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「頑張っている時は、 「無理するなよ」 と自分に声をかけてください。 暇を持て余している時は、 「もっと頑張れよ」 と自分に声をかけてください。」目標や目的に向かって、ひたすら真っ直ぐに一点集中で頑張る!ひたすら真っ直ぐに進むことも、一点集中で頑張ることも、それを継続することは、とても容易なことではないと思うのです。それだけに、ひたすら真っ直ぐに一点集中で頑張ることは、とても素晴らしいことだと思うのです。しかしながら、最初からペースを上げて走り続けていては、 息が上がる。。。 疲れが溜まる。。。 ペースが遅くなる。。。動けなくなる。。。 意気消沈して諦めてしまう。。。 自暴自棄になってしまう。。。という結果になってしまいかねないと思うのです。時には、そのペースが速すぎて、 周囲にあるものが見えなくなってしまう。。。 大切なものを見逃してしまう。。。 見るべきものを見失ってしまう。。。ということもあると思うのです。折角、真っ直ぐに一点集中で頑張り、走り続けていても、周囲にある大切なものを見逃したり、見失ってしまうと、前進したくても前進出来ない状況に陥ったり、急いた心が邪魔をして、しなくても良い失敗や過ち、間違いを犯してしまいかねないと思うのです。当初は、やる気満々で取り組み始めたにもかかわらず、周りが見えなくなるほどに猪突猛進に真っ直ぐに一点集中で頑張り、心身に過度な負担を掛けて、無理に前進しようと努力した結果が、目標や目的を諦めたり、放棄してしまうことになってしまっては、本末転倒である上に、不本意だと思うのです。同じ真っ直ぐに一点集中で頑張るのでも、脇目も振らずに早く前進することが、最善ということにはならないと思うのです。心身が疲れを感じているにもかかわらず、目標や目的に少しでも早く到達したいばかりに、無理に前進し続けてしまうということがあると思うのですが、心身が本調子ではないが故に、進むべき方向を誤ったり、選択や判断を誤ってしまうなど、結果的に、非効率的になってしまうと思うのです。それならば、 「やるときはやる!」 「頑張る時は頑張る!」 「疲れたから休む!」 「集中できないから気分転換する!」 「無理は禁物!」 「休むときは休む♪」 「遊ぶときは遊ぶ♪」という感じでメリハリのあるやり方をさせて頂いた方が良いと思うのです。メリハリのあるやり方ができるということは、それだけ心にゆとりや余裕がある、自分の心身の状況を冷静に、客観的に見ることができる、ということでもあると思うのです。心身に疲れを感じる。。。そのように自己診断した時は、無理をしてまで真っ直ぐに一点集中で頑張ることをせず、少し立ち止まって適度な休憩をとったり、周りを眺めるなどの気分転換をさせて頂く。。。そのようにさせて頂くことによって、心身の疲れが癒されるばかりでなく、そこに到達するまでの自分の経緯を冷静に顧みることができて、それをこれから先の計画に活かすこともできる等、結果的に、効率的な流れに身を置くことができるのだと思うのです。どうしてもやり遂げたいという思いがあって立てた目標や目的に向かっているのであれば、例え、辛く苦しいことや上手く行かないことがあっても、好きなことをしていることを考えれば、ワクワクするなど、本当は楽しいはずだと思うのです。その一方で、目標や目的に向かって一点集中で頑張っていたつもりが、心が目標や目的に追い込まれて焦りを感じてしまい、本当は楽しいはずのものが楽しくなくなる上に、辛く苦しいことになってしまっては、もはや真っ直ぐに、一点集中で頑張ることなど出来なくなってしまうと思うのです。目標や目的に向かって、効率的に真っ直ぐに一点集中で頑張る為には、その目標や目的に向かって、気持ち良く努力したり、楽しみながら頑張ることができるような心身の健全が必要だと思うのです。心身の健全を守り、維持させて頂く為にも、 「やるときはやる!」 「頑張る時は頑張る!」 「疲れたから休む!」 「集中できないから気分転換する!」 「無理は禁物!」 「休むときは休む♪」 「遊ぶときは遊ぶ♪」というメリハリのある過ごし方をさせて頂けるようなゆとりのある心を育ませて頂きたいものですね。無理は、「理」に適って「無い」と書きます。「無理をする」ということは、道理に適ってないことをしていたり、「~をし過ぎている」ということでもあると思うのです。「~をし過ぎる」は、 過ぎたるは猶及ばざるが如しそのものだと思うのです。真っ直ぐ過ぎて、壁にぶつかってしまう。。。一点集中し過ぎて、周りが見えなくなってしまう。。。頑張り過ぎて、頑張れなくなる。。。「理」に適って「無い」と書くくらいの「無理」はしない。。。「~し過ぎる」のではなく、節度をもって「適当」にする。。。真っ直ぐに進むが、壁があった時は迂回する。。。一点集中するが、周りの景色も楽しみ、良い物は取り入れていく。。。頑張るが、いつでも頑張れるよう心身の休息をとる。。。そういう心のゆとり、豊かさをもって、無理なく、誠実に、真面目に、真剣に、勤勉な姿勢で、地道に、コツコツと努力する。。。それが、真っ直ぐに、一点集中で頑張ることを継続させる秘訣だと思うのです。自分の心身を守り、コントロールする気遣いができるのは、自分しかいないと思うのです。だからこそ、無理をすることによって、 自分の心身を害してしまうことのないように。。。 取り返しのつかないことにならないように。。。自分の心身だけでなく、自分自身という存在を気遣い、大切にさせて頂くべきだと思うのです。自分を大切にするのと同じように、人様も大切にさせて頂く。。。そういう自分でありたいものですね。----することがない。。。自分がしたいことが分からない。。。など、暇で時間を持て余してしまう退屈。。。魂の修正や成長をさせて頂く為に、この世という修業の場に生を与えて頂いている私たち。。。人様のお役に立つことや、人様にお喜び頂けることをさせて頂くことを通じて、魂の修正や成長をさせて頂くことができる私たちにも拘らず、 「することがない。。。」 「したいことが分からない。。。」として、ただ、ぼ~~っと過ごしてしまうと、折角与えて頂いている今生という修行の機会を無駄にしてしまいかねないと思うのです。今生という長いようで短い限られた自分の人生の時間を考えれば、本当は、時間を持て余すような暇な時間などないと思うのです。無駄にできる時間はないと思うのです。それを私たちの本質である魂は良く分かっていると思うのですが、地上という修行の場における今生の目標や目的、生き甲斐を見つけられないでいる自分や、挫折や失敗をして挑戦することに恐れを感じている自分は、生きる意欲、目標、目的、生き甲斐を見失い、無気力、無関心になり、努力すること、頑張ることから逃げ、退屈している暇などないのに、自ら退屈や暇を作る。。。自ら作り出した退屈や暇であるにもかかわらず、その取扱いに困って持て余してしまう。。。退屈や暇の取り扱いに困って、退屈や暇を持て余しているくらいであれば、自分で自分を鼓舞し、応援し、信じ、 自分が本当にやりたいことを見つけられるように。。。 自分の生き甲斐を見つけられるように。。。 活き活きとした自分を見つけられるように。。。何らかの退屈しのぎの為の行動を起こさせて頂くことが大切だと思うのです。「退屈しのぎをしよう♪」という積極的な思いや行動が、退屈という暇を持て余している状況からの解放の第一歩になると思うのです。時には、退屈しのぎ」として何かをさせて頂いている中に、 「自分が本当にしたいこと」 「今の自分にできること」 「今の自分がすべきこと」などのヒントが隠されていることもあると思うのです。そのようなヒントに巡り合えるようになったのは、「退屈しのぎをしよう♪」という積極的な思いや行動があったからこそだと思うのです。だからこそ、それがその時の自分に出来るかどうかに関係なく、その時の自分が興味のあることや好きなこと、気になることに少しでも触れさせて頂くことが大切だと思うのです。暇がある時は、それを持て余して無駄な時間を過ごすのではなく、暇がある時にしかできないことに、時間を有効活用させて頂くことが大切だと思うのです。そのようにさせて頂くことによって、「今を無駄にしている暇な時間」は、「今を生きる有意義な時間」に、その姿を変えると思うのです。ほんの少しの行動を起こしたり、ほんの少しの行動を繰り返すことによって、知らず知らずの内に、それらに熱中したり、没頭したり、集中していたり、頑張っている自分がいる。。。ということがあると思うのです。何かに熱中したり、没頭したり、集中し、頑張っているときは、既に退屈という暇を持て余している状況から解放されているだけでなく、熱中することができる。。。没頭することができる。。。集中することができる。。。頑張ることができる。。。生き甲斐を見つけた、ということでもあると思うのです。そのような自分になるよう導いたのは、 「頑張ってみようぜ!」 「オマエならできる!」 「オマエを信じてる!」と自分で自分を鼓舞し、応援し、信じ、自分の背中を押した自分に他ならないと思うのです。だからこそ、どのような境遇下であろうと、どのような心の状態になろうと、 自分で自分を鼓舞する。。。 自分で自分を応援する。。。 自分で自分を信じ続ける。ことが大切なのだと思うのです。自分で自分を信用しているのであれば、何ごとに対しても 「努力しよう!」 「頑張ろう!」 「楽しもう!」とすることができる自分がいると思うのです。そのような自分になれるよう、自分を育ませて頂きたいものですね。そして、自分を鼓舞し、応援し、信じるのと同じように、人様を鼓舞し、応援し、信じることも大切にさせて頂く。。。そういう自分でありたいものですね。源光「シンプルで控えめに。。 身体にも、心にも、最善の生き方です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201406130001/「無理をしてもトータルで失敗します。 真剣に生きる人ほど無理はしないものです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408150001/「一点集中で行きましょう。 適度に休憩しましょう。 最初から、多くのことを成し遂げようとして 極端な努力をすると、 たちまちのうちに全てを放棄することになるからです。」(ラクシュミーさん)「しっかり休んでいますか? あまり毎日無理をしてはいけません。 少しでも、くつろげる時間を持ちましょう。 結局、その方が効率が上がります。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201509060000/「無理が一番いけないのです。 休める時にしっかりと休むことです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201505280000/「努力して創造していく間が人生なのです。 人生を楽しんでください。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201208140000/ 「この世で一番怖いもの。 それが退屈です。。 病気の時も、無職の時も、 とにかく何かをして心を退屈させないことです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201406010000/ 「人間は、刺激があり過ぎても、無さ過ぎても ストレスを感じるある意味、贅沢な動物です。 ある程度の刺激がある方が幸せな人生となりますから、 人生が退屈でつまらなければ、 自分で楽しく、面白くすればよいのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312090000/「今日の目的、目標がある人は、 たとえ達成できなくても明日に希望が繋げますが、 無気力では明日への希望が湧いてきません。 ただ時間が過ぎていくだけの人生はむなしいのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201310050000/
2016.11.20
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「伴侶の「伴」という字は人が半分と書きます。 夫婦には、同等の役割があり、 それぞれできないことを補う関係を持つということです。」「二人で語り合ってください。 男女は太古の昔から協力し合って、互いの特性を生かして 人生を豊かにしてきたのですから。。。」伴侶。。。 一緒に連れ立って行く者。 配偶者。 仲間。連れ。の意だそうです。配偶者を伴う結婚。。。自分は愛する相手の為に、自分の人生を捧げている。。。そのように自分視点で見ることはあっても、相手の立場になってみることは中々ないと思うのです。相手の立場になってみれば、相手は自分の為に、相手の人生を捧げて下さっている。。。自分も相手も同じだということを忘れてはならないと思うのです。自分と相手の特技や能力の違いはあれど、各々の特技や能力を相手の為に活かしていることに違いはないと思うのです。自分が出来ないこと、苦手なことを相手がやって下さる。。。相手ができないこと、苦手なことを自分がやらせて頂く。。。お互いの得手不得手を補い合い、助け合い、支え合い、分け合い、協力し合い、愛し合いながら、一緒に生活を共にさせて頂くこと、それが夫婦というものだと思うのです。結婚して夫婦になった以上、今の自分があるのは、相手という大切な存在のお陰様だと思うのです。一緒にいることができる幸せ。一緒に食事することができる幸せ。一緒に散歩することができる幸せ。一緒に暮らすことができる幸せ。一緒にいる人を愛する幸せ。一緒にいる人に愛される幸せ。一緒にいる人の為に生きることの幸せ。 (それが自分の為にもなっている幸せ。)一緒にいる人のお陰様で自分の存在意義を感じることができる幸せ。などなど。多くの幸せを感じ、幸せで満たされている高揚感。。。 男性と女性。惹かれあう者同士。恋をし、愛し合う者同士。新たな生命(子供)の誕生に、家族の絆を感じる者同士が、一つ屋根の下で暮らさせて頂くのが「家庭」だと思うのですが、はじめの内は、お互いがお互いを思い遣り、助け合い、協力し合い、分け合い、支え合い、気遣い合っていた仲の良い関係が、時の経過と共に、それらが薄れていってしまうことがあると思うのです。自分のことを棚に上げるだけでなく、相手の良いところを見ようとせず、相手の欠点ばかりを見てしまったり、何でも欠点に結びつけるような見方をしたり。。。自分が相手の欠点にばかりフォーカスすれば、相手もまた自分の欠点にフォーカスしてしまい、お互いがお互いに対する不平、不満を募らせるばかりのいたちごっこになってしまうと思うのです。それではいつしか別れをお迎えすることになってしまうと思うのです。別れをお迎えすることがなかったとしても、「家庭内別居」という言葉があるように、形ばかりは夫婦関係が保たれていても、心は離れ離れ、ということもあると思うのです。それでは一緒にいても「幸せ」を感じることができないと思うのです。「幸せ」を一緒に築こうと夫婦になったにもかかわらず。。。一緒にいれるだけでも「幸せ」だったにもかかわらず。。。お互いがお互いの欠点ばかりにフォーカスすると、そのようなことになってしまうと思うのです。お互いが相手の欠点にフォーカスしたところで、自分も相手も不完全な人間には変わらないと思うのです。そもそも、不完全な人間同士が夫婦になるということは、お互いがお互いの魂の修正や成長の為に存在している、ということでもあると思うのです。そのように捉えさせて頂くと、相手の長所や欠点だけではなく、それらを含めた「相手」という貴重な存在は、自分の魂の修正や成長にとって、掛け替えのない存在なのだと思うのです。逆の見方をさせて頂くと、自分の長所や欠点を含めた「自分」という存在は、相手の魂の修正や成長にとって、お役に立たせて頂くことができる存在、ということでもあると思うのです。それならば、相手に何かを要求するのではなく、「自分の魂の修正や成長」の為に存在してくれている相手に対して、自分は 「何をさせて頂くことができるか」 「何を差し出すことが出来るのか」 「何を与えることが出来るのか」 「どんな形でお役に立てるのか」という、相手を思い遣る心、愛する心、奉仕の心をもって、生かさせて頂くことが大切だと思うのです。そのように生かさせて頂くことは、「自分の魂の修正や成長」の為に存在して下さっている相手に対する恩返しにもなると思うのです。相手の欠点を責めるのではなく、相手を思い遣る心、愛する心、奉仕の心をもって赦し、相手の欠点を補い、修正・成長のお手伝いができるよう、自分の長所を積極的に活かさせて頂く。。。そのような相手を思い遣る心、愛する心、奉仕の心を持って、お互いに補い合い、支え合い、助け合い、分け合い、協力し合って生かさせて頂いていれば、各々の欠点は少しづつ修正、改善され、各々の欠点の修正・成長の為に活かしてきた自分の長所は、より素晴らしい長所となって、相手の為だけではなく、人様のお役に立つことができるほどの長所にもなっていくと思うのです。相手の欠点は、自分の長所をより良くなるよう磨き、輝かせてくれるもの。。。相手の長所は、自分の欠点を補い、修正・成長させてくれるもの。。。 (とはいえ、自分の欠点を反省することなく、 自分を律することもなく、相手の長所に 甘んじてばかりでいては、自分で自分を 貶めているようなものだと思うのです。)そのように捉えさせて頂くと、相手の長所だけでなく、欠点でさえも有難いものになってくると思うのです。だからこそ、長所、欠点をも含めた相手の全てを、そして、生まれてくる前に夫婦になることを天で約束してくれた掛け替えのない相手の全てを愛し、全てを赦すことができるような大きな心、優しい心、愛の心、奉仕の心を育ませて頂きたいものですね。そして、相手の為に、家族の為に生かさせて頂きたいものですね。掛け替えのない「相手」や「家族」を欠いてしまってから、それが掛け替えのない「相手」や「家族」であったことに気付く、ということのないように、自分の心が安らぎ、自分の愛を惜しみなく与えることができる「相手」や「家族」を、そして、自分に安らぎを与え、自分に愛を惜しみなく与えてくれる「相手」や「家族」に日頃から感謝させて頂くことが、とても大切だと思うのです。「感謝」は、「いつもありがとう。」という相手に対する感謝の気持ちを自分の心の中だけで自己完結するものではなく、 「いつもありがとう。」という心の声を言葉や文字で伝えたり、何かをプレゼントさせて頂くなど、何らかの言動として表現させて頂くことによって、相手の心にも良く伝わるのだと思うのです。「いつもありがとう。」と思っているだけでは相手に伝わらない。。。伝わり難い。。。と思うのです。だからこそ、「いつもありがとう。」という心の声に、言葉や文字、プレゼントを添えさせて頂き、相手に伝わり易くさせて頂く。。。そういう相手を思い遣る心もまた、相手に対する感謝の気持ちの表れでもあると思うのです。「いつもありがとう。」日頃から発し合いたい言霊ですね。自分の至らない点や出来ないことを補ってくれ、かつ、自分の特技や能力を活かさせて下さる伴侶への感謝の気持ちを。。。源光「一人では、いくら努力しても、どうしても掴めなかった幸せを 彼(彼女)が持ってきた!!これが運命の出逢いですよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407110001/「二人三脚で走る。。歩く。。散歩する。。語り合う。。 夫婦で力を合わせると素晴らしい世界が開けます。。 いつも二人三脚ではなく個人の時間も大切にしている夫婦は、 年齢を重ねるごとに幸せになっていくのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408160000/「互いを束縛しないことです。 互いを結ぶ紐は解けやすくしておいて、自由なのがよいのです。 豊かな心は、思いやりと愛を育みます。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201402220000/「互いを監視するのはやめましょう。 あなたが自由になれば、相手も自由になれます。 人は、相手を拘束した分だけ、自分も拘束されるのです。 愛とは、互いを信頼すること。。 拘束することではありません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201402160000/「配偶者と出逢った時を思い出してください。。。 あゝ、この人と一緒になってよかった。。。 感謝の心が湧き上がってきたのなら、 あなたは配偶者とともに 天からご褒美を貰える時が来ています。 感謝を態度で表してください。。。 素敵な人生はこれからですよ。」(ラクシュミーさん)「運命の出逢いというものがあります。 何十億人もいる地球で、なぜこの人と出逢って 一緒に暮らすことになったのか? 考えてみてください。。。 出逢いが偶然を装った必然であったことに気づいてください。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201609060000/「偶然を装った必然で出逢い、愛を育み、互いを見つめ合い、 結婚後は、ともに同じ方向を見つめることができるなら、 一人では決して到達できなかった美しい世界に到達できるのです。 人生を大いに楽しんで、約束の子供と出逢い、 家族で幸せを謳歌してください。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407040000/「いっしょに「いる」ということ。 それだけで幸せ。。。 これこそが結婚の本質。。。 家族の本質です。。。。」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201410310000/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201410310001/「人はエネルギーを蓄える場所が必要です。 毎日安心して戻れる場所があると 明日を生きることができるのです。 安心して戻れる場所。。あなたは持っていますか? 人には、悩みを共有して、一緒に悩み、 戦ってくれる人が必要なのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312250000/「男と女は、互いに相手の長所と欠点を併せて愛せなければ、 いずれ別れることになるでしょう。 相手の全てを愛し、そして許してこそ 真実の夫婦になれるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401110000/『「愛」とは「理解」の別名です。 ですから、「理解」無き「愛」というものは存在しないのです。 別れも哀しみも、「理解無き」ところに発生するのですから、 互いを理解しようと努力することは、決して無意味ではないのです。』(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407210001/「価値観を共有しながらも、いつまでたっても新鮮な驚きのある人。。 これが約束の彼(彼女)なのです。 あなたはもう運命の人と出逢いましたか? 愛し合い、許し合い、助け合う夫婦。。 笑顔溢れる仲良し親子。。 永遠の家族。。 これが地上の幸せの極致なのです。」 (ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312270001/「夫婦、親子の礼儀は忘れがちですが、 幸せな家庭は心愛(しんあい)の礼儀が保たれているものです。 互いを思いやることを忘れてはなりません。(一部抜粋)」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312030005/「結婚は長い対話ですよ。 時折のいさかいがそれに色どりを添えて 互いに成長していくのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201505040000/ 「人間には誰でも できることと、できないことがあるのです。 ある人にはできても、ある人にはできない。 それでいいのです。 他のことはできるわけですから。」(ラクシュミーさん) 「他人ができることは自分もできる!! いいえ。できないこともあります。 それでいいのです。 万能の人など皆無です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201603290000/
2016.11.19
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「不幸がずっと続いている人は 自分が不幸であるということを吹聴しているものです。 当分、不幸が続くでしょう。 不幸と友達だからです。 不幸と手を切るのはさほど難しくありません。 不幸自慢をやめること。 人に不快感を与えないこと。 幸運の種を蒔いて歩くこと。 つまり人を喜ばせて生きればよいのです。」自分の「不幸」を話題の材料にするのであれば、自分の「不幸」を自慢するのではなく、自分の「不幸」を笑いのネタにして、笑いながら話し、相手を笑わせ、喜ばせた方が、自分も相手も「幸せ」になると思うのです。【人様を明るく元気に笑顔にさせる=人様を幸せにしている】「幸せ」になる為の「不幸」の正しい活かし方だと思うのです。「幸せになりたい」と言いながら、その話をしている自分のみならず、その話を聞いて下さっている相手の気分をも暗く重くなるような「不幸自慢」を繰り返す。。。言行不一致していると思うのです。【人様の気分を暗く重くさせる=人様を不幸にしている】「不幸」になる為の「不幸」の正しい活かし方だと思うのです。不幸自慢をする方は、口を開けば、自分の不幸など暗く重い話題ばかり。。。自分の不幸などの暗く重い話ばかりをしていたら、話をしている自分の気分もより暗く、より重くなると思うのです。その話を聞いている相手や周りの人は、始めの内こそは、その不幸話を気の毒に思い、同情し、優しく耳を傾け、応援し、助けてくれたり、支えてくれると思うのですが、いつもいつも暗く重い不幸話に結び付くような内容では、聞いている側も暗く重い気分になってしまうと思うのです。それ故に、不幸自慢を幾度となく聞いている側は、不幸自慢をしている方のことを 「この人は、不幸自慢をしたいだけなんだなぁ~。。。 不幸自慢を聞かされて、こちらが暗く重い気分にさせられるのは、 もう嫌だなぁ~。。。少し距離を置こう。。。」 「この人は、悲劇のヒロイン(ヒーロー)を演じて、 自分が如何に可哀相なのかを知ってもらって、 同情を買いたいんだなぁ~。。。」 「暗く重くなるような不幸な境遇に遭遇して、 辛い。。。苦しい。。。といっている自分が好きなんだなぁ~。。。 本当に嫌だったら、自分暗く重くなるような話や、 人を暗く重くさせるような話なんかしたくないはずだもんな~。。。」 「【暫くするとみんな離れていってしまう。。。】と言ってたけど、 そりゃそうだよ。。。 相手の都合や時間も考えずに、 自分の不幸自慢ばかりをして、 【どうすればいいのかな?】と聞いてくるから、 みんな親身になってアドバイスしてるのに、 当の本人は、アドバイスを聞きたいのではなくて、 自分の不幸話を聞いて欲しいだけだから、 人の話なんか何も聞いていないんだから。。。 そりゃ、みんな【この人には何を言っても仕方ない。。。】 と思って離れていくよ。。。」 「散々不幸自慢をしてるけど、話を聞いていると 恵まれている面も色々あるんだよなぁ~。。。 その恵まれている面には目を向けず、感謝せず、 不幸にばかり目を向けて、不幸自慢をして、 暗く重い話を撒き散らしてしまうその心のあり方が、 本当に不幸なことなんだろうなぁ。。。 自分で不幸になりたがっている、ということだもんなぁ。。。 それじゃ不幸自慢は止められないよなぁ。。。 だから不幸のままなんだろうなぁ。。。」 「不幸の種を蒔いて、自分で刈り取るのは当たり前だけど、 不幸の種を周りに撒き散らすのは止めて欲しいなぁ。。。 撒き散らされた方は、嫌な思い、不快な思いを していることも分かって欲しいなぁ。。。 そういう相手の気持ちが分からないことこそ、 自ら不幸を招き、引き寄せている原因でもあると思うんだよなぁ~。。。 気付いて頂けるか分からないけど、距離を置いてみよう。 【何で距離を置かれたんだろう?】って考えて貰えたらいいなぁ。。。」などのように受け留め、次第に不幸自慢ばかりする方と距離を置くようになるのだと思うのです。 不幸自慢という名の愚痴。。。愚痴。。。 言っても仕方のないことを、くどくどと言って嘆くこと、の意だそうです。辛いこと、辛かったこと。。。苦しいこと、苦しかったこと。。。悲しいこと、悲しかったこと。。。理不尽なことをされること、されたこと。。。絶望感、不平、不満、被害妄想。。。などなど、今や今に至るまでに与えて頂いた不遇、不運と感じている境遇の数々。。。それに対して自ら積み重ねてきた自分の気持ちを聞いて欲しい、知って欲しい、分かって欲しい、理解して欲しい、優しくして欲しい、温かい言葉を掛けて欲しいなどの様々な思いや不幸自慢の捌け口として吐き出す愚痴。。。愚痴を言っているその時こそは、様々な思いを吐き出しているが故に、スッキリとしているつもりでも、その愚痴の内容がフォーカスしているものが、自分に与えて頂いている境遇を悲観的に見ている「自分の心のあり方」故に、「自分の心のあり方」そのものが変わることがなければ、本当の意味で心がスッキリすることはないと思うのです。「自分の心のあり方」を変えることなく、愚痴を言っていても何も変わらず、何も解決せず、何も進展しない。。。裏を返させて頂くと、愚痴を言っている間は、愚痴を言いたくなる「自分の心のあり方」だからこそ、何も変わらず、何も解決せず、何も進展しないのだと思うのです。それどころか、愚痴を言っている間は、ものごとが良くない方に変化しやすく、解決からは遠ざかり、進展のしようも無くなってしまうのだと思うのです。なぜなら、自らの愚痴という言霊を最初に聞いているのは何を隠そう愚痴を言っている自分自身。。。一見、ストレス発散をしているように見える愚痴という言霊を吐くその姿勢の実態は、より愚痴を言いたくなる悲観的な境遇を自ら生み出すように自ら仕向けているようなもの。。。将来言いたくなるであろう愚痴の原因は、今、愚痴を言っていることにある。。。そういうことだと思うのです。ということは、今、愚痴を言っている(愚痴を言いたくなる)原因は、過去に愚痴を言っていた自分にある、のだと思うのです。愚痴を言うことは、「愚痴を言うこと」というトラップに嵌っているのだと思うのです。だからこそ、愚痴を言っている間は、否、愚痴を言わなくなるまでは、愚痴を言いたくなるような境遇(修行)が続くのだと思うのです。そもそも、 「言っても仕方のないことを、くどくどと言って嘆くこと」という意の【愚痴】。。。「言っても仕方のないこと」を「言っている」ことそのものがおかしいのだと思うのです。 「愚痴を言っても仕方がない。。。」 「言っても仕方のないこと(どうにもならないこと)を、 いつまでも言っていても仕方がない(どうにもならない)。。。」 「何だかんだ言っても、 何とか生かさせて頂いている♪ 何とか生かさせて頂いているということは、 天にお救い頂いているんだなぁ~♪ 本当に有難いことだなぁ~♪ 感謝感謝♪」 「恵まれていないことに目を向けて愚痴るよりも、 恵まれていることに目を向けて感謝しよう♪」 (「恵まれていない」と感じていることこそ、 私たちの魂にとっては修行になっているのだと思うのです。 そのように考えさせて頂くと、「恵まれていない」と感じることを 与えて頂いていることそのものが「恵まれている」 ということなのだと思うのです。 「恵まれていない」と感じようと、「恵まれている」と感じようと、 何れにしても感謝させて頂くことが大切なのだと思うのです。) 「良かった頃の自分と、今の自分を比べても仕方がない。。。 今は今! 前は前! これからはこれから! 良かった頃の自分を顧みて、あの頃は良かったなぁ~♪ なんて言ってたら、今やこれからが良くなるわけがないもんなぁ~。。。 今やこれからが大事なんだよな♪ 前を向いていこう♪」などのような心持ちになったとき、「自分の心のあり方」が変わった瞬間だと思うのです。例え、その時の自分に与えて頂いている境遇が、辛く、苦しく、悲しく、嘆きたくなるような境遇であったとしても、愚痴という悲観的な言霊を自ら生み出さず、発せず、自らに言い聞かせないようにするからこそ、辛さ、苦しさ、悲しさ、嘆きの原因になっている悲観的なものごとの見方や考え方から解放されるのだと思うのです。悲観から解放されるということは、同時に、その逆の楽観的な見方や考え方が生まれるということでもあると思うのです。悲観的になりそうな境遇の中にいるにもかかわらず、楽観的な心のあり方で、明るく、元気に、笑顔で過ごしているその強く、逞しく、美しい「自分の心のあり方」に、天からの光が射し込みはじめ、次第にものごとが進展していくようになるのだと思うのです。私たちが魂の修正や成長をさせて頂く為に必要なこと。。。それは、 人様のお役に立たせて頂くこと。。。 人様にお喜び頂けることをさせて頂くこと。。。 人様が笑顔になるようなことをさせて頂くこと。。。などの利他心にあると思うのです。「愚痴を言う」ことは、魂の修正や成長をさせて頂く為に必要なことのどれにも該当しないと思うのです。それどころか、 人様の気分を重くしたり、暗くしてしまい、笑顔を奪ってしまう。。。 (愚痴を言っている当のご本人様もそうなると思うのです。) 愚痴を聞く人様の気持ちを考えることができない。。。 (いつでも愚痴を親身に聞いてくれる人もいますが、 それに甘んじてばかりいてはいけないと思うのです。)などの利己心が前面に出ていると思うのです。