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「無駄な時間というものはありません リラックスしている時、 ベッドで微睡んでいる時。。 友人と談笑している時。。 宝の鍵が見つかるものです。」リラックスしているからこそ、 普段は気付かないことに気付くことができる。。。 普段は目に入ってこないものが見える。。。 直感や勘が冴える。。。 心が開放的にになって小さなことが気にならなくなる。。。 心が自由気まま、自然体になる。。。ということがあると思うのです。リラックスしていることによって、普段感じることができない感覚を経験させて頂くことができるのであれば、それは無駄な時間ではなく、むしろ、有意義な時間だと思うのです。うとうとしたり、仮眠して微睡んでいると、ほんの僅かな時間でもあるにもかかわらず、 夢を観させて頂いたり。。。 瞑想状態になってヴィジョンを見せて頂いたり。。。 肉体的な疲れが取れたり。。。 目が覚めてスッキリしたり。。。ということがあると思うのです。微睡んでいることによって、夢やヴィジョンを通じて、何らかのメッセージを頂いたり、心身の疲れが取れるのであれば、それは無駄な時間ではなく、むしろ、有意義な時間だと思うのです。友人との語り合いが盛り上がり、談笑していると、 その会話の中から何らかのヒントを得たり。。。 友人の言葉の中にハッとするようなチャンスを見出したり。。。 落ち込んでいた気分が晴れ晴れとしたり。。。 昔話の中に新鮮さを感じたり。。。ということがあると思うのです。友人と談笑することによって、ヒントやチャンスを得たり、見出したり、心が晴れて、元気になり、新鮮な気持ちで前向き、肯定的、積極的になることができるのであれば、それは無駄な時間ではなく、むしろ、有意義な時間だと思うのです。目的を持って、計画的に時間を過ごさせて頂くこともとても大切なことだと思うのですが、何の目的も持たず、何の計画も無く、ただ無駄な時間を過ごしているような時こそ、むしろ私たちは自然体で、本当の自分を取り戻し、自由に時間を過ごしているのだと思うのです。自然体で、自分らしく、自由に時間を過ごさせて頂く。。。それは、ありのままの自分でいることができる時間だと思うのです。それ故に、それが無駄な時間であることはないと思うのです。むしろ、心身の調整をさせて頂く為に必要な、有意義な時間なのだと思うのです。-------- 私たちは、生まれ変わることは出来ても、 (生まれ変わる機会を与えくことはあっても)その日、その時に与えて頂いた境遇は、決してやり直させて頂くことはできない、ということを考えると、与えて頂いた境遇の一つ一つに、無駄なことや無意味なことはないと思うのです。無駄なことはない、意味のないことはない、ということは、与えて頂いている様々な境遇は、その全てが必然的で必要なものなのだと思うのです。必要に基づいて必然的に与えて頂いている境遇について、無駄、無意味、と見たり捉えたり、感じてしまうのは、その必然として与えて頂いた境遇の中に隠されている、有益なことやお役立ち情報を見出せない自分や意味を見出せない自分がいるからだと思うのです。或いは、私たちの気のゆるみや油断や傲慢さが生み出す「心の隙間(蟻の一穴)」が貴重な境遇を、無駄や無意味に見せているのだと思うのです。自分に与えて頂いた境遇を無駄、無意味とすることは、裏を返させて頂くと、自分で自分の人生を無駄、無意味にしているだけなのだと思うのです。自分の人生の一齣一齣には、何らの無駄はなく、意味のないことは何もないと思うのです。与えて頂いた境遇の中に意味や意義を見いだせなかったとしても、何も「無い」ところに道路や家という「有」が築かれるのと同じように、 自分が無駄、無意味と感じている境遇について、自ら意味を持たせたり、自ら有意義なものにすることはできると思うのです。仮に、意味や意義の持たせ方に誤りがあったとしても、それは幾らでも、変えることができると思うのです。大切なことは、与えて頂いている必然の境遇に無駄なことはない、意味のないことはない、ということや、その境遇がその時の自分にとって、どんな意味や意義があるのかを知ろう、理解しようと努めさせて頂くことだと思うのです。自分の人生に与えて頂いている様々な境遇には、無駄や無意味なことは何一つなく、全てに意味がある、というものごとの見方や捉え方で生かさせて頂き、与えて頂いている境遇が自分にとって、都合の良いものであろうとなかろうと、その全てについて「ありがとうございます♪」という感謝の心で受け留めさせて頂くことが大切だと思うのです。時に、この世的な見方(自分勝手な自分基準による自己中心的な見方)では、一見、無駄、無意味に見えたり、感じてしまうようなことも、長い目で見れば、とても大切で意味のあることだったり、とても有益なことだったりすることがあると思うのです。「あれは無駄じゃなかった」「あの時分からなかった意味が、ようやく今分かった」「あの時の〇〇がなければ、今の〇〇はなかった」などのようなことがあるように、その時に無駄、無意味に見えたり感じたことさえも、後々、意味のあることや有益なことに変わることもあると思うのです。本来は、何ごとも当初から意味があり、有益な境遇であることに変わりはないと思うのですが、それを無駄、無意味としてしまったのは、当時の自分がその境遇の真意を読み取ったり、理解をしていなかった。。。はたまた、読み取ったり、理解することができなかった。。。ということなのだと思うのです。そのようなことがあるからこそ、自分に与えて頂いている様々な境遇を、安易に、無駄なこと、無意味なこと、と決め付けて、その境遇を自ら無駄、無意味にしてしまうのではなく、それがどのような境遇であったとしても、 「これが今の自分に必要な境遇なんだ♪有り難うございます♪」という感謝の心を持って、有り難く受け留めさせて頂きながら、その境遇に込められた天のお心に触れさせて頂くことが出来るよう、その境遇の真意を、少しでも読み取り、少しでも理解を深めさせて頂くことができるように努めさせて頂くことが大切だと思うのです。「これが今の自分に必要な境遇なんだ♪ 有り難うございます♪」自分に与えて頂いている境遇を、素直に受け留めさせて頂くことが出来るようになることによって、自分に与えて頂いている様々な境遇について、無駄・無意味と見たり、捉えたり、感じたりすることがなくなると思うのです。自分勝手な自分基準によるものごとの見方や捉え方で、自分の人生のワンシーンを自ら無駄、無意味としていた自分から、自分の人生の全てのシーンには意味があり、無駄なことは一切ない、というものごとの見方や捉え方ができる自分に変わることによって、本来歩ませて頂くべき人生を歩ませて頂くことができるようになるだけでなく、魂の修正や成長が促されることにも大きく繋がるのだと思うのです。--------日々私たちに与えて頂いている様々な境遇に、無駄なことは何一つないものだと思うのですが、そこに意味を見出させて頂くことができないが故に、不平不満、愚痴、嫉妬、怒りなどを生み出して過ごしてしまっては、折角の自分の人生の一部を、それこそ無駄にしてしまっていると思うのです。反対に、その日に与えて頂いた境遇の意が分からず、無駄に過ごしているように感じても、笑顔で過ごさせて頂くことによって、自分は前向きに、肯定的に、積極的に過ごさせて頂くことができ、自分が笑っていることで、人様にも笑顔を齎すことができたら、とってもとっても幸せな気分になると思うのです。その幸せな気分を味わえるだけで、無駄なことなど何もなくなり、むしろ、とっても有意義で、魂が喜ぶ過ごし方をしているということだと思うのです。それこそ意味のある生き方だと思うのです。源光「無駄なものは何もなく、全ては必要なものです。 地上は、混沌としたものの中から、 真実の宝を見つけ出す修行の場なのです。」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201310220000/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201310230000/「人生を見つけるために、 人は、それぞれのメニューに沿って 人生の半分を浪費しなければならないのです。 回り道のようでも、無駄なことは何一つありません。。 一風変わった人生のようでも、 普通の人から見たら変なようでもそうでもないのです。。 」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407240000/「あなたの人生のすべての出来事には意味があり、 生きていくこととは、その意味を理解することです。 理解が及ばないと不本意な人生に。。 理解が及べば潤沢で楽しい人生となっていくのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408290000/「人生で遭遇するすべての出来事には意味があるのです。 生きていくこととは、その意味を理解することに他なりません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407010000/「意味もなく生まれてきた人はいないのです。 自分自身の、そして他の人々の人生に意味を見いだしましょう。 あなたの人生はあなたのもの。。(一部抜粋)」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312310000/ 「人は誰でも、一人になれた時、自分をとりもどせるのです。 これは孤独とは違う感覚です。 人は皆、一歩家を出ると仮面を被って生きているものです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201410230000/「プライベートの時間、大切にしていますか? 自分の世界があると、人は安らぎ、 明日の活力が充電されるのです。」(ラクシュミーさん)「時には、一人で好きなことをして、自由に過ごすことですよ。 人は一人になった時に真実の自分を取り戻せるのです。 自分との会話を楽しんでください。」(ラクシュミーさん)「人がいない風景。。。 たまには、一人の時間を楽しんでください。 人間関係は意外に疲れます。。。 ペットと会話するのもいいものです。 昔から人は自然とペットに癒されて パワー充電してきた生き物なのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201506150000/「余暇時間をどう過ごすかで、その人の人生は、違う展開を見せます。 後で気付くと、余暇時間の学習が宝の鍵だった人は多いものです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201406270000/「人生の目的は完璧を求めることにあらずして、 質の向上に努めることにある。 汝が自由に使える時間を、何に使うか。 これが汝の未来を描いていく。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201109080000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.01.31
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「大きな力はゆっくり動くのです。 楽しみに待っていてください。」自分のすべきことを懸命にさせて頂き、自分に出来ることを努力させて頂くことを、地道にコツコツと繰り返させて頂いていても、その時にすべきことやできること、自分にできることには限界があったり、行き詰まりがあったりすると思うのです。そのようなときに、 「もう自分ではどうにもならない」 「何をやっても上手くいかない」 「自分にできることはもうない」などとして、その時に遭遇している自分の境遇に対して自暴自棄になったり、不平不満、愚痴を言ったり、怒りを生み出したり、幸せそうな人様に嫉妬するなどして、ものごとを後向き、否定的、消極的、悲観的に見てしまうことがあると思うのです。後向き、否定的、消極的、悲観的なものごとの見方をしてしまうと、まだ見ぬ自分の未来を、自らの思考と想像によって、今、遭遇している自分の境遇と同じようにさせてしまいかねないと思うのです。そのようなことを私たちは望んでいないと思うのです。本当は、今、遭遇している自分の境遇から抜け出し、前向き、肯定的、積極的、楽観的なものごとの見方で、明るく、元気に、笑顔で、楽しく生かさせて頂いている自分を想像したり、そういう自分でありたい。。。そういう自分になりたい。。。と思っていると思うのです。止まない雨はない。。。苦あれば楽あり。。。朝の来ない夜はない。。。春の来ない冬はない。。。今、遭遇している境遇が、自分にとって苦難であるのならば、その苦難の雨は何れ止み、楽になり、朝を迎え、春を迎える、ということだと思うのです。それならば、同じ 「もう自分ではどうにもならない」 「何をやっても上手くいかない」 「自分にできることはもうない」という状況であったとしても、 「もう少し頑張ってみよう! やるべきこと、できることをしていれば、 いつの間にか、事態が好転して、 上手くいってるんだろうなぁ♪」という純粋な気持ちで奇跡を願い、奇跡を信じながら、今の自分の運命をありのままに受け入れさせて頂いていれば良いと思うのです。 (諦めることで自暴自棄になったり、思い悩んだりして、 自分を傷つけるくらいなら、奇跡を願い、信じていた方が 心身にとっても健全だと思うのです。)そこまでさせて頂いたら、あとは「天にお任せ♪」で良いと思うのです。「天にお任せ♪」させて頂いたら、あとは事態が好転したり、転機を迎えるその時を楽しみに待たせて頂いていれば良いと思うのです。何れ好転することや転機を迎えることが分かっているのであれば、その日、その時を待たせて頂くことは、とても楽しみになると思うのです。とても楽しみになるとはいえ、ただ楽しみにしているだけでは、事態は好転せず、転機を迎えることも無いと思うのです。同じ楽しみにして待たせて頂くにしても、前向き、肯定的、積極的、楽観的なものごとの見方で、明るく、元気に、笑顔で、楽しく、今まで通りに、 「その時の自分がすべきことをさせて頂く」 「その時の自分にできることをさせて頂く」はたまた、自分のすべきことを新たに見つけようと努める、自分のできることを新たに見つけようと努める、という地道な行いの積み重ねを繰り返させて頂くことが大切なのだと思うのです。そのような誠実、真面目な姿勢で明るく、元気に、笑顔で生かさせて頂いていると、日々の様々な境遇の中に隠されている事態を好転させる為のヒントに気付かせて頂いたり、転機をお迎えさせて頂く為の準備が整うようになるのだと思うのです。天のお立場からすると、地上で修業をさせて頂いている私たちが、長く続く苦難や試練をお迎えした時に、私たちがどういう心のあり方で過ごすのか。。。私たちの心の本質を見ていらっしゃると思うのです。長く続く苦難や試練に耐えきれず、後向き、否定的、消極的、悲観的、感情的になって、不平不満、愚痴を言い、怒りを露わにしてしまうのは、修行が必要な私たちにとっては極自然の反応だと思うのです。しかしながら、それが極自然な反応であるということは、魂の修正や成長をしていない。。。ということでもあると思うのです。そのような中、苦難や試練が長く続いても、 「いつかきっと良くなる♪」 「この境遇は、自分の魂の修行の為に与えて頂いている 苦難や試練なんだよなぁ~♪ 辛く苦しいけど、感謝させて頂くべきことなんだよな~♪ ありがとうございます♪」などと、前向き、肯定的、積極的、楽観的なものごとの見方で、平常心を保ち、忍耐強く、苦難や試練と向き合うことができるのは、魂の修正や成長が進んでいる証なのだと思うのです。そのような私たちの良好な変化が、一時期的なものではなく、本質的なところから改善された変化であると天がお認め下さると、事態がどんどん好転したり、新たな転機をお迎えさせて頂くようになるのだと思うのです。つまり、私たちが「待たせて頂いている」時間は、私たちの魂の変化が、良好なものであるか否か。。。もし、良好な変化であるのであれば、それは一時期的な見せかけだけのものか。。。それとも、本質的に改善された光り輝く変化なのか。。。を、天が見極めて下さっている時間でもあるのだと思うのです。ということは、私たちが「待たせて頂いている」時間は、苦難や試練が長く続くと、不平不満、愚痴を言い、後向き、否定的、消極的、悲観的、感情的になり、 「どうして自分だけがこんな目に合うんだ!」 「自分さえ良ければそれで良い!」という利己心に生きてしまいがちな自分を改善させて頂く為の時間。。。裏を変えさせて頂くと、、いつ何時も良心に従い、平常心を保ち、人様を思い遣る心である利他心を持ち、前向き、肯定的、積極的、楽観的なものごとの見方で生かさせて頂くことができる強い心、逞しい心、勇ましい心、大きい心、豊かな心、優しい心、温かい心、愛の心を育ませて頂く為。。。自分自身に克つ為に必要な時間。。。なのだと思うのです。待つ。。。同じ「待つ」でも「待たせて頂く」ときの心のあり方や言動、プロセスがとても大切なのだと思うのです。地上の私たちの心のあり方を見ている天が、 「すべきこと、出来ることをしながら、 楽しみにして待っている」私たちの様子を見たら、 「準備が整ったら、直ぐに喜ばせてあげよう。。。」とお思い下さると思うのです。反対に、自分の思い通りにならないからということで、すべきことをせず、出来ることもせず、不平、不満、愚痴、怒りを生み出してはいるものの、自分の願望ばかりを要求する私たちの様子を見たら、 「残念ながら、まだまだ準備が整っていないようだ。。。 そういう心のあり方、言動、感情、 足るを知らない欲望を好む存在に心を支配され、 自分を見失わないように注意しなければ、 大変なことになります。。。」とお思いになられると思うのです。天のお立場からすると、私たちが望むものや願うものを私たちに授けて下さることは、決して難しいことではないと思うのです。それにもかかわらず、私たちが望むものや願うものを、そう簡単に授けて下さらないのには理由があるのだと思うのです。私たちが望んだり願ったりするものを、私たちが人としてあるべき正しい心で正しく活かさせて頂くことができるような心のレベルになっていなかったり。。。 (授けて頂いても宝の持ち腐れ。。。)授けることは容易でも、私たちがその活かし方を誤ってしまうことで、私たちが自ら心のレベルを下げてしまいかねなかったり。。。望むこと、願うことにばかり意識が向いてしまい、自ら望み、願っていることを実現させる為の探究や努力を怠ったり。。。(他力本願)望み、願ったことが叶わないと、日頃から自分の周りにある沢山の恵まれていることを忘れ、直ぐに心が急いてしまい、不平、不満、不安、不自由を覚え、愚痴、怒りなどをもって自暴自棄になったり、望みや願いが叶わない理由を自分以外の他のせいにするという被害妄想で他者を傷つけたり。。。 (天からすれば、そういう心の状態だからこそ 授けることができないのだと思うのです。 今を生かさせて頂いている自分は、実は既に恵まれ、 足りていることが沢山あることを知り、 それを授けて頂いていることに 心から感謝させて頂くことが大切だと思うのです。)望んだり願ったものを一度に授けて頂くことで、それまでの生活から一変してしまい、増長したり、傲慢になったり、授けて頂いたものを持て余してしまったり、それらに翻弄されて自分を見失ってしまったり。。。また、私たちが望み、願うものが、必ずしも私たちにとって必要なものとも限らないと思うのです。 (かえって私たちにとって害になることを望み、願っている、 ということも多々あると思うのです。)それ故に、天は全てを一度に授けるということをせず、私たちの心の成長度合いや、その時のその人の心のあり方、心の美しさに適したものや、その時のその人が正しく活かさせて頂くことができるであろうものを良く見極めた上で、その時の私たちにとって必要なものやヒントになるものを少しづつ少しづつ授けて下さっているのだと思うのです。全てを手に入れることはできても少しづつ。。。私たちを想って下さる天のご配慮に他ならないのだと思うのです。全ては授かりものだと思うのです。しかも、その時の自分に必要なものを、偶然を装った必然で授けて下さっていることを考えれば、私たちが自ら何かを望み、願うという要求をする必要はないのだと思うのです。そうすれば、焦ることも心が急くことも無いと思うのです。 (焦りは禁物。。。急いては事を仕損じる。。。 焦ったり、心が急いているときは、 本来の自分の状態ではないと思うのです。 本来の自分の状態ではないからこそ、 正しい選択や判断、決意をすることができず、 失敗したり、過ちを犯したりするのだと思うのです。 だからこそ、焦っているときや心が急いているときは、 深呼吸などをして、本来の自分や平常心を取り戻させて 頂くことがとても大切だと思うのです。)私たちがさせて頂くべきことは、期待して楽しみに待たせて頂きつつも、期待し過ぎず、期待から要求に変わらないように、何が起こっても、その時の自分に「できること」や「すべきこと」を、明るく、元気に、良心に従って、誠実に、真面目に、コツコツと地道に繰り返させて頂く努力を、笑顔で楽しみながら積み重ねさせて頂く、という「今を生きる」姿勢で生かさせて頂くことだと思うのです。源光「どんな事にもタイミングがあります。 あせらず、その時を待ちましょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201504210000/「あなたは、すべてを手に入れられます。 ただ、それは少しずつ。。。 焦らないことです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201410160000/「悪いことは速攻で襲ってきますが、 良いことはゆっくり訪れるのです。 あせらずに、あきらめずに、 コツコツと続け、待ちましょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312200001/「ことが成るには、時を待たねばなりません。 焦らず騒がず、時を待つことです。 準備万端怠りなく。。半分の法則ですよ。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201504180000/「待つ。。。ひたすら待つ。。。大切なことです。 農作物、人生。。。 育てることが上手な人は待つことが上手です。 待っていることに喜びや楽しみが感じられれば 今を充実して生きられるのです。 経済的苦難も、鬱も、病気も、慟哭も、トラブルも 事態の好転をひたすら待つ。。。 待つことが喜びであり楽しみ。。。 もはや好転したも同じです。 天はそのような人にご褒美を降ろします。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201511010000/ 「汝、天は準備のできていない人を助けないことを知り、 日々精進して偶然を必然とせよ。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201112050000/「汝は、毎日欠かさず、 ◯◯さんのおかげで幸せです。有難うございます。 と唱えよ。 決して◯◯をして欲しいと注文をしてはいけない。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201109180000/「自分の持ち場で、自分のやるべきことを、 やるべき時に、キッチリとやっていたら 運は逃げないのです。 それをやらないから運やツキが逃げるわけです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201503040000/「きちんと自分を制御して生きること。 大切なことです。 ついつい楽な方向に流れていく。。 それが、現状から這い上がれない元凶です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201510210000/ 「物事には順番というものがありますから 割愛しないでください。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201510020000/ 【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.01.30
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「死とともに全ては無となるのですが 残るものがあります。 それは心。。。 邪悪な心で生きた人は、 暗く寂しく辛く哀しい殺伐とした世界に住むことになります。 心の美しさ。。。 磨いていますか? 死と生はコインの裏表。。。 今世の生き方次第で帰る場所が決まります。」不完全な私たちが地上に生まれる機会を与えて頂いているのは、輪廻転生を繰り返しながら自ら育んできた特技や能力を、何が正しいかその全てを知っている良心に従って、人様のお役に立つことや、人様にお喜び頂けることに役立てることを通じて、魂の修正や成長を図らせて頂くことにあると思うのです。地上における長いようで短い修業期間である人生を、良心に従って生かさせて頂きながらも、自らを律し、反省を反復して心を磨かせて頂いて、心美しく生かさせて頂くことに努め、継続させて頂けば、修正すべき点が修正され、更には心が磨かれることで、生まれてくる前よりも魂のレベルが向上した状態で、天に帰還させて頂くことができるようになると思うのです。その帰還先は、今生、地上に生まれてくる前に存在していた魂の世界よりも、今生修行させて頂いた結果の磨かれた自分の魂に相応しい、美しく、凛とした、華々しい高位の魂の世界になるのだと思うのです。その逆も然りだと思うのです。魂の修正や成長をさせて頂くことを目的として地上という修業の場に生まれる機会を与えて頂いているにもかかわらず、その目的を忘れて、私たちの心を試す様々な境遇に、自ら生み出した欲や感情が同調してしまい、 良心に背いた言動をする。。。 人様の嫌がることをする。。。 人様の心身を傷つける。。。 特技や能力を奸知で悪用する。。。 自分さえ良ければそれで良い、という利己心に生きる。。。 不平、不満、愚痴、怒りなどの感情に左右される。。。 自分と他者を比較しては勝手に嫉妬する。。。 足るを知らない飽くなき強欲を追求する。。。などなど、邪悪な心で生きてしまうことがあると思うのです。天からすれば、 「魂の修行の為に地上に生まれているとはいえ、 その本来の目的を忘れて、否、 分かっているにもかかわらず、良心に背いて、 その修行の場で邪悪な心で生きるのは、 邪悪なことが好きだからこそ。。。 地上において邪悪なことが好きなのであれば、 死した後の魂の居場所も邪悪な世界になるだけのこと。。。 それもこれも、修行の場である地上で自ら選択した結果。。。 地上において、自由をはき違えて好き勝手に生きた代償は、 不自由な世界が魂の居場所になる。。。それが責任となる。。。 全ては因果応報。」という感じだと思うのです。死後の魂の居場所は、今生、地上に生まれてくる前に存在していた魂の世界よりも、今生、邪悪な心に生き、その邪悪な心から生み出した言動によって、積みに積んだ業を背負っている自分の魂に相応しい、暗く、寂しく、辛く、哀しい殺伐とした世界になるのだと思うのです。せっかく魂の修正や成長をさせて頂くことができるよう、地上という修業の場に生まれる機会を与えて頂いているにもかかわらず、そのような結果となってしまっては、魂としては不本意だと思うのです。地上において死をお迎えして、生き通しの魂に戻ってから後悔しても、時既に遅しだと思うのです。。。死してから後悔することのないように、地上で修業をさせて頂いている間は、私たちが地上に生まれる際に授かった、 「地上において、間違った道を歩まないよう。。。 そして、正しく修行ができるように。。。」という天の思いの込められた 「何が正しいかその全てを知っている良心」に従って生かさせて頂きたいものですね。-------- 地上における「死」。。。「死」をお迎えしたから全てが終わり。。。ということではないと思うのです。何かの「終わり」は、何かの「始まり」でもあるのと同じように、「死」という地上における人生の終わりは、今生という新たな人生経験をさせて頂いた自分の魂の天(心の故郷)への帰還であり、次なる輪廻転生への「始まり」だと思うのです。「死」をお迎えして終わるのは、今生という人生を自分の魂と共に過ごしてくれた「肉体」や「地上という修行の場」での修業が終わるだけで、自分の魂は、新たな「始まり」に向けて存在し続けることを忘れてはならないと思うのです。魂は永遠であり、生き通しの命。。。私たちの本質は、魂だと思うのです。魂があるからこそ、地上という修行の場で「自分」という意識と肉体という生命をもって、人生を過ごさせて頂くことができるのだと思うのです。そして、生まれ変わる度に培わせて頂いている自分の能力や特技などの様々な糧を、今生に活かさせて頂くことができ、更に様々な経験を積ませて頂きながら、魂の修正や成長をさせて頂く機会を与えて頂いている、ということでもあると思うのです。裏を返させて頂くと、生き通しの命である魂が存在しないということは、「自分」という意識もなければ、肉体という生命をもって、地上という修行の場で生かさせて頂くこともできない。。。様々な経験を積ませて頂くこともできない。。。特技や能力、心を磨くこともできない。。。ということになってしまうと思うのです。しかしながら、そのようにならないのが、私たちの本質である生き通しの命。。。「生き通し」の字の如く、永遠に存在し続け、生き続ける。。。修行の場である地上において、生命の本体である肉体が死しても、魂は、肉体という乗り物を捨てるだけで、存在し続け、生き続ける。。。それが私たちの魂なのだと思うのです。それにもかかわらず、修行の場である地上で生かさせて頂いている私たちは、生き通しの命である「魂」が、私たちの本質であることを忘れ、 「死んでしまえばそれで終わり。 自分はいなくなる。。。 記憶もなくなる。。。 だから、人のことなんか考えずに、 自分の好き放題、やりたい放題に、 楽しく生きた方がいい。 それじゃなきゃ損をする。」などと仰られる方もいますが、死んでも終わらないことに気付くのが、死んだ後では「後の祭り」で、後悔してもしきれないと思うのです。 「死ねば終わり。。。 だから好き勝手に生きなければ損だ。。。」自分一人で生かさせて頂いているわけではないにもかかわらず、否、むしろ、色々な人様のお世話になり、自分を取り巻く多くの人様のお陰様で生かさせて頂いているにもかかわらず、こういう「自分さえ良ければそれで良い」という我儘で自分勝手、利己的な心のあり方や生き方をしているからこそ、自分で自分を貶め、深い業を積んでしまうのだと思うのです。「死ねば終わり。。。」確かに何かが終わると思うのです。それは、「人生」という、 「魂の修正や成長をさせて頂く為の とても貴重な修行の機会が終わる」ということだと思うのです。 (見方を変えさせて頂くと、この世の死後は、 この世の人生を終えた時の魂のレベルがずっと続く。。。 ということでもあると思うのです。 深い業を積んだ状態で死を迎えれば、 生き通しの命である「魂」は、深い業を積んだまま、 存在し続ける。。。生き続ける。。。 ということになるのだと思うのです。 そして、輪廻転生の機会を与えて頂き、 来世があるとすれば、その深い業を積んだままの 厳しい人生のスタートを迎えるのだと思うのです。)魂の修正や成長をさせて頂く為の修行は、この世という修行の場でしかできないことを考えれば、利己心や欲に翻弄されて、やりたい放題、好き放題をしていては、天に帰還してから(又は、天に帰還することができずに)、大後悔してしまうと思うのです。大後悔することのないようにする為には、地上という修行の場に生まれる時に天から授かった「何が正しいかその全てを知っている良心」に素直に従って、過去生から培ってきた自分の特技や能力を、人様のお役に立つことや、人様にお喜び頂けることに、正しく活かさせて頂きながら、生かさせて頂くことが大事になるのだと思うのです。そういう心のあり方、生き方こそ、自分の魂の喜び生き方なのだと思うのです。この世での生を終えて、天に帰還した時に 「良い人生だったなぁ♪」と感じることができるようになる為には、それこそ 「良心の声に従い放題♪」 「天が地上の私たちに無償の愛を 与え続けて下さるのと同じように生き放題♪」 「人様のお役に立つことをし放題♪」 「人様にお喜び頂けることをやりたい放題♪」 「人様を思い遣る心、利他心で生き放題♪」の姿勢で生かさせて頂けば良いのだと思うのです。そういう生き方をさせて頂くことによって、生き通しの命である「魂」の修正や成長をさせて頂くことができ、その時の自分の心のあり方、魂のあり方に相応しい魂の世界に帰還させて頂けるのだと思うのです。従前よりも、少しでも美しく、凛とした、華々しい世界に帰還させて頂くことができるよう、良心に従って、心を磨かせて頂きたいものですね。源光「本当は、生き通しの命以外に、 富などは存在しないのです。 死ねば終わり。。 好き勝手に生きなければ損だ。。 この考えがもっとも自分を卑しめる考え方です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201502250000/「人は、いつか必ず死ぬのです。 死を恐れるからこそ、 人は生きているということを実感することができるわけです。 死ねば終わり。。。だから生きている間はやりたい放題でいい。。。 これが大間違いですよ。 業はしっかりと次の生で償うことになっているのです。。。 誰も見ていないからこそ、 良心に従って今を明るく人を喜ばせて 生きなければなりません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201509210000/ 「人間は、修行のために異郷に生まれて来たのです。 生きることは心の故郷を異郷に実現させること。 愛の心で生きること。。 いつの日か心の故郷に、果たすべきことを果たして、 喜びを胸に還ることです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408120000/「死なないで地上で、生きられる人は皆無です。 人は、地上に命がある時だけ諸々の善行を なすことができるのですから、せっかくの機会を 大いに活かして、帰還されますように。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201211090000/「生まれ変わるのは、地上に生ある時です。 還って来てからでは遅いのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201209260000/「汝は、死について考えねばならぬ。 そしてそこから死ではなく、 生について熟慮をはじめることだ。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201201120000/「汝、死がなければ、生を重んじることができず、 生がなければ道を見つけ出すことができないことを知ることだ。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201112250000/「人間という舟を得たら、それで苦悩の大河を渡れ。 愚か者よ、惰眠を貪るな、この舟は、再び得がたい。」(ビシュヌさんの分霊さん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201201290000/「人は生き通し。。。決して死なない存在です。 誰も見ていなくても心正しく良心に恥じない自分でありましょう。 因果応報の法則は紛れも無い事実なのですから。。。(一部抜粋)」(ラクシュミーさん)「人は生き通しなのです。。。 肉体は船。。。心が船頭さん。。。 船は乗り捨てて。。。心の旅は永遠に続くのです。 良縁は良縁として。。。悪縁は悪縁として次の船に引き継がれるのです。 今を良心に従って正しく明るく生きることですよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201507210000/「これを人に与えれば、私は何も食べられない。 このように考える者は、利己で餓鬼に生まれる。 これを私が食べれば、人に何も与えられない。 このように考える者は、利他で神々に生まれる。」(ビシュヌさんの分霊さん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201201310000/ 「こちらでは、地上で有名だった人も、無名の人も、お友だちです。 心のみの世界ですから、自分が住みやすい場所に還るだけのことです。 でも、暗く寂しい場所に行きたいとなぜ想うのでしょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201210110000/「大切なのは心構えです。心的態度です。 天は、心でどう思ったか、どう考えたかを観ていますから、 偽善や形だけの善行は、ほとんど評価しないのです。 心的態度。。 これが、その人の才能や努力、知識以上に重要な要素です。 心を磨く。。 これが全てに優先するのです。。 幸運の鍵。。 いつでも渡す準備はできています。 あなたの心、純粋な心に期待して、待っています。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401050000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.01.29
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「愛する人のために 食事の支度をしている女性の姿ほど、 美しいものはないのです。 男性はさりげない日常に、 もっと感謝をしなければなりません。 幸せは愛する人との生活の中にあるのです。。 」日々「当たり前」のように食事の支度をして頂いていると、「当たり前」であることに慣れてしまい、その有難みを忘れてしまうことが多いと思うのです。「当たり前」のことが「当たり前」でなくなったときに、 「もっともっと【有り難う】と言っておけば良かった。。。」 「色々手伝っておけば良かった。。。」 「作ってもらうばかりじゃなくて、作って上げれば良かった。。。」などと後悔しながら、その有難みに感謝させて頂いても、時既に遅し。。。ということにならないように、「当たり前」のことは決して「当たり前」ではないことを理解して、愛する家族の為に日々、食事の支度をしてくれている妻(又は家族)に日頃から心を込めて感謝させて頂きたいものですね。「心の中では感謝している」と仰られる方もいるものですが、その感謝の気持ちや想いは、相手に言葉で伝えなければ伝わらない、ということも多々あると思うのです。だからこそ、 「いつも美味しい料理作ってくれて有り難う♪」 「何か手伝えることある?」 「今日は俺が作ってみるよ♪ 何が食べたい?」 「洗い物は俺がやるよ♪」くらいの思い遣りと優しい言葉をもって、感謝の気持ちが相手に伝わるようにさせて頂くことが大切だと思うのです。思い遣りのある優しい言葉や感謝の言葉を掛けられた側は、その気持ちや言葉に喜びを感じつつも、結局のところ、家族の喜ぶ顔、美味しそうに食べる顔見たさに、 「もっともっと美味しいものを作って上げよう♬」 「今度は何が食べたい? 作って上げるよ♬」 「〇〇が食べたいって言ってたなぁ~。。。 最近、疲れた顔してるから奮発して作って上げよう♬」などと愛する家族のことばかり考えてくれているものだと思うのです。それくらいに愛する家族のことを思いながら日々「当たり前」のように家族の為の食事の支度をしてくれる妻であり母だからこそ、「当たり前」に甘んじることなく、「当たり前」のように感謝の気持ち、感謝の言葉を伝えさせて頂きたいものですね。社会の最小単位である家庭。。。一人一人の家族の心の豊かさ、ゆとりが育まれるよう、そして、一人一人の良好な「心の状態」や良好な「心のあり方」を育み、その良好さを保つことができるよう、お互い様の心、相手を思い遣る心をもって、助け合い、分け合い、支え合い、協力し合い、愛し合いながら、明るく、元気に、笑顔で生かさせて頂きたいものですね。源光「仕事に注ぐだけの情熱をなぜ家庭に注げないのでしょう。 家庭に注ぐだけの愛をなぜ社会に注げないのでしょう。 これができれば真実の幸せが手に入るのです。」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201405070000/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201405070001/「「愛」を目に見える形に表現すれば全てうまくいくのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201403140000/「あなたの奥様(旦那様)は、やさしくされることを望んでいるのではありません。 やさしい心で理解されることを望んでいるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201403200000/「夫婦、親子の礼儀は忘れがちですが、 幸せな家庭は心愛(しんあい)の礼儀が保たれているものです。 互いを思いやることを忘れてはなりません。(一部抜粋)」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312030005/「互いを思いやって、家族の絆を深めていきましょう。 幸せの基本は家族の笑顔にあるのですから、 誠実、勤勉そして素直でありましょう。 こういう生活を続けていけば、 世の中から信用という宝物が、 プレゼントされて幸せになっていきます。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201305140000/「幸せとは、よく笑い、楽しむこと。。 それ以外は、おまけのようなものです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312110001/「幸せというものは、一人では決して味わえないのです。 幸せの連鎖。。無償の愛。。心と心を繋いでいきましょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201405090000/「愛することによって失うものは何もないのです。 もっと家族を、そして人を、動物を、植物を、 自然を愛さなければなりません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201404150000/ 「愛するもの、輝くものを持っている人は、 心から幸せを感じて生きています。 物質的高価な物や、名誉や地位や財産、肩書きなど 他人がよいと思うものを持っているから幸せなのではありません。。 あなたは愛するもの、輝くものを持っていますか? まだ手に入れていない人もいますが、 それは、あなたの手の届くところに今もあります。。 そっと手を差し伸べてください。。そして愛おしんでください。。 あなたのために咲いた一輪の花を。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312050004/「素晴らしい明日を迎える人は、今日の一日を 家族とともに笑顔で終えた人です。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201208310000/「本当の幸福は、財産や名声の中ではなく、 家族の語らいと生業の中にあるのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201206230000/「地上の家族は、約束の家族です。 仲良く明るく助け合い、成長していきましょう。。 永遠の家族でありましょう。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201210230000/「汝を愛してくれるものに最高のもてなしをせよ。 それは家族であり、客であり、商品であり、 自然であり、生物である。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201109020000/「汝、 親しさのあまり家族や友人に無遠慮になることなかれ。 天を貶めることなかれ。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201112010000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.01.28
