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偐万葉・童子森の母篇(その9) 本日は、偐万葉シリーズ第302弾、偐万葉・童子森の母篇(その9)とします。偐万葉への記事アップはヤカモチ歌の数が20首以上になった時、というのが自主ルールとしていますが、童子森の母さんは、昨年の3月23日の記事を最後にブログ更新が途絶えていて、ヤカモチ歌も増える気配なしであります。よって、16首と20首に満たないのでありますが、わが偐万葉用メモ帖の整理をする意味もあって、記事アップといたします。 童子森の母さんは津軽ご在住のブロ友さん。 2010年6月22日に当ブログに初訪問・コメントを下さったことからの交流ですから、8年7ヶ月余のお付き合いになります。 当初は、童子桜郎女と偐万葉風にお呼びしていましたが、ご自身で森華郎女と名乗られましたので、2011年12月からは偐万葉でのお名前も森華郎女と改名させていただきました。 前回の童子森の母篇は2014年8月16日記事ですから、久々の童子森の母篇になります。<参考>過去の童子森の母篇はコチラからどうぞ。 童子森の母氏のブログはコチラからどうぞ。 偐家持が森華郎女に贈りて詠める歌16首 並びに森華郎女が詠める歌2首狭手彦(さでひこ)も 領巾(ひれ)振りけらし 今見れば 桜佐用姫 帰りてありぬ (あべのこべまろ)(本歌)萬代に語り継げとしこの嶽(たけ)に 領巾(ひれ)振りけらし松浦佐用比売(まつらさよひめ)(万葉集巻5-873) 海原の沖行く舟を帰れとか 領巾振らしけむ松浦佐用比売 (万葉集巻5-874)(20140817クーとポポ)人の目も 何はばかるや クーとポポ たづさひありて たぐひてい寝し (津軽猫持)(本歌)人も無き 国もあらぬか 吾妹子と たづさひ行きて たぐひてをらむ (大伴家持 万葉集巻4-728) 森華郎女が追和せる歌1首いそがしき 生活(くらし)のなかに 猫おりて その愛おしき 姿やすらぐ (石川の森)(20140826クーとポポ)割れぬべき 時知りてこそ 世の中の めがねもグラス 眼鏡屋もたすく (細川グラス屋)(本歌)散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ (細川ガラシャ)木蓮の 実のものものし 庭に出で 名月今かと われは待ちつつ(20140908モクレンの実)春立ちて 北の国なる 桜CAFE 忙中閑あり けふはあくらし (クーのポポ麻呂)(20160210クーとポポ)クーとポポ そひてたぐひて 今日もかも コシコシガシガシ 春待つらしも (猫丸大夫)(20160312クーとポポ爪のお手入れ)ふたとせも 眠れる森の 母なれば ブログも勝手 違ひとなりぬ (寝過ぎた母)津軽野に あさる雉(きぎし)の ごと響(とよ)め 妹があたりを それとや知らむ (雉家持)(本歌)春の野に あさる雉(きぎし)の 妻恋(つまごひ)に おのがあたりを 人に知れつつ (大伴家持 万葉集巻8-1446)(20180303クー君の手)あれやこれ 事件起こして 猫のふく 何処ふく風と 二部にし続く (連ドラ猫)幸運の 女神に後ろの 髪無けど われは幸福(ふく)猫 前ひげのあり (幸福猫)幸運の 女神は前髪 のみなりて 幸福(ふく)猫われは 前ひげのみぞ (幸福猫)幸福の 猫にしあれど 後ろひげ なしとて尻尾 つかむはならじ (幸福猫) 森華郎女が追和せる歌1首幸運の 女神きたるが くじ外れ 福に願掛け 再度挑戦 (宝童子) 偐家持が追追和せる歌1首幸福の 猫にしあれば 前ひげを つかみてしかと くじけずに行け (ニャン家持)(20180313幸福という名のネコ)ダニ予防 手落ちなるかや 猫だにも 心つくして 処置なすべきを (ニャン家持)(本歌)三輪山を しかも隠すか 雲だにも 情(こころ)あらなむ 隠さふべしや (額田王 万葉集巻1-18)(20180315猫だにも)ドラ猫に われはあらねど なほ続く 事件の数々 連ドラの猫 (ドラえもん)(注)初案「連ドラ猫か」を偐万葉掲載に当たり「連ドラの猫」に修正しました。われはもや 元気を得たり みな野良の 得がてにすとふ ねぐらも得たり (津軽猫足)(本歌)われはもや 安見児得たり 皆人の 得かてにすとふ 安見児得たり (藤原鎌足 万葉集巻2-95)(20180316元気という名のネコ)(注)掲載の写真は童子森の母氏のブログからの転載です。
2019.01.31
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本日でヤカモチは満1301歳であります。 大伴家持殿が何月何日に生まれたのかは存じ上げないのであるが、昔は生まれた年を1歳と数え、年があらたまるごとに、即ち「年越し」を迎えるごとに1歳を加えて行くという年齢の数え方であるから、誕生の月日がいつであるかは問題とならない。 日本人全員が「年越し」に一つ年齢を加えるのである。間もなくその年越し、節分がやって来るが、皆この日が誕生日のようなものであったのでしょうな。年齢分の豆を食べ、豆まきをして邪を払い、そのお祝いとする。 バースデーケーキに年齢分の蝋燭を立てて、各人ごとのハッピーバースデーを祝うなんてことは想定外。 まあ、それはさて置き、1301歳という超後期高齢者となりました。 「偐万葉」時代の年齢区分では1000歳までが非高齢者。 1001歳から1150歳までが前期高齢者。 1151歳から1300歳までが後期高齢者。 1301歳以降を超後期高齢者と称するらしい。 ヤカモチがブログを開設したのが2007年4月29日であるから、それ以降1月29日は、今日を含めて12回あったことになる。で、過去の1月29日の記事や如何にと調べてみると、2008年には、自身の誕生日を話題にした記事を書くという発想は無かったと見えて、該当記事なし。2009年の記事に初めてそのことに触れた文言が登場する。2009年1月29日「暗(くらがり)峠」2010年1月29日「偐万葉・ひろろ篇(その3)」2013年1月29日「ヤカモチ1295歳・健人会の新年会」2014年1月29日「1296歳になりました。」2015年1月30日「1297歳になりました。」2016年1月29日「1298歳です。」2017年1月29日「1299歳になりました・若草読書会新年会」2018年1月29日「1300歳になりました」 そして2011年、2012年と誕生日に触れた記事は無く、2013年になって初めてタイトルに「〇〇歳」という文言の入った記事となり、以後このスタイルが継続しているので、今年もこれにならうこととしました。(花園中央公園の梅)(同上)(同上)(同上)梅の花 今盛りなり ヤカモチの あれにし日をば 祝ふとならし (偐家持) ついでに水仙も。(花園中央公園の水仙)
