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同じ日が昇るのに明日は新しい日が昇るのチベット暦が2012年で終わるのも今年が寒い日々で終わるのもみいんな決まってるのでもね愛、に勝つものはどこにもないのよさあ時計の針が明日に越える瞬間この世界に愛を伝えよう愛してる愛してる愛してるよ生まれて来てこの一年 愛をありがとうまた新しい一年が愛にあふれますように
2008.12.31
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こんな光景、だれでも何度か見たことあるよくいうよね、天国への階段ってでも~シャワーじゃない?『アイシテル、アイシテル、アイシテル、アイシテル…………………』開かれた者は、開かれた義務があるのまことの自分の素直な気持ちに正直に生きなくちゃならないまことの方だよ俗の心じゃないよ、まこと…ちょいと難しいかもしれないけどそこはちょっとがんばって目を見開いて選り分けるのよ自分のまこととは何かってUreさんも頑張るからその己のまことの素直な気持ちに正直に生きよう好きだよ愛してるよずっとずっといつまでもかわらず愛してるUreは…天国からのシャワーってこういうことだと思うよ
2008.12.29
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日々の暮らしにはイラつくこともムカつくことも、いっぱ~いありますUreさんだってそうどんな困難も笑顔でスルー、などと言ってもそれはムリ!な時はだれだってあるのでも私も人間あなたも人間残念ながらあやまちをおかします判断を誤ったり、押さえきれない衝動もあったりするの人間って、その証拠欠点をもってるの欠けてるのよだから私たちは地上に来てるのよあ~でも、でも愛が憎しみに変わらないようにそれだけはお願い(^^)ネ!同じエネルギーなんだ、愛と憎しみ、それはね憎しみを…愛に変換できたらそう、ライフ ジャンル(ジャングルじゃないよ)をチェンジできるこの三次元の境界はレベルだけじゃないのよジャンルという囲いもあるのジャンル別自分と同じ想念のジャンル別の世界レベル&ジャンルなのよ想念が生きるジャンルをケッテイするの。『類は友を呼ぶ…』ってねそういえば、今生でゲーム完了の人たちは過去性が吟遊詩人ということ、よく聞くいろんな現実を離れてひとり夢の中を歩く…最後からひとり目って…そうなのかな…(横尾忠則さんとかね)
2008.12.29
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ふと、うらやむよね。ゴージャスな、親からの資産で暮らす優雅な娘…なんてサ。でもでも霊性が高いなあ…って感じるのはバラ色のらくな人生みたいなものを送ってる人ではないよね。富士山山頂すご~くわかりやすくいうとマザー・テレサなんですがいきなりだれでもその境地に立てるわけじゃないの。でもさ、思い返してみて、小さい人生ながらこれまでも何回となく、『うわ、もうだめか』と思ったことあったよね。思い出して見て、そこでだれかと偶然出会ったとか思いがけなく助けてもらったことがあったはず。背後の天使なくして、一日と無事でいるなんてありえない!何があっても自分が霊という存在で、この世に、自分の霊性を高めるためにやって来たこと時折思い出して、目覚めて。一日に誰かひとりの心に暖かい火をつけて。そしてそっと去って来てね。毎日一つの無償の暖かさ、ユーモア、やさしさを誰かに。私たちの本質は霊なんだからそれを高めるためのものは困難の中の楽しさ明るさ快活さ、品格のあるユーモアのオーラが天使を呼ぶの。陰鬱な感情雰囲気は、手助けする天使にとってはバリアだから大変!Ureさんが言ってる天使って大きな意味なの、守護霊とかいろいろね。そのへんはまた後で…頑張って!
2008.12.26
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クリスマスの奇跡キャスリーン・ メドウスクリスマスの奇跡 ジョナサントーミー昨日のイヴの日のお話…とっても働き者で、毎日一生懸命働いて…妊娠したことも気が付いたけど、生きて行くために懸命に働いて…昨日のイヴの日産婦人科の先生が「来なさい」って言ってくれて彼女はやっと行きました。「少し安静が必要だよ」と先生がイヴの日、ベッドを用意してくれました。疲れ切っていた彼女はやっと身体を休めることができました。なんとその夜、ベビーは神様の元へ帰ってしまいました。もしも、それが昨日でなくその前の日だったらその前の前の日だったらきっとママのいのちに関わることになったのかもしれません。「子どもって、親を救うためにこの世に来るんだよ、なんてありがたいの。 時を見計らって、帰ってくるよ、ちゃんとママになってて迎えようね。』ってUreさん話しました。きっと、多くのみなさんが不思議なクリスマスの奇跡を体験したんだと思います。それは小さくて目に留まらなかったかもしれないけど…きっと、あるんだと思うよ。
2008.12.25
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この地球上という三次元での義務は…というといかなる時でも笑顔ができるか!ってことなんじゃない。森羅万象のすべてには霊性が関わってるあらゆる悩み事はこの世で解決をしていける。人生って陽気で快活であるべきなのこの世で自己実現を目指す、すでに開かれたあなたはいかなる事態でも微笑みを絶やさずにいることができるはず目の前に虹が現れた時のように晴れ渡った笑顔で今日一日、どうぞ!トップはUreさん最大級のクリスタルでメリークリスタル!