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「親がひたむきに生きる姿。。。 これが立派な子供を育てるのです。。 親が、金持ち、貧乏、 親の、教養学歴の有り無し。。 そのようなものは関係ありません。」平凡で、裕福ではなかったとしても、人様を思い遣る心を持ち、良心に従って心正しく生きている親の後姿を見て育った子は、「心ある人」として、人様を思い遣る心や、良心に従って生かさせて頂くことの大切さを学び、親と同じように、良心に従って生きる道を歩むと思うのです。反対に、この世的な学力や学歴が素晴らしく、地位や名誉や肩書きや財産があり、とってもお利口さんで裕福であったとしても、「自分さえ良ければそれで良い」という、人様を思い遣る心のない自分勝手な姿勢や、自分のやりたいことや欲を満たす為には、良心に背くことさえも辞さない、という親の後姿を見て育った子は、 「親がこうしているんだから、 自分も同じようにしていいんだ。」と受け留めてしまうと思うのです。その結果、人様を思い遣ることもなければ、「これは良くないことだ」と分かっていることさえも、「親もやっているんだからいいだろう」としてしまい、悪事を働いてしまうなど、その親が歩んでいる道と同じ歪んだ心の道を彷徨ってしまうことになると思うのです。子供にとっては、親の後姿や生き様というものは、それくらい大きな影響があるものなのだと思うのです。分別のある親であるか否か。。。それは偏に、親が良心に素直に従った生き方を常としているかどうかだと思うのです。親が「個」として良心に従っているかどうか、だけではなく、良心に従った言葉遣いをし、その言葉に伴う良心に従った行動をする、という、知行合一のぶれることのない生き方、生き様を、日常生活の中で日常的に子供に見せているかどうか、だと思うのです。そして、人としてあるべき正しい心の道をどのようにして歩ませて頂くべきなのかを、親の背中から子供自らが学び、感じて頂くことが大切だと思うのです。それが不言実行であろうと、有言実行であろうと、知行合一の良心に従った親の生き方、生き様を見ている純粋な子供は、その生き方、生き様の根底にある「心」を感じてくれるものなのだと思うのです。口先ばかり立派なことを言って、子供を諭したとしても、 (子供を諭したつもりになっても)その口先から出た立派な言葉と裏腹な行動をしていては、 「言っていることと、やっていることが違う。」と、子供は感じてしまうと思うのですが、小さな子供はそれを伝えようにも上手く表現できないばかりか、親にそれを言うことができないと思うのです。 (言えないような家庭環境を築いているのは親だと思うのです。)例えば、子供に対して 「これは〇〇だからしちゃいけないよ。」と、諭しているにもかかわらず、親(大人)がそれをしてしまっている、ということが、良くあると思うのです。 (「横断歩道は赤信号のときは渡っちゃいけないよ。」 と諭している大人が、「赤信号、皆で渡れば怖くない」 と言わんばかりに当たり前のように渡っている様子を 子供たちは低い視線から見ていると思うのです。)親(大人)が気付いていないだけで、親(大人)の行動をよ~く見ている子供は、親の「言っていること」と「やっていること」が一致しているか否かを、良く気付いていると思うのです。 (「子供がそんなことまで分かるわけがない」 と思っているのは、子供を見下している 親(大人)だけだと思うのです。 しかしその実態は、親の実態を子供に見抜かれている、 ということなのだと思うのです。)それ故に、子供が少し大きくなってくると、 「〇〇はしちゃいけない!って言っただろう!」と親(大人)が子供に叱ったり、注意すると、 「だって、お父さん(お母さん・大人)だってやってるじゃない!」になってしまうのだと思うのです。諭した言葉や内容こそ、良心に従った真実であったとしても、その言葉を発し、説明した本人である親が、それと裏腹な行動をするということは、親自身が「良心に従う」とはどういうことかを知ったつもりになっているだけで、「良心に従う」ことが身についていない、つまり、本当の意味で「良心に従う」とはどいうことかを知らない、ということだと思うのです。子は親の背中を見て育つ、という意で、子は親の鏡、という言葉を良く耳にしますが、良心に従って知行合一された親の背中を見て育った子供は、不言実行であろうと、有言実行であろうと、良心に従った言動をすることの大切さを親の背中から学ぶのだと思うのです。反対に、知行不一致(知行裏腹)な親の背中を見て育った子供は、言葉と行動が一致していない有言不実行という姿勢を親の背中から学ぶことになると思うのです。 (中には、親の知行不一致の生き方や生き様を反面教師として、 知行合一に生きることを選択することもあると思うのです。)子供が心正しく育っていようといまいと、それは子供に責任があるのではなく、子供にそういう背中屋後姿を見せてきた親の生き方、生き様に問題があると思うのです。親は子供に「しつけ」をしているつもりでも、その実態は、良心によるものではなく、親という立場を利用して、親の自分勝手な自分基準によるものごとの見方や捉え方、考え方、感じ方や習慣などを、子供に強制していたり、又は、それらによって子供を支配している、ということがあると思うのです。「人の振り見て我が振り直せ」。。。親とはいえ、不完全な人間であることには変わりはないと思うのです。子供の様子を見て「しつけ」のつもりで何かを注意しようとするときは、「子供の振り見て我が振り思い出せ」で、子供に注意しようとしていることを子供に注意できるほど自分は本当にできているかどうかを、親は自分自身に質してみることが大切だと思うのです。 (子供に注意しようとしている特定の面だけを見て、 自分ができているかどうかを自分に質すのではなく、 子供に注意しようとしている点と関係する様々な点、全般において、 自分ができているかどうかを自分に質すことが大切だと思うのです。)質してみた結果、子供に注意しようとしていることについて、親である自分も至らない点があると感じたのであれば、親という立場を利用して、頭ごなしに注意するのではなく、 「お父さん(お母さん)もまだまだできていないけど、 〇〇をちゃんと〇〇できるように、一緒に気をつけていこうな♪」という感じで、親子一緒に正すべきことを正させて頂けば良いと思うのです。 (親は子を育てているつもりでも、子のお陰様で親が育てて頂いている、 ということは、とってもとっても多いと思うのです。)親が自分の至らない点を素直に認め、それを子供に見せるという「誠実な姿勢」は、「自分に正直に生きる」という人としてあるべき正しい心の道を知行合一で見せることにもなり、親子の絆や信頼関係はより深まると思うのです。親子の絆や信頼関係が深まれば深まるほど、笑顔が溢れ、家族仲良く過させて頂くことができるのだと思うのです。--------子供がどのような世の中においても、 大抵のことは自分で出来るように。。。 出来ないことは人様に素直に頭を下げて教えを乞うように。。。 突然の境遇に出逢っても、客観的に見て、 冷静に、かつ、臨機応変に対処できるように。。。 選択や判断に悩んだときは、良心の声に耳を傾けるように。。。 人様の目を気にせず、自分が正しいと信じる道を歩むように。。。などなど、自分一人でも生きることができるような様々な術が身に付くまで、子供に嫌われようとなんだろうと、何度でも繰り返し教育し、繰り返し躾をし続けることが、親の役目だと思うのです。とはいえ、親が子供にそのような教育や躾をする以上は、子に信頼、信用されるような説得力のある生き方を、親自身がしていなければならないと思うのです。それは、 誠実に生きること。。。 真面目に生きること。。。 努力を惜しまないこと。。。 探究心を忘れないこと。。。 人様を傷つけるような言動をしないこと。。。 人様を裏切ったり騙さないこと。。。 人様を思い遣ること。。。 人様には愛の心で接すること。。。などなど色々なことがあると思うのです。その根本にあるものは、人としてあるべき正しい心である「良心」に恥じることのない生き方を常とすることだと思うのです。その後姿を直接子供に見せることが、子供の心に直接響き、子供の心に深く深く刻まれていくのだと思うのです。良心に従った生き方をしている親を持ち、その後姿を見て育てられている子供にとっては、とても厳しく、辛いこともあると思うのですが、大きくなって社会という世の中に出た時に、厳しく辛い教育や躾がとても役に立ってくると思うのです。その時、子供は、自分の親が自分に嫌われてまで、厳しく辛い教育や躾をしてくれたことに有難みを覚え、親の有り余る愛情に「幸せ」を感じるのだと思うのです。親の素晴らしさは、親の地位や名誉、権力、肩書き、財産などにあるものではないと思うのです。どんなにか地位や名誉、権力、肩書き、財産があっても、 「自分さえ良ければ、自分の家族さえ良ければ、それで良い!!」というような利己心から、人様を犠牲にしたりするなどの、良心に恥じる思いや行いを通じて得たものであれば、その親の後姿は、「良心に恥じる生き方」でしかないと思うのです。 (仮に、子供がその親の後姿を見ていなかったとしても、 「良心に恥じる生き方」をしている親に育てられているが故に、 自ずと「良心に恥じる生き方」が親の生き方であり、 それが正しい生き方と、子供は勘違いしてしまうと思うのです。)いつ何時も、天法の写しである「良心」に従って生かさせて頂くという生き方、生き様こそ、子供の心の財産になり、子供の人としてあるべき正しい心、美しい心を形成するものだと思うのです。源光「言葉をかけて抱きしめることは、 子どもにお金を与えるよりも はるかに大事なのです。」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201412090004/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201412090005/「親の心正しい生活態度が子供の最良のしつけです。 今日も笑顔で一日を送りましょう。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201209290000/「分別のある、平凡な親に育てられれば、 たとえ片親であったとしても子供は立派に教育されます。 分別のない、利口な親に育てられれば、 たとえ両親が揃っていても子供は歪に教育されます。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201403170000/「子供の未来をダメにする確実な方法があります。 それは、いつでも、なんでも手に入れられるようにしてやることです。 子供の未来を輝くものにする確実な方法があります。 たとえ片親であっても親が懸命に生きる姿を見せることです。 生きて生きて生き抜く。。それが人生です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401150000/「人は心の美しさが全てです。 清く貧しい家庭に育った子供は、 裕福な家庭の子供とは違い、 かけがえのない宝物を与えられているのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407290000/「家族が、元気を充電する時間であり、癒される時間。。 会話を楽しむ時間。それは食事の時間です。 何があっても助け合って、明るく、物事が良い方向に進んで行く家族は、 例外なく、食事の時間を楽しんでいる家族です。 うまくいかない家族は、例外なく黙々と食べるだけです。。 あなたは楽しんでいますか?」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312280000/「地上の人は、誰でも、ひび割れを持っています。 子どもたちにも、そしてお父さん、お母さんにも、ひび割れはあります。 子どものひび割れを見つけたとき、親のしてあげられること。 それは、ひび割れを責めることではありません。 ひび割れをふさいであげることでもありません。 ひび割れから水がこぼれ落ちるその場所に、 そっと種を撒いてあげること。。 子どもの心に一本の灯りを燈してあげましょう。。。」 (~ディワリ(ラクシュミー祭)にて~ ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201403050000/「教育の秘訣は、子供を尊敬することにあります。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201208240000/「家族の心と心の繋がりほど美しいものはこの世にありません。 みなさんそのことに気づいて欲しいのです。(一部抜粋)」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201209090000/「夫婦、親子の礼儀は忘れがちですが、 幸せな家庭は心愛(しんあい)の礼儀が保たれているものです。 互いを思いやることを忘れてはなりません。(一部抜粋)」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312030005/「善良な夫は良妻を作り、邪悪な夫は悪妻を作ります。 善良な夫婦には善良な子が育ち、邪悪な夫婦には邪悪な子が育ちます。 邪悪な夫婦より善良な子が育つこともあります。 それは、神の子である証です。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401100002/「この世で一番素晴らしい仕事は、親という仕事です。 子育ては、生涯です。 子供が70歳になっても後姿で子育てをしてください。 親という仕事を立派に成し遂げる人は、 それだけで価値ある美しい人生です。 この世を去っても、子孫を良心に恥じない 立派な人に育てる偉大な魂です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401290000/「部下にも生徒にも子供にも、 批評よりも、あなたの手本が必要なのです。 」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312170006/「良い父は、百人の師に匹敵し、 良い母親は、百人の聖者に匹敵するのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201207210000/「世間や社会に恥ずかしくないように生きるのではなく、 自分に恥ずかしくないように生きていきましょう。 その後姿で子供を、そして部下を教育するのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201303030000/「善良な夫は良妻を作り、 邪悪な夫は悪妻を作ります。 善良な夫婦には善良な子が育ち、 邪悪な夫婦には邪悪な子が育ちます。 邪悪な夫婦より善良な子が育つこともあります。 それは、神の子である証です。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401100002/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.01.27
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「自然が見えること、感じることができる人になりましょう。 食卓がその家庭の健康度を示すのです。 薬物が入っていない安全で多様な豊かな食事が心身の健康の源です。」私たちの身体は、食べさせて頂いたもので作られ、その食べさせて頂いたもので、生きることを維持していると思うのです。ファストフードを主に食べさせて頂けば、身体はファストフードで作られている。。。豪華なお料理を主に食べさせて頂けば、身体は豪華なお料理で作られている。。。質素な粗食を主に食べさせて頂けば、身体は質素な粗食で作られている。。。お菓子を主に食べさせて頂けば、身体はお菓子で作られている。。。添加物だらけのものを主に食べさせて頂けば、あちこちに添加物が蓄積された身体になる。。。身体は自分が食べたものでできている。。。そういうことなのだと思うのです。だからこそ、自分が食べて来たもの、食べているものが、時の経過を経て、身体に表れてくるのだと思うのです。ファストフードや豪華なお料理、お菓子、添加物だらけの食べものばかりを食べてきた結果、肥満になったり、成人病をはじめとする何らかの病になるなど、心身の健康を損なってしまう。。。という因果応報もあれば、反対に、質素な粗食を日常とすることにより、身体や内臓に負担を掛けることが少ないが故に、時が経過しても、身体や内臓が元気で、他の同年代の方よりも若々しく見えたり、肌艶が良く、活き活きとして見える。。。という因果応報も。。。同じ食べ物でも、自然なものと不自然なものがあると思うのです。材料こそは自然のものでも、それを加工する際に、人工的で不自然な添加物を大量に使うこともあれば、材料(お野菜さんや果物さん)を育てる際に、不自然な薬品(農薬等)を大量に使ったり。。。材料(お肉さんになる動物さんやお魚さん)を育てたり、養殖する際に、不自然な添加物塗れの餌を与えたり、早く販売できるよう、成長を促進させる薬品等を投与したり。。。見た目こそは自然のものでも、それが出来るまで、育てられる過程においては、不自然なことばかり。。。私たちが口にし、私たちの身体の元になる食べ物であるにもかかわらず。。。本来は食べ物として食べてはいけないようなものを日頃から食べてしまっている。。。もしくは、そういうものを常食とするよう仕向けられ、そういう悪習慣が構築されているからこそ、それらが 不自然な味がすること。。。 薬品の臭いがすること。。。 口の中にいつまでも味が残ること。。。などに気付けなくなり、更には、 食べると舌が痺れること。。。 食べると発疹が出ること。。。 食べると口内炎になること。。。 食べると目眩がすること。。。 食べると体調が崩れること。。。 食べると下痢になること。。。など、身体が身体に不要なものを排除しようとする自己防御能力をも奪われ、私たちの身体が本来持っている本能的な様々な能力が機能しないようになっている、又は、機能しないようにさせられている。。。それが私たちが口にさせて頂いている「食」の実態の一面だと思うのです。 (細菌類さんでさえ食べないような、食品ではないものを 食品として食べているのが私たち。。。 そして、それに気づくことさえ出来ない私たち。。。 更に、それが私たちの実態であることさえ知らない。。。 それが今の私たちです。) 私自身、そのような食生活をしておりましたが、安全な「食」の大切さを知り、改善させて頂いたところ、 味覚、嗅覚が敏感になる。。。 汗の臭いが変わる。。。 身体が軽くなる。。。 不自然なものを食べると自己防御能力が働く。。。など、私たちの身体が本来持っている本能的な能力が機能しはじめ、味覚や嗅覚だけでなく、視覚や直感面でも、それが自然な食べ物か、不自然な食べ物かを少しづつ見極められるようになりました。「味覚で美味しいものが、 身体に美味しいとは限らない。」と思うのです。「身体に美味しいもの」。。。それは「生あるもの」。。。つまり生命エネルギーに満ちているものなのだと思うのです。生あるものとして生かさせて頂いている私たちは、身体に美味しいものを頂くことが大切なのだと思うのです。味覚で美味しいと「感じてしまう」ものや、視覚や嗅覚で美味しそうと「感じてしまう」ものは、「これが美味しい」の定義的な作られた味覚や嗅覚に慣らされてしまったり、そのような味付けがしてあったり、見た目を不自然な鮮やかさで美しく見せたりするなどによって、「作られた美味しさ」を、本当の「美味しさ」と感じたり、思い込んだりしてしまうものが多いと思うのです。魂の乗り物である身体にとって美味しい、というのは、身体の元気や健康を維持すべきエネルギーをもつもの、身体の不調を整えようと働きかけてくれるエネルギーをもつものなど、地球さんが生み出して下さった食べものそのものに近い状態、素材そのものの味や香り、見た目を楽しみながら頂くことだと思うのです。「食べる為に生きるのではなく、生きる為に食べましょう。」 (ラクシュミーさん)豪華な料理をはじめとする濃味、脂っこい、塩辛い、甘いなどのお口に美味しいものは、必ずしも身体に美味しいものとは限らないと思うのです。しかしながら、身体に美味しいもの(薄味、粗食)は、心にも美味しいと思うのです。身体に美味しいもの(薄味、粗食)を、お口でも美味しいと感じ、 「美味しいなぁ~」「美味しいねぇ~」と喜びや幸せを感じながら頂くことが出来るような味覚、嗅覚、視覚、感覚を育みながら、生きる為に食べさせて頂きたいものですね。味覚が美味しいと感じるものを頂くことは、 「食べる為に生きる」であり、身体が美味しいと感じるのものを頂くことは、 「生きる為に食べる」ということだと思うのです。--------私たちが生かさせて頂く為に、そして肉体を維持させて頂く為に必要な食べものは色々あります。お野菜さん、果物さん、豆類さん、穀類さん、お肉類さん、お魚類さんなどなど。。。しかしながら、これらの食物さんは大きく分けると、「生あるもの」と「生のないもの」とに分かれると思うのです。例えば、お野菜さんや果物さんは「生鮮食料品」として取扱われているくらいですから、新鮮で生命力やエネルギーに満ち溢れている「生あるもの」だと思うのです。お野菜さんや果物さんが「生を失う」ときは、腐ったり、黴たりして、徐々にその生命力が減っていくことが分かると思うのです。腐ったり、黴たりした「生のない」お野菜さんや果物さんを私たちは口にすることはないと思うのです。(表現を変えれば、口にすることができないと思うのです。)豆類さんは、もともとそのお豆さんが元になって新たな芽を生み出す為の力を備えているもの故に、素晴らしい生命力やエネルギーを溜め込んでいるものだと思うのです。ただ、お豆さんの状態ではその生命力やエネルギーが目覚めていないだけで、休眠しているだけなのだと思うのです。とはいえ、生命力やエネルギーがあるということは、それは「生あるもの」だと思うのです。穀類さんは、色々な種類がありますが、私たち日本人の主食の「お米さん」でも色々あります。玄米さんは繊維やビタミンが豊富といわれていますが、それは「胚芽さん」がそのまま着いているからだそうです。「胚芽さん」の胚は「身ごもる」という意だそうです。つまり、玄米さんは「芽」を身ごもることができる生命力やエネルギーを持ち合わせた「生」ある「お米さん」ということだと思うのです。その玄米さんを発芽させた「発芽玄米さん」というのもありますが、これは玄米さんそのものが発芽しているわけですから、生命力やエネルギーの固まりであり、生命力やエネルギーに満ち溢れている「生あるもの」だと思うのです。これらに対し、一般的に良く食べられている「白米さん」は、胚芽さんやお米の内部のでんぷん層を包んでいる皮を削り取ったもの故に、エネルギーの要ともいえる胚芽さんはもちろん、繊維となる皮までなくなってしまっているので、「でんぷんさん」の塊に過ぎず、芽を身ごもるような生命力やエネルギーはない、つまり「生のないもの」なのだと思うのです。上記は、「生あるもの」又は「生あるもの」だけれども、その形状によって「生のないもの」になってしまうものですが、下記のお肉類さんやお魚類さんは、いつも「生のないもの」だと思うのです。お肉類さんは、牛さんや豚さん、鳥さん、お魚さんなど色々な生きものさんの種類があります。宗教や文化の違いによって、これらのお肉さんを食べない国もあれば、日本では食べないようなお肉さんを食べる国もあるなど、食べものとしてのお肉さんの幅は広いと思うのです。 そのようなお肉さんやお魚さんでも、1つだけ共通していることがあると思うのです。それは「生きていない」ということです。お肉さんやお魚さんは「生(なま)」で販売されているものの、それは加工上「生(なま)」であるのか否かを示しているに過ぎず、「生(なま)」で頂けるお肉さんやお刺身さんでも、そのお肉さんやお刺身さんの元になっている動物さんやお魚さんは、既に生命力やエネルギーもなく、「生きていない」と思うのです。お食事をさせて頂くときには、「頂きます」といいます。その「頂きます」という言葉は、食べさせて頂くそのものに対する言葉で、「あなたの命を頂きます」の意であると聞いたことがあります。 「あなたの命を頂きます」。。。つまり、その食べさせて頂こうとしているものは、「生あるもの」ということなのだと思うのです。(とはいえ、食べさせて頂こうとしているものが、 お肉さんやお魚さんなどの「生のないもの」だったとしても、 かつては「せいあるもの」として存在していたものを 頂くことを考えれば、やはり感謝の心で 「頂きます」と ご挨拶させて頂きたいものですね。)私たち人間は肉体的に「生(せい)」ある「生きもの」だと思うのです。 「生(せい)」ある生きものである私たちが、 「生(せい)」を維持させて頂く為には、やはり「生(せい)」あるものを摂取させて頂くことが大切なのだと思うのです。お野菜さんや果物さんなどの生命力やエネルギーに溢れる「生あるもの」は、地球さんという母なる大地さんから必要な栄養をを吸収し、お天道様からの愛のエネルギーをたくさん浴びていると思うのです。それを私たち人間が食させて頂くということは、お野菜さんや果物さんたちが地球さんやお天道様から享受した生命力やエネルギーを間接的に享受させて頂いている、ということになるのだと思うのです。動物さんも私たち人間と同じ「生あるもの」ですが、草食動物さんと肉食動物さんに分かれると思うのです。草食動物さんは、その字の如く草、葉、枝、幹、根、花、果実などの生命力やエネルギーのあるものを食し、その性質は一般的に、穏やかな動物さんが多いそうです。肉食動物さんは、その字の如く動物さんのお肉を常食としていますが、同じお肉さんを食べる人間と大きく違うところは、肉食動物さんは、生きている他の動物さん(草食動物さんなど)を襲い、「生きているまま」食べてしまう動物さんが多いことだと思うのです。(中には、同じ肉食動物さんでも「生のない」お肉さんを食べる動物さんもいるようなので「多い」とさせて頂いております。)そして、その肉食動物さんの性質は一般的に荒いそうです。肉食動物さんが食べているお肉さんは、食べるその瞬間だけでなく、食べているその時も「生あるもの」であると思うのですが、私たち人間が頂いているお肉さんは「生のないもの」だと思うのです。生ある私たちが、生のないものを食べさせて頂くことは、自分の生命力を削っているようなものだと思うのです。見方を変えれば、生のないものを食べてばかりいると、自分の身体の生命力やエネルギーを維持できないが故に、なんとかそれを維持しようと、もっともっと食べたいという欲求が生まれ、次から次へと食べてしまったり、求め続けてしまうのだと思うのです。とはいえ、次から次へと食べているものが、生命力やエネルギーのないものであれば、同じことを繰り返すばかりになり、いつまでも身体は生命力やエネルギーで満たされないが故に、それが、イライラなどの感情的な言動となって現れてしまうのだと思うのです。食べても食べても満たされないが故に、奪い合い、憎み合ってしまうのだと思うのです。だからこそ、生あるものである私たちは、同じく生あるもので、生命力やエネルギー溢れるお野菜さんや果物さんなどを頂いた方が良いのだと思うのです。それらは、少量でも自分の身体の生命力やエネルギーを維持させて頂くことができ、心身共に健全で過ごさせて頂くことができると思うのです。「生あるもの」を頂くことは、少量でも満たされるからこそ、奪い合うことや、憎み合うことがないばかりか、分け合ったり、与え合ったり、愛し合うことができ、心にゆとりや豊かさが生まれ、幸せに過ごさせて頂くことが出来るのだと思うのです。「胃袋が空では、良い思考など浮かびません。。 しかし何でも食べればいいというものではないのです。 身体は口から入るもので作られています。 身体に良いもの。。食べていますか。 バランスの良い食事を心掛けてください。。 魂の乗り物である身体を良好なコンディションに保つことは、 とても大切なことですよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408030001/「身体は、食べ物で維持されています。。。 身体に良いもの食べていますか? 偏食していませんか? 若い時の乱れた食生活。。。 働き盛りの時にガクンときますから要注意です。」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201507020000/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201507020001/「人生は料理と同じ。甘さも辛さも刺激も必要です。 味覚はそれぞれ違いますから、 自分にあった料理が美味しく感じるものです。 しかし、豪華な料理よりも薄味、粗食の方が 遥かに身体の為に良いのです。 心を美しく保つために、何が必要でしょう。 考えてみてください。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201203010000/「動物を食べて、憎しみ合うよりも、 野菜を食べて、愛し合う方が、 幸せになれるのは当然です。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201207090000/「愛することによって失うものは何もないのです。 もっと家族を、そして人を、動物を、植物を、 自然を愛さなければなりません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201404150000/「大自然に触れ合いましょう。 常に笑顔でありましょう。 人に、動物に、植物に、物に優しくありましょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201110040001/「汝を愛してくれるものに最高のもてなしをせよ。 それは家族であり、客であり、商品であり、自然であり、生物である。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201109020000/「花は咲く場所を選びません。。 あなたの歩む道にも咲いています。 路肩に咲いている名も無い花に語りかけて下さい。 生きる意味を教えてくれることでしょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201403070000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.01.26
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「人は心が全てです。。。 常に心眼で観ることですよ。 人は外面と内面は全く違うのです。 子供も侮ってはいけません。 かつてあなたの親だったのかも知れないのですから。。」一枚の紙にも裏表。。。修道服が修道士を作るわけではない。。。見た目と中身が違う、ということは良くあるものですが、見た目という情報だけで、その人様を見極めよう、判断しようとしてしまっているのは、何を隠そう自分自身だと思うのです。冷静に、客観的に洞察させて頂いているつもりでも、とかく、人は第一印象で相手のことを 「〇〇さんは、こういう方なんだ♪」 「◎◎さんは、いつもこんな感じなんだ。。。」などと決めつけたり、思い込んだりしてしまうことがあると思うのです。どなた様かと初めてお逢いした時に、その方がご機嫌であろうと、ひねくれていようと、それはその方の一面でしかないということを忘れないようにしたいものですね。第一印象こそは、とても良い印象をもったとしても、時の経過とともに、相手の性格や癖、様々な言動などから、本当の姿が見えてくることにより、良い印象が薄れて、敬遠したくなることもあれば。。。第一印象こそ、とても良くない印象であったとしても、時の経過とともに、相手の性格の良さ、人の良さ、優しさ、温かさなどのお人柄が見えてくることにより、当初の良くない印象が薄れ、身近に感じるようになることもあると思うのです。 「この人はこういう人だ。!こういう人に違いない。!」第一印象から受けるこのような自分勝手な自分基準のものごとの見方や捉え方による「思い込み」によって、人様を見たり捉えたりしてしまうことは良くあると思うのですが、それが時間の経過とともに、いとも簡単にその相手に対する見方や印象が変わってくるということは、如何に、私たちの「思い込み」が曖昧なものか、ということを物語っていると思うのです。だからこそ、より冷静に、かつ、より客観的に洞察させて頂き、判断を誤って、人様を傷つけたり、しなくても良い失敗や過ちを犯さないように気を付けさせて頂きたいものですね。--------目に見えているものが全てではないと思うのです。それにもかかわらず、目で見えるものが全てと思い込んで、それに囚われてしまっているということが、思いのほか多いのが私たちだと思うのです。目で見えるものだけに囚われてしまっていることは、 目に見えるものを鵜呑みにしている。。。 目に見えるものが全てになってしまってる。。。ということ故に、とても危険だと思うのです。目に見えない部分に意識を向けることの大切さが分からないばかりか、目に見えない部分に意識を向けることさえもできない。。。それは、とても危険だと思うのです。また、 「自分は〇〇さんのことを良く分かっている。。。」という過信や思い込みが、見るべきところを観えないようにさせてしまっていたり、目に見えない部分の理解を深めることができないようにさせてしまっていることもあると思うのです。目に見えている部分さえも、 「自分は分かっている」という自分の過信と思い込みから、 「自分は分かっている」という空想の世界を自ら作りだしてしまっている、ということもあると思うのです。 (時には、その過信と思い込みが度を過ぎて、 被害妄想まで生み出してしまい、 人様にご迷惑をお掛けするケースもあると思うのです。 その方の様子を冷静に洞察されている人様は、 その方と距離をおいていく。。。 そういうこともあると思うのですが、 それくらいの冷静さをもって洞察させて頂くことも 大事だと思うのです。)それでは、 「目で見えているものさえも見えていない」ということになってしまうと思うのです。そのようなことになってしまわないように、今、目の前にいらっしゃる方の外見、容姿、物腰、肩書き、言葉遣い、様々な言動などに囚われることなく、また、その状況や環境に左右されたり、翻弄されることなく、冷静に、客観的に、様々な視点から洞察させて頂くことが大切だと思うのです。 (その対象が人様であろうと、物事であろうと、境遇であろうと、 同じだと思うのです。)同じ人様でも、 正面から見る姿 右側から見る姿 背面から見る姿 左側から見る姿 上から見る姿 下から見る姿 斜めから見る姿 近くから見る姿 遠くから見る姿 一人でいるときの姿 他者といるときの姿など、これだけ異なる見方があると思うのです。更に、着る服や服の色、髪型、化粧、アクセサリー、香りなどが加われば、イメージはあれこれと変わってくると思うのです。目に見える部分だけでも、これだけ見方を変えてしまう原因があることを考えれば、目には見えない人様の中身は、より冷静に、より客観的に、より洞察させて頂くことが大切だと思うのです。その人様の中身を裏付けるような些細な言動を見逃さないように。。。--------子供。。。それは私たちが生まれてくる前に、魂同士で約束してきた家族の契りの証だと思うのです。「20〇〇年頃に、AさんとBさんの子供として 生まれたいと思います。 名前は〇〇と付けて下さい。 宜しくお願いします。」或いは、「私と〇〇さんの子供として生まれてくれませんか? 家族として一緒に過ごして頂けませんか? 希望の名前があったら教えて下さい。そのように命名します。 宜しくお願いします。」などのような天界における約束あっての、地上における今生の約束の家族なのだと思うのです。同じ約束の家族、永遠の家族であったとしても、輪廻転生を繰り返させて頂いている私たち故に、今生の自分の子供が、過去生では自分の親であることもあれば、今生の自分の親が、過去生の自分の子供である、ということもあると思うのです。また、地上的には子供でも、魂の格はとても高い。。。地上的には大人でも、魂の格はとても低い。。。ということもあると思うのです。子供から学ばせて頂けることは多々あると思うのです。だからこそ子供を侮ってはならないと思うのです。穢れのない純真な子供は、ありのままに感じていることや、ありのままに見えているものを、ありのままに受け留め、それが何かを表現したり、伝えようとする純粋で清潔な心があると思うのです。余計な疑念や邪な考えを生み出さない純粋で清潔な心をもつ子供だからこそ、天がご指導下さる純粋で清潔な教えの波長と同通するが故に、天は子供を通じて、色々なことをご指導下さるのだと思うのです。世の中では、子供が一生懸命訴えかけてくれていることについて、 「何もわかっていない子供の言うことだから信じられない。」 「そんなことあるわけないのに何を言っているんだろうこの子は。」などのような先入観により、 「子供=何もわかっていない」という方程式を勝手に作り上げたり、レッテルを貼り付けたりしますが、実は「子供=何もわかっていない」という先入観に捉われたり、そのように決め付けている大人の方こそ、「何もわかっていない」のだと思うのです。この世的な年ばかりを重ねていても、純粋さや清潔さを失い、心が穢れてしまっては、魂の修正や成長を目的として生まれてきているにもかかわらず、修正すべき点を自ら増やしているようなものだと思うのです。反対に、純粋さや清潔さを持つ子供は、この世的な年齢こそ若いかもしれませんが、天と同通するほどの心の純粋さや清潔さがある、ということだと思うのです。だからこそ、純粋さや清潔さを持つ子供が、純真な目や心で感じ得た言葉に耳を傾けたり、一見、無意味に見えるような子供の行動などから、何が真実で、何が偽物なのかを注視させて頂きたいものですね。その結果、純真さを失った大人たちの方が、子供から学ばせて頂くことや、気付かせて頂くこと、忘れていた感覚を思い出させて頂くことになり、心が洗われることがあると思うのです。そして、小さな子供とお話しをさせて頂くときなどに、子供を上から眺め下ろすのではなく、子供の高さになるようにしゃがんで、子供の目線に自分の目線の高さを合わせることによって、普段、大人が見えていないことや、気付いていない、子供たちが見えている世界が見えることが色々あると思うのです。子供の目線が生み出す純粋なものごとの見方や捉え方、考え方、感じ方などを、理解させて頂くことができるように、子供たちの言葉や行動を軽んずることのないように生かさせて頂きたいものですね。「人は心が全てです。 肩書きや経歴は、地上での符号に過ぎません。。 先入観を捨て去ってください。 人と人。この関係において、偉人も哲人も素封家も なんらの特権も有していないのです。」 (ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201303110001/「外見や見せ掛けのことに気をとられてはいけません。 一番大切なこと。。。 本質を見失わないようにしましょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201507270000/「光るものすべてが、金とは限らないのです。 見かけだけでは判断はできません。 人は内面の美しさ。。。 それ以外の何ものでもありません。 常に自分と相手を第三者の目で観て、 冷静に判断することです。 目の前に起こる現象も、 不幸のようで幸運の種。。。 幸運のようで不幸の種。。。 こういうことは多いものです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201412050003/ 「目はその人の心を映し出す鏡のようなものです。 目を見ればその人の心のさまが読み取れるもの。。。 心が清く正しい人は、瞳も澄んでいるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201501250000/ 「外見、物腰、言葉使い、経歴、肩書きなどに頼らず、 その人の瞳を観て 正義の人であるかどうかを観てください。 瞳だけは、決して嘘がつけないものなのです。 自分自身の良心を秤にすれば、欲得を隠した偽善は、 必ず見抜けるのです。」(ラクシュミーさん)「心は瞳に宿っていますよ。 相手の目をしっかりと観てくださいね。 その方が、真実を語っているかどうかが分かりますから。。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201301170000/「人は見かけによらないもので、 外見と中身が異なり驚かされることもあります。 人は心眼で観なければなりません。」(ラクシュミーさん)「一見、絶世の美女。。。 その真実は、般若の面。。。 こういうこともあります。 人は心ですよ。。。 人は、心眼で観なければなりません。。。」(ラクシュミーさん)「遠くから見れば、 ほとんどのものが、綺麗に見えるものです。 スクリーンの虚像に酔わないことです。 美しい容姿に騙されてはいけません。。 立派なコメントだけなら誰でもできます。 その人の真実は近づかない限りわからないものです。 人は心の美しさです。心眼で観ることですよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201508190000/ 「人の価値は心の美しさが全てです。 地上の美女も、心眼で観る、お顔は、般若の面。。 これはよくある姿です。 二重写しになった本来のお顔が観える人は古来稀です。。 貴女の本当の美しさ。。私は知っていますよ。。」「心眼で観れば、二重写しとなった、心の合わせ鏡である、 その人の本当の素顔が観えるのですが。。 残念ながら観えない人がほとんどです。 人の美しさは人は心の美しさ。。外見ではありません。。 これは真実です。」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201310060000/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201310060001/「人間が、目で見て感じることができるものは、 真実の10%程度に過ぎません。。 氷山と同じでものごとの90%は、水面下に。。 経験を積み、試練を乗り越え、愛の心を知るならば、 縄文時代に生きた人々の心のレベルに戻って、 心眼が開き、ものごとの真実を観ることができるようになります。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407140000/「蝿と友達になればゴミの中に連れて行かれるのです。 蝶と友達になれば、花園へ連れて行ってくれます。 しかし地上の蝿は、きらびやかに装って見えますし、 蝶は、さほど美しくも見えないのです。 心眼で観なければなりません。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201207220000/「汝、幼子の言葉を真剣に聞くべし。 神は幼子を通じて語るものゆえに。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201112210000/「子供の目線で物事を観てみましょう。 何が真実で何が偽物かが、わかります。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201204140000/「真理は、いつも小さな子供の口を通して語られているのですが 親はいつも聞き流しているのです。 3歳前の子供は、天からのメッセージを ダイレクトに受け取ることができる存在です。 あなたは、もう受け取りましたか。。 愛する子供さんから。。。 子供さんが成長した家庭は、 子供さんが小さかったころ 何を言っていたか思い出してください。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201505290000/ 「真理は、子供の口を通していつも語られているのですが 気付く人はほとんどいません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201508150000/ 【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.01.25
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「災いと幸福は表裏一体で、 まるでより合わせた縄のようにかわるがわるやって来るものです。 不幸だと思ったことが幸福に転じたり、 幸福だと思っていたことが不幸に転じたりします。 成功も失敗もコインの表裏をなして、 めまぐるしく変化するものです。 幸運の時は不運に備え、不運の時は雌伏して好転の時を待つ 幸運の時は半分の法則で蓄積し、不運の時は学問研究に没頭する。 どのような時も笑いを忘れないことです。。」禍福は糾える縄の如し。。。自分に与えて頂いている様々な境遇について、この世的な見方(自分勝手な自分基準による自己中心的な見方)では、一見、無意味や無駄、失敗、不幸、不運、苦難に見えたり、感じてしまうようなことも、長い目で見させて頂くと、実はとても大切で意味のあることだったり、とても有益なことだったと実感できることがあると思うのです。「あれは無駄じゃなかった」「あの時分からなかった意味が、ようやく今分かった」「あの時の〇〇がなければ、今の〇〇はなかった」「あの時の失敗がなければ、今の成功はない!」「あの時の苦難の経験がなければ、今の幸せはない♪」などなど。。。その時に無意味、無駄、失敗、不幸、不運、苦難に見えたり、感じたことさえも、後々、意味のあることや有益なことに変わることもあると思うのです。本来は、何ごとも当初から意味があり、有益な境遇であることに変わりはないと思うのですが、それを無意味、無駄、失敗、不幸、不運、苦難としてしまったのは、当時の自分がその境遇の真意を読み取ったり、理解をしていなかった。。。はたまた、読み取ったり、理解することができなかった。。。ということなのだと思うのです。そのようなことがあるからこそ、自分に与えて頂いている様々な境遇を、安易に、無意味なこと、無駄なこと、失敗、不幸、不運、苦難などと決め付けて、その境遇を自ら無意味、無駄、失敗、不幸、不運、苦難にしてしまうのではなく、それがどのような境遇であったとしても、 「これが今の自分に必要な境遇なんだ♪ 有り難うございます♪」 という感謝の心を持って、有り難く受け留めさせて頂きながら、その境遇に込められた天のお心に触れさせて頂くことが出来るよう、その境遇の真意を少しでも読み取り、少しでも理解を深めさせて頂くことができるよう、努めさせて頂くことが大切だと思うのです。「これが今の自分に必要な境遇なんだ♪ どうも有り難うございます♪」自分に与えて頂いている境遇を、素直に受け留めさせて頂くことが出来るようになることによって、自分に与えて頂いている様々な境遇について、無意味、無駄、失敗、不幸、不運、苦難と見たり、捉えたり、感じたりすることがなくなると思うのです。自分勝手な自分基準によるものごとの見方や捉え方で、自分の人生において繰り返される貴重なワンシーンの数々を、自ら無駄、無意味、失敗、不運、不幸、苦難としていた自分から、 「自分の人生の全てのシーンには意味があるんだ♬ 無駄なことは一切ない♪ 幸せになる為のものなんだ♬ どうも有り難うございます♬」 「失敗に見えるのは、実は成功のもと♪ 失敗したのは、正しい方向に導いて頂く為なんだ♬ どうも有り難うございます♬」 「苦難はより幸せになる為、より幸せを感じることが できるようになる為に与えて頂いているものなんだ♪ そして、人様の気持ちを理解させて頂けるようになる為のものなんだ♬ どうも有り難うございます♬」というものごとの見方や捉え方ができる自分に変わることによって、本来歩ませて頂くべき人生を歩ませて頂くことができるようになるだけでなく、魂の修正や成長が促されることにも大きく繋がるのだと思うのです。--------今、与えて頂いている境遇が、自分にとって不運、不幸、苦難と感じるものであるのならば、その不運、不幸、苦難の雨は何れ止み、楽になり、朝を迎え、春を迎える、ということだと思うのです。何れやってくる朝や春を待たせて頂くのであれば、例え、 「もう自分ではどうにもならない」 「何をやっても上手くいかない」 「自分にできることはもうない」という状況であったとしても、 「今の自分がいる場所で、 今やるべきことや今できることを、 頑張ってさせて頂いていれば、 いつの間にか、事態が好転して、 上手くいってるんだろうなぁ♪」という純粋な気持ちで奇跡を願い、奇跡を信じながら、今の自分の境遇(運命)をありのままに受け入れさせて頂いていれば良いと思うのです。 (諦めることで自暴自棄になったり、思い悩んだりして、 自分を傷つけるくらいなら、奇跡を願い、信じていた方が 心身にとっても健全だと思うのです。)そこまでさせて頂いたら、あとは「天にお任せ♪」で良いと思うのです。「天にお任せ♪」させて頂いたら、あとは事態が好転する時を楽しみに待たせて頂いていれば良いと思うのです。何れ好転することが分かっているのであれば、その日、その時を待たせて頂くことは、とても楽しみになると思うのです。とても楽しみになるとはいえ、ただ楽しみにしているだけでは、事態は好転しないと思うのです。同じ楽しみにして待たせて頂くにしても、前向き、肯定的、積極的、楽観的なものごとの見方で、明るく、元気に、笑顔で、楽しく、今まで通りに、 「その時の自分がすべきことをさせて頂く」 「その時の自分にできることをさせて頂く」はたまた、自分のすべきことを新たに見つけようと努める、自分のできることを新たに見つけようと努める、という地道な行いの積み重ねを繰り返させて頂くことが大切なのだと思うのです。そのような誠実、真面目な姿勢で明るく、元気に、笑顔で生かさせて頂いていると、日々の様々な境遇の中に隠されている事態を好転させる為のヒントや、新たに与えて頂いているチャンスに気付かせて頂けるようになるのだと思うのです。天のお立場からすると、地上で修業をさせて頂いている私たちが、長く続く苦難や試練をお迎えした時に、私たちがどういう心のあり方で過ごすのか。。。私たちの心の本質を見ていらっしゃると思うのです。長く続く苦難や試練に耐えきれず、後向き、否定的、消極的、悲観的、感情的になって、不平不満、愚痴を言い、怒りを露わにしてしまうのは、修行が必要な私たちにとっては極自然の反応だと思うのです。しかしながら、極自然な反応であるということは、魂の修正や成長をしていない。。。ということでもあると思うのです。そのような中、苦難や試練が長く続いても、 「いつかきっと良くなる♪」 「この境遇は、自分の魂の修行の為に与えて頂いている 苦難や試練なんだよなぁ~♪ 辛く苦しいけど、感謝させて頂くべきことなんだよな~♪ ありがとうございます♪」などと、前向き、肯定的、積極的、楽観的なものごとの見方で、平常心を保ち、忍耐強く、不運、不幸、苦難や試練と向き合いながらも、笑顔で過ごさせて頂くことができるのは、魂の修正や成長が進んでいる証なのだと思うのです。そのような私たちの良好な変化が、一時期的なものではなく、本質的なところから改善された変化であると天がお認め下さると、事態はどんどん好転していくのだと思うのです。つまり、私たちが「待たせて頂いている」時間は、私たちの魂の変化が、良好なものであるか否か。。。もし、良好な変化であるのであれば、それは一時期的な見せかけだけのものか。。。それとも、本質的に改善された光り輝く変化なのか。。。を、天が見極めて下さっている時間でもあるのだと思うのです。ということは、私たちが「待たせて頂いている」時間は、不運、不幸、苦難や試練が長く続くと、不平不満、愚痴を言い、後向き、否定的、消極的、悲観的、感情的になり、 「どうして自分だけがこんな目に合うんだ!」 「自分さえ良ければそれで良い!」という利己心に生きてしまいがちな自分を改善させて頂く為の時間。。。裏を変えさせて頂くと、、いつ何時も良心に従い、平常心を保ち、人様を思い遣る心である利他心を持ち、前向き、肯定的、積極的、楽観的なものごとの見方で生かさせて頂くことができる強い心、逞しい心、勇ましい心、大きい心、豊かな心、優しい心、温かい心、愛の心を育ませて頂く為。。。自分自身に克つ為に必要な時間。。。なのだと思うのです。待つ。。。ひたすら待つ。。。その「待たせて頂く」ときの心のあり方や言動、笑顔という表情が、プロセスがとても大切であることを忘れてはならないと思うのです。笑顔で待たせて頂く。。。俯き顔で待たせて頂く。。。同じ待たせて頂くのでも、天が微笑んで下さるのはどちらなのか。。。天が微笑んで下さるような生き方をさせて頂いていれば良いのだと思うのです。天が微笑んで下さるような生き方は、天から授かった良心に従った生き方故に、自分の魂が喜ぶ生き方でもあると思うのです。幸せになる為。。。そして、魂の修正や成長をさせて頂く為に、地上という修業の場に生まれる機会を与えて頂いている私たちにとって、地上において与えて頂いている様々な境遇は、それがどのような境遇であったとしても、有り難く、幸せなものであることを考えれば、自然の笑みが浮かんでくると思うのです。そういう心持ちで生かさせて頂きたいものですね。--------「失敗は成功の元♪」裏を返させて頂くと、「成功の為の失敗♪」ということになると思うのです。「失敗は成功の母♪」裏を変えさせて頂くと、「母(失敗)が無ければ、子(成功)は生まれない♪」と言うことでもあると思うのです。「失敗は成功の元♪」の「失敗」は、真の失敗ではなく、成功の為のただのプロセス、ということなのだと思うのです。真の失敗とは、私たちが「失敗」と感じてしまうような現象そのものではなく、 「失敗だった。。。」と落胆して、その失敗を反省せず、糧にすることもなく、安易に諦めてしまったときの自分の心が生み出したもの、なのだと思うのです。ということは、その反対の、 失敗しても落胆せず、前向きに受け留める。。。 失敗を素直に反省して、失敗から学ばせて頂く。。。 失敗から学ばせて頂いたことを、これからの行動の糧にする。。。 決して諦めない。。。という姿勢で過ごさせて頂いていれば、夢や希望の実現が近づいてくる、ということだと思うのです。同じように、「不運は幸運の元」「不運は幸運の母」「不幸は幸福の元」「不幸は幸福の母」なのだと思うのです。折角、幸運、幸福になっても、「幸運は不運の元」「幸運は不運の母」「幸福は不幸の元」「幸福は不幸の母」になってしまうことがあると思うのです。その「元」「母」になっているものこそ、調子に乗ったり、驕ったり、謙虚さを忘れたり、感謝の心を忘れたり、足るを知らない強欲に支配された自分の心に他ならないと思うのです。そのようなことにならないように、幸運を掴んだり、幸福を感じているときこそ、 「お陰様で幸せに過ごさせて頂いております♬ 心が晴れ晴れとして、満たされていて幸せです♬ どうも有り難うございます♬」という感謝の心、謙虚な心、足るを知る心を持って生かさせて頂くことが大切だと思うのです。「禍福は、コインの裏表ですよ。 苦難が大きければ大きいほど、 大きな幸せが隠れているのですから、 哀しまないことです。 笑顔でコインをひっくり返しましょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201310110000/「チャンスの種は、困難の中にあります。 衰退の種は、順風の中にあります。 幸せの種は、笑顔の中にあります。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201406080000/「汝、苦は楽の種、楽は苦の種と知るべし。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201112110000/「汝、順境にあって悲観し、逆境にいて楽観すべし」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201111160000/「運命の中に偶然はなく、人間はある運命に出会う以前に、 自分がそれを作っているのです。 