魂の修正や成長をさせて頂く為に必要な利他心に対して、利己心が前面に出るということは、魂の修正が必要な点をより増やしているということだと思うのです。魂の修正が必要な点を増やしてしまう愚痴を言う。。。だからこそ、同じような境遇(修行)が続くことになるのだと思うのです。同じような境遇(修行)から脱する為には、 愚痴(不幸自慢)を言わない忍耐強さ。。。 愚痴(不幸自慢)を言わないという人様を思い遣る心。。。 愚痴(不幸自慢)を言いたくなるようなことに目を向けず、 恵まれていることに目を向けて感謝する心。。。を育ませて頂くことが大切なのだと思うのです。そして、できるのであれば、自分の「不幸」を笑いのネタにして、笑いながら話し、相手を笑わせ、喜ばせることができるくらいの大きな心、豊かな心、温かい心、優しい心で人様と接することができる自分を育ませて頂きたいものですね。源光「毎日、涙がポロポロ流れる。。。。 それでも、愚痴一つ言わず、懸命に生きて、生きて生き抜く人。。 天は、こういう人を救わずして誰を救うのでしょう。 そうです。。必ず救いの手が差し伸べられるのです。 はっきり言いましょう。 愚痴を言っている間は永遠に修行が続くのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201510050000/「他人からの同情はあなたを満足させるかもしれません。 しかし、それは一時のこと。解決には繋がらないのです。 不幸自慢、傷のなめあい、すべてその場の気持ちを 満足させるに過ぎないのです。そこに成長はありません。 もがき、苦しみ、苦痛を抱えながらそれを克服する。 あなたの気持ちを理解し、なおかつあなたの欲しいものを 持っている人が世の中には存在します。 その人が語る言葉、姿勢、考え。 これがあなたの成長に大きな影響を与えるのです。 「薬」とは違う何かが。 「同情」とも違う何かが知ってください。 気づいてください。 あなたは、苦しむ人生を送るため に生まれてきたんじゃないと。 幸せに生きるために生まれてきたのだと。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201405250000/「もし誰かが、自分の不幸な出来事について相談してきたら、 その人は、なにか心の中で楽しんでいるものがある、 と思って差し支えありません。 本当にみじめさだけしかない人は、 そんなことを人に相談する気力もないのです。 ですから相談者にアドバイスすることは、 もっと不幸を楽しんでください。これでいいのです。 突き放しているのではありません。 これが最高の解決策。人生大逆転の法則です。 その楽しんでいるものの中に大逆転のヒントが隠れています。 自分で見つけ出すしかありません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201601100000/「不安、不自由、不足や不満の種は尽きませんが、 恵まれていることは忘れていませんか? 心が不安や不満でいっぱいになったら、 不平不満、不安,不自由から心を放して、 恵まれていることに感謝しましょう。 そうすれば、あなたを悩ませている問題は、 霧がはれるように少しずつ消えていきます。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312210001/「不幸になっていく人は、自分の喜びばかりを考えているのです。 人を喜ばせることを考えて生きていきましょう。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201207180000/「愚痴や迷いは、それがたとえ高尚な内容でも、 天が手助けをする事は決してありません。 愚痴や迷いを心の中から一掃して下さいね。 その時、私達は、直接あなたに語りかけることが出来ます。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201210120000/「自分の置かれている境遇を嘆かないことです。 自暴自棄になって、嘆いたり怨んだりしている限り、 どんなに望んでも絶対に幸運とは波長が合わないのです。。 」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201406100003/「自分は生きているのではなく、 「生かされている」という事実に気づきましょう。 本当の幸せは、あなたの心の中にあるのです。 幸せを追いかける人はいつまでも幸せになれず、 今、呼吸をしている幸せに気づく人が、 本当に幸せになれるのです。 まずは、生かされていることに感謝しましょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401020002/「人は誰でも 自分自身の心の飢えは知っていますが 人の心の飢えは知らないのです。 だからいつまでも飢えに苦しんでいるのです。 自分を責め、世間を責めて 心が寂しく哀しく、世間に八つ当たりして ますます堕ちこんでいくわけです。 苦しんでいるのは自分だけではないのです。 そのことに気づくことから始めましょう。」ラクシュミーさん http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201509090000/「たくさん苦しんでいる時に あえてよく生きることです。 世をはかなんで自暴自棄になれば、苦しみが長引きます。 なんで自分ばかりこんな目に会うのか!!と嘆いていれば さらに苦難が追加されます。 苦しい時こそ むしろ人を助けることですよ。喜ばせることですよ。 自分より苦しい人は、それこそ星の数ほどいるのです。。。 悩み多ければ多いほど、光に近い人。。 人を救う天命を持って生まれてきた偉大な魂なのです。」ラクシュミーさん http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/20149110001/「深い憂いのわかる人になりましょう。。 ニコニコしている方に限って、 過去、深い憂いを経験している人だということに気付きます。 笑顔が苦難を乗り越える最高最強のパワーであることを 体得されているわけです。」ラクシュミーさん http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201410120000/「なぜ自分だけが、こんなに苦しまなければならないのか? と思わないことです。 試練は、その人が魂の向上のために、 自ら人生の途中に仕掛けておいたもの。 試練の傾向が同じです。 自分のメニューですから、当然、クリア出来るのです。 よく反省し、より良く生きようとするなら、 苦しんだり、悩んだりすることは、当然のことです。 これを乗り越えた時、大いなる安らぎの光に包まれます。」ラクシュミーさん http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312170003/
2016.11.18
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「その人の人格を知るには、 その人が目下の人を どう扱うかを見ればいいのです。」目下。。。 年齢・立場・地位・階級などが自分より低いこと。の意だそうです。「目下」は、その言葉の意だけでなく、私たち人間の主観的、利己的視点から、はたまた、客観的、利他的視点から、 「自分よりも下の者」 「自分よりも弱い者」と判断する「目下」もあると思うのです。同じ「目下」と判断するのでも、主観的、利己的な視点と、客観的、利他的な視点とは、大きく異なると思うのです。人様を主観的、利己的な視点で、 「自分よりも下の者」 「自分よりも弱い者」という判断をする方は、 損得勘定。。。 上下関係。。。 自分に都合が良いか否か。。。 自分に有益か無益か。。。などが判断基準になっていると思うのです。主観的、利己的な視点で、 「この人は、自分の役に立たない。。。」 「この人は、繋がっていても得にならない。。。」 「この人は、(もう)利用価値がない。。。」 「この人は、自分にとって無益だ。。。」として、「目下」と決めつけた方に対する姿勢は、 手のひらを返したように態度が一変する。。。 言葉遣いが変わる。。。 態度が変わる。。。 威張る。。。傲慢、横柄な言動をする。。。 理不尽な扱いをする。。。 不義理をする。。。 恩を仇で返す。。。ようなことが多いと思うのです。 (表面的には、とても丁寧で、優しく、善人を装っていても、 その実態は、心の中で「(もう)あなたに用はない」などと、 上から目線で相手を見下し、目の上のたんこぶのように 邪魔者扱いするような方もいると思うのです。)一方、人様を主観的、利己的な視点で、 「この人は、自分の役に立つ!」 「この人は、繋がっていた方が得だ!」 「この人は、利用価値がある!」 「この人は、自分にとって有益だ!」という判断に至り、 「自分よりも上の者」 「自分よりも強い者」として、「目上」と判断した方に対する姿勢は、 相手に気に入ってもらえるよう媚びる。。。 相手の機嫌を取ったり、お世辞を言うなど諂う。。。 相手に付き従って追従する。。。 相手の顔色を見て行動する。。。 相手に盲信する。。。妄信する。。。依存する。。。ようなことが多いと思うのです。 (表面的には、相手を慕っているように装っていても、 その実態は、「相手を利用して自分が良い思いをしたい。。。」 という下心や邪念が渦巻いているということもあると思うのです。)損得勘定や上下関係。。。自分に都合が良いか否か。。。自分に有益か無益か。。。など、主観的、利己的な視点で、人様を判断する方は、 【相手によって自分の態度を変える。。。】 【同じ相手でも、その相手が、 その時の自分にとって有益か無益か、 役に立つか否かで態度を変える。。。】ということだと思うのです。その時の相手が、その時の自分の地位や権力、名誉、財産よりも上で、主観的、利己的視点による判断でも自分より上であれば、自分に有益な存在、役に立つ存在として媚び諂う 。。。その時の相手が、その時の自分の地位や権力、名誉、財産よりも下で、 主観的、利己的視点による判断でも自分より下であれば、自分に無益な存在、役に立たない存在として見下す。。。その時の相手が、ある面では自分よりも上。。。ある面では自分よりも下。。。であれば、有益で役に立つ面を利用するときは媚び諂い、それ以外の時は音沙汰なし。。。同じ相手でも、異なる相手でも、自分勝手な自分基準による主観的、利己的なものごとの見方でその時の自分がその相手よりも上か下かを判断し、それに応じて自分の態度や言動を変える。。。相手は「心ある人」であるにもかかわらず、「心ある人」として見るのではなく、相手の地位や権力、名誉、財産、肩書きや主観的、利己的な価値基準で判断し、それによって自分の態度や言動を変える。。。主観的、利己的な判断基準とは言え、その自分の信じる主義・主張を徹底して守っているような姿勢は、節操を貫いているように見えるものですが、相手や自分に何らかの変化がある度に、 「自分」がコロコロと変わる。。。 「言動」がコロコロと変わる。。。 「態度」がコロコロと変わる。。。のは、見方を変えさせて頂くと、「自分がない」と思うのです。「自分がない」ということは、自分の信じる主義・主張もない、ということ故に、そのような心のあり方や生き様は、節操がないのだと思うのです。節操がないが故に、「心ある人」を主観的、利己的な価値基準で判断してしまうのだと思うのです。自分が他者からそのようにされると、人一倍、不平不満、愚痴、怒りを露わにし、嫉妬、被害妄想を生み出すにも拘らず、そういう自分がいることに気付くことなく、他者にはそれをしてしまう。。。自分勝手な主観的、利己的な価値基準による、 「目上」には、媚び諂う。。。盲信する。。。 「目下」には、威張る。。。見下す。。。という、相手や相手の状況によって、自分の態度や言動をコロコロ変えるその様を、冷静に、客観的に見ている第三者や当事者からは、 不誠実な人。。。 不真面目な人。。。 狡猾な人。。。 さもしい人。。。 あざとい人。。。 信用できない人。。。 油断できない人。。。 偽る人。。。欺く人。。。 騙す人。。。裏切る人。。。などと、人格を疑われてしまうような判断をされ、距離を置かれたりしてしまうと思うのです。人様を客観的、利他的な視点で、 「自分よりも下の者」 「自分よりも弱い者」という判断をする方は、 「この方の為に自分ができることは何だろう。。。」 「この方はどんな助け、支えを必要とされているだろう。。。」 「この方のお役に立てることはどんなことだろう。。。」 「この方がお喜びになることは何だろう。。。」という相手を尊重し、相手を思い遣る心が、その判断基準になっていると思うのです。それ故に、その相手が「目下」であろうと、「目上」であろうと、誰であろうと、相手に対する自分の態度や言動が変わることはないと思うのです。そういう方にとって、地上的な地位や権力、名誉、財産、肩書きなどは、 【「心ある人」としての尊厳を超えるものではない】のだと思うのです。相手と自分を比較することも無い。。必要もない。。。それ故に、相手と自分の関係を、上下や優劣で判断することもないと思うのです。主観的、利己的な価値基準で人様を判断する方は、礼儀礼節を軽んじ、蔑ろにし、相手が「目上」か「目下」かによって、自分の態度や言動を変えるのに対し、客観的、利他的な視点で人様を判断する方は、礼儀礼節を弁えて、相手が誰であろうと、自分の態度や言動は変わらないその様を、冷静に、客観的に見ている第三者や当事者からは、 誠実な人。。。 真面目な人。。。 信用できる人。。。 信頼できる人。。。 安心できる人。。。 気が置けない人。。。 偽らない人。。。欺かない人。。。 騙さない人。。。裏切らない人。。。として、その人格を慕われると思うのです。自分一人で生かさせて頂いているわけではない私たち。。。だからこそ、「自分さえ良ければそれで良い」という考えは捨て、自分の他者に対する心のあり方や言動、態度を省みさせて頂きながら、反省すべきは反省し、正すべきは正させて頂く。。。そして、お互いを思い遣る心を持たせて頂き、お互いに助け合い、支え合い、分け合い、協力し合い、愛し合って生かさせて頂きたいものですね。「心ある人」して生まれてきた私たち。。。だからこそ、「心」や「心のあり方」「言動」を大切にさせて頂きたいものですね。お天道様が、地上の私たちに優劣をつけることなく、無償の愛を与え続けて下さっているのと同じように、どなた様に対しても同じように、愛の心をもって接することを心掛けて過ごしたいものですね。源光「本当に優れた人は、社会的地位や、 肩書きなどで人に接しないのです。 本来、社会的地位、肩書きと人間性の美しさは 一致しているのが当然です。 心の中で、人を見下しているようでは、 まだまだの人間です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201511030000/「実れば実るほど、勉強すればするほど、 自然に自分の至らなさに気づき、 謙虚になっていくのが人というものです。 天から観れば、謙虚で無い人は、まだまだ修行の足らない、 子供に過ぎないのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201303020000/「人の魂のレベルの差は、上位と下位では雲泥の差がありますが、 上位の人が偉いわけでもありません。 威張るような人は低レベルの人です。 心の世界は、この世の名誉や地位、権力、名声、 学歴、収入、財産、年齢差などとは全く次元の違う、 波長の乱れた地上とは違う高尚な真実の世界です。(一部抜粋)」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401100001/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401100002/「人によってお辞儀の角度を変えていませんか? 誰にでも深々とお辞儀する人。。 成功や幸せに最も近い人です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201605030000/「名誉も地位も権力も学歴も財力も収入も肩書きも 地上の小さな世界でしか通用しない煙のようなものです。 自分の才能をひけらかすことなく、笑顔を絶やさず、 周囲と同調してやっていける人こそ、立派な人です。」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311130000/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311140000/「自分より弱い立場の人には、トコトン強く、 横柄な態度で威張って、指図したり、 些細な失敗で怒鳴り上げたり、イジメたりする人は、 反面、自分より強い立場の人には、媚びへつらい、 卑屈な態度をとるのです。 男たるもの(女もそうですが)強きを挫き、弱きを助けるのが本質。。 弱いものイジメなど臆病者の所業情けない限りです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201507240000/ 「自分より弱い立場の人間には恐ろしく強く、徒党を組んで虐めるくせに、 強い立場の人間には平身低頭。。。 これが情け無い人間の行動パターンです。 将来、痛い目に会うのも当然です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201506220000/「倒れた人を、そのうえ蹴りつける。。 世の中にはこのような無慈悲なことをする人もいるのですが、 よく観察してください。。 数年後に、自分と家族の身に大災難が降りかかっています。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408240001/「あなたが扱われたいように、他人を扱いなさい。 汝が隣人からされたくないことを隣人に行ってはならない。 隣人を自分自身として見ることで、 人は正しい基準を得ることが出来る。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201107150001/「汝、強きものに媚びず、弱きものをいたわる。 それが計算ではなく自然にできれば、 幸運の女神は微笑むことを知れ。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201201020000/「弱き者、懸命に生きている者を助けるのが、 汝の勤めであり、汝の幸せである。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201110020000/「あなたが、もっと精神的に強くなりたいと思うのなら、 弱い人をかばうことで強くなれます。 強い人のマネをしても弱くなるばかりです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201406170000/
2016.11.17
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「明日の自分は、 今日の自分よりも1日経験を積んだ姿です。 満足のいく1日でありますように。。」今日を満足のいく1日にできるかどうかは、今日の自分にかかっていると思うのです。明日を満足のいく1日にすることができるように、明日を気持ち良くお迎えすることができるかどうかも、今日の自分にかかっていると思うのです。今日を満足のいく1日にする為には、 良心に従って過ごさせて頂く。。。 誠実に、真面目に過ごさせて頂く。。。 自分に正直に過ごさせて頂く。。。 人様のお役に立つことをさせて頂く。。。 人様にお喜び頂けることをさせて頂く。。。 それがやりたくないことでも、今日すべきことは今日する。。。 それがやりたくないことでも、今日できることは今日する。。。など、自分の魂が喜ぶ生き方をして、当たり前のことを当たり前にさせて頂く、という 「今を生きる」 「自分を生きる」姿勢で過ごさせて頂いていれば、満足のいく1日になると思うのです。同じ1日の中でも、時には、不本意なことや理不尽なこともあると思うのです。そこで、間違いや過ちを犯したとしても、それに気付き、直ぐに反省し、直ぐに謝罪し、直ぐに正したのであれば、満足のいく1日になり、気持ち良く今日の終わりをお迎えすることができると思うのです。そして、そのまま明日をも気持ち良くお迎えすることができると思うのです。反対に、 良心に背く。。。 不誠実、不真面目に過ごす。。。 自分を偽り、欺き、騙し、裏切る。。。 自分のことしか考えない。。。。 人様を偽り、欺き、騙し、裏切る。。。 やりたくないことから目を背ける。。。逃げる。。。 すべきことから目を背ける。。。逃げ。。。 やりたいことだけやる。。。など、自分の魂が喜ばない生き方をして、自分勝手で我儘な振る舞いをし、当たり前のことを当たり前のようにしない、という 「今を捨てる」 「自分を捨てる」姿勢で過ごしてしまうと、不平不満、愚痴、嫉妬、怒り、被害妄想を抱いたり、足ることを知らない欲望や邪念に翻弄されっ放しの1日になると思うのです。同じ1日の中でも、時には、間違いや過ちを犯すこともあると思うのです。良心のお陰様で、後ろめたさや後悔の念を感じて、間違いや過ちに気付かせて頂いたにもかかわらず、素直に反省、謝罪、修正することに努めなければ、不本意な1日になり、気持ち良く今日の終わりをお迎えできないばかりか、そのまま明日の朝をも気持ち良くお迎えすることができないと思うのです。その結果、前日から繰り越されてきた不平不満、愚痴、嫉妬、怒り、被害妄想に更なる不平不満、愚痴、嫉妬、怒り、被害妄想を上塗りし、更に足ることを知らない欲望や邪念に翻弄される、という悪循環の中に自分を置くことになってしまうと思うのです。そもそも、何かに対して抱いているつもりの不平不満、愚痴、嫉妬、怒り、被害妄想は、実は、良心に背き、自分や人様を偽り、欺き、騙し、裏切り、利己的で自分勝手な振る舞いをしてしまう不甲斐ない自分自身に対して抱いている弁解のようなものだと思うのです。足ることを知らない欲望や邪念に翻弄されてしまうのは、 「自分で自分を満足させる為に自分らしく生きよう!」という魂の叫びや良心の声に耳を傾けず、大切なことから目を背け、逃げようとしてしまう勇気のない自分。。。不甲斐ない自分。。。という隙間を自ら作り、その隙間を満たす為に、欲望や邪念で補填しまうからだと思うのです。 (本当の意味でその隙間を満たすことができるのは、 「自分らしく生きるぞ!」「良心に従って生きるぞ!」という 勇気ある決意、心のあり方、言動、生き様だと思うのです。)----「何があっても良心に従って過ごすことができた!」その達成感、充実感、満足感、自分に対する信頼が、自分を信じる力、自分を愛することをより強固なものとし、今日という1日を満足を持って送り出し、明日のスタートを気持ちの良いものにするのだと思うのです。「良心に恥じる酷い言動だと分かっていながら、 良心に背き、酷い言動をし続けてしまった。。。」「何が正しいかその全てを知っている」良心は、私たちの本質である魂に与えて頂いた心の羅針盤故に、「自分の魂=良心」ということでもあると思うのです。その良心に背き、良心に恥じる言動をするということは、自分を偽り、欺き、騙し、裏切る、ということに他ならないが故に、後悔の念に苛まれると思うのです。後悔の念を背負いながら、今日という1日が過ぎ去り。。。そのまま新しい1日である明日をスタートすることに。。。 (本当の意味でその1日が過ぎ去るのは、後悔の念の原因を 本当の意味で解消、清算した日だと思うのです。 その1日は「時」として過ぎ去っていても、 後悔の念を生み出した日として、 心の負の財産として蓄積され続けるのだと思うのです。)時に、地上的には、良心に背くことによって、 「満足のいく1日を過ごすことができた。」 「とても満たされた1日だった。」と感じることがあるものですが、私たちの本質である魂からすれば、 「良心に背くことは、自分を偽り、欺き、騙し、裏切ること。」 「心が満たされたのではなく、欲が満たされただけ。。。 欲を満たせば満たすほど、心は飢えに飢えるだけ。。。」ということ故に、残念でならないと思うのです。不完全で至らない点があるが故に、地上で修行をさせて頂いている私たち。。。間違いや過ちを犯さない、などということはないと思うのです。そのような私たちだからこそ、それが間違いや過ちだったということに気付き、分かっているのであれば、それを後悔の念として明日以降に持ち越すことのないよう、その日の間違いや過ちは、その日の内に良心に従って、素直に反省、謝罪、是正させて頂きたいものですね。そのようにさせて頂くことによって、後悔の念を生み出すような間違いや過ちという悪い経験が、反省、謝罪、是正によって軌道修正という良い経験になり、更には、後悔の念を明日以降に持ち越すこともなくなれば、今日という1日を満足して終えることができると思うのです。そして、気持ち良く明日を迎えることができると思うのです。このような小さな積み重ねを反復させて頂くことが、自分の心を磨き、輝かせていくのだと思うのです。心が磨かれ、輝いていけばいくほど、 「自分で自分を満足させる為に自分らしく生きよう!」という魂の叫びや良心の声に、素直に、当たり前に従うことができる自分になっていくのだと思うのです。そのような自分の魂が喜ぶ生き方で1日1日を生かさせて頂くことによって、満足のいく人生が築かれていくのだと思うのです。何もかもが目新しくてワクワクしていた子どもの頃の心で。。。何をするにも一所懸命だった子どもの頃の心で。。。今日という日を楽しませて頂きたいものですね。源光「今。。。この一瞬に、 あなたは5分後の自分を作ったのですよ。 嫌な顔をしませんでしたか? 嫌な言葉を発しませんでしたか? 人を中傷しませんでしたか?」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201603020000/「まず自分自身を満足させるのです。 自分自身も満足させられない人に、 いったい何ができるというのでしょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201410220000/「地上では、良心に従って進むと、損をして、 この世的価値観では、失敗のように見えるものが多いのですが、 実は、天の蔵に大いなる宝を積み上げていた!! こういうことはこの世を去るときに誰もが経験することです。 地上に肉体を持つのは、瞬きをするくらいの時間ですから、 欲に翻弄されて、自分を見失うほど時間の浪費はありません。 」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201209060000/ 「昨日は心地よい一日でしたか? 昨日心地よい一日を過ごした人は、 今日も心地よい一日を過ごせます。 幸せとはこれの繰り返しですよ。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201203240000/「あなたが、今日、良心に恥じない一日を生きるならば、 明日は、心にあたたかい太陽が昇ります。 今日、良心を裏切って生きるならば、 明日は、心に冷たい雨が降るでしょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201211030000/「今日があるのは、昨日の想いから。 今日の想いは、明日の人生を形作る。 すなわち、人生は、心の創造物である。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201201250000/「あなたの現在の人生は、過去の選択の結果です。 同じことは、あなたの未来にもあてはまるのです。 良心に恥じない自分であればよいのです。 触れ合う人の喜びを我が喜びにして生きていけばよいのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201409140000/「人は、日常の生き方で未来が決まるのです。 普段の心のありようが一番大切です。 他を害さない、傷つけない、相手の心を痛めない。。ことですよ。 相手を苦しめれば、その行為によって自分が苦しむことになります。 さらに相手の恨みを受けて苦しみが増幅するわけです。 相手の心を害したときは、すぐに謝るなり償うなりして、 一刻も早く、清算しておくことです。 心は丸くおだやかに。。 これが未来を開き、日々を豊かに送るコツなのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201601180000/「汝は、常に自分自身の選択によって行動することができるが、 良心の命ずるままに行動するのが天命を果たす道である。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201110060000/「良心に従えば豊かになり、欲に従えば危うし。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201108090000/「人間は、その人がどういう人生を歩んできたのか、 苦しい経験を積んできたのかではなく、事が起きた際に、 良心に従って正しく行動したかどうかで価値が決まるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201410160002/ 「天と真っ直ぐに繋がっていれば、 道を踏み外して転落することはないのです。 人生の王道を胸を張って堂々と歩いて行けるわけです。 良心は、人間の創った人法の遥か上位にある天法です。」 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201601140000/ 「天に従うものは栄え 天に逆らう者は亡ぶのです。 良心こそ天の光です。 あなたの生きる指針です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201508240000/ 「人が見ていようといまいと、正しき言動の出来る人でありましょう。 天は全てを知っています。 地上での勝ち負けは、大した問題ではないのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201310010000/「自分が心からやりたいことを見つけ出して自分らしく生きていく。。 これが最高の人生ですよ。。 人の価値観に振り回されることはありません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408160001/「自分が望んだように生き、そして、それを続けることができるのならば、 それが最高の人生です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407200001/
2016.11.16