2008.12.24
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親から生まれ親になって行く私たちそしてわかることは親って、あたりまえだけど、ただの人間だったんだということえらいわけでも正しいわけでもなくただの悩みをかかえ、悪さもする人間それが自分の親なんだってあははそれが親です。だけど、どんな理由にせよ、親に自殺された子の心の痛みは計り知れないよ。だけど、だけどさそれすら、自分はわかってたのよ、本当はね。生まれるとき、思い出して見てわかってた。そういうことだって。肉体は親を通してここにやってきたけれど私たちは霊体だから、それぞれ違い、あの世ではまったく別個のものただ、ここに生まれてみよう、と思ったのはあなたの意志も含まれているのだからかわいそうな、バカな両親を少しなんとかしてあげるのがあなたの役目のひとつでもあったりするのよね。大変だけど、それをやってみようとしたのも事実なのよ。暗い道に灯りを灯してやろうと、思って来たじゃない。大丈夫、あなたはできる。って、力入れることもない力まず、できる範囲で力の限り(リキ入ってるね)明るくしてあげてさて、今回の宿題も満点取る必要もありませんがちょっと頑張ってみるのもわるくないね………この地球上に、星空を眺めながら寝るしかない人も居るあたたかいふとんなど与えられていない人もいるそんな中で、あなたは神様に不平不満を言う資格がありますか?(と私は自分につぶやくのです…)
2008.12.22
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美内すずえさんと同じような体験命の筒のこといつものようにそんなさまざまなことが私を包み…包み…言わなくちゃそろそろ…ね。………こんな恐ろしい時代が解決することってなんだろう?って思いませんか?答えはひとつ、とっても簡単。早く気が付いて欲しい。馬鹿なのは政治家だけじゃないよ。答えは「誰でも、生まれたら死ぬ」「時代も生まれ、そして終わる」「朝日がのぼり夕陽で沈む」生きて来て、十分生きて来て、年老いて動けない、そしたら自分のためだけにに生きてはならない。次の命へバトンタッチをすることを第一に考えて生きること。次の命のために生き、そして死んでもいいよ。世の中がそれに気が付かなくちゃ。このあたりまえのこと、これを現代のヒトは忘れてる。ヒトは死ぬのがあたりまえ自分の命にだけ執着してはならないのよ。年老いたら次の命のためにイノチの場所を譲るのよ。神様がもういいよ、と言ってくれて身体の器官が老衰して行って、自然死というこれまでの歴史のようにあたりまえに死んでいくこと。死ぬことは不幸なんかじゃないのよ。ただ教えておくよ自分で命を絶ったら、それはダメ。ゲームをリスタートするようなもので…もう一度最初から…同じ所迄やる気有る?ないよねーめんどくさいし、他の生まれるイノチにも迷惑なの。やっとここまでがんばったじゃない。自殺なんかしたら無限地獄…なんども同じ人生を巡ることになるのよ。Ureの願いはただひとつ。『無事に死ぬこと』なんだよ。日本に子どもが生まれない?のはヒトが老人になって、なって、なって、この世にしがみついてるからなの。ヒトはイノチの鎖…次のイノチを一番に考えてあげよう。さあ、充分生きて生きてそして逝く時はスっとね。バトンの用意をしておいてね。バトンを受け取ってくれるそのひとのために生きるのよ。さあ、そうなったら明日からがんばれるね!もったいない一日一日…その日まで。
2008.12.22