2019.01.29
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昨日(24日)は、昼食後、智麻呂邸を訪問。 新作絵画4点を仕入れてまいりました。 アト3~4点の新作が入手できましたら、智麻呂絵画展でご紹介申し上げますので、暫時お待ち下さいませ。 併せ、次回の若草読書会の講義資料とすべきヤカモチ撰の「万葉集から聞こえて来る音100選」の万葉歌100首を書き出したレジメと今年1月5日の記事「こもりのみ居ればいぶせみ」を印刷に打ち出したものを各13部お届けして置きました。出席人数がヤカモチを含めて全14名と確定したからであります。 この100首の中から適当に何首か選んで当日の講話の対象とする所存ですが、どんな構成にするかは、これからぼちぼちと検討しますので、どんな話になるのかはヤカモチ本人にも未だ分かっては居ません。 音の話だけに、どんな風になるのか、はたまた「音を上げて」まとまりのない話になるのかは、予断を許さない、というのが現時点での状況であります(笑)ので、とても「乞うご期待」とは言えません。「乞うお赦しを」とならぬよう努める所存ではありますが。 智麻呂邸の若草ホールでご夫妻と暫し歓談しておいとま。 その後、少し遠回りしてブロ友の「ももの郎女」さんこと「☆もも☆どんぶらこ☆」さんが経営されている喫茶店「ペリカンの家」に立ち寄りました。 (喫茶「ペリカンの家」) (同上・店の前から向かいの病院側<入院病棟>を望む。) 上の写真2枚は共に、今回撮影のものではなく、去る11日に立ち寄った際に撮影のものですが、参考までに掲載して置きます。 今年に入って、このように3本の旗を店先に立てるようにされましたが、この旗によって店の存在をそれと気付く人も増えたと見えて、お客様の数は従来より増加しているとのことで、まことに喜ばしいことではあります(笑)。 「昨日(23日)は、ひろみさんがお立寄り下さいました。」とは、ももの郎女さんの弁。ヤカモチの中学時代の同級生でもあり、ブロ友でもある「ひろみの郎女」さんもこの店のお馴染み客。ヤカモチとは一日違いのすれ違いであったようです。 前回、11日に立ち寄った際に「キジバトがまた巣作りしようとしているみたい」と聞かされていましたが、既に卵を産んでいて温めているとのこと。確かに店先のシマトネリコの木の前回の巣にキジバトが1羽鎮座して居りました。 山鳩はまたも巣なすか間なくだに 遠慮知らなむ巣をなすべしや(石切王) (本歌)三輪山をしかも隠すか雲だにも こころあらなむ隠さふべしや (額田王 万葉集巻1-18) 前回のヒナの巣立ちは昨年12月4日のことであるから、それから未だ1ヶ月余にしかならない。同じキジバト夫婦なんだろうか。そうなら、そんなに頻繁に繁殖されては大家さんの「ペリカンの家」としても想定外にて、些か迷惑なことである。ヤマバトならぬジャマバトになってしまうというものではなかろうか。仏の顔も三度、ペリカンの顔だって同じ。 今回で最後にしなければ「ハタ迷惑」ならぬ「ハト迷惑」となることを鳩君も弁えるべきでありますな。 (参照:ももさんのブログ記事「巣立ちました」) ペリカンの家を後にして、少しばかり近隣を銀輪散歩したる後に帰宅。 スマホに北海道のブロ友・furano-craft氏から写メールの着信があることに気が付く。(下掲左) そして、今朝(25日)、もう1枚の写真(下掲右)が送信されて来ました。 (木工旋盤で加工中のお皿 furano-craft氏撮影) こういうものについての知識が殆ど無いヤカモチには、よくは分からないのであるが、同氏の説明によると、タモの輪切り板を皿へと製作加工している途中の写真だそうな。右の写真は完成した皿でしょうか。創作の舞台裏公開という訳であります。<追記> furano-craftさんのメールをよく読むと、右のお皿はイタヤカエデで作られたもので、左のタモ材とは別の作品でありました。(注)タモ=トネリコ、アオダモ、ヤチダモなどの別称。北の地の木地師にあれや我背子のつくる富良野の木の皿よしも (惟喬偐王) 「文徳天皇の第一皇子の惟喬親王は、当然皇太子に立つべきところ、弟の惟仁親王(清和天皇)に先を越され、無常を感じてこの山中(六ヶ畑)に籠居された。・・杣人に木を切らせ、親王みずからろくろを引くことを教えた。これがろくろのはじまりで、木地師の起源となったという。」(白洲正子「かくれ里」講談社文芸文庫139~140頁)という文章を連想したりもした次第(笑)。 本日は、若草ホールからペリカンの家へ、そして一気に富良野へと高飛びの日記でありました。
2019.01.25
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昨日は健人会の新年会でした。 この処の健人会の新年会は淀屋橋の「小ぼけ」という店がお決まりとなっている。 ブログ記事を遡って調べてみると2016年の新年会からこの店になっているから、今回で4年連続ということになる。(小ぼけ 右手前ビルの2階) 午後6時開会。午後5時半頃に店に着いた。少し早過ぎるかと思ったが、既に数名が来て居られました。 出席者は、木〇氏、杉〇氏、只麻呂氏、鯨麻呂氏、田〇氏、平〇氏、岡〇氏、今〇氏、徳〇氏、森〇氏、草麻呂氏、正〇氏、〇庭氏、生〇氏、竹〇氏、平〇J氏、宮〇氏、北〇氏とヤカモチの19名。 このうち、宮〇氏と北〇氏は今回が初参加。宮〇氏は存じ上げているが、北〇氏は多分初対面で存じ上げない方でありました。川〇氏、近〇氏、小〇氏は欠席。あらたしき どち迎へたり 健人会 またあらたしき 年を始めな (偐家持) 全員が揃ったところで、鯨麻呂氏の開会の辞と乾杯のご発声で開宴。 新加入の宮〇氏、北〇氏のスピーチ。 飲み食い、歓談。いつもの通りである。 午後8時半を過ぎた頃、平〇氏による手締めで閉会。 幹事の草麻呂氏から新年度の活動日程表が配布されましたが、それによると、 4月3日(水)ゴルフ 5月22日(水)ゴルフ 7月24日(水)納涼懇親会・料亭「新月」 10月2日(水)ゴルフ 11月20日(水)ゴルフ 1月22日(水)新年会・「小ぼけ」であるから、小生は7月24日と来年1月22日のみの参加である。 最長老の木〇氏は、夏の暑い盛りはノーサンキューで新年会のみ参加されている。従って、同氏については、また来年の新年会まで、草麻呂・鯨麻呂両氏とは次回5人組ウオークの時まで、他のお方については、7月の納涼懇親会まで、God be with you till we meet again、である。<参考>過去の健人会関係の記事はコチラから。
