全7件 (7件中 1-7件目)
1
幸いなことに、私たちの「マイスクール慶應修学舎」は、開校以来、驚くべき成果を収めてきました。退塾者ゼロ、不合格者ゼロという数字は、もちろん大きな喜びではありますが、私たちが最も重視しているのは、これらの数字に執着することではありません。むしろ、私たちは「理想の学び舎」を実現することにこだわりたいと考えています。それは単なる数字や結果では測れない、もっと深い部分に関わるものです。「理想の学び舎」とは、単に学問的な成功を追求する場所ではなく、生徒一人ひとりが自分の可能性を広げ、自信を持って未来に向かって歩んでいけるような環境です。確かに、退塾者ゼロという数字は、私たちにとって大きな成果の一つです。塾に通い続けてくれること、またその塾生活が生徒にとって有意義なものであることが何よりの証拠だからです。しかし、それ以上に大切なのは、塾に通うことで彼らが「学びの喜び」を感じ、次のステップへ進む準備ができるような成長を実感できることです。また、不合格者ゼロという結果も、もちろん誇るべきことです。しかし、私たちはその先にある「結果だけがすべて」ではない教育の本質にこだわりたいのです。合格や成績だけが学びの評価軸ではないと考えています。大切なのは、生徒一人ひとりが自分のペースで努力し、そこから得た経験や成長を自信に変えられることです。その成長が学びを深め、彼らの人生に良い影響を与えることが、何より価値のあることだと感じています。もちろん、このような理想を追い求める過程には多くの試練があります。理想の学び舎を作り上げるためには、常に新しい方法やアプローチを考え続けなければなりません。そして、そのために最も大切なのは「生徒にとってどれだけ有意義な学びを提供できるか」を常に問い続けることです。私たちの目指すのは、数字だけにとらわれず、どれだけ生徒が自らの学びを楽しみ、成長できる環境を作り上げることです。学びの本当の価値は、テストの点数や合格の有無では測れません。それは、生徒一人ひとりがどれだけ自分の人生を楽しみ、豊かな未来を描けるようになったかにかかっています。これからも、私たちは理想の学び舎に一歩ずつ近づいていくため、努力を続けていきます。
2010.01.28
コメント(4)
塾づくりを続けてきたなかで、僕が大切にしているものはいくつもありますが、その中でもひときわこだわっているのが、“愛着率”という考え方です。これは、一般的な教育用語ではありません。僕なりの造語かもしれませんが、これが何より大切だと思うのです。塾に通う生徒たちが、どれだけその場所を「自分の居場所」として感じてくれているか。どれだけ、そこに愛着を持ち、自ら進んで学び、集い、時には安心し、そして「また来たい」と思ってくれるか。その「心のつながり」が、目に見えないけれど、教室の空気を変え、学びの質を変え、最終的には子どもたち自身の人生を変えていくように思うのです。実際、僕の教室——マイスクール慶應修学舎——では、日曜日でさえも教室に生徒たちが集まります。受験生向けに教室を開放しているのですが、その日も、体調不良で来られなかった一人を除いて、全員が自主的に机に向かっていました。誰に言われたわけでもない。誰かに管理されているわけでもない。ただ、それぞれが「やりたいから来る」「ここで頑張りたい」と思って来てくれている。この姿を見て、「愛着率、かなり高いかもしれないなあ」と、しみじみ思いました。実はその日、一人の来塾者が教室を訪ねてきました。その方が驚いたのは、教室の“静けさ”でした。まるで図書館のようだったと言ってくれました。ペンの音とページをめくる音だけが響く空間で、子どもたちの集中力が空気をぴんと張り詰めさせていたのでしょう。これは、単なる「塾」では生まれない光景です。そこに、“安心できる居場所”としての塾、“応援してくれる人がいる場”としての塾、そして“自分自身と向き合える場所”としての塾があるからこそだと思います。今、僕の中では新たなプロジェクトを進めるタイミングを見計らっています。塾長としての想いはもちろんありますが、今は経営者としての視点も持ちながら、塾という枠を越えた「新たな学びの形」への挑戦を考えています。しかし、どんなに形が変わろうと、どんなに規模が大きくなろうと、「愛着率」だけは絶対に下げたくない。むしろ、もっと高めていきたいと思っています。“また明日もここに来たい。”“なんか、帰ってくるとホッとする。”そんなふうに思ってもらえる場所こそが、学びを育て、人生を豊かにしてくれる——僕はそう信じています。これからも、そんな場所を作り続けていきたい。そして、子どもたちの“心の居場所”であり続けたいと、強く思っています。