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すべての物事には両面があって今起こっていることはどういうことなのかって後にしかわからなかったりするひかりっていつも言うように、無限の色のことだしわたしたちに時々、ふっと空は色を見せて「ほ~らね」って言ってくれるのよ昨日は楽天イーグルスの拠点・仙台の光のページェント見て来たの渋谷みたいな混雑だったけど日本のどこより素晴らしいかもしれないね。ケヤキの街だもの。Ureさんは行きはひとりで新幹線で40分そして帰りは仲間の貸し切りのバスでわいわい帰って来たけどその時に『いつも、こうしたらきっといい!と自分では感じるんだけど、 周りの意見とかにいつも惑わされてできない自分がいるんです』って話してくれた人がいました。とっても素敵な彼女は、東京からモリオカに嫁いで来た方。『人間ってさ、欠陥があるからそれを埋めようとする人生もあって、 いろんな意見や中傷に傷つく時は、その自分の傷をしっかり感じて あ~私はこんな傷を負っていたのか~そーか、そーかって でもさ、教えてあげる。 その傷を感じることができたら 次に進んでいいよって言ってるよ。 怖がらずに進んだ時、出会うものがあるのよ。 (待ってたよ~やっと来たね)って言ってくれる天使と出会うのよ。 崖っぷちに座って待っててくれる、あなたの天使に!」その素敵な彼女はスーっと涙を流すと『この肩が、両方の肩が軽くなった…これがそうなんだ』…って。この世のものごとは、一面しか見れない人間にとってはとってもわかりにくくてつかめないけどあなたを支えてくれる天使が、崖っぷちで何千年も待っててくれてるのを思い出してね…
2008.12.21
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神&仏間の和室の汚れ方がヒジョーに気になって…(散らかってはいない…けど埃まみれになっている…そういう状態)Qさんにコールしました。「仕事が待ってるんだけど」『は~い行きます~』って言って来てくれてクリーニングとはこういうもの!というものを見せてくれました。隅から隅までパーフェクト。一瞬見ても清潔な浄化された空気を感じます。仏壇の真上にUreさんのCGの額が飾ってます。「あれ、まるでベナレスなんですけど~ベナレスですね。 ベナレスの水は光を吸い取って、すごく光るんです。 そしてさらっとして渦を巻いて流れる…これなんです』とQさん。『この岩塩、今砕いて来たものです~ 使って下さい、美味しいですよ。古代の海のカケラですかね。』『膝、痛いって言ってましたよね、これ煎じて飲んでください』とビワの葉…(私はスキーでじん帯を切ってるんで…)『おじさんが作ってるので持って来ました…』ありえない!キーウィーがモリオカでそれも今、木にわんさとなってるそうだ…手前のピンクのクリスタルはQさんが以前エジプトからもってきたもの。真っ赤なザクロはインドから…『今回で終了なそうです。 地球好きですけどね~きれいですよね』「だから廻ってるんだね、地球のすべてを見ておくんだね」と私。何を言ってるかって?転生の話です。……………………シルバー・バーチは彼の霊訓で言ってる。私はレッド・インディアン…シルバー・バーチの霊訓(1)新装版Ureさんは今、本物の過去生レッド・インディアンに会ってる。ほんとにそう思います………
2008.12.17
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今日も最善を尽くしたかな?(あ~してないよ~、これからだ~今日のうちに!あと何時間?)一年はあっという間、365分の1なんだから、早いに決まってるの。日曜日が50回やったらおしまいなんだよね。あなたのなすべきことは今に最善を尽くすことです。(テラと同じですね)そして、だれにも道はつながっているのですがもしも霧によって足元が見えなくなったらいったん、足を止めてもいいですよ。ただの霧です。まもなく、必ず晴れ上がり、また行くべき道が見えてきます。でも生命は活動であり、発散であり、振動であり常に動いているものです。たいていは前に向いていますが、時として後退しているのでは…と思う時があります。後退は生命活動に苦痛をもたらしますがそのあとの前進の喜びを大きく感じさせてくれるでしょう。まもなく晴れますよ。霧の上には太陽が輝いている。目にはみえず、身体は寒くてもその輝きの「気」を常に感じていきましょう。さあ、つかの間の晴れ間でも、その一歩前進できる!