2019.01.24
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友人・岬麻呂氏から今年初めての旅便りが届きました。 今年の同氏の初旅は、この時期恒例の沖縄方面への旅でありました。 1月16日~19日の3泊4日の石垣島への一人旅。 これが、20回目の石垣島訪問というから驚く。<参考>過去の岬麻呂旅便りの記事はコチラ。 岬麻呂旅便り関連のフォト蔵写真集はコチラ。 例によって、旅の詳細は、下掲の「旅・岬巡り報告231」と「同写真説明」をご参照下さい。(写真をクリックするとフォト蔵の大きい写真画面でご覧いただけます。)(旅・岬巡り報告231・石垣&同写真説明) 今回は、与那国島、波照間島、鳩間島、西表島など複数の旅プランを用意しての旅であったようですが、天候に恵まれず、波照間航路、鳩間島航路など外海に出る航路の欠航で波照間・鳩間の両島へは渡れずであったようです。 ということで、先ずはイダの浜。 「イダの浜」とは、「西田(イリダ)の浜」が変化したもの。 ご覧のように人影もなく、貸切状態で楽しまれたそうな。(イダの浜・左手<南西方向>) 岬麻呂氏からのメールでは、今回は天候に恵まれずいい写真が撮れなかった、とのことですが、18日は曇りで時々晴れ間もあって、美しいイダの浜であったようです。(同上・正面<西方向>)(同上・右手<北西方向>) 次は、星砂の浜(星砂の浜) そして渡ることのできなかった鳩間島遠望。(鳩間島・手前はパイナップル畑)鳩間島かよへる舟のなくあれば 渡るはかたし見つつもあらむ (岬鳩麻呂)(西表の海)(子午線モニュメント・西表小中学校校門前)(川平湾) 竹富島では、電動自転車を借りて、銀輪家持ならぬ「銀輪岬麻呂」になられたそうな。(竹富島) 以上、本日は岬麻呂氏の新年初旅便りの記事でありました。
2019.01.22
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本日は、SS会の新年会。この会は新年早々と夏との年2回に集まっている会である。同じグループ企業内で同様な仕事に関わっていたことから、会社は異なれど、仕事の上で何かとお付き合いがあった者らが、引退後も年に2回集まって会食し、旧交を温めているというものである。 世話人は、囲碁例会でご一緒している福麻呂氏で、毎回同氏が店の予約やメンバーへの連絡をして下さっているというもの。 昨年のブログ記事を遡って調べてみても夏の集まりの記事が見当たらないので、夏の集まりは中止になったか、小生が何か別の用向きで欠席したかで、メンバー諸氏とこの会で顔を合わせるのは1年振りということになる。 今回の会場は、大阪駅前のヒルトンプラザイーストの地下2階にある「ナンクルナイサきばいやんせ~」というお店。この店は2017年1月のこの会の新年会で使っているので、今回が2度目ということになる。(ヒルトンプラザ)<参考>連続の新年会 2017.1.26.(ナンクルナイサきばいやんせ~) 店の前に行くと、既に福麻呂氏と川〇氏が来て居られ、少し早いが、と店に入る。暫くして、福〇氏、山〇氏、早〇氏が来られる。続いて、古〇氏、松〇氏が到着。石〇氏が来られたところで、定刻より少し早いが、乾杯をして会を始めることにする。直後に、辻〇氏、草麻呂氏が到着で、出席予定者11名全員が揃う。 アトは飲み食いしながらのいつも通りの歓談。午後8時少し前に散会。 福麻呂氏とは9日の囲碁例会と13日の「同窓会」で顔を合わせているので、今年初めてではないが、他の方は、草麻呂氏を除き、この会でしか顔を合わせることがまずないので、1年振りの懐かしい再会である。草麻呂氏は健人会と5人組ウオークでご一緒しているので、昨年11月11日のウオーク以来、即ち2ヶ月振りの再会。また、今月23日の健人会の新年会でもお会いすることになっている。 まあ、なんであれ、皆さんの益々のご健勝をお祈り申し上げる次第であります。
2019.01.18
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偐万葉・ふぁみキャンパー篇(その14) 今年最初の偐万葉シリーズ記事(第301弾)は、ふぁみキャンパー篇(その14)です。 ブロ友・ふぁみり~キャンパー氏のブログへのコメントに付した歌や当ブログへの同氏からのコメントへの返事コメントに付した歌を集めたものが、ふぁみキャンパー篇であります。 この偐万葉記事では、同氏のことを万葉風に「湯麻呂」とお呼びして居りますが、その湯麻呂殿とのブログ交流のきっかけは、下記の4番目の歌の本歌として掲載している高安王の万葉歌に詠われている「伊久里の杜」が関係しています。(注)伊久里の杜については当ブログ下記記事参照 天理から奈良へ銀輪散歩(その3) 2011.1.16. 富山県高岡市ご在住のブロ友、英坊3氏が、ご自身のブロ友が、この伊久里の杜のことを記事にして居られるとして、同記事をご紹介下さり、これを訪問、コメントを残したのが、ブログ交流の最初でありました。 2012年5月22日のことであります。(注)ふぁみり~キャンパー氏の「伊久里の杜」に関する記事は下記です。 大平森林公園キャンプ場・・・ 2012.5.17. 上の説明では、この記事にコメントを残したような記述になっていますが、実際に初コメントを残したのは、2012.5.20.の下記記事でありました。 新しい温泉(越後とちお温泉 おいらこの湯) 従って、同氏とのブログ交流も間もなく丸7年になるという次第。 前回(その13)のふぁみキャンパー篇は昨年の3月1日ですから、それ以降のものがこの篇の対象です。 