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いたづらに子を怖がらせ鬼やらひいたずらにこをこわがらせおにやらい 駅伝の次の走者にたすきを手渡す場面のように四季の移ろいが始まっているけれども手渡す方の冬がへとへとであるかといえばそうでもないまだまだ次の区間も走り切りそうな勢いで最後の力をみなぎらせている春の区間のスタートラインに立つ立春は緊張しているのか青白い顔をして ひょろりと突っ立っているラストスパートをかけてくる冬の勢いに圧倒されそうであるたすきをもらって駆け出す春はいかにも頼りなさそうだけど沿道で応援する人の数は冬よりも圧倒的に春の方が多いすぐに春は自信を持ちその健脚の足跡にたくさんの花々を咲かせて走る両手を広げて走る胸のたすきもバラ色に染まるじっと息をひそめていた生きるものたちの多くがいっせいに並走し始める春
2017.02.03
畳の上で死にたい父も人並みなことを言いたかったのだろうでも畳の上で とは言わなかった単に 帰りたいと言っただけである末期になる前のまだ意識のある頃だ長い入院生活ではなかった後半の半分はもう意識も薄れ手を握れば握り返してきたのが親子の最後の疎通だった病院の裏のうす暗い所で主治医と数人の看護師に見送られ仰々しく頭を下げられ「至らなくて申し訳ない」ような意味の言葉をいただいて父は黒い車に乗せられ帰りたかった家に帰って来た葬儀には父の田舎からもたくさんの人がかけつけたあちこちで田舎訛りの言葉が飛び交った ひょっとして父は田舎に帰りたいと言ったのではないかふと 思ったあの時 帰りたいと言って病院の天井に向けた焦点の定まらない目の先には生まれ故郷の田舎が浮かんでいたのではないかそういえばあれが父の最後の生きる目 だったような気がする
2017.02.01
およそ自然界でこのような切り口で大木が横たわっていることはない年輪を数えるにはいいけれどひょっとして これでは樹木はおのれの年がばれるのを本当は恥ずかしがっているのではないか人間界ではあまりにも見慣れた光景だからどうってことはないけれど自然界の木は鳥獣に穴をあけられるか長き年代を生きて 朽ちて腐る姿かあるいは落雷で木の幹が裂けるかとてもとても木の年輪など数えることなどできない罪深き人類である
2017.01.30
ひとつずつ燈台並ぶ冬夜景ひとつずつとうだいならぶふゆやけい時には知らない町にでも旅に出て本当の自分を知らない人にもう一人の自分を演じて見せてみたい名前も素性も性格も偽って思う存分いい人ぶって月光仮面のおじさんのように颯爽とかっこ良く立ち去ってまた元の自分にこっそりもどって来る旅は帰る港があるから楽しい
2017.01.29
沓音も静かにかざす桜かな 山本荷兮 新月やいつをむかしの男山 其角 正面 京都府八幡市 石清水八幡宮(男山山頂) 手前 木津川 東雲の河原に凍る男山 しののめのかわらにこおるおとこやま 石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)とその反対側に隆起する天王山の間あたりで木津川 宇治川 桂川 の三川が合流して淀川と名を改めるその木津川と宇治川の間に背割堤(せわりてい)という堤がありそこの一角から八幡宮のある男山を望むようにこの句碑が立っている春にはその堤沿いに植樹された桜の花見で大いににぎわうすぐそばに御幸橋という橋が架かる八幡宮の参道でもあり旧京街道にも通じているその名は その昔朝廷からの使者が渡ったことに由来するらしいさきほど「隆起」する天王山と書いたけれどこの男山も天王山も山という割には低い山で標高は300mにも満たない冬の早朝のまだ人影も見当たらないこの地に佇んでいると時が凍りついたように立ち止まりやがて溶け始めた川の水が川上に逆流していくような気がする
2017.01.28
たちどまりえだあおがせるおちばかな 雪のように一面に積もる落葉も趣があっていいけれど階段にひとつふたつ落ちている枯葉にも存在感があっていい上るときにはなかった枯葉が用事をすませて下りるときに目に留まる新しく落ちたのかそれともどこからか風に飛んで来たのか思わず 立ち止まり上空の木の枝を見上げてしまう我も ここにあり
2017.01.28
売り言葉に 買い言葉もののはずみで発した言葉が取り返しのつかない事態になることもあるそれを言っちゃおしまいよという手前で我慢するのが長年の夫婦生活の秘訣らしい夫婦喧嘩の果てにマンションの四階のベランダから妻を階下に放り投げた夫ベランダで脅しのつもりで妻を抱え上げた夫まさか本気ではなかったはず「何よ! やれるもんならやってみなさいよ!」「男のくせに!この役立たず!」「そんな度胸もないくせに!」・・・土壇場で妻は夫にどんな言葉の棘を浴びせたのだろういずれにせよ 哀れな話だ
2017.01.26