2008.12.16
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今朝はモリオカ、すご~い寒さでした。Ureさん朝風呂中にコールあり、出てみるとQさん!なんと「帰っていいよ、ということで帰りました~』(だれが?)などと、もはや聞きません。お土産のローズウォーター。クラクラするくらいすごい香り…『お金もないのに、花を買うんです。マリーゴールドの花に囲まれてもう~、花*花花ですよ~このローズウォーターを身体中にふりかけて、髪にもかけて神様もバラの香りだらけです~』あー、インド、そういえばこの香りもしてた…あれ、東インドの予定じゃなかった?『一番南に行って来ました~すごくよかったです~海に入って気持ちよかったです~これ以上居ると、ヤバイっていうくらいよかったです~』お金は?どこに泊まる?…などももはや聞きません。とにかく最初は半年の予定でビザ取って行きましたからまさか一ヶ月で帰るとは…そして相変わらずとっても美しくなって…ます。インドは北はヒマラヤ~南は熱帯まで大きな国です。ところどころに見覚えがあって『あ~、ここにいたんだなあ』って思ったそうです。ベナレスではすごく寒かったけれど、川の中にはいつまでも入っていれたそうで…人は自然と共に…などではなく自然そのままになれば…なんの心配もなし。今の日本のニュースがばかみたいに思える。Qさんは地球を隅々眺めながら、どこかに帰っていくのでしょう。
2008.12.15
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Ureさんはモリオカに定住始めて、地元のことなんにも知らなかったな…とつくづく感じてます。つまり、日本には、二つの京都が存在してた。平泉が滅ぼされなかったら日本は別の国家になっていたのかもね。それを再現しようとしたのがここ藤原の郷。今日行ったのはご近所の岩手県奥州市。あのタッキーも演じた義経のロケ地でもあるのに…はじめて訪問しました。ここで描いたのが平安の貝合わせ伽羅御所(きゃらのごしょ)から遥かに眺める無量光院を描きました。(無量光院は三代秀衡が、京都宇治・平等院の鳳凰堂を模して建立した寺院とされる。)無量とは無限なるものという意味、そして光ですよ、すごいね。争いばかりの時代に、戦いのない世を現したい…という願いだったらしいですよ、平泉は。……………手前に大きな池があり、 赤い橋を渡り 松林の奥に森があり 平等院よりも大きい無量光院が見える…という景色です。左右6センチです。ちっちゃいし寒いしで思うように描けないよ…ブルブル。(ここ、2℃)日本の歴史は実はなにも教えていなかったんだね。征服されたこの平泉のこと…きっと。そして近くの古い町並みで見つけたお振り袖昔、和服職人だったお年寄りが、せっせと数百枚も手縫いしてるらしい…和ものミニチュアには、なぜかいつもいつも胸がキュンとします。これのあまりの安さに買い占めたい!と思うUreさんだった…なんとかしてあげたい…ブライスに着せたい…みたいにぃ。すそには綿も入って…本格派の方だったんだろうな。
2008.12.14
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2歳の息子との会話…もっと詳しく書くと「あなたが生まれるとき、一度、元の国に帰ったよね。 そしてまた無事に母ちゃんのおなかに戻って来てくれたよね。 覚えてる? 神様に呼ばれたの?」『うん、忘れ物しちゃったの。 お花がいっぱいのところを通って行くんだよ。』彼はおもちゃをいじりながらあたりまえのように答えた。「忘れ物って…?」それには答えなかった。私はこれで十分だと思った。みんなそうなんだ。母性…それはあの世とこの世を結ぶもの。小さきか弱き命を抱きしめる女性は、美しく最高にスピリチュアルだ…
2008.12.10
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Ureさんには子どもがふたりいます。ふたりとも成人して、東京で働いてます。働いてると言っても、長男は役者めざして修行中ですが…その長男のはなし…実はUreさんにはもうひとり子どもがいたんです。27歳で結婚して、すぐに子どもが欲しかったけど、なかなかできなくて29歳で妊娠…そしていよいよ後3日で予定日、というある日、お腹のカレは(男の子だった)突然この世を拒否しました(!!?)というわけでUreさんは命のない出産というものを経験しちゃったんです。あまりにもハードな話ですかね。で~不思議なことに、その後数ヶ月で再び妊娠…で、お腹の感じが(あ、戻って来た…)なんですよ。同じ魂の感覚があるんです。そして長男が無事生まれたんですがこれがまた、光り輝くように美しい子なんです。あまりの可愛らしさに病院ではみな驚き…ほんとです。その長男が2歳になるあたりでした。(これはチャンスを見て必ず聞いてやるぞ!)と思ってた母ですから積み木で遊んでは彼に『ねえ、お母さんのお腹の中にいた時さあ、 神様に呼ばれて、いちどどっかに行かなかった~?』この聞き方もなんだか変ですが…カレは積み木から手を離さずに言いましたね。『うん、行って来たよ』(ヒェ~行って来た、マジ!?)と思いながらも(これでいいや)とそれで終りにしました。(ここで追いかけちゃだめ、これでいいの)確かにカレはひとりだし、ここにいる。私が人とは違う体験をさせてもらってることをとにかく受け止めて、ここまで来ました…あらゆる体験は、とにかく受け止めて、そしてその後意味がわかる。意味が分かるのが死ぬ時かもしれないけど、まあ、わかる。だから平然と受け止めよう。あらゆることをね。