2010.01.20
コメント(5)
「先生、結果がどうであれ、高校になっても続けますよ。今の志望校を目指せているのは、この塾の塾生になって、先生たちに出会えたからです。もし出会っていなかったら、きっと違う高校を受けることになっていたと思います。塾が好きですもん。」ある塾生が、こんな言葉をかけてくれました。胸がじんと熱くなるような、優しい声でした。こういう言葉をかけてくれる子は、毎年います。でも、その中でも、今年のこの一言は特別でした。なぜなら、「僕に出会えてよかった」と言ってくれたのではなく、「先生たちに出会えてよかった」と言ってくれたからです。私一人では、この塾はここまでやってこれなかった。今ここにいる、先生一人ひとりの存在があってこそ、この学び舎の空気が生まれています。誰かひとりでも欠けていたら、この塾は、きっと今とはまったく違う場所になっていたはずです。私自身が、塾生たちに支えられ、先生たちに支えられているんだと、日々実感しています。高校に進学しても、続けてくれる。そんな気配が、今年はとても強く感じられます。進路が決まっても、合否が出ても、この場所にまた通いたいと思ってくれる──それは、点数や成績以上に、大切な“成果”なのかもしれません。「高校受験がすべてじゃない」塾生たちは、どこかでそれを感じ取っているようです。P.S. 実力テストの奇跡と、まだ見ぬ可能性3学期が始まり、とある中学校で実施された実力テスト。その結果が、ついに出揃いました。なんと、全員が自己最高得点を更新!しかも、点数の上がり方が尋常じゃないほどにすごい。「これが本番の入試だったら、全員合格だったのに…」そんな風に、思わず口にしてしまいました。特に国語は、塾生全体の平均が50点超え(60点満点)。ひとつの大きな目標をクリアしました。その中でも特筆すべきは、作文と漢字の満点。冬期講習で毎日コツコツと練習してきた成果が、しっかりと実を結びました。「点数を稼ぐところで、しっかり得点する」これは、合格を勝ち取るための王道。私たちがいつも伝えている大切な考え方です。一方で、数学の結果には少しだけ悔しさもありました。他の教科に比べて、伸びが小さかったのです。……いや、伸ばしすぎた結果の反動、ということにしておきましょう(笑)。なにせ、数学は私の担当なので、ちょっとした言い訳も許してもらえたら嬉しいです。それでも、課題は明確。「一番問題」と呼ばれる計算小問で、全員満点を取りきれていないということ。ここをなんとしても、入試までに達成したい。最後の最後まで、あきらめずに詰めていく。その姿勢こそが、本番での自信につながっていくと信じています。塾は、勉強を教える場所ではありますが、それ以上に、「人と人とが出会い、育ちあう場所」でもあると思っています。出会いに感謝し、成長をともに喜び合える場所でありたい。高校に進んでも、ふと立ち寄りたくなるような、そんな“居場所”でありたい。この塾をそんな場所にしてくれる塾生たちと、先生たちに、心から感謝しています。これからも、挑戦は続く。そして、出会いも続いていく。その先にある物語を、これからも一緒に描いていきましょう。
2010.01.19
コメント(3)
無責任なことは言えません。これから書くことは、今の僕が、今この瞬間に思っていることです。きっと1年後の僕は、この文章を読み返して、「何て未熟なことを書いているんだろう」と思うかもしれません。あるいは、まったく違う考えを持っているかもしれません。でも、だからこそ──今の僕の100%の思いを、今ここに残しておきたいと思います。今の自分がここにいるのは、ただ流されてきたからではありません。なりたいと思い、そこに近づこうと行動し、そして「そうなる」と決めたからだと思っています。それは、選択。もっと鋭く言えば、「決断」です。今、全国には、思うような結果が出ずに自信をなくしたり、何もかも投げ出したくなっている受験生がきっと少なくないと思います。僕自身、かつてそうでした。私立高校にも、公立高校にも合格できなかった。追加募集の私立に、ようやく滑り込んで、やっとの思いで高校生になりました。悔しかった。情けなかった。世界に置いていかれた気がしました。でも、今振り返ると、あの経験は、僕の人生の大切な1ページです。苦い思い出こそが、いい思い出になる。そんなことって、本当にあるんです。公立高校に落ちたその日。母とふたり、初めて定食屋に入り、とんかつ定食を食べました。テレビでは、地下鉄サリン事件の中継。雲ひとつない真っ青な大阪の空。現実と非現実が混ざり合ったような日でした。家に帰って、担任の先生に電話をしました。「とにかく、学校へ来なさい」。