「白菜」と呼ばれる所以だろう身の白さが女肌のようにまぶしい白菜は何といっても各種鍋物の具材独身の頃は冬 白菜と鶏肉だけ買ってきて小さな鍋でてっとり早くぽん酢で水炊きサントリーレッドでちびりとやりながら寒い冬のちょっとした贅沢だったそのうち所帯を持ち 家族も増えて囲む鍋の具材も格段に増えてきてそれに比例するように立ち上る湯気の中に幸せがちらほら見え隠れするようになった具材はいくら増えても僕の箸の始まりはいつも白菜で気が付けば小鉢が女肌ばかりになっている白菜は中国原産で日本には明治初期に渡来したらしい中国原産ならもっと昔に伝わっていてもよさそうな気もするけれどそれにしても初めてこの色白美人の帯を解かせたのはどんな人だったのだろう
2017.01.23
肘笠の雨に消ゆるや雪女ひじがさのあめにきゆるやゆきおんな 南国生まれの者にとってはわずかに積もった雪でも 雪は雪隅から隅まで足跡を残したり小さな雪のつぶてで雪合戦をしたり土で泥んこの雪だるまを作ったり童話や昔話に出てくる雪女を想像させるにはそれでもう十分なのだけれども雪の後のほんのにわか雨くらいでわずかに積もった雪はあっさりと消えてしまうそうなると想像でふくらませた雪女の美しさもあっという間に見るも無残な土色の化け物に変貌する こういう男こそ本物の雪女に出会うとその魅惑に身動きひとつできなくなり彼女の口から吐き出される冷気であっという間に凍え死んでしまうのだろうその凍結された顔は口をだらしなくポカンと開けてデレーッとしたたれ目のままに情けない醜態をみんなの前に晒すのだろう ああ クワバラ クワバラ・・・
2017.01.21
大寒を曇りガラスに清書する だいかんをくもりガラスにせいしょするアイヌ人は文字をもたない民族らしい伝承はすべて口伝によって受け継がれたと聞くそれはそれで後世に伝えるための手段が語り言葉や聴覚力や記憶力を磨くことになったのかもしれないそして相手に伝える感性が一段と研ぎ澄まされたのだろう代々 大自然と向き合って四季の移ろいをいろんな語り言葉で表現してきた彼らは一人一人が感受性豊かな俳句人だったのかもしれない曇りガラスに文字など書いてそのつもりになっている自分が情けなくなる
2017.01.20
山茶花のひと際に葉の暗さかな さざんかのひときわにはのくらさかな 色の乏しい冬に咲く花にはその美しさよりも生きるものたちの逞しさを感じずにはいられないこの輝く紅いさざんかの花の裏に隠れた枝葉の思い土中を這う見えない根の願い花は花としてそれらを微塵にも出さず咲くのが命我もまた病に倒れ部屋の窓から見える庭の景色だけを毎日眺める生活になっても日々の変化を感じ取れる感性を磨いておこうたとえ盲目となるとても光のかほり 草木の匂い忘るまいぞ
2017.01.18
新年を結びて解く縁もあり しんねんをむすびてほどくえんもあり初詣に行った神社の群衆の中である若いカップルが俺にカメラのシャッターを頼んできた何故 俺なのかたまたま隣で家族写真を撮っていたからかたまたま目が合ったからかたまたま笑っていたからか俺は念のためにと言って三枚撮ってやった若いカップルはその金髪の頭を仲良く下げながら礼を述べた二本の直線のおそらくもう交わることのない接点が段々と広がって遠ざかってゆく二人並んで撮った写真のこちら側にいた俺のことなどもうとっくにメモリーから消されたかもしれない手をつないで群衆の中に消えてゆく二人の背中を俺はしばらく眺めていた縁というにはあまりに細すぎてすぐに切れそうな糸だけれど彼らの赤い糸を少しでも結ぶ手助けになったのならそれにこしたことはない「お父さん 行くよ」 妻が言うそういえば俺たちも今まで何度か人にシャッターを押してもらったことがある頼んだこともあるし撮りましょうか と親切に撮ってくれた人もいるでもその人たちの顔までは覚えていないそんなことを思いながら俺たちもまた群衆の中に消えていった
2017.01.17
子供らが大雪と呼ぶいちセンチ こどもらがおおゆきとよぶいちセンチそこそこの雪は子供も大人も 心から無邪気にしてくれる不思議だ
2017.01.17
そこいらに転がるやうに松過ぎぬ そこいらにころがるようにまつすぎぬ江戸の頃ある俳句仲間のお月見の吟行会その脇をみすぼらしい男が通りかかったお前さんも一句どうかね?と小馬鹿にされながら誘われる渡された短冊に「三日月の」と書くと「おいおい今夜は満月だよ やっぱり素人はだめだなあ」と笑いが起きた男は微笑して後を続けた<三日月のころから待ちし今宵かな>そこいらに転がるやうに松過ぎぬ「おいおい そこいらってどこだよ やっぱり素人はだめだなあ」毎度毎度りっぱな写真俳句ブログにそれらしき写真といっしょに載せている俳句がみすぼらしく見えてくるどうせならこの男のように見かけだけみすぼらしいのであればいいのだけれど見事な機知で一本とった男の名は小林一茶 とま 比べる方に無理があることも確か自覚も大事
