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2024.12.01
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カテゴリ: 数学・数式
「チョイ文章自慢」

タイトルとは別のことで我れながらよくぞと思ったことがある。
生涯素人ながら、少しは文章が書ける、筆が立つとうぬぼれていた。だからなのか、この楽天日記で、かつて一度だけだが大手新聞の読者投稿欄に掲載された自慢めいた話を掲載しなかったのが、今以て不思議である。




改めて本ブログ現在から2003年までをザっと振り返って確かめたが、投書掲載自慢のブログはみつからなかった。
さて。ほんの少しだが不思議な一致、シンクロニシティめいた事実もあるので、記しておく。

1995年7月26日に、我が最愛の兄が46歳で白血病死した。ここで既に数字の偶然のことに言い及ぶが、兄は誕生日が1949年6月25日で、これが実に母と同じ月日だった。母は1927年6月25日生まれ。計算が楽だ。母は22歳の誕生日に私の兄を生んだ。三つ下の私は1952年12月8日に生まれていて、母との関連づけではないものの、真珠湾攻撃の月日とダブる。この時母は25と若い。さっさと出産、子育てをしてくれたのである。

母は安産だと言っていた。そのためか、テレビドラマでうめき声をあげて出産を苦しむシーンにシラケること一再ならずあった。ただし痛がる婦人もいるに違いなかろうから、これは我が母のことと思うしかない。

さて、兄の死で、身体に直接ダメージが出たのは腹を痛めた母ではなく、弟の私だった。1995年下半期は日ごとに食欲が漸減して、翌1996年は何んとかこらえたつもりだったが、胸のむかつきは去ってくれず、とうとう1996年10月末日最後の授業をようやく終えたところで回復の望みなしと結論し、母に学習塾休業を生徒たちに周知して欲しいと頼み、11月は水やお茶を飲んでさえ吐き気がして苦しく、かといって自殺する気力も出ず、生きるしかばねと化した。

この窮状を救ってくれたのが母だった。母はのちに認知症が出て急速に衰え、86歳で老衰死と診断される終末となったが、母は私たち子供を懸命に育ててくれて、己れを後回しにする模範を体現してみせた。
母は11月下旬のある時、私に入院を勧めた。私は回復の希望なしと否定的なことを言ったが、行きつけの医院で神経薬を試しにもらって、私に勧めたが効き目を感じられず、薬効はないとさらに否定した。それでも母はまた別の『デパス』という薬を渡してくれた。先に結論を言うと、このデパスは今や向精神薬として、問題多しと結論づけられている。

だが当時の私に離脱症状などを案ずる余裕のあるはずもなく、実はこのデパスを一錠だけ飲んだところで、それまでの不快感がみるみる引いて溜飲が下がるのを実感し、入院加療に期待が出てほどなく入院、個室で過ごしたが、当時は薬が主作用として見事に効いてくれて、実に二週間弱で退院となった。

わずかな入院の最中に既に外出許可を得て、数学での受験希望の高三生徒限定で塾を再開した。全員とはいかないので、収入はたいしたことがないが、神経薬の卓効にも助けられて、軽い胸のむかつきくらいの中で、授業を続けられた。
実質二週間くらいの臨時授業に過ぎなかったものの収入はおよそ10万円に達していた。
ここで今更己れの精神を正常だなぞと力むつもりはない。しかし、私の病はもともとPD(パニック障害)の嘔吐恐怖なのだと、検索で知った。健康な人と比べて、ある種異常なのは言い訳出来ぬことなれど、苦痛が軽減されれば日常生活に戻れる自信はあったし、今もこれは変わらない。

これについても、先に書いておくが、2017年初夏ごろ、デパスの離脱症状昂じて「せん妄」という半睡状態の如きに陥り、昼夜の判別つけ難き症状下で車に乗り、富士宮市杉田というところの、他人の土地の倉庫わきのようなところに乗り捨ててさまよったあげく、一台の車に助けられたはいいが、耐え切れぬ尿意で失禁しかかり、乗せてくれた婦人に告げたとたんに激昂されて通報、警察の車に拘束され、富士市立中央病院に送られ、結果大渕というところの精神病院に入れられて、およそ四カ月閉鎖病棟で過ごしたのち退院。この病院で処方してくれた内服薬は軽いとの説明を受けたが、これのおかげでデパスの強過ぎる作用との縁が切れた。

ところが内服薬の服用量を間違って体調を崩し、再入院。三か月ほどして二度目の退院、訪問看護を受ける条件で今日に至る。定期的に来てくれる看護師さんたちのおかげで、薬の服用は無事に済ませるようになり、2018年冬11月の退院以来、2024年年末の今日まで、五年ほど経過して明け暮れを過ごしている。
特に退院後、2019年の年末の運転免許証更新を無事終えて、更に本2024年は、普通免許を取り消したうえで、高齢者講習を済ませ、更新もぎりぎり合格で、2027年までは過ごせることとなって、ようやく気持ちが楽になっている。