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「あなたの話は信じてもらえないでしょう。 しかし、あなたの行いは、誰もが信じざるを得ません。 だから行動してください。 良心に恥じない立派な行動を心掛けてください。 私はあなたをどのようなことがあっても守ります。 ですから正々堂々と生きてください。」未来のことを話す。。。想像したことを話す。。。夢を話す。。。希望を話す。。。要求したいことを話す。。。勧誘したいことを話す。。。「話す」ことは何でもできると思うのです。「話す」だけなら誰でもできると思うのです。しかしながら、「話」を聞いている相手の立場からすれば、「話」をされるばかりでは、信用や信頼を置くことができないと思うのです。 (口車に乗せられて、「話」だけで相手を信用し、 信頼してしまうこともあるものですが、 それは欲や邪念があったり、お人好しが祟って、 騙されているに過ぎないと思うのです。 表現を変えさせて頂くと、相手の「話」を信用したのではなく、 欲や邪念を生み出すような「話」の内容に翻弄され、 自分で自分を偽り、欺き、騙し、裏切った。。。 ということでもあると思うのです。)未来のことや、想像したことを話した人が、その未来や想像を実現する為の行動を何も起こしていない。。。夢や希望のことを話した人が、その夢や希望を叶える為の努力という行動を何も起こしていない。。。何らかの要求や勧誘したいことを話した人が、その要求し、勧誘することを自ら何もしていない。。。「話」を聞く側からすれば、 説得力がない。。。 口の達者な人。。。 口先の上手い人。。。となり、信用どころか、むしろ信用できない人と位置づけてしまうと思うのです。これは、何も「話」を聞く側だけのことではないと思うのです。「話」をしている当の本人も、あれこれと「話す」ばかりの自分について、 言行不一致な自分。。。 不甲斐ない自分。。。 意気地がない自分。。。 軟弱な自分。。。 説得力のない要求をする自分。。。 理不尽な勧誘をする自分。。。と思い、自分で自分の言葉だけでなく、自分さえも信用できなくなってしまうと思うのです。 自分で自分を信用できないのは、 自分で自分を偽るから。。。 自分で自分を欺くから。。。 自分で自分を騙すから。。。 自分で自分を裏切るから。。。 自分で自分の言葉を守らないから。。。 自分で自分の言葉に責任を持たないから。。。 自分で自分に恥じることをしているから。。。など、色々あると思うのです。信用できない自分。。。信用されない自分。。。を覆すのが、「行動」だと思うのです。未来のことや想像したことを話す。。。夢や希望のことを話す。。。例え、その「話」が実現していなくても、例え、他人にバカにされていても、それらを実現させる為の何らかの行動を起こし、誠実に、真面目に、自分を信じて、地道に努力を継続しているその様を見れば、その頑張っている姿から説得力が生まれ、人として信用、信頼できる、と思って頂けると思うのです。人様に要求、勧誘したことを、自分がお手本になって「やって見せる」からこそ、その要求や勧誘の内容に説得力が生まれ、人として信用、信頼できる、と思って頂けると思うのです。言うは易く、行うは難し。。。口自慢の仕事下手。。。Actions speak louder than words.「言うは易い」ことは自ら語らず、 「行うは難し」とされていることを自ら積極果敢に行為、行動として、お示しになられる方々の深く重みのあるお話やお志、ぶれることのない生き様にこそ、人様はついてくるのだと思うのです。そういう真実の人様に倣いたい。。。ついて行きたい。。。そういう真実の人様から学ばせて頂きたい。。。と私たちが思うように、私たち自身も、「言うは易く」を自ら語らず、「行うは難し」を積極果敢に行為、行動に起こそう、という心持ちと勇気をもって、日々を大切に生かさせて頂きたいものですね。自分に恥じることをしない。。。天から授かった良心に恥じることをしない。。。自分にも、他者にも、天にも、誠実、真面目。。。そういう心のあり方で、自分の言動に責任を持ち、言行一致に努める正々堂々とした生き様だからこそ、天は私たちをお守り下さるのだと思うのです。裏を変えさせて頂くと、 自分に恥じることをする。。。 良心に恥じることをする。。。 自分の言動に責任を持たない。。。 言行不一致。。。卑怯。。。など、自分にも、他者にも、天にも不誠実、不真面目な生き様であれば、天は私たちを守らない。。。否、守りようがないから、守れない。。。のだと思うのです。なぜ、天が私たちを守りようがないのか。。。守れないのか。。。天は、魂の修正や成長をさせて頂く為に、地上という修行の場と肉体、生を与えて頂いている私たちに、間違った生き方や誤った生き方をしないように、心の羅針盤として、 「何が正しいかその全てを知っている良心」を授けて下さっています。それにもかかわらず、良心に背く。。。良心に恥じる言動をする。。。それは、間違った生き方や誤った生き方を自ら選んでいるということでもあると思うのです。良心に従うのも自由。。。良心に背くのも自由。。。良心に従う選択をした責任は自分にあり。。。良心に背く選択をした責任は自分にあり。。。天は、 「良心に従って生きることによって、 魂の修正や成長ができます。」という道標を与えて下さっているが故に、良心に従って生きる者は守ることができても、良心に背くという選択をした者は、自ら間違った道、誤った道を選び、その責任は因果応報の法則で、自ら背負うことになるが故に、守りようがない。。。守ることができない。。。のだと思うのです。何の為に、天は私たちに良心を授けて下さっているのか。。。それを良く考えさせて頂くことが大切だと思うのです。時に、良心に従い、言行一致に努めて生かさせて頂いていても、中には目には見えない行動や努力もあると思うのです。とかく人は、自分の目に見えるものから、ものごとを判断してしまうことが多いと思うのです。それ故に、目には見えない行動や努力に気付かず、 「何の行動も起こしていない。。。信用できない。。。」 「何の努力もしていない。。。信頼できない。。。」などと受け留められてしまうことも多々あると思うのです。例え、他者の思い込みや決めつけによって、そのように受け留められることになってしまっても、 「自分は良心に従って、堂々と生きている!」 「言行一致に努めている!」 「自分の言動に責任を持っている!」と自分で分かっているのであれば、気にする必要はないと思うのです。また、人様にも目には見えない行動や努力があることを忘れず、人様の表面的な言動だけで、安易に「この人はこう言う人だ!」と思い込んだり、決めつけたりすることのないように、気を付けさせて頂くべきだと思うのです。自分がされて嫌なことは人様にもしない。。。自分がされて嬉しいことは人様にもさせて頂く。。。それもまた良心に従った堂々とした生き様だと思うのです。~~~~自分では、人様にご納得頂けるような何らかの具体的な行為や行動を起こしたり、人様のお手本になるようなことをしていないにもかかわらず、 「〇〇すべきだ!」 「〇〇すべきではない!」 「〇〇して下さい。」 「〇〇してはいけない!」 「〇〇に決まりました。」 「〇〇には反対だ!」 「〇〇がお薦めだよ♪」 「〇〇をしてみたら♪」などとご立派なことを並べ立てて、あれこれと人様に要求したり。。。都合良く人様を使役しようとしたり。。。人様に何かを勧めたり、誘いかけたり。。。そのようなことを仰られる方の様子をご覧になられている人様からすれば、 「そんなに言うなら自分でやってみろ!」 「そんなに言うなら、説得できるような態度で示せ!」 「自分でやっていないものを勧めるな!」と思ってしまうと思うのです。「そんなに言うなら自分でやってみろ!」「そんなに言うなら、説得できるような態度で示せ!」「自分でやっていないものを勧めるな!」などのご指摘を頂いた時に、地位や権力、肩書きなどにものを言わせて、お達者なお口から出てくる言葉で、終始弁解に努め、結局、何もしない、何もできない、何も行動しない、という厚顔無恥な姿勢から生まれる言動では、信頼されず、信用されず、終いには、必要とされなくなってしまうと思うのです。「そんなに言うなら自分でやってみろ!」「そんなに言うなら、説得できるような態度で示せ!」「自分でやっていないものを勧めるな!」などのご指摘を頂いた時に、それを真摯な姿勢でさせて頂くことが出来るような自分であることができるように、人様が見ていようといまいと、ぶれることなく、「言うは易く」を、自ら多くを語らず、「行うは難し」を、自分でできる事から行為、行動に起こさせて頂きつつも、日頃から自分の言動に責任を持って、自分の行いを律し、自分の心を正しながら生かさせて頂きたいものですね。行為、行動として何かをやって見せるだけでも、とても素晴らしいことだと思うのですが、それをやらせて頂く時の心構えや、やり方なども、人様の立場になって、謙虚な姿勢でさせて頂きたいものですね。人様を思い遣る心を持たせて頂き、自分に与えて頂いた特技や能力を、良心という人としてあるべき正しい心をもって、人様の為に役立てさせて頂いたり、人様にお喜び頂けるようなことをさせて頂く為に、「言行一致」で活かさせて頂いていれば、認めて欲しい、注目して欲しい、などと自らアピールしなくても、認めて下さる方は、心で認めて下さるものだと思うのです。 (そもそも、人生の目的は、人様に認めてもらうことではなく、 人様のお役に立たせて頂くこと、人様にお喜び頂けるようなことを させて頂くことだと思うのです。)自分の言葉と行動を一致させる「言行一致」も大切だと思うのですが、自分の良心の声のまま、自分らしく、ありのままの自分で生かさせて頂き、更に、勇気をもって、言葉と行動を伴わせて一致させることが大切だと思うのです。言うなれば、【良心言行一致】で生かさせて頂くことが、人としてあるべき正しい心の道であり、人としてあるべき誠実な姿勢であり、この世の自分という身を守る術であり、自分の心、そして魂を守る術であり、魂の喜ぶ生き方であり、天に続く道なのだと思うのです。天に続く道を歩ませて頂いていれば、お手本としてもお役に立たせて頂くことができると思うのです。源光「あなたの人生は、 あなたの思い描いた通りになるのですが、 行動を伴わない想像力は、 何の意味も持たないのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201601050000/「人生の目的は行動です。 法則でも、思想でもありません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201610020000/「人生を劇的に変えるもの、それが勘やひらめき。。 そしてそれを実行する勇気!!です。 勘やひらめきはあっても、実行する勇気が無いから、 失敗もしない代わりに成功もしないわけです。 」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201406280000/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201406280001/「人間のできることは、小さなことかも知れません。 でも、小さな一歩を踏み出さない限り、 次の二歩目、三歩目はなく、大いなる成長も 改革もありえないのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201305080000/「後世、人々がどのように、あなたを語ろうと 天はすべてを知っています。 日々、良心に恥じない言動で生きていきましょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201603240000/「いくら考えていても思考が堂々巡りするばかり。。 具体的に動けば 具体的な答が出ます。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201404170000/「人様に勧めたことは 自分も実践しなければ ただの法螺吹きですよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201510200000/「世間や社会にではなく、良心に従って、 自分に恥ずかしくないように生きることです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201412160001/ 「世の中から孤立してもいいと腹をきめて、自分を貫いていけば、 本当の意味でみんなの役に立ち、喜ばれる人になれるのです。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407130001/ 「誰からも認められなくても、 真面目、誠実、勤勉に、コツコツと 責任を果たしていく人に、天は、 偶然を装った必然で、運命の転機である出逢いと、 幸運の鍵を用意しています。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201306100000/「人には誇りが必要です。。。 苦難の時も、悲運の時も、貧困に喘ぐ時も。。。少数派の時も。。。 誇りを失った時が全てを失う時です。 良心に恥じない、美しき人でありましょう。」(ラクシュミーさん)「少数派といえども凛として生きることです。 むしろ少数派であることを誇りに。。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201609080000/「日々、手抜きなく、誠実に行動することが、 成功に達する最も確実な道です。」(ラクシュミーさん)「自分自身を裏切らないことですよ。 誠実な自分自身が、未来の結果として現れてくるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201608100000/「この世を生きてゆくには誠実の一語です。。 誠実とは何をするにも真心を尽くす事、 すなわちいつわらない事、あざむかない事です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201409190001/「人間として一番大切なのは、頭の良し悪しではなく、心の良し悪しです。 幸せになるのも頭の良し悪しではなく、心の良し悪しです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201404100000/「人が見ていようといまいと、 正しき言動の出来る人でありましょう。 天は全てを知っています。 地上での勝ち負けは、 大した問題ではないのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201310010000/「天は、全てを知っています。 何を考えたか、心の中までも。。 ですから心正しく生きなければ、 この世を去る時に大後悔するのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201209140000/「誰も見ていないようでも 全てを観ている存在があるのです。 あなたの日々の行動の全ては記録されているのです。 もちろん心の中で思ったことも。。。 良心に恥じることができるはずもありません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201506190000/
2016.11.15
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「人生において、多くの美しいものを手に入れた人は、 例外無く、多くの人を喜ばせた人なのです。 人生において、多くの汚いものを手に入れた人は、 例外無く、多くの人を苦しめた人なのです。」「最も多くの人を喜ばせたものが、 最も大きく栄えるのです。 最も多くの人を苦しめたものが、 最も大きく苦しむのです。」自分の人様に対する心のあり方や接し方、言動は、因果応報の法則によって巡り巡って、今度は、自分が人様にしたのと同じようなことを、人様からされるという形で返って来るのだと思うのです。人様に真心込めて親切にさせて頂けば、人様から真心ある親切をして頂ける。。。人様を下心ある表面的な親切で騙せば、人様から下心ある表面的な親切をで騙される。。。人様を思い遣り、優しくさせて頂けば、人様が気を遣って下さり、優しくして下さる。。。人様に不親切にすれば、人様から不親切にされる。。。人様を喜ばせて笑顔にさせれば、人様から自分が喜ぶようなことをして頂き、自分も笑顔に。。。 (相手が喜び笑顔になって下さったことで、 自分も喜びを感じ、笑顔になる。。。)人様を傷つければ、人様から傷つけられる。。。人様の悪口、陰口、批判、誹謗中傷をすれば、人様から悪口、陰口、批判、誹謗中傷をされることに。。。人様が助けを求めている時に手を差し伸べれば、自分が助けを必要としている時に人様が手を差し伸べて下さる。。。人様を偽り、欺き、騙し、裏切り、苦しめれば、人様に偽られ、欺かれ、騙され、裏切られ、苦しめられることに。。。人様に誠実に、真面目に、素直に接すれば、人様も誠実に、真面目に、素直に接して下さる。。。自分の人様に対する心のあり方が、人様の自分に対する心のあり方になる。。。自分の人様に対する接し方や言動が、人様の自分に対する接し方や言動になる。。。単純にそれだけのことだと思うのです。だからこそ、 自分がされて嬉しいことは、 人様にも積極的にさせて頂く。。。 自分がされて嬉しくないことは、 人様にも決してしないようにさせて頂く。。。という心持ちで生かさせて頂きたいものですね。----「今」の自分。。。それは、今生において、様々な境遇を経た過去があるからこその「今」の自分であると同時に、私たちの本質である魂の視点から見れば、幾度も輪廻転生を繰り返してきた過去生があるからこその今生の自分、「今」の自分なのだと思うのです。今生や過去生において与えて頂いた様々な境遇を、 どのような心のあり方で。。。 どのような言動をして。。。 どのような生き方をして、。。。 どのようなことをしてきたのか。。。その蓄積の結果が、「今」の自分の心のあり方、言動、生き方、行いや「今」の自分を取り巻く環境や境遇、出逢いの元、になっているのだと思うのです。「今」の自分は、今生における過去の自分や、過去生の自分そのものを表している、ということだと思うのです。それを因果応報というのだと思うのです。因果応報。。。それが善行であろうと、悪行であろうと、自分がした行いの報いは、巡り巡って自分に還って来る。。。自分が蒔いた種さんは、本人の意思に関係なく、自分で刈り取ることになる。。。過去の自分の行いの報いは、現在や未来の自分に還ってくる。。。現在の自分の行いの報いは、未来の自分に還ってくる。。。同じように、過去生の自分の行いの報いは、今生や来世の自分に還ってくる。。。今生の自分の行いの報いは、今生や来世の自分に還ってくる。。。のだと思うのです。 (過去生を生きてきた魂の兄弟の行いの報いは、 今生を生かさせて頂いている自分に。。。 今生を活かさせて頂いている自分の行いの報いは、 来世を生きる魂の兄弟に。。。 魂の兄弟は、6つで1つ。 代表的存在の本霊さんは、代表であるが故に、 残り5/6の分霊さんたちの行いの報いを受けることに。。。 そういうことなのだと思うのです。)過去の善行は、徳となって、現在や未来の良いことに♪過去の悪行は、業となって、現在や未来の試練や苦難に。。。現在の善行は、徳となって、未来の良いことに♪現在の悪行は、業となって、未来の試練や苦難に。。。人様が喜ぶ言動をさせて頂けば、巡り巡って、自分が喜ぶことが返ってくる。。。人様が嫌がる言動をすれば、巡り巡って、自分が嫌な思いをする。。。人様に対する自分の言動を覚えていようといまいと、その言動に相応しいことが巡り巡ってくる。。。因果応報は、単純にこういうことなのだと思うです。良心に常に従って天に続く道を歩ませて頂こうと、良心に背き、邪念や悪に心を支配されようと、どちらを選択するのも私たちの自由。。。自由であるが故に、自ら選択したことに対する責任は、自分でとらせて頂くことが筋。。。例え、責任逃れをしようとしても、この世的に責任逃れが出来たとしても、私たちの本質である魂が負うべき責任は、本人の意思に関係なく背負わせて頂くことに。。。天は私たちの表面的な言動ではなく、その言動の元になっている私たちの内面である心のあり方こそご覧になられており、その全てを見透かしていらっしゃられると思うのです。だからこそ、日頃から良心に従って、自分に恥じない生き方、良心に恥じない生き方、天に恥じない生き方をさせて頂くことを常とさせて頂きたいものですね。自分一人で生かさせて頂いているわけではない私たち。。。人様を思い遣る心を持たせて頂くことを忘れず、自分の心のあり方や言動に気を配りながら、過ごさせて頂きたいものですね。--------【善因善果】「良いこと」という善果は、善行という徳を積ませて頂くことから生まれるものだと思うのです。善行は積むもの。「積む」は、繰り返し行うこと、蓄えること、貯めること。。。繰り返し行うことも、蓄えることも、貯めることも、コツコツとした地味で地道な努力が必要な行いだと思うのです。地味で地道な努力が必要な行いをコツコツと積み重ねさせて頂くことによって、何ごとがあっても揺らがない心、ぶれない心が育まれ、更にゆっくりと磨かれ、美しい心が築かれていくのだと思うのです。同じ「善行」でも、色々あると思うのです。純粋な心から生まれる善意による善行もあれば、何らかの見返りを求める下心から生まれる「表面的」「見せ掛けだけ」の善行もあると思うのです。当初は、純粋な心から生まれる善意で善行をさせて頂いていても、時間の経過とともに、何らかの見返りを求めるようになってしまうことも、無きにしも非ずだと思うのです。人の心はそれくらいに移ろい易いものだと思うのです。それ故に、天の立場になって観させて頂くと、人の善行の真意をゆっくりと見極めさせて頂く時間が必要ということでもあると思うのです。それほどまでに天にお見守り頂いている私たちは、天に心から感謝させて頂きながら、天(天法)にも、自分にも恥じることのないよう、良心に従って、コツコツと、地道に善行を積ませて頂きながら、生かさせて頂いていれば、それで良いのだと思うのです。いつの日か、自分の行いの積み重ねを真の「善」として、天がお認め下さったときに「良いこと」が降ってくるのだと思うのですが、それは私たちが天に要求するようなものではないが故に、それを期待することなく、ただただ善行を積み重ねさせて頂いていればそれで良いのだと思うのです。--------【悪因悪果】「悪いこと」という悪果は、悪行という業を積むことから生まれるものだと思うのです。悪行は耽るもの。「耽る」は、一つのものごとに熱中すること。。。見方を変えさせて頂くと、周りが見えなくなる。。。見えなくさせられている。。。ということでもあると思うのです。自ら抱いた邪念や、その邪念によって引き寄せられた悪魔に心を支配され、悪行に耽ってしまう。。。悪行をさせているのが、自ら抱いた邪念や、その邪念によって自ら引き寄せた悪魔であったとしても、 その邪念を生み出しているのは自分自身。。。 悪魔を引き寄せるような邪念を生み出したのも自分自身。。。であることを考えると、悪行の責任の所在は、やはり自分にあると思うのです。例え、自分勝手な自分基準によるものごとの見方で、どんなにか「これは悪行ではない!」と主張しても、「これは悪行ではない!」とする言動を生み出した時の心のあり方が良心に背いていたり、天法に外れた言動であったことさえも見透かされていれば、もはや弁解の余地はないと思うのです。自分の悪行に対して、悪果という報いを受けるのは、過去に自分が人様にしてしまった言動により、人様を苦しめ、悩ませ、悲しませるなど、人様がどのような思いをされたのか。。。それを自ら体験させて頂くことを通じて、過去の自分が如何に酷いことをしてきたかを自ら知り、心から反省し、心のあり方を正させて頂くことに、その目的があるのだと思うのです。とはいえ、心から反省させて頂くことができ、心のあり方が美しく正しくなっただけでは、それは自分だけのことで、自分の言動により人様を苦しめ、悩ませ、悲しませた、という悪行から生じた業は償われていないと思うのです。その業を償わさせて(清算させて)頂く為には、その逆のことをさせて頂けば良いと思うのです。それが、 【人様のお役に立つことをさせて頂くこと】 【人様にお喜び頂けることをさせて頂くこと】なのだと思うのです。【人様のお役に立つことをさせて頂くこと】や【人様にお喜び頂けることをさせて頂くこと】は、人様の喜びを自分の喜びとさせて頂く、という利他心であり、奉仕の心そのものだと思うのです。自分一人で生かさせて頂いているわけではない私たち故に、人様を思い遣る心を持たせて頂き、人様のお役に立つことや、人様にお喜び頂けることをさせて頂く、という自らの善行によって、不完全な私たちが自ら積んでしまった業を、解消・清算させて頂くことができるのだと思うのです。だからこそ、天から授かった【何が正しいかその全てを知っている良心】に従って、人様にお喜び頂き、笑顔になって頂けるように、【人様のお役に立つこと】や【人様にお喜び頂けること】を積極的にさせて頂くことが大切なのだと思うのです。業を積んでしまうのは、良心に背き、「自分さえ良ければそれで良い。」という利己心で、自分がされて嬉しくない悪行を人様にしてしまうから。。。徳を積ませて頂くことができるのは、良心に従って、「人様に喜んで頂けたら自分も嬉しいなぁ♪」という利他心で、自分がされて嬉しいと感じるような善行を人様にさせて頂くから。。。積んでしまった業を解消・清算できるのは、改心と善行。。。そのことを忘れずに、日々の自分の心のあり方や言動に気を付けながら過ごさせて頂きたいものですね。 天や自分に恥じることのない心のあり方や言動をしているか。。。天や自分の魂が喜ぶような心のあり方や言動をしているか。。。天が地上の私たちをいつも観て下さっているように、自分で自分の心のあり方や言動を、冷静に、客観的に、俯瞰させて頂くことを通じて自分を観察し、自分を律し、正すべきを正させて頂くことが大切だと思うのです。源光「人は、他に対し善を行っている時、 自らに対して 最善を行っているのです。」 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201206140000/ (裏を変えさせて頂くと、 人は、他に対し悪を行っている時、 自らに対して最悪を行っているのです。。。 ということになると思うのです。)「他人にしたことは、 思いもしない時に、全然違うところから 全部自分に返ってきます。 良いことも悪いことも。。。 このことがわかっている人が 人生を踏み外すわけがないのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201609020000/「あなたが扱われたいように、他人を扱いなさい。 汝が隣人からされたくないことを隣人に行ってはならない。 隣人を自分自身として見ることで、 人は正しい基準を得ることが出来る。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201107150001/「真心をもって人を助ければ、 必ず自分も人から助けられるのです。 嫌な思いを他人にさせれば、 必ず自分も人から嫌な思いを返されるのです。」 (ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408100000/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408100001/「あなたの今は、過去の蓄積です。 今が良かろうと悪かろうと。。。 あるべくして今日の自分があるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201604220000/「原因なしに起きる結果は絶対にないのです。 蒔かぬ種は絶対に生えないが、 蒔いた種は必ず生えるのです。 種の種類によるのです。 善の種を蒔くことですよ。 悪の種など絶対に撒いてはいけません。 芥子の花が咲きますから。。」 (ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201602250000/「身の回りで起こる、どんな良い事も悪い事も、 自分に無縁なものはありません。 全てに原因があるのですから、 今から善因の種を撒いて生きていけばよいのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312200000/「原因のない結果はありません。 原因を探求し続ける力が、 人を発見者にも偉人にも 成功者にも覚者にもするのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201405040000/「人はある運命に出会う以前に 自分がその運命の種を蒔いているのです。 良運の種も、悪運の種も。。。。 過去の自分が蒔いたのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201509100000/ 「あなたの現在の人生は、 過去の選択の結果です。 同じことは、あなたの未来にもあてはまるのです。 良心に恥じない自分であればよいのです。 触れ合う人の喜びを我が喜びにして生きていけばよいのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201409140000/「地上は、自由にしていられる場として創られたのです。 ですから善行をするも悪行をするも自由です。 ただ因果応報の法則が働く。。。 前世の善行や習得した技術は今世の才能として持ち越しています。 今世、修正出来なかった業は次に持ち越される。 ただそれだけのこと。。。全て自分の責任です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201508090000/「瑞々しい感性で生きて行く人は、 ずっと青春時代を生きることができます。 愛と勇気と希望を持って触れ合う人々を元気に明るくして行く人は、 ずっと幸運の時代を生きることができます。 妬み、そねみ、恨み、ツラミで、自己中心に生きて行く人は、 ずっと暗黒の時代を生きることになります。 どの道も自由に選択することが出来ますし、 途中で道を変更することも自由です。 神仏は静かに見守って、その人の自主性に任せます。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201310310000/ 「地上では、良心に従って進むと、損をして、 この世的価値観では、失敗のように見えるものが多いのですが、 実は、天の蔵に大いなる宝を積み上げていた!! こういうことはこの世を去るときに誰もが経験することです。 地上に肉体を持つのは、瞬きをするくらいの時間ですから、 欲に翻弄されて、自分を見失うほど時間の浪費はありません。 」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201209060000/「悪と善。。両面を持つのが人間です。 悪が無ければ善の何たるかも分かりません。 また必要悪というものも存在します。 ある場面では悪い人と思っても、 違う場面では良い人のこともあります。 その逆もあり、善人悪人の区別はできるものではありません。 しかし誰もが持って産まれた良心という鏡に照らして行動するならば、 人は決して悪の道に迷い込むことは無いのです。 良心の道は天啓を得る唯一の道ですよ。 真っ直ぐに天に続く道を歩んでいきましょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311100000/ 「現在うまくいっているとしても 本当は間違った事をしていると、 心の底で分かっているなら、すぐに止めることです。 現在うまくいかないとしても 良心に恥ない正しい事をしていると 心の底でわかっているなら、諦めず継続していきましょう。 正しい努力だけが真の幸せを運んでくるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311210000/「この世で苦しむ人は、全て利己を図った為である。 この世を楽しめる人は、総て利他を望んだ為である。」(ビシュヌさんの分霊さん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201201280000/「偽物の幸福は快楽を与え、 醜悪と高慢を供えますが、 本物の幸福は歓喜を与えて、 智慧と慈悲を具えるのです。」 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201206110000/ 「人様の喜ぶ姿をイメージして無心に、奉仕して下さい。 それが限りなく天に通じる生き方ですから。。」 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201209220000/「不幸になっていく人は、自分の喜びばかりを考えているのです。 人を喜ばせることを考えて生きていきましょう。」 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201207180000/「触れ合う人達に喜んで頂く時、その人の心は最高の高みに達しているのです。」 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201203300000/「最も残酷な罪は、宗教の名の下に行われます。 最も美しい行為は、愛の名の下に行われます。」 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201205190000/「人を喜ばせたいし、助けたい。 そういう人間になれば、幸運が舞い降りるであろう。」 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201108060000/ 「優しい心で生きる時に聞こえる声は真実の声ですが、 邪念を持った時に聞こえる声は、偽りの声です。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201205030000/
2016.11.14