2017.01.16
初雪やナウマン象の足の跡 はつゆきやナウマンぞうのあしのあと雪の珍しい南国生まれの者にとって大地が積雪で見渡す限り真っ白になるということはこれはもう興奮以外の何ものでもない朝 布団の中の寝ぼけ息子の耳元で母親が外は雪だと言うともういっぺんに目が見開いた急いで雨戸を開けるとそこはおとぎの国のような銀世界弟も妹もたたき起こして表に飛び出すと犬のように走り回ったものだその名残りが残っているのか今でもうっすらと雪が積もると子供の頃のように走り出したくなるけれどさすがにいい歳をしてそういうわけにもいかないそのかわりそこらあたりの新雪にのっしのっしと足跡を残して歩く二万年前に絶滅したというナウマン象のように豪雪地帯の方々には申し訳ないけれど・・・
2017.01.15
ゴミの日や目は口ほどに寒鴉朝早くいつものパン屋さんへ焼きたてのパンを家族分買いに行く前日に買ってもいいけれど作りたてのパンはやはり朝によく似合う特に用事もなく釣りにも行かない休日の朝はゆっくりと熱々のコーヒーにパン食新聞を広げて隅から隅まで目を通すそのパン屋さんへ行く途中に清掃工場があるこの日は風もなく煙突から上がる煙がまっすぐに立ち昇っていた朝日が雲の向こうから顔を出しちょうど逆光になり雲も煙も真っ黒に見えたこの市では他に清掃工場がもう一つできたゴミの焼却が追いつかないのだろう人の生活が便利になった分 裕福になった分吐き出される物もトン単位で増えていくその新しい清掃工場の建設をめぐっての談合事件が世間を騒がせて市長も代わったハイエナのように権力に群がる連中がいる権力を笠に着て肥える奴らがいるやがて 煙突から吐き出される煙のように人間の心も真っ黒になるゴミの日を知っているかのように群がるカラスの濡れ羽色と同じにされてはカラスもかわいそうなもんだカラスは心まで黒いわけではない
2017.01.14
先日の成人の日近所の知り合いの娘さんが成人式ということでわざわざ式場に行かれる途中に親子で挨拶に寄られたうちの子供たちとは学年が違うけれど小学校の集団登校によくいっしょに並んで行った日がつい昨日のことのように思われるこれまでいろいろあったことも耳にしているそれでもこうやって娘を式場まで送る父親の笑顔が子供以上に晴れやかなのは見ていて自分のことのように嬉しくなるお互いに頭髪もうすくなり顔の皺も増えてこころなしか潤んだように見える眼(まなこ)がこの日だけは親バカになって誇らしげである大いに自慢してもらいたい大いに誇りに思ってもらいたい時にほどけても時に糸のように細くなっても切れなければいつかはまた結べる時が来ることを教えてくれる春の足音はまだまだ遠いけれど晴着の帯紐の結び目が妙に 目にあたたかかった
2017.01.14
霜降りてガラスに描く指の跡 しもおりてガラスにえがくゆびのあと家のすぐ横には自治会の集会場があってその前がこの辺りの小学校の登校の集合場所になっている毎朝 班長を先頭ににぎやかに我家の前を通る冬になり霜の降りるころになると早めに集まった子供たちが道脇の我家のガレージにある車の霜の降りた窓によく落書きをする昔まだ小学校の低学年の頃帰り道 気に入りの女の子を校門の所で友達と待ち伏せしたことがある待ち伏せて何をしたのかよく覚えていないけれど何かいやがらせでもしたのだろう男の子は思いと裏腹に 好きな女の子によくちょっかいを出すその帰り道友達と石けりをしながら帰った僕の蹴った石が道路の真ん中にころがりふいにそちらに走ったのだろう僕は後ろから来ていた単車にはねられ頭を打って意識を失ったあとから聞いた話では通りかかったトラックが町の医者まで運んでくれたらしい目が覚めた時には目の前に心配そうなもんぺ姿の母の顔があった小さな町医者の白いベッドの上に僕は横たわっていた幸い大きなケガもなくその夜のうちに家に帰ることができた結局 次の朝は頭に包帯を巻いて学校に行ったどこから聞いたのか先生は待ち伏せなんかするからそんなことになるのだとみんなの前で僕を叱った先日の朝は 車に乗り込むと霜の降りた窓に幼い指跡の相合傘があった外から読むと さきとたかし人を好きになるのはいいことだ僕はしばらく 遠い昔の先生に叱られた泣きべその自分を懐かしみながら通勤の朝の道を走った僕は家を出る前に相合傘の横に大きなハートマークを描いてやったそのまま消しもせず車を走らせた時々 アホなことをする と妻の弁あの時打った頭のせいかもしれない
2017.01.13
咳ひとつ念珠爪繰る通夜の席 せきひとつねんじゅつまぐるつやのせき通夜の席読経が始まろうかという時間ものものしい人の数口数の少なさが居並ぶ人の背中を伸ばす突然の訃報ほど悲しいものはないうつむいてお念珠の珠をひとつひとつ繰りながらかの時の笑顔ばかりを思い出すあちこちで咳払い口数が少なくなると人は咳をするものらしい坊さまも咳払いひとつしておもむろに読経を始めた