折しも今日は宮中歌会始めでありました。それにかこつければ、今日は当ブログの「偐万葉始め」という次第。<参考>過去の偐万葉・ふぁみキャンパー篇はコチラからどうぞ。 ふぁみり~キャンパー氏のブログはコチラからどうぞ。 偐家持が湯麻呂に贈りて詠める歌21首桜花 散りぬる風の なごりとて 四月といふに 雪ぞ降りける (越貫之)(本歌)桜花 散りぬる風の なごりには 水なき空に 波ぞ立ちける (紀貫之 古今集89)七夕は ありし昔に 変らねど 過ぎたる雨の 西ぞかなしき (災害小町)(本歌)雲の上は ありし昔に 変らねど 見し玉簾(たまだれ)の 内ぞゆかしき (能「鸚鵡小町」)茄子獅子唐 人参玉葱 ズッキーニ エリンギアスパラ 夏野菜カレー(本歌)萩の花 尾花葛花 瞿麦(なでしこ)の花 女郎花また藤袴 朝貌の花 (山上憶良 万葉集巻8-1538)(20180811夏野菜カレー)君が家の 燕の杜か 藤の花 来て見むいつか 今ならずとも (偐安王)(本歌)妹が家に 伊久里の杜の 藤の花 今来(こ)む春も 常かくし見む (万葉集巻17-3952 高安王)三国山 をちこちあれば いづれとも ひとが言ふまま われ決めかねつ (三国家持)(本歌)三国山 木末(こぬれ)に住まふ むささびの 鳥待つごとく 我待ち痩せむ (万葉集巻7-1367)犬上の 不知哉(いさや)の川の 彼岸花 不知哉と告(の)らず 君の撰べる (不知家持)(注)不知哉=「さあ、どうなんでしょうね、存じません」の意。 湯三昧酒を愛でつつかにかくに 旅をつづけな湯麻呂しわれは (代作家持)荻もよし 薄(すすき)もよしや 夕月の 花穂が末(うれ)に かかれる秋は (荻萩家持)山鳩も 里に巣作り すなるかや 人の気配で 烏避(よ)くらし (鳩家持)火(ほ)明かりの闇に溶けゆくもみつ葉の 見らくしよしももみち谷弥彦 (夜家持)伊夜彦(いやひこ)の火(ほ)明かり照らすもみち葉の いかにと今日(けふ)も恋ひて吾(あ)が来(こ)し (偐ふぁみ麻呂)(20181125弥彦もみじ谷公園)千里眼 さほどになきか 激辛に 君なれゆきて からきもなしと (辛式部)知りぬらむ 日ごとに馴るる 辛味にて 過ぎて馴るるは 身にはあしきと (辛家持)(本歌)知りぬらむ ゆききにならす 塩津山 世にふる道は からきものぞと (紫式部 紫式部集23)(20181201東京駒場千里眼監修辛辛辛まぜそば)かもなりと かもかもせむは 怠惰かも いかなるかもか つばらにぞ見よ (鴨照明)(本歌)凡(おほ)ならば かもかもせむを かしこみと 振りたき袖を 忍びてあるかも (遊行女婦児島 万葉集巻6-965)瓢湖には すだく鴨あり 指折りて かき数ふれば 十種(とくさ)なる鴨(鴨上憶良) カルトモエ ハシビロヒドリ マにコにオナガ ミコアイサ キンクロハジロ ホシハジロこれ (鴨上憶良)(注)鴨の種類=カルガモ、トモエガモ、ハシビロガモ、ヒドリガモ、マガモ、コガモ、オナガガモ、ミコアイサ、キンクロハジロ、ホシハジロ(本歌)秋の野に 咲きたる花を 指折りて かき数ふれば 七種(ななくさ)の花 (山上憶良 万葉集巻8-1537)萩の花 尾花葛花 なでしこの花 女郎花 また藤袴 朝がほの花 (同上 万葉集巻8-1538)(20181208瓢湖)越後なる ブロ友湯麻呂 伊予の湯の 記事書かしけむ 年は知らずも(本歌)ももしきの 大宮人の 熟田津(にきたづ)に 船乗(ふなのり)しけむ 年の知らなく (山部赤人 万葉集巻3-323)わがフォトは いづち行かめや フォト蔵の 操作のミスの 今なほ悔し(本歌)愛(かな)し妹を 何処(いづち)行かめと 山菅(やますげ)の 背向(そがひ)に寝しく 今し悔しも(万葉集巻14-3577) 吾背子を いづく行かめと さき竹の 背向に寝しく 今し悔しも(同巻7-1412)(20181223愛犬、光くん)幸せの 黄なるポストは 山幸と 妻とのふみに 寄せしと言へり (偐幸彦)(関連歌)赤玉は緒さへ光れど白玉の 君が装(よそ)ひし貴くありけり (豊玉姫 古事記歌謡) 沖つ鳥 鴨著(ど)く島に 我が率寝(ゐね)し 妹は忘れじ 世の悉(ことごと)に (山幸彦 同上)伊夜彦へ 痛いの痛いの 飛んでけや のち行くときも われにな返しそ (偐大兄皇子)(本歌)伊夜彦(いやひこ) おのれ神(かむ)さび 青雲(あをくも)の たなびく日すら 小雨そぼふる (万葉集巻16-3883)伊夜彦の痛み返しの多(まね)くあり 懲りて白山(はくさん比売(ひめ)にぞまゐる (偐大兄皇子)(20190113弥彦神社)(注)掲載の写真はふぁみり~キャンパー氏のブログからの転載です。
2019.01.16
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昨日(13日)は、昔の職場の仲間との同窓会。 男女20名余が集い、旧交を温めました。 会場は、梅田スカイビルの地下街・滝見小路にある「和心・旬彩」(旧名:四季彩) 本社〇〇部に所属した者たちの集まり・・と言っても、その数は多数にのぼる処、この企画の仕掛け人である春〇君が同部に所属していた期間に同部に所属していた者という限定をした上で、それらの者で連絡の取れる人を対象に電話やメールや口コミなどで声掛けをしたらしい。 小生は、囲碁例会でご一緒する福麻呂氏からこれを知らされ、参加することとしたもの。 開会が午後4時という変則な時間。午後2時36分枚岡発の近鉄電車で鶴橋駅、同駅でJR環状線乗り換えで大阪駅へ、という経路で梅田スカイビルへと向かいました。 少し早い到着なので、梅田スカイビルの中庭・ワンダースクエア(工事中のようで、白い仮囲いの板で仕切られていて立ち入りはできない。)の前を通って、会場へ。(梅田スカイビル・ワンダースクエア) 前ページ記事に掲載の「中庭のオブジェの下から覗いた空中庭園」の写真のオブジェは、上の写真の青・赤・黄色の工作物のことでした。真ん中の赤色の下から撮影したものであるので、参考までにこの写真を掲載して置きます。 ワンダースクエア側から、会場の「旬彩」が見えるので、これを撮影。(「和心・旬彩」) すると、室内に見えていた男性がこちらに向かって手を振る。 世話人の春〇君であった。こちらも手を振り返して応える。 少し早いと思っていたが、既に到着している人も居るようなので、会場へと行く。