さて、兄の死後身体に苦痛の症状が現われたただ一人の血族の私だったが、デパスの服用が出来るあいだだけ、体調はまずまず楽だった。そして、学習塾もまもなく再開し、生徒たちがある人数以上戻ってくれて、収入もやや安定していた。
それでも兄がこの世にいない寂しさは常に脳裏を去らず、ようやく一つの行動への計画が寂しさとは別に湧き上がって来た。
学習指導を始めた家庭教師の頃からずっとくすぶっていた疑問・不満でもあったのだが、これまた結論めいたことを書くと、我々日本人は、英語を成人後に役立てていない。私はハッキリ「不要」と断じている。

英語は必要と思う者だけが勝手に学べば良い。学校教育に導入せずとも、得意な若者は必ず現われる。基礎的なことは中学時代のリーダーの学習だけで充分である。現に実業高校へ進む者たちの何割かは部活動で運動するためにかようばかりだとも仄聞した。スポーツをやりに行くのが通学なのかと怪しまれる。

ただし、例外的な生徒もいる。工業高校に学んでのち、家業を継いで励む一人の人が、私を驚愕させるほどの軍事・外交知識を身につけていて、中庸な思想を裏付けに備えて、雑談する時も生理的快感さえ覚える。
要は個人の素養次第ということだが、運動やりにかようのなら、やめちまえと言いたい。

英語に疑問を持つ私にとって、国公立、私立を問わず大学受験に英語が必修科目というのが不愉快であったので、理論武装を次第に整えつつ、パソコンに英語不要論をつづり始めていた。
拙きながら塾を経営した経験から、「英語がなければより高いレベルの大学へ行けた」という生徒がいたからだ。




何を隠すことあろうや、余人にあらぬ我が相棒の夕子殿が、かつて高三の時、当時の東京工業大学の数学・化学の問題を見事に解きおおせたからだ。全問とはいかぬまでも、合格点だった。だが英語が必修なので理系私大に妥協の余儀無きとなった。私が出た現・筑波大学と同様、廃学のち慶応大に統合となった今はなき薬科大出身だが、勤めに入るとすぐ頭角をあらわして、男顔負けの活躍を続けている。

彼女と知り合ったばかりの頃、本人は遠慮がちに「英語がダメなので・・」と言ったが、私が下心を隠しつつ、「英語なぞ日本人に要らない」と豪語したらたいそう驚いていた。
さていよいよ、1997年6月25日『産経新聞』読者投稿欄に掲載された本文を掲載する。この日付、特に狙ったのでもなく、たまたま近い頃に投稿したものだ。

当時の本物の日記帳に書いてあるのを読むと、1997年6月20ないし21日ごろ、産経新聞に投書文をファックス送信したら、21日土曜日早朝、投書係から礼の電話があり、決定ではないものの、可能性は高いとの答えをいただいた。
これから毎日セブンイレブンに日参して、とうとう6月25日の朝刊に投書が掲載されているのを確認した。
この日は兄の誕生日であり、ここにもシンクロニシティを感じた。





アピール

塾経営 村松厚和  44 ( )

数学は英語より重要度低いのか

市井の塾経営者から、昨今の大学入試について一言。教育改革あるいは入試改革という声を耳にしてから久しいが、実際に高校生の学習の手伝いをしていて気がつくことは、英語が入試の必修科目として課せられていることの不公平さである。

結論をいうと「数学を文理必修にすべし。さもなくば、英語を理系の選択科目にすべし」である。

ただしセンター試験は別問題とする。

これだけ英語が定着しきってしまった今、こんなことをいうと、時代遅れなどと笑われそうだが、私見によれば、英語は文系科目の代表である。それにもかかわらず、多くの大学で、文理を問わず英語は必修科目として出題されている。理工系離れの深刻化が叫ばれ、その対策についてのさまざまな意見があるが、実際にはその主因たる理科を取り上げているだけのように見えて仕方がない。

だが、理工系学部を目指す高校生たちがまず目標とするのは、数学の実力向上である。大学によっては、数学の問題の難しさは尋常一様ではない。加えて、彼らまたは彼女らは、「実は文系科目」であるはずの英語もやらなければならず、理科に打ち込む時間はさらに削られる。

一方、大部分の私大文系学部が、数学を例えば「社会・数学いずれか一科目選択」という扱いにしている。だから今の多くの進学校では、日大などの付属高校を例外として、文系生徒は進路によっては高三から数学を全くやらなくてもよくなる。

入試の文系英語は理系英語よりもレベルが高いかも知れないが、理系生徒は難しい数学と、決して平易ではない英語の二科目を受験しなければならないのに対し、私文志望の生徒は英語のみ受験すればよく、数学は全くない。これは一部国公立にもあてはまる。数学がない分、英語に集中できるのである。

こういってはなんだが、ほとんどの文系生徒は、苦手な数学から逃れるために文系を選ぶ一面があると思うので、社・数選択は名ばかりで、これは事実上「社会必修」という、選択肢ともいえぬ受験要件があるようなものだ。

紙幅の都合で委曲を尽くすには至らないが、詰め込み学習が悪いというなら、以上の合理化も一考に値すまいか。






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最終更新日  2024.12.02 08:31:12
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