2017.01.12
豆の木のジャック見上ぐる出初式まだ田舎に住んでいたころの小学校低学年の教室で先生が読んでくれる童話やおとぎ話が面白くていつも楽しみにしていたことを思い出す 当時の家にはまだテレビもなくて国語の時間だったか 幻灯機や 紙芝居やら先生がみんなの机の間をゆっくりと歩きながら読んでくれる物語の世界にはまったものだ先生の口からこぼれる魔法のランプや空飛ぶじゅうたん 巨人や小人の話ひとつひとつの聞いたこともない言葉に子供心に頭の中は広げた想像の世界でいっぱいだったアリババと四十人の盗賊を聞いた後はみんなで「ひらけぇ~ ごまっ!」と叫んで遊んだジャックと豆の木の話を聞いて帰った夜などはジャックのように空に伸びる豆の木を登って行く夢を見たそんなことを思い出しながら出初式を見た幼いころはそうやってワクワクしたものだけど今ではあの時 下から心配そうに見上げていたであろうジャックの母親の心境である
2017.01.08
酔いつぶれスタンドの灯の年始酒 よいつぶれスタンドのひのねんしざけ久しぶりに上等の酒に酔っちまってみんなが帰った後パソコンの前に座るとキーボードの文字がかすんで見えやがんのどいつもこいつも目出度い目出度いと鯛の塩焼きじゃねえんだから軽々しく言うんじゃねえどこが目出度いんじゃあ~ 東の空では若者が自由と闘っているのに原宿ホコ天通りじゃ自由をもてあそんでるおっといけねえ 誰かの歌の歌詞になっちまったよ酔い醒めて頭のスタンドの灯を点けたら眩しさの中に空の一升瓶がまだ飲みますかと嫁はんのような口ぶりでのっそりと突っ立ってたよああ 目出度い めでたい!
2017.01.07
年始客見送る駅や国訛り ねんしきゃくみおくるえきやくになまり世界には約六千の言語があるらしい今世紀中にはその半分が絶滅するといういやそれ以上を主張する研究者もいる六千のうち約三割が 話者数千人にも満たない民族だという方言は言語には入らないらしいこんな狭い日本でさえさまざまの国訛りがある故郷へ向かう駅や空港ではふと懐かしい国訛りが風のように耳に心地よく響くときがある都会に出てきた若き頃を思う故郷のある幸せを思う
2017.01.05
あといくつ生きてやらうか初日記 あといくついきてやろうかはつにっき 娘が初めての修学旅行でなん泊か家を空けた時のようにいくら騒いでみてもどこかに風穴が開いているような食卓にひとつだけ残されたイスを眺めるみんなの目のような淋しさがあった子供の頃拾った子猫を親に内緒で裏の空地に小屋を作って飼っていたことがある弟とふたり 家からこっそり食事の残りを運んだまるで僕たちを親のように思いどこにでも僕らの後をついてきたそれが ある日 ふっといなくなったどこを捜しても見つからなかったあの時の 小さな胸の淋しさを思うなんでもない軽そうな日常も積み重ねると鉛のように重くなる重なる日々が重しとなってそのうち 漬けもんのようになんでもない日常からなんとも言えない味がにじみ出てくる出来の悪い 曲がりくねった大根でも漬けもんにするとかけがえのない大切なものに思えてくる失くしたと思っていた古い日記帳が押し入れの奥から手の中に戻ってきたような気がする
2017.01.03
山の子もいくつになるや寒鴉♪ からす~なぜなくの~ からすは山に~ 可愛い七つの子があるからよ~ ♪ 野口雨情 娘が幼稚園に通うようになった頃初めての集団生活の中でいろいろなことを覚え始めた犬のフンを見て「でっけーウンチ」だとか「フンしややがって」とかまだ不完全な言葉もそのままにおよそ女の子らしからぬ言葉遣いに大丈夫かと心配したころもあった妻に代わって幼稚園まで迎えに行くこともあったその行帰りの道は車の通行が多くて手をつないで歩きながらよくこの歌を歌って帰った家でもお風呂の中でよく歌ったある日その道に一羽のカラスが車に轢かれて死んでいた娘に見せてはいけないと思っているうちに娘もそれを見てしまった急いでそこを通り過ぎてから娘が言った「あのカラスさん かわいそうやね」「そうやね」仕方なく答えると娘は「あのカラスさんの山にいる子もかわいそうやね おとうさん」となにげなく言った「・・・」ほんまにそうやね 小さな黄色い帽子をかぶったわが娘の両腋を高々とかかえながら僕は言ったカァ~ カァ~ と啼くカラスの声を野口雨情は 可愛い 可愛い と聞いた嫌われ者のカラスは愛情が深いのだという山の子もいくつになるや寒鴉
2016.12.31