(同上) 世話人の春〇君は今は別の部署であるが、現役の部長。昔、同君の結婚式では、頼まれて小生が仲人をしたのであるが、妻君の旧姓・市〇さんも同じ〇〇部員にて職場結婚。今回はその市〇さんもご出席で、ご夫婦揃っての参加である。 出席者で最年長が福麻呂氏でその次が小生。現役と卒業生が半々。今も現役なのは男子が8名、女子が3名。女性の丹〇さんを除き、それぞれ別の部署に異動となっているが、それぞれにご活躍なようで、何よりです。男子諸君はそれぞれによき面構えとなって貫禄も増し、女性の皆さんも瞳キラキラ、変わらず美しく、活き活きとされているご様子。それぞれに充実したよき日々を過ごされていることがうかがわれて嬉しいことでありました。 会は、春〇君の司会進行で始まり、乾杯の発声とご挨拶は福麻呂氏。久々の再会を祝して乾杯でありました。 歓談、飲食を楽しみながら、春〇君の指名により各人が近況報告のショートスピーチ。 最後のショートスピーチは小生で、〆の挨拶を兼ね、加えて「この場に相応しい短歌1首を」という春〇君の無茶振り。 長意吉麻呂や葛井広成にあらぬ偐家持の身なるわれ、数秒で即興の歌を作る芸当の持ち合わせもなくあれば、下記の道祖王の歌で、近況報告スピーチの〆とさせていただきました。新(あらた)しき 年の初めに 思ふどち い群れて居れば うれしくもあるか (道祖王 万葉集巻19-4284)(新しい年の初めに仲間が集まっていると、何とも嬉しいことである。) この歌は、天平勝宝5年(753年)正月4日に石上宅嗣の家で宴会を開いた時の歌。まさに新年会の歌であるから、覚えて置かれると、新年会に汎用できる歌として重宝ではないかと思います。 歌の作者、道祖王は新田部皇子の子であるから、天武天皇の孫ということになる。 この宴会の3年後の天平勝宝8年(756年)5月、聖武太上天皇の遺詔により、彼は孝謙天皇の皇太子に即位する。 しかし、それは光明皇后を後ろ盾に権勢を伸ばしていた藤原仲麻呂にとっては意に添わぬ人事であったのだろう。翌年3月には孝謙天皇から「聖武太上天皇の服喪中に不適切な行為があった」などとして皇太子の地位を剥奪するという廃太子の処分を受けてしまう。更に、同年7月に発覚した反仲麻呂派による橘奈良麻呂の乱では、その一味の者とみなされて捕縛されてしまう。拷問によるものと思われるが、そのまま獄中死している。歴史に翻弄された人生の結末でありました。因みに、大伴家持の親しい友人の大伴池主もこの時に獄中死したと見られる。 道祖王にかわって皇太子になったのが大炊王(後の淳仁天皇)であるが、こんな風に話を広げて行くと記事をどう締め括ってよいのか分からなくなりますので、この辺で止めて置きます。 話を戻して、春〇君の仲人を務めたことは前述しましたが、出席者の中にもう一人、山〇君の結婚式でも仲人を務めました。山〇君は小生の高校の後輩になる。奥さんも同じ高校ではなかったかと思うが記憶が曖昧になっている。その彼が「家内からです。」と小生に手渡したのがこれ。何と新約聖書である。奥様のお手紙も添えられていました。(新約聖書) この聖書は、小生が洗礼を受けた時に、教会から戴いたもの。 中表紙に「昭和〇〇年クリスマス 祝受洗 日本基督教団小阪教会 〇〇様」と書かれている。〇〇様というのは小生の本名である。 当時、小阪教会の牧師をされていた智麻呂氏の自筆による懐かしい字である。(同上・中表紙) 山〇君が結婚するに際して、新婦からの希望で教会で挙式をということで、当時、天満教会の役員をして居られた祥麻呂氏のお父上(故人)のご紹介で同教会で式を上げさせていただいたのでしたが、教会員でも信者でもないお方に場所だけ提供するというのは、教会の本旨にそぐわないので、一定期間(1ヶ月だったか3ヶ月だったかその期間については記憶がないのだが)、要するに、式を上げる直前まで、毎週日曜日の朝礼拝か土曜日の夕礼拝に出席していただくという条件だったか、聖書の勉強会に参加していただくという条件だったかで、挙式させていただくことになったもの。 そんなことで、小生が、この聖書を新婦に差し上げたか、お貸ししたのだろうと思う。 この聖書の裏表紙の内側にはわが妹の名前が、妹の字で書かれている。 多分、妹がキリスト教系の短大に進学した際に彼女が使っていたのだろうと思う。妹の手から再びわが手に戻っていたので、それを彼女にお回ししたのだろうと思う。小生が礼拝などで使う聖書は別にあったので、これは余っていたという訳である。 〇〇子と裏にあり、表に〇〇様と小生の名前があることから、受洗した記念に、妻が小生に贈ったものというような誤解がいつの間にか彼女の中に生まれたようで、このような「大事な」ものを、くれる筈もなく貸してくれたに過ぎないからいつの日にか返そうと思って居られたが、その機会もないままに、今日まで来てしまったらしい。 当の本人は、記念のものとかそういうものへの思いは極めて薄弱にて、執着もないから、多分、「貸した」のではなく「差し上げた」のだと思う。 しかし、そのような記念の記載文言や妹の名前の記載のあるままに差し上げたので、年月の経過とともに思い違いが生じ、「借りている」という意識にいつの頃よりか転化してしまったのでしょう。 却って、ご迷惑、ご足労をお掛けしてしまう仕儀となり、申し訳ないことでありました。 しかし、まあ、このようにして、昔懐かしい智麻呂氏の自筆の文字を目にするのは嬉しいことであり、思わぬプレゼントを頂戴した気分であります。 そして、嬉しいことに、添えられていたお手紙では、新婦であった彼女(つまり山〇君の奥方様)とお二人の間の息子さんは16年前にクリスチャンになられたということが書かれていました。 小生がクリスチャンになったきっかけは、高校時代、八尾の駅前商店街にあった書店で「歎異抄入門」という本が目に止まったこと。これを購入して読んでいるうちに、その本の中で、歎異抄の中の言葉と対照する形で引用されている聖書の言葉が気になって、聖書を読み始め、そのご縁で、小阪教会に通うようになり、牧師であった智麻呂氏や教会学校の先生をされていた凡鬼さんらと親しくお付き合いさせていただく中で、「受洗」という選択に到ったのでしたから、まあ、何とも奇妙な、歎異抄から言わせれば、「脱線もいいとこ」であります(笑)。 そして、読書会メンバーの友人・祥麻呂氏のお父上のお世話で、天満教会とつながり、妹のサインの入った智麻呂氏からの聖書が山〇夫人の手に渡り、それが如何ほどに関係するのかは存じ上げないけれど、結婚式を教会で挙げたことなどもあって、彼女とご子息の受洗へとつながって行く。 何か面白い糸で、それとは気付かぬ糸で、人と人はつながっているのだということを今更に感じて愉快でありました。 それぞれに、人生のある時期に同じ職場、同じ部署で仕事をしたという糸も面白き糸。このような糸に感謝し、時に手繰り寄せてみるのもいいもの。 昨日の「同窓会」はそのような会でもありました。