2008.12.09
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ガイアクアトロという、コンサートに行って、完璧にやられました。金子飛鳥さんというバイオリニスト。何という歌かわからないけど「Ave」というCDの中から変わることと残ること閉じることと貫くこと☆の数程それぞれの愛のカタチ離れることで繋ぐもの消え去ることで響くもの☆の数程それぞれの愛のカタチ日を渡れ雨に濡れ風に騒げ泥に埋もれながら浮かび来る悠久(いにしえ)の丘に(この辺は意味不明…)日を渡る緑萌え時を渡り色あせながら香り立つ悠久(いにしえ)の丘にいつの世かひとりひとり歌う調べ悲しみの靴はいて吟遊詩人の足音…私たちは一人残らず悲しい。昨夜の布団の中で思った。でも楽しい、生きていることはそれだけで、この物珍しい地球のひとこまが見られるから。だから面白いんだよ。昨日も今日も明日も地球のひとこま。
2008.12.08
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あれはこの次元ではなかったのかな?あの坊さんみたいな人は…(イメージを思い起こしてみました。トップの写真が近いかな)でも実際に手の中にある…このちいさな方。最初に、伯父さんが心臓の大手術のとき、なんとなく…「これ、持って行って、枕の下でも置いてて。気休めでもなんでもいいから。こんな小さなものだし、もし、無くなったらなくなったでいいから。」って持って行ってもらった…その後も何人も持って行き…そしていつも帰って来た…全員回復…みんな元気だ!だからといって、どうのって言いたくない。ただ、愛が行き来したのは事実だし、それでいいんじゃない。でも、あの美しい光り輝いていたお花の庭、わすれられないな。
2008.12.06
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あの日、そうだ、晴れていた日でした。私は普段はあまり乗らない、自転車に乗っていました。盛岡のとある細い路地裏を初めて通った時でした。住宅地とも言えない…なにかこう、不思議な感じのする路地でした。ふとみると、奇麗に手入れされたお庭がありました。コスモスが咲いていたような気がしますから、夏だったのでしょう。「きれいな花がいっぱい咲いてるな」とふと足を止めてお庭を見ました。すると…中から手招きをする人がいます。(だいたい、私がお花に引寄せられて、他人の家の庭を見たりしたことはなかった!それまでの私は…)その方は縁側に座っていて、なおも手招きをします。(わたし?)と私は無言で自分の顔を指差して聞きました。(そうだ、そうだ)というようにその方は首を縦に振り、さらに手招きをしました。私は自転車を入り口に立てかけると、お庭の竹で出来た小さな仕切り口から中に入って行きました。広い縁側のある日本的な立派なお宅でした。すると、その方が奇妙な絞り出すような声を出しました。「あなたにはなにかあるとわかりました。」その声のわけも、お話を聞いているうちにわかりました。喉頭ガンで声帯を使えなくなり、食道を使って話をしていたのでした。60歳くらいの男の方だと思いました。その方はなぜか、今会ったばかりの私に身の上話を始めました。縁側からお座敷に招かれ、冷たいお茶も出してくれました。『私はどうしても死ねないのです』 『私はこのように自由に声も出ませんが、神様は私をあの世にお召しにならないのです。最初、肺ガン、その次に膀胱ガン、足の肉腫、そして喉頭ガンです。こんなに痛めつけられたら、普通どれかひとつでもあの世に行きますよね。でも私は死ねないんです。』私はどこか異次元に迷い込んだような気がしました。お顔もはっきり見ることが出来ませんでした。しかし頭髪はなく、身体も不自由そうでしたが、どこか悟り切ったお坊様のような気配でした…そう言えば。『神様は、まだまだ私に、やることがあるといっているのです』なんとなく、私が帰らなければ…と思う気持ちを察してか、『ちょっとお待ちください』と言うと庭の片隅の工房のような建物に行って、何かを持って来ました。私の手に小さな観音様(マリア様のような…)を渡して、こう言いました。『これは私が作ったものです。かたちはいびつかもしれませんが、きっとあなたを護ってくれますよ。』私は少しのとまどいはありましたが、それを手に握り、お礼を言って帰りました。頂いた小さな彫金の観音様は、それから無造作にお財布の中バッグのポケットに、入ったまましばらく時が過ぎました。『あれ』は一体なんという一瞬だったのでしょうか。真昼の夢のような一瞬。