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「受け取る愛は、与えた愛に等しいのです。 何も与えていないから不幸せなのです。 一方的に与えているから幸せなのです。」「無償の愛なしに真の幸福は得られないのです。。。 見返りを求めない 無償の愛があれば永続する不幸はありえません。 絶対にあり得ないのです。」「光そのもの。。。 それが本当の神仏です。 あなたの笑顔が私の喜びです。 無償の愛に勝るラッキーがこの世にあるはずもないのです。」「愛」は、愛に始まり、愛に終わるのではなく、 いつ何時も満ち溢れているのだと思うのです。「愛」によって、この世という修業の場を与えて頂き、「愛」によって、この世に生まれる機会を与えて頂き、「愛」の下にこの世に生まれ、日々「無償の愛」によって、日々をお見守り頂いている私たち。。。私たちがそれを感じようと感じまいと、「愛」を常に与えて頂いている私たち。。。その「愛」によって愛されている私たち。。。自分に降り注がれている「愛」は、独り占めしようとする必要はないと思うのです。独り占めしようと思っても、独り占めできるような降り注がれ方ではなく、 常に「愛」の中で生かさせて頂いている。。。 常に「愛」で満たされている。。。ほどに降り注がれているが故に、どんなにか自分に注がれている「愛」を、人様や社会の為に活かさせて頂いても、「愛」は決して減ることはなく、常に満たされていると思うのです。むしろ、自分に注がれている「愛」を人様や社会の為に活かさないと、ただ「愛」を溢れさせてしまうだけで、宝の持ち腐れになってしまい、勿体ないことをしているだけだと思うのです。天から降り注がれている「愛」は、天から直接的に自分に降り注がれている「愛」もあれば、どなた様かに降り注がれた「愛」が、様々な人々の「愛」を経由し、様々な「愛」の経験を積んだ、様々な「愛」の形となって、自分に巡ってくることもあると思うのです。自分の「愛」を他者に与えているようで、実は、他者から与えて頂いている「愛」もあれば。。。他者から「愛」を与えて頂いているようで、実は、自分が他者に与えている「愛」もあり。。。自分が一方的に「愛」を差し出しているつもりでも、差し出すことが出来る「愛」があるということは、どこかから「愛」を与えて頂いているからこそ、差し出すことが出来る、ということでもあると思うのです。日頃、そのようなことを意識していなくても、そこここに愛の繋がりがあると思うのです。否、全てが愛の繋がりの結果なのだと思うのです。その愛の繋がりは、昨日今日に始まったものではなく、人知の及ばない遥か彼方から届いている夜空の輝きであるお星様の光のように、古くから「愛の光」として受け継がれている「愛」に、新たな一日を迎えると共に、お天道様によって降り注がれる「愛」が新しい息吹を吹き込んで、「愛」の繋がりを育んで下さっているのだと思うのです。それ故に尽きることがないのだと思うのです。尽きることがない「愛」だからこそ、自分に降り注がれている「愛」や、その「愛」から育まれた自らの「愛」は、人様や他の為にどんどん活かさせて頂けば良いと思うのです。それを「愛する」というのだと思うのです。人様を愛する。。。動植物さんを愛する。。。自然を愛する。。。全てを愛する。。。愛を形にする。。。「愛」は尽きることがないが故に、どんなにか多くの存在を「愛する」ことをしても、失うものは何もないと思うのです。だからこそ、何も心配せずに、私たちに降り注がれている「愛」を、他を「愛する」ことに活かさせて頂けば良いと思うのです。お互いがお互いに愛を与え、お互いがお互いによって愛を与えられるという「与え合う」その様を「愛し合う」というのだと思うのです。各々の「愛」を、各々を「愛する」ことに活かす「愛し合う」というその美しい心のあり方や美しい育みは、私たちに「愛」を与え続けて下さっている天が、地上で修業をさせて頂いている私たちに教えて下さっている愛の心そのものなのだと思うのです。愛をもって生かさせて頂く。。。何ごとをさせて頂くにも愛(心)を込めさせて頂く。。。何ものも愛させて頂く。。。という愛の心で生かさせて頂くことは、私たちの本質である魂が喜ぶ生き方であるだけでなく、天がお喜び下さる生き方でもあると思うのです。そして、それは、「愛の心」で生かさせて頂くことの美しさを、自ら「無償の愛」を降り注ぎ続けることを通じて教え続けて下さっている天に対する恩返しにもなるのだと思うのです。----天は、私たちに「無償の愛」を与え続けて下さりますが、私たちに恩着せがましくすることもなければ、出し惜しみをするどころか、与え続けて下さっている。。。見返りを求めるどころか、私たちの幸せの為に与え続けて下さっている。。。天が教えて下さる「愛」の姿だと思うのです。本当の愛は、 相手の全てを受け入れること。。。 何らの見返りも求めずに、与えること。与え続けること。。。 give & take ではなく、give & give で与え尽くすこと。。。をいうのだと思うのです。「愛」はただただ与え尽くすもの故に、相手の方がそれを受け入れて下さろうと、受け入れて下さるまいとそれは相手の方の自由。。。それ故に、愛の心をもって人様に接した時に、それが相手に伝わらなくても悲しむことはないと思うのです。自分が与えた愛を理解して欲しいという、「見返り」を求めている give & take の「愛」ではない姿勢故に、悲しむのだと思うのです。十人十色。。。千差万別。。。「愛」は、伝わる方には伝わり、 伝わらない方には伝わらないもの。。。それはそれで良いと思うのです。天は、地上の私たちがそれを知ろうと知るまいと、それを感じようと感じまいと、ただただ「無償の愛」を降り注いで下さっています。私たちも天と同じようにさせて頂けば良いのだと思うのです。ただただ愛の心で生かさせて頂く。。。ただただ愛(心)を込めさせて頂く。。。ただただ愛する。。。そういう心のあり方で、「愛」を実践させて頂くからこそ、天から降り注がれている愛を感じ、愛に満ち、愛に包まれて、生かさせて頂くことができるのだと思うのです。そして、天に帰還させて頂くときは、その心のあり方に相応しい「愛」に包まれた美しい場所に帰還させて頂くことになるのだと思うのです。----「与える」ことは、とても美しいことだと思うのです。ただただ 「お喜び頂ければ♪」 「お役立て頂ければ♪」という思いでさせて頂く「与える」という行為は、日々、私たちが絶え間なく与えて頂いている天の無償の愛と同じだと思うのです。天の無償の愛と同じだからこそ、美しい行為なのだと思うのです。そのような美しい行為をさせて頂くことは、天に通じる生き方故に、どんどん心が満たされ、幸せになっていくのだと思うのです。行為こそ美しく見えるものであったとしても、中には、「与える」ことについて、 押し付けがましくなったり。。。 恩着せがましくなったり。。。 半ば強制的になったり。。。 見返りを期待したり、要求したり。。。 感謝を要求したり。。。 言葉巧みに受け取らせようとしたり。。。する方もいらっしゃると思うのです。天は地上の私たちに絶え間なく無償の愛を与え続けて下さっていますが、無償の愛を与えて下さっているからと言って、地上の私たちに何かを要求することも無く、ただただ与え尽くして下さっていると思うのです。せっかく「与える」という素敵な行為をしていても、それが 自己満足の為。。。 相手からの見返りを期待する。。。 相手に何かを要求したい下心がある。。。などの思いが原動力となっていては、美しい行為とは言えないと思うのです。「与える」ときは、天が与えて下さる無償の愛のように相手を思い遣る純粋な気持ちで。。。 「与えて頂く」ときは、感謝の心で相手の純粋なお気持ちを汲ませて頂き、相手の美しい心と、その美しい心を乗せた「もの」を有り難く拝受させて頂く。。。そういう自分でありたいものですね。----私たちは、自分の魂の修正や成長の為、つまり、「自分の為」に生まれてきているのにもかかわらず、「自分の為」に何かをするのではなく、「自分の為」という利害から自分を切り離して、過去から培ってきた自分の特技や能力を、「触れ合う方」のお役に立つことや、「触れ合う方」にお喜び頂けることなど、自分に出来ることを「与える(差し上げる)」。。。人様を思い遣る優しい心、温かい心、大きな心、豊かな心を「与える(差し上げる)」。。。ことを通じて、真の「幸せ」を感じることができるのだと思うのです。そして、それが真の奉仕の仕方なのだと思うのです。「触れ合う方」のお役に立たせて頂けることや、お喜び頂けることをさせて頂くことによって、「幸せ」を感じているのは自分であれど、その「幸せ」を与えて下さっているのは、「触れ合う方」だと思うのです。「触れ合う方」の存在がなければ、お役に立たせて頂くことができない。。。お喜び頂けるようなことをさせて頂くことができない。。。自分の特技や能力を活かせない。。。など、「させて頂くこと」「与えること」が何もなくなってしまうと思うのです。「触れ合う方」が存在して下さっているお陰様で、「触れ合う方」のお役に立たせて頂くことができる。。。「触れ合う方」に喜んで頂けるようなことをすることができる。。。自分の特技や能力を活かさせて頂くことができる。。。故に、「与える(差し上げる)」ことや、「~をさせて頂ける」ことは、とても有り難いことなのだと思うのです。そのように考えさせて頂くと、 「~してやっている」などのような、押し付けがましい発想や言動は生まれないと思うのです。自分で「触れ合う方」の為に、何かをさせて頂いていたつもりが、「触れ合う方」が存在して下さっているからこそ、実は「幸せ」を与えて頂いている。。。ということを忘れずに生かさせて頂きたいものですね。とはいえ、 「触れ合う方の為に何かをさせて頂けば、 (触れ合う方の為に何かをしてやれば) 自分が幸せになれるんだ」等という下心や邪な考えをもって、 「触れ合う方」に何かをさせて頂くのではなく、 「触れ合う方にお喜び頂けたら自分も嬉しい。」 「触れ合う方のお役に立たせて頂けたら自分も嬉しい」」という純粋な気持ちや思い遣りの心や心配りで、「触れ合う方」に何かをさせて頂こうという姿勢でありたいものですね。「何かをさせて頂く(何かを与える)」といっても、見返りを求めるような give & take ではなく、与えつくす give & give の心で生かさせて頂くことが大切だと思うのです。なぜなら、自分が求めていなくとも、「喜び」を与えて頂いている、ということは良くあるからです。 (それに気づいていない自分がいる、 ということも良くあると思うのですが。。。)「今ある自分」というのは、「今ある自分」に至るまでに、触れ合いを頂いた多くの方々からの愛やお心遣いや智慧や知識や助けなどを与えて頂いてきたからこその「今ある自分」だと思うのです。つまり、「触れ合う方の為」に何かをさせて頂くという心持ちや行いは、一見「与える」だけに見えるものですが、実は、今まで自分が与え続けて頂いたことに対する「恩返し(報恩)」にもなっているのだと思うのです。 (報恩は奉仕でもあり、奉仕は報恩でもあると思うのです。)「今ある自分」が生き続けさせて頂いているということは、生き続けている間は、これから触れ合いを頂くであろう方々から沢山のものを与えて頂くことになる、ということでもあると思うのです。そのように考えれば、「触れ合う方の為」に何かをさせて頂く、何かを与える(差し上げる)という人様を思い遣る心やその心から生まれる行動は、過去の自分が与えて頂いたことに対する「恩返し(報恩)」としてだけではなく、未来の自分が与えて頂くであろうことに対する「恩返し(報恩)」を先にさせて頂く、くらいの気持ちで、「触れ合う方」のお役に立たせて頂けることや「触れ合う方」にお喜び頂けることをさせて頂きたいものですね。人様の喜びや幸せの中に、自分の喜びや幸せを見出す。。。人様にお喜び頂けたとき、その人様の喜ぶ姿や笑顔を見て、自分も喜びを感じ、自分も笑顔になると思うのです。自分に「喜び」を与えて下さっているのは、その人様の喜びですが、その人様の喜びが生まれたのは、「人様にお喜び頂けたら。。。」という思いで、その人様を思い遣り、その人様の為に何かをし、何かを与えた自分の心のあり方と行いがあるからこそだと思うのです。人様にお喜び頂けるだけでも幸せなのに、自分も喜びを感じて幸せに。。。人様の為に与えた愛や、人様の為に愛を以てさせて頂いたことは、巡り巡って、自分の喜びや幸せという、自分が受け取る愛になって、返って来る のだと思うのです。だからこそ、決して見返りを求めるような下心を抱くことなく、give & give の心で、愛の心や愛ある行いを与え尽くさせて頂きたいものですね。。。天が私たちに無償の愛を与え続けて下さっているように。。。源光「愛は幸運の財布です。 与えれば与えるほど中身が増えていく 笑顔と喜びと幸運そして財運の財布です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201510180000/「一生を終えて後に残るのは、 あなたが集めたものではなくて、 あなたが与えたものなのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201505190000/ 「他人のための行いにこそ価値があります。 無償の愛。。それが人生の重要な秘訣のひとつです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201406020001/「汝は、他人に幸福を分け与えることにより、 それと正比例して、自分の幸福を増加させることができる。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201112300000/「これを人に与えれば、私は何も食べられない。 このように考える者は、利己で餓鬼に生まれる。 これを私が食べれば、人に何も与えられない。 このように考える者は、利他で神々に生まれる。」(ビシュヌさんの分霊さん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201201310000/「人は、他に対し善を行っている時、 自らに対して最善を行っているのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201206140000/「自分の幸福を人さまに分け与えましょう。。 この最高の手段を身につけている人は、 幸福を永久に持続させることができます。 」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201404210000/「不幸になっていく人は、自分の喜びばかりを考えているのです。 人を喜ばせることを考えて生きていきましょう。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201207180000/「人の価値とは、その人が得たものではなく、 その人が与えたもので測られるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201510260000/「与える手は、どの手も美しいのです。 与えることは、自らを輝かせます。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201207050000/「触れ合う人に笑顔でプレゼントをしてください。 大切なのは、高価なものを与えたか。。 どれだけ多くを与えたかではなく、 どれだけ愛をこめたかです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201405010000/「思い残すことなく人を愛してください。 愛に優る美しいものは世界に存在しないのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201605200000/「人が天から魂をさずかっているのは、 触れ合う人々を愛するためである。 全世界の人々を愛するためである。 憎しみ合うためではない。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201108020000/「他人のための行いにこそ価値があります。 無償の愛。。それが人生の重要な秘訣のひとつです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201406020001/「人は心の美しさと、いかに生前、人様のお役に立てたか?で、 こちらの住む場所が決まるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201210160000/「最も美しい行為は、愛の名の下に行われます。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201205190000/「愛することによって失うものは何もないのです。 もっと家族を、そして人を、動物を、植物を、 自然を愛さなければなりません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201404150000/「虚しいとは、誰も愛せないという苦しみ。。 地獄とは、自分を愛せないという苦しみです。。 とにかく愛することから始めるのです。。 それは動物でもいいのです。。 心の底から愛することです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407180000/
2016.11.13
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「運命を避けようとして 自ら選択した道で、 人は真実の運命と出会うのです。 先天的運命に流されないことです。。。 私の人生こんなもの。。。と諦めないでください。」「自分の心の中で成長するもの。。。 それが運命です。 最初から決まっているものでも 後から与えられるものでもありません。」「自分の運を信ずる人くらい 運の良い人はいません。 置かれている環境ではありません。 運は自分で引き寄せることができます。」「あなたの人生はこんなものでは終わらないのです。 あなたは諦めの境地のつもりかも知れませんが、 潜在意識は全く諦めていないのです。 眠りから覚めて行動するときは今でしょう!!」「自分の心と対話してください。 幸運も不運も、自分の心の中に住んでいるのです。。。 対外的問題ではありません。 正しい思考をしていますか。。。 自暴自棄になって自分を痛めつけていませんか?」「〇〇だから、〇〇できない。。。」「〇〇できない」という理由を、自分以外の「何か」のせいにしたり、自分で自分を納得させたり、自分で自分に弁解する為に、先天的運命のせいにすることがあると思うのです。しかしながら、「〇〇できない」本当の理由は、自分以外の「何か」のせいにしたり、先天的運命のせいにしてしまう自分の心のあり方そのものにあると思うのです。「〇〇できない」というよりも、むしろ「〇〇したい」と思っていても、それをしようとしない自分や、やってもいないのに、それをできないと決めつけている自分がいる。。。「〇〇できる」にもかかわらず、それをしたくない自分がいる。。。のだと思うのです。自分の「したいこと」や「できること」があるにもかかわらず、それを自ら「〇〇しない」ように仕向けたり、自ら「〇〇できない」ように仕向けたりしている自分がいるのだと思うのです。それ故に、したいことさえしなくなる、出来ることさえ出来なくなる、という悪循環に陥ってしまうのだと思うのです。ということは、逆の発想をさせて頂けば良いと思うのです。「できる」と思っているからこそ、「できる」と信じているからこそ、「できる」ということでもあると思うのです。魂の修正や成長をさせて頂く為にこの世という修行の場を与えて頂き、生かさせて頂いている私たち故に、 「出来るかどうかわからない」という自分勝手な自分基準による判断で自分の無限の可能性の道を閉ざすことなく、 「とりあえずやってみよう!」 「やってみなければわからない!」という 心のあり方で生かさせて頂きたいものですね。「〇〇をやってみよう! やってみるべきだからこそ、 〇〇をする機会を与えて頂いているに違いない!」「自分にも出来るかもしれない! コツコツと努力していれば、いつかできるからこそ、 挑戦し、努力する機会を与えて頂いているに違いない!」「やらないで後悔しても道は拓けないが、 やって失敗して後悔したときは道が拓ける! 失敗は成功の元だから!」「やらない理由を考えて、自分に弁解する時間があるなら、 その時間を〇〇をやることに当てた方が楽しいはずだ!」数ある選択肢の中から、自分らしく、自分に正直な気持ちで、積極的、肯定的、前向き、楽観的な心のあり方で、自ら決意し、勇気をもって歩み始め、自由に羽ばたくからこそ、真実の運命に巡り合うのだと思うのです。反対に、数ある選択肢の中から、自分で自分の本心を偽り、欺き、騙すなど、消極的、否定的、後向き、悲観的な心のあり方で、暗い世界に逃げ込んだり、自分の殻に閉じこもるからこそ、先天的運命や他者に引きずられたり、「私の人生はこんなもの。。。」として、諦めてしまうのだと思うのです。 (諦めているのは、自分でも、 私たちの本質である魂は、決して諦めていないと思うのです。 なぜなら、魂の修正や成長をさせて頂く為に、 地上という修行の場に生まれるという、 貴重な機会を与えて頂いていること。。。 地上でしか修行ができないこと。。。 を私たちの本質である魂は良く知っているからです。どちらの心のあり方で生きるのか。。。どちらの道を歩んでいくのか。。。それは自分次第だと思うのです。自分次第だからこそ、自分の運命は、自分の心のあり方や努力次第で、自分の思い通りにすることができるのだと思うのです。 (同じ運命でも、生まれる前から決まっている「宿命」は、 自分と関わりのある方々との兼ね合いがあるが故に、 自分の意思だけではどうにもならないもの。。。 それ故に、宿命は変えられないものだと思うのです。)命を運ぶと書く「運命」。。。自分の命は、自分で運ぶものであるが故に、自分がすべきこと、自分ができることをする、ということを、良心に従って、地道に、誠実に、真面目に、努力し、信念を持って、取り組ませて頂くことによって、切り拓かれていくものなのだと思うのです。運命を切り拓いていく。。。同じ「運命」でも、切り拓いた従前従後では、その「運命」のキャパシティーが異なると思うのです。従前の運命を切り拓いたり、乗り越えなければ、いつまでも従前の運命のままだと思うのですが、従前の運命を切り拓かせて頂き、それを乗り越えさせて頂くことによって、従後の運命が新たに構築されるのだと思うのです。その新たに構築された従後の運命もまた、自分の努力次第で切り拓いたり、乗り越えさせて頂くことができるものなのだと思うのです。そのようなことを繰り返しながら、段階的に運命を切り拓いていくことが、運命を超える、ということなのだと思うのです。そうやって自分がすべきこと、自分ができることのキャパシティーが少しづつ広がったり、大きな心、豊かな心が育まれたりしていくのだと思うのです。更に、人様のお役に立つことや、人様にお喜び頂けることをさせて頂けることのキャパシティーも大きくなっていくのだと思うのです。そしてまた運命を切り拓き、運命を超えていく。。。その繰り返しなのだと思うのです。 (反対に、自分がすべきことをしない。。。 自分が出来ることもしない。。。 何かを目指す「志」もない。。。 人様のお役に立とうとも立ちたいとも思わない。。。 人様に喜んで頂けることをしようともしたいとも思わない。。。 それでは、自ら運命を切り拓くことができないが故に、 他によって自分の運命が引きずられていくのだと思うのです。 附和雷同。。。 長い物には巻かれよ。。。 事勿れ主義。。。 人様の顔色を見て行動。。。 無関心。。。 などのように、「自分」という意識を 与えて頂いているにもかかわらず、 「自分」だけの特技や能力を与えて頂いているにもかかわらず、 「自分らしく」く生きていないからこそ、 自分の運命が引きずられる、のだと思うのです。)運命の過程において与えられる「運」は、 「運は天にあり」 「運を天に任せる」という言葉があるように、こちらから天に要求するようなものではなく、天のご意志にお任せするものなのだと思うのです。 (「神仏は尊し。されど神仏に頼らず。」(宮本武蔵さん) ~神仏は尊し。ゆえに神仏を頼らず。~)天は「天法」。。。天法の生き写しである「良心」。。。ということは、「運は天にあり」は、「運は良心にあり」。。。「運を天に任せる」は、「運を良心に任せる」。。。と言い換えることが出来ると思うのです。だからこそ、いつも良心に素直に従って、自分の信じる道、自分が志す道、自分の本質である魂が喜ぶ道を歩ませて頂きたいものですね。=良心に素直に従って生かさせて頂く==天に通じる道に導いて頂いている=ということなのだと思うのです。天に通じる道へ導いて頂けるよう良心に素直に従い、言行一致した誠実な生き方ができるよう努力させて頂くからこそ、真実の運命を歩ませて頂く準備が整うのだと思うのです。真実の運命は、 生まれる前に予め自分で決めてきた 人生設計の道に導いて頂いたり。。。 今生の目的を知ったり。。。 天から授かった使命である「天命」を知ったり。。。と色々あると思うのですが、何れも、私たちの本質である魂が自ら決めたり、望んでいたこと故に、真実の運命に出逢った時は、魂が喜んでいるのを感じながら、自然と腑に落ちるものなのだと思うのです。自分らしく生きる。。。真実の運命との出逢いを頂いた後が、本当の意味での「自分らしく生きる」になるのだと思うのです。本当の意味での「自分らしく生きる自分」になることができるよう、良心に従い、自分を信じる強い意思と、自分の本質である魂が喜ぶ選択と決意をもって、運命を切り拓いていきたいものですね。源光「あなたの人生が、喜びばかりなら、 決して、あなたは勇気と忍耐を学ばないでしょう。 勇気と忍耐。。。 これがあるから人は自ら人生を切り拓くことができるのです。 人生を大きく豊かなものにできるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201409200000/ 「運命とは、幾つかの選択肢の中から自分で選び出す物で、 強制されるものでも、受け容れるものではないのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201208030000/「運命の中に偶然はなく、 人間はある運命に出会う以前に、 自分がそれを作っているのです。 ただし運、不運はコインの裏表ですから、 ちょっとした心の転換で簡単にひっくり返るのは事実です。」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201405030001/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201405030002/ 「あなたに出来ることは何でしょう。 それは運命を超える人になることです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201409190000/ 「誰にでも運命はあります。。 運命は、文字通り、「命を運ぶ」ですから、 運命は、志あるものを導き、 志なきものをひきずっていくのです。 」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201405310000/「運命に過度の要求をすることによって、不満の種をつくるのをやめよ。 運命は、自ら切り拓くものゆえに。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201108200000/「生まれてきた環境や後天的試練に左右されず、 誰もが、自分の運命を決定する権利を持っているのです。 貧乏な家庭に生まれたから生涯、貧乏なわけでもなく。 学歴がないから、生涯安月給のわけでもなく。。 心身の病だから生涯治らないわけでもなく。 今日、不幸せだから明日も不幸せとは限らないのが人生です。」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407120000/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407120001/ 「誰からも認められなくても、 真面目、誠実、勤勉に、 コツコツと責任を果たしていく人に、 天は、偶然を装った必然で、 運命の転機である出逢いと、 幸運の鍵を用意しています。。」 (ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201306100000/「信じる道を真っ直ぐに。。 困難にぶち当たった時は、迂回してもいいのです。 ただ、逃げ道に逃げ込むことだけは避けて下さい。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201403080000/「人生は、自分で切り開いてこその楽しみがあります。 切符を買ってレールの上を走っているエリートには 決して分からない妙味が、あるのです。 この妙味こそ魂を向上させる偉大なエキスなのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201403070001/ 「人は思い通りの人間になれます。 天はそのように人間を創ったのです。 あなたは、自分をどんな人間だと思っているでしょうか。 今の自分は、あなたの思いの通りの自分ですよ。 自分のことをどのように信じるかで、 自分も人生も変わってきます。 人生を変えるのは自分自身。。 置かれている環境でも人の評価でもありません。」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312050002/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312050003/
2016.11.12
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「立身出世して高い地位につこうとする志よりも 行いを清くしようとする心。。。 こちらの方が高い志なのです。」立身出世。。。 高い官職や地位につき、有名になること。 社会的に高い地位を得て、世に認められること。の意だそうです。立身出世そのものは、それに興味がある方にとっては、とても素晴らしいことだと思うのです。しかしながら、 立身出世をしたいその本当の目的。。。 立身出世によって得た地位や肩書き、権力の活かし方。。。 立身出世する前後の人格、品格、態度の変化。。。が、人としてあるべき正しい心の道から外れてしまうが故に、立身出世した各々が立身出世を良くないものにしてしまっている。。。という実態も少なくないと思うのです。「世の為、人の為には、立身出世することが必要だ!」という高い志の元、そのような環境の中に自ら身を置こうとすること、又は、自ら身を置くことは、自分自身に対して、相当厳しく、決して揺らがない心がないと直ぐにその環境に飲み込まれてしまうと思うのです。 (「世の為、人の為」の立身出世が、 知らず知らずの内に、 「自分の欲を満たす為」の立身出世に。。。 「誰かの欲を満たす為」の独楽遣いに。。。 なっていることも多々あると思うのです。)「世の為、人の為」という真の目的の実現の為に、立身出世という手段を選択しているにもかかわらず、「何が正しいかその全てを知っている良心」に恥じる言動をしたり、自分や他者を偽り、欺き、騙し、嘘をついたり、欲や邪念に翻弄されることがあるとすれば、「世の為、人の為」という真の目的を見失っているばかりか、高い志からも遠ざかってしまっていると思うのです。当初の「世の為、人の為」という大義名分こそ立派でも、立身出世する前からその心のあり方が良心に背いていたり、立身出世した後の言動やその態度が良心に恥じるものであれば、もはや高い志はどこにもなく、高い志を貶めてしまった穢れた心の自分がいるだけなのだと思うのです。 (立身出世によって得た地位、肩書、権力の高さに対し、 心のあり方は反比例して低くなっている。。。 そういうことが少なくないと思うのです。)----「世の為、人の為」に、立身出世したい。。。高い地位に就きたい。。。権力のある肩書きを得たい。。。その為には「何でもする!」として、良心に恥じる言動をし、悪事を働き、自分や他者を偽り、欺き、騙す。。。それは、人としてあるべき心の道を歩んでいないと思うのです。「世の為、人の為」に、立身出世したい。。。高い地位に就きたい。。。権力のある肩書きを得たい。。。「その為には何でもしたい。。。」しかし、「良心に恥じることはしたくない。。。 否、良心に恥じることはできない! 自分に恥じることはできない!」とするのが人の道だと思うのです。良心に恥じる言動をしなければ、 立身出世できない。。。 高い地位に就くことができない。。。 権力のある肩書きを得られない。。。のであれば、そのような立身出世や高い地位や肩書き、権力は、良心に恥じるものであるが故に、 立身出世する必要はない。。。 高い地位に就く必要はない。。。 権力のある肩書きは必要ない。。。と思うのです。「世の為、人の為」の行いは、立身出世しなければできない、ということはないと思うのです。もし、立身出世により高い地位を得なければ、「世の為、人の為の行いが何もできない」というのであれば、その立身出世の地位は、お飾りでしかないと思うのです。「世の為、人の為」と言いながらも、そのお飾りが欲しいということは、「世の為、人の為」という大義名分を利用した「自分の為」と捉えることもできると思うのです。「世の為、人の為」の行いは、そこここに沢山あると思うのです。「世の為、人の為」の行いは、何も大きな事をしなければならない訳ではないと思うのです。例え、それが小さなことであっても、一人一人が、自分に無理なくできることをさせて頂く。。。そういう美しい心のあり方こそが、「世の為、人の為」になっていると思うのです。お互いがお互いを思い遣る心、利他心をもって、助け合い、支え合い、分け合い、協力し合い、愛し合って生かさせて頂く。。。美しい心と美しい心の繋がり。。。「世の為、人の為」になっていると思うのです。日頃からそのような心のあり方で、そのような習慣ができていれば、「世の為、人の為」という大義名分も不要で、いざ大きな事が起こった時も、手を取り合って、自分たちで解決することができると思うのです。日頃からその習慣ができていないからこそ、「世の為、人の為」という大義名分が必要になり、いざ大きな事が起こった時は、大義名分を掲げる方にお任せ。。。人任せ、無関心で自分は何もしない。。。ということになってしまうのだと思うのです。 (私たちの人任せ、無関心な姿勢が、 高い地位、肩書き、権力を持つ者を自分勝手にさせ、 責任を果たさない遣りたい放題を招くのだと思うのです。 そのしわ寄せが私たちに来るのは、 私たちの人任せ、無関心な姿勢が起因になっていることに、 いい加減気付かなければならないと思うのです。 私たちが、高い地位、肩書き、権力を持つ者に監視されるのではなく、 私たちが、高い地位、肩書き、権力を持つ者を監視する。。。 ことこそ大切なのだと思うのです。)そこここに沢山ある「世の為、人の為」に必要な すべきことに気付けない。。。 自らできることをしない。。。ような方が、立身出世をして高い地位や肩書き、権力を得たからといって、それが出来るわけがないと思うのです。自分一人で生かさせて頂いているわけではない私たちにとって、本当に大切なことは、 人様を思い遣る心、利他心をもつこと。。。 