛とは、自分がこれまでにしてきたような経験をあとからなぞって生きている人を、愛しく思う気持ちです。これは、相手の今の状況や気持ちを自分が重ねてきた悲喜こもごもの経験からよく理解できる時に芽生えます。ですから、みずからの経験と感動が多い人ほど、慈愛の気持ちも持てるものです。
January 28, 2006
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