職員室に行き、先生の顔を見た瞬間、その顔が、涙で見えなくなりました。先生の胸の中で、泣きました。そんな日が、僕にもあったのです。どれだけ努力しても、思い通りにならないことはあります。もしかすると、思い通りにならないことの方が多いかもしれません。でも、それでも努力する。それでも歩みを止めない。それしか、未来を切り開く方法はないんじゃないかと思います。落ち込むのは当然です。悔しさも、悲しさも、抱えていい。だけど、その先にあるものを、信じていてほしい。どんな結果にも「続き」があります。物語は、まだ終わっていません。P.S.──06-07HL数学卒業生の仲間へ今のあなたを、僕は評価しません。たとえ世間がどう言おうと、それは関係ありません。僕が見ているのは、未来のあなたです。未来は誰にもわかりません。だけど、あなたがきっと誰かを幸せにできる人になると、僕は信じています。僕だけじゃない。あなたをよく知っている人たちみんなが、そう思っている。だから、今の経験は、きっと必要な一歩だったのだと思います。06-07HLの授業、毎週の90分、僕は忘れていません。みんなの表情と頑張り。一人ひとりの努力が、互いを高め合っていた。一番刺激を受けていたのは、たぶん僕です。春には、どんな状況でも「必笑(ひっしょう)」で会えると思っています。もし会えなくても、別れの時はきっと「必笑」になるはずです。そして、3年の時を経て、あの教室で──次なる大きな一歩を踏み出しましょう。P.S.2──まるさんへコメント、ありがとう。これからも、ずっとファンでいさせてください(笑)。P.S.3──マドンナさんへありがとうございます。素敵なお嬢さんをお持ちで、きっと誇らしいですね。これからも、長いお付き合いになると思います。ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします。次の食事会も、きっとまた楽しい時間になることでしょう。結果は、今を否定するものじゃない。むしろ、これからのあなたに、もっと意味を与えるものです。一歩ずつ。少しずつ。前へ、進みましょう。あなたの未来は、今のあなたにしか開けないのです。
2010.01.18
コメント(4)
「勉強しなさい!」こう言われた子どもは、どうしても勉強に対して反発を覚えてしまうものです。その言葉が、逆に勉強から疎遠にさせる原因になってしまうこともあるのではないか、そんなふうに思ってしまうことさえあります。勉強は、「言われてするもの」ではありません。もちろん、親や教師が勉強を勧めることは大切ですが、本当に勉強を身につけてもらいたいのであれば、自分自身が楽しんで学び続ける姿を見せることが何より効果的だと考えています。勉強が苦手だと感じている子どもに対して、「勉強しなさい」と言って強制するのではなく、勉強している自分が楽しそうにしている姿を見せることが、その子が自然と勉強に興味を持つきっかけになると思います。大人が勉強を楽しんでいる姿を見れば、「勉強はこんなに面白いんだ!」という気持ちが伝わり、その楽しさを感じ取った子どもたちが自ら勉強をするようになるのではないでしょうか。実際、私たち大人が日々勉強を楽しんで行えているのであれば、子どもたちに勉強の楽しさが自然と伝わる環境が作られるでしょう。家庭でも学校でも、親や先生たちが楽しそうに勉強をしている姿が日常となれば、「勉強が嫌い」と言う子どもは少なくなり、もっと多くの子どもが楽しみながら勉強に取り組むようになるのかもしれません。P.S.もしも子ども時代に、あることが楽しそうだなと感じたなら、その後、その分野でプロを目指しているかもしれません。例えば、勉強が楽しそうだと思ったら、将来はプロの勉強家になれるかもしれませんし、音楽が楽しそうだと思えば、プロの音楽家になることを夢見るでしょう。もしも野球やサッカーが楽しそうに思えたなら、プロの選手として活躍するかもしれません。もちろん、プロにはなれなくても、その分野に楽しく没頭し続けることで、他の人よりも深い理解を得ることができます。その結果、その分野で高い評価を受けたり、成績を上げたりすることができるのではないでしょうか。勉強に限らず、どんな分野でも、楽しみながら取り組むことが最も大切だと私は思います。
2010.01.15
コメント(3)