良心に従って、自分の特技や能力を 人様のお役に立つことに活かすこと。 人様と協力、協調し合うこと。。。 自分の言動に責任を持つこと。。。 自分を偽らない、欺かない、騙さないこと。。。 人様を偽らない、欺かない、騙さないこと。。。 無関心でいないこと。。。など、一人一人が自分の言動を自分で監視し、過ちや間違いは素直に認めて、正すべきは正し、良心に従って、自らの行いを清く正しくする努力をさせて頂き、自分に責任を持つことだと思うのです。良心に従って、行いを清くして生きようとするのであれば、清廉潔白さがなく、地位や肩書き、権力を手中に収める為の利己心が蔓延る環境の中に身を置こうとは思わないと思うのです。そもそも、自分の心が美しく、優しく、温かく、大きく、豊かでないにもかかわらず、 「世の為、人の為」と大言壮語しても説得力に欠けると思うのです。 (説得力に欠ける大言壮語を鵜呑みにし、 簡単に騙されてしまう者は、対極にあるとはいえ、 説得力に欠ける大言壮語をする者と 同じ心のあり方故に騙されるのだと思うのです。 騙す者からすれば、騙しやすいのだと思うのです。) そのような不完全で至らない点の多い私たちだからこそ、まずは、自分の心が美しく、優しく、温かく、大きく、豊かになれるよう、 自分を。。。 自分の心を。。。 自分の言葉遣いを。。。 自分の行動を。。。 自分の生き様を。。。清らかにすべく、良心に従って生かさせて頂くことが大切なのだと思うのです。それこそ、魂の修正や成長をさせて頂く為に、地上という修行の場を与えて頂いた私たちにとって、高い志の表れだと思うのです。----時に、真の目的を果たす為に、自ら泥をかぶったり、泥をかぶらされたり。。。良心に従いたくても、背かざるを得ない状況があったり。。。悪事に加担したくなくても、真実を知る為に加担せざるを得なかったり。。。ということがあると思うのです。同じ「良心に背く」でも、同じ「悪事を働く」でも、利己心を満たす為に良心に背き、悪事を働くことと、世の為、人の為、という利他心と正義を貫く為に、自己犠牲を省みず、その真の目的の遂行の為に、やむを得ず良心に背き、悪事を働くことは、全くの別物だと思うのです。それにもかかわらず、前者も後者も、第三者から見れば同じに見えてしまうもの故に、後者はとても辛く苦しい思いをされると思うのです。極極僅かでも、中にはそういう方もいらっしゃることを、忘れてはならないと思うのです。それを見極めさせて頂く為には、表向きの情報を決して鵜呑みにすることなく、何が真実なのかを自ら調査、精査させて頂いたり、ものごとの真実を見抜けるよう心を磨きに磨き、心眼で観させて頂くことが大切だと思うのです。源光「正しい心で誠意を尽くして生きていく。。 今日も、ただそれだけでいいのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201409010000/「士(さむらい)の心、志を持ちましょう。 志は世のため、人のためという思いであり、 天の加護を得る道。 野心は私利私欲であり、邪霊の付く道です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201402100000/「人間として一番大切なのは、頭の良し悪しではなく、心の良し悪しです。 幸せになるのも頭の良し悪しではなく、心の良し悪しです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201404100000/「波長の乱れた修行の場である地上で 身を保って行くには、 あまり潔癖すぎてはならないのです。 一切の汚れや穢れも、 すべて飲み込むようでありたいものです。 人と交わるには、あまり几帳面すぎてはいけません。 一切の善人悪人、賢者愚者をも、 すべて包容することができるような 大きな度量を養ってください。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201505070000/ 「大切なのは心構えです。心的態度です。 天は、心でどう思ったか、どう考えたかを観ていますから、 偽善や形だけの善行は、ほとんど評価しないのです。 心的態度。。 これが、その人の才能や努力、知識以上に重要な要素です。 心を磨く。。 これが全てに優先するのです。。 幸運の鍵。。 いつでも渡す準備はできています。 あなたの心、純粋な心に期待して、待っています。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401050000/「現在うまくいっているとしても、 本当は間違った事をしていると、 心の底で分かっているなら、すぐに止めることです。 現在うまくいかないとしても、 良心に恥ない正しい事をしていると 心の底でわかっているなら、 諦めず継続していきましょう。 正しい努力だけが真の幸せを運んでくるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311210000/「世間や社会にではなく 良心に従って自分に恥ずかしくないように 生きることです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201412160001/ 「自分自身という財産を持っている人。。。 最終的に勝利者になる人です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201405020001/ 「心が悪い想念に流されることも、 嵐に巻き込まれることもあるでしょう。 しかし、そこで良心に従って反省すればいいのです。 その繰り返しで魂は向上していきます。。 あなただけの心のブランドを創り上げていくことですよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407080000/「すべてが、心の働きの現われです。 強力な魔は、自我の盲信から生まれて、 残忍なる魔は、思考の仕組から生まれるのです。 それらを内から、良心に従って調伏するのが修行なのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201205120000/「足ることを知らない欲望に翻弄されると、人生が、歪曲。。。 良心を忘却して人は、偽りの目標に突き進み、 生きながら地獄に堕ちていくのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201403040000/「人間は、その人がどういう人生を歩んできたのか、 苦しい経験を積んできたのかではなく、 事が起きた際に、良心に従って正しく行動したかどうかで 価値が決まるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201410160002/「人が見ていようといまいと、 正しき言動の出来る人でありましょう。 天は全てを知っています。 地上での勝ち負けは、大した問題ではないのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201310010000/「真の勇者とは、自分の欲望を克服した人のことです。 自らに勝つことこそ、最も難しい勝利なのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407060000/「本当に優れた人は、社会的地位や、 肩書きなどで人に接しないのです。 本来、社会的地位、肩書きと 人間性の美しさは一致しているのが当然です。 心の中で、人を見下しているようでは、 まだまだの人間です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201511030000/「名誉も地位も権力も学歴も財力も収入も肩書きも 地上の小さな世界でしか通用しない煙のようなものです。 自分の才能をひけらかすことなく、笑顔を絶やさず、 周囲と同調してやっていける人こそ、立派な人です。」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311130000/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201311140000/「知恵も智謀も、優れた人格には到底及びません。 優れた人格者は、人がうらやむ大成功しても、 決して、天狗さんにはならないものですよ。」 (ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201306110000/「本当に優れた人は、笑顔を絶やさない、一見、 どこのおじさん?おばさん?どこのお兄ちゃん?お嬢ちゃん? という感じで違和感も威圧感も、存在感も全く無いものです。 でも観る人が観ればわかります。これが人の世というものですね。 」 (ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201210310000/「実れば実るほど、勉強すればするほど、 自然に自分の至らなさに気づき謙虚になっていくのが人というものです。 天から観れば、謙虚で無い人は、まだまだ修行の足らない、 子供に過ぎないのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201303020000/
2016.11.11
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「人にお世辞を言われた時、 いい気になって嬉しそうな顔をする者は傲慢な人。 人が他人の悪口を言うのを聞いて、 喜ぶ者は心のいやしい人です。」世辞。。。 ・相手に取り入ろうとして言う、心にもない言葉。 ・他人に対する愛想のよい言葉。 ・人に気に入られるような上手な口ぶり。の意だそうです。心にもない愛想の良い言葉で、煽てられたり、ちやほやされ、いい気になって喜ぶ。。。思い上がって偉そうになる。。。見方を変えさせて頂くと、 謙虚さがないことの裏返し。。。 人様からの評価を気にする人。。。 ちやほやされることが好きな人。。。 体裁を取り繕う人。。。 中身がない人。。。 乗せられやすい人。。。 利用されやすい人。。。ということでもあると思うのです。お世辞を言っている方や第三者からすれば、 「心にもないお世辞を言われているだけなのに、 真に受けて、本気にして喜んでるよ。。。 何を勘違いして、偉そうに思い上がっているんだろう。。。 これがこの人の真の姿ってことだ。。。 簡単に乗せられて、傲慢になるのは自由だけど、 その傲慢さのせいで、 人に見透かされていることに気付けない。。。 自分の愚かさが分からない。。。 というのは、とてもお気の毒なことだなぁ。。。」という感じだと思うのです。また、そう言う人に限って、煽てられたり、ちやほやされなくなると、 不平不満、愚痴、人様の批判、誹謗中傷、 悪口、陰口を叩き、被害妄想などを始める。。。 他者が自分よりもお世辞を言われたり、 煽てられたり、ちやほやされていると、 その他者を決して認めない上に、その他者に嫉妬する。。。ということが多いと思うのです。自惚れが激しく、傲慢。。。自分勝手。。。我儘。。。利己心の塊。。。他者からのお世辞、煽て、ちやほやが原因とはいえ、それらに簡単に乗せられてしまう自分自身こそが、大きな原因であることに違いはないと思うのです。自分自身に大きな原因があるということは、自分にお世辞を言った方や、自分を煽て、ちやほやした人を恨むのではなく、その経験を良い意味で活かさせて頂き、 お世辞を言われても真に受けない自分。。。 煽てられても調子に乗らない自分。。。 ちやほやされても謙虚な姿勢でいることができる自分。。。になれるよう、自分を改善させて頂けば良いと思うのです。時に、他者のことは、冷静に、客観的に観ることができても、いざ自分が煽てられ、ちやほやされると、何てことはない、自分も他者と同じになっているということもあるのが世の常。。。だからこそ、自分のことを棚に上げて、他者のことに口出しなどせず、他者を反面教師とさせて頂き、まずは、冷静に、かつ、客観的に、自分で自分の言動を監視する習慣をつけ、自分を律し、正すべきを正させて頂きながら、自分に恥ずかしくないように生かさせて頂きたいものですね。----人様の悪口を言う。。。自分がそれをすること自体、良いことではないと思うのですが、人様が他人の悪口を言っているのを聞いて、 それをコソコソと喜ぶ。。。 他者の不幸を喜ぶ。。。というのは、心が貧しく、品位に欠けた卑しい、陰険で質が悪い行いだと思うのです。そう言う人に限って、自分がコソコソと悪口を言われる対象になったり、自分の不幸を喜ぶ陰口を叩かれていることが、巡り巡って自分の耳に入ってくると、それらに強く反応し、誰が発端なのかを気にしたり、追及することが多いと思うのです。自分の悪口を言われて嫌なのであれば、他者の悪口も言うべきではないと思うのです。他者が自分に関する悪口を聞いて、喜んでいる様子を見て不愉快に思うのであれば、自分が他者に関する悪口を聞いた時は、その悪口に決して同調すべきではないと思うのです。自分の不幸を喜ばれると嫌なのであれば、他者の不幸も喜ぶべきではないと思うのです。もし、自分が悪口を言われ、傷つけられていたら、誰かに助けて欲しい、支えて欲しい、と思うのと同じように、悪口を言われて、傷ついている方がいたら、その悪口に便乗するようなことはせず、傷ついている方を助け、支えるべきだと思うのです。もし、自分が不幸な境遇に見舞われ、その悲しみや苦しみ、辛さから、涙に暮れ、思案に暮れ、途方に暮れていたら、 誰かにそっと側にいて欲しい。。。 話を聞いて欲しい。。。と思うのと同じように、他者が不幸な境遇に見舞われていたら、その不幸を喜ぶようなことはせず、愛の心、優しい心、温かい心、豊かな心、大きな心をもって、ただただその方の側にいて、お話を聞かせて頂くべきだと思うのです。 それが直接的であろうと、間接的であろうと、 自分がされて嫌なことは、人様に決してしない。。。 自分がされて嬉しいことは、人様に積極的にさせて頂く。。。自分がどういう境遇下にあろうとも、そういうことが当たり前のようにできる自分を育ませて頂きたいものですね。悪因悪果。。。善因善果。。。という因果応報の法則があるから、そうしようとするのではなく、心ある人として当たり前のことだから、そうさせて頂けるような自分でありたいものですね。源光「賞賛を求め、中傷に傷つく。。 これが普通の人ですが、 賞賛も、中傷も気にしない人にならない限り、 心の安らぎは永久に得られないのです。 」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201403140000/ 「実れば実るほど、勉強すればするほど、 自然に自分の至らなさに気づき 謙虚になっていくのが人というものです。 天から観れば、謙虚で無い人は、 まだまだ修行の足らない、子供に過ぎないのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201303020000/「人は、心が荒んでくると、他人の不幸を喜ぶ以外に 楽しみが無くなってくるのです。 これが、どんどん不幸になっていく人の典型です。 人を喜ばせるのが大好き。。。 これが、どんどん幸せになっていく人の典型です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201410270000/「人を必要以上に批判追求した瞬間に不幸が始まります 。 自分のことを棚に上げて、人を悪く言うものではありません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201605130000/「人は、何を好ましく思うかということによって、 その人格のレベルを示すのです。 良心に、恥じるような行為でも、 ある人にとっては陰険に、 ある人にとっては、当たり前に、 またある人にとっては、むしろ好ましく思えるものです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407070000/「思いやりとか、正直とか親切とか友情とか、 そんなあたりまえのことを黙ってすること。 これが道徳です。。 難しい学問ではありません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312070001/「人は心の美しさ。。。 太陽が朝を連れて来るように、 心美しい人は、今日も愛の光を連れて来るのです。 あなたの喜ぶ姿が私の喜びです。 人はこうして幸せになって行くのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201405050001/ 「人間として一番大切なのは、頭の良し悪しではなく、心の良し悪しです。 幸せになるのも頭の良し悪しではなく、心の良し悪しです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201404100000/「人は、他に対し善を行っている時、 自らに対して最善を行っているのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201206140000/「触れ合う人々を思い遣る心を習慣にしましょう。 自然な行いこそ、最大の美徳なのですから。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201212120000/「小さな親切、小さな愛の言葉があれば 今日という一日、天と通じることができるのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201208100000/「他人に親切にするのは、断じて義務などではない。 それは、光栄であり、健康と幸福と歓喜をもたらす。」(ビシュヌさんの分霊さん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201202020000/「不幸になっていく人は、自分の喜びばかりを考えているのです。 人を喜ばせることを考えて生きていきましょう。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201207180000/「喜びは分かち合うことによって倍になり、 悲しみは分かち合うことによって半分になるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201601090000/「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きましょう。 それが人というものですから。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201204290000/「人の涙をもて遊んだり、人の悲しみをかえりみない。。。 これでは幸せから遠のくばかりです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201405140000/「真心をもって人を助ければ、 必ず自分も人から助けられるのです。 嫌な思いを他人にさせれば、 必ず自分も人から嫌な思いを返されるのです。」 (ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408100000/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408100001/「あなたが扱われたいように、他人を扱いなさい。 汝が隣人からされたくないことを隣人に行ってはならない。 隣人を自分自身として見ることで、 人は正しい基準を得ることが出来る。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201107150001/
2016.11.10
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「今日の自分に「よし」と言ってください。 明日も「よし」と言ってください。。。 その次の日も。。。その次の日も。。。 天が「よし」と言ってくれるまで。。。」自分で自分を評価する。。。とても大切なことだと思うのです。しかしながら、自分で自分を評価する際に、自分を甘やかした評価をしてしまう。。。ということも良くあると思うのです。「本当はもっと頑張れるけど。。。 本当はもっと努力できるけど。。。 今日はもういいや。。。 昨日は頑張ったし。。。 明日また頑張れば良いし。。。 今日も良くやった!ということにしておこう。。。」などとして、自分に甘い評価をする。。。自己満足をする。。。昨日は昨日。。。今日は今日。。。明日は明日。。。だと思うのです。大切なのは、 「今どうなのか」 「今日どうなのか」 「今、頑張っているのか」 「今、努力しているのか」だと思うのです。過去の頑張りや努力を持ちだしたり、未来に頑張りや努力を持ち越そうとするのは、「今」の自分に、 「よし! 自分、今日も良く頑張った!」 「よし! 自分、今日も良く努力した!」と自信を持って自分に言えるほど、頑張っていない。。。努力していない。。。ことを心のどこかで分かっているからだと思うのです。白砂糖を使用した甘い食べ物に、中毒性があるのと同じように、自分を甘やかしたり、自己満足をすることもまた、楽な方、楽な方へと逃げようとする中毒性を秘めていると思うのです。自分を甘やかし、自己満足で終らせてしまったら、進歩はそこで止まってしまうと思うのです。手を抜かずに頑張る。。。手を抜かずに努力する。。。今すべきことを今する。。。今できることを今する。。。すべきことから目を背けない。。。逃げない。。。できることを後回しにしない。。。今日すべきことや、今日できることが終わっても、時間や集中力、精神力、体力に余裕があれば、明日すべきこと、明日できることに着手する。。。手を抜こうとしている自分を律することができる。。。自己満足せずに、その先に進もうとする。。。自分を甘やかしがちで、自己満足をしがちな私たちにとっては、そういう頑張りや努力こそ最高なのだと思うのです。最高の頑張りや努力を「10」とします。自分を甘やかしたり、自己満足で、まだできるであろう頑張りや努力を怠っているにもかかわらず、 「本当はもっと頑張れるけど。。。 本当はもっと努力できるけど。。。 今日はもういいや。。。 昨日は頑張ったし。。。 明日また頑張れば良いし。。。 今日も良くやった!ということにしておこう。。。」と自分を評価しても、その実態は「9」でしかないと思うのです。翌日、その人の目標は「9」になっていることが多いと思うのです。 (もし、「10」に戻せるくらいの方であれば、昨日の時点で、 はじめから手抜きをせずに「10」を達成していると思うのです。)「9」が目標になっているにもかかわらず、自分を甘やかし、自己満足する中毒性から、本来であれば、まだまだできるであろう頑張りや努力を更に怠ってしまい、 「本当はもっともっと頑張れるけど。。。 本当はもっともっと努力できるけど。。。 今日はもういいや。。。 一昨日は凄い頑張ったし。。。 昨日も頑張ったし。。。 明日、凄く頑張れば良いし。。。 だから今日も良くやった!ということにしておこう。。。」と自分を評価しても、その実態は「8」でしかないと思うのです。「良し!」と自分を評価しても、その実態が「悪し!」では、 頑張ることが嫌。。。 努力することが面倒。。。と感じてしまう自分になってしまうと思うのです。自分に甘く、自己満足的に自分を評価をすることが、自分の可能性の蕾を自らの心のあり方で摘み取り、自分を堕落させてしまうことになるのであれば、自分に対する評価は、正直に。。。厳しく。。。あるべきだと思うのです。自分に正直だからこそ。。。自分に厳しいからこそ。。。自分を律することができ、正すべきを正すことができ、前進させて頂くことができるのだと思うのです。「もっと頑張れる!」「もっと努力できる!」「もっと他にできることがあるはず!」「〇〇を終わらせてこそ、 頑張った、努力した、と自分を認めよう!」「まだ時間があるから何かをしよう!」「今日のことは終わった。明日のことをやろう!」そういう心持ちで今日という日を過ごさせて頂くと、 「よし! 自分、今日も良く頑張った!」 「よし! 自分、今日も良く努力した!」と自信を持って自分に言えると思うのです。時に、体調が優れない時もあると思うのです。そういう時は、無理をせずに休むべきだと思うのです。体調が優れない時に、無理に頑張ったり、努力しても、その頑張りや努力の効率が悪かったり、普段では考えられないミスを犯したり、ミスを犯していることに気付けなかったり。。。自分では、頑張って、努力しているつもりでも、それらが無駄になってしまう。。。体調が優れない時はそういうものだと思うのです。体調が優れない時に、頑張るべきこと、努力すべきことは、「休むこと」だと思うのです。「休む」ことで疲れが癒され、精神面、体力面が回復するからこそ、頑張って努力することができるのだと思うのです。頑張るべき時は頑張る!努力すべき時は努力する!休む時は休む!メリハリをもって過ごさせて頂くからこそ、心身の健康を保つことができ、頑張ること、努力することに集中し、継続することができるのだと思うのです。心身の健康を保ちながら、自分に正直に、厳しく、自分を律しながら、頑張って努力することを継続していても、所詮は修行をさせて頂いている不完全な私たち故に、自分に対する評価も、どこか視点が誤っていたり、評価の仕方がおかしいなど、不完全だと思うのです。例えば、同じ頑張っている、同じ努力しているでも、良心に従って頑張り、努力しているのと、良心に背いて頑張り、努力しているのとでは、大きな違いがあると思うのです。自分では良心に従っているつもりでも、天から観ればそうではない。。。そういうこともあるのが不完全な私たちだと思うのです。人知の及ばない深遠なる天や神仏のお取り計らいにより、「何が正しいかその全てを知っている良心」を授かり、魂の修正や成長の為に修行をさせて頂いている私たちが、頑張ったり、努力することはごく当たり前のことなのだと思うのです。それならば、 「自分は凄く努力している!」などと自己満足したり、自惚れたりしないよう。。。 「〇〇さんは本当に努力していますね♪」と他者からいわれて浮かれたり、驕ったり、安心しないよう。。。いつも天を相手にさせて頂けば良いと思うのです。良心に従って生かさせて頂く。。。とはいえ、その「良心」というものの受け止め方は、十人十色、千差万別であるくらいに不完全な私たち。。。だからこそ、 「自分は良心に従って生きている!」などと自信過剰になるのではなく、 「もし、天が今の自分の状況にいらっしゃられたら、 どうされるだろう。。。 どのような選択、判断をされるだろう。。。」という謙虚な姿勢で、良心の声に耳を傾けさせて頂きたいものですね。そのような心のあり方で生かさせて頂くことこそ、魂の修正や成長を促す魂の喜ぶ生き方であり、天に続く道なのだと思うのです。魂の修正や成長の為に良心を授かっているにもかかわらず、良心に恥じる言動をし、自分や人様を貶めるようなことを頑張ったり、努力しても、それは頑張りや努力ではなく、自分で自分を裏切る行いであり、修正すべき点を増やし続け、天から遠ざかる心のあり方、言動だと思うのです。天から授かった良心に素直に従い、言うこと、することが一致している良心言行一致の生き方で、誠実、真面目に頑張り、努力させて頂いてこそ、天に「よし!」と仰って頂けるのだと思うのです。=天が喜ぶ生き方==良心に従う生き方==自分の魂が喜ぶ生き方=この等式を、いつでも等式足らしめることができるような心を育み、その心のあり方を継続できるように、自分の心も磨き続けたいものですね。天に「よし!」と言って頂けるまで。。。源光「努力していると自分で思っているうちは まだまだ努力が足りないのです。 人から「あなた努力しているね。」 と言われてもまだまだ。 天から「あの人頑張っているね。」 と言われてようやく本物です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201602140000/「働くこと、頑張ることを楽しみなさい。 寝る前に、今日一日頑張った自分を褒めてあげなさい。 汝は大いなる天啓を得るであろう。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201109090000/『「今日も自分のベストを尽くした」 と思いながら、就寝する。。 そうですよ。 最高の1日だったのです。 よく頑張りました。 』(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201602070000/「人は誰でも過ちを犯すものです。 犯さない人は皆無です。 ただ自分の中で過ちを正当化したり、 相手に責任を負わせたりする人がいます。 だから、いつまでも事態が改善されずに苦しむのです。。 自分が誤っていると悟ったなら、躊躇なく、すぐ改めるべきです。 即、行動しなければなりません。 いたずらに体面や人の思惑を考えて、改めるのを恐れてはいけません。 過ちては則ち改むるに憚ること勿れ と云うことですね。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312080000/「大切なのは心構えです。心的態度です。 天は、心でどう思ったか、どう考えたかを観ていますから、 偽善や形だけの善行は、ほとんど評価しないのです。 心的態度。。 これが、その人の才能や努力、知識以上に重要な要素です。 心を磨く。。これが全てに優先するのです。。 幸運の鍵。。いつでも渡す準備はできています。 あなたの心、純粋な心に期待して、待っています。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401050000/「自己満足に浸らない人は、成長し続けます。 自信がない人の方が、多くのことを学べるのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201207010000/「将来を思い煩う必要は無い。 現在為すべきことを為せ。 その他は神の考えることゆえに。。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201107220000/「自惚れは苦しみの源泉である。 自惚れが消えたときから、人生の幸福な時期が始まる。 自惚れに翻弄されている人間に、天恵が降りることはない。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201108100000/「あなたの感性や情熱が本当に素晴らしければ、 偶然を装った必然で出逢いがあり、必ず評価してもらえます。 今は、心配せず、自分の技、能力を磨くことに専念しましょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201310300000/「努力して創造していく間が人生なのです。 人生を楽しんでください。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201208140000/「不器用な努力家こそ、天が愛してやまない人なのです。 幸運の女神はこの様な人に微笑みます。。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201206250000/「眠りにつく前に、 その日にどんなに嫌なことがあっても 「今日はいい日だった」 とつぶやくのです。 そうです。。。 明日は良い日に変わるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201501280000/ 「自分の顔に責任を持てるようになった時、 天はあなたを大人と認めてくれるのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201208230000/「自分の言動に責任を持つことです。 その責任の下に、本当の幸せと喜びが 横たわっているのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201502100000/
2016.11.09