ただし、運、不運はコインの裏表ですから、 ちょっとした心の転換で簡単にひっくり返るのは事実です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201405030001/ 「人生はコインの裏表。 些細な親切が思わぬ幸運を呼びます。 小さな油断が思わぬ失敗を招きます。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/2011312160000/「人生は、悩み、挫折、後悔。。これの繰り返しだと思っていませんか? 本当は、悩みは幸運の種、挫折は喜びの種、後悔は輝く希望の畑です。 幸運の種と、喜びの種を、輝く希望の畑に蒔いて育てれば、 必ず大きな実りの日々が訪れます。 種だけを見ていると、本当につまらないものに見えるかもしれません。 苦難の多いあなたは、すでに心の長者の資格があります。。 たくさんの種を手にした選ばれた人なのです。 あなたのすることは、ただ、蒔いて育てる。。それだけのことです。 あなたの望むもの全ての種は、手の中にあります。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312160002/「魂のレベルの高い人は 喜びの中でも苦難の中でも 楽しむ力があることで見分けがつきます。 苦難を楽しむ。。 ドンと来い!!試練。。 人生大逆転の基本です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407250001/「物事を悲観すれば、悲観した通りになってしまいますが、 楽観的に考え口に出していると、物事は、全て良い方向に向かいます。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201204160000/「何があろうと決して落胆しないこと。 笑い飛ばして生きて行くこと。 それが人生、負けない人のやっていることです。 不運を逆転させる唯一の道でもあります。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201403300000/「何が起こっても、否定しない。くよくよしない。 ありのままを受け入れ、すべてを肯定するという前向きな姿勢。 これこそ、運のいい人が身につけている姿勢なのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312260002/「人生はコインの裏表。 些細な親切が思わぬ幸運を呼びます。 小さな油断が思わぬ失敗を招きます。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/2011312160000/「汝の徳性を輝かせるもので、表情ほど重要なものはない。 笑顔で生きる者に天は微笑む。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201110270000/「人間は内面から輝くのです。スマイル スマイル。。。 いつでもどこでも。。スマイル スマイル。。。 驚くほど人生は好転していきますよ。 もちろんお顔も美しくなっていきます。。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201412210001/「笑いのない日。。。それは無駄な一日です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201410150000/「笑顔、笑顔、笑顔、これで全てが好転しますよ。 朝から晩まで笑って生活してくださいね。 苦難を笑いのネタにして笑い飛ばしてくださいね。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201210180000/「自分は、運が悪いと思っていると、本当に運が悪くなりますから、 自分は、運がいいと思い込んでください。 運がいいと思い込んでいる人にしか幸運の女神は微笑まないのです。 正確には、運が悪いと思い込んでいる人は、 幸運の女神と波長がどうしても合わないのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312260001/「もしあなたが、不運な状態にあるのなら、 それはあなたがそうなるように仕向けた結果です。 あなたが幸運に恵まれているのなら、 それもあなたがそうなるように仕向けた結果です。 天は、全てを知っていますから、自らを律して、 良心に恥じない自分であり続けましょう。 開運の鍵はあなたの目の前にあります。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201305020000/「良いことも、悪いことも、現在、あなたがその状態を 保持する努力をしない限り、永久に続くことはなく、 たえず変化していきます。 良いことが続くとき。。あるいは悪いことが続くとき。。 自分で、その状態を保持しようと、 知らず知らず自分自身が、努力しているわけです。 日々、明るく生きることですよ。。 冗談を言って笑いあうことですよ。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201310270000/「遭遇した苦難の 最もよい面に目を向ける習慣を身に付けましょう。 実は、失敗のようで成功。。 苦難のようで、長い目でみるとラッキー。。 世の中の仕組みはこういうことなのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201409210001/「光るものすべてが、金とは限らないのです。 見かけだけでは判断はできません。 人は内面の美しさ。。。それ以外の何ものでもありません。 常に自分と相手を第三者の目で観て、冷静に判断することです。 目の前に起こる現象も、不幸のようで幸運の種。。。 幸運のようで不幸の種。。。 こういうことは多いものです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201412050003/ 「あなたの人生のすべての出来事には意味があり、 生きていくこととは、その意味を理解することです。 理解が及ばないと不本意な人生に。。 理解が及べば潤沢で楽しい人生となっていくのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408290000/「幸運の時も不運の時も、すべての現象に感謝しましょう。 感謝は最大の徳であるだけでなく、全ての徳の源なのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201406240001/「待つ。。。ひたすら待つ。。。大切なことです。 農作物、人生。。。 育てることが上手な人は待つことが上手です。 待っていることに喜びや楽しみが感じられれば 今を充実して生きられるのです。 経済的苦難も、鬱も、病気も、慟哭も、トラブルも 事態の好転をひたすら待つ。。。 待つことが喜びであり楽しみ。。。 もはや好転したも同じです。 天はそのような人にご褒美を降ろします。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201511010000/「明けない夜は無いのです。 あなたの人生も同じことです。」(ラクシュミーさん)「たとえ今は不幸な状況であっても、 じっと耐え忍んでいれば、いずれ幸せが巡ってくるのです。 いつまでも冬が続くわけではなく、春は必ず訪れます。 朝のこない夜もないのです。」(ラクシュミーさん)「暑さ寒さも彼岸まで 残暑は秋の彼岸までに治まり、余寒は春の彼岸までに和らぐので、 それ以後は過ごしやすくなるという自然の理です。 どのように困難な事態であっても、 やがては終わりが来て乗り越えることができます。 だから苦難の時も、諦めずに耐えることですよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201509140000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.01.24
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「真実の長者は、心の大富豪。。 あなたが本当の心の大富豪になった時、 私たちは天の蔵の鍵をあなたに渡します。 蔵を開けて何を取り出すも、あなたの自由ですが、 足ることを忘れて欲に身を滅ぼしそうになった時は、 鍵は自然消滅して二度と戻ってきませんから注意してくださいね。」 (ラクシュミーさん~吉祥天、観音菩薩の分霊さん~) (サラスヴァティーさん~弁財天さん~)幸運や成功を授かるまでは、控えめで謙虚な姿勢であったとしても、幸運や成功を授かった途端に、 「自分の実力でこの幸運をつかんだ!!」 「自分は凄い存在だ!!」などと傲慢になったり、過信したりしてしまうことがあると思うのです。ということは、それまでの控えめで謙虚な姿勢は、その方の心の真実の姿ではなく、偽りの姿なのだと思うのです。幸運や成功を授かった途端に本性(偽りの姿)が表に出てくるということは、授かった幸運や成功を人としてあるべき正しい心で正しく活かすことができないと思うのです。そればかりか、幸運や成功を授かったことに対し、感謝の心もなく、自分勝手、我儘、好き放題、やりたい放題、自分さえ良ければそれで良い、という利己心や欲に塗れて、授かった幸運や成功を乱用すれば、自ら業を積み重ねてしまうだけだと思うのです。天にすれば、私たちに幸運や成功を授けることにより、私たちがそのようになってしまうことは不本意であるばかりか、同時に、それでは私たちの為にもならない、とご判断下さると思うのです。天にとって、私たちに幸運や成功を授けることなどは、容易なことだと思うのです。それにもかかわらず、その容易なことを敢えてしないのは、幸運や成功を手にすると、直ぐに驕れたり、偉ぶったり、過信して、直ぐに転落してしまう心を持っている私たちへのご配慮だと思うのです。どのような環境下でも、良心に従った正しい心、美しい心で生きることができるか否か。。。幸運を授かろうと授かるまいと、心が決してぶれることがないか否か。。。何ごとに対しても感謝の心があるか否か。。。など、私たちの心や心的態度が、幸運や成功を授けるに相応しい程に育まれているかどうかを、天は見極めて下さっているのだと思うのです。天がその見極めをされるに当たって、最も人間が本性を表したり、心の本当の姿を現しやすいのは、連続した不運や試練、苦難などだと思うのです。それ故に、時として連続した不運や試練、苦難などを与えることを通じて、私たちの心の動向や、真実の心の姿を観察して下さっているのだと思うのです。それは同時に、連続した不運や試練、苦難などの、非日常的な境遇を与えて頂いた私たちが、自分自身の真の心の姿を知ることにもなっていると思うのです。平時にどんなにか心穏やかに、優しい心、温かい心、愛の心で過ごさせて頂くことができたとしても、突然の異常時をお迎えした時に、不平、不満、愚痴、怒りが露わになってしまうとすれば、それがその人の真の心の姿ということだと思うのです。平時であろうと、異常時であろうと、好調時であろうと、傲慢になったり、偉ぶったり、過信することなく、不平、不満、愚痴、怒りを露わにすることなく、何があっても決してぶれたり揺らぐことのない逞しい心や、いつでも心穏やかに、優しい心、温かい心、愛の心をもって過ごさせて頂けるよう自分の心を育み、磨かせて頂く為の貴重な機会であり修行の機会。。。それが連続した不運や試練、苦難でもあると思うのです。お試しでありながら、修行の機会にもなっている。。。天のご配慮とは、そういう深遠なものなのだと思うのです。だからこそ、私たちが不運、試練、苦難と感じてしまうような境遇を与えて頂いたとしても、その境遇に心から感謝させて頂くことが大切だと思うのです。裏を変えさせて頂くと、不運、試練、苦難にさえも感謝させて頂くことができる心のあり方だからこそ、何かを成し遂げることができたり、成功したり、達成させて頂くことができる。。。否、そうなるようにお導き頂いたり、助けて頂いたり、支えて頂いたり、応援して頂いている、ということなのだと思うのです。--------富を得ているつもりでも、それはこの世でしか通じない地位や名誉、権力、財産など、人為的に「これが富です」と形作られた見せ掛けだけの富だと思うのです。そのような人為的な見せ掛けだけの富を飽きることなく欲しがったり、それらを得る為になら何でもしようと際限をなくしてしまうことが「貪る」だと思うのです。「貪る」という飽くなき欲を追い求める姿こそ、もともと兼ね備えさせて頂いていた自分の心の富が欲に奪われることに繋がるのだと思うのです。自分の心の富や良心を「欲」に差し出す代わりに、この世の見せ掛けだけの富を与えられ、その虜にさせられてしまうのだと思うのです。この世の富には恵まれていても、心が貧しいということがありますが、それは欲の虜だからだと思うのです。本当の富(真実の富)は、私たちの魂が喜ぶ富、つまり、心の富だと思うのです。人様のお役に立たせて頂こう、人様にお喜び頂こうという、見返りを求めない奉仕の心、純粋で優しい心、愛の心が、心の富を生み、それによって徳を積ませて頂くことができ、自分の魂の真の富になるのだと思うのです。そのような心の富によって稼がせて頂いたお金さんは、その金額の大小を問わず、心の富を乗せた美しい富だと思うのです。--------お金さんをはじめとする財産を沢山お持ちの方をこの世では大富豪といいますが、大富豪だから幸せ、ということではないと思うのです。この世的な大富豪でも、心は大貧民ということも多々あると思うのです。大豪邸にお住みになり、高級車にお乗りになり、高級な洋服をお召しになり、高級料理をお召しになられていても、家族仲が良くなかったり、心を許せる友がいなかったり、お金があるからこそ人が近寄ってくるだけだったりするなど、その実態は、人の愛や人の心の温かさに飢え、渇いた心であることも思いのほか多いのだと思うのです。逆に、この世的には大貧民や貧民、平民であっても、日々の生活を楽しみ、心ある人として人様を思い遣る心をもって、助け合い、支え合い、分け合い、協力し合い、愛し合って生きていれば、心は大富豪ということもあると思うのです。心ある人として生かさせて頂いている私たち故に、心こそ大富豪でありたいものですね。心の大富豪は、この世の大富豪が沢山のお金さんや財産を積んでも買うことが出来ない「真実の富」という心の財産(心の徳)をお持ちになられている方のことをいうのだと思うのです。たくさんのお金さんや財産をお持ちでいらっしゃられ、この世的にはとても豊かな暮らしをされていても、 「まだ足りない。。。」 「もっと欲しい。。。」 「何かが欲しい。。。」 「次から次へと入ってこないと心配。。。」となってしまうのは、心に豊かさがなく、満たされていないからだと思うのです。この世的には豊かでも、心が貧しい。。。そういうことだと思うのです。反対に、お金さんや財産こそ僅かしかなく、この世的にはとても貧しい暮らしをされていても、 「今日も家族みんなが元気♪ 幸せだなぁ~♪」 「素食で質素なご飯だけど、 身体が喜ぶ食事ができるのは有り難いことだなぁ~♪」 「今日も生かさせて頂くことができました♪ どうも有り難うございます♪」 「今日も目を覚ますことができました♪ どうも有り難うございます♪」などのように生かさせて頂くことができるのは、多少の試練や苦難があろうと、与えて頂いている様々な境遇や環境の中に、幸せを見出すことができる大きな心、心の豊かさ、ゆとりによって、心が幸せで満たされているからだと思うのです。この世的には貧しくても、心が豊か。。。心ある人間にとって大切なのは、心の豊かさだと思うのです。十人十色。。。同じものごとに対しても、人それぞれ感じ方は異なるものだと思うのですが、些細なことにも喜びや幸せを感じることができる足るを知る心、大きな心、豊かな心、ゆとりのある心で生かさせて頂くことができる方が、人生は幸せだと思うのです。源光『「思い出」と「精神的な豊かさ」を追い求めている人は 幸せな一生になるでしょう。 名誉、地位、権力、名声、お金、財産を追い求めている人は 後悔ばかりが思い浮かぶ最期となるでしょう。』(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201509080000/ 「全ての成果を自分自身のおかげだと思うならば、 それは転落の第一歩です。。 全ての成果を皆さんのおかげだと思うならば、 それは大成功への第一歩です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201508130000/ 「今が幸せで、うまくいっていればいるほど、 謙虚、誠実に生きていきましょう。 人は、うまくできることにはすぐ得意になってしまいます。 傲慢は、過信を呼びます。 不注意の事故、社会からの非難、大損など 大失敗のもとですよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312170007/「人生の最大の喜びは、お金では買えないのです。 本物の家族愛 近隣愛 博愛情愛 誠実、献身、忠誠、 といったものは、お金では決して買えません。 でもお金が無くては地上では生きてはいけないのも事実です。 真面目に誠実に勤勉に、良心に従って笑顔で生きている限り、 経済でも天は決してあなたを見捨てることはありません。 人生の旅の途中に、あなたと家族のために宝箱が置かれています。。 気付かずに、素通りする家族もいますが、 何度でも受け取るまで置き続けるのが天というものです。。 あなたは何度か素通りしたかも知れません。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311150000/「この世の富貴は完全な幻です。。 真実の富貴は天にあります。。 心美しき人は心の大富豪。。 降ろそうと思えば自在に富貴を降ろせます。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408050001/「要は心が満たされればいいのです。 収入や名誉や地位や名声、財産など、どうでもいいことです。 現状がどうであれ、心が虚しいのであれば、 大言壮語していてもやはり虚しい人生です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201412120000/「豊かさには、三等あります。。 家の富、身の富、心の富の三等です。 心の富が一等である事は言うまでもありません。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201204170000/「貧しくたっていいのです。 乏しくたっていいのです。 人として卑しくなければ、 それでいいのです。 そんなあなたには幸運が降りてきます。 時間の問題ですよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201505100000/ 「心が満たされた人は、 膨大な富にも勝ります。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201501090000/ 「自分は生きているのではなく、 「生かされている」という事実に気づきましょう。 本当の幸せは、あなたの心の中にあるのです。 幸せを追いかける人はいつまでも幸せになれず、 今、呼吸をしている幸せに気づく人が、 本当に幸せになれるのです。 まずは、生かされていることに感謝しましょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401020002/「足ることを知り、日々謙虚に生きていきましょう。 強欲と慢心こそが、あなたの心身を蝕む元凶なのですから。。」「足ることを知らない強欲に翻弄されないことですよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201212100000/「足ることを知らない欲望に翻弄されると、人生が、歪曲。。。 良心を忘却して人は、偽りの目標に突き進み、 生きながら地獄に堕ちていくのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201403040000/「自分の心の動きを注意しましょう。 幸運も不幸も全て心の中にあるのです。 愛で満たされているときに幸運の鍵を探してみましょう。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201208150000/「人は安易な道を選ぶ習性を持っていますから、 自ら変えようとしない限り、 直ぐに習慣は悪習となっていくのです。 幸運の鍵を手に出来ない人に共通した悪習というものがあります。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201207110000/「いつも奉仕する機会を探して生きていきましょう。 決して、その機会を見逃してはいけないのです。 自分から、その機会を作りましょう。 機会を待つのではなく、作らないといけません。」「私たちは、宝の箱を開ける鍵を、 あなた様に、お渡しできる日を、 今か今かと待っているのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201205290000/「いつも、真実は、心の中にあります。 宝の箱を開ける鍵も、あなたの心の中にあります。 外にあるのではありません。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201205270000/「山は動かないのですから、自分の方から行けばよいのです。 宝の箱は目の前にあるのですが、鍵が見当たらないのはなぜか? 考えてみてください。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201205250000/「天は人に自由を与えましたが、 同時に嫉妬するという不自由も与えました。 私たちは、不自由から解放された人から順番に 幸運の鍵を渡しています。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201208190000/「鍵穴に対して鍵が多すぎるのです。 目の前にある宝の箱には、鍵は、一つしかいらないのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201205150000/「要は心が満たされればいいのです。 収入や名誉や地位や名声、財産など、どうでもいいことです。 現状がどうであれ、心が虚しいのであれば、 大言壮語していてもやはり虚しい人生です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201412120000/「人生は、今日より明日へとわずかずつ加えることをくり返せば やがて大なるものになるのです。 加えるものは、あなたの好きなものでいいのです。 ただしゴミ屋敷の住人は、加えるものをちょっと間違えていますよ。。 家族や、人様の喜ぶことを加えていくならば あなたは心の大富豪となって心身も健康に。。 心の平安も獲得して、お金持ちにもなっていきます。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408020001/「足ることを知り、日々謙虚に生きていきましょう。 強欲と慢心こそが、あなたの心身を蝕む元凶なのですから。。」「足ることを知らない強欲に翻弄されないことですよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201212100000/「地上的、勝ち負けは、こちらの指標では、逆のことが多いのです。 地上では、名誉も地位も権力も名声も大金も縁が無かった人が、 こちらでは、美しい雲に乗っておられます。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201210260000/「汝の人生の目的は金銭を得ることにあらず。 品性を高めることにある。 品性を高めるならば、生活に必要な金銭を得られるであろう。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201111120000/「良心に従えば豊かになり、欲に従えば危うし。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201108090000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.01.23
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「男と女は支えあって生きるのです。 こう断言できる、真実のパートナーを持ちえた人は、 人生の勝者です。 一人でいた時の十倍ものパワーがありますから 何にでも二人で挑戦してください。 必ず思い通りの人生になっていきます。」自分が持っていないものを相手が持っていたり。。。相手が持っていないものを自分がもっていたり。。。自分は相手にとってどんな存在なのか。。。相手は自分にとってどんな存在なのか。。。相手に惹かれるものの中に自分の至らない点や、自分の心が求めているものを見出したり。。。自分一人では、いつまでも気付けないことが、相手の存在によって気付かさせて頂いたり。。。心を許せる相手と一緒にいることによって、それまで経験したことのないような安堵を感じたり。。。相手の存在によって、自分が本来の自分になったり。。。自分の存在によって、相手が本来の相手になったり。。。結婚すると、相手という存在のお陰様で、色々なことを感じたり、知ったり、気付いたり、本当の自分の姿を垣間見たりすることがあると思うのです。時には、相手の存在によって、時を超えた古い記憶に触れ、何かを思い出すことさえあると思うのです。そのような自分と相手も、至らないもの同士、であることには変わらないと思うのです。至らないもの同士でも、否、至らないもの同士だからこそ、「我を張らなければ」、各々の至らない点を、お互いの良い点で補い合うことができる、ということでもあると思うのです。個々に観れば、50点同士であったとしても、自分が獲得できなかった50点を相手に補って頂き、相手が獲得できなかった50点を自分が補わせて頂けば、二人で100点だったものが、二人で200点になると思うのです。自分だけでは得たり、見い出すことができなかったものが、お互い様の心で補い合うだけで、得たり、見い出すことができるようになるのであれば、二人がお互いに助け合い、支え合い、協力し合えば、その相乗効果により、得たり、見い出せることは、何倍、何十倍、何百倍にも膨れ上がっていくのだと思うのです。反対に、いがみ合ったり、罵り合ったり、自分のことは棚に上げて、相手の至らない点についてああだこうだと不平、不満、愚痴を言い合っていては、自分や相手が本来持っているであろう特技や能力さえ有意義に活かさせて頂くことができないどころか、自分も相手も、自ら自分で自分を貶めてしまうことになってしまうと思うのです。-------- 結婚は、その字の如く、結ばれて、一つになること。。。 (婚は男女が交わること=一つになること)二人で一つ。。。自分と相手という夫婦だからこそできる何か。。。自分と相手という夫婦にしかできない何か。。。があると思うのです。それは夫婦の数だけあるのだと思うのです。それを夫婦で助け合い、支え合い、補い合い、協力し合って見つけ出させて頂き、それを夫婦や家族の為だけではなく、人様のお役に立つよう、人様にお喜び頂けるようなことに活かさせて頂きたいものですね。その為には、日頃から、お互いに相手を思い遣る心をもって、助け合い、支え合い、協力し合い、時には、励まし合いながら、明るく、元気に、仲良く、笑顔で過ごさせて頂くことが大切なのだと思うのです。-------- 自分のルーツは、この世的な時の流れや、血の繋がりだけにあるものではなく、時や血を超越したところにもあると思うのです。それ故に、夫婦や親子の関係も、この世における今生だけのご縁や血縁だけではなく、過去生における何らかの結びつきの結果として、今生のご縁や血縁があるのだと思うのです。(そして来世にも引き継がれていくのだと思うのです。)過去生において、既に夫婦関係や親子関係が成り立っていても、夫婦の男女が入れ替わっていたり、親子が入れ替わっていたりすることもあると思うのです。その他、友人だったり、知人だったり、お客さんだったり、すれ違っただけの方だったりなど、幾度もの過去生において、色々なケースを体験させて頂く中で、少しづつ結びつきが深まり、切っても切れない関係が生まれ、今生に至り、今生の体験によって更に関係が深まり、次の生まれ変わりでも何らかの結びつきを継続させて頂けるのだと思うのです。時には、ご縁や結び付きが希薄になってしまう生もあると思うのですが、次の生でその修復を試みる体験をさせて頂き、結び付きに深さと真を生み出させて頂くこともあると思うのです。多かれ少なかれ、時や血を超越した過去生からの何らかの心のご縁、魂のご縁があって、今生において、夫婦や親子関係を築かせて頂いていると思うのです。お互いがお互いの至らない点を補い合いつつ、自分の利点は相手の為に活かさせて頂くなど、お互いがお互いに対して約束をして生まれてきていると思うのです。自分にとっての妻や夫は、生まれてくる前に契りを結んだ存在であり、自分にとっての親や子は、生まれてくる前に契りを交わした存在、ということだと思うのです。心の世界、魂の世界で、契りを結び、契りを交わして、この世に生まれてきていると思うのですが、その契りの内容は誕生と同時に忘れてしまっている、又は、忘れさせられてしまっていると思うのです。それ故に、この世において、「夫婦」という契りを結んだり、「親子」という血の繋がりを持たせて頂き、心の結び付きを「形」として築かせて頂くことによって、生まれてくる前にしてきた約束を果たさせて頂く準備が整うのだと思うのです。そういう関係が「夫婦」であり、「親子」であると捉えたら、自分にとっての夫や妻や、自分にとっての親や子は、掛け替えの無い存在だと思うのです。掛け替えの無い深い結び付きのある存在だからこそ、大切にさせて頂きたいものですね。源光 「価値観を共有しながらも、いつまでたっても新鮮な驚きのある人。。 これが約束の彼(彼女)なのです。 あなたはもう運命の人と出逢いましたか? 愛し合い、許し合い、助け合う夫婦。。 笑顔溢れる仲良し親子。。 永遠の家族。。 これが地上の幸せの極致なのです。」 (ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312270001/「偶然を装った必然で出逢い、 愛を育み、互いを見つめ合い、 結婚後は、ともに同じ方向を見つめることができるなら、 一人では決して到達できなかった美しい世界に到達できるのです。 人生を大いに楽しんで、 約束の子供と出逢い、家族で幸せを謳歌してください。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407040000/「二人三脚で走る。。歩く。。散歩する。。語り合う。。 夫婦で力を合わせると素晴らしい世界が開けます。。 いつも二人三脚ではなく個人の時間も大切にしている夫婦は、 年齢を重ねるごとに幸せになっていくのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408160000/「人様と調和し、夫婦協力すれば、 独身の時の何十倍ものパワーを発揮できます。 子供ができ、家族が増え、笑顔いっぱいに生涯を送れば、 天の門が開きます。 人生とはそういうもの。シンプルそのものです。 独身を通す時は笑顔を忘れないでくださいね。 天の門は、独身者用もありますから。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201203230000/「天界で、地上の家族が一緒に住んでいることは、ほとんどありません。 家族といえども、心の階層が異なるからです。。 今世、縁あって家族となった人たちは、どうぞ仲睦まじく、 互いを認め合い、助け合い、いたわりあい、欠点を補い合って、 日々を笑顔で暮らしてください。 そして出来ることなら、同じ場所に還ってきてください。 それが世界平和に繋がっていくのですから。。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201305270000/「家族の心と心の繋がりほど美しいものはこの世にありません。 みなさんそのことに気づいて欲しいのです。(一部抜粋)」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201209090000/「永遠の夫婦とは愛する事を教えてくれた大好きなあなたを、 永遠に愛して生きるものです。 これを究極の愛といい、永遠の幸せが約束された夫婦なのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201402060000/「男と女は、互いに相手の長所と欠点を併せて愛せなければ、 いずれ別れることになるでしょう。 相手の全てを愛し、そして許してこそ 真実の夫婦になれるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401110000/「夫婦、親子の礼儀は忘れがちですが、 幸せな家庭は心愛(しんあい)の礼儀が保たれているものです。 互いを思いやることを忘れてはなりません。(一部抜粋)」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312030005/「結婚すると、独身の時、半分謎だったことがわかる人がいます。 結婚して謎が解けましたか? そもそも謎って何? 夫婦で考えてみてください。開運のヒントです。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401250000/「汝の奇跡は目の前にある。 それは夫婦。そして子供である。 家族が力を合わせ宝の鍵を見つけなければならぬ。 それは、親兄弟を含む、家族の心がバラバラでは 決して見つからないのだから。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201110180000/「今まで努力してきたことや夢見ていた人生が、 自分にとって幸せかどうかは分からないのです。 ふとした出逢いで、チャンスに巡り合って将来が開けそうな時は、 自分で作った人生設計を思い切って見直す方が良いかもしれません。 あらゆる障害を乗り越えて どうしても一緒にならなければならなかった夫婦もあるのです。 真実の幸せを掴むために。。約束の子供に出逢うために。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312190000/「いつまでも妻が夫に夢中な夫婦は、最高の夫婦です。 いつまでも妻を夢中にさせる夫は、最良の夫です。 二人の間に産まれた子供は、愛の天使です。 約束の家族。。あなたの家族のことかも知れません。 笑顔で仲良くいつまでも。。地上を去っても家族一緒。。 これが究極の幸せです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311270000/「何でも出来る人はいません。天界でもそうなのです。 それぞれの特技を活かして、 協力し、助け合い、励ましあって、 暮らしやすい平和な世界を創造するところに 最高の喜びがあるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201305220000/ 【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.01.22
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「初心を決して忘れないことです。 初心の至らなさ、失敗、間違いをはっきりと見極め 自覚することにより、明日の進歩があるのです。 初心を忘れないという事によって、 初めて後心が正しく発展していく事が出来るのです。」「時々、立ち止まって過去を振り返り、初心を思い出しましょう。 開運のヒントはすべて初心にあるのですから。」最初に何かを思い立った時の純粋な気持ちや希望、考え、志を表す「初心」。。。~初心忘るべからず~当初の純粋な気持ち、望み、下心のない考えなど、「初心」という純粋で謙虚な心と姿勢や、真面目に取り組もうとする真剣さを忘れ、はたまた、良くも良くなくも長きに渡る経験が邪魔をして、手抜きや横着、不精、怠慢な姿勢になったり、驕り高ぶり、自分が優れていると勘違いして自惚れたりしてしまうことなどにより、「初心」を忘れてしまうのだと思うのです。「初心」を忘れないようにする為に、驕ったり、自惚れたり、手抜きや横着をしたりしないように努めるのではなく、驕ったり、自惚れたり、手抜きや横着をしないようにする為に、そして、様々な境遇から学び、気付かせて頂いた反省の心、感謝の心、報恩の心などの様々な諸心を忘れないようにする為にも純粋な気持ちや謙虚さ、真面目さを心の幹にしながら、「初心」を忘れないように、過させて頂きたいものですね。--------ある知識を「知っている」ことと、「覚えている」ことは別だと思うのです。「覚えている」から、その知識を「理解している(知っている)」とは限らないと思うのです。「覚えている」だけでは、「理解している」ことにはならず、「知っている」「分かっている」と自己満足的に思い込んでいるだけだと思うのです。「そんなこと知ってるよ!」「もう分かっているから。。。」などとすることは、自ら「知る」ことに対する終止符を打ってしまっていたり、自分の能力を自ら頭打ちにしてしまっているなど、自分で自分の成長を止めていることになると思うのです。「知っている。。。」「分かっている。。。」「理解している。。。」と思っていることについてでさえ、「初心忘るべからず!!」「もっと知ろう!」「もっと理解を深めよう!」「もっと感じよう(体感しよう)!」などと自分に素直な姿勢で、探究心をもって努力させて頂くことによって、「より知る」こともできれば、「より理解を深める」こともできることもあり、時には、実は何も理解できていなかった自分に気づかせて頂き、行き詰まってしまうこともあると思うのです。そのような時こそ、それを思い立った時の純粋な気持ちや希望、考え、志である「初心」を思い出させて頂くことによって、自分が本当のやりたいことや、進みたい道を再確認させて頂くことができると思うのです。同じ何かをさせて頂くのでも、「初心」を思い出させて頂くことによって、マンネリや様々な不安や疑問が払拭され、気持ちを新たに、当初の新鮮な心持ちで取り組ませて頂くことが出来るようになると思うのです。最初に何かを思い立った時の純粋な気持ちや希望、考え、志を表す「初心」。。。少し物事が上手く運ぶと、直ぐに調子に乗ってその「初心」を直ぐに忘れてしまい私たちだからこそ、手痛いしっぺい返しを食らうことになるのだと思うのです。手痛いしっぺい返しを食らってもまだ、その原因が初心、謙虚さを忘れた自分にあることに気付かず、その原因を自分以外の他の人や何かのせいにしてしまう。。。それでは自分で自分を貶め続けてしまうだけだと思うのです。そのようなことにならないようにさせて頂く為にも、時折、初心を振り返らせて頂き、今の自分が、初心と真っ直ぐに繋がっているかどうかを、冷静に、客観的に確認させて頂くことが大切だと思うのです。初心を抱いた時の純粋な心、謙虚な心、希望、志などと今の自分が真っ直ぐに繋がっているのであれば、そのまま前進させて頂けば良いと思うのです。反対に、初心を抱いた時の純粋な心、謙虚な心、希望、志などと 今の自分が真っ直ぐに繋がっていない。。。 違う方向に向かっている。。。 純粋な心、謙虚な心が失われ、自惚れ、傲慢になっている。。。 希望ではなく、足るを知らない野望になっている。。。 志ではなく、欲に心を奪われている。。。という自分がいることに気付かせて頂いた時は、それを素直に認め、反省すべきは反省させて頂き、心のあり方や言動などを修正させて頂けば、初心と真っ直ぐに繋がることができるようになるのだと思うのです。源光「汝、いつも「初心」と書くことで、 その気持ちを忘れないようにせよ。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201111180000/「自己満足に浸らない人は、成長し続けます。 自信がない人の方が、多くのことを学べるのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201207010000/「あなたの感性や情熱が本当に素晴らしければ、 偶然を装った必然で出逢いがあり、必ず評価してもらえます。 今は、心配せず、自分の技、能力を磨くことに専念しましょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201310300000/「誰にでも運命はあります。。 運命は、文字通り、「命を運ぶ」ですから、 運命は、志あるものを導き、 志なきものをひきずっていくのです。 」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201405310000/「天命を果たす人とは、自分のできることをする人である。 汝は、自分のできることをせず、 出来もしないことをしようとしてはならない。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201201110000/「今が幸せで、うまくいっていればいるほど謙虚、誠実に生きていきましょう。 人は、うまくできることにはすぐ得意になってしまいます。 傲慢は、過信を呼びます。 不注意の事故、社会からの非難、大損など大失敗のもとですよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312170007/「自分の実力を知ることですよ。決して過信してはいけません。 過去の失敗を活かして大きな人物になってくださいね。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201306090000/「自惚れは苦しみの源泉である。 自惚れが消えたときから、人生の幸福な時期が始まる。 自惚れに翻弄されている人間に、天恵が降りることはない。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201108100000/「中庸の道を歩むことですよ。 極端から極端に動かないことです。。 良心に従うことです。 なにも見えず、何も知らず、 何も聴こえないのが人というものなのですから。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201304290000/「完璧な人は皆無です。誰でも間違いを侵します。 謝ることは負けることだと思っていませんか? そうではありません。ごめんなさい。。 これが言える人は栄光の人。勇気の人です。 必ず大いなる栄冠を掴む人です。 なかなか自分の過ちを認めることができない。 これが苦しみを長引かしている元凶なのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401280000/「人は誰でも過ちを犯すものです。 犯さない人は皆無です。 ただ自分の中で過ちを正当化したり、 相手に責任を負わせたりする人がいます。 だから、いつまでも事態が改善されずに苦しむのです。。 自分が誤っていると悟ったなら、躊躇なく、すぐ改めるべきです。 即、行動しなければなりません。 いたずらに体面や人の思惑を考えて、改めるのを恐れてはいけません。 過ちては則ち改むるに憚ること勿れ と云うことですね。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312080000/「言葉が堕落するので、精神が混沌とするのです。 まず、妬み、嫉み、恨み、ツラミ、足ることを知らない欲望、 怒りから発する、汚い罵り言葉を改め、 綺麗な思いやり言葉を話すことから始めるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407090001/ 「大切なのは心構えです。心的態度です。 天は、心でどう思ったか、どう考えたかを観ていますから、 偽善や形だけの善行は、ほとんど評価しないのです。 心的態度。。 これが、その人の才能や努力、知識以上に重要な要素です。 心を磨く。。これが全てに優先するのです。。 幸運の鍵。。いつでも渡す準備はできています。 あなたの心、純粋な心に期待して、待っています。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401050000/「人間として一番大切なのは、頭の良し悪しではなく、心の良し悪しです。 幸せになるのも頭の良し悪しではなく、心の良し悪しです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201404100000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.01.21
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「人を育てるのは感謝の心です。 感謝の心が自分を磨き、 人を幸せにするのです。」感謝の心は、感謝に始まって、感謝に終わるようなものではなく、いつ何時も持ち続けさせて頂くものだと思うのです。感謝は、表面的にするものでもなければ、自己満足でするようなものでもなく、自分の為にさせて頂くことだと思うのです。「感謝しています」という言葉は、容易に口にすることができますが、感謝するとはどういうことかを自分で自分の心に問い続け、日々、反復させて頂くことにより、本当の意味での感謝の心が育まれ、その育まれた感謝の心によって、日頃の言動や心のあり方が変化し、より純粋な自分に生まれ変わって行くのだと思うのです。より純粋な心の自分に変わっていくからこそ、純粋に「人様のお役に立つことをしたい♬」純粋に「人様にお喜び頂けることをしたい♬」純粋に「人様を笑顔にしたい♬」という心が生まれるのだと思うのです。そして、それを実践させて頂くことによって、人様を幸せにさせて頂くことができるのだと思うのです。人様が幸せそうにしている様子や人様の笑顔を見て、自分も幸せを感じること思うのです。身内や友人・知人等、近しい方などに対しては、近過ぎるが故に、その有り難さが当たり前になったり、その有り難みすら分からなくなってしまう、ということがあると思うのです。そういう身近なところにある「当たり前」と勘違いしている当たり前ではない「有り難い」ことへの感謝の心を忘れずに、謙虚な心で生かさせて頂きたいものですね。日々の様々な出逢いや事象などの様々な境遇を与えて続けて頂いているのもまた、本当に有り難いことだと思うのです。それは、その時の私たちの必要に合わせて与えて頂いているものだと思うのです。だからこそ、その時々だけ感謝させて頂くのではなく、いつ何時も感謝の心を持ち続けながら生かさせて頂きたいものですね。--------全ては「与えて頂いている」ものだと思うのです。私たちが、今こうして存在しているのもそうだと思うのです。 魂の修正や成長をさせて頂きながら幸せに生きる為、 という目的をもって生まれてきている私たちですが、 「この世」という修行の場も「与えて頂いているもの」。。。 この世で修業をさせて頂く為に必要な「肉体」や「生」も 「与えて頂いているもの」。。。 修行の場である地上の全てのものも「与えて頂いているもの」。。。 様々な境遇も環境も出逢いも「与えて頂いているもの」。。。 呼吸をさせて頂く為に必要な空気も「与えて頂いているもの」。。。 食糧や衣服や住居、その他全てのものは、 姿かたちこそ変われど、 もともと地球さんにあったもの(地球さんに与えられたもの)を加工したり、 科学の技術や化学による反応で、元の形を変えて 使わせて頂いているだけの「与えて頂いているもの」。。。 科学や化学などを生み出す元になった直感や知恵、智慧なども 「与えて頂いたもの」。。。何もかもが「与えて頂いているもの」。。。全ては授かりもの、なのだと思うのです。今を生きている私たちの「命」さえも。。。「与えて頂いているもの」の中にいる私たちは、「生きている」という感覚で過ごしがちですが、「与えて頂いているもの」の全てが無くなれば、生きたくても生きようがないと思うのです。 「この世」がなければ修行ができず、魂の修正や成長はできません。 「肉体」や「生」がなければ、この世に存在することができません。 空気がなければ、生きることができません。 食糧や衣服や住居がなければ、生きることができません。 思考や想像、科学、知恵、智慧がなければ、生きることができません。全てを「与えて頂いている」からこそ、生きることができる私たちなのだと思うのです。ということは、私たちは自らの力で「生きている」ように見えて、実は、「与えて頂いているもの」の全てのお陰様で、【生かさせて頂いている】のだともうのです。「与えて頂いている」ことが「当たり前」になってしまい、感謝の心や謙虚な心を忘れることのないように気を付けたいものですね。「当たり前」が当たり前でなくなった時に、気が付いても遅いと思うのです。私たちが「当たり前」と感じるほどまでに全てを「与え続けて頂いている」ということ。。。その「与え続けて頂いている」環境の中で「生かさせて頂いている」ことの有難み。。。「生かさせて頂いている」からこそ感じることができる幸せ。。。に囲まれて生かさせて頂いていることを忘れてはいけないと思うのです。「与え続けて頂いている」。。。「生かさせて頂いている」。。。今の自分、今の私たちがあるのは奇跡のようなものなのだと思うのです。そのように考えさせて頂くと、全てに対して、心から感謝せずにいられなくなると思うのです。--------私たちに「与えて頂いている」様々な境遇や現象は、私たちが生前、自ら設計・計画してきたものであったとしても、それらは、私たち自身が生み出したものではなく、天が、無償の愛によって、私たちの魂の修正や成長の為に、生み出し、与えて下さっているものだと思うのです。しかも、その境遇や現象は、無暗矢鱈と与えて頂いているのではなく、その時々の私たちの魂の状況を鑑みて、その時の私たちの魂の修行にとって、最善なものを与えて下さっているのだと思うのです。私たちがそれを望もうと望むまいと、不完全な私たちのことを想い、不完全な私たちの為に、無償の愛をもっていつも何かを「与え続けて」下さっている天。。。そのように考えさせて頂くと、感謝せずにはいられなくなると思うのです。 (感謝することができない、ということもあると思うのですが、 それは、足るを知らなかったり、自分の思い通りにならない、 自分に都合が良くないなど、自分勝手な自分基準による 利己的なものごとの見方や捉え方、感情、欲によって、 生み出されている渇きのようなものだと思うのです。)「どのような境遇であろうと、何でもラッキー♪」と、有り難く受け留めさせて頂くことができるように、自分の心を耕す「耕運」な自分を生み出させて頂けるよう、自分の心を育ませて頂き、栄養満点の「幸運」な人生を築かせて頂きたいものですね。源光「自分は生きているのではなく、 「生かされている」という事実に気づきましょう。 本当の幸せは、あなたの心の中にあるのです。 幸せを追いかける人はいつまでも幸せになれず、 今、呼吸をしている幸せに気づく人が、 本当に幸せになれるのです。 まずは、生かされていることに感謝しましょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401020002/「不安、不自由、不足や不満の種は尽きませんが、 恵まれていることは忘れていませんか? 心が不安や不満でいっぱいになったら、 不平不満、不安,不自由から心を放して、 恵まれていることに感謝しましょう。 そうすれば、あなたを悩ませている問題は、 霧がはれるように少しずつ消えていきます。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312210001/「幸運の時も不運の時も、すべての現象に感謝しましょう。 感謝は最大の徳であるだけでなく、全ての徳の源なのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201406240001/「日々、太陽に感謝して生きていきましょう。 そうすれば森羅万象全てに感謝出来る素晴らしい人格が構成され、 あらゆることが好転していきます。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201203110000/「感謝は人の義務であるが、何人もそれを期待する権利はない。 汝、その事を世に伝えよ。 」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201201130000/「病気をしなければ健康の有難さは分からず、 失敗しなければ、自分のいたらなさは分からず、 痛い目に合わなければ人さまの痛みを感じる事ができません。 人は試練を通して成長していきます。 天は、偉大なる魂に、大いなる試練を与えます。 感謝しなければなりません。そして天命を果たしてください。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201203080000/「運の悪い人は、実はいないのです。 気づきをありがとう!!感謝します!! こういう人は、全部、驚くほど幸せになっていきます。 これが天の法ですから。。」 (ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201209130000/「汝は、毎日欠かさず、◯◯さんのおかげで幸せです。 有難うございます。と唱えよ。 決して◯◯をして欲しいと注文をしてはいけない。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201109180000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.01.20
