aituに乾杯

aituに乾杯

2017.06.10
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カテゴリ: 写文俳句


戻りくる頭待つ身や夏帽子


もどりくるあたままつみやなつぼうし





それは、宿が用意した弁当の包み紙から始まった。
作家、森村誠一さんは代表作「人間の証明」の後書きで、
大学三年の終わりごろに霧積温泉から浅間高原へ歩いたことを記している。
就職難で、先行きが見通せない中での単独行だった。
昼になって握り飯の弁当を広げると、包み紙に刷られた西条八十の詩「帽子」が目に留まった。

<母さん、僕のあの帽子、どうしたでせうね?
 えゝ、夏碓氷から霧積へ行くみちで、
 渓谷へ落としたあの麦藁帽子ですよ。>

「将来に対する悲観の中で邂逅した麦藁帽子の詩は、
乾いた土に水が浸み込むように私の心の奥深く浸透して、
二十数年間そこに沈着し、再び沸き出る日をじっと待っていた。
私は吹きつけるような母へのなつかしさの中に立ちすくみながら、
麦藁帽子の詩をテーマに小説を書こうと思った」と森村さんは書いている。
こうして「人間の証明」が生まれた。

「2013年4月21日 読売新聞 日曜版 名言巡礼」より抜粋




この作品が映画化されたころ
視聴メディアを使ってくり返しくり返し流されたあの詩の一節と
谷底に落ちる帽子の映像は
この自分にも強烈な印象を残した
残した というよりも記憶の細胞に閉じ込めていたものを
鮮やかに甦らせた

小学校に上がったころ
男子はみな制帽があっていつも
その帽子を被って登校していた
ある日
友だちとふたりでの帰り道
ふざけて帽子投げを始めた
何かの拍子に僕は友だちの帽子を誤って海岸沿いの崖下の方に投げてしまった
前は海で後ろは山の切り立った所に道はあり
取りに行けるような場所ではなかった
ちょうどあの映画の麦藁帽子のように
友だちの帽子ははるか下の岩場の樹木の中に落ちて行った

それからどうしたのか記憶がない
帽子を弁償するにも
家は貧乏だったから母には言えなかった
友だちのお母さんが家に来たとは後で聞いたけれど
母が弁償したのかどうなったのか定かではない

だから
この映画の宣伝が始まったころ
あの落ちてゆく帽子を見ながら僕は
母さん あの帽子どうしたでせうね?
と尋ねたことがある

母は 何も覚えていなかった

どうなったのだろう?
あの帽子







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最終更新日  2017.06.10 11:14:24
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