2019.01.14
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今日は今年初めての囲碁例会。 「書き初め」ならぬ「打ち初め」である。 今日の出席者は、福麻呂氏、竹〇氏、村〇氏、平〇氏とヤカモチの5名。 今年最初の相手は福麻呂氏。終盤でミスして2目半の負け。今年も黒星スタートとなり、悪い予感が走りましたが、続く、村〇氏、平〇氏には何れも中押し勝ちで連勝し、2勝1敗とまずまずの滑り出しとなりました。 今日は、冷たい風が吹き、最高気温も8度か9度どまりと寒い日となりましたが、自転車で走る段には、むしろこれ位が丁度良いというもの。よく晴れてもいる、ということで、例によって自宅から梅田スカイビルまで、MTB(マウンテンバイク)での銀輪走行でありました。 ながらくご無沙汰している「れんげ亭」で昼食をと思いましたが、れんげ亭の前を通りかかった時は、11時15分頃、「支度中」の表示で、まだ店が閉まっていました。で、そのまま梅田スカイビルまで走り、ガーデン5棟1階のカフェでランチ。 里山などを散策してから会場のガーデン5棟の5階の部屋に向かいましたが、それでも小生が一番乗りでありました。(中庭・ワンダースクエアからスカイビルを見上げる。) 昼食後、里山を散策し、中庭(ワンダースクエア)を横切って、囲碁会場に使用している部屋のあるガーデン5棟へ。 中庭は、空中庭園の真下にある。見上げると上の写真のような眺め。 その中庭のアクセントとして設置されているオブジェの下から空中庭園を覗くと、下の写真のような眺め。(同上) ホテル棟(大阪ウェスティンホテル)の前にある小さな森が「中自然の森」。大自然ではないということで「中自然」という駄洒落のような名前であるが、別に不自然な名前ではないだろう(笑)。 その森には、未だ、カエデの紅葉が見られるのでありました。(中自然の森には未だ紅葉が・・。) 帰途は、花園ラグビー場から花園中央公園を通り抜けて自宅へ。 スタジアムは、先日まで全国高校ラグビーの試合で賑わっていましたが、わが地元(隣の大東市にある高校なので、「地元」は、ちょっと言い過ぎかも知れないが)の大阪桐蔭高校の初優勝で幕を閉じ、今は静かである。(花園ラグビー場)(同上 左手に写っている自転車がマイMTB) ちょっと話が前後しますが、梅田スカイビルの里山では、もう菜の花が咲いていました。(里山には菜の花も咲いて・・)(同上) もう咲いていたと言えば、梅の花もそうです。 これは、今日の写真ではなく、場所も梅田スカイビルではないのですが、昨日見たものです。 馴染みの喫茶店・ももの郎女さん(ブログでの名は「☆もも☆どんぶらこ☆さん」)が店主をされている喫茶店に、昨日立ち寄ったのですが、その喫茶店の向かいの病院の前庭に咲いていたものです。(梅の花も咲いて・・)朝風も 添ひてたぐひて 梅二輪 咲きてもあれば 寒けくもなし (偐家持) ところで、ペリカンの家の前には、下の写真のように、今年から旗が翻るようになりました。(ペリカンの家) 細部で少し違いがあるかも知れないが、「ランチやってます」という旗と「COFFEE」の旗と「モーニングサービスのご用意ができました」という旗の3本。 お店の立地が、外環状道路から少し西に入っていることや、向かいの病院の玄関口からも少し離れていることもあって、お客さんから「もっと目立つようにしなくては」と旗を店先に立てることをアドバイスされたそうな。 今年は「アドバイスには素直に従うようにする」だったか「・・積極的に取り入れるようにする」だったか、ももの郎女さんはそんな趣旨のことを仰っていましたが、この旗は、その「早速の実践」であるという次第。 今日から十日戎。「商売繁昌で・・」ではないが、益々のご繁盛をお祈り申し上げます。
2019.01.09
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第207回智麻呂絵画展 今年最初の智麻呂絵画展を開催します。 その前に、智麻呂・恒郎女ご夫妻からのご挨拶であります。^^^^^^^^^^ご挨拶皆さま、あけましておめでとうございます。旧年中は、智麻呂絵画展をお引き立て賜りありがとうございました。本年も、よろしくお願い申し上げます。2019年1月8日智麻呂・恒郎女^^^^^^^^^^<参考>過去の智麻呂絵画展は下記から。 第1回展~第100回展 第101回展~第200回展 第201回展~ フォト蔵の智麻呂絵画集アルバムはコチラ。 では、第207回展をお楽しみ下さい。 先ずは、お正月らしく、今年の干支・亥の絵です。(亥・・和郎女作品から) これは、和郎女さんが、新年用にとお作りになった下掲の作品を絵にされたものであります。年末か年初に、和郎女さんが智麻呂邸にお持ちになられたのだろうと思いますが、昨日、智麻呂邸を訪問申し上げた時、若草ホールに飾られているのを拝見いたしました。 最近は、和郎女作品を撮影する機会が殆ど無く、当ブログでの和郎女作品展もながらく開催いたして居りませんが、追って、同作品展開催の際に、あらためてご紹介申し上げることとし、本日は小さい写真のみ掲載です。 智麻呂さんの絵の方は、年賀状の挿画にも使えそうですが、智麻呂ご夫妻からの今年の年賀状の挿画は「凡鬼さんの冬瓜」(参照:205回展)でありました。 つまり、この絵は、昨年の年末ぎりぎりか、年明けに描かれたものであるということが分かるという次第。(亥・・和郎女作品) さて、次はケーキです。 昨年12月初旬に智麻呂邸を訪問した際、12月が恒郎女夫人のお誕生月であることに気が付いたヤカモチ館長が、瓢箪山駅構内のケーキ屋さんで買い求め、お持ちしたものであります。 その場で「ハッピーバースデー」をしてナイフを入れてしまうと、智麻呂さんが描く機会を奪ってしまうことになるので、小振りのショートケーキも別に買い求め、ご夫妻とヤカモチの3人は、それでハッピーバースデー珈琲タイムとした次第。 