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「人は誰でも自分との約束というものがあります。 それは考えてもわからないはずです。 これはというものをトコトン探求してください。 約束が果たされることを祈っています。」魂の修正や成長をさせて頂く為に、地上という修業の場に生を与えて頂いている私たち。。。地上に生まれる前は、 「どんな人生にしようかなぁ♬」 「過去生から培ってきた特技を人様の為に活かそう♬」 「お父さん、お母さんは、この方にお願いしよう♬」 「日本の〇〇県に生まれて、〇〇という名前を付けてもらおう♬」 「〇〇歳頃に本当に自分がやりたいことを始めよう♬」 「〇〇歳頃に約束の人と出逢うようにしよう♬ 約束の人にも同じ時代に生まれて貰えるようお願いしておこう♬」 「過去生ではやりたいことができなかったから、 今生はやりたいことをひたすらやり続けよう♬」などなど、地上において「こうありたい♬」という自分の人生を予め決めて、それを遂行できるように、自分で自分に約束をしていると思うのです。しかしながら、生まれる前に自分で決めてきたことや、自分で自分に約束してきたことをそのまま覚えていては、修行にならないと思うのです。地上に生まれ、自らの心のあり方、生き方をもって、様々な境遇を経験させて頂く中で、自分で決めてきたことや自分で自分に約束してきたことを見つけ、実践していくからこそ修行になるのだと思うのです。それ故に、生まれる前に決めてきたことや約束してきたことは、生まれたときに忘れさせられてしまうのだと思うのです。とはいえ、完全に忘れてしまっても修行にならないが故に、忘れさせつつも、それを思い出すことができるように、ちょっとしたヒントになるようなものや感覚を、「然るべき時期」に与えて頂いていると思うのです。天のご配慮により「然るべき時期」に与えて下さっているということは、 「自分が本当にやりたいことってなんだろう?」 「一体自分はどんなふうになっていくんだろう?」 「興味を惹かれるものがないなぁ。。。 自分は何に興味があるんだろう?」 「早くやりたいことに出逢いたいなぁ。。。」などとあれこれと考えてみても、「然るべき時期」になるまでは分からない、又は、思い出せないと思うのです。 (それまでは、そのときの自分が「すべきこと」や「できること」を させて頂いていれば良いと思うのです。 「すべきこと」や「できること」もしないようでは、 「然るべき時期」は遠ざかってしまうばかりだと思うのです。 人事を尽くして天命を待つ。。。それで良いのだと思うのです。)例え、そのヒントになるような境遇を与えて頂いていても、思い出す「然るべき時期」ではないことや、思い出せるような自分になっていない、その時に「すべきこと」や「できること」をしていなければそれに気づかない、気づけないのだと思うのです。 (「そういえば。。。 良く考えてみるとあの時が初めてだったかもしれないなぁ。。。 あの時は何も思わなかったけど、あれが布石だったんだなぁ。。。」 などと、後になって気づけることは多々あると思うのです。)それ故に「然るべき時期」が来たときは、 「初めて知ったのに、とっても面白いし、ワクワクするなぁ♬」 「初めて来た所だけど、前にも来たことがある気がするなぁ。。。 とても心が落ち着く場所だなぁ。。。ここで何かしたいなぁ♬」 「何度やっても上手くいかないのに、どうしてもこれをやり続けたいなぁ♬」 「〇〇に凄く惹かれるなぁ♬もっともっと知りたいから探究してみよう♬」 「〇〇が本当に自分がやりたいことのような気がするなぁ~。 どうなるか分からないけど、それより何より〇〇をやっていたい♬」という琴線に触れるような分かり易い感覚。。。例えば、ワクワクする♬ ドキドキする♬ ウキウキする♬など、心が躍ったり、胸が高鳴ったり、ときめくなどの感覚を通じて、生まれる前に決めてきたことや約束してきたことを思い出すきっかけとなるような境遇を与えて下さるのだと思うのです。生まれる前に自分で決めてきたことや自分で自分に約束してきたことを忘れている私たち故に、天は、私たちに伝わりやすく、分かりやすい方法で、私たちがそれらを思い出せるようにお導き下さっているのだと思うのです。そういう天の無償の愛によるご配慮は、私たちが気付いていようと気付いていまいと、目に見えようと見えまいと、いつも様々な境遇の中にあるのだと思うのです。だからこそ、日々の感謝の心を大切にさせて頂きたいものですね。そういう感謝の心が育まれていくからこそ、自分が決めてきたことや約束してきたことを思い出させて頂く準備、決めてきたことをする準備、約束してきたことを遂行する準備が整う、ということでもあると思うのです。 (感謝の心なくして思い出したとしても、 結局のところ、それをする為の心のあり方の準備が 整っていなければ、自分では気づいていなくても、 自分が決めたり約束してきた道とは違う道を 歩んでしまうだけなのだと思うのです。)自分が本当にやりたいことを見つけられた。。。本当に幸せなことだと思うのです。自分が決めてきたこと、約束したことを思い出させて頂いた。。。本当に幸せなことだと思うのです。それらを地道に実践したり、探究させて頂く機会を日々与えて頂いていること。。。本当に幸せなことだと思うのです。そうやって私たちの魂が喜び、幸せになるようにご配慮頂いたり、お導き頂いている下で生かさせて頂いている私たちだからこそ、生かさせて頂いていることに心から感謝させて頂きつつ、本当にやりたいこと、自分が決めてきたこと、約束してきたことなどを、人としてあるべき正しい心で実践させて頂くことができるよう授けて頂いている「何が正しいかその全てを知っている良心」に従って、生かさせて頂きたいものですね。そのような心のあり方で生かさせて頂いていれば、自分が決めてきたこと、自分で自分に約束してきたことは、生涯をかけて果たされていくのだと思うのです。源光「自分が心からやりたいことを見つけ出して自分らしく生きていく。。 これが最高の人生ですよ。。 人の価値観に振り回されることはありません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408160001/「地上に生を受けることは、 降りる前に自分自身で決定していた路線に沿って 魂を磨くということです。 無意味に生まれてきた人は、ただの一人も存在しないのです。 自分自身に誇りと夢を持って、活きて頂きたいと思います。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201310240000/「天は個性をとても大切にしています。 天職は、その人が、輪廻転生で探求し続けてきた 道や技を活かせる職ということ。 個性を活かして、触れ合う人達と協力しあって 世の中を幸せのお花畑にしていきましょう。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201305230000/「誰でも、子供の頃から、なぜか特に勉強したわけでもないのに、 他人より上手くできるものがあるはずです。 過去の自分が学んだ宝を、活かすことを心掛けてください。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/20112180000/「どんな事にもタイミングがあります。 あせらず、その時を待ちましょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201504210000/「悪いことは速攻で襲ってきますが、 良いことはゆっくり訪れるのです。 あせらずに、あきらめずに、 コツコツと続け、待ちましょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312200001/「汝、天は準備のできていない人を助けないことを知り、 日々精進して偶然を必然とせよ。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201112050000/「ことが成るには、時を待たねばなりません。 焦らず騒がず、時を待つことです。 準備万端怠りなく。。半分の法則ですよ。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201504180000/「あなたは、すべてを手に入れられます。 ただ、それは少しずつ。。。 焦らないことです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201410160000/「何をやってもうまくいかない時は 時の流れに身を任せて なるようになるさ。。。と開き直ることも必要です。 時期がまだ到来していないのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201507060000/「生まれる前に決めていた自分のコースを 自分のペースで歩むのが最高の幸せの道なのですが、 なぜか、人のコースが良いように見えたり、 人のペースが早い様に見えて焦るのが人間です。 人は人。。我は我。。コースはみんな違います。 本来のコースを外れた人生を送って、 名誉や地位や権力を手に入れたり、 学歴や肩書、財産などがあっても 一つも面白くない人生を歩んでいる人もいるのが 世の中というものです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312220000/ 「信じる道を真っ直ぐに。。 困難にぶち当たった時は、迂回してもいいのです。 ただ、逃げ道に逃げ込むことだけは避けて下さい。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201403080000/「自分が望んだように生き、そして、 それを続けることができるのならば、 それが最高の人生です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407200001/「誰からも認められなくても、 真面目、誠実、勤勉に、 コツコツと責任を果たしていく人に、 天は、偶然を装った必然で、 運命の転機である出逢いと、 幸運の鍵を用意しています。。」 (ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201306100000/「天命を果たす人とは、自分のできることをする人である。 汝は、自分のできることをせず、 出来もしないことをしようとしてはならない。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201201110000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.01.19
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「人は、日常の生き方で未来が決まるのです。 普段の心のありようが一番大切です。 他を害さない、傷つけない、相手の心を痛めない。。ことですよ。 相手を苦しめれば、その行為によって自分が苦しむことになります。 さらに相手の恨みを受けて苦しみが増幅するわけです。 相手の心を害したときは、すぐに謝るなり償うなりして、 一刻も早く、清算しておくことです。 心は丸くおだやかに。。 これが未来を開き、日々を豊かに送るコツなのです。」時に、「誰も見ていないから大丈夫だろう。。。」などという、安易な想いを抱いてしまうことがあるものですが、人様やカメラやビデオが見ていなくても、実は、安易な想いで何かをしようとしている自分の心の内を良く見ている存在があると思うのです。それは、天から与えて頂いた私たちの「良心」や、私たちの本質である自分の魂だと思うのです。何かをさせて頂くときに、 「誰も見ていないから大丈夫かな?」 「これくらい平気かな?」 「あんなことをして、本当に良いのかな?」などのように思うことがあると思うのです。それは、何かをさせて頂こうとしているその何かを、「思い止まらせて下さっている」ということでもあると思うのです。なぜ「思い止まらせて下さっている」のか。。。それは「良心」がその何かに「?」を抱いていて、「それは人としてあるべき正しい心の道とは違うよ♪」ということを、私たちが「?」を抱くという形で教え、語りかけて下さっているのだと思うのです。それにも関わらず、不完全な私たちは 「誰も見ていないから大丈夫だろう。。。いや、大丈夫だ!!」 「これくらい平気平気♪ 楽勝だよ♪」 「あんなことだけど、たまには良いか!!きっと大目に見てくれるだろ♪」などとしてしまうことがあると思うのです。それは、良心に背いた行いをしようとしている自分を正当化する為、安心させる為の、自分に対する言い訳を、自分にすることを通じて、「自己暗示」をかけているようなものだと思うのです。「自己暗示」は、私たちが人としてあるべき正しい心で、正しい選択や判断することを鈍らせようとする「魔が差す」という魔の行為の1つだと思うのです。良心に背いた邪な考えや想いを浮かべたときは、瞬間的に魔が近寄ってくるのだと思うのです。魔は、良くないことを良いこととして、私たちに「自己暗示」をかけようとするのだと思うのです。その魔による「自己暗示」にかかることのないように、私たちの「良心」は、 「自己暗示にかかる、という人生の事故に遭いそうになっていますよ♪」と、私たちを「思い止まらせる」という形で、「事故暗示」を与えて下さっているのだと思うのです。魔が差して自分が魔にコントロールされる自己暗示。。。良心が私たちに伝えて下さる事故暗示。。。どちらの暗示を選択するのかは、私たちの心次第だと思うのです。とはいえ、正しい選択ができるように与えて頂いているものが「良心」であることを考えれば、良心が与えて下さる暗示を信じて生かさせて頂けば良いのだと思うのです。私たちが「?」を感じた時に、これから自分がさせて頂こうとしている行為や、その行為の動機となった自分の考えや想いを、第三者の目という客観的な視点で自分を冷静に見つめ、「良心」が喜ぶ選択や判断の道を前進させて頂きながら、日々を心正しく過ごさせて頂けるようにさせて頂く為には、自分の「良心」が美しいままであることができるよう、「自分の思考や言動を素直に反省させて頂き自分で自分を律する」ことを通じて、自分の心を磨き続けさせて頂くことが大切だと思うのです。心の美しさはその方の心のあり方次第で如何様にもなると思うのです。そして、それは作ったり、飾ったり、取り繕うことが出来るものではなく、自分で育むものだと思うのです。「かたちなき」心の美しさは、年齢や時の経過に関係なく、磨けば磨くほど光り輝くものだと思うのです。今、光り輝いていなくても、自分で自分を磨いていけば、いつでも光り輝かせることができるものだと思うのです。目は口ほどにものを言う。。。目は心の鏡。。。心の鏡である自分の目だけでなく、自分自身そのものが、心の美しさで光り輝けるように、そして、もともと自分がもっていた心の美しさを思い出し、取り戻させて頂くことが出来るように、自分磨きを楽しませて頂きながら、生かさせて頂きたいものですね。--------何が正しいかその全てを知っている良心。。。天は、その良心を私たちが地上に生まれる時に、 「修行の場である地上で、辛く苦しいこともあるでしょう。。。 しかし、天法の写しである良心、人としてあるべき 正しい心の道を指し示す良心に従って生きていけば、 間違いのない人生を歩むことができますよ。 良心に従って生きて下さいね。」というお心で授けて下さっていると思うのです。そして、その天のお心を私たちの本質である魂もそれを理解し、「良心に従って生きるぞ!」と自分に約束してきていると思うのです。それにもかかわらず、地上という修行の場に生まれてしまうとその大切なことを忘れてしまい、良心に背くこともしばしば。。。良心に背くということは、「良心に従って生きるぞ!」という自分で自分に課した約束を破っている。。。つまり、自分で自分を裏切っている、ということでもあると思うのです。自分の魂の修正や成長をさせて頂く為に、天法の写しである「良心」という心の羅針盤と、地上という修行の場に生まれる機会を与えて頂いたにもかかわらず、自分で自分を裏切ってしまっては、魂の修正や成長どころか、修正すべき点を増やしてしまうだけだと思うのです。そればかりか、人様が嫌がることをする。。。人様を傷つける言動をする。。。それでは単純に業を増やしてしまうだけだと思うのです。自分がされて嫌な思いをしたことを、その腹いせに自分も人様に同じことをして、人様を嫌がらせてやろう。。。人様の心無い言動で傷つけられたから、その腹いせに自分も人様に同じことをして、人様を傷つけてやろう。。。幸せそうなあの人を見ていると頭にくる。。。だから、あの人が嫌がるようなことをしたり、傷つくような言動をしてやろう。。。 (自分と人様を勝手に比較したり、 自分勝手な自分基準で 人様を評価することによって生じる 「嫉妬」は、こういうことが多いと思うのです。)このようなことをしていては、いつも心が休まらないばかりか、心に穏やかさ、優しさ、温かさが生まれず、逆に、不平不満、愚痴、怒り、嫉妬などの刺々しさ、荒々しさばかりで満たされた心になってしまうと思うのです。どんなにか「幸せになりたい♪」などといっていても、幸せになるような心のあり方、行いをしていないが故に、幸せになりようがないと思うのです。更に、幸せになれない原因が、自分の心のあり方や言動、生き方にあるにもかかわらず、自分のことは顧みることなく、幸せになれない原因を、人様や社会など、他のせいにする。。。そういう心のあり方、考え方、生き方だからこそ、幸せになれないのだと思うのです。自分がされて嫌なことは人様にもしない。。。自分が言われたり、又は、人様にされて、傷つくようなことは人様にもしない。。。人様を思い遣るそういう優しい心、豊かな心、温かい心、愛の心をもって生かさせて頂く。。。それが良心に従った生き方だと思うのです。人様に微笑みかけたり、人様の悩みなどに耳を傾ける。。。そうやって人様の傍にいることによって、人様を支え、助け、応援し、元気づける。。。その結果、人様が笑顔になる。。。人様の笑顔を見て自分も嬉しくなり笑顔になる。。。心ある人間同士。。。心と心の触れ合い、心と心の繋がりこそ、大切にさせて頂きたいものですね。心と心の触れ合い、心と心の繋がりを育むのは、 「自分にも人様にも嘘をつかない。。。 自分も人様も騙さない。。。 自分も人様も裏切らない。。。 常に良心に従って、利他心をもって生きよう♪」とする心のあり方なのだと思うのです。そういう心のあり方が、人様を幸福にするだけでなく、今の自分や未来の自分を幸福にさせるのだと思うのです。裏を返させて頂くと、人様を幸福にすることができるような自分だからこそ、自分も幸福になるのだと思うのです。--------因果応報。。。自分がされて嫌なことを人様にすれば、巡り巡って、自分は更に嫌なことをされることに。。。これでは、自分も人様も嫌な気分が続くだけだと思うのです。。。自分が嫌なことをされたとき、どのように感じるか。。。自分が悪口を言われたとき、どのように感じるか。。。自分が責任を転嫁されたとき、どのように感じるか。。。恩を仇で返されたとき、どのように感じるか。。。自分が相手や第三者の立場になった時に、「どのように感じるか」、ということを考えさせて頂けば、自分がされて嫌なことは人様にもしない。。。自分が言われて嬉しくない悪口は人様にも言わない。。。自分が転嫁されて嬉しくない責任は人様に押し付けない。。。つまり、自分がされて嬉しくないことは、人様にもしなければ良いだけと思うのです。自分がされて嬉しいことを人様にさせて頂けば、巡り巡って、自分が更に嬉しくなるようなことが待っている♪これは、自分も人様も心地良さが続いていくと思うのです♪同じ人生を過ごさせて頂くのであれば、自分も人様も心地良く過ごさせて頂くことができるような生き方をさせて頂いた方が気持ちが良いと思うのです。自分がされて嬉しいことを、人様にもさせて頂けば、自分も人様も気持ちが良いと思うのです。自分がされて嬉しいことを、人様にもさせて頂くということは、人様を自分に見立ててさせて頂くということだと思うのです。自分も人様も気持ちが良くなるようなことをさせて頂くことが、「良心」に素直に従って生かさせて頂く、ということだと思うのです。心にゆとりや豊かさ、優しさ、温かさ、愛の心がある方は、自分がされて嬉しいことだからこそ、人様にもさせて頂きたい、という感じで、人様と自分を重ね合わせて見ることができるからこそ、人様の喜びを自分の心の喜びとして、明るく、元気に、楽しく、笑って生かさせて頂くことが出来るのだと思うのです。例え今、そのような心のゆとりや豊かさ、優しさ、温かさ、愛の心が足りなかったとしても、自分がされて嬉しいようなことや、自分がされて有難いと感じるようなことを、人様に積極的にさせて頂くことによって、育まれていくのだと思うのです。そういう人様を思い遣る心や、利他の心で生かさせて頂く姿勢こそ、「良心」に従った生き方であり、私たちの魂が喜ぶ生き方であり、魂の修正や成長に繋がる生き方に他ならないと思うのです。そのように生かさせて頂いている時、私たちの心は、丸く、穏やかになっていると思うのです。--------「ごめんなさい」「自分が間違っていました」自分で自分の非を認める言葉故に、それを口にすることは容易ではないものかもしれませんが、それを口にしなかったばかりに、相手や周りとの間にいつまでも蟠りやしこりが残ったり、いつまでも後悔の念に苛まれたり、はたまた、傲慢さや勘違い、思い込みに磨きがかかり自分の周りから人様が離れてしまい孤独になってしまうということもあると思うのです。つまり、自分に非があることを分かっているにもかかわらず、 「ごめんなさい」 「自分が間違っていました」という自分の非を認める言葉を言わない(言えない)という姿勢は、自分では自分のプライドを守り、体裁を取り繕っているつもりでも、その実態は、自分の間違いや過ちをいつまでも抱え込み、自分で自分を苦しめ続けるようにしている、ということなのだと思うのです。中には、自分の非を認めるわけではなく、ただ、事態の収束を図る為に表面的に、 「ごめんなさい」 「自分が間違っていました」と言うこともあると思うのですが、それでは、反省心を伴わない心なき言葉故に、また同じようなことを繰り返してしまいかねないと思うのです。同じようなことを繰り返せば、謝罪された側は、「全く反省していない」と受けとめるのが極自然だと思うのです。その結果は、信頼や信用を失墜するだけだと思うのです。それならば、自分に非があるとわかったときは、さっさと自分の非を認めて、 「ごめんなさい」 「自分が間違っていました」と素直な心で謝らせて頂いた方が、 「自分の非をしっかりと認めることができる立派な人」として、かえって人様から信用や信頼を得ることにもなると思うのです。また、自分の非を認めて、 「ごめんなさい」 「自分が間違っていました」という言葉を発したのであれば、自分の非を反省させて頂き、改めさせて頂いていることを日頃の言葉や行いなどの態度をもって表させて頂くことが大切だと思うのです。その結果、相手や周りとの間の蟠りやしこりがなくなり、後悔の念に苛まれることもなくなり、傲慢さや勘違い、思い込みの角が取れ、丸くなった自分の周りには、気の合う人様が増えてくるのだと思うのです。「大切なのは心構えです。心的態度です。 天は、心でどう思ったか、どう考えたかを観ていますから、 偽善や形だけの善行は、ほとんど評価しないのです。 心的態度。。 これが、その人の才能や努力、知識以上に重要な要素です。 心を磨く。。 これが全てに優先するのです。。 幸運の鍵。。 いつでも渡す準備はできています。 あなたの心、純粋な心に期待して、待っています。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401050000/「まずは人間を創ることです。 人の嫌がることをしないことです。 心を磨き技を練る。。。 技を練って心を磨く方法もあります。 さすれば幸福は向こうからやってくるのです。 良心という心の警察官。。。 誰でも持っているのです。 自らを裏切らないことです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201501130000/「天は人間に言葉を与えました。 言葉は、触れ合う人を喜ばせることも、 生きる勇気を与えることもできますが、 辛い思いをさせることも、哀しませることもできます。 誤解されそうなことは、先に話しておきましょう。 言う必要もなく、相手を不快にさせるだけの事なら、 黙っていましょう。 人の悩みに耳を傾けましょう。。 どのような人とも心と心で言葉を通じ合わせましょう。 辛い時も哀しい時も、愛の人でありましょう。 心温まる言葉を話す人でありましょう。」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311040000/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311050000/「言葉が堕落するので、精神が混沌とするのです。 まず、妬み、嫉み、恨み、ツラミ、足ることを知らない欲望、 怒りから発する、汚い罵り言葉を改め、 綺麗な思いやり言葉を話すことから始めるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407090001/「完璧な人は皆無です。誰でも間違いを侵します。 謝ることは負けることだと思っていませんか? そうではありません。ごめんなさい。。 これが言える人は栄光の人。勇気の人です。 必ず大いなる栄冠を掴む人です。 なかなか自分の過ちを認めることができない。 これが苦しみを長引かしている元凶なのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401280000/「あなたが扱われたいように、他人を扱いなさい。 汝が隣人からされたくないことを隣人に行ってはならない。 隣人を自分自身として見ることで、 人は正しい基準を得ることが出来る。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201107150001/「天は、全てを知っています。 何を考えたか、心の中までも。。 ですから心正しく生きなければ、 この世を去る時に大後悔するのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201209140000/「人間として一番大切なのは、頭の良し悪しではなく、心の良し悪しです。 幸せになるのも頭の良し悪しではなく、心の良し悪しです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201404100000/「正しい心で誠意を尽くして生きていく。。 今日も、ただそれだけでいいのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201409010000/「この世を生きてゆくには誠実の一語です。。 誠実とは何をするにも真心を尽くす事、 すなわちいつわらない事、あざむかない事です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201409190001/「自分の言動に責任を持つことです。 その責任の下に、本当の幸せと喜びが 横たわっているのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201502100000/「人間は、その人がどういう人生を歩んできたのか、 苦しい経験を積んできたのかではなく、 事が起きた際に、良心に従って正しく行動したかどうかで 価値が決まるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201410160002/「理不尽な仕打ちを受けて、人を憎んだり、 復讐したくなるような時もありますが、 決して復讐などしてはいけません。 復讐は、更なる復讐を生んで、際限なく苦しみが続きます。 自分で復讐などしなくても、そのような人は、心の修正を求められて、 自然な形で自分の行いの報いを受けるものです。 それが天法というものです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312220006/ 「世の中に理不尽なことは尽きません。 なぜならば、地上は、あらゆる魂の階層の人が、 一同に介して修行をしている場所だからです。 腹を立てるだけ損だと思って、怒りをおさめましょう。 勉強代だと思って相手を許し、不甲斐ない自分も許してあげましょう。 必ず勉強代が活きるのです。 逆境や苦難の多い人は光の天使。 どうぞ苦い経験を活かして世の中を明るくして下さいね。 そのために生まれてきたのですから。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311240000/「誰かを傷つけるようなことを言うたびに、 あなたは同じような傷を、 他人だけではなく自分にも残しているのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201412100000/「他人を傷つけてはならない。 思いや行いで危害を加えてはならない。 他人を苦しめる言葉を吐いてはならない。 怒りを捨てたものは神の世界に招かれる。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201107210000/「他人の役に立つ人生を心がけましょう。 今は、自分のことで精一杯で他人の役に立てなくても 絶対に他人を傷つけてはいけません。 他人を傷つけている限り、心の平安は決して訪れないからです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201406100002/ 「真心をもって人を助ければ、 必ず自分も人から助けられるのです。 嫌な思いを他人にさせれば、 必ず自分も人から嫌な思いを返されるのです。」 (ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408100000/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408100001/「平常心が大切です。 怒ると、相手よりも 自分を深く傷つけてしまうからです。 笑顔が大切です。 笑うと相手も自分も明るく楽しくなるからです。」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408180000/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408180001/「言葉が堕落するので、精神が混沌とするのです。 まず、妬み、嫉み、恨み、ツラミ、足ることを知らない欲望、 怒りから発する、汚い罵り言葉を改め、 綺麗な思いやり言葉を話すことから始めるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407090001/ 「怒りは敵です。 思ったことをその場で、すぐ言ってしまうから、 相手から恨まれ、人間関係が悪くなるのです。 一晩じっくり考えてから、相手に伝えることですよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401020000/「言葉には魂が宿っています。心して話しましょう。 愛も勇気も希望も夢も、全て言葉の中に宿っているのですから、 美しい言葉を話すことですよ。。 邪悪な言葉を慎むことです。邪悪な言葉は不幸を呼ぶのです。 鳥や虫たちの歌声がいつも同じ調子にしか聞こえてこないというのは、 無頓着な人間の粗雑な耳だけです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201305140001/「人は誰でも過ちを犯すものです。 犯さない人は皆無です。 ただ自分の中で過ちを正当化したり、 相手に責任を負わせたりする人がいます。 だから、いつまでも事態が改善されずに苦しむのです。。 自分が誤っていると悟ったなら、躊躇なく、すぐ改めるべきです。 即、行動しなければなりません。 いたずらに体面や人の思惑を考えて、改めるのを恐れてはいけません。 過ちては則ち改むるに憚ること勿れ と云うことですね。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312080000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.01.18
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「愚者の楽園は、快楽に溢れ魅力的ですが 誘われても決して入り込んではいけません。 本当の楽園は、身を律した世界の中にあるのです。」不完全で至らない点がある。。。過去(生)における業がある。。。そんな私たちが、魂の修正や成長をさせて頂く為に、因果応報の法則で、清算すべきを清算したり、正すべきを正したりさせて頂けるのが、地上という修業の場だと思うのです。魂の修正や成長をさせて頂く為の修行の場であるとはいえ、否、そういう修業の場であるからこそ、魂の修正が必要な私たちの心が誘惑されてしまいそうな魅力的なことや、欲望を満たしてくれそうなことが多々あると思うのです。自分の魂の修正や成長をさせて頂くことでさえ、容易ではなく、大変なことだと思うのですが、更に修正すべき点を増やしてしまいかねないようなことが地上という修業の場に何故あるのか。。。天からすれば、 「地上にある様々な誘惑や飽くなき欲望を 満たしてくれるような世界に翻弄され、 自ら入り込んでしまうようでは、 魂の修正や成長など出来る筈もありません。。。 自分を貶めるような世界に惑わされる自分。。。 そのような世界の中に身や心を置くことに 喜びを見出してしまうような自分。。。 そのような自分になって、後悔することのないように、 自分で自分の日々の思考、想像、言動を省みては律し、 天法の写しである良心に従って生きる努力をする。。。 誠実に、真面目に、明るい笑顔で、 過去生から培ってきた能力や特技を、 人様のお役に立つことや、 人様にお喜び頂けることに 心正しく活かさせて頂き、 人様の笑顔や人様にお喜び頂けることに、 自分の喜びを見出すような自分になってこそ、 清算すべきが正しく精算され、 正すべきが正しく正され、 魂の修正や成長に繋がるのです。」ということだと思うのです。とはいえ、地上にある様々な誘惑や飽くなき欲望を満たしてくれるような世界は、その世界に翻弄されたり、欲望に心を支配されてしまいがちな本当の自分の心の姿や自分の弱点、欠点を自分に教えてくれるものでもあると思うのです。自分の弱点や欠点を気づかせてくれるとはいえ、その世界に翻弄され続け、溺れていては、修正すべき点を増やし続けてしまうばかりか、知らず知らずの内に、心を支配され、「自分」という意識を与えて頂いているにもかかわらず、「自分」として生かさせて頂くことができず、自分の心を支配する存在にとって、都合の良い道具になってしまいかねないと思うのです。そのようなことになって、時既に遅しということにならないように、様々な誘惑のある修行の世界でもいつも心正しく生かさせて頂けるよう、自分の日々の思考、想像、言動を省みたり、自分を律することが大切なのだと思うのです。地上は、魂の修正や成長をさせて頂く為の修行の場。。。私たちの本質である魂の居場所は天界。。。同じ天界でも魂のレベルによって、帰還させて頂く場所は異なると思うのです。帰還させて頂く場所は、地上という修業の場における心のあり方や、良心に従って誠実に生きていたか否か、などの修業の成果によって決まるのだと思うのです。地上において、良心や理性に背いて、快楽や欲望の世界に翻弄され、溺れ続けてしまう。。。地上的には、欲望を満たしては、更なる欲望を生み出す元を与えてくれる世界故に幸せを感じるものだと思うのですが、その幸せは、心を満たすものではなく、地上における欲を満たすだけのもの。。。本質である魂に戻った時は、快楽や欲望の世界に溺れていたように、魂が溺れて苦しむような不自由な場所へ帰還することになってしまうと思うのです。そのような辛く苦しい不自由な場所に帰還するからこそ、 「こんなに苦しい思いをしたくは無い。。。 今度、地上に生まれる時は、 快楽や欲望に翻弄されないように気を付けるぞ!」という思いで地上に生まれて来ていると思うのです。それにもかかわらず、地上に生まれてしまうと地上の快楽や欲望に翻弄されてしまう私たち。。。快楽や欲望に翻弄されてしまうことこそ、本当は自分で自分を苦しめているということに気付かせて頂くべきだと思うのです。それに少しでも早く気づかせて頂く為にも、良心や理性に素直に従って、自分に恥じることのないよう自分の身も心も律して、心美しく生かさせて頂けば、地上という修業の場でこそ、辛く苦しいことがあっても、帰還する場所は、自由に動ける美しき楽園にお招き頂けるのだと思うのです。「偽物の幸福は快楽を与え、 醜悪と高慢を供えますが、 本物の幸福は歓喜を与えて、 智慧と慈悲を具えるのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201206110000/「優しい心で生きる時に聞こえる声は真実の声ですが、 邪念を持った時に聞こえる声は、偽りの声です。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201205030000/「汝が最もだましやすい人は、汝自身である。 汝の想いは、善にも悪にも通じる。 善き方に想いを巡らせなさい。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201107310000/「地上では、良心に従って進むと、損をして、 この世的価値観では、失敗のように見えるものが多いのですが、 実は、天の蔵に大いなる宝を積み上げていた!! こういうことはこの世を去るときに誰もが経験することです。 地上に肉体を持つのは、瞬きをするくらいの時間ですから、 欲に翻弄されて、自分を見失うほど時間の浪費はありません。 」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201209060000/ 「汝、自らを律する、心の声に従い、雑念を祓はねばならぬ。 雑念が見えない壁となって天からの贈り物を阻んでいるのだから。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201110280000/「良心に従えば豊かになり、欲に従えば危うし。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201108090000/「発疹は、掻けば楽だが、無ければより楽である。 欲望は、満たすと楽だが、無ければより楽である。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201202090000/「足ることを知り、日々謙虚に生きていきましょう。 強欲と慢心こそが、あなたの心身を蝕む元凶なのですから。。」「足ることを知らない強欲に翻弄されないことですよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201212100000/「足ることを知らない欲望に翻弄されると、人生が、歪曲。。。 良心を忘却して、人は、偽りの目標に突き進み、 生きながら地獄に堕ちていくのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201403040000/ 「快楽や官能の奴隷になった人に、 人生の真の喜びは分からないのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201205020000/「この世の富貴は完全な幻です。。 真実の富貴は天にあります。。 心美しき人は心の大富豪。。 降ろそうと思えば自在に富貴を降ろせます。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408050001/「幸せの基準が他人に尊敬されたり、認められたり、 地位や収入を求めたり、異性にもてたり、 快楽を求めたりするところにある人は、 たとえそれが手に入っても心の底から幸せを味わうことはできません。。 幸せの基準は、もっと自分の魂が喜ぶ、心豊かなところにもちましょう。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407230001/「自分は生きているのではなく、 「生かされている」という事実に気づきましょう。 本当の幸せは、あなたの心の中にあるのです。 幸せを追いかける人はいつまでも幸せになれず、 今、呼吸をしている幸せに気づく人が、 本当に幸せになれるのです。 まずは、生かされていることに感謝しましょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401020002/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.01.17