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「人は生き通しです。 身体は船。。心が船頭さんです。 船は朽ちても、船頭さんは下船して 次の船に乗り換えるわけです。 悟り間違いは、来世の業となるのですから 今を悔いなく正しく生きることですよ。」 「肉体は船、魂が船頭さんです。 人も動物も寿命が尽きれば、 船を降りることになります。 船には耐用年数があるので仕方のないこと。 新しい船に乗り換えるまで、しばし休憩です。 人も動物も心の存在ですから 心そのままの場所に還ります。 懐かしい心の故郷へ。。。魂の故郷へ。。。」「人は魂です。 人は生き通し。。。 肉体は船。。。魂は船頭さんです。 船はいずれ朽ちていきます。 今を真剣に生きることです。 良心という羅針盤に従って天命を果たして還ることですよ。 縁あって、現代に生まれてきたのですから。」「時代は変わり、時は流れても あなたはあなたであったのです。。 肉体は船。。。魂は船頭さん。 船は朽ちても心は永遠です。 心を磨いて生きていますか? お金儲けや名声などどうでもいいこと。。 足ることを知って、朗らかに、 良心に恥じない自分でありましょう。 触れ合う人たちの笑顔を我が喜びにして生きていきましょう。」「ある時は貴婦人。。。 ある時は庶民。。。 魂は同じです。 一つも変わりません。 ただ置かれている環境で それぞれの人生があるだけのこと。。 どちらも人生勉強です。」生き通し。。。地上という修行の場で魂の修正や成長をさせて頂く為に与えて頂いている地上における肉体こそは滅びても、その肉体を乗り物にしている私たちの本質である魂は、決して滅びることはないと思うのです。とある時代に、魂が肉体という乗り物に乗って、地上に生まれ、様々な経験をさせて頂く。。。時が経過し、肉体の老朽化による死と同時に、魂は肉体から抜けて天に帰還する。。。その後、それまで魂が経験させて頂いた全ての記憶や職業、本当にやりたいこと、趣味趣向、性格、思考などを引き継いで、また別の時代に、別の肉体という乗り物に乗って、地上に生まれ、引き続き様々な経験をさせて頂く。。。修行の場である地上に生まれる機会を与えて頂く度に、新しい肉体に乗り換えることを「輪廻転生」というのだと思うのです。肉体は、僅か数十年しか稼働できない乗り物であっても、私たちの本質である魂は、永遠に存在し続ける。。。その私たちの魂の在り方を「生き通し」というのだと思うのです。なぜ魂は「生き通し」であるにもかかわらず、肉体は「生き通し」ではないのか。。。魂の修正や成長をさせて頂くことができるのは、修行の場である地上のみであるが故に、肉体は、魂の修正や成長をさせて頂く為に、地上という修行の場で生かさせて頂くに当たって必要なものなのだと思うのです。永遠に存在し続ける「生き通し」の魂に対して、魂の乗り物である肉体は、僅か数十年という短い期間だけしか存在することができないのはなぜなのか。。。肉体が魂と同じように「生き通し」であるのであれば、魂の修正や成長をさせて頂く為に地上という修行の場に生まれる機会を与えて頂いた意味を成さなくしてしまうことが多いのが、魂の修正が必要で至らない点が多い私たちなのだと思うのです。 (意味を成さなくしてしまうのは、魂の修正や成長が必要な、 不完全な私たちの魂にその原因があるのだと思うのです。)肉体が「生き通し」であるのであれば、地上という修行の場に存在していても、 「いつの日か、反省すればいいや。。。生き通しだから。。。」 「その内、正させて頂けばいいや。。。生き通しだから。。。」という感じで、修行の場であるにもかかわらず、甘えが生じ、反省すべきを反省せず、正すべきを正さない。。。むしろ、その怠慢な心のあり方や生きる姿勢や生き様が、修正すべき点を自ら増やしてしまうことにさえなってしまうと思うのです。そのような心のあり方や生きる姿勢が、至らない点が多く、魂の修正が必要な私たちの実態なのだと思うのです。だからこそ、肉体は、有効期限付きの乗り物になっていて、その有効期限付きの乗り物が稼働できる場所は、地上という修行の場に限られているのだと思うのです。裏を返させて頂くと、地上という修行の場において、魂の修正や成長をさせて頂ける機会は、僅か数十年という短い期間のみ。。。そのような短い人生にもかかわらず、いつ終わるとも分からない人生にもかかわらず、邪念や欲に翻弄されることなく、例え、邪念や欲に翻弄されそうになっても、理性と良心で自分をコントロールすることができる。。。いつも誠実に、真面目な姿勢で生かさせて頂くことができる。。。そして、その姿勢を継続することができる。。。何か1つのことに集中し続けることができる。。。自分のやりたいことをやり通すことができる。。。短期間であろうと、自分の置かれている状況に関係なく、いつ何時もそういう心のあり方、生き様で生かさせて頂くことができるからこそ、魂が磨かれ、修正すべきが修正され、成長させて頂くことができるのだと思うのです。もしくは、いつ何時もそういう心のあり方、生き様で生かさせて頂くことができるよう、自分で自分を律し、魂を磨く機会として与えて頂いているのが、地上という修行の場なのだと思うのです。とはいえ、不完全で修正すべき点の多い魂の私たちは、修正すべきを修正させて頂くにも時間を要することが多いと思うのです。修正すべき点は、なぜ修正すべきなのか。。。修正させて頂く為には、何をさせて頂けば良いのか。。。それをしっかりと理解させて頂くことにも時間を要してしまうものだと思うのです。しかしながら、しっかりと理解を深めさせて頂くその過程こそ、魂の修正が必要な私たちの魂には、とても大切なことなのだと思うのです。その過程は、十人十色、千差万別で、その過程における、職業、本当にやりたいこと、趣味趣向、性格、思考は、人それぞれ、魂の傾向によって異なるものだと思うのです。 (だからこそ、自分と人様を比較する必要もなければ、 人様のことを気にする必要もなく、 人様からの評価も気にする必要もないのだと思うのです。)とはいえ、とある時代は、1つの過程を経験させて頂き、また、とある時代は、別の過程を経験させて頂く。。。不完全で修正すべき点が多い私たちが、生まれ変わる度に、その過程や傾向が大きく変わってしまっては 折角、過去生で培ったものも、 今生で活かすことができない。。。 折角、過去生で修正すべききっかけを見つけても、 今生でそれを見失ってしまう。。。など、過去生における大切な過程や傾向を、今生に活かさせて頂くことができなくなってしまうと思うのです。不完全で修正すべき点のある私たちは、過去生において経験させて頂いた貴重な過程や傾向を、今生、来生と引き継がせて頂かない限り、その不完全さに磨きをかけることもできなければ、修正すべきを修正させて頂くことも、反省すべきを反省させて頂くことも、正すべきことも正させて頂くことも容易ではなくなってしまうのだと思うのです。だからこそ、「自分」の魂が過去に経験させて頂いた様々な過程や傾向である職業や、本当にやりたいこと、趣味趣向、性格、思考などを「生き通しの自分の魂の傾向」として、引き継がせて頂いているのだと思うのです。そういう不完全で至らない点が多い私たちの魂の傾向を見越して下さった上で、 「魂は生き通し」 されど、 「肉体(修行)は短期間」 でも、 「輪廻転生のチャンスあり♪」という無償の愛による深遠なるお取り計らいを私たちに与えて下さっている天や、天が私たち一人一人に与えて下さっている偶然を装った必然の様々な境遇や全ての現象にいつも心から感謝させて頂きたいものですね。源光--------私たちの人生は、木々に成る新芽が青々とした葉になり、枯れて地に落ち、次なる新芽の肥やしとなる為に土に還るのと同じようなものだと思うのです。新芽は、地上に生まれた私たちの赤子時代。。。青々とした葉は、幼少期から青年期、中年期。。。枯れた葉は、老年期。。。枯れ葉が落ちるのは、死。。。土に還るのは、天への帰還。。。新芽が、母体である幹から養分を頂き、青々とした葉になっていくのと同じように、一人で生かさせて頂いているわけではない私たちも、常にどなた様かのお陰様で生かさせて頂いていると思うのです。枯れた葉が、次なる世代の新芽の肥やしとなる為にお世話になった幹の下に落ちて土に還るのと同じように、常にどなた様かのお陰様で生かさせて頂いてきた私たちも、次なる世代の方々をはじめとする人様のお役に立つことや、人様にお喜び頂けるようなことをさせて頂くことが大切なのだと思うのです。この繰り返しは、私たち人間の「魂の生き通し」と「輪廻転生」と似ていると思うのです。否、そこから人生とは何かを学ばせて頂く為に、そのような繰り返しの中で生かさせて頂いているのだと思うのです。源光--------地上における「死」。。。「死」をお迎えしたから全てが終わり。。。ということではないと思うのです。何かの「終わり」は、何かの「始まり」でもあるのと同じように、「死」という地上における人生の終わりは、今生という新たな人生経験をさせて頂いた自分の魂の天(心の故郷)への帰還であり、次なる輪廻転生への「始まり」だと思うのです。「死」をお迎えして終わるのは、今生という人生を自分の魂と共に過ごしてくれた「肉体」や「地上という修行の場」での修業が終わるだけで、自分の魂は、新たな「始まり」に向けて存在し続けることを忘れてはならないと思うのです。魂は永遠であり、生き通しの命。。。私たちの本質は、魂だと思うのです。魂があるからこそ、地上という修行の場で「自分」という意識と肉体という生命をもって、人生を過ごさせて頂くことができるのだと思うのです。そして、生まれ変わる度に培わせて頂いている自分の能力や特技などの様々な糧を、今生に活かさせて頂くことができ、更に様々な経験を積ませて頂きながら、魂の修正や成長をさせて頂く機会を与えて頂いている、ということでもあると思うのです。裏を返させて頂くと、生き通しの命である魂が存在しないということは、「自分」という意識もなければ、肉体という生命をもって、地上という修行の場で生かさせて頂くこともできない。。。様々な経験を積ませて頂くこともできない。。。特技や能力、心を磨くこともできない。。。ということになってしまうと思うのです。しかしながら、そのようにならないのが、私たちの本質である生き通しの命。。。「生き通し」の字の如く、永遠に存在し続け、生き続ける。。。修行の場である地上において、生命の本体である肉体が死しても、魂は、肉体という乗り物を捨てるだけで、存在し続け、生き続ける。。。それが私たちの魂なのだと思うのです。それにもかかわらず、修行の場である地上で生かさせて頂いている私たちは、生き通しの命である「魂」が、私たちの本質であることを忘れ、 「死んでしまえばそれで終わり。 自分はいなくなる。。。 記憶もなくなる。。。 だから、人のことなんか考えずに、 自分の好き放題、やりたい放題に、 楽しく生きた方がいい。 それじゃなきゃ損をする。」などと仰られる方もいますが、死んでも終わらないことに気付くのが、死んだ後では「後の祭り」で、後悔してもしきれないと思うのです。 「死ねば終わり。。。 だから好き勝手に生きなければ損だ。。。」自分一人で生かさせて頂いているわけではないにもかかわらず、否、むしろ、色々な人様のお世話になり、自分を取り巻く多くの人様のお陰様で生かさせて頂いているにもかかわらず、こういう「自分さえ良ければそれで良い」という我儘で自分勝手、利己的な心のあり方や生き方をしているからこそ、自分で自分を貶め、深い業を積んでしまうのだと思うのです。「死ねば終わり。。。」確かに何かが終わると思うのです。それは、「人生」という、 「魂の修正や成長をさせて頂く為の とても貴重な修行の機会が終わる」ということだと思うのです。 (見方を変えさせて頂くと、この世の死後は、 この世の人生を終えた時の魂のレベルがずっと続く。。。 ということでもあると思うのです。 深い業を積んだ状態で死を迎えれば、 生き通しの命である「魂」は、深い業を積んだまま、 存在し続ける。。。生き続ける。。。 ということになるのだと思うのです。 そして、輪廻転生の機会を与えて頂き、 来世があるとすれば、その深い業を積んだままの 厳しい人生のスタートを迎えるのだと思うのです。)魂の修正や成長をさせて頂く為の修行は、この世という修行の場でしかできないことを考えれば、利己心や欲に翻弄されて、やりたい放題、好き放題をしていては、天に帰還してから(又は、天に帰還することができずに)、大後悔してしまうと思うのです。大後悔することのないようにする為には、地上という修行の場に生まれる時に天から授かった「何が正しいかその全てを知っている良心」に素直に従って、過去生から培ってきた自分の特技や能力を、人様のお役に立つことや、人様にお喜び頂けることに、正しく活かさせて頂きながら、生かさせて頂くことが大事になるのだと思うのです。そういう心のあり方、生き方こそ、自分の魂の喜ぶ生き方なのだと思うのです。この世での生を終えて、天に帰還した時に 「良い人生だったなぁ♪」と感じることができるようになる為には、それこそ 「良心の声に従い放題♪」 「天が地上の私たちに無償の愛を 与え続けて下さるのと同じように生き放題♪」 「人様のお役に立つことをし放題♪」 「人様にお喜び頂けることをやりたい放題♪」 「人様を思い遣る心、利他心で生き放題♪」の姿勢で生かさせて頂けば良いのだと思うのです。そういう生き方をさせて頂くことによって心が磨かれ、生き通しの命である「魂」の修正や成長をさせて頂くことができ、その時の自分の心のあり方、魂のあり方に相応しい魂の世界に帰還させて頂けるのだと思うのです。従前よりも、少しでも美しく、凛とした、華々しい世界に帰還させて頂くことができるよう、良心に従って、心を磨かせて頂きたいものですね。源光「本当は、生き通しの命以外に、 富などは存在しないのです。 死ねば終わり。。 好き勝手に生きなければ損だ。。 この考えがもっとも自分を卑しめる考え方です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201502250000/「自分は生きているのではなく、「生かされている」という事実に気づきましょう。 本当の幸せは、あなたの心の中にあるのです。 幸せを追いかける人はいつまでも幸せになれず、 今、呼吸をしている幸せに気づく人が、 本当に幸せになれるのです。 まずは、生かされていることに感謝しましょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401020002/「悟りとは、いかなる場合も平気で死ぬことではなく いかなる場合も平気で生きていること。。 生きて、生きて、生き抜く ことにあります。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201409160000/ 「人間は、修行のために異郷に生まれて来たのです。 生きることは心の故郷を異郷に実現させること。 愛の心で生きること。。 いつの日か心の故郷に、果たすべきことを果たして、 喜びを胸に還ることです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408120000/ 「汝は、死について考えねばならぬ。 そしてそこから死ではなく、 生について熟慮をはじめることだ。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201201120000/「汝、死がなければ、生を重んじることができず、 生がなければ道を見つけ出すことができないことを知ることだ。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201112250000/ 「死なないで地上で、生きられる人は皆無です。 人は、地上に命がある時だけ諸々の善行を なすことができるのですから、せっかくの機会を 大いに活かして、帰還されますように。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201211090000/「生まれ変わるのは、地上に生ある時です。 還って来てからでは遅いのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201209260000/ 「人間という舟を得たら、それで苦悩の大河を渡れ。 愚か者よ、惰眠を貪るな、この舟は、再び得がたい。」(ビシュヌさんの分霊さん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201201290000/「人は過去世の自分と職業、趣味趣向、性格、思考、 異性の好み、失敗の傾向、顔形までソックリです。 時代 、場所が違うだけで同じ魂ですから当然のこと。。。 人は生き通し。。。決して死なない存在です。 誰も見ていなくても心正しく良心に恥じない自分でありましょう。 因果応報の法則は紛れも無い事実なのですから。。。」(ラクシュミーさん)「肉体は滅んでも、魂は、決して滅びません。生き通しです。 時代も場所も違っても、同じ心と趣味趣向を承継していきます。 人は自分の魂が喜ぶものをトコトン探求し続けるのが 一番幸せなのです。。。」(ラクシュミーさん)「人は生き通しなのです。。。 肉体は船。。。心が船頭さん。。。 船は乗り捨てて。。。心の旅は永遠に続くのです。 良縁は良縁として。。。悪縁は悪縁として次の船に引き継がれるのです。 今を良心に従って正しく明るく生き ることですよ。」(ラクシュミーさん)「誰もが生き通しなのです。 時代も場所も違っても性格は全く同じです。 しかしそれを実感として知っている人はほとんどいないのです。 それでも人はなぜか魅かれる国や装束があるものです。」(ラクシュミーさん)「運命は自分で切り開くことができますが、 性格、趣味趣向、癖、好きな勉強や仕事のジャンルは、 いつの時代もまったく変わらないので、 どの人も行動パターン、失敗の傾向は同じです。 いいところは伸ばし、悪いところは修正。。。それでいいのです。」(ラクシュミーさん)「人は誰でも、過去の生があり、今の自分があります。。 時代も空間も超えて今の生があるわけです。。 しかし性格、長所、短所、癖、趣味趣向、職業。。。全て同じ。。。 魂の鍛錬は、今日も続きます。あなたも例外ではありません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201507210000/「死とともに全ては無となるのですが 残るものがあります。 それは心。。。 邪悪な心で生きた人は、 暗く寂しく辛く哀しい殺伐とした世界に住むことになります。 心の美しさ。。。 磨いていますか? 死と生はコインの裏表。。。 今世の生き方次第で帰る場所が決まります。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201601290000/「人は、いつか必ず死ぬのです。 死を恐れるからこそ、 人は生きているということを実感することができるわけです。 死ねば終わり。。。だから生きている間はやりたい放題でいい。。。 これが大間違いですよ。 業はしっかりと次の生で償うことになっているのです。。。 誰も見ていないからこそ、 良心に従って今を明るく人を喜ばせて生きなければなりません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201509210000/
2016.11.08
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「朝日は必ず昇ります。。。 夜が来て、朝が来る。。。 闇しかない人生などあるはずもないのです。 地下に住んでいない限り。。。」「苦難に耐えるプロセスが大切です。 苦難を受け入れ、むしろそれを愉しむのです。 苦難と栄光はコインの裏表ですから、 必ず反転することを信じましょう。」「春夏秋冬、季節は、天の法則により規則正しく巡っています。 朝が来れば昼が来て、そして夜が巡ってきます。 自然に逆らわないことですよ。 人知を超えた天の法則に逆らわない生き方こそ、 大切な人の道なのですから。」朝の来ない夜はない。。。春の来ない冬はない。。。止まない雨はない。。。苦あれば楽あり。。。ものごとは、いつか必ず良い方へ変わる♪という意で遣われる言葉だと思うのです。長いようで短い人生。。。短いようで長い人生。。。 良いこともあれば、悪いこともあると思うのです。 嬉しいこともあれば、悲しいこともあると思うのです。 楽しいこともあれば、苦しいこともあると思うのです。 健康な時もあれば、病気の時もあると思うのです。人生の過程において、色々あるからこそ、人生は面白いのだと思うのです。色々経験させて頂くからこそ、学べるのだと思うのです。正すべきを正せるのだと思うのです。少し見方を変えさせて頂くと、「良い」とはどういうものかを知る為に「悪い」を経験させて頂く。。。「悪い」とはどういうものかを知る為に「良い」を経験させて頂く。。。「嬉しい」とはどういうものかを知る為に「悲しい」を経験させて頂く。。。「悲しい」とはどういうものかを知る為に「嬉しい」を経験させて頂く。。。「楽しい」とはどういうものかを知る為に「苦しい」を経験させて頂く。。。「苦しい」とはどういうものかを知る為に「楽しい」を経験させて頂く。。。「健康」とはどういうものかを知る為に「病気」を経験させて頂く。。。「病気」とはどういうものかを知る為に「健康」を経験させて頂く。。。ということでもあると思うのです。「悪い」を知るからこそ、「良い」の有難みが分かると思うのです。。。「悲しい」を知るからこそ、「嬉しい」気持ちが一入になり、人様の気持ちも分かるようになるのだと思うのです。「苦しい」を知るからこそ、「楽しい」という喜びを実感することができ、人様の気持ちも分かるようになるのだと思うのです。「病気」を知るからこそ、「健康」の有難みが分かると思うのです。。。「良い」を知ったのであれば、「悪い」にならないように。。。「嬉しい」を知ったのであれば、「悲しい」にならないように。。。「楽しい」を知ったのであれば、「苦しい」にならないように。。。「健康」を知ったのであれば、「病気」にならないように。。。調子に乗ったり、傲慢になったり、無理をしたりすることのないよう、いつも良心に従い、自分の言動に責任をもって、生かさせて頂くことが大切だと思うのです。楽は苦の種、苦は楽の種。。。楽あれば苦あり、苦あれば楽あり。。。苦楽は相伴う。。。禍福は糾える縄の如し。。。今が良ければ、次は悪いことが。。。今が悪ければ、次は良いことが♪今が楽しければ、次は苦しいことが。。。今が苦しければ、次は楽しいことが♪ということだと思うのですが、 「今が良ければ、次は悪いことが。。。」 「今が楽しければ、次は苦しいことが。。。」の時は、今の良好で楽しい状態においても、増長することなく、傲慢になることなく、謙虚な姿勢で過ごさせて頂いていれば、過度に悪くなったり、苦しむことからは、回避されると思うのです。良いときであろうと、悪いときであろうと、楽しいときであろうと、苦しいときであろうと、その時々によって、心のあり方や生き様、言動がコロコロと変わることなく、いつ何時も同じ態度でいることができるような心を育ませて頂きたいものですね。そうすれば、自分に与えて頂いている全ての境遇について、 「有難いなぁ~♪」と思うことができる大きな心、豊かな心が生まれ、何が起こっても感情に左右されることなく、ものごとを冷静に、客観的に洞察することができ、大きな痛手を負うことから回避できると思うのです。 (良いこと、悪いこと等の基準は人それぞれで、 自分勝手な自分基準によるものごとの見方で、 「これは良い♪」「これは悪い。。。」と 決めつけているだけだと思うのです。 それ故に、同じ境遇でも、ある人は「これは良い♪」とし、 またある人は「これは悪い。。。」とするのだと思うのです。 自分に与えて頂いている全ての境遇は、 その時の自分にとって必要なこと故に、 必然として与えて頂いていることを考えれば、 実は全てが「良いこと♪」なのだと思うのです。 ただ、それを「(自分にとって都合が)良いか悪いか」で、 分けて考えようとしてしまう私たちの思考の悪癖が、 邪魔をしてしまっているのだと思うのです。 ということは、例え、その時こそは、 自分基準で「これは悪い。。。」と感じることであっても、 時の経過とともに、 『あの時思った「これは悪い。。。」という経験があったからこそ、 今の自分があるんだなぁ~。。。あの経験は良かったんだなぁ~。。。」 と素直に思うことができることもあると思うのです。 結果的に「良いこと♪」になる。。。 だからこそ、全ては「良いこと♪」なのだと思うのです。)中には、 「朝の来ない夜はある。。。」 「春の来ない冬はある。。。」 「止まない雨もある。。。」 「苦しかない。。。」と思われる方もいらっしゃられると思うのです。 (自分の心を地下に置いている人は、 このように思ってしまう傾向があると思うのです。 しかしながら、心を地下に置いているのは、 自分の意思であり、自分の選択の結果だと思うのです。 明るい地表で、心を日向ぼっこさせたければ、 そこに移動すれば良いだけ。。。 その移動ができるか否かは、地下から地表に出る 勇気があるか否かの差だけだと思うのです。)本質が「心」である私たちにとって、心のあり方が変われば、その捉え方も変わってくると思うのです。後向き、否定的、消極的、悲観的な心のあり方や言動が多ければ、どんなにか、 「朝の来ない夜はない。。。」 「春の来ない冬はない。。。」 「止まない雨はない。。。」 「苦あれば楽あり。。。」と希望や期待を抱いていても、自らのその心のあり方が不平不満、愚痴、怒り、被害妄想などの言動や、足ることを知らない欲望を生み出せば、 朝が来ないように。。。 春が来ないように。。。 雨が止まないように。。。 苦が続くように。。。させてしまっていると思うのです。 (不平不満、愚痴、怒り、被害妄想を抱くことは、 より悪く、より苦しく、より辛くなるように 自ら仕向けているようなものだと思うのです。 それでは、良くなりようがないと思うのです。)時には、 朝が来ているのに自ら夜にしてしまう。。。 春が来ているのに自ら冬にしてしまう。。。 陽が照っているのに自ら雨にしてしまう。。。 楽が訪れているのに自ら苦を選んでしまう。。。ということさえあると思うのです。それもこれも、私たちの後向き、否定的、消極的、悲観的な心のあり方や言動。。。つまり、自分自身に原因があるのだと思うのです。ということは、その逆。。。前向き、肯定的、積極的、楽観的な心のあり方や言動を多くして過ごさせて頂けば、例え、 「朝の来ない夜はある。。。」 「春の来ない冬はある。。。」 「止まない雨もある。。。」 「苦しかない。。。」と希望や期待を抱いていなくても、自らのその心のあり方や言動によって、自ずと自分を取り巻く環境や人が変わり、 夜が明けて朝がやって来る。。。 冬が明けて春がやって来る。。。 雨が止んでお天道様が照る。。。 苦を乗り越えて楽が訪れる。。。ようになるのだと思うのです。天のお立場になってみると、 苦難や試練を良心と理性に従って、 耐え忍び、心磨かれているところに、愛の光で応援を♪ 喜びや笑顔多きところに、幸運を♪ 期待と努力の継続あるところに、ご褒美を♪ 明日に夢や希望を抱き続けるところに、チャンスを♪というスタンスでいらっしゃると思うのです。良い時であろうとなかろうと、態度を変えることなく、いつも良心と理性に従う心のあり方や言動。。。喜びや笑顔が多くなる自分の心のあり方や言動。。。期待を抱きつつも依存せずに努力する心のあり方や言動。。。明日に夢や希望を持って諦めずに生きる心のあり方や言動。。。与えて頂いた境遇に逆らうこと無く、ただ有り難く受け留めさせて頂きながら、前向き、肯定的、積極的、楽観的な心のあり方で、 朝を待つ。。。(夜明けを待つ。。。) 春を待つ。。。(雪解けを待つ。。。) 雨上りを待つ。。。(青天白日を待つ。。。) 楽を待つ。。。(苦という嵐が過ぎ去るのを待つ。。。)という姿勢で、「今」を明るく、元気に、笑顔で生きようとするその生き様が、朝を招き、春を迎え、青天に恵まれ、人生を楽しみ、幸せになる道に導くのだと思うのです。源光「喜びましょう。 期待しましょう。 明日を見ましょう。 そうです。 明日は、晴れるのです。 寒い冬ももう終わりです。。 あなたの人生。。 春の陽射しがそこまで来ていますよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201602090000/「明けない夜は無いのです。 あなたの人生も同じことです。」(ラクシュミーさん)「たとえ今は不幸な状況であっても、 じっと耐え忍んでいれば、いずれ幸せが巡ってくるのです。 いつまでも冬が続くわけではなく、春は必ず訪れます。 朝のこない夜もないのです。」(ラクシュミーさん)「暑さ寒さも彼岸まで、 残暑は秋の彼岸までに治まり、 余寒は春の彼岸までに和らぐので、 それ以後は過ごしやすくなるという自然の理です。 どのように困難な事態であっても、 やがては終わりが来て乗り越えることができます。 だから苦難の時も、諦めずに耐えることですよ。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201509140000/「待つ。。。ひたすら待つ。。。大切なことです。 農作物、人生。。。 育てることが上手な人は待つことが上手です。 待っていることに喜びや楽しみが感じられれば 今を充実して生きられるのです。 経済的苦難も、鬱も、病気も、慟哭も、 トラブルも事態の好転をひたすら待つ。。。 待つことが喜びであり楽しみ。。。 もはや好転したも同じです。 天はそのような人にご褒美を降ろします。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201511010000/「心の病、大病など、根性や、精神力、 お金ではどうにもならないこともあります。 自分の力のないことは天に任せて、自分の心がけをよくし、 根本から再生の努力をすることです。 天は心の美しさを求めているのですから。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408230001/「幸運の時も不運の時も、すべての現象に感謝しましょう。 感謝は最大の徳であるだけでなく、全ての徳の源なのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201406240001/「冬の時代にすべてを今すぐに知ろうとしても無理です。 心が春になって雪が解ければ観えてくるのです。」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201409050000/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201409050001/「不安、不自由、不足や不満の種は尽きませんが、 恵まれていることは忘れていませんか? 心が不安や不満でいっぱいになったら、 不平不満、不安,不自由から心を放して、 恵まれていることに感謝しましょう。 そうすれば、あなたを悩ませている問題は、 霧がはれるように少しずつ消えていきます。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312210001/『嵐が過ぎ去るのを、身を低くして、 「どうぞ、静かにお通り下さい」と、 過ごしたらいいですよ。 あなたは、必ず、元気になりますよ。 私はあなたを応援しています。』(グラ女神さん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201603100000/「大いなる喜びに、大いなる悲しみが先立つのですから、 どんなに辛くとも、大いなる悲しみを乗り越えなければなりません。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201206150000/ 「禍福は、コインの裏表ですよ。 苦難が大きければ大きいほど、 大きな幸せが隠れているのですから、 哀しまないことです。 笑顔でコインをひっくり返しましょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201310110000/「なぜ自分だけが、こんなに苦しまなければならないのか?と思わないことです。 試練は、その人が魂の向上のために、自ら人生の途中に仕掛けておいたもの。 試練の傾向が同じです。自分のメニューですから、当然、クリア出来るのです。 よく反省し、より良く生きようとするなら、 苦しんだり、悩んだりすることは、当然のことです。 これを乗り越えた時、大いなる安らぎの光に包まれます。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312170003/
2016.11.07