這うてでも越さねばならぬ冬の坂人生には三つの坂があり上り坂と下り坂 もうひとつは まさか と誰かが言っていたうまいこという上り坂や下り坂には自覚があるがまさかはたいがい予想もしない あるいは予想を覆すようなさかの場合が多いあれだけ元気だった人が急にこの世からいなくなるあの大会社が倒産するあれだけ好き合っていた相手からの別れの言葉でも まさかには良いさかもある映画でいえば「ハドソン川の奇跡」もそうだし「アポロ13」もありえないと思っていた相手からのプロポーズ人生には越すに越せない田原坂もあるけれど上り坂 下り坂 に人生の妙薬のような まさかが溶け合って 悲喜こもごも という言葉を昔の人は考えたのかもしれない
2016.12.30
クリスマス妻と二人のプリンかな クリスマスつまとふたりのプリンかなプリプリもちろん一世を風靡したプリンセスプリンセスではないま あえて言うならプリンスプリンセスプリプリばんざぁーい、ばんざぁーい!!ダイヤモンドだねえ~♪
2016.12.24
気の合ふも合はぬ奴にも賀状書く きのあうもあわぬやつにもがじょうかく いつだったか 勤賀新年と書かれた賀状をいただいたことがある小学校の書き取りテストで先生が「大人でも新聞を親聞と書く人がいる親しきを聞く と覚えているのかもしれない」と言われた その一言でそれまで何の躊躇もなくすっと書けていたものが一瞬 どっちだったかなと迷うようになった 確かに年末も正月も働いておられる人たちはたくさんいらっしゃるその方たちにとっては 謹賀よりも勤賀新年の方が似合うのかもしれないところで賀状書きも済んでクリスマスも済むと今年もあとは大掃除が待っている例年ながら妻の 怒隷 になるか 奴霊 になるか やはり 奴隷 かああ 楽し・・・
2016.12.23
思ひ出に消印を打つ師走かな おもいでにけしいんをうつしわすかな 誰もが通る道だとわかってはいるけれど一年が毎日毎日の積み重ねだともわかってはいるけれどどこかしら積み重ねた積み木をひとつずつ毎年 失っていくような淋しさの残る年の暮いつからだろう磨くガラスの窓の手を止めてそこに映る雲の流ればかり追いかけるようになったのはいつからだろう風呂場の天井にうす黒く残る模様に水をかけながら昔と変わらないはずなのに少し広く感じるようになったのはいつからだろう靴箱の中の履物の数を数えるように表に出すようになったのはたとえ思うように五体が叶わずとも父にもう少し生きていてほしかったと思うようになったのはいつからだろう
2016.12.22
川あれば流すものあり冬至の日流れるものは川だけではないけれど流れるものがあるということは有難い日本昔話の中に「すまき地蔵」という話がある簀巻き地蔵筵(むしろ)に巻かれて川に流されたお地蔵さまが ある村に流れ着く話一つ目の村は りっぱな竹の茂る村やっかいものだと竹の棒で突っついて また川に押し戻した村二つ目の村は ありがたやとお地蔵様を筵からほどき大事に祀って 貧しいながらもりっぱなお堂を建てた村その後竹の茂る一つ目の村はすっかり村中の竹が枯れてしまい全く育たなくなった二つ目の村は災いもなくなり作物はよく穫れ豊かな村になったというお話流れるものは他にもある血も 涙も 汗も 流れるそして止められないもの 時も流れる時は流したいものをやがて忘却の海にまで押し流してくれるけれども時として流したくないものまで流してしまうから我が母の記憶の器のようにそれだけは忘れないでほしいと思うものさえ平気でからっぽにする年をとると記憶の器に小さな穴でもあくのだろう今日は 冬至
2016.12.21
小春日を砂場に残す日暮かな先日の日曜日は春を思わす陽気な天気だった日中はあちこちのベランダや窓からこの日を逃してはならじとたくさんの布団が干されていた駅からの帰り道夕暮れ前の公園を通ると誰もいなくなった砂場の横にイケメンが笑っていた誰が描いたのか この日の温さがまだ残っているきっと先ほどまで黄色い歓声があがっていたのだろう写真を一枚撮ると上着を脱いで歩き出す日に干した布団のにおいがした
2016.12.19
カーテンにほほ笑む冬の光かな カーテンにほほえむふゆのひかりかな 友人の見舞いに行って来た今は亡き我が父親が入院していたときもそうだったけれど病院のあの看護師さんたちの笑顔には本当に救われるものがあるこの頃の医療現場は次々と最新の医療機器も導入されて覚えなければならないことも多々あるだろうにそれも操作ミスの許されるものでもないそうでなくとも日常業務だけでもこなしていくのが大変なのにまことに頭の下がる思いがするその中でも特に女性の看護師の笑顔にはただそれだけで癒されるものがあるどんな優れた医療技術にも真似のできないものがあるそりゃあ 中にはいろんな人もいるでもファミレスやコンビニのマニュアル化された笑顔ではない女性には男にはない母性がある 病院から帰ると窓のカーテンが冬の光にまぶしかった冬の厳しさの中に彼女らのほほ笑みを見た思いがした
2016.12.18