智麻呂絵画への配慮であると共に、ご夫妻、お二人っきりでの素敵なバースデーをどうぞ、というヤカモチ館長の言わば「粋な」配慮でもありました(笑)。(バースデーケーキ) 次の絵を目にした時のヤカモチ館長の反応は次の通り。 ヤカモチ「(これは何処かで見た記憶がある。ブックエンドだったかな?)これは、ブックエンドか何かの絵ですか?」 恒郎女さん「それは、誰だったかしら、貰ったもので・・」 ヤカモチ「ああ、カステラの・・」 恒郎女さん「そう、カステラの・・」 何のことはない、昨年12月の半ば頃に、智麻呂邸を訪ねた際に、駅前の菓子舗で手土産の和菓子を買い求めた際に、クリスマス風のものが置いてあるのが目についたので、ついでに買ってお持ちしたものであったのでした。 見た記憶があると感じたのも道理。 来年のことを言うと鬼が笑うらしいが、去年のことを思い出すと鬼は白けるのだろうか。それはともかく、我々3人は、去年(と言っても1ヶ月前に過ぎないのではあるが)のことについての記憶がハッキリして、笑い合ったのでありました。(Xmas仕様のカステラ) はい、これはカステラにクリスマスツリーの図柄が刻印されたものなのであります。 もろびと声あげ よろこびたたえよ かみのめぐみ この世に現われ ダビデの村の いぶせき馬屋に きよき御子は うまれたもぅ (讃美歌102) 次は、クッキー。 これは、和郎女さんからの戴き物とのこと。(クッキー from 和郎女さん) お菓子が続きましたので、次は野菜です。 凡鬼農園の野菜たちは当絵画展ではお馴染みのものです。 恒郎女さん曰く「この絵は、まだ完成していないのだけれど・・」 その言葉を尻目に、撮影してしまったヤカモチ館長。 撮影してしまったら、公開しない訳には・・というのがヤカモチ流。(凡鬼さんの大根) 次は、御所柿。 この柿は、鳥取県産。 奈良県の御所市から持って来た柿の木から品種改良を加えて大きな実の柿を実現したという、鳥取県産の御所柿だそうな。とても美味とか。 恒郎女さんのお姉様のご子息のお嫁さんのご実家からお姉様に送られて来た柿のお裾分けだそうです。 恒郎女さんのご実家は御所市の旧家。上記のお嫁さんのご実家は森蘭丸の森氏につながるご家系らしいですが、詳しいことは割愛です。(御所柿) 次は、蜜柑。 この蜜柑は、小原紅早生みかんという品種で、普通のミカンよりも赤っぽい色をしています。 ヤカモチ館長の友人が香川県でミカン園をやっていて、このミカンを栽培しています。(小原紅早生みかん) ここまで来て気がつきましたが、今回は、花の絵がないということ、そして、ケーキ、カステラ、クッキー、大根、柿、蜜柑と全て食べ物でありました。まあ、冒頭のイノシシも食べ物と言えば言えなくもない(笑)。 今年は、春から食べ過ぎじゃわいなぁ~。 以上です。ご来場、ご覧下さり、ありがとうございました。 今年も、精力的に智麻呂絵画展を開催して参りますので、よろしくお引き回しのほどお願い申し上げます。
2019.01.08
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例年通り、ヤカモチの正月は寝正月でありました。 二日に、家族と枚岡神社、石切神社、瓢箪山稲荷神社と地元の三社を散歩がてらに歩いて回ったのを別にすれば、概ね「寝正月」という次第。(枚岡公園から大阪平野を望む)(同上) 若草読書会の新年会が来月・2月3日(日)にある。新年会は、いつの頃よりか、ヤカモチが万葉関連の話をすることになっている。 いつもは、早めにテーマを決めて、歌に関連した土地を訪ねて「取材」まがいのこともするのであるが、今回はなかなかテーマが思いつかず、年末ぎりぎりになって「万葉集から聞こえて来る音100選」と決めました。万葉集から「音」を感じる歌を100首選び出して資料を作成し、当日は、その中から適当に任意の歌何首かを鑑賞しようという趣向。 このテーマだと「現地取材」も必要なかろうという次第(笑)。 そんなこともあって、家でゴロゴロしつつ、万葉集から100首を選び終えましたが、その中にこんな1首もありました。隠(こも)りのみ居ればいぶせみ慰むと出で立ち聞けば来鳴くひぐらし (大伴家持 巻8-1479)(屋内に引きこもってばかりいると鬱陶しいので、気を晴らそうと外に出て立って聞いていると、来て鳴くヒグラシの声よ。) この歌に追和して歌を作れば、こうなるか。こもりのみ居ればブログのネタもなし銀輪駆けて出で立つべしや(蜆家持)こもりのみ居ればいぶせみ出で立ちて呼子鳥鳴く声をし聞かむ(鳥家持) ネタが無いのもネタのうち、ということで、呼子鳥に「かこつけて」記事をし書かむ、という次第。 万葉集に登場する呼子鳥の歌と言えば、この歌が先ず思い起こされる。大和には鳴きてか来(く)らむ呼子鳥(よぶこどり)象(きさ)の中山呼びぞ越ゆなる (高市黒人 万葉集巻1-70)(大和で鳴いてから来たのだろうか。呼子鳥が象の中山を鳴きながら飛び越えて行くのが聞こえる。) 呼子鳥については一般的にはカッコウのことと解されているが、ツツドリ説、ホトトギス説、ウグイス説などもあって未詳の鳥である。 万葉の頃は、ホトトギスとカッコウの区別はなかったという説もあるから、余り真剣に議論しても始まらない気もする。まあ、今でもヤカモチなんぞはツツドリとカッコウの区別などはできないのであるから、人を呼ぶように鳴く鳥は全て呼子鳥でいいという立場であります(笑)。 カッコウという鳥の名は「カクコフ(かく恋ふ)」と鳴く、その鳴き声に因んでの名らしい。 ワンワンとかニャーとかチュンチュンとか動物の鳴き声の擬声語、サヤサヤとかザーザーとか風や雨など物の音の擬音語、ペコリ(頭を下げる)、ポッカリ(月が出る)、(肌が)スベスベなど物事の様子・状態を表す擬態語などを総称してオノマトペと言うが、カッコウはそのオノマトペであるという次第。牛をモー、犬をワンワン、猫をニャンニャンと言ったら、幼児ならいざ知らず、いい大人なら馬鹿にされるのであるが、カッコウについてはそういう心配はない。ミンミン蝉、ツクツクボウシなども同じである。 これらオノマトペに意味を与えるのが「聞きなし」である。 ホトトギスは「テッペンカケタカ」と鳴く、ウグイスは「法華経」と鳴くなどがそれであるが、カッコウの「かく恋ふ」はロマンチックでいい。 