母は時折、小学生の頃に東大の赤門近くに住んでいたことをちょっと誇らしげに話す。
麻布笄町(あざぶこうがいちょう。今の港区西麻布あたり)で生まれた母が本郷で暮らしたのは終戦前、学童疎開で那須塩原に行くまでの短い間だったようだが、それでもずいぶんと懐かしい場所のように話している。
「赤門を下がっていくとウチがあってね…」という言い方を良くするので、まずは「下がる」の意味を現地で確認してみたかった。
そこでスタートは東大赤門前。
赤門前の大通から横道に入り、母たちが暮らした家のあった本郷四丁目(今の本郷五丁目)に向かうと、たしかに道は下っていた。写真ではわかりにくいけど…
祖父母家族の家を含めて、この一帯は昭和20年の大空襲ですっかり焼けてしまったが、今でもこの界隈には車1台がやっと通れるくらいの道が多い。道筋は戦前とあまり変わっていないように思えた。
公園に行くと昔ながらの井戸のポンプが災害用に残されていて、本郷の町はあちらこちらに懐かしい風景があった。
菊坂通りという商店街からわりと急な坂道を南に上ると、本郷小学校に着いた。
母も、母の兄弟もこの学校に通い、当時は「真砂(まさご)小学校」という校名だったそうだ。
小学生だった母兄弟が暮らした家があったのは、「真砂小学校」を再び下って菊坂通りの向こう側。東大赤門までゆっくり歩いても5分かからないくらいの静かなところにその場所はあって、本郷5丁目と書かれた住居表示板が貼られていた。
文豪もたくさん暮らしていたこの町の空気が、短い期間とはいえ祖父母の家族には心地良く、戦中の苦しい時期でありながらも懐かしい記憶として刻まれたのではなかろうか。
静かな住宅街をゆっくり歩きながら、そう思った。
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