冬帽子なくば齢の降り積もる ふゆぼうしなくばよわいのふりつもる老人年寄りに失礼な言葉だとして高齢者と表現する年をとると首から上に悩まされると言う耳が遠くなり 頭髪はうすくなり 歯医者に通うようになる無意識な忘却も多々あるそして一番顕著に現れるのが 目老眼近くのものが見えなくなるのだから始末に悪いわざわざ離さなければならない眼球のレンズを調節する筋肉が衰えるらしい老いを自覚するきっかけは目が多いらしい元々「老」という字は老中や大老のように気位の高い所に使われている老松もかっこいい老眼も人さまざまの人生を見つめさまざまの思いを焼き付けてきた気品溢れるまなこであってほしい喜びや悲しみの涙を溢れさせてきたまなこでもあるのだからボケ無礼な言葉だとして 痴呆症という年をとると気を使わせる言葉が多いちなみに中国語では老眼のことを 花眼 というらしいすばらしい
2016.12.17
燃えた日もありて涙す道焚火通勤路の途中に小さな工務店がある寒い朝などドラム缶に木切れを入れて火を燃しているちょうどその近くが小学生の集団登校の集合場所になっていてカラフルなかわいい防寒着に身を包んだ子供たちが毎朝 にぎやかに集まってくる工務店のおじさんたちが登校の出発まで ちょっとこっちで火にあたれと呼んで炎の上がるドラム缶のまわりにおじさんたちと小さな子供たちの輪ができる火にかざす節くれだった大きな手と並ぶ子供たちの手がかわいい信号待ちの間その光景を見るのを楽しみにしているぎんぎんに冷え込んだ冬の日焚火の炎にあたるとそれだけで涙がにじむなぜだろう
2016.12.16
参道の歩幅も少し冬の段 さんどうのほはばもすこしふゆのだん坂道の勾配に合わせて石段はある急傾になるほど石幅は狭くなる一気に二段三段駆け上った若き頃もあった今はただその時の石段に合わせて上るゆるやかなれど一歩に長し二歩に短しそんな もどかしくなる人生の坂もある冬になると妙に坂を登りたくなる平坦な道でも転びそうなときがあるのに・・・人生の四季の移ろいも冬の段に入りつつある
2016.12.12
暖房の窓開け放つ昭和人こういう風景を見ると 思わず暖房の効いた車を降りたくなる大空に伸びた枝の先には明治人の気骨が見える何かにじっと耐える人の姿を美しいと言った人がいるでも耐える時ほど時間の長いものはない長い冬を息を殺してじっと待つ枯れたように見える枝先には石のような意志を持つ冬芽がある彼らにとって待つことは苦ではないのだろう老いかけ昭和人のやせ我慢ではないのである
2016.12.10
冬空に染まりし肌のはちきれぬ ふゆぞらにそまりしはだのはちきれぬ 枯木ではない大空に伸びた枝の先には冬芽がふくらみじっと春を待つすっかり枝葉を落とし毛細血管のように広がるその姿はまるで木が芸術を知っているかのように美しい学者によればこの宇宙を形作る方程式は雪の結晶のように美しいものらしい過程は複雑難解でも出来上がってしまえばシンプルな美しさ完成した名曲はいとも簡単に人の心の琴線をくすぐる冬を越す細木の枝の力強さよ我が手の平の生命線の心細さよ冬空のキャンバスに静かにたぎる熱き血潮を忍ばせてか細き女の裸体を描く艶めかしく雲になぞられてあやうく声を発しそうな色を為すとてもとても枯れてなどいない
2016.12.05
天暗く地に晴れ渡る落葉かな てんくらくちにはれわたるおちばかな一枚の落葉は哀れに見えるけれどそれが寄り集まると壮麗に見えてくるどんよりとした冬の空とは対照的に地には落葉が晴れやかに広がっている木の葉が枯れるとこういう色を成すのには何か理由があるのだろうか科学的根拠ではなく創造主がこの色を選んだ理由を知りたい知ってどうするのだお前は舐めもせず見ただけで砂糖も塩も同じだと思い込んでいるお前がこの世にいる理由みたいなもんだ教えてやろうか?それは 是非・・・
2016.12.04
お通しでひと酒飲めばししゃも来る おとおしでひとざけのめばししゃもくる少し冷え込んだ日外出先からの帰りお銚子の一本でもひっかけて帰ろうと思い駅前の居酒屋ののれんをくぐる引戸を開けると新人らしい女性店員が入口近くのカウンターに案内してくれるおしぼりをもらい椅子に腰かけると奥の方でチーフが先ほどの店員に奥の席が空いているときは入口近くは寒いから奥の方に案内するようにと 注意するやや小さな声がもれ聞こえてきたほどなくしてその店員がやってきてよろしければ と奥の方のカウンターに案内してくれた僕はさっきのことは聞こえなかったふりをしてありがとう と礼を言って席を立ったポニーテールの髪の女性店員のかわいい笑顔についていった熱燗に 肴はししゃもを焼いてもらうことにするすぐにお酒とお通しが運ばれてきた盆の上に小鉢が三つほど載っていてどれかひとつ好きなものを選べと言う「これは 何?」