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「いまの環境が 自分の求めるものと違う時は その環境から転進することが 前向きな選択になります。 これは決して負けたのでも、 逃げたのでもありません。」「これが自分の本当にやりたいことだ!」と感じたことを実際にやってみると、 自分の思い通りに行かないこと。。。 なかなか結果が出ないこと。。。もあれば、 「まだそんなことやってるの?」 「そんなことやっても意味ないでしょ?」 「もっとましなことすれば?」などと家族や人様から、ご意見を頂くこともあると思うのです。反対に、 思い通りに行かないから止めようかな。。。 なかなか結果が出ないから自分に向いてないのかな。。。と自ら思うこともあれば、 「いつも諦めるのが早いね。」 「いつも長続きしないね。」 「それじゃ何をやっても上手くいかないよ。」などと家族や人様から、ご意見を頂くこともあると思うのです。もし、その時の自分がさせて頂いていることが、自分が求めている本当にやりたい事であれば、自分の思い通りに行かなかろうと、なかなか結果が出なかろうと、家族や人様に何を言われようと、 「これに邁進し、没頭し、探究していることが 生き甲斐であり、楽しくて仕方ない!」 「思い通りに行かないからこそ、面白いんだ!」 「失敗したり、上手くいかないのは、 進むべき方向が違っていたり、やり方が違っているからこそ! 失敗したり、上手くいかないときは、 正しい方向、正しいやり方を見つけなさい、 というお知らせなんだ!」 「これを止めるなんて考えられない!」 「止めさせられたら生きていけない!」などのような気持ちがあるが故に、本当にやりたいことを自ら止めるという選択肢は生まれてこないと思うのです。 (中には、自ら止めるという選択をしなくても、 自分の立場や置かれている環境などによって、 自分の意思に関係なく「止めさせられる」 ということはあると思うのですが、 「本当にやりたいこと」に対する強い想いを 抱き続けていると、それが出来る環境が やってくることもあると思うのです。)当初は、 「これが自分の本当にやりたいことだ!」という思いがあって始めたことでも、実際に始めてみた結果、 「これをやっていても、楽しくないし、面白くもない。。。 もっと知りたい! もっとやりたい! 失敗しても、上手く行かなくても、やり続けたい! という情熱も沸いてこない。。。 これを続けていても仕方がない感じがするなぁ。。。」 「どうも、自分がやりたいと思っていることと違うなぁ。。。」 「これに時間を掛けていることがもったいないなぁ。。。」などと感じることもあると思うのです。それは、 「本当にやりたいことを見つけさせて頂く為に必要な 過程だったのかもしれないなぁ~。。。 今すぐにこれを止めても未練はないし、 やりたい意欲も無いのに無理して続けていても、 どんどん時間を無駄にしてしまうだけだし、 さっさと止めて、本当にやりたいことに向かって転進しよう!」という感じで、新たな道を模索させて頂いた方が、自分らしく生かさせて頂くことができると思うのです。家族や人様から見ると、その転進について、色々なご意見があると思うのです。 「本当にやりたいことを見つけたいとか何とか言って、 色々やっている割には、長く続いたものがないね。」 「またやりたいことが変わったのか。。。 今回もどうせ長く続くわけがないし、 上手くいくわけもない。。。成果も出せない。。。 何をやっても時間を無駄にしているだけ。。。 そんなんだから何も成し遂げられないんだよ。」などなど。。。とはいえ、勇気があるからこそ、転進という前向きな選択をすることができるのだと思うのです。勇気が無ければ転進の行動は起こせないと思うのです。今やっていることは、本当にやりたいことを見つけさせて頂く為に必要な過程の1つであり、本当にやりたいことではないが故に、それを止めることは、諦めでも、負けでも、逃げているわけでもないと思うのです。安定から不安定になるかもしれないにもかかわらず、 「本当にやりたいことをやる! そうしなければ後悔する! 自分に嘘を付きたくない! 自分を騙したくない!」として、転進することを決意・決断・覚悟ができる勇気があるか否か。。。それこそ、「本当にやりたいこと」から求められている心意気であり、お試しなのだと思うのです。裏を変えさせて頂くと、今の環境が求めているものと違うにもかかわらず、安定に甘んじて不安定を恐れ、本当にやりたいことを求めず、自分の心の叫びに嘘を付き続け、自分で自分を騙し続けながら、惰性と妥協でそれを続けていくことこそ、自分を諦めている。。。自分に負けている。。。自分から逃げている。。。ということでもあると思うのです。生まれてくる前に自分で作った自分人生設計の道である「本当にやりたいこと」を見つけたと感じた時は、それが転進であろうと何だろうと、親や人様に批判されようと、何を言われようと、自分自身を信じて、自分の信じる道を信じて、親や人様に迷惑をかけることのないよう、正々堂々と真っ直ぐに歩ませて頂けば良いと思うのです。自分が歩むべき道を歩ませて頂いている時の自分は、一番活き活きとして、輝いていると思うのです。裏を返させて頂くと、 活き活きとしていない。。。 輝いていない。。。 楽しそうではない。。。などの場合は、自分が歩むべき道ではない道を歩んでいるということでもあると思うのです。自分の魂が喜ぶ道こそ、自分が活き活きと輝く道だと思うのです。そういう道こそ、自分で設計してきた自分が歩むべき人生の道、「本当にやりたいこと」だと思うのです。そういう「本当にやりたいこと」を見つけさせて頂く為にも、試行錯誤したり、色々な経験をさせて頂くことは、とても大切なことだと思うのです。それが「進む方向を変える」転進であったとしても。。。「自分が心からやりたいことを見つけ出して自分らしく生きていく。。 これが最高の人生ですよ。。 人の価値観に振り回されることはありません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408160001/「自分が望んだように生き、そして、 それを続けることができるのならば、 それが最高の人生です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407200001/ 「誰からも認められなくても、 真面目、誠実、勤勉に、 コツコツと責任を果たしていく人に、 天は、偶然を装った必然で、 運命の転機である出逢いと、 幸運の鍵を用意しています。。」 (ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201306100000/ 「現在うまくいっているとしても、 本当は間違った事をしていると、 心の底で分かっているなら、 すぐに止めることです。 現在うまくいかないとしても、 良心に恥ない正しい事をしていると 心の底でわかっているなら、 諦めず継続していきましょう。 正しい努力だけが真の幸せを運んでくるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311210000/「その夢を失くしても、生きていけるのならば 躊躇なく別の夢に乗り換えましょう。 生きていけないのならば、 実現に向かって努力を続けましょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201510080000/ 「夢を諦める時は、その夢を失くして、 生きていけるかどうかで考えるのです。 生きていけないのであれば、続けましよう。 障害を乗り越えて、トコトン探求していきましよう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201403260000/「転進したい時は、その夢を失くして、 生きてゆけるかどうかで考えてください。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201409290000/ 「信じる道を真っ直ぐに。。 困難にぶち当たった時は、迂回してもいいのです。 ただ、逃げ道に逃げ込むことだけは避けて下さい。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201403080000/ 「今、夢中になっているものがありますか? どうぞ何処までも探求して下さいね。 それが貴方が真に求めているものなのですから。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201310290000/ 「人と同じことをしなければならない。。というのは単なる思い込みです。 良心に恥じず人様に迷惑を掛けないのであれば何でもやってみることです。 そしてダメなら即、中止する勇気が必要です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201402020000/ 「良心に恥じない自分であれば、 思うままに生きればよいのです。 そして他人の生き方に口を出す必要はありません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201409280000/「親や他人の期待に振り回されないことですよ。 あなたにはあなただけの道があるのです。 正々堂々と、自分の道を歩んでください。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201504190000/【女神経典】 【ラクシュミーさんの言葉】
2016.01.16
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「ビッグバンによって宇宙が始まったのは、 地上の時間で137億年前のことです。 宇宙の果てには何があるのでしょう。。 なんのことはありません。 宇宙の果ては宇宙の反対側に繋がっているのです。 宇宙は球体のようなものです。 銀河系も太陽系も縁が円を描いています。。 地球も球体ですね。 人も宇宙の細胞の一つ。。 宇宙即我。。。 人の社会は、縁が円を描く世界なのです。。 触れ合う人の笑顔を我が喜びに。。 こういう気持ちで生きていきましょう。」私たちは「自我(自分)」という意識と肉体(身体)をもって、この世という修行の場に生かさせて頂いているが故に、「自分」と他者や外界とを何らかの基準によって区別し、その区別した「個」が自分の本質だと思っていることが多いと思うのです。「自分」という意識を持った「個」の視点から見れば、私たち一人一人は各々が個性ある「個」であり、外界の全てのものも各々の特徴や特性を持った「個」であるように見えると思うのですが、「自分」という意識をなくしてみると、区別する基準がなくなり、全ては一緒、全ては1つ、ということになると思うのです。例えば、私たちは、地球さんの表面で生かさせて頂いておりますが、「自分」という意識や視点でものごとを見るのと、「地球さん」という意識や視点でものごとを見るのとでは、そのものごとの見え方は変わってくると思うのです。「自分」という意識や視点では、自分と他者や外界とを区別し、自分という個の世界観を持つ者同士が、同じ広い地球さんの上で、生かさせて頂いていているにもかかわらず、自分の目に見えているのは、自分の周りのことだけで、とても視野が狭いと思うのです。「地球さん」という意識や視点では、「地球さん」という「全体像」を見ることができ、視野はとても広いと思うのですが、その「地球さん」の上で生かさせて頂いている「個」が見えず、「地球さんは地球さん」という「1つ」のものとして見てしまうと思うのです。視野の狭い、広いはあれど、そこには「個」と「全体(地球さん)」という両方が存在することには変わりはないと思うのです。ということは、「個」という1つに見えるものは、「全体」を構成する1つの大切な存在であるということだと思うのです。逆に捉えると、「全体」はただ「全体」として存在しているのではなく、「全体」を構成する「個」の存在あってこその「全体」ということでもあると思うのです。つまり、「個の集まり=全体=1つ」ということなのだと思うのです。「個」は物理的に小さく見えたり、小さいものと感じてしまうものですが、そういう概念を取り去ってみれば、「個」の中に全体が内包されていてもおかしくはないと思うのです。逆に、「全体」は物理的に大きく見えたり、大きいものと感じてしまうのですが、その概念も同じように取り去ってみれば、「全体」が個に内包されていてもおかしくはないと思うのです。物理的なものに意識や感覚が支配され過ぎてしまったり、何らかの尺度や基準、条件を付してものごとを決め付けてしまうと、「個は個」「全体は全体」「1つは1つ」と認識されてしまうものだと思うのですが、意識や感覚を解き放って、何があってもおかしくない、という感じで、ものごとを決め付けない見方をすることによって、 「私(個)とあなた(個)は、性別や容姿や性格こそ違えど、 もとは同じ「全体」を構成している1つ1つ。。。 だから私はあなたで、あなたは私。。。」という、尺度や基準、条件のない中で意識や感覚が育まれ、「個は大宇宙そのもの」「全ては1つ」ということを思い出させて頂くことになるのだと思うのです。「自分」は「自ずから分かれる」と書きます。「大宇宙」や「全て」から、自らの意思で離れているのが、「自分」という意識や感覚を持っている「個」の私たちなのだと思うのです。あなたも私も「大宇宙」や「全て」の一部であるが故に、あなたも私も大宇宙であり、全てであれば、あなたは私であり、私はあなたであり、みんな一緒、ソースもみんな同じ、ということなのだと思うのです。この世で「個」として分かれていても、本を正せば、みんな一緒で、ソースもみんな同じであることを思い出させて頂けば、人様の為にさせて頂いていることが自分の為にもなっていたり、自分の為にさせて頂いていることが人様の為にもなっている、ということにもなるのだと思うのです。「あなた=私」ということは、「あなたが喜ぶこと=私が喜ぶこと」でもあると思うのです。だからこそ、お互い様の心で、協力し合い、助け合い、支え合い、与え合い、分け合い、分かち合い、育み合い、感謝し合い、愛し合いながら生かさせて頂いけば良いのだと思うのです。あなたと私は「=」で結びついているが故に、「あなたが喜ぶこと」をさせて頂いたことは、それがどんなにか些細なことであっても、巡り巡って「自分が喜ぶこと」になって還ってくるのだと思うのです。「あなた」を他の「人様」や他の何かに置き換えても、同じだと思うのです。「喜ぶこと」を「嫌がること」に置き換えても同じだと思うのです。「人様が嫌がること=自分が嫌がること」。。。人様が嫌がるようなことを自分がすれば、巡り巡って、自分が嫌だと思うことを経験させて頂く、ということになるのだと思うのです。自分が相手にしたことや、自分がしたことが、巡り巡って自分に還ってくるのであれば、わざわざ自分がされて嫌だと感じるようなことを人様にする必要はないと思うのです。人様にお喜び頂けるようなことや、人様のお役に立たせて頂けることをさせて頂くことは、結局のところ、巡り巡って、自分の喜びになったり、どなた様かに助けて頂いたりすることに繋がっていくことを忘れずに、天から授かった良心に従って生かさせて頂きたいものですね。宇宙に存在する全てのもの「森羅万象」。自然界を支配している法則「摂理」。人知の及ばないことだから、信じることが出来ない、受け入れることが出来ない、認めることが出来ない、と考えるよりも、人知の及ばない宇宙さんの中で生かさせて頂いている私たち故に、人知の及ばない何かが、いつ、どこで、どのような形で起こってもおかしくない、と捉えて、今という一瞬に与えられた境遇をありのままに受け入させて頂き、その境遇に同調させて頂くことが出来たとき、それは「宇宙即我」であり、「自然の摂理」に素直に従わせて頂いている、ということなのかもしれませんね。【「宇宙の中の自分」 or 「宇宙=自分」 or 「自分の 中の宇宙」】 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201809210000/ 「人は、悟りに近づくにつれ、自我のことは考えなくなるのです。 無我の境地に達するのは困難でも、愛を実践すれば、 宇宙即我の境地に達して、運命の鍵を手にする事ができます。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201205210000/「人は宇宙即我。。。 個の存在でありながら、 大宇宙の細胞の一つでもあるのです。」(ラクシュミーさん)「地球という器でも小さいのです。。。 宇宙という器で物事を観るならば 物事は大きく進展していくのです。 あなたの心の中に宇宙があります。。。 それが神仏の姿です。」(ラクシュミーさん)「地上はその根底において、 常に簡単な法則に従って動いているのですが それが分かるのに人間は気が遠くなるほどの 歳月を要するのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201508010000/「個は、大宇宙そのものです。 宇宙即我。。。 これが地上にいる時にはっきりと自覚できる人は稀ですが、 誰でも到達できる境地でもあります。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201211130000/「人は等身大で生きていますから、悩みも喜びも等身大。。 目で見える基準。。それが全てと思って暮らしています。 違いますよ。。 宇宙即我。。。これが真実の世界。。人智を超える圧倒的世界。。。 小さなことにクヨクヨしないスケールの大きい人になってください。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408110000/「人は、地上は平面と思って違和感なく生活しています。 しかし事実は違います。 宇宙から見れば地球は丸いのです。 視野が狭く、低い位置から見ていると、 まぎれも無く地上は平面なのですが、実は間違っているのです。 あなたの悩み、苦しみも実は 視野が狭く、視点が低いために、 事実とは違った形として物事が認識されている可能性があります。 もっと高い視点から見ると、実は悩み、 苦しみ、病苦は存在していなかったことに、気づくことができます。 病んでいるのは、肉体に過ぎません。。 本来、心は決して病むことはないのです。 宇宙即我。。。このレベルに達した人は古来稀です。。 人の魂のレベルの差は、上位と下位では雲泥の差がありますが、 上位の人が偉いわけでもありません。 威張るような人は低レベルの人です。 心の世界は、この世の名誉や地位、権力、名声、学歴、収入、 財産、年齢差などとは、全く次元の違う、波長の乱れた地上とは違う 高尚な真実の世界です。」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401100001/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401100002/「人は心の美しさ。。。 太陽が朝を連れて来るように、 心美しい人は、今日も愛の光を連れて来るのです。 あなたの喜ぶ姿が私の喜びです。 人はこうして幸せになって行くのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201405050001/「出逢いは大切にしたいものです。 意味のない出逢いはないのですから。。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201412130000/ 「縁は円を描いて自分に帰ってきますから、 不義理をしてはいけませんね。」(ラクシュミーさん)「人を思いやることが、結局は自分に戻ってくることにつながります。 縁は円を描いて自分に還ってくるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201210140000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.01.15
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「天と真っ直ぐに繋がっていれば、 道を踏み外して転落することはないのです。 人生の王道を胸を張って堂々と歩いて行けるわけです。 良心は、人間の創った人法の遥か上位にある天法です。」いつ何時も変わることのない真実の道理である「天法」。。。時代の変化と共に変化(進化又は退化)し続けているこの世の法律、規則などの「人法」。。。心ある人が、心ある人として生かさせて頂くのに必要なのはどちらか。。。私たちは、地上という修業の場に生まれる時に、地上において、人としてあるべき正し心で生かさせて頂くことができるよう、天の無償の愛、ご配慮によって、天法の写しである 「何が正しいかその全てを知っている良心」を授けて頂いていると思うのです。天法の写しである良心に従って生かさせて頂く。。。それは、天のあり方を真似て生かさせて頂くということ故に、私たちの魂の修正や成長に繋がるだけでなく、天と真っ直ぐに繋がった生き方をさせて頂いている、ということになると思うのです。不完全で至らない点があるからこそ、地上という修業の場と修行の機会を与えて頂いている私たちが、良心に従って生きることと対極にある足ることを知らない欲に翻弄され、良心に恥じる生き方をしてしまいがちな地上において、天法の写しである良心に従って生かさせて頂くことは、容易なことではないと思うのです。裏をかえさせて頂くと、容易であったとすれば、私たちの魂の修正や成長を促す修行にならないと思うのです。容易ではないことから、逃げたり、目を背けたりせず、欲に負けてしまいそうな自分の心を自分で律しながら、良心に従って生かさせて頂くことを第一にするからこそ、本当の意味での修行になり、魂の修正や成長に繋がるのだと思うのです。地上におけるこの世的価値観では、そのような生き方をしていると、 面白くない。。。 損をしている。。。 失敗している。。。 無駄にしている。。。などと見えてしまうものですが、地上に生まれる機会を与えて頂いている目的が、魂の修正や成長であること。。。そして、私たちの本質が魂であることを考えれば、天法の写しである「何が正しいかその全てを知っている良心」に背く言動をしたり、欲に翻弄されて生きることは、自分で自分を貶めたり、修正すべき点を自ら増やしてしまうだけだと思うのです。良心に従って生かさせて頂くことを通じて、自分の至らない点や修正すべき点を改善し、魂の成長をさせて頂くことが目的である貴重な人生であるにもかかわらず。。。天から授かった天法の写しである良心に従って生かさせて頂くのも、良心に恥じる生き方をさせて頂くのも自由だと思うのですが、自由だからこそ、どちらの姿勢で生かさせて頂こうとも、その責任は因果応報で自分に返って来るだけだと思うのです。何があっても良心に従って生かさせて頂くことを常とすることができる自分にも天にも恥じることのない心を育ませて頂いていれば、もはや地上という修業の場に生まれる必要はないと思うのです。 (地上に生まれる必要のない高いレベルの方々にもかかわらず、 地上の人々を正しき道へ導く為というお役目を授かったり、 自らそのお役目を担ってお生まれになられる方も いらっしゃられるのだと思うのです。 本当に有り難いことだと思うのです。)そういう方々がいらっしゃられるのに対して、因果応報による責任(業や過ち)を背負い、それを清算、改善することができるよう魂の修正や成長をさせて頂く為に、地上という修業の場で生かさせて頂いているのが私たちであり、それが地上の人々の殆どだと思うのです。良心に従って生かさせて頂く。。。私たちの魂が喜ぶ生き方だと思うのです。私たちの魂は、それを良く分かっていると思うのですが、地上における欲やこの世的価値観に翻弄されて、それを見失ってしまっている。。。見失うようにさせられているのが私たちなのだと思うのです。それを見失わないように導いて下さるのが、「何が正しいかその全てを知っている良心」なのだと思うのです。そういう私たちだからこそ、同じことを繰り返さないように、自分にも天にも恥じることのないように、良心に従って生かさせて頂くことが大切なのだと思うのです。--------人法。。。その字の如く、人が創り出した法。。。その人法をお創りになられた方々が、どんなにか完璧だと思っている人法でも、不完全な人間が創りだした人法である以上、その人法もまた不完全だと思うのです。人法は、その解釈が専門家でなければ分からないような難しい言葉を用いていることが多いですが (さまざまな宗教における教義なども同じだと思うのです)、本来は、その国や地域を治める法である以上、誰もが理解できるような分かり易い言葉であるべきものだと思うのです。それにも拘らず、難しい言葉による人法にしているのは、特定の方にとって都合の良いように法が創られていたり。。。特定の方以外の方々に、その法の真意が分かり難くなるように難しくしている。。。と捉えさせて頂くこともできると思うのです。マザーテレサさんやガンジーさん、仏陀さん、キリストさんなど、私たち人間が「心ある人」として生かさせて頂く為の心の道、人の道をお説き下さっていたその数々の教えの言葉は、誰にでも分かり易い言葉で表現して下さっていると思うのです。人に理解できないような難しい言葉・表現による不完全な人間が創る人法。。。誰にでも理解できるような優しい言葉・表現にによる永久不変の天法。。。前者は不親切で、後者は親切だと思うのです。この世で生かさせて頂いている以上、不親切な人法を遵守させて頂くことも大切だと思うのですが、不完全な人法故に、時として、様々な場面において、 「この人法は、人としてあるべき正しい心の道に反している理不尽な法だ。」と感じられるときがあると思うのです。 (だからこそ不完全な人法なのだと思うのです。。。)そういう時こそ、否、そういう時云々に関係なく、私たちが、修行の場であるこの世に誕生させて頂く際に、天に授けて頂いた天法の写しである 「何が正しいかそのすべてを知っている良心」に従って生かさせて頂くことを常とさせて頂きたいものですね。 --------今の世の中には、様々な人為的な「法」や「規制」があります。私たちはその「法」や「規制」の下、「心ある人」として行うべき正しい道や正しい心のあり方へ導いて頂けるよう、「しつけ」をされているのではなく、「支配されている」と言っても過言ではないと思うのです。世にある様々な人為的な「法」や「規制」は、「心ある人」として行うべき正しい道や「心ある人」としてあるべき正しい心のあり方の元になっている「天法」「真実の道理」「永遠普遍の真理」の意である「法(仏語で言うところのダルマ)」に基いて生み出されているものではなく、法治国家故の「法」や「規制」という言葉を巧みに用いた、「人を支配する為の法や規制」である法が多いと思うのです。世にある様々な「法」や「規制」は、 「権力によって人を支配すること」 「法や規制の下に人を服従させること」を目的として人為的に作られている。。。そういう面が多々あると思うのです。そういう「法」や「規制」を創り出した方々は、自ら創り出した法から生じる権力によって、人々を支配し、服従させることができる、と思っていらっしゃると思うのですが、実は、そういう方々こそ、既に支配され、服従させられている、と思うのです。。。。。。足ることを知らない欲望によって。。。ということは、今の世の中の法は、自分の「欲」を自分でコントロール(支配)出来ない方々が人様を支配したり、服従させる為に「法」や「規制」を創り出し、自分の「欲」を自分でコントロールできない方々、つまり、良心に恥じる言動をする方々によって、私たちは支配され、服従させられている、ということでもあると思うのです。過去の歴史においても同じようなことが繰り返されてきていると思うのです。永久不変の道理(天法)に合わない理不尽な法や規制が、権力の行使や支配の手段になっていても、それに耐えかねた民衆が、「一揆」という形で反乱を起こし、法や規制を変えてきた経緯があります。理不尽な法や規制の変化は、それを民が赦さないのではなく、「天法」という真理に適っていないが故に、より「天法(真理)」に近い生き方をされていらっしゃる民衆のエネルギーによって、変化が生み出されるのだと思うのです。永久不変の天法を理解させて頂くに至ることはなくとも、自分の良心に素直に従って生かさせて頂くことによって、「心ある人」としてあるべき正しい道を指し示して頂き、その道を歩ませて頂き、人様のお役に立たせて頂くことに喜びを感じながら生きていらっしゃられる方々が、「法」や「規制」を創り出すのであれば、今のような「支配」や「服従させること」を目的とした人為的な「法」や「規制」は創り出されないと思うのです。--------何が正しいかその全てを知っている良心。。。天は、その良心を私たちが地上に生まれる時に、 「修行の場である地上で、辛く苦しいこともあるでしょう。。。 しかし、天法の写しである良心、人としてあるべき 正しい心の道を指し示す良心に従って生きていけば、 間違いのない人生を歩むことができますよ。 良心に従って生きて下さいね。」というお心で授けて下さっていると思うのです。そして、その天のお心を私たちの本質である魂もそれを理解し、「良心に従って生きるぞ!」と自分に約束してきていると思うのです。それにもかかわらず、地上という修行の場に生まれてしまうとその大切なことを忘れてしまい、良心に背くこともしばしば。。。良心に背くということは、「良心に従って生きるぞ!」という自分で自分に課した約束を破っている。。。つまり、自分で自分を裏切っている、ということでもあると思うのです。自分の魂の修正や成長をさせて頂く為に、天法の写しである「良心」という心の羅針盤と、地上という修行の場に生まれる機会を与えて頂いたにもかかわらず、自分で自分を裏切ってしまっては、魂の修正や成長どころか、修正すべき点を増やしてしまうだけだと思うのです。そのようなことになって後悔することのないように、いつも良心に従って生かさせて頂きたいものですね。--------魂の修正や成長をさせて頂く為に、地上という修行の場を与えて頂いている私たち。。。地上において、「人としてあるべき正しい心」をもって、心正しく生き、魂の修正や成長が順調に進みますように♪という天のお取り計らいと無償の愛によって与えて頂いたものが天法の写しであり、地上における心の羅針盤でもある「良心」だと思うのです。「良心」は天法の写しであるが故に、「何が正しいかその全てを知っている」ものだと思うのです。つまり、良心を与えて頂いている私たちは、良心に従って生かさせて頂いていれば、間違いのない人生を歩ませて頂くことができ、魂の修正や成長をさせて頂くことができ、生まれる前に決めてきた人生行路を達成して天に帰還することができる、ということなのだと思うのです。このように書かせて頂くと、 「良心に従って生きていけばいいだけじゃん♪」と簡単に思ってしまうことが多いものですが、それが思いのほか容易ではないこと、そして、その良心に背いてしまいそうな自分、又は、良心に背いてしまう自分がいるという、自分の真実の姿を知る機会に恵まれることがあると思うのです。 (容易ではないからこそ、修行となるのだと思うのです。 そのような修行を乗り越えさせて頂くからこそ、 魂の修行や成長をさせて頂くことができるのだと思うのです。)それが、地上という修行の場で生かさせて頂いている私たちに与えて頂いている沢山の試練だと思うのです。その試練のシチュエーションは人それぞれ様々だと思うのですが、その試練の根本にある目的や意義は、どなた様にとっても同じで、 「どのような状況下にあろうとも、いつでも、どこでも、 良心に従って生きることができるかどうか。」ということにあるのだと思うのです。自分では良心に従って生きていこう♪ と思っていても、その気持ちを揺るがすような試練が次から次へとやってくる人生。。。時に、「誰も見ていないから大丈夫だろう。。。」などという、安易な思いを抱いてしまうことがあるものですが、人様やカメラやビデオが見ていなくても、実は、安易な思いで何かをしようとしている自分自身が、その時の自分の心を一番良く見ているのだと思うのです。それが天から与えて頂いた私たちの「良心」だと思うのです。何かをさせて頂くときに、 「誰も見ていないから大丈夫かな?」 「これくらい平気かな?」 「あんなことをして、本当に良いのかな?」などのように思うことがあると思うのです。それは、何かをさせて頂こうとしているその何かを、「思い止まらせて下さっている」ということでもあると思うのです。なぜ「思い止まらせて下さっている」のか。。。それは、「良心」がその何かに「?」を抱いていて、「それは人としてあるべき正しい心の道とは違うよ♪」ということを、私たちが「?」を抱くという形で教え、語りかけて下さっているのだと思うのです。それにも関わらず、不完全な私たちは 「誰も見ていないから大丈夫だろう。。。いや、大丈夫だ!!」 「これくらい平気平気♪ 楽勝だよ♪」 「あんなことだけど、たまには良いか!! きっと、大目に見てくれるだろ♪」などとしてしまうことがあると思うのです。それは、良心に背いた行いをしようとしている自分を正当化する為、自分で自分を安心させる為の、自分に対する言い訳を、自分にすることを通じて、「自己暗示」をかけているようなものだと思うのです。「自己暗示」は、私たちが人としてあるべき正しい心で、正しい選択や判断することを鈍らせようとする「魔が差す」という魔の行為の1つだと思うのです。良心に背いた邪な考えや想いを浮かべたときは、瞬間的に魔が近寄ってくるのだと思うのです。魔は、良くないことを良いこととして、私たちに「自己暗示」をかけようとするのだと思うのです。その魔による「自己暗示」にかかることのないように、私たちの「良心」は、 「自己暗示にかかる、という人生の事故に遭いそうになっていますよ♪」と、私たちを「思い止まらせる」という形で、「事故暗示」を与えて下さっているのだと思うのです。魔が差して自分が魔にコントロールされる自己暗示。。。良心が私たちに伝えて下さる事故暗示。。。どちらの暗示を選択するのかは、私たちの心次第だと思うのです。とはいえ、正しい選択ができるように与えて頂いているものが「良心」であることを考えれば、良心が与えて下さる暗示を常に信じて生かさせて頂けば良いのだと思うのです。--------良心がご指導下さる「YES」又は「NO」に、自分の口から出る言葉や行動を揃えてこそ、良心に従って生かさせて頂いていることになり、自分が自分として生かさせて頂いていることになり、自分で自分の人生を切り拓いて歩まさせて頂いている、ということになるのだと思うのです。自分の良心の「NO!」を、言動の「YES」にしたりせず、自分の良心の「NO!」は、言葉と行動の「NO!」に!!自分の良心の「YES!」を、言動の「NO!」にしたりせず、自分の良心の「YES!」は、言動の「YES!」に!!自分の言葉と行動を一致させる「言行一致」も大切だと思うのですが、自分の良心の声のまま、自分らしく、ありのままの自分で生かさせて頂き、更に、勇気をもって、言葉と行動を伴わせて一致させることが大切だと思うのです。言うなれば、【良心言行一致】で生かさせて頂くことが、人としてあるべき正しい心の道であり、人としてあるべき誠実な姿勢であり、この世の自分の心身を守る術であり、自分の心、そして魂を守る術であり、魂の喜ぶ生き方であり、天に続く道なのだと思うのです。だからこそ、「何が正しいかその全てを知っている良心」を心の友として、いつも良心の声に従って、【良心言行一致】の姿勢で生かさせて頂きたいものですね。 【良心言行一致】 (「志」が勝手に作らせて頂いた造語です♪) 良心の声とこの世における言行が一致していること♪ 魂が歓ぶ生き方♪ 「常に天法である心と対話してください。 人法の遥か上の境地で生きれば、 間違いの無い正しい生涯を全うできるのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201204020000/「天法は、人法の遥か上にあるのですから、 決して良心に逆らってはいけません。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201203250000/「天に従うものは栄え 天に逆らう者は亡ぶのです。 良心こそ天の光です。 あなたの生きる指針です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201508240000/ 「日々、良心と対話して行動することです。 人間が作った人法を超えるもの それが良心=天法です。」「善心を養えば、 悪おのずから消えるのです。 良心こそあなたの真実の先生なのです。」「世の中には、ずるいこと、 足の引っ張り合い、意地悪。。。駆け引き。。。 いろいろありますけど、 あなたはまっすぐ歩いて行けばよいのです。 良心の命じるままに。 ただ笑顔だけは忘れないでください。 笑顔に神仏は宿るのですから。。。」「良心と直感に従って力強く歩んでいきましょう。 道が分かれている時は、 必ず良心と直感の指し示す道に進んでください。」「世の中はつらいことでいっぱいですが、 良心に従って生きていくのならば あなたの心に燈った一本の灯りが あなたを幸せの世界へ導いてくれるのです。。」「どこに行くかわからない人生の方が面白いのです。 良心というナビがあれば大丈夫。。 素晴らしい世界に到達できるでしょう。」「人生は、良心に従って生きよう!! 触れ合う人のお役に立とう!!と強く念じていると 理屈では測れない、目に見えない、 言うに言えない要因が働いて、 想像もできないような美しい世界に到達することができるのです。 」「人間の創った人法を超える天法。。。 真実と正義を学ぶ学校が必要な時代です。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201508140000/「汝の良心は全てを知っている。 誰が正しいかではなく、 何が正しいかということを。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201110220000/「良心に照らして、考えること、言うこと、することが調和されるならば、 人生は思いのままに拓けます。。 拓けないのならば、三点セットのどれかが歪(いびつ)なのですから 修正していきましょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201404200000/ 「悪と善。。両面を持つのが人間です。 悪が無ければ善の何たるかも分かりません。 また必要悪というものも存在します。 ある場面では悪い人と思っても、 違う場面では良い人のこともあります。 その逆もあり、善人悪人の区別はできるものではありません。 しかし誰もが持って産まれた良心という鏡に照らして行動するならば、 人は決して悪の道に迷い込むことは無いのです。 良心の道は天啓を得る唯一の道ですよ。 真っ直ぐに天に続く道を歩んでいきましょう。」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311100000/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311110000/「選択した道が正しいか、天は教えてくれないのです。 天は、全ての人に良心という羅針盤を持たせて地上に降ろしましたから、 その人の判断に任せているのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201204200000/ 「汝は良心を友として生きよ。天に通じる道ゆえに。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201112280000/「自分の信じる道を真っ直ぐに歩んで行けばよいのです。 あなたの道を。。。 良心という道標があるのならば、 指導の存在、守護の存在は、随所であなたにアドバイスを与え、 奇跡を降ろして必ずあなたを助けるでありましょう。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201505120000/「人の一生は、 曲がり角をどう曲がるかで決まります。 次の曲がり角では良心に従って曲がる。。 それだけを心がけてください。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201506090000/「人間は、その人がどういう人生を歩んできたのか、 苦しい経験を積んできたのかではなく、事が起きた際に、 良心に従って正しく行動したかどうかで価値が決まるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201410160002/ 「良心は人生航路の羅針盤。。。。 足ることを知らない欲望が嵐です。 嵐は自分で産み出したもの。。 自然に発生したのではありません。 嵐に翻弄されるのは、羅針盤に従わなかった 自分の心と言動に原因があるのです。 心のあり方を修正し、これからの言動を 修正しなければなりません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401130000/「天は、理性と良心を持っている人を 決して見放すことはありません。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201203060000/「良心に従えば豊かになり、欲に従えば危うし。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201108090000/「天は自ら正しく行動しない人に 救いの手をさしのべないのです。。 良心に忠実に行動していますか? 良心に恥じるような言動をしていませんか? 」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408190000/ 「誰も見ていないようでも 全てを観ている存在があるのです。 あなたの日々の行動の全ては記録されているのです。 もちろん心の中で思ったことも。。。 良心に恥じることができるはずもありません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201506190000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.01.14
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「正義はひとつならば、あなた方はなぜ戦うのですか? 矛盾にもほどがあるのです。 好きなようにして共倒れになってもいいのですが、 ノアの箱舟で一気にカタをつけても一向に構わないのです。」いつの世も、世界の平和を祈願していると思うのです。平和を祈願し続けているにもかかわらず、真の平和を感じながら。。。真の平和の世の中で生かさせて頂くことができないのは何故?平和に過ごさせて頂くことは難しいこと?平和を祈願しているだけで、真の平和を望んでいない?真の平和って何だろう? などと思うのです。「平和」というものを、わざわざ難しくしているのは、「平和を勝ち取ろう!」という勝負事にしているからだと思うのです。平和に「勝ち」や「負け」は関係ないと思うのです。平和を治める為に、武装したり、侵略したり、破壊したり、支配したり、言葉や行動で人様を傷つけたりするというのは、既に平和から大きく遠ざかっていると思うのです。「平和の為に!」などという「正義」を大義名分に掲げながら、「平和」から遠ざかることをしている。。。「正義」とは 人の道にかなっていて正しいこと。 人が従うべき正しい道理。の意だそうです。ということは、「正義」は、天法の写しである「何が正しいかその全てを知っている良心」に従うこと。。。なのだと思うのです。利権獲得や欲を満たす為など、多岐に渡る目的達成の為に、「平和」や「正義」という言葉を都合良く使い、さも「平和」や「正義」の為に努めていますとアピールし、その行いについて批判が生まれたときは、「平和」や「正義」という言葉を便宜的に都合の良い言い訳として使っているに過ぎないと思うのです。人々を騙し、支配する為のトリックとして、「平和」という世界中の願いである言葉を意図的に用い、「平和の為に!」「正義」という言葉を利用した大義名分で人々を洗脳している「平和」「正義」という言葉のその実態は、「真の平和」や「真の正義」とは反対の方を向いていると思うのです。「真の平和」「真の正義」と反対の方を向いている言葉だけの「平和」「正義」は、その「平和」「正義」という言葉を用いている方々が利権を獲得し、欲が満たされ、自分たちの好き放題、やりたい放題にできる、という自己本位から生まれた自分勝手な理屈による「偽りの平和」「偽りの正義」なのだと思うのです。それ故に、そういう方々は「平和」の反対語に当たる「戦争」を生み出し、戦争という「偽りの平和」を「平和の為に!」と表現したり、「正義」の反対語に当たる「不義」を浸透させ、不義という「偽りの正義」を「平和を勝ち取る為の正義」と表現して、人々を騙し、洗脳し続けているのだと思うのです。 (そもそも「平和の為に!」「正義の為に!」という大義名分を掲げて、 何度も戦争を起こし、罪のない人々を犠牲にしながら、 それを「正義」としていることだけでも理不尽なお話だと思うのですが、 何よりも平和を手にしていないことを考えれば、 戦争は平和を手にする為の解決の糸口にはならない、 ということに気付くべきだと思うのです。)その結果、「偽りの平和」「偽りの正義」が蔓延っているのだと思うのですが、「偽りの平和」「偽りの正義」は、個人や家族や国、世界としての 「真の平和」「真の正義」ではないということを、多くの方が心のどこかで感じているのだと思うのです。それ故に「真の正義」による「真の平和」をいつの世も祈願しているのだと思うのです。「平和」は、平たく和むと書きます。みんなが横に平たく並べば、一人一人が土台になっている安定感のあるしっかりとした基盤の社会、つまり、みんなが自分の個性を活かした主役でありながら、みんながみんなのサポーターになっている、心温かい和みのある社会になるのだと思うのです。お互いを思い遣る心、利他心を持って生かさせて頂く為に、良心や特技、能力を与えて頂いているのだと思うのです。自分一人で生かさせて頂いているわけではないにもかかわらず、自分にも良心にも恥じる思考や言動をし、特技や能力は自分の利益の為にだけ活かす。。。自分さえ良ければそれで良いという利己心で、人様への迷惑や損害は顧みない。。。もはや「心ある人」としての「心」を失っているようなものだと思うのです。肌の色や宗教、文化、歴史などの違いはあれど、私たちは、地球上で生かさせて頂いていることに変わりはなく、「心ある人間同士」であることにも変わりはないと思うのです。それにも関わらず、勝ち負け論にばかり傾倒してしまい、何食わぬ顔で「自分さえ良ければそれでいい」、「自分が勝つ為には、人様のことはどうでも良い」「自分が勝つ為には、人様は蹴落とせば良い」という、ものごとの見方や捉え方、考え方、感じ方、生き方をする人間を育てるかのような洗脳教育や情報操作等のもと、競う必要もないことで競わされたり、戦う必要もないことで戦わされるなど、感情的になる必要もないことに対して感情を煽るなど、「心ある人間同士」が競い、戦い、いがみ合い、罵り合う為のお膳立てと、そうなる為の企てが意図的に生みだされていることがとても多いと思うのです。 (意図的に生み出されていることにすら気付くことができないくらいに、 様々な方法で洗脳されている自分の存在に気付けていないのが、 今の私たちでもあると思うのです。)「心ある人間」の個性を尊重することもなければ、「心ある人間」の個性を活かすこともしない教育や社会は、「心無き人間」が「心ある人間」を洗脳し、支配する為に意図的に作られたものだと思うのです。世界各地では様々な英知をもった文明が栄えていたにもかかわらず、それらの文明は継続されること無く、滅び、今では「遺跡」という過去の産物として、観光の名所等になっておりますが、素晴らしい英知をもった文明にもかかわらず、なぜ滅びたのか。。。それは与えられた英知を「心ある人」として正しく活かすことをしなかったからだと思うのです。「心ある人」として、英知を正しく、英知たらしめるどころか、我欲を満たす為に英知を悪用したり、「自分は偉い、凄い」などと驕ったり、勘違いしながら、 (英知を正しく活かすことができていないのに、 偉いも凄いもないと思うのですが、そういう方だからこそ、 英知を悪用してしまうのだと思うのです。)自分の地位や権力を確立し、誇示し、人様を支配するなど、英知を悪用し、「心ある人」としての正しい心の道から大きく外れてしまったからこそ、滅びたのではないか、と思うのです。今の私たちが生かさせて頂いている世の中にも沢山の英知を与えて頂いていると思うのです。日進月歩の科学技術等の発展など、目覚しいことが多々ありますが、その目覚しい発展が「心ある人」としてあるべき、正しい心の道の上を歩ませて頂いていなければ、今を生かさせて頂いている私たちの文明が、今の私たちが観光しているような「遺跡」になってしまいかねないと思うのです。この世的に目覚しい発展と見えることも、与えられた英知を「心ある人」として、正しく活かさせて頂いていなければ、それは心の世界から見れば「目覚しい心の衰退」になってしまうと思うのです。「心ある人」として、正しい心の道を歩ませて頂くべき私たちが、心の道から外れてしまっている様子をご覧になられている天は、私たちにいつも「人としてあるべき正しい心の道を歩みましょう」というメッセージを与えて下さっていると思うのです。しかしながら、天の肌理細やかな綺麗な波長を正しくキャッチすることができない粗い波長のこの世の私たちは、天からのメッセージに気付くことすらできず、心の道からどんどん外れていってしまっているのだと思うのです。そのような私たちに対して、「いい加減に気付きましょう」という警鐘として与えて頂いているのが、様々な天変地異だと思うのです。天変地異が起きているから、又は、天変地異が起きるかもしれないから、協力し合いましょう、助け合いましょう、というのではなく、日頃から、「心ある人同士」として、お互いに嘘偽ることなく、協力し合い、助け合い、支え合い、与え合い、分け合い、分かち合い、育み合い、感謝し合い、愛し合って、生かさせて頂くことが大切だと思うのです。そのような心美しい生き方をさせて頂くことの大切さを教えて下さっているのが天からのメッセージであり、英知だと思うのです。英知は、魂の修正や成長の為に、この世に生を与えられ私たちにとって、 自分で自分を支配し、人様のお役に立たせて頂く為、お互いがお互い様の心で正しく活かさせて頂く為に与えて頂いているものだと思うのです。今の私たちは、英知を「遺跡化」してしまった過去の文明と同じことを繰り返すのか。。。それとも、心を入替えて、「心ある人」としてあるべき正しい心の道を歩ませて頂こうとするのか。。。その岐路に立たされているのだと思うのです。前者の道を選べば、天からの警鐘である天変地異は収まることはなく、後者の道を選べば、天からの警鐘である天変地異は収まるのだと思うのですが、どちらになるかは、自分一人の力でどうにかなるものではなく、宇宙船地球号で生かさせて頂いている私たち一人一人の心のあり方次第であり、他人任せではいけないと思うのです。だからこそ、今こそ、「心ある人」として、お互いを思い遣る愛の心や優しい心をもって、協力し合い、助け合い、支え合い、与え合い、分け合い、分かち合い、育み合い、感謝し合い、愛し合って、生かさせて頂くことが大切だと思うのです。--------神聖な目的の為という大義名分を掲げた聖戦や暴力、戦争、侵略などの言葉を問わず、戦いや暴力は、どのような目的や理由を掲げられても、その実態は、権力を誇示し、権力を拡大し、利権を獲得し、満たされることのない強欲を満たさんが為に生み出されているものだと思うのです。戦いや暴力の真実の目的や理由は、 軍需産業を儲けさせる為。。。 天然資源の利権獲得の為。。。 自国の通貨を強くする為。。。 人々の心を洗脳し、支配する為。。。など様々だと思うのですが、結局のところ、自分のことしか考えていない強欲の塊から生まれた目的や理由であることに変わりはないと思うのです。 (その目的や理由を達成する為に、 宗教や教えを都合の良いように政治利用し、 民の心を洗脳したり、支配したりしていることが、 とてもとても多いと思うのです。 そのように見えないのは、そのような実態に 私たちが気付いていないだけだと思うのです。)そのような強欲から生まれた目的や理由などは直隠され、偽りの大義名分や情報等を掲げられ、それに騙されてしまうことが、今の世の中はとっても多いと思うのです。更には、騙されていることにすら気付かない。。。気付けない。。。ということも、とっても多いと思うのです。そのようになってしまうと、何でも言い成りになってしまい、自分自身を見失い、知らず知らずの内に支配され、心までコントロールされてしまいかねないと思うのです。心ある人間同士。。。人から生まれた人間同士。。。ご先祖様から命の絆を紡がれてきた人間同士。。。魂の修正や成長の為に生まれてきた人間同士。。。地上という修行の場で生かさせて頂いている人間同士。。。直接的であろうと、間接的であろうと、聖戦や暴力、戦争、侵略に加担することは、人が人を殺すことに加担していることに違いはなく、例えそれが、そうせざるを得ない環境や状況であったとしても、業を積む行いに他ならないと思うのです。。。魂の修正や成長の為に生まれる機会を与えて頂いた私たちにも関わらず、業を積む行いをしていては本末転倒であるばかりか、天に帰還してから後悔しても、後悔しきれないと思うのです。 (中には、身体から魂が抜けても、復讐心などに執着してしまい、 死しても尚、天に帰還することができず、地上を彷徨ってしまう、 ということさえあると思うのです。それは、その魂の問題とはいえ、 本意ではなく、不本意なのだと思うのです。)そのようにならないように、何ごとも鵜呑みにせず、人としてあるべき正しい心「良心」に従って生かさせて頂き、いつも冷静な心(平常心)で、客観的にものごとを見たり、捉えさせて頂くようにして、真実を見極めさせて頂きながら、生かさせて頂きたいものですね。「人は、もっと同期の地球人として、 助け合う術を学ばなければなりません。 さもなくば天変地異が収まる事はないでしょう。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201206020000/『古今東西、何千年にもわたって人類は 「生命以上の価値が存在する」と主張して戦争を始め、 「生命に勝るものはない」といって戦争を終結させてきたのです。 命に勝るものはないのですから、いい加減に悟って 戦争などという愚行は地上から消滅させなければなりません。』(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408130001/「人類は、互いにいがみ合うことをやめねばなりません。 国単位の傲慢な心を捨て去ることですよ。 世界単位で物事を考えれば、 争いは消滅するのですから。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201305300000/「宗教の違い、教義の違いを認め合い、 暴力の連鎖を人間の叡智で消滅させなければなりません。 心清らかに笑顔で生きることを心がけてください。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201305290000/「人類は、戦争に終止符を打たなければなりません。 さもなくば、戦争が、人類に終止符を打つことになるでしょう。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201204090000/「人類が激変するに連れて、地球にも変動が起こります。 平和で明るい未来を構築しなければなりません。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201204270000/「最も残酷な罪は、宗教の名の下に行われます。 最も美しい行為は、愛の名の下に行われます。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201205190000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.01.13