もうあの路地を通ることもなく十年以上が経ってしまいました。もはやどこかすら忘れてしまいました……そしてここからの話なのですが…この話と写真は『どじママ』に載っていて、一の倉邸の西郷さんもしっかりと読み、見ていてくれていたはずでした…この本が出て数年して私と西郷さんはインドへ行くことになりました。盛岡からフライトのため、東京へ向かう新幹線の中、私たちは並んで座りました。すると驚いたことを西郷さんが話し始めました。『実はね、私も同じ観音様を持っているのよ』って。そして大事そうにバッグの中から取り出したものは…うりふたつ!背の高さ…何もかもがです。新しい、古いだけの違いでした…でも西郷さんのものはとても古い…『これはね、お寺だった実家の祖母が、昔々私にくれたものなの』どうやら、西郷さんが子どもの頃、おばあさまが渡してくれたもの。そのお寺に昔からあった古い観音様で『和子を護ってくれるから』と言われたそう…「どうして言わなかったんですか!」って私は言いました。『あまりに不思議で言えなかったの』と西郷さんは言いました。インドに着いて、ある晩そのふたつの観音様をベッドの上に並べてみました。(写真を撮らなきゃ!)そう思ってデジカメを向けました。シャッターはおりませんでした。やはり。高さ3.5センチ正面から見ただけでは、いびつな形に見えましたが横から見たら、表情、手のかたち、布のドレープまでよく作られているのがわかります。驚きました。
2008.12.05
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初めての方は「魂のおそうじさせて頂きます…1」からお読みください(^^)美しい日本の文化…四季の移り変わり、気配…それらすべてを愛する文化ですね。一の倉邸の美しい写真です。「一ノ倉邸」を愛した、盲目の和菓子職人「和菓子の持つ、しとやかな甘さ、日本古来の色、四季の自然をそれぞれに彩る形、至高の材料へのこだわり、とろけそうな、くずれそうなまた確固とした触感。どれもこれもわたしを引きつけて離さない。そしてそれは茶を引きたて、人を引きたて、場を引き立てるもの。主人公であってはならず、美味しく召し上がっていただく、そのなくなるまでの一瞬の風情でこそありたい。一陣の風、一輪の野の花がわたしの師である」と語った 故長澤良武さん。長澤さんは東京赤坂の「塩野」で修行され、昭和天皇への献上菓子までまかされるほどの和菓子の達人でした。生涯和菓子をこよなく愛し、和菓子作りに命の限りをつくした人。 長澤さんは盲目の和菓子職人でした。心から愛した、一ノ倉邸を美しい和菓子の庭として、想うままに魂を散りばめていることと思います。現在は二代目がその味と心を受け継いでいます。「先代の想いを伝える責任の重さを受け止めています」…と。バッグと下のお菓子などUre's Designです。造り菓子 竹芳 (ちくほう) 〒020-0824 盛岡市東安庭一丁目6-2 TEL・019-653-6158
2008.12.05
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あ~これ、古いもの引っ張り出して来ちゃいました。なんたって、このデータ古すぎて…MOってメディア知ってます?あれに入ってたんだけど、消えてた…というわけでネットで復活。もっとも、全然迫力なくて、むしろユーモラスだわ~
2008.12.04
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魂のおそうじさせて頂きます…1、からお読みくださいね(^^)盛岡・一の倉邸・阿部一族の館を護る人「この龍がいつも私の…」………………… 16年目を迎えた今、驚く事に年間数万人もの人が訪れるお屋敷となりました。わたしが訪ねる度に感じることは、一歩この屋敷の門を入ったとたんの清浄な空気です。浄化された気とも言えるようです。数年前はここでわたしがこの本書にも載っている、十五のヴィジョンを布に染め、「光の布展」という個展もさせていただきました。 そのときの西郷さんの驚いた顔は今でも忘れられません。わたしの描いた龍を見て、「これよ! この龍がいつもわたしの夢に現れていたのよ!」と言いました。彼女はたくさんの鏡を庭に配置し、太陽光を室内に入れるというしつらえをしてくれました。どこからあんな力が、と思うようなたくさんのミラーを庭園に入れました。(写真がないのが不思議ですが)「ここに住む、たくさんの魂を天空にあげて差し上げたいのよ!」と言っていました。「アトランティスの遊び」とわたしが名付けた、水晶での光のプラズマの遊びは素晴らしく楽しかった。庭の光がミラーボールのように虹色に輝いて、菩薩の顔や曼荼羅を照らす。子供のように夢中になって遊びました。楽しかったー!(参考迄に、これは自宅です)「化け物屋敷が、愛の掃除によって救われた」 ここを訪れる人は例外なく感動するが、外国の方のそれはものすごいものがあるのです。『太古からの癒しを感じる』と言ったアメリカの超能力者(ゲリーボーネルさん)。『アジアの中でもある特別の意味を持つところである』と絶賛をされたインドの高僧。