aituに乾杯

aituに乾杯

2019.01.27
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カテゴリ: おもひでぽろぽろ


生きている人間の腹の中を一度だけ見たことがある

白衣を着せられ マスクを付け
頭にも医者と同じようにキャップをかぶせられ
僕は一人 手術室に連れていかれた

手術台に横たわる父の腹の皮を
まるでエプロンの前掛けでもめくるように上に持ち上げると
内臓が目の前に現れた
もちろんそんなものは初めて見た
見たけれど 今では 胃がどれで腸がどれだったか
心臓も見えたのか見えなかったのかよく覚えていない
ただ 手術医が赤紫の肝臓を少しめくって
ここがこうだからもう手術は難しい
とマスクごしに説明するくぐもった声だけははっきりと覚えている
ものすごく薄そうな手術用の手袋の白い指が
胃や肝臓のピンク色に自信満々に映えていた

それはほんの数分間のことだったけれど
ものすごく長い時間のようでもあり
時が止まっているようでもあった

手術室を出ると
母のそばに弟や妹 その連れ合いらが心配そうに待っていた
僕は少し頭が上気していた
誰か代表で一人と言われて 長男である僕が行ってよかった
母ならおそらく卒倒していたかもしれない
父の腹の中を初めて見た

手遅れだということを患者の家族に納得させるために
医者もどえらいことをするもんだと思った
このあと
洗脳されたような僕の口からみんなに状況を説明した
おそらくこれが医者の本当のねらいだったのだと後になって気付いた


今でも父の仏壇の前に座ると
「親父の腹ん中 おれ知ってるんやで」
と腹ん中で思いながら線香に火を点ける
仏壇の上の笑った父の遺影が
この時 少し照れたような顔に見える

「男どうしやないか 腹ん中のことは言うな」

といつものように眉間にあのしわを寄せて
とがめているような気がするのである





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最終更新日  2019.01.27 06:00:07
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