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「世界中の風景の中に 自分の心の故郷を発見してください。 あなたの心が安らぐ場所。。。 写真で発見できますよ。 悠久の時の流れ。。。 生き通しの魂を大切にすることの意味がわかるはずです。 何があろうと生きて生きて生き抜くことですよ。 いつの日か、その場所に佇んでください。 過去の記憶が蘇るかも知れません。」 「何も考えない。。。 ただ美しい風景に溶け込んでください。 それだけで救われることがあります。」実際に目にする大自然の風景や歴史的建造物、絵画。。。写真や画像等で見る大自然の風景や歴史的建造物、絵画。。。車窓の先に広がる風景。。。街並み。。。地形。。。など、様々なシチュエーションで出逢いを頂いたものの中に、強く心惹かれるもの。。。とても印象深いもの。。。既に知っていると感じるもの。。。心地良さを覚えるもの。。。懐かしさを感じるもの。。。等があると思うのです。時として、 「行ったことが無いのに見たことがある気がする。。。」 「初めて来たのに、懐かしさを感じる。。。ここにいた気がする。。。」 「この写真の風景、凄く惹かれる。。。懐かしい。。。行きたい。。。」 「この大自然の風景。。。この古い街並み。。。この気候、地形、風土。。。 この場所にいるだけで、なぜか心が安らぐ。。。心が落ち着く。。。」などと感じることがあると思うのです。そのように感じるのは、 今生では、行ったことが無いだけ。。。 今生では、初めて来ただけ。。。 今生では、初めて目にしただけ。。。であって、幾度となく生まれ変わっている自分、過去生の自分が そこを生活の拠点とし、定住していた。。。 旅の途中、縁あって、その地に長居していた。。。などの経験が、私たちの本質である魂に、その記憶が刻まれ、残っているが故に、心惹かれたり、懐かしさや郷愁を感じるのだと思うのです。自分や自分の分霊さんの過去の人生の様々な経験。。。それが、魂に刻まれているからこそ、 強く心惹かれたり。。。 とても印象深く感じたり。。。 既に知っていると感じたり。。。 心地良さを覚えたり。。。 懐かしさを感じたり。。。するのだと思うのです。見方を変えさせて頂くと、そのように感じた地域や環境の他、それらに関係する何かに、過去生の自分や分霊さんが携わっていた。。。関係していた。。。という可能性もあると思うのです。それは、過去の記憶や経験を今生の自分に活かす為のヒントや、今生の自分の特技や能力を開花させるヒントなどが隠されている可能性もあると思うのです。何度も読み返したり。。。何度も聞き返したり。。。何度も観直したり。。。何度も訪れたり。。。自分なりに調査、探究するなどして、より身近に感じられるようにさせて頂くと、偶然を装った必然で、過去の記憶が蘇るような新たな境遇や人様とのご縁を頂くことにも自然と繋がり、今生の自分の大きな変化(ターニングポイント)にも繋がる可能性があると思うのです。また、今生で郷愁を感じるものは、時として、 過去生において遣り残したことを 今生においてやり続けたい。。。 やり遂げたい。。。もう一度、挑戦したい。。。などの過去の思いを思い出させる為の境遇だったり、ということもあると思うのです。 (時には、過去生における深い思い入れを 解消、清算する為の境遇ということもあると思うのです。)だからこそ、 「行ったことが無いのに見たことがある気がする。。。」 「初めて来たのに、懐かしさを感じる。。。ここにいた気がする。。。」 「この写真の風景、凄く惹かれる。。。懐かしい。。。行きたい。。。」 「この大自然の風景。。。この古い街並み。。。この気候、地形、風土。。。 この場所にいるだけで、なぜか心が安らぐ。。。心が落ち着く。。。」と感じるときは、そのような秘めた可能性があることを大切にして、 「気のせい気のせい。。。」 「たまたま気になっただけ。。。」 「テレビか何かで似たようなもの見たから、そう感じているだけだな。。。」などと軽視して、流してしまうのではなく、 「もしかしたら、チャンスかもしれない!」 「もしかしたら、自分のルーツを知る手掛かりになるかもしれない!」 「もしかしたら、自分が本当にやりたいこと、 やるべきことが見つかるかもしれない!」という感じで、自分の純粋な気持ちをありのままに受け入れさせて頂き、心動かされたことについて、あれこれと調査、探究したり、可能であれば、その場所に足を運ばせて頂くなど、踏み込ませて頂くと良いと思うのです。例え、今、その場所に訪れることができなかったとしても、ネットなどでその場所、地域周辺の画像や動画を眺めたり、画像をプリントしてお部屋に飾って思いを馳せたり、その場所、地域に関する歴史や風土について、あれこれと調べることによって、その場所へ訪れる機会を自ら引き寄せ、訪れる準備を整えることにもなると思うのです。純粋な 「行きたい。。。(行ってみたい。。。)」 「訪れて、そこで少し過ごしたい。。。」 「心がそこに行きなさい、と言っているような。。。 その地に呼ばれているような。。。 居ても立ってもいられないこの気持ちはなんだ?」という気持ちは、その純粋さ故に、私たちの本質である魂の叫びでもあると思うのです。自分の魂の叫びに素直に従って、そういう場所に自分を連れて行ったり、気になる場所や見覚えのある場所を、気の向くままに散策させて頂くことは、その地やその地の気候、風土、習慣、エネルギー、歴史的建造物、食べ物などに直接触れるということ故に、過去(生)の記憶の琴線に触れ、何かが呼び覚まされることもあると思うのです。そのようにして、自分(魂)に正直に過ごさせて頂くことが、 「生き通しの魂を大切にすること」に他ならないのだと思うのです。そして、 「生き通しの魂を大切にすることの意味」は、私たちの本質である魂の構成、仕組みにあるのだと思うのです。【魂の構成・仕組み】について魂は下記のような構成になっているそうです。1/6は、本霊さん 1/6は、分霊さん11/6は、分霊さん21/6は、分霊さん31/6は、分霊さん41/6は、分霊さん5合計で、1/6×6 = 6/6 = 1つの魂。。。こういうことのようです。例えば、今、地上に生まれてきている魂が「本霊さん」だとします。本霊さんが天に帰還された後、次に地上に生まれてくるのは、「分霊さん1」になるそうです。同じように、「分霊さん1」が天に帰還された後、次に地上に生まれてくるのは「分霊さん2」。。。→ 本霊さん → 分霊さん1 → 分霊さん2 →→ 分霊さん3 → 分霊さん4 → 分霊さん5 → 本霊さんの繰り返しで、本霊さんと分霊さん1~5がそれぞれ、地上で修業をさせて頂くことを繰り返しているそうです。また、「守護霊さん」という存在は、「次に生まれてくる自分」だそうです。今、地上で生かさせて頂いている自分の魂が「分霊さん3」であれば、その守護霊さんは、「分霊さん4」ということだそうです。「分霊さん5」が地上にいれば、その守護霊さんは「本霊さん」。。。「本霊さん」が地上にいれば、その守護霊さんは「分霊さん1」。。。ただし、「守護霊さん」とはいえ、1/6の自分であることに違いはない為、地上の自分を指導する力は、決して大きくはないそうです。稀に、同時期に1/6の魂2つ(2/6)が、地上に降り立つことがあるそうですが、それは、本人の魂の浄化や進歩に適した時代に、例外としてありうることだそうです。本霊さんは、本霊さんというリーダー的存在故に、分霊さん1~5が蒔いた種。。。地上で犯した過ちや間違いなどの業で清算されていないもの全てを背負うことになっているそうです。それ故に、本霊さんが地上に生まれた時は、大きな苦難や大きな試練があることが多いそうですが、乗り越えられないような苦難や試練はないようです。 (本霊さんご自身が、業の清算を通じて、 魂の修正や成長を遂げて、天に帰還するぞ! という意気込みで、自分で自分に課したものが 大きな試練故に、乗り越えられないことはない。。。 そういうことなのだそうです。)裏を返させて頂くと、大きな苦難だろうと、大きな試練だろうと、それらを乗り越えられるような心の器があるからこそ、「本霊さん」というリーダーが務まるのだと思うのです。今生の自分の人生は、自分の為だけの人生ではない。。。今生の自分の行いが、次に生まれてくる自分に引き継がれる。。。ということが良く分かると思うのです。 (地上で修業をしている1/6の魂の 地上における心のあり方、生き方、言動は、 天界にいる5/6が、順番に地上に生まれてくるときに、 引き継がれて大きく影響するということ。。。)今生の自分が善き心で善き行いをし、徳を積ませて頂けば、次に生まれてくる自分には善きことが。。。(善因善果)今生の自分が悪しき心で悪しき行いをし、業を増やせば、次に生まれてくる自分はその責を背負う。。。(悪因悪果)善きことも悪きこともバトンタッチして引き継いでいく。。。その引き継ぎは、自分から他人様ではなく、1/6の自分から、1/6の自分へ。。。次に地上に生まれ立つ魂の兄弟が、地上で心豊かに幸せに過ごせるようにする為には、今、地上で修業をさせて頂いている自分が、 良心に従って活かさせて頂くことを常とする。。。 人様のお役に立つことや人様にお喜び頂けることを 良心に従ってさせて頂く。。。 自分で自分に課した試練を乗り越える。。。ことによって、魂の修正や成長をさせて頂いたり、徳を積ませて頂くことが大切なのだと思うのです。その反対のことをすれば、自分で自分を貶めるだけでなく、次に地上に生まれ立つ魂の兄弟をも貶め、巡り巡って再び自分が生まれる時も、より大変になってしまう可能性がある、ということでもあると思うのです。自分一人で生かさせて頂いているわけではない私たち。。。自分と人様の関係において、「自分さえ良ければそれで良い」として、利己心で生かさせて頂くことは、自分で自分の首を絞めるようなものですが、自分(1/6)と自分の魂の兄弟(5/6)の関係もそれと同じようなものだと思うのです。地上にいるのは自分一人であったとしても、天界には5/6の魂の兄弟がいることを忘れず、その魂の兄弟が地上に生まれ立つときに、少しでも心豊かに幸せに過ごすことができるよう、 「魂の兄弟の為に自分が頑張ろう♪」という魂の兄弟を思い遣る心や魂の兄弟の為にという利他心を持たせて頂く。。。世界でたった一人の自分。。。掛け替えのない自分。。。掛け替えのない魂の兄弟。。。そういう魂の兄弟がいる自分だからこそ、 自分(1/6)で自分(5/6)を信じる。。。 自分(1/6)で自分(5/6)を大好きになる。。。 自分(1/6)で自分(5/6)を愛する。。。 自分(1/6)で自分(5/6)を大切にする。。。ことが大事なのだと思うのです。「生き通しの魂を大切にすることの意味」とは、そういうことなのだと思うのです。源光「文化、歴史、自然。。。 ただ訪ねるだけでよいのです。。。 人は心の故郷というものがあるのです。。。 そこにはあなたの原点があります。。。」(ラクシュミーさん)「昔の思い出は、ただそれだけで、 現在手に入れうるすべての幸福よりも魅力があるのです。 たまには遠い遠い昔を思い出してください。 あなたの原点を。。。。。 今のあなたは日々の積み重ね。。。 あの日から、ずいぶん成長しましたね。。。 よくやったね。。。と自分を褒めてあげてください。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201509220000/「人生の途中で、出会った心に響く 歌や本や映像は、運命的なものです。 歌詞や文章や映像の中に、 人生のターニングポイントが隠れています。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312130006/「行ったことがないのに。。。 写真だけで郷愁を感じることも。。。 象徴的建物そして街並みは記憶に残っているものです。」(ラクシュミーさん)「自分の好きな景色。。。 海派、山派、夏派、冬派 。。。。 いろいろあります。 人は無意識に魂の故郷と似た風景に 郷愁を感じるものです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201506040000/ 「人生は、途中で切り上げることができない 自分で決めた旅行であって、死は帰宅です。 素晴らしい経験を積んで、 土産話をたくさん持って帰ることですよ。 懐かしい故郷へ。。 そして次に出る用意をしている魂の兄弟姉妹に、 素晴らしいアドバイスを与えてください。 人生は楽しいよ。。笑顔を忘れないでね。。と。。」「真っ直ぐの道 それは良心の道です。 懐かしい、魂の兄弟姉妹の待つ 心の故郷へ真っ直ぐに続く道。。。 歩いていますか?」 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201509240000/「人間は、修行のために異郷に生まれて来たのです。 生きることは心の故郷を異郷に実現させること。 愛の心で生きること。。 いつの日か心の故郷に、果たすべきことを果たして、 喜びを胸に還ることです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408120000/「生まれ変わるのは、地上に生ある時です。 還って来てからでは遅いのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201209260000/「死なないで地上で、生きられる人は皆無です。 人は、地上に命がある時だけ 諸々の善行をなすことができるのですから、 せっかくの機会を大いに活かして、 帰還されますように。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201211090000/「地上に生を受けることは、降りる前に自分自身で決定していた、 路線に沿って魂を磨くということです。 無意味に生まれてきた人は、ただの一人も存在しないのです。 自分自身に誇りと夢を持って、活きて頂きたいと思います。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201310240000/「誰もが日々見ていながら、誰も気づかなかったことに気づくこと。 あなたの生涯研究の課題です。ゼロでもいいのですが、 心の故郷に三つも四つも持ち帰る人もいるのは事実です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201403050000/ 「大切なのは心構えです。心的態度です。 天は、心でどう思ったか、どう考えたかを観ていますから、 偽善や形だけの善行は、ほとんど評価しないのです。 心的態度。。 これが、その人の才能や努力、知識以上に重要な要素です。 心を磨く。。 これが全てに優先するのです。。 幸運の鍵。。 いつでも渡す準備はできています。 あなたの心、純粋な心に期待して、待っています。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201401050000/
2016.11.06
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「みんな同じ方向に泳いでいるのです。。。 でもほんの数匹。。。逆方向に。。。 はぐれ者か? 方向感覚がおかしくなったのか? しかし、何かをなさんとすれば、 あえて大勢に逆らって逆に動くことも必要です。 一匹に引きずられて一気に流れが変わることもあるのです。」「自分」という個性や意識を与えて頂いている私たち。それにもかかわらず、 自分の意見がなく、 自分の意見があっても主張できず、 人様の目を気にし、 人様との相違を恐れ、 仲間外れにされることを恐れ、はたまた、 何ごとにも無関心。。。 長い物には巻かれ。。。 事勿れ主義。。。 人様の顔色を見て言動する。。。 良心のYESを言動のNOに。。。 良心のNOを言動YESに。。。など、誰かに言われるがまま、指示されるがままで、 「みんながいるなら大丈夫!」という根拠のない安易な考えから、多数の者と同じ行動をすることや、多数派に身を置くことに安心や安全を覚える。。。ということがあると思うのです。そのような時でも、 「これはいいかもしれない!」 「これをしたら、もっと良くなるかもしれない!」 「これは人様のお役に立つかもしれない!」 「これが自分が本当にしたいことだ!」などのように、居ても立っても居られないような何かが、ふっと思い浮かぶことがあると思うのです。その思い浮かんだことについて、いざ何らかの行動を起こさせて頂くときに、 「何から始めよう?」 「何をすればいいだろう?」と思案したり、模索することがあると思うのです。僅かばかり思案や模索した結果、 「〇〇を自分がやる意味があるのか?」 「こんな小さなことをしても仕方がない。。。」 「自分だけがやっても何にもならない。。。」 「どうせ人にバカにされ、笑われて、 変人扱いされるに決まってる。。。」などと思ってしまい、せっかく与えて頂いた思い浮かんだことを直ぐに諦めてしまうことも良くあると思うのです。それは、これからしようとしている思い浮かんだことについて、自分勝手な自分基準によるものごとの見方から生じた不安や恐れによって、 「意味がない」 「小さなこと」 「何にもならない」などとに勝手に解釈し、勝手に思い込み、勝手に決めつけているだけだと思うのです。それは、自分がしようとしていることについて、 直ぐに何らかの「結果」となって現れて欲しい。。。 「結果」として現れることによって「満足したい」。。。 バカにされたくない。。。笑われたくない。。。などと思っているからだと思うのです。自分がしようとしていることや、自分にできることが、 どんなにか「意味がある」かも分からないことであろうと、 どんなにか「小さなこと」であろうと、 どんなにか「何にもならない」と感じられることであろうと、 それが直ぐに何らかの「結果」にならないものであろうと、 それが他者にバカにされ、笑われることであろうと、それを地道に繰り返させて頂くことが、巡り巡って、いつの日か、人様の為になるようなものの「布石」となる可能性があるとしたら、とても遣り甲斐があると思うのです。自分が思い描いてしまった 「〇〇を自分がやる意味があるのか?」 「こんな小さなことをしても仕方がない。。。」 「自分だけがやっても何にもならない。。。」 「どうせ人にバカにされ、笑われて、 変人扱いされるに決まってる。。。」という思いが、未来に生じるべき変化を止めてしまう可能性があるとしたら、 「思い浮かんだからには意味があるに違いない! 意味を持たせることができるよう頑張ってみるか!」 「こんな小さなことでも未来のお役に立たせて頂けるなら!!」 「自分一人でもやれるところまでやってやる!!」 「人にバカにされようと、笑われようと、 これが自分のやりたいことなんだ!自分の役割なんだ! 自分を、そして、浮かんだことを信じて、信じ続けて、 どこまでも突き進んでやる!!」と、遣り甲斐が生まれてくると思うのです。自分という「個」が思い描く 「〇〇を自分がやる意味があるのか?」 「こんな小さなことをしても仕方がない。。。」 「自分だけがやっても何にもならない。。。」 「どうせ人にバカにされ、笑われて、 変人扱いされるに決まってる。。。」は、「全体」から見たら、 「あの人がやるからこそ意味があること。。。」 「あの人にしかできない意味があること。。。」 「あの人だからこそ任されている意味があること。。。」 「なければならない小さなこと。。。」 「無くては始まらない小さなこと。。。」 「何にもならないところから始まったこと。。。」 「バカにする人、笑う人は、その重要性の意味が分からない人。。。 そして、それはそういう人にはできないこと、任せられないこと。。。」でもあると思うのです。それを欠いてしまうことは、パズルを完成させることができない、ということだと思うのです。重要なパズルの1ピースを担わせて頂いているにもかかわらず、自分勝手な自分基準によるものごとの見方や考え方で、無駄、無意味にしてしまうことのないように、 「意味がない」 「小さなこと」 「何にもならない」などと感じるようなことでも、大切にして生かさせて頂きたいものですね。否、「意味が見いだせない」ような「小さなこと」だからこそ、「何にもならない」という予想もつかないようなことだからこそ、大切にさせて頂くべきだと思うのです。「意味が見い出せないこと」の中に、「意味を見出す」努力をしなければ、意味を見い出すことなどできないと思うのです。 (意味を見い出す努力をさせて頂くからこそ、 自ら意味を持たせることができる。。。 ということも多々あると思うのです。)「小さなこと」を大切にしたり、成し遂げることができずに、「大きなこと」を大切にしたり、成し遂げることはできない、と思うのです。「何にもならない」と感じられることにさえ、取り組ませて頂く勇気と行動力があるからこそ、どんなことにも取り組ませて頂くことができるのだと思うのです。「意味がない」「小さなこと」「何にもならない」と感じるものであろうと、最初の 「これはいいかもしれない!」 「これをしたら、もっと良くなるかもしれない!」 「これは人様のお役に立つかもしれない!」 「これが自分が本当にしたいことだ!」という居ても立っても居られない様な感覚を大切にし、その感覚を行動に移し、地道に繰り返すことによって、「意味がない」ところに意味が生まれ、「小さなこと」を成し遂げるとができ、「大きなこと」に取り組ませて頂く器量が備わり、「何にもならない」と感じていたことから、「何か」を生み出すことができたり、新しい発見が生まれるのだと思うのです。だからこそ、 「何をすれば良いのか。。。何から始めれば良いのか。。。 良く分からないけど、とにかく、動きたい!何かをしたい!」 「これはいいかもしれない!」 「これをしたら、もっと良くなるかもしれない!」 「これは人様のお役に立つかもしれない!」 「これが自分が本当にしたいことだ!」という動くべき時期のお知らせ的な感覚を逃すことのないようにして、冷静に、かつ、迅速に、選択、判断、決意をさせて頂きたいものですね。例え、その道が、 大勢(多数派)と反対の方向であろうと。。。 自分一人しかいなかろうと。。。そのような道を与えて頂いているのは、 大勢と反対の方向を歩むことができるあなただから。。。 自分一人しかいなくても、その道を選ぶことができるあなただから。。。ということでもあると思うのです。一匹狼であろうと、否、一匹狼だからこそ、自分に自信と誇り、夢、希望、孤高の精神を持って、自分に与えて頂いた道。。。自分の信じる道。。。を自分らしく歩ませて頂きたいものですね。表舞台から人様を先導する方であろうと、裏方として実権を握り、人様を先導する方であろうと、人様を先導する方の生き様とは、異質なものなのだと思うのです。 (異質だからこそ為せる、ということでもあると思うのです。)時に、そういう方を、「神の賜物」の意のギリシャ語である「カリスマ」と呼ぶのだと思うのです。源光「世の中から孤立してもいいと腹をきめて、自分を貫いていけば、 本当の意味でみんなの役に立ち、喜ばれる人になれるのです。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407130001/ 「あなたの人生はあなたの人生です。 人に左右される必要はありません。。。 孤高の人であっても。。。それはあなたの人生です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201506130000/「自分で選んだ道ならば、堂々と胸を張って生きていけばよいのです。 他人にとやかく言われる筋合いではありません。 ただ泣き言は止めなさい。見苦しい限りです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201501010000/ 「良心に恥じない自分であれば、思うままに生きればよいのです。 そして他人の生き方に口を出す必要はありません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201409280000/「人生は有限です。 ですから他人の気に入るような行動をするよりも、 良心に忠実に、自分を尊敬し、自分が満足できるような 行動をとるべきです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312060000/「世間や社会にではなく、良心に従って 自分に恥ずかしくないように生きることです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201412160001/ 「まず自分自身を満足させるのです。 自分自身も満足させられない人に、 いったい何ができるというのでしょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201410220000/「一つの命を救える人は、世界も救えるのです。 一つの善行ができる人は、世界の光の源です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408150000/ 「世の中が暗いと不平を言うよりも、 自分で進んで一本の明かりをつけていきましょう。。 一人ひとりの心に燈った小さな明かりも何千本、何万本と集まっていけば、 この世の闇も消滅していくのです。 小さな一本の明かりでいいのです。 世の中に必要とされる人でありましょう。 この世で一番不幸なことは、飢えや病気ではなく、 この世で必要とされていないと感じるときなのですから。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407290000/「自分がやる意味があるか。 自分がやって人と違うものが残せるか? やってみますか? たとえ身が滅んでも。。 誰かのためになる何かを残すために。。」 (ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407130000/「何かをなそうとするのならば 一番重要なのは、今、持っている 信用と、人脈と、自分の能力と、資産で 何ができるかを考えることなのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408260000/
2016.11.05
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「誰も、あなたを称賛してくれる人はいないでしょう。 だから自分のことは自身で称えればよいのです。 第三者の目で自分を観て、一所懸命に頑張っている。 あるいは、「今までの人生に悔いなし!!」と思えるのならば、 あなたは、誰が何と言おうと 人生の勝者への道を歩んでいるのです。」「誰の人生でもない、自分の人生です。 自分の気持ちに正直に生きればよいのです。」「他人がなんと言おうと 自分が本当の意味で幸せに感じる方を選びましょう。 そうすれば間違いありません。」私たちが、地上で生かさせて頂いているのは、他者に称賛される為ではなく、魂の修正や成長の為に修行をさせて頂く為だと思うのです。他者に称賛されることを望み、他者に称賛される為には、他者に気に入られるような言動をしなければならないと思うのです。 (他者に称賛されることを望まずに、 ただただ自分らしく、自分の能力や特技を 人様のお役に立つことや人様にお喜び頂けることに 真心込めて活かさせて頂くことで、 自然と他者に称賛されることは、 とても素敵で素晴らしいことだと思うのです。 そういう生き方こそ、私たちの本質である魂が 喜ぶ生き方なのだと思うのです。)それは称賛を得る為の他者の目を気にした言動であり、「自分」という意識を与えて頂いている「自分」を抑え、隠し、「自分」を偽り、欺き、騙している自分らしい生き方ではないと思うのです。 (自分を偽り、欺き、騙している、ということは、 他者を偽り、欺き、騙している、ということでもあると思うのです。 他者の目を気にして、他者からの称賛を得る為に、 自分も他者も偽り、欺き、騙す。。。 そのようにして得られた称賛もまた、 自分や他者を偽り、欺き、騙す称賛でしかないと思うのです。)「自分」という意識があるにもかかわらず、他者の目を気にし、他者からの称賛欲しさに、自分の人生や自分らしさを捨てている自分を、私たちの本質である魂(本当の自分)は、とても残念に感じると思うのです。私たちの本質である魂は、 自分らしく。。。自分にも他者にも正直に。。。 自分が喜びや幸せを感じる心のあり方で。。。 自分の特技や能力を人様の為に活かしたい。。。 自分に恥じることのない生き方をしたい。。。と思っていると思うのです。 自分の心のあり方や言動の責任の所在は、因果応報の法則によって、自分にあることは明確なことだと思うのです。他者の目を気にしたり、他者からの称賛を得る為に、自分も他者も 偽り、欺き、騙したその責任は、全て自分が背負うことに。。。そのようなことを「自分」は望んでいないと思うのです。他者の目を気にして、他者からの称賛を得る為に、自分も他者も偽り、欺き、騙している「自分」を、「自分」はどう評価するのか。。。そのような自分を、「自分」はどう思うのか。。。自分の評価は自分ですれば良いことだと思うのです。他者の目や他者からの称賛など気にする必要はないと思うのです。自分で自分を称賛できるほど、 努力していたかどうか。。。 頑張っていたかどうか。。。 その時にすべきことをしたかどうか。。。 その時にできることをしたかどうか。。。 楽な方へ楽な方へ逃げなかったかどうか。。。 自分を甘やかさなかったかどうか。。。 自分の評価を甘くしなかったかどうか。。。 欲望や邪念に翻弄されなかったかどうか。。。 自分を偽らなかったかどうか。。。 自分を欺かなかったかどうか。。。 自分を騙さなかったかどうか。。。 自分に打ち克つことができたかどうか。。。は、自分が一番良く分かっていると思うのです。表現を変えさせて頂くと、 他者には自分の心の内は分かりようもなく、自分の心の内を知っているのは自分だけであることを考えれば、他者が自分を評価することなど出来ようもなければ、自分が他者を評価することも出来るわけがない、と思うのです。他者の目や他者からの称賛など気にせず、自分の言動に責任を持たせて頂く為にも、自分で自分の心のあり方や言動を冷静に、客観的に観察し、自分の心のあり方や言動を反省し、律するなどの自己評価をし、自分に恥じることのない「自分」を育ませて頂くことが大切なのだと思うのです。自分に恥じることなく生きていれば。。。はたまた、自分に恥じることなく生きる努力をさせて頂いていれば、悔いを残すことはない。。。はたまた、 悔いがあっても小さく少なくて済むと思うのです。しかしながら、自分に恥じるような生き方は、自分の本質である魂が残念に思う生き方故に、悔いばかりが残ってしまうと思うのです。私たちは、 悔いを残す為。。。 悔いを来世に繰り越す為。。。に生まれてきたのではなく、過去生や今生における悔いを修正し、幸せになる為に、輝く為に生まれてきたのだと思うのです。私たちの本質である魂は、「自分」を愛し、「自分」を信じ、「自分」を大切に思って下さっていると思うのです。だからこそ、「自分」も「自分」を愛し、信じ、大切にしながら、自分が幸せを感じる道を歩ませて頂き、自分が幸せになる為の努力を欠かさず、自分で自分を称賛することができるよう、そして、自分の人生に満足できるよう、生かさせて頂けば良いと思うのです。相手にすべきは、他者の目ではなく、いつもお見守り下さっている天。。。そして、自分自身だと思うのです。どのような境遇や現象に遭遇しようと、天と自分に恥じない心のあり方で生かさせて頂けば、天に称賛され、その称賛に相応しい場所に帰還させて頂くことになるのだと思うのです。源光「誰からも認められなくても、真面目、誠実、勤勉に、 コツコツと責任を果たしていく人に、 天は、偶然を装った必然で、運命の転機である出逢いと、 幸運の鍵を用意しています。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201306100000/「自分で選んだ道ならば、堂々と胸を張って生きていけばよいのです。 他人にとやかく言われる筋合いではありません。 ただ泣き言は止めなさい。見苦しい限りです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201501010000/ 「自分自身という財産を持っている人。。。 最終的に勝利者になる人です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201405020001/「世の中から孤立してもいいと腹をきめて、自分を貫いていけば、 本当の意味でみんなの役に立ち、喜ばれる人になれるのです。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407130001/ 「年を取ってから心豊かに生きられるように、 若いうちに努力を惜しまないことです。 死後心安らぐように、生きているうちに 無償の愛を世の中に還元することです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201412010000/「賞賛を求め、中傷に傷つく。。 これが普通の人ですが、 賞賛も、中傷も気にしない人にならない限り、 心の安らぎは永久に得られないのです。 」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201403140000/ 「本当に自信のある人は泰然としています。 自分が他人にどのように評価されているか、 などということは眼中にないわけです。」(ラクシュミーさん)「何があろうと凛として 良心に従って生きていくことですよ。 自分を信じることです。」(ラクシュミーさん)「何があろうと 自分の確固たる城があればよいのです。 人は人。。。我は我。。。 人の評価など気にすることはないのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201510130000/「人生は有限です。 ですから他人の気に入るような行動をするよりも、 良心に忠実に、自分を尊敬し、自分が満足できるような 行動をとるべきです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312060000/「良心に恥じない自分であれば、 思うままに生きればよいのです。 そして他人の生き方に口を出す必要はありません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201409280000/「自分で選んだ道ならば、 堂々と胸を張って生きていけばよいのです。 他人にとやかく言われる筋合いではありません。 ただ泣き言は止めなさい。見苦しい限りです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201501010000/ 「心が騒ついているから、苦しいのです。 人は人、我は我ですよ。 人の目や評価を気にしたり、 人と比較している限り心の平安は訪れないのですから。。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201507010000/ 「人は人、我は我ですよ。 人の目を気にしたり 人と競っている限り 心の平安は訪れないのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201507260000/
2016.11.04