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「人に理不尽に酷いことをされても、 善意を仇で返されても、 報われなくても感謝してください。 どんなことにも感謝をしている人に 幸運の女神は微笑むのです。」与えて頂いている様々な境遇や現象に対して、 「これは幸運♪」 「これは不運。。。」と分けてしまっているのは、私たちの自分勝手な自分基準によるものごとの見方だと思うのです。「これは幸運♪」「これは不運。。。」と分けることは自由だと思うのですが、与えて頂いている様々な境遇や現象に対して、嬉しい時は喜び、嬉しくない時は不平、不満、愚痴を漏らす。。。それではただの我儘だと思うのです。例えその境遇や現象が、その時の自分にとって、都合の良いものであろうと良くないものであろうと、その時の自分に必要な境遇・現象として、必然的に与えて頂いているものであることを考えれば、心から感謝させて頂くことが大切だと思うのです。自分に都合の良い境遇や現象の時は、感謝させて頂き易いと思うのですが、自分に都合の良くない境遇や現象の時は、それが容易ではなくなってしまうのが至らない点の多い私たちだと思うのです。そういう私たちだからこそ、自分に都合の良くない境遇や現象を与えて頂いた時や、感謝させて頂くことが容易ではない時にこそ、心から感謝させて頂くことが大切だと思うのです。 (それができるようになるからこそ、徳を積ませて頂くことができ、 それができないからこそ、徳を積ませて頂くことができない、 ということでもあると思うのです。)「これが今の自分に必要な境遇(現象)なんだなぁ~♪ 天がお取り計らい下さって、今の自分に必要な修行として 与えて下さっているんだなぁ~♪ 有り難いことだなぁ~♪ どうも有り難うございます♪」「なぜこんなに苦難や試練ばかりなんだ!?!? でも、見方を変えると、苦難や試練は、 自分の魂の修正や成長をさせて頂く為に 与えて頂いているもの。。。 そう考えると、苦難や試練を与えて頂けることは とても有り難いことなんだなぁ~。。。感謝だなぁ♬」「理不尽な酷いことをされて頭に来るなぁ。。。 でも、見方を変えると、こういう理不尽なことは、 人様にはしない方が良い、ということを この人が反面教師になって教えてくれているんだなぁ。。。 わざわざ理不尽なことをして自分を貶め、業を積んでまで。。。 そう思うと感謝だなぁ~♬ 自分がされて嫌なこういう理不尽なことは 人様にはしないように気を付けよう♬」 「善意を仇で返されて不愉快だなぁ。。。 でも、見方を変えると、もしかしたら、 自分も知らず知らずの内に、 こういうことをしているかもしれないなぁ。。。 恩義を忘れて仇で返してしまうことの無いように 自分の言動に気を付けよう♬ そう思うと善意を仇で返してきた人にも感謝だなぁ♬」「頑張っているのに報われないなぁ。。。 でも、見方を変えると、頑張り方が間違っているのかなぁ。。。 このやり方をずっとやっていても上手くいきませんよ、 というお知らせかもしれないなぁ♬ 間違った頑張り方をしているのに報われてしまったら、 どんどん間違った方向に行くだけだもんなぁ。。。 そう考えると報われなくて良かったんだなぁ♬ 感謝だなぁ~♬」 という感じで、心から感謝させて頂くからこそ、一見、不運に感じてしまうような境遇や現象さえも味方につけて、幸運にすることができるのだと思うのです。私たちに「与えて頂いている」様々な境遇や現象は、私たちが生前、自ら設計・計画してきたものであったとしても、それらは、私たち自身が生み出したものではなく、天が、無償の愛によって、私たちの魂の修正や成長の為に、生み出し、与えて下さっているものだと思うのです。しかも、その境遇や現象は、無暗矢鱈と与えて頂いているのではなく、その時々の私たちの魂の状況を鑑みて、その時の私たちの魂の修行にとって、最善なものを与えて下さっているのだと思うのです。私たちがそれを望もうと望むまいと、不完全な私たちのことを想い、不完全な私たちの為に、無償の愛をもっていつも何かを「与え続けて」下さっている天。。。そのように考えさせて頂くと、感謝せずにはいられなくなると思うのです。 (感謝することができない、ということもあると思うのですが、 それは、足るを知らなかったり、自分の思い通りにならない、 自分に都合が良くないなど、自分勝手な自分基準による 利己的なものごとの見方や捉え方、感情、欲によって、 生み出されている渇きのようなものだと思うのです。)「どのような境遇であろうと、何でもラッキー♪」と、有り難く受け留めさせて頂くことができるように、自分の心を耕す「耕運」な自分を生み出させて頂けるよう、自分の心を育ませて頂き、栄養満点の「幸運」な人生を築かせて頂きたいものですね。---------全ては「与えて頂いている」ものだと思うのです。私たちが、今こうして存在しているのもそうだと思うのです。 魂の修正や成長をさせて頂きながら幸せに生きる為、 という目的をもって生まれてきている私たちですが、 「この世」という修行の場も「与えて頂いているもの」。。。 この世で修業をさせて頂く為に必要な「肉体」や「生」も 「与えて頂いているもの」。。。 修行の場である地上の全てのものも「与えて頂いているもの」。。。 様々な境遇も環境も出逢いも「与えて頂いているもの」。。。 呼吸をさせて頂く為に必要な空気も「与えて頂いているもの」。。。 食糧や衣服や住居、その他全てのものは、 姿かたちこそ変われど、 もともと地球さんにあったもの(地球さんに与えられたもの)を加工したり、 科学の技術や化学による反応で、元の形を変えて 使わせて頂いているだけの「与えて頂いているもの」。。。 科学や化学などを生み出す元になった直感や知恵、智慧なども 「与えて頂いたもの」。。。何もかもが「与えて頂いているもの」。。。全ては授かりもの、なのだと思うのです。今を生きている私たちの「命」さえも。。。「与えて頂いているもの」の中にいる私たちは、「生きている」という感覚で過ごしがちですが、「与えて頂いているもの」の全てが無くなれば、生きたくても生きようがないと思うのです。 「この世」がなければ修行ができず、魂の修正や成長はできません。 「肉体」や「生」がなければ、この世に存在することができません。 空気がなければ、生きることができません。 食糧や衣服や住居がなければ、生きることができません。 思考や想像、科学、知恵、智慧がなければ、生きることができません。全てを「与えて頂いている」からこそ、生きることができる私たちなのだと思うのです。ということは、私たちは自らの力で「生きている」ように見えて、実は、「与えて頂いているもの」の全てのお陰様で、【生かさせて頂いている】のだともうのです。「与えて頂いている」ことが「当たり前」になってしまい、感謝の心や謙虚な心を忘れることのないように気を付けたいものですね。「当たり前」が当たり前で亡くなった時に、気が付いても遅いと思うのです。私たちが「当たり前」と感じるほどまでに全てを「与え続けて頂いている」ということ。。。その「与え続けて頂いている」環境の中で「生かさせて頂いている」ことの有難み。。。「生かさせて頂いている」からこそ感じることができる幸せ。。。があることを忘れてはいけないと思うのです。「与え続けて頂いている」。。。「生かさせて頂いている」。。。今の自分、今の私たちがあるのは奇跡のようなものなのだと思うのです。そのように考えさせて頂くと、心から感謝せずにいられなくなると思うのです。だからこそ、全ての境遇、全ての出逢いなどについて、自分勝手な自分基準によるものごとの見方で「これは幸運♪」「これは不運。。。」等と分けることなく、全てのことに心から感謝させて頂きたいものですね。「自分は生きているのではなく、 「生かされている」という事実に気づきましょう。 本当の幸せは、あなたの心の中にあるのです。 幸せを追いかける人はいつまでも幸せになれず、 今、呼吸をしている幸せに気づく人が、 本当に幸せになれるのです。 まずは、生かされていることに感謝しましょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401020002/「不安、不自由、不足や不満の種は尽きませんが、 恵まれていることは忘れていませんか? 心が不安や不満でいっぱいになったら、 不平不満、不安,不自由から心を放して、 恵まれていることに感謝しましょう。 そうすれば、あなたを悩ませている問題は、 霧がはれるように少しずつ消えていきます。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312210001/「幸運の時も不運の時も、 すべての現象に感謝しましょう。 感謝は最大の徳であるだけでなく、 全ての徳の源なのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201406240001/「天の外は、いたるところ嫉妬だらけと思っていて間違いありません。 嫉妬に負け無い美しい心を持ち続けて頂きたいと思います。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201210050000/「一方的に理不尽な攻撃を受けている様に感じるかも知れませんが、 人に辛くあたられるのは、自分も優しく接していないからかもしれません。 まずは自分から親切にしてみましょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312130004/「運の悪い人は、実はいないのです。 気づきをありがとう!!感謝します!! こういう人は、全部、驚くほど幸せになっていきます。 これが天の法ですから。。」 (ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201209130000/「病気をしなければ健康の有難さは分からず、 失敗しなければ、自分のいたらなさは分からず、 痛い目に合わなければ人さまの痛みを感じる事ができません。 人は試練を通して成長していきます。 天は、偉大なる魂に、大いなる試練を与えます。 感謝しなければなりません。そして天命を果たしてください。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201203080000/「自分の心の動きを注意しましょう。 幸運も不幸も全て心の中にあるのです。 愛で満たされているときに幸運の鍵を探してみましょう。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201208150000/「日々、太陽に感謝して生きていきましょう。 そうすれば森羅万象全てに感謝出来る素晴らしい人格が構成され、 あらゆることが好転していきます。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201203110000/「地上は修行の場ですから、思うに任せぬ事も多いのです。 だからこそ成長できることを喜ばなければなりません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201210290000/「天に愛される人は、 運に恵まれようと、 運に見捨てられようと、 態度を変えない人なのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201207020000/「汝は、毎日欠かさず、◯◯さんのおかげで幸せです。 有難うございます。と唱えよ。 決して◯◯をして欲しいと注文をしてはいけない。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201109180000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.01.12
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「人に好かれようなどと思わず 孤立してもいいと腹を決めて 強い人に媚びず、 弱い人を助け、 自分を貫いていけば、本当の意味で みんなに喜ばれる人間になれるのです。」人様や社会の目を気にしたり。。。人様や社会から言われることを気にしたり。。。人様や社会に気に入られようとしたり。。。人様や社会の評価を気にしたり。。。人様や他の何かと比較されることを気にしたり。。。勝ち負けや優劣、強弱などを気にしたり。。。多数派に属していなければ安心できなかったり。。。批判や誹謗中傷を恐れたり、気にしたり。。。自分で意識しているつもりはなくても、心のどこかで、上記のようなことを、気にしてしまっている自分がいるものだと思うのです。しかしながら、そのようなことを気にしていては、自分の魂が喜ぶことや、本当に自分がしたいことを貫いていくことは容易ではないと思うのです。もし、そのようなことを気にしながら貫いていくにしても、人目を忍んでコソコソとしてしまうなど、結局のところ、自分らしく、ありのままの自分でいることができないと思うのです。自分らしく、ありのままの自分で、魂が喜ぶことや本当に自分がしたいことに集中して探究させて頂いたり、コツコツと地道に努力をさせて頂くからこそ、人様のお役に立つようなことや、人様にお喜び頂けるようなことに繋がっていくのだと思うのです。ということは、魂が喜ぶことや、本当に自分がしたいこと以外の様々なことを気にしていては、それらを貫くことができないだけでなく、全うすることもでき無くなってしまうと思うのです。魂が喜ぶことや、本当の自分がしたいことを貫くことができない。。。全うできない。。。それは、私たちの魂にとって不本意なことだと思うのです。そして、大後悔の元になってしまうと思うのです。修行の場である地上で生かさせて頂いている内にしかできない自分の魂が喜ぶことや、本当の自分がしたいこと。。。人様のお役に立つことや、人様にお喜び頂くことをさせて頂く為のツールとして授かった自分の特技や能力も、地上でしか活かさせて頂くことができないと思うのです。そのような大切なことや大切なものを、人様の目をはじめとする様々なものを気にして、遣り損ねたり、諦めるということは、自分の出来ることも、自分がすべきことも、自分がしたいこともしてないということになり、後悔してもしきれないことになってしまうと思うのです。自分が出来ることをさせて頂く。。。自分がすべきことをさせて頂く。。。自分がしたいことをさせて頂く。。。自分が信じる道を諦めずに歩ませて頂く。。。自分らしく、ありのままの自分、自然体の自分で生かさせて頂く。。。このような生き方こそ「自分の人生」だと思うのです。一人で生かさせて頂いているわけではない私たち。。。同時に、自分という個性や意識を持って生かさせて頂いている私たち。。。協調すべきところは協調させて頂くことも大切だと思うのですが、自分が「自分」として生かさせて頂く為には、時には、孤立することを恐れてはならないのだと思うのです。孤立し、人様や社会との距離が開くことで、それまで気になっていた様々なものが気にならないようになると思うのです。その結果、魂が喜ぶことや、本当に自分がしたいことに、時間を費やさせて頂くことができるようになると思うのです。孤立していても、自分らしく、ありのままの自分で自分が出来ることや、すべきこと、やりたいことをして、生かさせて頂いていると、心が満たされ、喜びや幸せを感じると思うのです。自分の心が満たされ、喜びや幸せを感じているからこそ、人様のお役に立つようなことや、人様にお喜び頂けるようなことをさせて頂くことができる、という成功を掴ませて頂くことができるのだと思うのです。だからこそ、時には、 自分らしさを貫かせて頂く為、 自分が信じる道を貫かせて頂く為、 自分のやりたいことを貫かせて頂く為にも、「孤立する」という勇気と代償を差し出させて頂くことが大切なのだと思うのです。--------本当に強い人は、強弱に拘っていないと思うのです。裏を返させて頂くと、強弱に拘っているうちは、自分の「弱さ」を自ら露呈しているのだと思うのです。本当に強い人は、強弱に拘っていないからこそ、 人様に何かを押し付けたり、強要したり、 何らかの見返りを要求することもない。。。 何かを期待することもない。。。 相手が強い立場にある方だからといって、 相手に取り入ろう、相手に気に入ってもらおうとして、 お世辞を言ったり、媚び諂ったりすることもなく、 自分の態度を変えることもない。。。 相手が弱い立場であればあるほど、 手を差し伸べよう、助けようとする。。。 自分の言動に責任を持ってる。。。など、良心に従った人としてあるべき正しい心の道を人様を思い遣る利他心をもって、自分らしく歩ませて頂いると思うのです。それ故、理不尽な強きをくじく強さがあり、弱きを助け守る強さがあるのだと思うのです。そういう人として信用、信頼の置ける生き様だからこそ、人様からの厚い信用や信頼を得られるのだと思うのです。本当に強い人は、ただただ優しさがあるだけなのだと思うのです。信念を持った優しさがあるが故に、大きな心で何ごとも包み込み、ものごとが上手く運ぶよう、全体のバランスを見ながら、調整することができるのだと思うのです。本当に強い人は、普段は言葉も優しく、ここぞという時にだけ語気を強めるのだと思うのです。「ここぞ」という時にだけ語気を強めるからこそ、相手にも「ここぞ」の重要さ、大切さが伝わるのだと思うのです。反対に、強弱に拘る方は、自分の「弱さ」を感じているからこそ、「強さ」を求めるのだと思うのです。「認められたい。。。」「評価されたい。。。」「自分の言うことを聞かせたい。。。」「自分に都合の良い人には気に入られたい。。。」「自分より下の人には偉そうにしたい。。。支配したい。。。」それが自分の本当の強さではなく、「偽りの強さ」であるにもかかわらず、その自己顕示欲の強さから、「強さ」をアピールしたい。。。何の為に「強く」ありたいのか。。。見栄? 体裁? 格好?どんなにか装ったところで、装いは装いに過ぎないと思うのです。自分らしく生きることこそ、本当の強さだと思うのですそれにもかかわらず、「偽りの強さ」をアピールしたがる。。。自分より強い人にはアピールできないが故に、 自分勝手な自分基準によるものごとの見方で、 「自分より下」と勝手に思いこんでいる相手に対して、 上から目線で偉そうなことを言ったり。。。 強くもないのに強気な態度をとってみたり。。。 自分に都合の悪いことを言われたりすれば、 過剰に反応したり、被害妄想を生み出しては、 地位や権力、肩書きにものを言わせて、 人様を脅したり、傷つけたり、苦しめたり、悩ませたり。。。 何かを押し付けたり、強要したり。。。 見返りを要求したり。。。 相手が強い立場にある方であればあるほど、 自分の「偽りの強さ」の後ろ盾の材料になるように、 相手に取り入ろう、相手に気に入ってもらおうとして、 お世辞を言ったり、媚び諂ったり。。。 相手が弱い立場であればあるほど、 自己顕示欲を満たすことができるが故に、 「偽りの強さ」をもって、人様を人様を傷つけ、 苦しめ、悩ませたり。。。 相手によってコロコロと態度が変わるその様は、 自分の言動に責任が無い証拠。。。など、人としてあるまじき良心に恥じる道を、自分さえ良ければそれで良いという利己心を満たす為に、邪念や欲にコントロールされていることに気付かぬまま、歩まされていると思うのです。本来、自分に「強い力」を与えて頂いているのであれば、もしくは、「強い力」を育ませて頂くような経験をさせて頂いているのであれば、その「強い力」は、自分よりも弱い方々のお役に立つことや、お喜び頂けることをさせて頂く為、サポートさせて頂く為に与えて頂いているものだと思うのです。それにも関わらず、自己顕示欲を満たす為、地位や権力、肩書きを理不尽に行使する為に、「強い力」を弱者の支配、弱者を苦しめる為に用いるなどは、それこそ人としてあるべき心から外れた恥ずべき行為だと思うのです。強きに弱く。。。弱きに強い。。。卑怯で狡猾な臆病者でしかないと思うのです。そのような自分になって、自分で自分を貶め、魂の修正すべき点を自ら増やしてしまう位であれば、例え、少数派であったとして、自分一人だけだったとしても、良心にも自分にも恥じない自分として生かさせて頂くことこそ、魂の喜ぶ生き方なのだと思うのです。「世の中から孤立してもいいと腹をきめて、 自分を貫いていけば、本当の意味でみんなの役に立ち、 喜ばれる人になれるのです。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407130001/「一つの命を救える人は、世界も救えるのです。 一つの善行ができる人は、世界の光の源です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408150000/ 「汝、強きものに媚びず、弱きものをいたわる。 それが計算ではなく自然にできれば 幸運の女神は微笑むことを知れ。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201201020000/「弱き者、懸命に生きている者を助けるのが、 汝の勤めであり、汝の幸せである。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201110020000/「あなたが、もっと精神的に強くなりたいと思うのなら、 弱い人をかばうことで強くなれます。 強い人のマネをしても弱くなるばかりです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201406170000/「汝は、世間から袋叩きになっている正義の人を擁護せよ。 物事の真実は多数決にあるのではない。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201109160001/「汝、身体が丈夫ならば、杖にすがるとも人にすがるな。 心が丈夫ならば、人を助けよ。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201112090000/「優しい人でありましょう。。。 強きを挫き、弱きを助ける人でありましょう。。」「自分より弱い立場の人には、 トコトン強く横柄な態度で威張って、指図したり、 些細な失敗で怒鳴り上げたり、イジメたりする人は、 反面、自分より強い立場の人には、 媚びへつらい卑屈な態度をとるのです。 男たるもの(女もそうですが)強きを挫き、 弱きを助けるのが本質。。 弱いものイジメなど臆病者の所業情けない限りです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201507240000/ 「良心に恥じない堂々たる人生を歩んでいきましょう。 凛とした人に、天は、応援を惜しまないものです。(一部抜粋)」(ラクシュミーさん)「人は、権力やお金などに屈せず、 たとえ少数派であったとしても 正義と愛と勇気の旗印の元、 先祖に恥じぬように凛として生きることです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201506050000/「自分の言動に責任を持つことです。 その責任の下に、本当の幸せと喜びが 横たわっているのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201502100000/「世間や社会にではなく、良心に従って 自分に恥ずかしくないように生きることです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201412160001/ 【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.01.11
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「もし誰かが、自分の不幸な出来事について相談してきたら、 その人は、なにか心の中で楽しんでいるものがある、 と思って差し支えありません。 本当にみじめさだけしかない人は、 そんなことを人に相談する気力もないのです。 ですから相談者にアドバイスすることは、 もっと不幸を楽しんでください。これでいいのです。 突き放しているのではありません。 これが最高の解決策。人生大逆転の法則です。 その楽しんでいるものの中に大逆転のヒントが隠れています。 自分で見つけ出すしかありません。」相談。。。 物事を決める為に、他の人の意見を聞いたり、 話し合ったりすること。の意だそうです。相談しているつもりが、実は、ただ愚痴を言っているだけ。。。 (相談されているつもりが、実は、ただ愚痴を聞いているだけ。。。)そういうことが思いのほか多いと思うのです。愚痴。。。 言っても仕方のないことを、くどくどと言って嘆くこと、の意だそうです。辛いこと、辛かったこと。。。苦しいこと、苦しかったこと。。。悲しいこと、悲しかったこと。。。理不尽なことをされること、されたこと。。。絶望感、不平、不満、被害妄想。。。などなど、今や今に至るまでに与えて頂いた不遇、不運と感じている境遇の数々。。。それに対して自ら積み重ねてきた自分の気持ちを聞いて欲しい、知って欲しい、分かって欲しい、理解して欲しい、優しくして欲しい、温かい言葉を掛けて欲しいなどの様々な思いや不幸自慢の捌け口として吐き出す愚痴。。。愚痴を言っているその時こそは、様々な思いを吐き出しているが故に、スッキリとしているつもりでも、その愚痴の内容がフォーカスしているものが、自分に与えて頂いている境遇を悲観的に見ている「自分の心のあり方」故に、「自分の心のあり方」そのものが変わることがなければ、本当の意味で心がスッキリすることはないと思うのです。「自分の心のあり方」を変えることなく、愚痴を言っていても何も変わらず、何も解決せず、何も進展しない。。。裏を返させて頂くと、愚痴を言っている間は、愚痴を言いたくなる「自分の心のあり方」だからこそ、何も変わらず、何も解決せず、何も進展しないのだと思うのです。それどころか、愚痴を言っている間は、ものごとが良くない方に変化しやすく、解決からは遠ざかり、進展のしようも無くなってしまうのだと思うのです。なぜなら、自らの愚痴という言霊を最初に聞いているのは何を隠そう愚痴を言っている自分自身。。。一見、ストレス発散をしているように見える愚痴という言霊を吐くその姿勢の実態は、より愚痴を言いたくなる悲観的な境遇を自ら生み出すように自ら仕向けているようなもの。。。将来言いたくなるであろう愚痴の原因は、今、愚痴を言っていることにある。。。そういうことだと思うのです。ということは、今、愚痴を言っている(愚痴を言いたくなる)原因は、過去に愚痴を言っていた自分にある、のだと思うのです。愚痴を言うことは、「愚痴を言うこと」というトラップに嵌っているのだと思うのです。だからこそ、愚痴を言っている間は、否、愚痴を言わなくなるまでは、愚痴を言いたくなるような境遇(修行)が続くのだと思うのです。そもそも、 「言っても仕方のないことを、くどくどと言って嘆くこと」という意の【愚痴】。。。「言っても仕方のないこと」を「言っている」ことそのものがおかしいのだと思うのです。 「愚痴を言っても仕方がない。。。」 「言っても仕方のないこと(どうにもならないこと)を、 いつまでも言っていても仕方がない(どうにもならない)。。。」 「何だかんだ言っても、 何とか生かさせて頂いている♪ 何とか生かさせて頂いているということは、 天にお救い頂いているんだなぁ~♪ 本当に有難いことだなぁ~♪ 感謝感謝♪」 「恵まれていないことに目を向けて愚痴るよりも、 恵まれていることに目を向けて感謝しよう♪」 (「恵まれていない」と感じていることこそ、 私たちの魂にとっては修行になっているのだと思うのです。 そのように考えさせて頂くと、「恵まれていない」と感じることを 与えて頂いていることそのものが「恵まれている」 ということなのだと思うのです。 「恵まれていない」と感じようと、「恵まれている」と感じようと、 何れにしても感謝させて頂くことが大切なのだと思うのです。) 「良かった頃の自分と、今の自分を比べても仕方がない。。。 今は今! 前は前! これからはこれから! 良かった頃の自分を顧みて、あの頃は良かったなぁ~♪ なんて言ってたら、今やこれからが良くなるわけがないもんなぁ~。。。 今やこれからが大事なんだよな♪ 前を向いていこう♪」などのような心持ちになったとき、「自分の心のあり方」が変わった瞬間だと思うのです。例え、その時の自分に与えて頂いている境遇が、辛く、苦しく、悲しく、嘆きたくなるような境遇であったとしても、愚痴という悲観的な言霊を自ら生み出さず、発せず、自らに言い聞かせないようにするからこそ、辛さ、苦しさ、悲しさ、嘆きの原因になっている悲観的なものごとの見方や考え方から解放されるのだと思うのです。悲観から解放されるということは、同時に、その逆の楽観的な見方や考え方が生まれるということでもあると思うのです。悲観的になりそうな境遇の中にいるにもかかわらず、楽観的な心のあり方で、明るく、元気に、笑顔で過ごしているその強く、逞しく、美しい「自分の心のあり方」に、天からの光が射し込みはじめ、次第にものごとが進展していくようになるのだと思うのです。私たちが魂の修正や成長をさせて頂く為に必要なこと。。。それは、 人様のお役に立たせて頂くこと。。。 人様にお喜び頂けることをさせて頂くこと。。。 人様が笑顔になるようなことをさせて頂くこと。。。などの利他心だと思うのです。「愚痴を言う」ことは、魂の修正や成長をさせて頂く為に必要なことのどれにも該当しないと思うのです。それどころか、 人様の気分を重くしたり、暗くしてしまい、笑顔を奪ってしまう。。。 (愚痴を言っている当のご本人様もそうなると思うのです。) 愚痴を聞く人様の気持ちを考えることができない。。。 (いつでも愚痴を親身に聞いてくれる人もいますが、 それに甘んじてばかりいてはいけないと思うのです。)などの利己心が前面に出ていると思うのです。魂の修正や成長をさせて頂く為に必要な利他心に対して、利己心が前面に出るということは、魂の修正が必要な点をより増やしているということだと思うのです。魂の修正が必要な点を増やしてしまう愚痴を言う。。。だからこそ、同じような境遇(修行)が続くことになるのだと思うのです。同じような境遇(修行)から脱する為には、 愚痴を言わない忍耐強さ。。。 愚痴を言わないという人様を思い遣る心。。。 愚痴を言いたくなるようなことに目を向けず、 恵まれていることに目を向けて感謝する心。。。を育ませて頂くことが大切なのだと思うのです。「毎日、涙がポロポロ流れる。。。。 それでも、愚痴一つ言わず、懸命に生きて、生きて生き抜く人。。 天は、こういう人を救わずして誰を救うのでしょう。 そうです。。必ず救いの手が差し伸べられるのです。 はっきり言いましょう。 愚痴を言っている間は永遠に修行が続くのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201510050000/「他人からの同情はあなたを満足させるかもしれません。 しかし、それは一時のこと。解決には繋がらないのです。 不幸自慢、傷のなめあい、すべてその場の気持ちを 満足させるに過ぎないのです。そこに成長はありません。 もがき、苦しみ、苦痛を抱えながらそれを克服する。 あなたの気持ちを理解し、なおかつあなたの欲しいものを 持っている人が世の中には存在します。 その人が語る言葉、姿勢、考え。 これがあなたの成長に大きな影響を与えるのです。 「薬」とは違う何かが。 「同情」とも違う何かが知ってください。 気づいてください。 あなたは、苦しむ人生を送るために生まれてきたんじゃないと。 幸せに生きるために生まれてきたのだと。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201405250000/「不安、不自由、不足や不満の種は尽きませんが、 恵まれていることは忘れていませんか? 心が不安や不満でいっぱいになったら、 不平不満、不安,不自由から心を放して、 恵まれていることに感謝しましょう。 そうすれば、あなたを悩ませている問題は、 霧がはれるように少しずつ消えていきます。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312210001/「不幸になっていく人は、自分の喜びばかりを考えているのです。 人を喜ばせることを考えて生きていきましょう。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201207180000/「愚痴や迷いは、それがたとえ高尚な内容でも、 天が手助けをする事は決してありません。 愚痴や迷いを心の中から一掃して下さいね。 その時、私達は、直接あなたに語りかけることが出来ます。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201210120000/「自分の置かれている境遇を嘆かないことです。 自暴自棄になって、嘆いたり怨んだりしている限り、 どんなに望んでも絶対に幸運とは波長が合わないのです。。 」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201406100003/「自分は生きているのではなく、 「生かされている」という事実に気づきましょう。 本当の幸せは、あなたの心の中にあるのです。 幸せを追いかける人はいつまでも幸せになれず、 今、呼吸をしている幸せに気づく人が、 本当に幸せになれるのです。 まずは、生かされていることに感謝しましょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401020002/「幸運や助けは、頑張って、頑張って、 これ以上は出来ないというくらいに頑張った時に 偶然を装ってふとやって来るのです。 あなたのことをいつも見守っている存在からの 御褒美ということです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312150004/「人間として一番大切なのは、 頭の良し悪しではなく、心の良し悪しです。 幸せになるのも頭の良し悪しではなく、 心の良し悪しです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201404100000/「奇跡は、世の苦難に耐えて、苦労に苦労を重ね、 それでも、歯を食いしばって頑張って生きている美しい魂に 天が感動して、偶然を装った必然で、 なんらの見返りも求めない完全無償で降ろすものなのです。 信仰や寄進に比例して、降ろすものではありません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201305070000/「人は誰でも 自分自身の心の飢えは知っていますが 人の心の飢えは知らないのです。 だからいつまでも飢えに苦しんでいるのです。 自分を責め、世間を責めて 心が寂しく哀しく、世間に八つ当たりして ますます堕ちこんでいくわけです。 苦しんでいるのは自分だけではないのです。 そのことに気づくことから始めましょう。」ラクシュミーさん http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201509090000/「たくさん苦しんでいる時に あえてよく生きることです。 世をはかなんで自暴自棄になれば、苦しみが長引きます。 なんで自分ばかりこんな目に会うのか!!と嘆いていれば さらに苦難が追加されます。 苦しい時こそ むしろ人を助けることですよ。喜ばせることですよ。 自分より苦しい人は、それこそ星の数ほどいるのです。。。 悩み多ければ多いほど、光に近い人。。 人を救う天命を持って生まれてきた偉大な魂なのです。」ラクシュミーさん http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/20149110001/「深い憂いのわかる人になりましょう。。 ニコニコしている方に限って、 過去、深い憂いを経験している人だということに気付きます。 笑顔が苦難を乗り越える最高最強のパワーであることを 体得されているわけです。」ラクシュミーさん http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201410120000/「なぜ自分だけが、こんなに苦しまなければならないのか? と思わないことです。 試練は、その人が魂の向上のために、 自ら人生の途中に仕掛けておいたもの。 試練の傾向が同じです。 自分のメニューですから、当然、クリア出来るのです。 よく反省し、より良く生きようとするなら、 苦しんだり、悩んだりすることは、当然のことです。 これを乗り越えた時、大いなる安らぎの光に包まれます。」ラクシュミーさん http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312170003/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.01.10
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「喜びは分かち合うことによって倍になり、 悲しみは分かち合うことによって半分になるのです。」心ある人間同士。。。心と心が寄り添い、助け合い、支え合い、与え合い、分け合い、分かち合い、育み合い、感謝し合い、愛し合う。。。そういう関係でありたいものですね。心ある人間同士だからこそ、心の結びつきで生かさせて頂くことが人としてあるべき姿だと思うのです。喜びや嬉しさ、楽しさを分かち合い、悲しみや辛さ、苦しさを分け合うなど、お互いに支え合い、助け合いながら生かさせて頂く。。。とても純粋で美しい姿だと思うのです。人様に対する思い遣りの心である「優しさ」は、「愛の心」そのものだと思うのです。天が地上の私たちに無償の愛を与えて下さっているように、私たちが人様に「優しく」接するようにさせて頂いたとしても、それが「愛」故に、見返りを求めたり、何かを期待する必要はないと思うのです。見返りを求めたり、何かを期待しなくとも、因果応報。。。自分がさせて頂いたことは、巡り巡って自分に返って来るもの。。。自分が人様に対して生み出した「優しさ」は、自分が「優しさ」を提供させて頂いた形をとらせて頂いているだけに過ぎないと思うのです。その実態は、人様に「優しく」接するという機会や経験を与えて頂いているのだと思うのです。人様に「優しく」させて頂いた結果、その「優しさ」によって人様が癒されたり、お喜び下さったり、笑顔になって下さる。。。その様子を見て、 「元気になってくれて良かった♬」 「お喜び頂けて良かった♬」 「笑顔を取り戻して下さって良かった♬」などのように、自分が「幸せ」や「喜び」を感じ、自分も笑顔になっている。。。人様を思い遣る心から「優しく」させて頂いたことが、その人様から「幸せ」を頂くことになる。。。それが「愛」から生まれる「優しさ」の美しい循環だと思うのです。それ故に、心ある人間同士が心を通わせ合うと、「喜び」という幸せは二倍になるのだと思うのです。反対に、悲しみに暮れ、苦しんでいるときに、人様から心温かい「優しさ」を与えて頂くと、その「温かさ」「優しさ」によって、心が救われ、癒され、洗われ、溜め込んでいたものが解放されるなど、悲しみや苦しみが半分になるのだと思うのです。「優」は、人偏に「憂」と書きます。「憂」は、辛かったり、苦しかったり、悩ましかったり、せつなかったりなど、お疲れ気味の心の様子を表していますが、そこに人偏である「人」が寄り添うことにより、「優しい」という字が生まれていることを考えれば、「優しい」というのは、人様に対するあるべき姿勢を表しているのだと思うのです。人様に優しくさせて頂くこと。。。それは人様の為になっているだけでなく、自分の幸せや喜び、生き甲斐を生み出す原動力であり、魂の修正や成長を生み出すことに繋がっていくのだと思うのです。--------自分が喜んでいるときに、 「良かったね!」と、一緒に喜んでもらえるととても嬉しいと思うのです。だからこそ、喜びを分かち合うと、喜びが倍増するのだと思うのです。逆に、自分が喜んでいるにもかかわらず、 「何を浮かれてるの?」 「はいはい、良かった良かった。。。」などと心無い醒めた言動で自分の喜びをバカにされたりすると、折角の喜びも半減するどころか、 「嬉しいことがあっても、 喜んではいけないのかな。。。」などと心が傷ついてしまうこともあると思うのです。自分が悲しみ、苦しんでいるときに、 「大丈夫。。。大丈夫。。。」と、ただ寄り添って優しく声をかけて頂いたり、何も言わずに、ただただ寄り添って、自分の話に耳を傾けて頂いたりすると、その人様の優しさや温もり、愛に触れることで、心が癒され、救われ、洗われ、悲しみや苦しみが和らぐ感じがあると思うのです。だからこそ、悲しみや苦しみは分け合うと、それらが半減するのだと思うのです。逆に、自分が悲しみ、苦しんでいるにもかかわらず、 「そんなことで悲しんでるの? そんなことで苦しいの?」などと自分の悲しみや苦しみという心の傷を広げられるような心無い醒めた言動をされて追い込まれてしまうと、自己嫌悪に陥ってしまったり、自暴自棄になってしまったり。。。時には、自分を追い込んだ相手に対しる怒りや憎悪が生まれるほどに、心を病んでしまうこともあると思うのです。心ある人間同士とはいえ、喜びや嬉しさ、悲しみや苦しみの感じ方は人それぞれだと思うのです。だからこそ、人様の喜びを一緒に分かち合わせて頂く時も、人様の悲しみを一緒に分け合わせて頂く時も、相手の立場になって、自分がされたら「嫌だなぁ。。。」と思うような言動はせず、自分がされて「嬉しいなぁ♬」「有り難いなぁ♬」と思えるような言動をさせて頂くことが大切だと思うのです。そのような姿勢で生かさせて頂いていると、それが巡り巡って、自分が喜びを一緒に分かち合って頂きたい時や、自分の悲しみを一緒に分け合って頂きたい時には、「嬉しいなぁ♬」「有り難いなぁ♬」と思えるような心ある人様の優しい言動に触れさせて頂くことができ、喜びは倍増し、悲しみは半減されるのだと思うのです。「人は、分かち合えれば、悲しみは半分に、 喜びは二倍になるのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201206180000/「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きましょう。 それが人というものですから。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201204290000/「人の涙をもて遊んだり、人の悲しみをかえりみない。。。 これでは幸せから遠のくばかりです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201405140000/「あなたが扱われたいように、他人を扱いなさい。 汝が隣人からされたくないことを隣人に行ってはならない。 隣人を自分自身として見ることで、 人は正しい基準を得ることが出来る。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201107150001/「もっと幸せになる方法があります。 それは、自分の幸せを他人と分かち合うことです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201510110000/「小さな幸福を見つけたら、それをみんなに教えてあげましょう。 そうしたら、もう少し大きな幸福が見つかります。 同じことを繰り返すことですよ。 あなたと家族は最高の幸福に包まれることでしょう。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201203040000/「汝は、他人に幸福を分け与えることにより、 それと正比例して、自分の幸福を増加させることができる。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201112300000/「触れ合う人達に喜んで頂く時、 その人の心は最高の高みに達しているのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201203300000/「人は、他に対し善を行っている時、 自らに対して最善を行っているのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201206140000/「自分の幸福を人さまに分け与えましょう。。 この最高の手段を身につけている人は、 幸福を永久に持続させることができます。 」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201404210000/「幸せになりたければ、人からされたいと思うことを、 率先して自ら人にすればいいのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201404260000/「人は心の美しさ。。。 太陽が朝を連れて来るように、心美しい人は、 今日も愛の光を連れて来るのです。 あなたの喜ぶ姿が私の喜びです。 人はこうして幸せになって行くのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201405050001/ 「他人のための行いにこそ価値があります。 無償の愛。。それが人生の重要な秘訣のひとつです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201406020001/「不幸になっていく人は、自分の喜びばかりを考えているのです。 人を喜ばせることを考えて生きていきましょう。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201207180000/「相談する人が求めているのは、 的確なアドバイスではなく、 真剣に聞いてくれることです。 答えは本人が最初から知っているのです。 ただそれを引き出してあげること。。。 真剣に聞いてあげましょう。 その人の潜在意識が解決策を語り出します。 後は指導の存在の意見を聞いて調整をするだけです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201501040000/「相談者の心を傷付けるような、酷いことを言わない。 心のケアとアドバイスを天命と知っている人には 正しい後の方が指導していますから、 大丈夫なのですが、ほとんどいません。 お祓いよりお笑い、が正解だと思いますよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201211040000/「真心をもって人を助ければ、 必ず自分も人から助けられるのです。 嫌な思いを他人にさせれば、 必ず自分も人から嫌な思いを返されるのです。」 (ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408100000/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408100001/「天は人間に言葉を与えました。 言葉は、触れ合う人を喜ばせることも、 生きる勇気を与えることも、できますが、 辛い思いをさせることも、哀しませることもできます。 誤解されそうなことは、先に話しておきましょう。 言う必要もなく、相手を不快にさせるだけの事なら、 黙っていましょう。 人の悩みに耳を傾けましょう。。 どのような人とも心と心で言葉を通じ合わせましょう。 辛い時も哀しい時も、愛の人でありましょう。 心温まる言葉を話す人でありましょう。」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311040000/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311050000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.01.09