(その後、インド、ブッダガヤに招かれ、植樹という最高の栄誉を与えられました)この写真はデジカメでないのですが、手前に光が斜めに入っています。カメラ店でもこれは何かわからないと言われました。真ん中にいるのが、この屋敷を護る西郷和子さん。私の「テラ」の展示をさせて頂いたところ。大きな2m以上の布に「テラ」をプリントさせました。今や世界遺産の場ブッダガヤ大塔寺です。ここ、ブッダが悟りを開いた場で、展示を許したのは歴史以来初めてのことだったそうです。私が修行僧たちと……………………「この屋敷も心から安心したようで、暖かく客人を迎えます。人が来れば来るほど、百年前の屋敷は艶やかに生き生きとしていますよ。時々、学校に行けない子も来て、ゆっくり庭を眺めたり、手伝ったりしてくれます。ここに来ると心が落ち着くと言ってくれます」 朽ちかかり、化け物屋敷と呼ばれていた庭園、屋敷は、いま見事に蘇り、多くの人々を魅了する癒しの場となったのです。 すごいことを成し遂げていながら、彼女はあたりまえのような顔をして微笑み、炉端は今日も涼やかに百年の灰がきれいにならされています。continue…………なにかのため、何かの…
2008.12.04
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あああ、寒くなりました~日差しの時間も短くなったけど…ハダはポカポカを独り占め。「カレンダーは残り少なく、そして毎日がめいっぱい。」そんなこと知ったこっちゃない…カレンダーってなに?昨日も今日も明日も、来るように普通に生きるの。ああ、今日も食べれて寝られてしあわせ!…ってハダさま。
2008.12.04
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友人からの情報です。ジュピターとビーナスとムーンが三角形に並んで、ニコチャンマーク、作ってるよ。って。7時半頃迄西の空に見えるらしい。これが本当の三角形。ニコちゃんマークは実はとってもミラクルなマークなんですよね。見れたらラッキーかも!今、盛岡雲が発生中。
2008.12.02
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今回はちょっと解説(?)こちらは私が一の倉邸で行った個展の写真です。2004インドブッダガヤでのブッダのインスピレーション。Qさんはこのブッダの前で3日間瞑想をしていました。ゆらゆらと動いているのだそうです。↑後ろの丸いシミが浮き出ているのが元々の壁です。漆黒だったという…謎の黒壁。蓮…素晴らしい表具が生きています。そして…打ち上げの夜…一の倉邸にて。一番左…黄金のオーブがくっきりと写っています。撮影:高橋克彦氏真ん中は拡大したもの。右は、注文した本の表紙…酷似しているなあ、と思いました。もう、不思議は普通です。ミラクルな日々………………4、は次に続き、一の倉邸に数百年お住まいの方々を永平寺に連れて行く話に続きます。
2008.12.01
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『魂のお掃除させていただきます』…1 からお読みください(^^) そして盛岡の保護庭園として、屋敷はあやうく解体をまぬがれたのでした。 不思議なことは山ほどあったといいます。「入口の隣の部屋には紫色の着物を着た、まるで平安時代のような女の人が座っていることもありました。また『おばあさんの部屋』と呼んでいる奥の座敷には年取ったお方が座っていらして、何か力を貸してほしいと頼んでいるようでした。この部屋は夏のお盆のころでも寒い気がしましたよ」と、西郷さんはごくあたりまえのように言います。「阿部浩様の奥様は龍さんといって、大正天皇に書を教えられたほどの有名女流書家でした。わたしはいつもお屋敷内では声をかけながら働きました。『お掃除させていただきます』と。本当の知識もないけれど、自分なりのやり方で供養もさせていただきました」と語り、お屋敷はまさに一点のスキもなく、どこをとって見ても彼女の心つくしが美しく生きています。「この屋敷は贅をつくしていながら謎が多いのです。まず、お座敷の壁は真っ黒だったというし、長押(鴨居の上に長く横に渡す材木)の大木を見て驚かない人はいません。二十メートル以上はあろうかと思えるほどの秋田杉一本造りです。何処からどうやって運んで来たのでしょう。そしてこれらの黒壁はあの頃の密談の内容もつぶさに知っているんですよ」「これよ! この龍がいつもわたしの枕元に!」 西郷和子さんは盛岡の生まれだですが、若い頃は東京でインテリアコーディネイターとしても活躍していました。素材は自然そのものを取り入れたかった彼女です。東京では木の枝一本でも、どんぐり一個でもお金を出して買うことに、どうしても空しさを感じて盛岡に帰って来たのでした。 このお屋敷は素晴らしい樹木、自然の草花に囲まれています。春の草花、夏の緑、秋の紅葉、枯れ葉、木の実と、彼女がコーディネイトに必要なものは何でも自然が与えてくれるのです。彼女は遊びの名人です。彼女の手によると虫食いの穴のあいた葉っぱでも和菓子に添えられて、愛しくしみじみと美しい…