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「あなたを必要とする人がいる限り、 生きる価値も、生きる意味もあるのです。 自分が必要とされていない。。。 誰一人、自分を認めないと感じていても、 応援している存在があることを忘れないでください。」それが家族であろうと、友人知人であろうと、他人様であろうと、自分を必要として下さっている方がいるのは、とても有り難く、幸せなことだと思うのです。だからこそ、自分を必要として下さる方には、その時の自分が無理なくできることを、懸命にさせて頂けば良いと思うのです。触れ合う方を愛する為に授けられた私たちの本質である「魂」が喜ぶ「愛」のある生き方だと思うのです。自分にできることをさせて頂いた結果、自分を必要として下さった方にお喜び頂けたら、自分も嬉しさや喜びを感じると思うのです。その嬉しさや喜びは、自分を必要として下さった方が、自分を必要として下さったからこそ、体験させて頂くことができた嬉しさや 喜びだと思うのです。自分を必要として下さった方の為に何かをさせて頂いたつもりが、実は、自分を必要として下さった方から、嬉しさや喜びを与えて頂いた。。。そういうことなのだと思うのです。裏をかえさせて頂くと、自分を必要として下さった方の為に、何もしなければ、相手の喜びも、自分の嬉しさ、喜びも生まれない。。。ということでもあると思うのです。自分を必要として下さる方がいる。。。というのは、その相手や自分が、喜びや嬉しさで包まれ、幸せを感じる機会として与えて頂いているものなのだと思うのです。反対に、自分を必要として下さる方がいるにもかかわらず、その方の為に自分ができることを何もしなければ、 「自分を必要として下さっていたあの方に。。。あの時。。。 親切にさせて頂けば良かった。。。 自分にできることをさせて頂けば良かった。。。 相手の立場、気持ちに寄り添うべきだった。。。 あの時の自分は、自分のことしか考えていなかった。。。 自分一人で生きているわけではないにもかかわらず。。。 自分も誰かに助けられ、支えられながら 生かさせて頂いているにもかかわらず。。。 自分を必要として下さる方の為に、 自分が無理なく出来ることをさせて頂くことは、 自 分をそれまで助け、 支えて下さった方々や、 自分をこれから助け、支えて下さるであろう方々に対する 感謝の心、報恩の心を行動に起こさせて頂くことができる 貴重な機会であることを忘れてはいけないなぁ。。。」という感じで、後悔の念に苛まれてしまうと思うのです。後悔の念に苛まれるということは、自分を必要として下さった方を傷つけてしまった、ということでもあると思うのです。相手を傷つけ、自分は後悔の念に苛まれる。。。双方が辛く苦しい思いをしない為にも、自分を必要として下さる方がいる時は、その時の自分が無理なくできることを、真心を込めて、懸命にさせて頂きたいものですね。自分が必要とされていないと感じるときは、いつか自分が人様に必要とされるときの為に、それが人様に評価されることであろうとなかろうと、人様に認められようと認められまいと、自分の特技、能力に磨きをかけたり、それに関することを向上できるよう、探究させて頂く為の時間。。。自分に出来ることを地道にコツコツと繰り返しさせて頂く為の時間。。。という心持ちで過ごさせて頂けば良いと思うのです。そのような心持ちで過ごさせて頂くことは、まだ見ぬ未来への無償の愛の実践だと思うのです。自分という意識を持っていても、自分として生かさせて頂いていても、特技や能力、長所が自分のものでも、自分以外の方が存在しなければ、「自分」を感じることができなくなってしまうと思うのです。裏をかえさせて頂くと、自分という意識を持たせて頂く為に、自分以外の人様が存在して下さっている。。。自分として生かさせて頂く為に、人様が人様として生きて下さっている。。。自分の特技や能力、長所を活かさせて頂く為に、それを必要とする人様がいて下さる。。。人様という存在のお陰様で、実は自分が救われている。。。ということでもあると思うのです。私たち一人一人は、この世に存在させて頂いているだけで、「意味がある」ばかりか、人様のお役に立たせて頂いている、ということなのだと思うのです。その「意味がある」ことを、「意味を活かす」に変えさせて頂く為に、得意なこと、特技、能力、長所があり、人生があるのだと思うのです。触れ合う方を愛する為に授けられた私たちの本質である「魂」にとって、自分の特技や能力、長所を必要として下さる人様の為に、お役に立たせて頂くことこそ、最高の喜びを感じる生き方なのだと思うのです。だからこそ、自分の特技、能力、長所をはじめとする自分らしさという個性に、良心や思い遣りなどの利他の心を添えて、人様のお役に立つことや人様にお喜び頂けることを積極的にさせて頂き、人様に必要として頂けるような自分を育ませて頂きたいものですね。時に、 「自分は誰にも必要とされていない。。。」 「自分は誰にも認められていない。。。」などと感じてしまうことがあるものですが、それは、消極的、否定的、後向き、悲観的なものごとの見方をしている自分が生み出している思い込みでしかないと思うのです。天のお取り計らいによって、存在させて頂いている私たち。。。一人一人が存在しているのは、一人一人の存在に「意味がある」からこそ、だと思うのです。一人が多くの方に必要とされる。。。多くの方が一人の方に必要とされる。。 。一人が一人の方に必要とされる。。。各々が各々を必要とする。。。など、色々なケースがあると思うのです。また、知らず知らずの内に、ご縁のない見えない人と繋がっていることも多々あると思うのです。例えば、 Bさんは多くの方に必要とされる存在。。。 しかし、Bさんが必要としているのはAさんだけ。。。 AさんなくしてBさんなし。。。 Bさんを必要とする多くの方は、 Aさんの存在を知らずとも、 Aさんの存在のお陰様で、 Bさんを必要とすることができる。。。そういうこともあると思うのです。天のお立場からすれば、 「誰にも必要とされていないのではなく、 社会や人様に必要とされる時期が来ていない。。。 必要とし て下さる人様との出逢いの時期が来ていない。。。 既に時期は来ているが、あなたも相手も気付いていないだけ。。。 あなたが活躍できる、又は、活躍すべき時期が到来していない。。。 など、何らかの理由があるだけ。。。 人それぞれ、必要とされる時期。。。必要とされる場面。。。 必要とされる内容は異なるもの。。。 同じように、どなた様かを必要とする人も、 必要とする時期や場面、内容は異なるもの。。。 必要とされていないと感じている時は、 必要とされた時に直ぐにお役に立てるよう、 準備をしておく努力と待機の時間です。 努力すること、待つことを楽しんでください。 時には、自分が必要とされる場所がないか、 自分で探してみてください。 ---- 誰にも認められていないのではなく、 あなたの隠れた努力を知らないだけ。。。 あなたの素晴らしい能力・特技に気付いていないだけ。。。 あなたの素晴らしい能力・特技を認められないだけ。。。 あなたの素晴らしい能力・特技の活かし方が分からないだけ。。。 など、何らかの理由があるだけ。。。 自分は自分、人は人です。 人様の目を気にして、人様に認められるように生きるのではなく、 自分らしく生きて下さい。 例え、誰にも認められなかったとしても、 自分の魂が喜ぶことを探求し、努力し、 自分で自分を認めることができるように生きて下さい。 天は、あなたが努力している様子を見て、 あなたの努力を認め、いつも応援しています。」という感じだと思うのです。自分の生きる価値や生きる意味は、他者に求めるようなものではなく、自分を信じ、試行錯誤を繰り返しながら自ら築き、育み、思い出しながら、予め決めてきた自分との約束事を遂行したり、与えて頂いた天命を全うさせて頂くことにあると思うのです。同じ地上で修行をさせて頂いている方々ではなく、自分を応援して下さる天を相手に生かさせて頂けば良いと思うのです。例え、地上において、 誰にも必要とされていない。。。 誰にも認められない。。。 としても、 天に必要とされる自分。。。 天に認めて頂けるような自分。。。になれるよう努力をさせて頂けば、 本当の意味で必要とされる自分。。。 本当の意味で地上でお役に立てる自分。。。になることができると思うのです。源光「人間は、自らが置かれている社会や隣人に 有用な存在となるために生まれてくるのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201605090000/「あなたがそこに居ることで救われる人がいるのなら、 あなたは、そこに居るべきなのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201603250000/「意味もなく生まれてきた人はいないのです。 自分自身の、そして他の人々の人生に意味を見いだしましょう。 あなたの人生はあなたのもの。。(一部抜粋)」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312310000/「自分が社会の中で何か役立っている。。。 社会の中に自分の居場所がある。。。 自分を必要としている人がいる。。 なんて素敵なことでしょう。 お金があって、遊んで暮らしている人。。。 虚しさに心が張り裂けそうなのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201412050000/ 「個性的だからこそ、素敵なのです。 何か得意なことで社会貢献してください。 それで生活できるのが一番の幸せです。」 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201603050000/「世間が必要としているものと、 あなたの才能が交差しているところに、 あなたの生き甲斐と未来があります。 交差しないところに立っていると虚しく感じるものです。 無限の交差点がありますが、そのうちの一つが、 あなたのために用意された交差点です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408080001/「誰からも認められなくても、真面目、誠実、勤勉に、 コツコツと責任を果たしていく人に、 天は、偶然を装った必然で、運命の転機である出逢いと、 幸運の鍵を用意しています。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201306100000/「地上に生を受けることは、降りる前に自分自身で決定していた、 路線に沿って魂を磨くということです。 無意味に生まれてきた人は、ただの一人も存在しないのです。 自分自身に誇りと夢を持って、活きて頂きたいと思います。」(ラクシュミーさん) 1 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201310240000/ 2 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201310250000/「生まれる前に決めていた、 自分のコースを自分のペースで歩むのが最高の幸せの道なのですが なぜか、人のコースが良いように見えたり、 人のペースが早い様に見えて焦るのが人間です。 人は人。。我は我。。コースはみんな違います。 本来のコースを外れた人生を送って、 名誉や地位や権力を手に入れたり 学歴や肩書、財産などがあっても 一つも面白くない人生を歩んでいる人もいるのが 世の中というものです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201312220000/ 「努力して創造していく間が人生なのです。 人生を楽しんでください。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201208140000/「待つ。。。ひたすら待つ。。。大切なことです。 農作物、人生。。。 育てることが上手な人は待つことが上手です。 待っていることに喜びや楽しみが感じられれば 今を充実して生きられるのです。 経済的苦難も、鬱も、病気も、慟哭も、 トラブルも事態の好転をひたすら待つ。。。 待つことが喜びであり楽しみ。。。 もはや好転したも同じです。 天はそのような人にご褒美を降ろします。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201511010000/「どんな事にもタイミングがあります。 あせらず、その時を待ちましょう。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201504210000/「ことが成るには、時を待たねばなりません。 焦らず騒がず、時を待つことです。 準備万端怠りなく。。半分の法則ですよ。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201504180000/
2016.11.03
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「為すべきことは、 熱を与えることではなく、 光を与えることなのです。」「死ぬということは、 神さまのもとに還るということ。 生きるということは、 神さまの心を地上に降ろし、 全ての人に愛の光を放つことです。」熱。。。何かに打ち込む。。。何かに精神を集中する。。。何かに夢中になる。。。熱意。。。熱中。。。熱心。。。情熱。。。「熱」は、時の経過と共に冷めてしまい易いもの。。。もし、どなた様かに「熱」を与えたいと思うのであれば、「熱」を与え続けなければならないと思うのです。 (途中で投げ出すようなことをすれば、 相手の方の心身にご負担をかけるなど、 何らかのご迷惑をお掛けしかねないと思うのです。 それ故に「熱」を与え続けようとするのであれば、 最後まで責任を持つことが大切だと思うのです。)本来、熱意、熱中、熱心、情熱などは、自ら生み出すものだと思うのです。自ら生み出すべき「熱」を、他者から一方的に与えて頂いても、他者と自分の「熱」の対象が、同じものや同じ方向を向いていない限りは、 押し付けがましい。。。 余計なお世話。。。などと感じてしまうと思うのです。他者は「熱」を与えて下さっているつもりでも、自分は「冷めた」気持ちになってしまう。。。心と心の繋がりが希薄で、意思の疎通がはかられていなければ、 「熱」も伝わりようがない。。。 「熱」を受け入れようがない。。。と思うのです。「熱」を与えたいと思う側は、自分が与えたい「熱」を与えてしまうことが多いと思うのですが、それは自分の価値観の押しつけであり、相手を利用して自己満足を得ているに過ぎないと思うのです。相手が欲している、又は、望んでいるような「熱」を与えて差し上げるのが、相手を思い遣るという「熱」だと思うのです。相手を思い遣る「熱」は、 優しさ。。。 温かさ。。。 豊かさ。。。 大きさ。。。 愛。。。など、色々あると思うのですが、相手を思い遣る「熱」があるからこそ、相手もその「熱」を感じて、受け入れて下さるのだと思うのです。「熱」を感じて受け入れる。。。それは、心に「光」が灯るということだと思うのです。「熱」が「光」を灯したのではなく、「熱」を与えようとしていた者の心に、「相手を思い遣る」という無償の愛の「光」が灯り、その「光」から、 優しさ。。。 温かさ。。。 豊かさ。。。 大きさ。。。 愛。。。が生まれ、相手を照らすることに。。。その「光」が相手の心の琴線に触れ、それを受け入れた相手の心に「光」を灯した。。。そういうことなのだと思うのです。心に「光」が灯るということは、 明るく、元気に、楽しく、笑顔になる。。。 自ら光を放つようになる。。。 自らの光を他者にお福分することができる。。。ようになったり、「光」が「熱」を生み出す原動力となって、何かに夢中になる熱意、熱中、情熱を生み出し、生きていく張り合いや喜び等の生き甲斐を感じて、生かさせて頂くことができるようになる、ということだと思うのです。蝋燭の「光」を他の蝋燭にお福分して灯すと、もとの蝋燭の「光」は衰えもせずに輝き続け、新しく灯された蝋燭も同じような「光」を放つと思うのです。それと同じように、私たちの心に灯っている「光」は、他者にお福分させて頂くことで新たな「光」となって引き継がれていく。。。それ故に、与えるべきは「光」であり、「熱」ではないのだと思うのです。相手の心に「光」が灯るまで、「光」を照らし、与え続け、相手の心に「光」を灯させて頂くことができたら、その後、相手が 「光」をどのように活かそうと。。。 「光」からどのような「熱」を生み出そうと。。。 「光」を灯し続けようと。。。 「光」がより輝きを放つように良心に従って生きようと。。。 「光」を消し去ろうと。。。 「光」が消えるような思考や言動をしようと。。。それは相手の自由だと思うのです。その後にすべきことは、「光」を必要としている他者を見つけ、「光」を照らし、与えて差し上げること。。。それを繰り返させて頂けば良いのだと思うのです。天は、私たちに無償の愛という「光」を与え続け、心の羅針盤である「良心」をも与えて下さっていますが、私たちが 無償の愛の「光」を浴びて、「良心」に従って生きようと、 無償の愛の「光」を拒否して、「良心」に背いて生きようと、その選択、判断は、私たちの自由としてお任せ下さっています。天のそのあり方は、私たちがさせて頂くべきお手本故に、それと同じようにさせて頂けば、それで良いのだと思うのです。源光「一つの命を救える人は、世界も救えるのです。 一つの善行ができる人は、世界の光の源です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408150000/ 「世の中が暗いと不平を言うよりも、 自分で進んで一本の明かりをつけていきましょう。。 一人ひとりの心に燈った小さな明かりも 何千本、何万本と集まっていけば、 この世の闇も消滅していくのです。 小さな一本の明かりでいいのです。 世の中に必要とされる人でありましょう。 この世で一番不幸なことは、飢えや病気ではなく、 この世で必要とされていないと感じるときなのですから。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407290000/「一人で出来ることなんて、たかが知れていますね。 でも一本の灯りも、何千、何万と集まれば、 世界の闇も消せるはずです。」 (ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201209180000/「暗闇を暖かい光の世界に変えていきましょう。 一人一人の心に一本の灯りを燈しましょう。 小さな一本の灯りが何千、何万と集まれば、 きっと世界の闇を消すことが出来るはずです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201204050000/「暗闇が怖いのなら、灯りを心に燈しましょう。 暗闇を呪う暇があるのなら光を探しましょう。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407020000/「千本の蝋燭の火は、一本の蝋燭より得る。 火を分け与え、蝋燭が短くなることはない。 同様に分け与え、幸福が失われることはない。」(ビシュヌさんの分霊さん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201201260000/「世の中から孤立してもいいと腹をきめて、 自分を貫いていけば、 本当の意味でみんなの役に立ち、喜ばれる人になれるのです。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407130001/「光がなければ人は絶望してしまいます。 あなたも一本の灯りにぜひなってください。 触れ合う人を照らしてください。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201506120000/「一つの命を救える人は、世界も救えるのです。 一つの善行ができる人は、世界の光の源です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408150000/
2016.11.02
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「先の先のことまでわかるのならば、 人は失敗も後悔もしなくて済むわけです。 明日のこともわからない人を導くもの、 それは無償の愛。。。 女神は手を取って心美しき人を導きます。」先の先のことまで分かる。。。とても便利なことだと思うのです。何が起こるか分かっていれば、予め対策を練っておくことができる。。。そして、いざ事が起こった時は、予め練っておいた対策をもって、適切な対応をすることもできれば、辻褄合わせで表面的に対処することもできる。。。自分に与えて頂いている境遇や現象が、例え、試練であろうと、苦難であろうと、スムーズに乗り越えさせて頂くことができ、失敗や後悔さえもしなくて済む。。。先の先のことが分かるとは、そういうこと故に、とても魅力的に感じるものですが、反面、弊害になるようなこともあると思うのです。例えば、 「〇月〇日、あなたの夢は叶います。。。」 「〇年〇月、あなたの希望は叶います。。。」などのように、自ら抱いた夢や希望について、 それらが叶う日のことが分かると、それはそれで嬉しさや喜び等、感極まるものがあると思うのですが、予め先のことが分かってしまうことによって、嬉しさや喜びが失われてしまうと思うのです。予見されている「夢や希望が叶う日」の当日を迎えたとき、予見通りに、夢や希望が叶ったとしても、そのことを予め分かっているが故に、 「予見通りだったな。。。」 「前もって分かっていたから、 思っていた程、嬉しさも喜びもないなぁ~。。。」 「今日起こることが分からない方が、 嬉しさや喜びは一入だったろうなぁ。。。」などと感じることも多々あるであろうと思うのです。いつとも分からない「叶う日」だからこそ、夢や希望を抱くことができ、夢や希望にに向かって努力、探究を継続することができるものだと思うのですが、「叶う日」が予見されることによって、夢や希望を抱き続けること。。。夢や希望に向かって努力、探究を継続すること。。。への情熱、生き甲斐が失われてしまうと思うのです。また、魂の修正や成長をさせて頂く為に地上という修行の場に生まれる機会を与えて頂いている私たちの魂にとっても、先の先のことが分かっていることが、大きな弊害になることが多々あると思うのです。試練は試練でなくなり、苦難は苦難でなくなる。。。先の先が分かっていることで、試練や苦難をスムーズに乗り越えたつもりでも、その実態は、乗り越えたのではなく回避しただけ。。。 試練や苦難を乗り越えるには、なぜその試練や苦難を与えて頂くことになったのかなど、自分の心のあり方の至らない点や間違い、過ちに目を向け、反省し、感謝し、修正する為の努力が必要だと思うのです。しかしながら、先の先が分かることによる試練や苦難からの回避は、それを乗り越えなければ次のステップに行くことができない魂の修行の為に与えて頂いている境遇や現象から、逃げたり、目を背ける為に必要な努力をしているだけで、魂の修正の為に必要な努力をしていないが故に、本当の意味での修行にならず、いつまで たっても試練や苦難を乗り越えることができず、次のステップにも行くことができなくなると思うのです。それでは本末転倒だと思うのです。失敗や後悔をしないで済むことは、一見とてもラッキーなことに見えるものですが、修行の場である地上において、失敗や後悔を経験することができないこと、失敗や後悔をしないで済む楽な生き方を選択してしまうことこそアンラッキーだと思うのです。 失敗や後悔という経験は、意味も無く、ただ闇雲に与えられているわけではないと思うのです。失敗や後悔をさせて頂くことを通じて、自分の過ちや間違い、至らない点や不完全な点を知ることができ、反省することができ、正すことができる。 。。裏を変えさせて頂くと、失敗や後悔の経験がなければ、 自分の過ちや間違いに気付けない。。。 自分の至らない点や不完全な点を知ることができない。。。が故に、 反省すべきを反省することができない。。。 正すべきを正すことができない。。。ということでもあると思うのです。魂の修正や成長をさせて頂く為に、地上という修行の場で生かさせて頂いているにもかかわらず、先の先が分かってしまうことで、 反省すべきを反省することができない。。。 正すべきを正すことができない。。。となっては、本末転倒だと思うのです。失敗。。。後悔。。。不完全で至らない点がある私たち故に、失敗も後悔もあるのが極自然なことだと思うのです。その失敗や後悔という経験こそ、修行をさせて頂く為に生まれてきた私たちには、必要なプロセスなのだと思うのです。失敗は、その失敗の経験を正しく活かすことで成功の種に。。。後悔は、その後悔の経験を正しく活かすことで夢や希望の種に。。。なると思うのです。その成功の種や夢や希望の種を自ら生み出し、掴み、育ませて頂く為に必要な経験が、失敗や後悔なのだと思うのです。それ故に、失敗や後悔をさせて頂けることは、とてもラッキーなことなのだと思うのです。 (ラッキーな 経験にできるか否かは、 私たちの心のあり方次第だと思いますが。。。)反対に、先の先を分かっていることで、失敗や後悔というプロセスがないということは、成功の種や夢や希望の種を得られず、修行にもならないが故に、修正すべき点も修正されることはない。。。魂の修正の為に修行をさせて頂いている私たちにとって、とてもアンラッキーなことだと思うのです。先のことなど分からない方が、私たちの修行になるが故に、先のことが分からないようにして下さっている。。。それが天の無償の愛によるお取り計らいなのだと思うのです。先のことが分からない私たちに与えて頂いている様々な境遇や現象は、修行の機会であり。。。その時の自分の真の姿を知る機会であり。。。自分の至らない点や不完全な点を知る機会であり。。。それを正させて頂く為の貴重な機会でもあり。。。自分の過ちや間違いを生み出す機会であり。。。それを正させて頂く為の貴重な機会でもあり。。。意味のないことは何もないのだと思うのです。感情や欲望、邪念に左右されることなく、常に冷静さ(平常心)と客観的視点をもって、「本質」を洞察できるような自分を育ませて頂く。。。魂の修正や成長をさせて頂く為の努力をさせて頂く。。。為に与えて頂いてるのが、自分を取り巻く様々な 境遇や現象なのだと思うのです。天のお取り計らいの下、私たちの魂の修行の為に与えて頂いている様々な境遇や現象とはいえ、天の深遠なるご配慮は、人知の及ばないもの故に、私たちが理解できるようなものでもないと思うのです。何も見えず。。。何も知らず。。。何も聞こえない。。。そのような私たちに与えて下さっているのが、 「何が正しいかその全てを知っている良心」という心の羅針盤なのだと思うのです。天は、無償の愛を以て、良心という心の羅針盤を分け隔てなく全ての人に与え、私たちを正しき道へ導く為にいつも手を差し伸べて下さっていると思うのです。ただ、 その手を掴んで、正しい道に導いて頂くか。。。 その手を払って、欲に翻弄され、邪念に支配されるか。。。は私たち次第。。。私たちの自由であり、私たちの責任。。。表現を変えさせて頂くと、 良心に従うからこそ、掴ませて頂くことができる天や女神の手。。。 良心に従うからこそ、引き寄せることのない悪魔の手。。。 良心に背いているからこそ、掴むことができない天や女神の手。。。 良心に背いているからこそ、自ら引き寄せる悪魔の手。。。ということでもあると思うのです。心の羅 針盤である良心を与えて下さっている天からすれば、 「あなた方を導きたくても、 あなた方を正しき道へ導く為に与えた良心に、 あなた方が従わないのであれば、 導くことができません。。。」 「私たちは、良心を通じて、あなた方に語りかけています。 良心に従う者には、私たちの声は届きますが、 良心に背く者には、私たちの声は届きません。。。」 「私たちが、あなた方を拒否しているのではありません。 良心に従わず、欲に翻弄され、邪念に支配されているあなた方が 私たち天や女神を拒否しているのです。 その代わりに、自ら生み出した欲や邪念によって、 悪魔を誘惑し、引き寄せているのです。。。」 「 良心に従うこと=心を磨き、心を美しくすること。。。 良心に背くこと=心を曇らせ、心を穢れさせること。。。 天は、心を磨き、心を美しくしようと決意し、 努力する者に手を差し伸べ、導きます。。。」という感じだと思うのです。魂の修正や成長をさせて頂く為に、地上という修行の場に生まれる機会を望み、与えて頂いた私たち。。。そのような私たちに「良心」を与え、無償の愛を以て、常に手を差し伸べ、導き、応援して下さる天。。。良心に従って生かさせて頂くことこそ、 自分で自分に約束してきた生き方。。。 自分の本質である魂が喜ぶ生き方。。。 天が喜んで下さる生き方。。。なのだとおもうのです。だからこそ、良心に従って生かさせて頂き、差し伸べて頂いている女神の手を掴ませて頂き、正しき道へ導いて頂きたいものですね。源光「明日のことはわからないのです。 だからこそ、今。。 この一瞬を大切にして生きることです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201507070000/「人間は、修行のために異郷に生まれて来たのです。 生きることは心の故郷を異郷に実現させること。 愛の心で生きること。。 いつの日か心の故郷に、果たすべきことを果たして、 喜びを胸に還ることです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408120000/「生まれ変わるのは、地上に生ある時です。 還って来てからでは遅いのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201209260000/「死なないで地上で、生きられる人は皆無です。 人は、地上に命がある時だけ、 諸々の善行をなすことができるのですから、 せっかくの機会を大いに活かして、帰還されますように。。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201211090000/「今は一秒、一秒、過去になっています。 こちらに還ってくる時、一生は瞬きをする間だったなあ!!と、 ほとんどの人が感想を漏らします。 人は、今を心正しく誠実に生きることですよ!! この世を去る時に大後悔しないように!! 私は、全ての人に雲に乗って還っていただきたいのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201210200000/「人は心の美しさ。。。 太陽が朝を連れて来るように、 心美しい人は、今日も愛の光を連れて来るのです。 あなたの喜ぶ姿が私の喜びです。 人はこうして幸せになって行くのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201405050001/ 「常に天法である心と対話してください。 人法の遥か上の境地で生きれば、 間違いの無い正しい生涯を全うできるのです。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201204020000/「天は、理性と良心を持っている人を 決して見放すことはありません。」(女神経典) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201203060000/「汝、良心に恥じず堂々と背筋を伸ばして生きよ。 天は汝と共に生きるであろう。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201111230000/「汝は良心を友として生きよ。天に通じる道ゆえに。」(ビシュヌさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201112280000/「神は人を見捨てないのです。 人が神を見捨てているのです。 救いようがないのは当然です。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201605080000/「天使があなたを嫌っているのではなく、 あなたが天使を嫌っているのです。」 http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201603220000/「悪魔があなたを誘惑するのではなく、 あなたが悪魔を誘惑するのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201403150000/「中庸の道を歩むことですよ。 極端から極端に動かないことです。。 良心に従うことです。 なにも見えず、何も知らず、 何も聴こえないのが人というものなのですから。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201304290000/「あなたの人生のすべての出来事には意味があり、 生きていくこととは、その意味を理解することです。 理解が及ばないと不本意な人生に。。 理解が及べば潤沢で楽しい人生となっていくのです。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201408290000/「人生で遭遇するすべての出来事には意味があるのです。 生きていくこととは、その意味を理解することに他なりません。」(ラクシュミーさん) http://plaza.rakuten.co.jp/willmyself/diary/201407010000/
2016.11.01
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