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「無償の愛。。良心に従う。。 これが天の教えです。。 道徳や心、愛や宗教を説いて、 お金や見返りを頂いてはならない。 ギブ&ギブ これが上位の天界の厳とした掟です。 下位の教えはそうではありません。 下に行けばいくほど、欲にまみれた世界になっていきます。」相手がして下さったことに対して、感謝の心と報恩の心から、御礼として見返りをさせて頂くことはとても美しいことだと思うのですが、自分が人様にさせて頂いたことについて、 「〇〇をしてあげたから。。。」 「〇〇をしてあげたんだから。。。」として、人様からの見返りを期待したり要求するのは、愛の押し売り、親切の押し売りでしかないと思うのです。見方を変えさせて頂くと、相手からの見返りを期待してする行いは、自分の欲を満たす為、自己満足する為の行いでしかなく、愛ではないと思うのです。本物の愛や優しさというものは、相手に何かを押し付けたり、強制するものでもなければ、恩着せがましく何らかの見返りを要求したり、それを期待するものでもなく、自分のアドバイスを聞き入れない相手に対して、不平、不満、愚痴、悪口等を言って相手を傷つけたり、怒りを露わにすることもなく、ただただ優しく愛を与え尽くすだけだと思うのです。 (裏を返させて頂くと、上記に該当するような場合は、 本物の愛や優しさではなく、人様を利用することを通じて、 「私は人様の為に色々している良い人です♪」 という自己アピールと自分への高評価を期待している 自分が可愛いだけの利己心に満ちた方、ということだと思うのです。)その愛や優しさを受け入れて下さろうと、受け入れて下さるまいと、それは、相手の方の自由故に、相手の方がどのような選択や判断、決断をされるのか、そこにも当然、干渉することなく、相手の自由にして頂く。。。自分はただ、愛や優しさを捧げさせて頂くだけ。。。与え尽くすだけ。。。本物の愛や優しさとは【 give & take 】ではなく、天が地上の私たちにして下さるような【 give & give (与え尽くす) 】というのことを言うだと思うのです。何ごとも強制しない。。。何らの見返りを求めない。。。相手を思い遣る心を持って、ただただ与え尽くす。。。それが【 無償の愛 】だと思うのです。時に、心悩ませ、苦しんでいる方々が、自分を頼りに、自分に相談しようとして、わざわざ自分の所へ来て下さったり、又は、自分の目の前にそういう方がいるときに、キリストさんやお釈迦さん、マザーテレサさん、ガンジーさんなどは、どうされただろう。。。と考えると良いと思うのです。「お金や食べものや衣服などを支払わなければ、 人の心のあり方や真理を人々に説かない!」などということがあったものでしょうか。。。もし、 「お金や食べものや衣服などを支払わなければ、 人の心のあり方や真理を人々に説かない!」などのように、良心のかけらも感じられないような高額な相談料や受講料、その他、何らかの名目を付した料金等を徴収することが前提になっているようなものは、悩み苦しんでいる人様の心に付け込み、人様の心を弄んでいるようなものだと思うのです。そのようなことをする方の後ろには、人様の心を弄ぶことを楽しみや喜びとするような存在が憑いていて、その存在によってコントロールされている、ということだと思うのです。 (そういう存在に憑かれていることに自分では気づけないことも、 その方ご自身の修行にもなっているのだと思うのです。)キリストさんやお釈迦さん、マザーテレサさん、ガンジーさんなどは、そのようなことはなかったと思うのです。キリストさんもお釈迦さんもマザーテレサさんもガンジーさんも人としてあるべき正しい心の道を知りたい、と思う方々がいれば、天の教えを無償で喜んでお話しして下さったと思うのです。お金や食べものや衣服を差し出すことができない方々にも、無償で喜んでお話しをして下さったと思うのです。そういう言行一致の言動を通じて、悩みや苦しみから、人様の心をお救いになられていたのだと思うのです。そもそも、天の教えは、天の無償の愛によって、授けて頂いたものだと思うのです。天が、天の教えを無償で与えて下さっているのは、それが「みんなのもの」であるからこそだと思うのです。天が無償で授けて下さった天の教え故に、地上においてそれを正しく伝え、正しく教わるのも無償であることが極自然なことだと思うのです。それにもかかわらず、無償で授けて頂いている天の教えを、地上で修業をさせて頂いている私たちが、地上でしか通じない貨幣価値基準などによって、人為的な価値や資格名、肩書きなどを付けていることが今の世の中には多々あると思うのです。 (私たちが地上で修業をさせて頂いているのは、 不完全で至らない点があるからこそ。。。 そのような私たちが、天の教えについて、 人為的な価値や資格名、肩書きを付したところで、 それらも不完全なものでしかないと思うのです。)そればかりか、高額な料金体系が作られ、料金を支払わなければ教えない。。。資格を与えない。。。肩書きを名乗れない。。。そのような姿勢を取っている心のあり方、遣り方そのものが、既に天の教えから大きく外れていると思うのです。 (それに気づくことなく、はたまた、気付いているにもかかわらず、 高額な料金を要求する方と、それをお支払して受講する方がいるのは、 騙す側と騙される側の引き寄せがあるからだと思うのです。)天の教えから外れた言動をしているにもかかわらず、それを「天の教え」とし、お金さんや見返りを要求する。。。自らを貶め、業を積んでいるだけだと思うのです。自らを貶め、業を積ませるような教え。。。それはもはや教えではないと思うのです。私たちが地上に生まれる時に天から無償で授かった「何が正しいかその全てを知っている良心」や「理性」に背かせる。。。私たちの持つ欲を利用し、私たちが欲の虜になるように仕向ける。。。私たちを弄び、誘惑し、私たちを貶め、業を積ませる。。。これらは、私たちをコントロールする存在の遣り口である、というだけで、教えでも何でもないと思うのです。そして、私たちはコントロールされているだけ。。。とはいえ、良心や理性だけでなく、自分さえも見失うほどの欲深さが自分にあったからこそ、コントロールされることになっていることを考えれば、自分の心に問題があり、自分の責任であることに違いはないと思うのです。魂の修正や成長を目的として、地上という修業の場に生まれる機会を与えて頂いている私たちにも拘らず、良心や理性の声に耳を傾けず、自らの欲に翻弄されたり、自らの欲が引き寄せた存在に知らず知らずの内にコントロールされ、自らを貶め、業を積んでしまっては、地上に生まれてきた目的から大きく外れていると思うのです。それでは元も子もないと思うのです。そのようなことにならないように与えて頂いているものが 「何が正しいかその全てを知っている良心」だと思うのです。だからこそ、いつ何時も良心に従って生かさせて頂くことが大切だと思うのです。天が地上の私たちに良心を授けて下さっているのはなぜか。。。 「心ある人として、心正しく生きることができますように。。。」 「間違った道を歩んだり、 人生の目的を果たせないということのないように。。。」 「人としてあるべき正しい道へ導いてくれるのが良心です。。。 いつ何時も良心に従ってさえいれば、 それは間違いのない、天に続く道です。。。」 「不完全な私たちが修行の場である地上で、 心正しく修行を努め、業を清算し、 魂の修正や成長ができる確かな心の道を歩まれますように。。。」などのような、無償の愛による、私たちを思い遣る優しい心から、良心を授けて下さっているのだと思うのです。そういう天の私たちに対する想いを知らない私たちは、天のお立場になって、天のお気持ちを考えることもなく、良心に背いて生きてしまうことがあると思うのです。 (それもまた不完全な人間故だと思うのです。 良心に背いている自分がいることに気付いた時に、 直ぐに「良心に従って生きていこう!」と自ら選択、決意し、 良心に従った言動をもって生かさせて頂く。。。 そのプロセスが大切なのだと思うのです。 だからこそ、「良心に背いている自分がいるなぁ。。。」と 感じた時は、人様の目を気にしたり、体裁を気にすることなく、 直ぐに良心に従って生きる道を歩ませて頂くべきだと思うのです。)例え、地上的に豊かに栄えたとしても、その豊かに栄える状況を作り出した心のあり方やプロセス(過程)が、良心に背いているのであれば、その道は、天から遠ざかる道であり、心ある人として大切な心を失う道であり、自分で自分を貶め、滅ぼす道であり、業を積み重ね続けてしまう道なのだと思うのです。良心に背く。。。良心に逆らう。。。とは、そういうことなのだと思うのです。反対に、いつ何時も、天に続く道への心の羅針盤である良心に素直に従って生かさせて頂いていれば、それが例え、地上的には、辛く苦しく険しい道であったとしても、その道は天に続く最短距離なのだと思うのです。だからこそ、修行をさせて頂いている私たちにとっては、自分に与えて頂いている境遇を自分勝手な自分基準による主観的なものごとの見方で選択したり、判断するのではなく、いつ何時も、 「何が正しいかその全てを知っている良心」に素直に従って生かさせて頂くことがとても大切なことなのだと思うのです。その大切なことを忘れないようにさせて頂く為には、 私たちの本質は、魂であること。。。 地上に生を与えて頂いている目的は、 業の清算や魂の修正や成長の為であること。。。 その目的達成の為には、 人様のお役に立つことをさせて頂くこと。。。 人様にお喜び頂けることをさせて頂くこと。。。 を、利己心を満たす為にするのではなく、 無償の愛という利他心をもって生かさせて頂くこと。。。であることを忘れないようにさせて頂くことが大切だと思うのです。天法の写しである良心に従って生かさせて頂けば、天に続く道を自由に歩ませて頂くことができる。。。 (地上的には、それが逆に見えることが多いのだと思うのです。)ただ、それだけのことだと思うのです。天法の写しである良心に背かせようとする欲に従って生きれば、いつの間にか自分の心は何ものかに支配され、その支配下のもと、不自由な道を歩まされ続けることに。。。 (地上的には、それが成功の道、豊かな道、 栄える道に見えることが多いのだと思うのです。)ただ、それだけのことだと思うのです。良心に従って生かさせて頂くことも、良心に従って生かさせて頂いた結果も、良心に背いて生きることも、良心に背いて生きた結果も、その全ては、自分次第だと思うのですが、業の清算や魂の修正や成長をさせて頂く為に修行が必要な不完全な私たちが道を誤らないように与えて頂いている良心に背く道、従わない道を選択してしまう自分がいるのはなぜなのか。。。そういう自分をしっかりと見つめさせて頂くことがとても大切だと思うのです。天の無償の愛によって与えて頂いている天法の写しである良心に従って、心正しく生かさせて頂くからこそ、天が地上の私たちに無償の愛を与え続けて下さるというそのお手本に倣って、私たちもまた愛の心で人様や自然や動植物に接することができるようになるのだと思うのです。「真実の宗教とは思いやりの心です。。 お金など要求しないものです 。。。」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201403240000/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201403240001/「釈迦もキリストも、アラーもマイトレーヤーも ビシュヌもラクシュミーもオオヒルメノムチ(天照大御神)も 須佐之男尊も真理を説いて、お金や見返りなど要求しません。 ガンジーやマザーテレサなどは、金儲けなどとは無縁です。 見返りが必要な教義は、ズバリ商行為ですよ。 騙されないことです。無償の愛こそ本物です。」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201404280000/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201404280001/「最も残酷な罪は、宗教の名の下に行われます。 最も美しい行為は、愛の名の下に行われます。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201205190000/「他人のための行いにこそ価値があります。 無償の愛。。それが人生の重要な秘訣のひとつです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201406020001/「本当の愛は、もはや何一つ見返りを望まないところにあります。。 本当の心の救いは、無償の奉仕の中にあります。。 あなたの笑顔で私は救われるのです。」 (ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408280000/「触れ合う人達に喜んで頂く時、 その人の心は最高の高みに達しているのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201203300000/「自分勝手な奉仕や 主義主張を人に押し付けるのは 単なる迷惑行為です。 自己満足に浸らない 見返りを求めない無償の愛。 優しい言葉 優しい心 心掛けていきましょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201409130000/ 「人様の喜ぶ姿をイメージして無心に、奉仕して下さい。 それが限りなく天に通じる生き方ですから。。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201209220000/「愛のある言葉は、みんなを幸せにしますから、 ユーモア溢れる慈しみのある言葉を話して、 どんなに悩んで苦しんでいる人でも、 思わず、笑顔にさせてしまうことから始めましょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201210210000/「幸せというものは、一人では決して味わえないのです。 幸せの連鎖。。無償の愛。。心と心を繋いでいきましょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201405090000/ 「汝は世の人々に伝えなければならない。 本当に幸せになる人は、真実の奉仕の仕方を探し得た人であることを。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201111250000/「人は心の美しさ。。。 太陽が朝を連れて来るように、 心美しい人は、今日も愛の光を連れて来るのです。 あなたの喜ぶ姿が私の喜びです。 人はこうして幸せになって行くのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201405050001/ 「いつも奉仕する機会を探して生きていきましょう。 決して、その機会を見逃してはいけないのです。 自分から、その機会を作りましょう。 機会を待つのではなく、作らないといけません。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201205290000/「今日も笑顔で過ごしましょう。 笑顔は他人にも伝染します。 自分が明るく楽しくなることで、 人にも多く貢献できるのです。 笑顔の輪が広がれば、 世界に平和が訪れます。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311060000/「与える手は、どの手も美しいのです。 与えることは、自らを輝かせます。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201207050000/「人を喜ばせたいし、助けたい。 そういう人間になれば、幸運が舞い降りるであろう。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201108060000/「天に従うものは栄え 天に逆らう者は亡ぶのです。 良心こそ天の光です。 あなたの生きる指針です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201508240000/ 「常に天法である心と対話してください。 人法の遥か上の境地で生きれば、 間違いの無い正しい生涯を全うできるのです。」 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201204020000/「天法は、人法の遥か上にあるのですから、 決して良心に逆らってはいけません。」 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201203250000/「汝の良心は全てを知っている。 誰が正しいかではなく、 何が正しいかということを。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201110220000/「良心に照らして、考えること、言うこと、することが調和されるならば 人生は、思いのままに拓けます。。 拓けないのならば、三点セットのどれかが歪(いびつ) なのですから修正していきましょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201404200000/ 「汝は、常に自分自身の選択によって行動することができるが、 良心の命ずるままに行動するのが天命を果たす道である。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201110060000/「汝は良心を友として生きよ。天に通じる道ゆえに。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201112280000/「自分の信じる道を真っ直ぐに歩んで行けばよいのです。 あなたの道を。。。 良心という道標があるのならば、 指導の存在、守護の存在は、随所であなたにアドバイスを与え、 奇跡を降ろして必ずあなたを助けるでありましょう。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201505120000/「人の一生は、 曲がり角をどう曲がるかで決まります。 次の曲がり角では良心に従って曲がる。。 それだけを心がけてください。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201506090000/「人間は、その人がどういう人生を歩んできたのか、 苦しい経験を積んできたのかではなく、事が起きた際に、 良心に従って正しく行動したかどうかで価値が決まるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201410160002/ 「地上では、良心に従って進むと、損をして、 この世的価値観では、失敗のように見えるものが多いのですが、 実は、天の蔵に大いなる宝を積み上げていた!! こういうことはこの世を去るときに誰もが経験することです。 地上に肉体を持つのは、瞬きをするくらいの時間ですから、 欲に翻弄されて、自分を見失うほど時間の浪費はありません。 」 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201209060000/「日々、良心と対話して行動することです。 人間が作った人法を超えるもの それが良心=天法です。」「天に従うものは栄え 天に逆らう者は亡ぶのです。 良心こそ天の光です。 あなたの生きる指針です。」「善心を養えば、 悪おのずから消えるのです。 良心こそあなたの真実の先生なのです。」「世の中には、ずるいこと、 足の引っ張り合い、意地悪。。。駆け引き。。。 いろいろありますけど、 あなたはまっすぐ歩いて行けばよいのです。 良心の命じるままに。 ただ笑顔だけは忘れないでください。 笑顔に神仏は宿るのですから。。。」「良心と直感に従って力強く歩んでいきましょう。 道が分かれている時は、 必ず良心と直感の指し示す道に進んでください。」「世の中はつらいことでいっぱいですが、 良心に従って生きていくのならば あなたの心に燈った一本の灯りが あなたを幸せの世界へ導いてくれるのです。。」「どこに行くかわからない人生の方が面白いのです。 良心というナビがあれば大丈夫。。 素晴らしい世界に到達できるでしょう。」「人生は、良心に従って生きよう!! 触れ合う人のお役に立とう!!と強く念じていると 理屈では測れない、目に見えない、 言うに言えない要因が働いて、 想像もできないような美しい世界に到達することができるのです。 」「人間の創った人法を超える天法。。。 真実と正義を学ぶ学校が必要な時代です。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201508140000/「正しい心で誠意を尽くして生きていく。。 今日も、ただそれだけでいいのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201409010000/「良心は人生航路の羅針盤。。。。 足ることを知らない欲望が嵐です。 嵐は自分で産み出したもの。。 自然に発生したのではありません。 嵐に翻弄されるのは、羅針盤に従わなかった 自分の心と言動に原因があるのです。 心のあり方を修正し、これからの言動を 修正しなければなりません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401130000/「天は、理性と良心を持っている人を 決して見放すことはありません。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201203060000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.01.08
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「暖かい家庭があればいいのです。。。 それさえあれば人は生きていけるのです。」家庭。。。 夫婦・親子などの家族の集まり。 また,その生活の場所。という意だそうです。家庭は自分一人では築けないと思うのです。そのように考えさせて頂くと、一つ屋根の下で生活を共にする家庭は、配偶者という相手がいる夫婦だからこそ♪ 心の繋がりのある親子だからこそ♪ の特別で有難いものだと思うのです。それにもかかわらず、自分のことは棚に上げて、相手の良くない点にばかりに目を向けて、相手に対する不平不満、愚痴を言う、などをお互いにやりあってしまったり、一方的に責め立てる、ということが思いのほか多いと思うのです。夫婦や親子みんなの帰る場所であり、みんなの居場所である家庭は、本来、みんなにとって 安らげる場所。。。 くつろげる場所。。。 落ち着く場所。。。 根本的な自分の居場所。。。であるはずだと思うのです。それが、 安らげない場所。。。 くつろげない場所。。。 落ち着かない場所。。。 家にいるとろくなことが無い。。。 外にいる方が楽。。。ということになってしまっては、夫婦や親子みんなの帰る場所であり、みんなの居場所である家庭の中に、もはや自分の居場所がない、ということになってしまうと思うのです。 (もしくは、「自分の居場所がない」と 相手に思わせるようなことをしている 自分がいる、ということでもあると思うのです。)一つ屋根の下で生活を共にさせて頂いているにもかかわらず、 自分のことばかり考えて、相手のことを思い遣る気持ちがなければ、それは夫婦、親子として機能していないということ故に、その家庭は崩壊しているのだと思うのです。家庭がそのようなことになってしまっては、「家庭」「夫婦」「親子」という言葉がその意味をなさなくなるという悲しい結末をお迎えしてしまいかねないと思うのです。自分一人で生かさせて頂いているわけではない私たち。。。家庭崩壊という悲しい結末を迎えることにならないように、一つ屋根の下で生活を共にさせて頂いている一人一人が、相手を思い遣る心をもち、みんなで明るく温かい家庭を築こう♪とお互いに努力させて頂くことが大切だと思うのです。生活を共にする相手がいなくなってから悲しむよりも、生活を共にする相手がいることがどれほど幸せなことか。。。どれほど有難いことか。。。どれほど素敵なことか。。。 自分と生活を共にしてくれている相手の存在に心から感謝させて頂きたいものですね。家族が待つ我が家で、家族と和気藹々の楽しい時間を過ごす♪時には、一人で悩まず家族に相談して甘えてみたり♪時には、家族の相談に耳を傾け大きな心で包んで差し上げたり♪同じ屋根の下で暮らさせて頂いている家族♪お互い様の心で、お互いを支え合い、助け合い、分け合い、協力し合えることに幸せを感じることで、心身の疲れが癒され、エネルギーが充電されると思うのです♪そういう愛情溢れる帰る場所や自分の居場所があるからこそ、私たちは頑張ることができたり、立ち上がることができたり、勇気を奮い立たせることができたり、生きる意味を見出すことができるのだと思うのです。--------~家族の絆♪~「行ってきま~す♪」と出掛けて、「ただいま~♪」と帰宅する。。。当たり前のように毎日繰り返されていることですが、当たり前のように毎日繰り返されていることだからこそ、「幸せ」に生かさせて頂いていることに感謝させて頂く心を忘れずに生かさせて頂きたいものですね。帰る場所がある。。。帰れる場所がある。。。帰りたい場所がある。。。とっても幸せなことだと思うのです。待っててくれる家族(相手)がいる。。。待つ家族(相手)がいる。。。とっても幸せなことだと思うのです。今日一日の出来事を話す家族(相手)がいる。。。今日一日の出来事を話してくれる家族(相手)がいる。。。とっても幸せなことだと思うのです。一緒にご飯を食べる(食べたい)家族(相手)がいる。。。ご飯を作ってあげる(作ってあげたい)家族(相手)がいる。。。ご飯を作ってくれる家族(相手)がいる。。。とっても幸せなことだと思うのです。プレゼントをしたいと思う家族(相手)がいる。。。プレゼントをしてくれる家族(相手)がいる。。。とっても幸せなことだと思うのです。喜んでもらえるような何かをしたくなる家族(相手)がいる。。。自分を喜ばせようとしてくれる家族(相手)がいる。。。とっても幸せなことだと思うのです。手伝ったり、助けたくなったり、放ってはおけない家族(相手)がいる。。。手伝ってくれたり、助けてくれたり、手を差し伸べてくれる家族(相手)がいる。。。とっても幸せなことだと思うのです。甘えられる家族(相手)がいる。。。甘えてくれる家族(相手)がいる。。。とっても幸せなことだと思うのです。看病したくなる家族(相手)がいる。。。看病してくれる家族(相手)がいる。。。とっても幸せなことだと思うのです。心配してくれる家族(相手)がいる。。。自然と心配してしまう家族(相手)がいる。。。とっても幸せなことだと思うのです。自分が得意なことを活かさせて頂くことができる家族(相手)がいる。。。自分が不得意なことを惜しげもなくやってくれる家族(相手)がいる。。。とっても幸せなことだと思うのです。何かあったときに直ぐに電話をかけようと思える掛け替えの無い家族(相手)がいる。。。何かあっとときに直ぐに電話をかけてくれ、気にかけてくれる家族(相手)がいる。。。とっても幸せなことだと思うのです。言い合いをする家族(相手)がいる。。。 (言い合うくらいに真剣になれる自分がいる。。。) (言い合うくらいに真剣になってくれる相手がいる。。。)意見をぶつけ合う家族(相手)がいる。。。 (意見を言いたくなるほど気にかけている相手がいる。。。) (意見を言ってくれるほど気にかけてくれている相手がいる。。。)自分の我儘を出すことが出来る家族(相手)がいる。。。 (自分の本性であり、自分らしさでもある 自分の我儘な面を安心して出せる相手がいる。。。) (相手の本性であり、相手らしさでもある 相手の我儘な面を安心して自分に出してくれる相手がいる。。。)とっても幸せなことだと思うのです。自分にとって必要な家族(相手)がいる。。。自分を必要としてくれる家族(相手)がいる。。。とっても幸せなことだと思うのです。守りたい家族(相手)がいる。。。守ってくれる家族(相手)がいる。。。とっても幸せなことだと思うのです。そのどれもが「当たり前」のように繰り返されているからこそ分からなくなっている家族(相手)にとっての自分という存在、自分にとっての家族(相手)という存在の素晴らしさ、大切さ、愛おしさがあると思うのです。それが「当たり前」でなくなったときに、相手の素晴らしさや大切さ、愛おしさに気付き、 「あの時、もっと〇〇しておけば良かった。」などという後悔が生まれることの無いように、日頃から、「当たり前」であることに心から感謝させて頂き、一つ屋根の下で、日頃から寝食を共にし、行動を共にする家族(相手)を思い遣りながら、明るく、元気に、仲良く、笑って生かさせて頂きたいものですね。--------「家族とは何か」「家族とはどうあることか」「家族とはどうあるべきか」などを模索し、「家族」という心の安らぎの場や、お互いの愛を与え合う場を見つけ、様々な経験や体験させて頂く為に、私たちは皆、「親」から生まれてくるのだと思うのです。その親との心のご縁が深かろうが浅かろうが、その親から与えて頂いている様々な経験や体験を通じて、学び、気付かせて頂いたことなどをもとに、自分が築きたいと感じる「家族」を相手の中に見出そうとしたり、相手が築きたいと感じる「家族」を自分の中に見出して頂くなど、知らず知らずの内に、「家族」のように仲良くできる親近感のある相手かどうかを見極めようとしていることがあると思うのです。それくらい、私たちは、心のどこかで「家族」という心の安らぎの場であり、お互いの愛を与え合う場を探し求めているのだと思うのです。掛け替えのないものを欠いてしまってから、それが掛け替えのないものであったことに気付く、ということのないように、自分の心が安らぎ、自分の愛を惜しみなく与えることができる「家族」を、自分に安らぎを与え、自分に愛を惜しみなく与えてくれる「家族」を、日頃から大切にして、「家族」の絆を大切にする家庭を築かせて頂きたいものですね。「夫婦、親子の礼儀は忘れがちですが、 幸せな家庭は心愛(しんあい)の礼儀が保たれているものです。 互いを思いやることを忘れてはなりません。(一部抜粋)」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312030005/「家族が、元気を充電する時間であり、 癒される時間。。会話を楽しむ時間。 それは食事の時間です。 何があっても助け合って、明るく、 物事が良い方向に進んで行く家族は、 例外なく、食事の時間を楽しんでいる家族です。 うまくいかない家族は、例外なく黙々と食べるだけです。。 あなたは楽しんでいますか?」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312280000/「家族の心と心の繋がりほど美しいものはこの世にありません。 みなさんそのことに気づいて欲しいのです。(一部抜粋)」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201209090000/「明るいジョーク、愉快な言葉が飛び交い 笑顔が絶えることのない家庭、社会は、 光の世界そのものですから、全てが降りてくるのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201208110000/「いっしょに「いる」ということ。 それだけで幸せ。。。 これこそが結婚の本質。。。 家族の本質です。。。。」ラクシュミーさん 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201410310000/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201410310001/「家庭とは、あなたが帰らなければならない時に、 安らぎを持って受け入れてくれる場所です。 安らぎの無い帰りたくない家はもはや家庭ではありません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201501050000/ 「人はエネルギーを蓄える場所が必要です。 毎日安心して戻れる場所があると 明日を生きることができるのです。 安心して戻れる場所。。あなたは持っていますか? 人には、悩みを共有して、 一緒に悩み、戦ってくれる人が必要なのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312250000/ 【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.01.07
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「信じようと信じまいと 唯物論者、無宗教者であろうと 人は誰でも見守っている存在があります。 誰も見ていないようでも全てを観ている存在がいて 心の中で思ったことまで知っている。。。 良心に恥じることができるはずもないのです。」努力する姿であろうと、良心に従っている姿であろうと、頑張っている姿であろうと、楽しんでいる姿であろうと、人様に親切にしている姿であろうと、自分に嘘をついている姿であろうと、自分で自分を騙している姿であろうと、悲しんでいる姿であろうと、辛く苦しんでいる姿であろうと、怠惰な姿であろうと、良心に背いている姿であろうと、体裁を取り繕っている姿であろうと、格好を付けている姿であろうと、見栄を張っている姿であろうと、人様に嘘をついている姿であろうと、人様を騙している姿であろうと、弁解している姿であろうと、それが人目につこうとつくまいと、天は常に、私たちを見ていらっしゃられるのだと思うのです。天が私たちの姿や心のあり方の全てを見て下さっているのと同じように、私たちの魂、つまり自分自身も、この世における自分の姿や心のあり方の全てを見ていると思うのです。私たちは、自分の姿や心のあり方の全てを、天が見て下さっていること。。。自分の魂(自分自身)が自分を見ていること。。。の両方を心のどこかで感じていると思うのです。 だからこそ、自分に恥じることのない生き方。。。良心に素直に従った生き方。。。誠実で真面目な生き方。。。コツコツと地道に努力を継続する生き方。。。をさせて頂きたいものですね。それも、 「天に見られているから。。。」 「天に評価されたいから。。。」 「自分の魂が見ているから。。。」 「誰かが見ているから。。。」などのような、天や他者の目、人様の顔色を気にした理由ではなく、 「より幸せな人生を過ごさせて頂く為に♪ そして自分の幸せを人様にお裾分けさせて頂く為に♪」 「自分の努力が人様のお役に立つことや、 人様にお喜び頂ける何かに活かせますように♪」などのような利他心という愛の心が添えてある生き方をさせて頂きたいものですね。--------誰にも見られていない。。。誰にも知られていない。。。と自分に言い聞かせたり、勝手に思い込み、悪事や不正を繰り返して、業を積み重ねていることに気づかない、気づけない。。。この世的には上手く過ごしているように見えても、その実態は、業を積み重ね続けている生き地獄。。。それこそお気の毒なことだと思うのです。誰にも見られず、誰にも知られていないかもしれませんが、 「誰にも見られていない」 「誰にも知られていない」と思っている自分の心。。。 「本当は良くないことをしている」と思っている自分の心があることを実は自分が一番良く分かっている筈だと思うのです。そしてそれは、天に筒抜け。。。天はお見通し。。。地上の大自然にも筒抜け。。。大自然はお見通し。。。秘め事を聞きつける者もあり。。。時にはそれが裏切り者であることも。。。堂々とすることができない。。。隠れてコソコソしなければできない。。。そういう自分に嘘をついたり、自分を騙したり、自分を裏切るようなことをすることのないような自分でありたいものですね。死して今生の自分の人生を客観的に顧みさせて頂いた時、良心に背いた心のあり方による悪行三昧の言動の人生に死んでも死にきれないような後悔をするのは、自分で自分に嘘を付き、自分で自分を騙し続け、自分で自分を裏切ってきたからに他ならないと思うのです。自分で自分に嘘をつくことは、人様に対しても嘘をついていることと同じ。。。自分で自分を騙し続けることは、人様をも騙し続けていることと同じ。。。自分で自分を裏切るということは、人様をも裏切っていることと同じ。。。だからこそ、魂の修正や成長をさせて頂く為の修行の場として与えて頂いた地上での人生は、良心に従って生かさせて頂きたいものですね。「誰にも見られていないから大丈夫。。。 誰にもばれていないから大丈夫。。。 という考え方やコソコソとしている態度。。。 それこそ、自分で悪いことをしている。。。 と心のどこかで感じている証拠だなぁ~♪ それを感じさせてくれているのが良心なんだなぁ~♪ 自分に嘘を付くのは止めよう♪ 自分を騙すのは止めよう♪ 自分を裏切るのは止めよう♪ 良心に従って生かさせて頂こう♪」という感じで、自分で自分を律し、反省させて頂き、自分で自分を良い方向へコントロールさせて頂く。。。それが「良心に従って生かさせて頂く」という事なのだと思うのです。「誰も見ていないようでも全てを観ている存在があるのです。 あなたの日々の行動の全ては記録されているのです。 もちろん心の中で思ったことも。。。 良心に恥じることができるはずもありません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201506190000/「天は、全てを知っています。 何を考えたか、心の中までも。。 ですから心正しく生きなければ、 この世を去る時に大後悔するのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201209140000/「人が見ていようといまいと、 正しき言動の出来る人でありましょう。 天は全てを知っています。 地上での勝ち負けは、大した問題ではないのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201310010000/「大切なのは心構えです。心的態度です。 天は、心でどう思ったか、どう考えたかを観ていますから、 偽善や形だけの善行は、ほとんど評価しないのです。 心的態度。。 これが、その人の才能や努力、知識以上に重要な要素です。 心を磨く。。 これが全てに優先するのです。。 幸運の鍵。。 いつでも渡す準備はできています。 あなたの心、純粋な心に期待して、待っています。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401050000/「自分の信じる道を真っ直ぐに歩んで行けばよいのです。 あなたの道を。。。 良心という道標があるのならば、 指導の存在、守護の存在は、随所であなたにアドバイスを与え、 奇跡を降ろして必ずあなたを助けるでありましょう。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201505120000/「正しい心で誠意を尽くして生きていく。。 今日も、ただそれだけでいいのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201409010000/「この世を生きてゆくには誠実の一語です。。 誠実とは何をするにも真心を尽くす事、 すなわちいつわらない事、あざむかない事です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201409190001/「死なないで地上で、生きられる人は皆無です。 人は、地上に命がある時だけ諸々の善行を なすことができるのですから、せっかくの機会を 大いに活かして、帰還されますように。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201211090000/「生まれ変わるのは、地上に生ある時です。 還って来てからでは遅いのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201209260000/「人は生き通し。。。決して死なない存在です。 誰も見ていなくても心正しく良心に恥じない自分でありましょう。 因果応報の法則は紛れも無い事実なのですから。。。(一部抜粋)」(ラクシュミーさん)「人は生き通しなのです。。。 肉体は船。。。心が船頭さん。。。 船は乗り捨てて。。。心の旅は永遠に続くのです。 良縁は良縁として。。。悪縁は悪縁として次の船に引き継がれるのです。 今を良心に従って正しく明るく生きることですよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201507210000/「人間は、修行のために異郷に生まれて来たのです。 生きることは心の故郷を異郷に実現させること。 愛の心で生きること。。 いつの日か心の故郷に、果たすべきことを果たして、 喜びを胸に還ることです。」 (ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408120000/「人間という舟を得たら、それで苦悩の大河を渡れ。 愚か者よ、惰眠を貪るな、この舟は、再び得がたい。」(ビシュヌさんの分霊さん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201201290000/「こちらの世界では、心の中が、すべて視えてしまいますから、 嘘も偽善もありません。ただ優しさがあるだけです。 地上でもそうありたいものですね。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201210070000/「世間や社会に恥ずかしくないように生きるのではなく、 自分に恥ずかしくないように生きていきましょう。(一部抜粋)」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201303030000/「人生は有限です。 ですから他人の気に入るような行動をするよりも、 良心に忠実に、自分を尊敬し、自分が満足できるような 行動をとるべきです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312060000/「他人の目を気にせず、おおらかに自分らしく個性的に生きることだと思います。 この世的権威や、お金など、死後は無価値となってしまうのですが、 唯一つ「心」だけは持って還れるのです。 「心」こそ宝ですよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201210100000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.01.06
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「あなたの人生は、 あなたの思い描いた通りになるのですが 行動を伴わない想像力は、 何の意味も持たないのです。」「想像」を「想像」のままに留め、何らの「行動」も起こさず、何も変化しなければ、新しい経験や体験などの様々な境遇が生まれないばかりか、せっかく与えて頂いた「想像」は宝の持ち腐れになってしまうと思うのです。その反面、「想像」を「行動」に起こさせて頂くと、新しい境遇を与えて頂くものだと思うのです。その新しい境遇は、「行動」を起こすことによって与えられたもの故に、「価値」あるものだと思うのです。「行動」を起こさせて頂くことは、自分だけの為ではなく、自分の意識や理解を超えたところで、自分を取り巻く方々や環境やまだ出逢いの機会すら頂いていないご縁があるであろう他の方々との関係のある何かを始動させる スイッチのようなものだと思うのです。「言うは易く、行うは難し」と同じで、「想像することは易く、行うは難し」だと思うのです。「百聞は一見にしかず」と同じで、「百の想像は一行動にしかず」だと思うのです。だからこそ、折角「想像」できたことは、「動き」という行動に起こさせて頂きたいものですね。「想像」を「動き(行動)」に起こさせて頂くと、その「動き(行動)」が心に更なる「想像」を生み、その「想像」が新たな「動き(行動)」を生む。。。という相乗効果もあると思うのです。どんな些細なことでも、あれこれと考え過ぎずに、失敗を恐れずに、勇気をもって、「想像」を「行動」に起こすことを繰り返させて頂きたいものですね。「想像」を「行動」に起こすことを繰り返させて頂くという、その地道でコツコツとしたぶれない姿勢と積み重ねが、「想像」したものを現実化させるプロセスになり、「想像」を現実のものにさせるのだと思うのです。ただ、そこに至るまでには、大変な努力と集中力を要することになるのだと思うのです。もし、努力すること、集中すること、探究すること、試行錯誤することが楽しくないのであれば、自ら想像したことさえも楽しくないということ故に、その想像に対する思い入れや、その想像が現実化することを信じる心も浅くなると思うのです。それでは現実化しようがないと思うのです。努力すること、集中すること、探究すること、試行錯誤することが楽しくて仕方がない♪失敗しても、 「これは成功のもと♪ また成功に一歩近づいた♪」として、失敗をも楽しませて頂くことができる大きな心、豊かな心、ユーモアがあるからこそ、想像が現実化するのだと思うのです。--------私たちが想像できることは、それが実現可能だからこそ、想像することができるのだと思うのです。 (創造も同じだと思うのです。)想像したことが現実化しないのは、想像したものを、想像世界だけのもの、のように捉えたり、想像世界の中に生きる自分だけの想像にしたり、想像したことが現実になるということを信じていない、又は、信じ切れていないからだと思うのです。「想像」は、「想い」という字に、姿・形あるものの意の「像」と書きます。。。ということは、「想い」は、「姿」「形」に現れる、ということだと思うのです。「創造」は、 「初めて作り出す。はじめる。」という意の「創」に、 「新しい物事・状態を生み出す。形・状態を現出する」という意の「造」と書きます。。。ということは、今までに無い新しいものや初めてのものも、「形」「状態」に現すことができるということだと思うのです。「想像」によって思い描いた姿・形などは、「創造」としてこの世に現すことができる、つまり、「想い」は現実化することができる、ということだと思うのです。想像の「力」は、「力(パワー)」ではなく、「力(エネルギー)」だと思うのです。その「力(エネルギー)」が、姿・形・状態の元になるのだと思うのです。そのエネルギーを生み出すのが、明るく、元気に、前向きに、積極的に、肯定的に想像(又は創造)することや、その想像したことを探究し、楽しみながら行動に起こすことにあるのだと思うのです。 そうやって生み出されたエネルギーや想像(又は創造)が、人様のお役に立つことや、人様にお喜び頂けることに繋がる良心に従った正しいものであれば、それが実現できるように、天は私たちに何らかの形でヴィジョンやメッセージ、チャンスを与えて下さるのだと思うのです。とはいえ、想像力は良くも良くなくも想像力だと思うのです。明るく、元気に、前向きに、積極的に、肯定的に想像することも、暗く、俯き、後向きに、消極的に、否定的に想像することも、同じ想像であることに違いはないと思うのです。前者のようになりたいと思っていながらも、想像することや行動を起こしていることは、後者のようなことをしてしまっている。。。ということが思いのほか多いと思うのです。魂の修正や成長をさせて頂きながら、幸せになる為に生まれて来ている私たち故に、せっかく想像したり、行動に起こさせて頂くのであれば、前者のような心のあり方でありたいものですね。また、良心に従って想像したものも、良心に背いて想像したものも、どちらも同じ想像であることに違いはないと思うのです。良心に従って想像したことを行動に起こすことによって実現するのであれば、、良心に背いて想像したこともまた、行動に起こすことによって実現する、ということだと思うのです。前者の想像力や行動は、魂の修正や成長を促す善行であり、徳を積むことに繋がると思うのですが、後者の想像力や行動は、魂の修正すべき点を増やし、自分で自分を貶める悪行であり、業を積むことに繋がってしまうと思うのです。せっかく何かを想像させて頂いたり、想像したことを行動に起こさせて頂くのであれば、何れの「何が正しいかその全てを知っている良心」に従った想像や行動を生み出させて頂きたいものですね。「人は思い通りの人間になれます。 天はそのように人間を創ったのです。 あなたは、自分をどんな人間だと思っているでしょうか。 今の自分は、あなたの思いの通りの自分ですよ。 自分のことをどのように信じるかで、 自分も人生も変わってきます。 人生を変えるのは自分自身。。 置かれている環境でも人の評価でもありません。」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312050002/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312050003/ 「想像力は万物の母です。 日々、美や正義や幸福や心の平安を想像しましょう。 それらは地球の平和と安らぎに繋がるからです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201107280001/「人生とは日々の実験である。 実験を恐れる者に進歩は無い。 天は汝の実験が世の役に立つものであれば 手を貸すであろう。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201201180000/「最善のものを求めて、最悪のものに備えるのです。 これが愛と勇気と希望を運んでくる生き方なのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201207160000/「人生を劇的に変えるもの、それが勘やひらめき。。 そしてそれを実行する勇気!!です。 勘やひらめきはあっても、実行する勇気が無いから、 失敗もしない代わりに成功もしないわけです。 」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201406280000/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201406280001/「良心に照らして、考えること、言うこと、することが調和されるならば、 人生は、思いのままに拓けます。。 拓けないのならば、三点セットのどれかが歪(いびつ)なのですから 修正していきましょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201404200000/「価値を生み出すものは行動である。 汝はまず動かねばならぬ。」(ビシュヌさん)「事を行なう時に、いつから始めようかなどと考えている時は、 すでに遅れをとっているのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201111070000/「人間のできることは、小さなことかも知れません。 でも、小さな一歩を踏み出さない限り、 次の二歩目、三歩目はなく、大いなる成長も 改革もありえないのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201305080000/「知恵と愛という大切な安全ではなく、 安全という錯覚を求めている人がほとんどです。 これでは真の進歩はありません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201310090000/「成功して満足するのではない。 満足していたから成功したのである。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201108120000/「大きな事を成し遂げようと思うのならば、 小さなことを偉大なやり方でやり続けることです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401300000/「何かを成し遂げた人に共通する特性があります。 それは、生まれ育ち、頭の善し悪しではなく、 集中力があるかないか。。 集中力散漫な人で、何かを成し遂げた人は皆無です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401170000/「いくら考えていても思考が堂々巡りするばかり。。 具体的に動けば 具体的な答が出ます。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201404170000/「その道の先駆者と普通の人を分けるのは、 何かに打ち込んだ量の差に他なりません。 あなたは今も、懸命に真っ直ぐに清らかに、 何かに邁進していますか?」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311170000/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311180000/ 「汝は、自分の魂の喜ぶ仕事を、 根気良く続けなければならない。 それは、僅かな報酬しか生まないこともある。 それでも道は、真っ直ぐに続いていることを知れば、 いつの日か報われるであろう。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201109250000/「夢を叶えるためにすることは、 したいけど、できない。を やる!! できるけど、したくない。を する!! この二つだけです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401310000/「努力して創造していく間が人生なのです。 人生を楽しんでください。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201208140000/「何かを成し遂げた人は、楽しんでやった人ばかり。 苦労してやった人はいないものです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201403100000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.01.05