2008.12.01
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平成12年出版とありますからもうそんな時が経ったんですね。祥伝社にも一冊もないし、どこかで見つけたらいいな。……………「テラ」は自費出版したもので、盛岡以外には出てないはずなのにある日祥伝社という出版社から電話が入りました。私が外出していて留守でした。それからもお電話をくれて、3回目かにやっと話ができました。『テラ』をある本屋の倉庫で見ました。あの本をかみくだいて読み易い本にしてみませんか?と言われて出来たのがこの本。私が考えたタイトルではありません。出版社が付けた名前の本です。(悲しかった…このようなタイトルは、私のどこにもなかったのですから)サブの「子どもは前世の恩人」が私の本当のタイトルです。やっと告白できる!私はこんなタイトルの本等出したくなかったの!子育てのところにありました。(かえって良かったのかな?)………その中の一章「魂のお掃除させていただきます」今、2008にこれを再びここに出すのにはとてもとても大きな理由があるんです。……………………壊される寸前の明治の館・一の倉邸[毛穴が開き、髪の毛が逆立つ、そして吐き気]←という書き出しで。「だれも入ってはならない!」という声が聞こえるような不気味なまるでお化け屋敷のようなところでした。盛岡市も手のほどこしようがなく、道路拡張のためと称して鬱蒼とした庭園もろとも解体寸前のことでした…盛岡の北上川をすこしのぼったところに安部館という地名があり、その古ぼけた建物「一ノ倉邸」はそこにあります。平成四年のことでした。私の大切な友人でもある西郷和子さんは、えも言われぬ理由でその建物を命をかけて守った人。明治の館が壊されようとしているとの話を聞いて、いてもたってもいられなくなった彼女はまず、その「一ノ倉邸」に行ってみました。その荒れ放題は想像以上でした。まず、足を踏み入れたとたんのブヨブヨした足元からの異臭、そして百年分の凝り固まったほこりと何やら知れない汚物の山。それよりも何よりも、入ったとたんに感じた得体のしれない怖さ。毛穴が開き、髪の毛が逆立つ感じ、そして吐き気に襲われたそうです。「これはわたしの手には負えない」と思う頭とは反対に自分の体はひとりでに動いて、片付け、掃除を始めるではありませんか。始めるといっても、広い庭内と屋敷。まるで何かに突き動かされるように働いて働いて働いている自分がいるのです。掃除しようにもどこから手を付けてよいのやらわからないのに。「何でこんなことを、やっているのか!」と連日くたくたになりながら家に帰ると八十歳になる実の母の世話が待っています。家の者もあきれる始末でした。「いいかげんにしろ。体を壊してまですることか」と怒鳴られることも何度もあったと言います。自分の中ではいやがっても、『もうダメだ』と思いながらも朝の三時には目がさめ、それから家のことをすべて済ませ、自転車で屋敷に向かうのだ。朝の六時から夕方までにとにかく屋敷の掃除にすべてをそそぎこんだのです。それは天が与えた宿命とでも言えるのかもしれません。彼女は最初からこの屋敷のたどってきた運命を知っていたわけではなかんおですが。白羽の矢を立てられたのでしょう。あやつられるようにこの屋敷に関わっていきました。 ここは明治四十年頃に、東京府知事、阿部浩の別邸として建てられたもの。 ご存知、原敬が首相であり、後藤新平が東京市長であった。日本の中枢をあやつる三人ともが岩手県出身であった時代があるのです。そんな時代のこの屋敷は、日本、東京をどのように動かすかの密談の場所でもあったというのです。さらに阿部浩東京府知事は阿部一族の末裔ということで、この安部館というゆかりの場所を選んで立てたらしいのです。そんな歴史もろくに知らないのに、何ものかに選ばれた彼女は、目に見えないものにあやつられるように懸命の作業に我が身も忘れて働いてきました。その屋敷は彼女を招き入れたが、すぐには心を許してはくれなかったそうなのです。「荒れ放題に荒れたこの屋敷にはなにかただよう底知れぬ悲しみ寂しさを感じました。疲れ切った体を夜にふとんに横たえても、眠らせてくれない日が多かった。龍がとぐろを巻くようにわたしの体中を揺さぶるのです。草茫々の庭の草を刈ろうとするとカマがひとりでに飛んでくる。それはわたしを試していたのです。『おまえは本気なのか! おまえをまだ許してはおらぬぞ!』とでも言うように。それでも、行かずにいられない。わたしは病気になってもおかしくないほどでしたから、家には、倒れたとき用の入院準備もしていました」その奮闘の日々から五ヶ月後の九月、盛岡市長が様子を見に訪れたのだ。意外な言葉が盛岡弁ですんなり市長の口から出たのでした。「これは残さねばなんねえな」continue先日の一の倉邸の庭。歩く所に紅葉が履き集められ、龍のようにくねり、えもいわれぬ風情をただよわせています。
2008.12.01
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