とそのうちの一つを指して言うと本日のお通しです と言う僕はなんの料理かと訊いたつもりだったので笑っていると向こうも気が付いたようで苦笑いしながらいったん引き下がって厨房に確認しに行こうとするいや いいからと彼女を引きとめてその小鉢を取るそれくらい教えとけよ チーフも細かく切った鶏肉の煮込みなかなか味が浸みて旨かったそれを肴に酒を飲むこういう場所で飲む酒はなぜか家で飲む酒とはまた味が異なる明日からの仕事の段取りのメールを携帯で確認しながら飲もうと思ったが やめた携帯を閉じて店内を見渡すテーブル席は半分くらい埋まっているけれど座敷の方ではどこかの家族の何かの祝いなのかお年寄りから小さな子供まで大勢集まって騒いでいるもう11月も終わり 今年もあとひと月早いなあと思いながら飲んでいると酒のなくなるのも速い お銚子一本空けた頃 ししゃもが焼けてきたどうしようか・・・仕方がないお銚子 もう一本おかわりさっきの笑顔のかわいい女の子に言う 結局 三本飲んじまったししゃものせいで・・・
2016.11.26
越すものを冬だけにして八十路坂 こすものをふゆだけにしてやそじざか思えばあのころが幸せの絶頂期だったのかもしれない誰も腰が痛いの具合いが悪いの入院したのと言うものもいなかった正月に一族が集まるとみなあらん限りの声を張り上げてカラオケを競って歌ったものだ兄弟の子供たちも小さかったから全員が顔をそろえて大いに盛り上がったそのうち彼らも年頃になると一人抜け 二人抜けみんなが揃うのが珍しくなったそして父は永遠に欠けてしまったマイクを握った父が孫と一緒に喉の奥を丸見えにして歌っていたころが懐かしい♪ この坂を越えたなら しあわせが待っている ♪母が好んで歌った 都はるみ坂を越えたところにいるのにその時は誰もしあわせに気づかずにいたあとは厳しい冬を越すためだけに生きているそんな気がするでも八十路の母には本当はもう何も越すものはないように見える厳しい冬も肩越しにすれ違う通行人のように父の形見のちゃんちゃんこを着てなんでもなさそにやり過ごしているいつもにこやかに 本当のしあわせを母は知っているのかもしれない
2016.11.23
一人より二人が似合ふ冬の道 ひとりよりふたりがにあうふゆのみち「This way! this way!」こっちこっち と息子らしき少年が父親らしき人に声をかけながら通り過ぎて行った季節の割にはそんなに寒くもない一日曇天の大川のサイクルロードを外国人らしき親子がうれしそうにペダルを踏んで行くどこの国のどんな人でなんの用事でいつ来日したのかまったくわからないけれど遠ざかる後ろ姿をほほ笑みながらしばらく眺めていた国籍など関係ないんだなあ遠い昔の今は亡き父親のことをなぜか思い出させてくれたから父親と同じ道を走ったのは何歳までだったかなあなんだかthis way と発した少年の言葉が妙に耳に心地よかったなあ
2016.11.22
広重の煙たなびく冬枯ノ図 ひろしげのけむりたなびくふゆがれのず歌川広重東海道五十三次之内 浜松宿ど真ん中に大きな一本杉があるその下で焚火をしている農夫か雲助か数人 下半身は冬でも褌一丁風もないのだろう煙は一本杉に沿ってまっすぐに立ち上るそこへ旅人も寄ってくる「どちらからおいでなすったんで?」「どちらまで行きなさるんで?」そんな会話で世間話が始まったのかどうかわからないけれど屈託のない冬の風景が平和に描かれているそれが今からまだたった二百年前の風景だこの国の歴史からしてもほんのまだこの前のことだ鉄道もないバスもない時計もないましてや電話などない時代の話今の子供たちはひょっとしてスマホやテレビや車など千年も前からあったのだと思ってやしないかそこまで飛躍しなくても自分のおじいちゃんの時代の話も現代の家族構成では伝わりにくくなっているのだろうさっぶい冬の日の赤々とした焚火の炎の暖かさはなぜか自然と目が潤むんだよなあでも今の時代 焚火さえそう簡単にはできない時代なんだよなあこれから先 どうなるのだろう冬枯ノ図
2016.11.20
走り出す人も見かけぬ夕時雨 はしりだすひともみかけぬゆうしぐれやはり秋から冬の景色に移るとどことなくもの寂しい春から夏にかけての目を見張るような躍動感がないひょうひょうと風の吹く冬田には見渡す限り人の姿がない陸軍兵舎のようなビニールハウスにあちこち破れがきていてもしばらく修復されそうにもない物置小屋の赤く錆びた波板の屋根が一部めくれてパタパタと風に鳴る畑の轍の跡だけが過ぎ去った季節の物証を残している冬の夕時雨は特にもの寂しい
2016.11.19
酸つぱさの思い出生るや蜜柑山 すっぱさのおもいでなるやみかんやま柑橘類は好きであるカンキツ という言葉も好きであるこの頃の蜜柑には当たり外れがあまりなくてほとんどの蜜柑がおいしくいただける栽培技術が高く 品質も安定しているのだろう子供の頃の家の畑にも蜜柑の木があった蜜柑が生るころになると待ちきれずにまだ酸っぱいうちにちぎって食ったりしただからこういった蜜柑の木を見ると口の中が唾でいっぱいになる甘い蜜柑もいいけれど時には顔を細長~くしかめて食するのもどこか青二才の自分を思い出させてくれて若返るような気がするカンキツに似た酸っぱい思い出は後々 甘味が増してくる