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「悔いなく、凛として生きていきましょう。 人生はあっという間に過ぎ去っていくのですから。」私たちには輪廻転生という機会が与えられているとはいえ、次から次へと、そう簡単に生まれ変わることは出来ないと思うのです。もし、簡単に生まれ変われるとすれば、魂の修正や成長をさせて頂くことを目的として「今生」というこの世に生まれる貴重な機会を与えて頂いているにもかかわらず、 「次に生まれてきたときに修正すればいいや。」などという甘えが生じたり、 「次に生まれてきたときに頑張ればいいから、 今生は好き勝手にしよう。」などとして、何もせずに怠けたり、惰眠を貪ることにより、折角与えて頂いた「人生(今生)」というチャンスを無駄に過してしまいかねないと思うのです。この世という魂の「修行の場」で生かさせて頂く為に必要な、魂の乗り物である「身体」を持たせて頂く生まれ変わりの機会は、ただ無闇に与えて頂いているわけではないと思うのです。地上での生を全うし、天に帰還した後は、地上での自分の今生の人生の過ごし方の是非を自分で自分に問い質し、非はなぜ非だったのかを理解することに努め、素直に反省させて頂き、その非を次に生まれたときに修正させて頂きながら成長させて頂こう、と時間のない世界で自分を見つめ直すことになると思うのです。その時に後悔を感じることが多くならないように、頻度が少ない「生まれ変わり」。。。期間が短い「人生」。。。という貴重な機会や、「今」という一瞬を無駄にすることなく、大切にして生かさせて頂きたいものですね。「今」という一瞬は当たり前のように繰り返されているが故に、「今」という一瞬の大切さや重みを忘れてしまいがちですが、「今」という一瞬は、この世的には「今」しか体験させて頂くことができない、「今」だけの特別な時間だと思うのです。だからこそ、「今」出来ることや「今」すべきことを、「今する!(今させて頂く!)」という姿勢で、「今」という一瞬一瞬を大切にして、「今を生きる」姿勢で過させて頂きたいものですね。時間という制約の中で生かさせて頂いている私たちは「今」を生きることしかできないと思うのです。その「今」という時間の繰り返しを、私たちの魂の修行の為に与えて下さっている天からすれば、 『「今」を生きることしか出来ないにもかかわらず、 「今」を一所懸命に生きることなくして、 いつ一所懸命に生きることが出来るの? (いつ一所懸命に修行するの?)』ということになると思うのです。「修行の場」であるこの世に生まれることは、盲亀浮木の如く、とても難しく、めったにない貴重なことなのだと思うのです。めったにない貴重な「人生」や「今」という一瞬の繰り返しだからこそ、良心に背いたり、人生を投げ出したり、人生から逃げだすなど、人生を無駄にすることのないように、生かさせて頂きたいものですね。この世は、自分の心のあり方次第で、何度でも自分を生まれ変わらせることができる貴重な機会に恵まれた「修行の場」。。。失敗や過ち、挫折、苦難、試練にめげるのではなく、それらを人生の糧にする。。。自分が信じていることに疑念を抱いたり、夢や希望を決して諦めることなく、自分を常に信じ、良心に常に従いながら、自分を変化させ、生まれ変わらせる。。。この世に生まれてくる前に自ら設計してきたライフプランの道を歩ませて頂くことができるように、天に帰還したときに「後悔」することがないように、生まれてくるときに天から授かった「何が正しいかその全てを知っている良心」に従って、明るく、元気に、楽しく、笑顔で生かさせて頂きたいものですね。~~~~凛。。。 態度などがひきしまっているさま。 りりしいさま。の意だそうです。態度が引き締まり、凛々しくなるような意識を生み出すのは、 良心に恥じない生き方。。。 自分の言動に責任を持つ生き方。。。 何ごとにも動じない平常心ある生き方。。。 好調不調を問わず、態度が変わらない生き方。。。 自分に嘘をつかない、自分で自分を騙さない生き方。。。 間違いを素直に認め、謝る生き方。。。 自分を信じるという「自信」のある生き方。。。 信念を持つ生き方。。。 誠実、真面目で、自分らしい生き方。。。 長い物に巻かれず、オンリーワンの自分で生きる生き方。。。 附和雷同せず、自分の意見を大切にする生き方。。。 人様の顔色を気にせず、自分の心に正直な生き方。。。 他人に気に入られるような自分を演出せず、 ありのままの自分で生きる生き方。。。 妥協することなく、順応する生き方。。。など、「自分」という意識を持たせて頂いている自分に恥じない生き方をさせて頂いていると、自ずと凛とした意識が身に付き、それが更なる自信を生み出し、凛々しい態度になっていくのだと思うのです。それは、自分を愛し、自分を信じ、自分を大切にした自分の魂が喜ぶ生き方であり、天に続く道を歩む生き方故に、その凛とした意識から生まれる凛々しい様は、真実の美なのだと思うのです。反対に、凛とした雰囲気を演出しているだけ。。。というようなこともあると思うのです。ご本人様としては上手に演出しているつもりでも、「凛とした意識が無い」が故に、分かる人には直ぐにばれてしまったり、自らの失態で化けの皮が剥がれてしまうものだと思うのです。「凛とした意識が無い」のは、 良心に恥じる生き方。。。 自分の言動に責任を持たない無責任な生き方。。。 ものごとに動じて自分を見失い、感情的になる生き方。。。 好調な時は直ぐに調子に乗って増長し、 不調になると不平不満、愚痴、怒りを露わにするなど、 その時の境遇や環状によって一喜一憂して態度が変わる生き方。。。 自分にも人様にも嘘をつく。。。 自分で自分を騙す、人様を騙す生き方。。。 間違いを認めず、他のせいにする生き方。。。 自分を信じる「自信」ではなく、 自分のことしか考えていない「利己心」で生きる生き方。。。 信念ではなく、思念や欲に翻弄された生き方。。。 不誠実、不真面目で、自分から逃げる生き方。。。 長い物に巻かれることに安心感を覚える生き方。。。 附和雷同で、他人の意見に同調する自分が無い生き方。。。 人様の顔色を気にして、自分の意思を表に出さない、出せない生き方。。。 他人に気に入られるような自分を演出して、 人様にとって都合の良い自分で生きる生き方。。。 妥協して、順応しているように見せかけるストレスのたまる生き方。。。をしているからなのだと思うのです。それは、自分を愛していない、自分を信じていない、自分を大切にしていない、自分を裏切っている生き方であり、自分や良心に恥じる生き方であり、自分の魂が悲しむ生き方故に、その「凛とした意識」が生まれないのだと思うのです。「今は一秒、一秒、過去になっています。 こちらに還ってくる時、一生は瞬きをする間だったなあ!!と、 ほとんどの人が感想を漏らします。 人は、今を心正しく誠実に生きることですよ!! この世を去る時に大後悔しないように!! 私は、全ての人に雲に乗って還っていただきたいのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201210200000/「生まれ変わるのは、地上に生ある時です。 還って来てからでは遅いのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201209260000/「生きている間に精進しましょう。 今世は、心を磨く、得難い大チャンスなのですから。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201506170000/ 「死なないで地上で、生きられる人は皆無です。 人は、地上に命がある時だけ諸々の善行をなすことができるのですから、 せっかくの機会を大いに活かして、帰還されますように。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201211090000/「人間は、修行のために異郷に生まれて来たのです。 生きることは心の故郷を異郷に実現させること。 愛の心で生きること。。 いつの日か心の故郷に、果たすべきことを果たして、 喜びを胸に還ることです。」 (ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408120000/「人間という舟を得たら、それで苦悩の大河を渡れ。 愚か者よ、惰眠を貪るな、この舟は、再び得がたい。」(ビシュヌさんの分霊さん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201201290000/「こちらの世界では、心の中が、すべて視えてしまいますから、 嘘も偽善もありません。ただ優しさがあるだけです。 地上でもそうありたいものですね。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201210070000/「人は心の美しさと、いかに生前、人様のお役に立てたか? で、こちらの住む場所が決まるのです。(一部抜粋)」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201210160000/「良心に恥じない堂々たる人生を歩んでいきましょう。 凛とした人に、天は、応援を惜しまないものです。(一部抜粋)」(ラクシュミーさん)「人は、権力やお金などに屈せず、 たとえ少数派であったとしても 正義と愛と勇気の旗印の元、 先祖に恥じぬように凛として生きることです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201506050000/「凛とした意識持っていますか? 真実の美は、凛とした意識の中にあるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201506060000/「自分の言動に責任を持つことです。 その責任の下に、本当の幸せと喜びが 横たわっているのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201502100000/「世間や社会にではなく、良心に従って 自分に恥ずかしくないように生きることです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201412160001/ 「良心に恥じない自分であれば、 思うままに生きればよいのです。 そして他人の生き方に口を出す必要はありません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201409280000/「この世を生きてゆくには誠実の一語です。。 誠実とは何をするにも真心を尽くす事、 すなわちいつわらない事、あざむかない事です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201409190001/「正しい心で誠意を尽くして生きていく。。 今日も、ただそれだけでいいのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201409010000/ 【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.01.04
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「何かが成し遂げられたということは 自分の努力が半分。。 半分が人智を超えたものの助けです。 実力ではどうにもならないところ。。 これが乗り越えられたということは 人知を超えた力です。 正心誠意生きていくならば、 偶然を装った必然の幸運が続々と訪れるのです。」人生は振り子のようなものだと思うのです。失敗や挫折という辛く苦しい経験をさせて頂くからこそ、その対極にある成功や何かを成し遂げて達成させて頂いた時は、その成功や達成の有り難さ、素晴らしさを覚え、心から感謝させて頂くことができるのだと思うのです。それにもかかわらず、成功や達成という華々しい経験をさせて頂いても、その成功や達成の有り難さや素晴らしさを理解できずに、 「誰の力でもなく自分の努力だけで成功を勝ち取った!」 「誰の力も借りずに、自分の力だけで成し遂げた!」 「自分は凄いんだ!」などと驕れたり。。。偉ぶったり。。。勘違いしたり。。。してしまうことがあると思うのです。そのように従前従後の態度が豹変してしまうと、 「それは違いますよ。 成功や達成は自分を取り囲む全てのお陰様によって 生まれているものですよ。」ということを教えて下さっているかのように、華々しい成功や達成も束の間、あっという間に転落して、失敗や挫折を再度経験させて頂くことになるのだと思うのです。一人で生かさせて頂いているわけではない私たち。。。その相手が、直接的に関係のある方であろうと、面識のない間接的な方でであろうと、その関係性が目に見えようと見えなかろうと、多くの方々のお陰様で生かさせて頂いているのが私たちだと思うのです。当たり前のように頂いている食べ物や着ている服も、ただ買って食べたり着たりしているだけに見えても、その経緯をさかのぼってみると、 穀物さん、野菜さん、果物さん等を育てて下さる農家さん。。。 それらの食べ物を加工して下さる方々。。。 服を作って下さる工員さん。。。 様々なものを流通して下さる運送業者さん。。。 販売して下さる様々なお店屋さん。。。など、多くの方々の繋がりや、多くの方々のお陰様の上に成り立っていることが分かると思うのです。成功や成果、達成も同じだと思うのです。だからこそ、どのようなことに対しても、 「いつも〇〇のお陰様♪ そのお陰様があるからこそ、 努力させて頂くことができるんだなぁ♪ 感謝深謝♪」 「自分一人で出来ることなんて、高が知れている。。。 それにもかかわらず、〇〇を成し遂げることができたり、 成功したり、達成することができたということは、 多くの方々や多くの存在の助けや支え、応援があったからこそ。。。 本当に有り難いことだなぁ~♪ 自分は【努力をさせて頂く係】という一端を担っていただけ。。。 だからこそ、この成し遂げることができた〇〇や、 この成功、達成は、自分だけのものではなく、みんなのものだよなぁ~♪ みんなと分かち合ってこそ、喜びも一入になるなぁ~♪」という感謝の心を大切にさせて頂きたいものですね。表面的なところだけでなく、心の内から 「何ごともお陰様」 「すべてに感謝」という思いと姿勢で生かさせて頂くことができるからこそ、偶然を装った必然の幸運が続くのだと思うのです。--------幸運や成功を授かるまでは、控えめで謙虚な姿勢であったとしても、幸運や成功を授かった途端に、 「自分の実力でこの幸運をつかんだ!!」 「自分は凄い存在だ!!」などと傲慢になったり、過信したりしてしまうことがあると思うのです。ということは、それまでの控えめで謙虚な姿勢は、その方の心の真実の姿ではなく、偽りの姿なのだと思うのです。幸運や成功を授かった途端に本性(偽りの姿)が表に出てくるということは、授かった幸運や成功を人としてあるべき正しい心で正しく活かすことができないと思うのです。そればかりか、幸運や成功を授かったことに対し、感謝の心もなく、自分勝手、我儘、好き放題、やりたい放題、自分さえ良ければそれで良い、という利己心で、授かった幸運や成功を乱用すれば、自ら業を積み重ねてしまうだけだと思うのです。天にすれば、私たちに幸運や成功を授けることにより、私たちがそのようになってしまうことは不本意であるばかりか、同時に、それでは私たちの為にもならない、とご判断下さると思うのです。天にとって、私たちに幸運や成功を授けることなどは、容易なことだと思うのです。それにもかかわらず、その容易なことを敢えてしないのは、幸運や成功を手にすると、直ぐに驕れたり、偉ぶったり、過信して、直ぐに転落してしまう心を持っている私たちへのご配慮だと思うのです。どのような環境下でも、良心に従った正しい心、美しい心で生きることができるか否か。。。幸運を授かろうと授かるまいと、心が決してぶれることがないか否か。。。何ごとに対しても感謝の心があるか否か。。。など、私たちの心や心的態度が、幸運や成功を授けるに相応しい程に育まれているかどうかを、天は見極めて下さっているのだと思うのです。天がその見極めをされるに当たって、最も人間が本性を表したり、心の本当の姿を現しやすいのは、連続した不運や試練、苦難などだと思うのです。それ故に、時として連続した不運や試練、苦難などを与えることを通じて、私たちの心の動向や、真実の心の姿を観察して下さっているのだと思うのです。それは同時に、連続した不運や試練、苦難などの、非日常的な境遇を与えて頂いた私たちが、自分自身の真の心の姿を知ることにもなっていると思うのです。平時にどんなにか心穏やかに、優しい心、温かい心、愛の心で過ごさせて頂くことができたとしても、突然の異常時をお迎えした時に、不平、不満、愚痴、怒りが露わになってしまうとすれば、それがその人の真の心の姿ということだと思うのです。平時であろうと、異常時であろうと、好調時であろうと、傲慢になったり、偉ぶったり、過信することなく、不平、不満、愚痴、怒りを露わにすることなく、何があっても決してぶれたり揺らぐことのない逞しい心や、いつでも心穏やかに、優しい心、温かい心、愛の心をもって過ごさせて頂けるよう自分の心を育み、磨かせて頂く為の貴重な機会であり修行の機会。。。それが連続した不運や試練、苦難でもあると思うのです。お試しでありながら、修行の機会にもなっている。。。天のご配慮とは、そういう深遠なものなのだと思うのです。だからこそ、私たちが不運、試練、苦難と感じてしまうような境遇を与えて頂いたとしても、その境遇に心から感謝させて頂くことが大切だと思うのです。裏を変えさせて頂くと、不運、試練、苦難にさえも感謝させて頂くことができる心のあり方だからこそ、何かを成し遂げることができたり、成功したり、達成させて頂くことができる。。。否、そうなるようにお導き頂いたり、助けて頂いたり、支えて頂いたり、応援して頂いている、ということなのだと思うのです。「全ての成果を自分自身のおかげだと思うならば、 それは転落の第一歩です。。 全ての成果を皆さんのおかげだと思うならば、 それは大成功への第一歩です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201508130000/ 「今が幸せで、うまくいっていればいるほど、 謙虚、誠実に生きていきましょう。 人は、うまくできることにはすぐ得意になってしまいます。 傲慢は、過信を呼びます。 不注意の事故、社会からの非難、大損など 大失敗のもとですよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312170007/ 「自分の実力を知ることですよ。 決して過信してはいけません。 過去の失敗を活かして 大きな人物になってくださいね。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201306090000/「中庸の道を歩むことですよ。 極端から極端に動かないことです。。 良心に従うことです。 なにも見えず、何も知らず、何も聴こえないのが 人というものなのですから。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201304290000/ 「心の病、大病など、根性や、精神力、お金では どうにもならないこともあります。 自分の力のないことは天に任せて、 自分の心がけをよくし、根本から再生の努力をすることです。 天は心の美しさを求めているのですから。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408230001/「幸運や助けは、頑張って、頑張って、 これ以上は出来ないというくらいに頑張った時に 偶然を装ってふとやって来るのです。 あなたのことをいつも見守っている存在からの 御褒美ということです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312150004/「奇跡は、世の苦難に耐えて、苦労に苦労を重ね、 それでも、歯を食いしばって頑張って生きている美しい魂に 天が感動して、偶然を装った必然で、 なんらの見返りも求めない完全無償で降ろすものなのです。 信仰や寄進に比例して、降ろすものではありません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201305070000/「汝は、毎日欠かさず、◯◯さんのおかげで幸せです。有難うございます。と唱えよ。 決して◯◯をして欲しいと注文をしてはいけない。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201109180000/「天に愛される人は、 運に恵まれようと、 運に見捨てられようと、 態度を変えない人なのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201207020000/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.01.03
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「生まれてくれてありがとう。 生んでくれてありがとう。。 それが親子というものです。」約束の子供は、画像のような感じで、自分のお父さんお母さんになる二人のデートを眺めながら、 「あなたたちから生まれる私は、ここにいるよ♪」と思っているのかもしれません。。。「地上で、私の父親(母親)になって頂けませんか?」「私は〇年〇月〇日頃に、 あなた様とあなた様の奥様(旦那様)になられる方との間に 男の子(女の子)として生まれたいと思っています。 名前は〇〇とつけて下さいね。」「私を母親(父親)に選んでくれて有り難う♪」私たちが地上に生まれる前、天において、上記のような会話を通じて、既に地上における親子関係を結ぶことは約束されているのだと思うのです。だからこそ、地上の家族は約束の家族なのだと思うのです。地上では、 「頼んでもいないのに親が勝手に自分を産んだ!」 「(作る予定が無かったのに)勝手にできて生まれてきた!」などと、親子双方にとって、とても悲しい表現をされることがありますが、その実は、全ては天において約束してきたこと。。。そのように考えさせて頂くと、そのような悲しい表現ではなく、 「生まれてきてくれて有り難う♪」 「自分たちを親に選んでくれて有り難う♪」 「自分を産んでくれて有り難う♪」 「自分を育ててくれて有り難う♪」という気持ちになると思うのです。--------凄まじいエネルギーを要する出産。。。エネルギーに満ち溢れている誕生。。。それは父となり、母となる瞬間でもあり、愛すべき家族が増える瞬間であり、愛する人との間に生まれてくれた我が子という新しい生命の尊さと神秘に感動する瞬間だと思うのです。その感動も、赤子を育てる慌しい日々や、児童期から思春期、青年期という、子供の成長と変化が著しい日々の経過とともに薄れてしまうものだと思うのですが、時折、当時のことを思い出したり、写真を見たりすることにより、瞬間的に当時の感動を思い出させて頂くことができると思うのです。当時の純粋な感動を思い出させて頂くこと。。。それは無条件に愛すべき、守るべき我が子に対する自然に湧き上がってきた子に対する親としての愛情の芽生え、初心を思い出させて頂くことでもあり。。。夫婦、そして家族としての沢山の思い出を与えてくれた愛する我が子の大切さ、有難さを根本から再確認させて頂くことでもあり、愛する我が子の存在の大きさ、存在してくれていることに対する感謝の気持ちを純粋に感じる良い機会になると思うのです。だからこそ、時には家族でアルバムを見たり、色々な思い出話をしたり、愛する我が子が誕生する迄の夫婦の思いや会話などを子に伝えたりさせて頂くことが大切だと思うのです。そのようにさせて頂くことが、家族がお互いの理解を深め、家族の絆を深めることにも繋がっていくのだと思うのです。--------子供は、時として、子供とは思えないような気遣いをしてくれたり、心配をしてくれたり、自分ができること(お手伝いなど)を一所懸命にしてくれようとしたりすることがあると思うのです。相手(親など)の喜ぶことをして、相手(親など)の喜ぶ顔を見たい、という子供の純粋な気持ちの最大限の表現と行いなのだと思うのです。それは正に大人が見習うべき所だと思うのです。大人が忘れてしまった純粋な心を持っている子供から大人は沢山のことを学び、気づかせて頂けることがあると思うのです。そればかりか、子供の純粋な心によって、大人の穢れた心が洗われることも本当に沢山あると思うのです。子供を教導する立場にある大人(親)が、純粋な心をもつ子供によって、大人(親)が教導されている。。。そういうことが沢山あると思うのです。子供にはそのつもりはなくても、実態として子供に教えられ、気付かされ、学ばせて頂いているところが多いわけですから、そういう教えや気付きや学びを与えてくれた子供に対して、感謝の心をもって「ありがとう」と素直に伝えたいものですね。 「心配してくれてありがとう。お陰で元気になったよ。」 「手伝ってくれてありがとう。お陰で助かったよ。」 「一所懸命に頑張ったから、とっても良く出来たね。」 「毎日元気でいてくれてありがとう。」 「大好きだよ。」「愛してるよ。」などの言葉や感謝や喜びの態度で子供への感謝の気持ちを伝えると同時に、子供の純粋な心が生み出す姿勢や行いをべた褒めし、ハグをするなどの態度で子供に対する大人の気持ち(愛)をたくさんたくさん伝えさせて頂きたいものですね。大人と子供を年齢による上下関係で見るのではなく、お互いの至らない点を、お互いの良い点で補い合っていく。。。というお互い様の心で、仲の良い関係を築かせて頂きながら、お互いの魂の修正や成長を促させて頂きたいものですね。--------親とはいえ、不完全な人間であることには変わりはないと思うのです。子供の様子を見て「しつけ」のつもりで何かを注意しようとするときは、「子供の振り見て我が振り思い出せ」で、子供に注意しようとしていることを子供に注意できるほど自分は本当にできているかどうかを、親は自分自身に質してみることが大切だと思うのです。 (子供に注意しようとしている特定の面だけを見て、 自分ができているかどうかを自分に質すのではなく、 子供に注意しようとしている点と関係する様々な点、全般において、 自分ができているかどうかを自分に質すことが大切だと思うのです。)質してみた結果、子供に注意しようとしていることについて、親である自分も至らない点があると感じたのであれば、親という立場を利用して、頭ごなしに注意するのではなく、 「お父さん(お母さん)もまだまだできていないけど、 〇〇をちゃんと〇〇できるように、一緒に気をつけていこうな♪」という感じで、親子一緒に正すべきことを正させて頂けば良いと思うのです。 (親は子を育てているつもりでも、 子のお陰様で親が育てて頂いている、 ということは、とってもとっても多いと思うのです。)親が自分の至らない点を素直に認め、それを子供に見せるという「誠実な姿勢」は、「自分に正直に生きる」という人としてあるべき正しい心の道を知行合一・言行一致で見せることにもなり、親子の絆や信頼関係はより深まると思うのです。親子の絆や信頼関係が深まれば深まるほど、笑顔が溢れ、家族仲良く過させて頂くことができるのだと思うのです。「親子していますか? 縁のある子供。。。宝物ですね。 勝手に産んだのでも生まれたのでもないのです。 それが親子の関係です。」(ラクシュミーさん)「子供は宝物です。子供との縁は、前世の縁です。 決して勝手に産んだのでも、偶然で生まれたのでもありません。 親は、子ゆえに迷い、子ゆえに悟り、 子は、親ゆえに迷い、親ゆえに悟り、 共に成長していくのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201507140000/「人は自らの意思で両親を選んで誕生し、 生きるということを知るために第二の誕生をするのです。」女神経典 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201202270000/「縁は円を描いています。 家族は偶然に夫婦親子になったのではありません。 例外なくすべての家族は、約束の家族です。(一部抜粋)」ラクシュミーさん http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311010000/「地上の家族は、約束の家族です。 仲良く明るく助け合い、成長していきましょう。。 永遠の家族でありましょう。」女神経典 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201210230000/「子供を教導する時は、長所を褒めてから、短所を諭しましょう。。 子供は夫婦の宝であり鏡です。 一緒に成長していきましょう。」女神経典 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201207290000/「夫婦、親子の礼儀は忘れがちですが、 幸せな家庭は心愛(しんあい)の礼儀が保たれているものです。 互いを思いやることを忘れてはなりません。(一部抜粋)」ラクシュミーさん http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312030005/「偶然を装った必然で出逢い、愛を育み、互いを見つめ合い、 結婚後は、ともに同じ方向を見つめることができるなら、 一人では決して到達できなかった美しい世界に到達できるのです。 人生を大いに楽しんで、約束の子供と出逢い、 家族で幸せを謳歌してください。」ラクシュミーさん http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407040000/ 「今まで努力してきたことや夢見ていた人生が、 自分にとって幸せかどうかは分からないのです。 ふとした出逢いで、チャンスに巡り合って将来が開けそうな時は、 自分で作った人生設計を思い切って見直す方が良いかもしれません。 あらゆる障害を乗り越えて、どうしても一緒にならなければ ならなかった夫婦もあるのです。真実の幸せを掴むために。。 約束の子供に出逢うために。。」ラクシュミーさん http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312190000/ 「初めて子供と対面した感動を忘れる事なかれ。(一部抜粋)」ビシュヌさん http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201110290000/「この世で一番素晴らしい仕事は、親という仕事です。 子育ては、生涯です。 子供が70歳になっても後姿で子育てをしてください。 親という仕事を立派に成し遂げる人は、 それだけで価値ある美しい人生です。 この世を去っても、子孫を良心に恥じない 立派な人に育てる偉大な魂です。」ラクシュミーさん http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401290000/「いっしょに「いる」ということ。 それだけで幸せ。。。 これこそが結婚の本質。。。 家族の本質です。。。。」ラクシュミーさん 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201410310000/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201410310001/【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.01.02
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「修行のための修行。。 こういうことは無用です。 人は人らしく、あはは、おほほと 笑って生きていくのがいいのです。。。」修行の為の修行。。。見方を変えさせて頂くと、自分のことしか考えていない利己心の表れであり、自己満足でしかないと思うのです。お腹を空かせている人がいるとき、自分が念じたり、何かを唱えるなどの修行をすることで、その方の空腹感を満たすことなど、できるものではないと思うのです。自分が差し出すことができる食べ物や飲み物を差し出して、その方のお腹を少しでも満たして差し上げる。。。という人様を思い遣る心から生まれる行動こそ、大切だと思うのです。助けを必要としている人がいるとき、自分が念じたり、何かを唱えるなどの修行をすることで、その方が必要としている助けを満たすことなどできるものではないと思うのです。助けを必要としている人に自分が手を差し述べるからこそ、「助け」になるのであって、手を差し伸べないのであれば、「助け」にはならないと思うのです。お腹を空かせている人に必要なのは、食べ物や飲み物だと思うのです。助けを必要としている人に必要なのは、手を差し伸べて差し上げることだと思うのです。それにもかかわらず、自分は修行中の身だからということで、食べ物や飲み物、助けの代わりに、念じたり、何かを唱えて、自分の修行のスタンスを崩さない。。。そういう「何が大切なのか」も分からないくらいに自分のことしか考えていない利己心や自己満足こそ修正すべき点であり、修行が必要な点だと思うのです。自分一人で生かさせて頂いているわけではない私たちは、天の無償の愛をはじめ、ご縁を頂いた様々な人様や環境、境遇などのお陰様あっての今の自分だと思うのです。それにもかかわらず、自分のことしか考えていない利己心で生きていては、その姿勢こそ、修行によって正すべきもの、になってしまうと思うのです。自分では修行の為の修行をさせて頂いているつもりが、その実態は、修行すべき点、修正すべき点を自ら増やしてしまっている。。。時には、自分で修行と称しつつも、その実態は、本当の修行から目を背ける為、本当の修行から逃げる為の口実、弁解として、自ら作り出したもの、ということもあると思うのです。そのようなことにならないように、あまり難しく考えることなく、天が私たちに無償の愛を与え続けて下さっているのと同じように生かさせて頂けば良いと思うのです。なぜ、天は私たちに無償の愛を与え続けて下さるのか。。。それは、天のお取り計らいであり、無償の愛であるが故に、魂の修正や成長が必要な不完全で至らない点ばかりの私たちの人知では決して及ぶものではないと思うのです。しかしながら、「無償の愛を与え続ける」というその天のあり方から学ばせて頂けることは多々あると思うのです。天が私たちに無償の愛を与え続けて下さるのと同じような生き方をさせて頂くこと。。。天のあり方は、何らの見返りを求めることなく、相手に何かを要求したり、期待することなく、ただ他を愛し、他に愛を注いで生かさせて頂くことが、魂の修正や成長を促す最短距離である、ということを、ご指導下さっている、のではないかと思うのです。無償の愛を与え続けて下さる天のあり方をそのように捉えさせて頂くと、不完全で至らない点のある私たちにとっての修行とは、自分という意識を持たせて頂いている自分の人生でありながらも、過去生から培ってきた自分の特技や能力を、自分の為ではなく、人様のお役に立つことや、人様にお喜び頂けることに良心に従って、心正しく活かさせて頂く、という利他心で生きることの大切さを知ることにあると思うのです。そして、自分という存在は「生きている」のではなく、天や地球さんや大自然、人様など、様々な存在のお陰様で 「生かさせて頂いている」 「生かされている」ということを学び、気付かせて頂くことを通じて、今を生かさせて頂いていることに「幸せ」や「喜び」を感じながら、魂の修正や成長をさせて頂く為の貴重な機会が、地上での修行であることを知ることにあると思うのです。そもそも、魂の修正や成長をさせて頂く為に、地上という修行の場に生まれる機会を与えて頂いていることそのものが、「盲亀浮木」という言葉にあるように、極めて貴重なことであることを考えれば、 「生まれて来ることができた」 「今生という人生を与えて頂いている」 「今を生かさせて頂いている」ことそのものが既に「幸せ」なことだと思うのです。自分が「幸せ」であることを知っていること。。。それが幸運を呼ぶだけでなく、自分の人生を心豊かに、幸福に過ごさせて頂くことができる秘訣なのだと思うのです。例えその境遇が、試練や苦難のように辛く苦しいことであったとしても、それは、決して不幸なのではなく、私たちの魂の修正や成長の為に必要な境遇を、地上の私たちにとって最善の時に与えて下さっている天の無償の愛によるお取り計らいであることを考えれば、幸福・幸運以外の何ものでもないと思うのです。だからこそ、自分に与えて頂いている境遇の内容に関係なく、 「私はいつも幸せ♪」 「私はいつも幸運に恵まれている♪」 「試練や苦難は、幸福になる為のもの♪」という感じで、心豊かに、幸せを感じながら、生かさせて頂きたいものですね。笑う門には福来たる♪裏を返せば、笑わなければ福来ない。。。だったら、ああだこうだと御託を並べず、笑って、明るく、元気に、楽しく過ごさせて頂き、幸せを感じて生かさせて頂きたいものですね♪笑う門には福来たルンルン♪♪ 幸せになる為に生まれてきた私たち♪幸せになる為には笑顔と言う笑う表情が大切だと思うのです♪笑うことが幸せを呼び込むのだと思うのです♪だからこそ、今日も、明日も、明後日も、笑うことを忘れずに生かさせて頂きたいものですね♪笑うことや、笑顔によってもたらされる楽しそうな雰囲気、明るい雰囲気、朗らかな雰囲気、穏やかな雰囲気、温かい雰囲気は、周りにも同じような雰囲気を生み出すような、目には見えない素晴らしい力が働いていると思うのです。楽しさ、明るさ、朗らかさ、穏やかさ、温かさなどが、顔つきや身振りを通じて、ありのままに伝わるような「笑うこと」「笑顔」から生まれる素晴らしい力こそ、私たちに与えて頂いている極めて大切な特性だと思うのです。だからこそ、いつも笑顔で、明るく、朗らかに生かさせて頂きたいものですね♪「幸せとは、よく笑い、楽しむこと。。 それ以外は、おまけのようなものです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312110001/「幸せというものは、一人では決して味わえないのです。 幸せの連鎖。。無償の愛。。心と心を繋いでいきましょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201405090000/「自分自身のことで身も心もいっぱいになっている人ほど、 心のない人間はいない。汝、そのような人になるなかれ。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201201010000/「人間は、修行のために異郷に生まれて来たのです。 生きることは心の故郷を異郷に実現させること。 愛の心で生きること。。 いつの日か心の故郷に、果たすべきことを果たして、 喜びを胸に還ることです。」 (ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408120000/「人は心の美しさと、いかに生前、人様のお役に立てたか? で、こちらの住む場所が決まるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201210160000/「愛することによって失うものは何もないのです。 もっと家族を、そして人を、動物を、植物を、 自然を愛さなければなりません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201404150000/ 「愛するもの、輝くものを持っている人は 心から幸せを感じて生きています。 物質的高価な物や、名誉や地位や財産、肩書きなど 他人がよいと思うものを持っているから幸せなのではありません。。 あなたは愛するもの、輝くものを持っていますか? まだ手に入れていない人もいますが、 それは、あなたの手の届くところに今もあります。。 そっと手を差し伸べてください。。 そして愛おしんでください。。 あなたのために咲いた一輪の花を。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312050004/「今日も笑顔で過ごしましょう。 笑顔は他人にも伝染します。 自分が明るく楽しくなることで、 人にも多く貢献できるのです。 笑顔の輪が広がれば、 世界に平和が訪れます。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311060000/「明るいジョーク、愉快な言葉が飛び交い 笑顔が絶えることのない家庭、社会は、 光の世界そのものですから、全てが降りてくるのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201208110000/「愛と笑顔のない選択は、 決して良い結果にはなりませんよ。 考え直してください。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201412240001/「汝の徳性を輝かせるもので、表情ほど重要なものはない。 笑顔で生きる者に天は微笑む。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201110270000/「人間は内面から輝くのです。スマイル スマイル。。。 いつでもどこでも。。スマイル スマイル。。。 驚くほど人生は好転していきますよ。 もちろんお顔も美しくなっていきます。。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201412210001/「笑いのない日。。。それは無駄な一日です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201410150000/「笑顔、笑顔、笑顔、これで全てが好転しますよ。 朝から晩まで笑って生活してくださいね。 苦難を笑いのネタにして笑い飛ばしてくださいね。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201210180000/「着る物や身に付ける物に気を使う人は多いのですが、 残念なことに、表情に気を使う人は、ほとんどいません。 日々の明るい笑顔こそ、天の蔵を開ける幸運の鍵なのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201202230000/「下を向いて歩いていたら、 小銭は落ちているかもしれませんが、 天空に掛かる虹を見つけることは出来ないのです。 今日も明るく笑顔の人でありましょう。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407150001/「天は、人間に笑う力を授けた。 この能力は、宇宙に存在する全てのものを 地上に降ろすほどの力を持っている。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201108180000「最も幸運を呼ぶのが 笑顔の連鎖です。 笑って笑って幸せを その手にしっかりと掴んでください。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/2011505150000 「自分は生きているのではなく、 「生かされている」という事実に気づきましょう。 本当の幸せは、あなたの心の中にあるのです。 幸せを追いかける人はいつまでも幸せになれず、 今、呼吸をしている幸せに気づく人が、 本当に幸せになれるのです。 まずは、生かされていることに感謝しましょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401020002/--------【インドの民話:サドゥと腰布】サドゥとは、財産を捨て、家族と離れ、また妻を持つこともなく、全ての時間を宗教に捧げるヒンドゥー教の苦行者のことである。サドゥが唯一持っているものと言えば、腰布と小さいお茶碗ぐらいのもので、人々がそのお茶碗に恵んでくれたものを食べ、路上で暮らしていた。ある日、サドゥがその腰布を洗濯し、乾かしていると、ネズミが布に穴をあけているのを見つけた。これでは瞑想に集中することができない。サドゥは食べ物を恵んでくれた地元の人々にこう言った。「これを見てくれ。この辺りはネズミがいっぱいだ。 私の瞑想の邪魔をするし、あげくに腰布に穴をあけてしまったよ!」地元の人々はこう答えた。「マハラジ(敬意を込めた人の呼び方)、 猫を飼ってみてはどうですか?」そして、彼らはすぐにサドゥの元へ猫を連れてきた。猫が住み始めてしばらくすると、ネズミは途端に姿を消した。しかし、さらにしばらくすると猫も姿を消してしまった。そこへ偶然通りかかった地元の人々が、サドゥへこう尋ねた。 「やあマハラジ、修行の方はいかがですか?」サドゥはこう返した。 「猫がどこかへ行ってしまったから、 もうじきネズミが戻ってきてしまうよ。」すると地元の人は言った。 「マハラジ、猫にミルクをあげていましたか?」サドゥは言った。 「私はこの路上で暮らしているし、それにそんな時間はないよ。」それを聞いた彼らはすぐにサドゥの元へ牛を連れてきた。牛はしばらく猫に乳を与えた。しかし、やはりもうしばらくすると牛は乳を出すことができなくなってしまった。地元の人々はこう言った。 「マハラジ、牛の世話をちゃんとしていましたか?」そして、やはりサドゥはこう返した。 「いいや、私に牛を世話する余裕はないよ。」それを聞いた地元の人はこう答えた。 「マハラジ、あなたには召使いが必要だ。」そして、彼らはすぐにサドゥの元へ一人の男を連れてきた。召使いはよく牛の世話をした。牛が乳を出すので、猫は戻ってきて、ネズミもいなくなった。サドゥも瞑想の邪魔をされることもなくなった。しかし、上手くいっているように見えたのもつかの間、しばらくすると召使いが家に帰りたいと言い出した。サドゥは尋ねた。 「どうして家に帰りたいのか?」すると召使はこう答えた 「私には愛する家族がいるのです。」サドゥはこう言った。 「お前がいなくなったら一からまたやり直しだ。 家族も一緒にここに住めばいいではないか。」そして、召使いはすぐにサドゥの元へ家族を連れてきた。今度はサドゥの周りはまるで家族の団欒のように賑やかになった。やはりサドゥは瞑想に集中することができない。ある日、サドゥは召使いと彼の妻の様子を見ながらこう尋ねた。 「召使いよ、いまお前は幸せか?」すぐさま召使いはこう答えた。 「マハラジ、もちろんです。」サドゥはこう言った。 「私は幸せではない。私も結婚したい。」【女神経典】【ラクシュミーさんの言葉】
2016.01.01
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