ここ最近、入塾を希望してくれる塾生が増えています。これは、本当にうれしいことです。一人ひとりとの新しい出会いに、毎回、心が弾みます。でも、同じくらい──いや、もしかしたらそれ以上にうれしいこともあります。それは、「この塾で一緒に授業をしたい」「ここで働いてみたい」と言ってくれる先生たちが増えているということです。きっかけは、いつも人の“ご縁”から始まります。信頼している先生から、さらにその先生が信頼する方のご紹介。ご縁のリレーが、自然と続いているのです。そうやってつながっていく中で、また素敵な出会いがありそうです。それが、どれだけ幸せなことか──言葉にすると、少し照れくさいくらいです。気づけば、九州大学医学部の先生が半数を占めるような、ちょっとユニークな塾になりつつあります。もちろん、出身大学よりも大切なのは、「どんな人か」。けれど、やはり学問に対して真摯に取り組んできた方々が集う環境は、空気感すら澄んでいます。P.S. 心のこもった尊敬のキャッチボール最近、A先生と二人で話す機会がありました。その中で、ふとこんな言葉をいただきました。「B先生やC先生、ほんと素敵ですよね。コミュニケーション能力に長けていて、生徒たちも楽しそうで。」嬉しくなって、僕はそのことをB先生にも伝えました。すると今度は、B先生がこう言ってくれたのです。「A先生、リーダーシップがありますよね。相談に乗ってくれるし、仕事がしやすいです。」こうやって、先生同士が人としてお互いを認め合っている。私はその様子が、本当に好きです。この塾に集まってくれている先生たちは、ただ「教える」人ではありません。一人ひとりが、人を“人”として見る視点を持っていて、言葉や態度の奥にあるものを、ちゃんと受け止めようとする目を持っています。そういう視野を持った先生がそばにいるということは、塾生にとっても、そして私自身にとっても、かけがえのないことです。自分で考え、動ける。言葉だけでなく、空気ごと伝わるような心の温かさを持っている。だからこそ、自然と“質の高い話”ができるのです。無理に背伸びすることなく、でも確実に心を耕すような、そんな会話ができる心地よさ。それは、塾という場所にとって、何よりの財産だと感じています。今日もまた、新しい生徒がやってきてくれました。今日もまた、新しい先生とのつながりが生まれました。静かだけど確かなこの広がりが、これから先の、あたたかな未来につながっていくことを信じています。教える人と、学ぶ人。そのどちらもが、この塾を「居場所」と感じてくれる──そんな学び舎であり続けたいと、心から思っています。
2010.01.06
コメント(2)
1月――行く。2月――逃げる。3月――去る。「一月は行く、二月は逃げる、三月は去る」とは、昔から言われてきた季節の早さを表す言葉です。実際、この時期は本当に、あっという間に日々が過ぎていきます。そんな中で、今日は特別な一日となりました。自分の中で、静かに、でも確かに、ひとつの覚悟が芽生えた日。「受験までの残りの日々、自分ができるすべてを塾生たちに注ぎたい。」そう、心から思えたのです。もしかしたら──ずっと、そんなふうに思える日が来るのを、自分自身が待っていたのかもしれません。支えてくれる人の存在に、救われる。ふとした瞬間、誰にも話せなかった胸の内を素直に打ち明けることができた時間がありました。それを、明るく、優しく、何の否定もせずに受け止めてくれる人が、そばにいてくれました。「自分がすべてを失ったとしても、この人は笑ってそばにいてくれるかもしれない」そんな想いが、心に灯った瞬間。それは、言葉以上に大きな力をくれました。僕は今、塾でたくさんの生徒と向き合っています。もちろん、勉強を教えることも大切です。でも本当に大事なのは、彼らの「心」に寄り添うこと。そのためには、自分の心もちゃんとあたたかくしておかないといけない。そう気づかせてくれた出来事でもありました。P.S.「順調なとき」にこそ思い出す言葉調子がいいとき、順風満帆なとき、つい忘れてしまいそうになります。でも、そんなときこそ、思い出すようにしている言葉があります。それが、仏教の言葉である**「諸行無常」**。この世のすべては、常に移り変わる。永遠に続くものなど、何ひとつない。僕自身は無宗教ですし、どこかの宗派に属しているわけではありません。けれど、この言葉には、不思議と深く納得させられます。今ある幸せも、支えも、安心も、永遠ではない。だからこそ、「今」を大切にする。その一瞬一瞬を、誰かのために、そして自分のために、真剣に過ごす。そんな姿勢を忘れないようにしたいと、いつも思っています。1月、2月、3月──行って、逃げて、去っていく時間のなかで、人はそれぞれ、何かを得たり、何かを失ったりしながら、生きています。でもその中で、「誰かのためにできることをやりきる」そんな思いが、自分自身を支えてくれる。季節は過ぎても、想いは残る。そう信じながら、今日もまた、生徒たちの背中をそっと押す日々です。
2010.01.03
コメント(4)
全7件 (7件中 1-7件目)
1
![]()
![]()