2016.11.15
歳時記に馬乗りなるや冬の色 さいじきにうまのりなるやふゆのいろ夕日のよくあたる桜並木のベンチ夏の頃には日差しが暑くて座る人も少なかったやがて季節が廻り日差しも穏やかになると若きアベックも杖をついて歩く老夫婦も乳母車を寄せるポニーテールの母親もベンチに腰を下ろしほほ笑み始めるそんな時期も短くて腰を掛け 工場の煙突の向こうに沈む夕日を眺めていると誰が切り落とすのか紅葉が一枚 また一枚風もないのに落ちてくる歳時記も春夏秋冬の最後に来た寒い季節がやってくるそのうち またこのベンチに座る人も少なくなる通り過ぎる人たちの吐く息も白くなる
2016.11.13
目の中にふわりふわりと秋意とぶ めのなかにふわりふわりとしゅういとぶ買い物の帰り歩く人々の背は少し丸まり急ぐように早足になるついこの前までは沈む西の空の夕日を足を止めて見とれていた人々が今はただ脇目もふらず家路を急ぐ冷気を含んだ吹き来る風が木々の枝々に淋しげな足音を残す遠い昔畑仕事から帰ってくる母を腹を空かせて待つ少年を思い出す色の無き画面に飯を炊く竈の火の色だけが赤い日の暮れの早くなった家々に灯りが次々と点りだす家路を急いでいた人たちが帰り着いたようだ そこだけが竈の火のようにやけに明るい 秋のしゃぼん玉はなかなかにこわれて消えない
2016.11.06
うどん屋の白きうどんに紅葉かな うどんやのしろきうどんにもみじかな 情けは人のためならず情けをかけておけばやがて回り巡って自分に返ってくるこのごろは情けをかけるとその人のためにならない ととる人がいるらしいあまり甘やかし過ぎるとよくないととっているのかもしれない甘やかすのは情けではないと思うのだけれど・・・あちこちで心寒くなる事件が相次いでいる身体はオーバーでも着込めば温もるけれど冷えた心を温めるカイロなどない心を温めるものはちょっとした人の親切と優しさと思いやり回り巡って自分に返ってくる昼飯時によく行くうどん屋さんの天井に真っ赤な紅葉が飾ってあったもちろん作り物であるけれどうどんを箸につかんで持ち上げたときに目の前のうどんの白さと見上げる紅葉の色合いがまことに結構であったうどんは腹を紅葉の色は胸を温めてくれた普通は返ってくることをあてにして情けをかける人は少ないと思う
2016.11.04
晩秋や十日もすれば昔なり ばんしゅうやとおかもすればむかしなり時の経つのが早い今年もあと残り三ヶ月と書いてからもう ひと月経った時の流れはその人の生きるであろう人生の長さをその時の年齢で割った値に比例して感じるらしい一日の長さでも子供は長く感じるし年寄りは非常に短く感じる個人的には特に盆から正月が早い十月を過ぎた辺りから 急に流れがはやくなる押し流される落葉のように 風流気分でいるとまたたく間に小じわの二三本は増える秋から冬にかけていっぺんに年をとるような気がする知らず知らず玉手箱を開けているのだろう
2016.11.03
豊作や山も年貢の納め時 ほうさくややまもねんぐのおさめどき 子供の頃はどんぐりを拾うだけで楽しかったポッケが破れるほど詰め込み気になるあの女(こ)に持って帰った「子供の頃」 という書き出しの記事を見つけると思わず目を走らせてしまうなぜだろう?年老いたせいなのかもしれない当たり前のことだけど自分にも子供の頃があったように誰にでも子供の頃があってそれを懐かしむように筆をとる人がいると何故か親近感が湧く「子供の頃」という言葉にはひとつの郷愁がある
2016.11.02
風なくも空騒がしき竹の春 かぜなくもそらさわがしきたけのはる出席をとるできの悪いクラスのように手前は静かだが遠くはざわざわと騒がしい手入れの行き届いた竹林の竹はあまり太くならないと聞く放ったらかしの竹林は生存競争に勝ち残ったものがさらに太くなるらしいここの竹園は竹の一本一本に番号が打ってあっておもしろいそうやって見るとひとつひとつにそれぞれ異なる顔があるようで親近感が湧く教壇の上から出席をとる学校の先生になったような気分だおいこら!そこの天空の席 うるさいぞっ!
2016.10.31
スプーンにて熟柿を掬ふ母なりき スプーンにてじゅくしをすくうははなりき柿畑葉が落ちて柿の色に染まる枝近づくと数羽のカラスが飛び立つ食いかけの熟し柿を残してカラスもよく知っている一番熟れている柿を狙う義母は歯が弱い柿ももうスプーンでないと食べられないメロンを食べるように熟柿を掬いながら食べる丸かじりする孫たちを横目で見て笑っているそれでも昔から柿好きの義母のことスプーンででも食べられる幸せがその笑顔に映っている柿のうまさを知っているのはカラスだけではない
2016.10.27
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