万葉歌での「聞きなし」では烏のそれもある。烏とふ大をそ鳥の真実(まさで)にも来まさぬ君をころくとそ鳴く (万葉集巻14-3521)(烏という大馬鹿鳥が本当にはお出でにならない貴方であるのに「来る」と鳴く。) 「ころく」は「児ろ来」、「自(ころ)来」または「此ろ来」である。 古代の人は、鳥は自由に山を越えて飛んで行くことから、遠い空間を自由に行き来する存在ということで、恋しい妻や夫に思いを伝えてくれると考えていたようであり、また空間のみでなく時間をも飛び越え、過去や常世(死者の世界)へも自由に行き来するとも考えていたようです。ゾロアスター教などの鳥葬もそのような考え方があってのものであり、神武天皇を熊野から大和へと道案内したのも八咫烏という鳥でなければならなかったのでありました。古(いにしへ)に恋ふらむ鳥は霍公鳥(ほととぎす)けだしや鳴きし我(あ)が思(も)へるごと (額田王 万葉集巻2-112)(昔のことを恋い慕っているであろう鳥はホトトギス。その鳥が鳴いたのでしょう、私が昔を恋いしく思っているように。) ホトトギスは原文では霍公鳥と書かれている。音読みすればカッコウドリである。万葉人はホトトギスもカッコウも区別しなかったという説に従えば、ここでのホトトギスは「かく恋ふ」(このように恋しく思っている)と鳴くカッコウのことであろう。テッペンカケタカ(てっぺん駆けたか)と鳴いたのでは、下記のように銀輪家持風になってしまって、締まらないことになる(笑)。銀輪に恋ふらむ鳥はホトトギス けだしや鳴きし銀輪駆けたか (銀輪家持) そろそろ銀輪始動と参りますかな。(注)ホトトギスは、杜鵑、杜宇、蜀魂、不如帰、時鳥、子規、田鵑などとも表記す る。 ホトトギスの異称のうち「杜宇」「蜀魂」「不如帰」は、中国の故事や伝説に もとづく。長江流域に蜀という傾いた国(秦以前にあった古蜀)があり、そこ に杜宇とという男が現れ、農耕を指導して蜀を再興し帝王となり「望帝」と呼 ばれた。 後に、長江の氾濫を治めるのを得意とする男に帝位を譲り、望帝のほうは山中 に隠棲した。望帝杜宇は死ぬと、その霊魂はホトトギスに化身し、農耕を始め る季節が来るとそれを民に告げるため、杜宇の化身のホトトギスは鋭く鳴くよ うになったと言う。また後に蜀が秦によって滅ぼされてしまったことを知った 杜宇の化身のホトトギスは嘆き悲しみ、「不如帰去」(帰り去くに如かず。= 何よりも帰るのがいちばん)と鳴きながら血を吐いた、血を吐くまで鳴いた、 などと言い、ホトトギスの口の中が赤いのはそのためだ、と言われるようにな った。(Wikipediaより)<追記>ホトトギスの「聞きなし」の例(下線部分)(近藤信義「万葉からの視線ー桓武天皇歌のホトトギスー」より、但し現代語訳はヤカモチによる。)ほととぎす来(き)鳴(な)き響(とよ)もす卯の花のともにや来(こ)しと問はましものを(巻8-1472)(ホトトギスが来て鳴き声を響かせている。「ウノハナノトモニヤコシ(卯の花と一緒に来たのか)」と尋ねたいものだ。) 暇(いとま)なみ来(こ)ざりし君にほととぎすわれかく恋(こ)ふと行きて告げこそ(巻8-1498)(暇がないからとお出でにならない君に、ホトトギスさん、「ワレカクコフ(私はこんなに恋しく思っています)」と行って知らせておくれ。) 木(こ)の晩(くれ)の夕闇なるにほととぎす何処(いづく)を家と鳴き渡るらむ(巻10-1948)(木の下陰の夕闇なのに、ホトトギスは「イヅクヲイヘ(何処が<自分の>家か)」と鳴き続けている。) わが衣(ころも)君に着せよとほととぎすわれをうながす袖に来(き)居(ゐ)つつ(巻10-1961)(「ワガコロモキセヨ(私の衣を君に着せよ)」とホトトギスが私を催促して鳴きます。来て袖にとまりながら。) 春さればすがるなす野のほととぎすほとほと妹に逢はず来にけり(巻10-1979)(春が来るとすがる蜂がブンブン翅音を立てる野のホトトギス、「ホトホト(ほとんど)」彼女に逢わずに帰って来るところだった。) 信濃なる須賀の荒野にほととぎす鳴く声聞けば時すぎにけり(巻14-3352)(信濃の須賀の荒野でホトトギスの鳴く声を聞くと、それは「トキスギニケリ(時が過ぎたなあ)」だった。) 橘は常(とこ)花(はな)にもがほととぎす住むと来(き)鳴かば聞かぬ日なけむ(巻17-3909)(橘がいつも咲いている花であればなあ。そうなら、ホトトギスが「スム(<此処に>住む)」と来て鳴くだろうから、毎日その声を聞かないという日はないのに。)
2019.01.05
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謹賀新年常磐なる 松のみどりも 春くれば 今ひとしほの 色まさりけり (源宗于 古今和歌集巻1-24)新年がみなさまにとって どうぞよき年でありますように(石切神社絵馬)旧年中のご厚誼有難く感謝申し上げますと共に 本年もよろしくお願い申し上げます平成31年元旦偐万葉田舎家持歌集 けん家持(枚岡神社絵馬)^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^偐万葉田舎家持歌集(にせまんよう いなかやかもち かしゅう)目次それぞれの項目をクリックすると その項目の記事をまとめて見ることが出来ます。 下記目次はヤフー版の偐万葉田舎家持歌集によって作成しています。絵画展ほか智麻呂絵画展和郎女作品展近江鯨麻呂絵画展偐万葉シリーズ松風篇 大和はまほろば篇 ビターc篇 ひろろ篇カコちゃん08篇 真澄篇 木の花桜篇 るるら篇 nanasugu篇 カマトポチ篇 くまんパパ篇 ビッグジョン篇 童子森の母篇 半兵衛篇 マダム・ゴージャス篇 英坊篇 アメキヨ篇オガクニ篇 ふぁみキャンパー篇 ウーテイス篇 ふらの篇閑人篇 LAVIEN篇 幸達篇 ひろみ篇 あすかのそら篇ローリングウェスト篇 もも篇 若草篇 その他銀輪万葉シリーズ大阪府篇 奈良県篇 兵庫県篇京都府・滋賀県篇 和歌山県・三重県篇 北陸篇新潟県・長野県篇 関東篇 中四国篇 九州篇 その他その他近隣散歩花(1)2007~2011 花(2)2012~2016 花(3)2017~2021 虫 マンホール若草読書会 囲碁関係 岬麻呂旅便り 5人組ウォークほか 中学同期関係 夕々の会関係万葉 ナナ万葉の会関係 短歌・俳句・詩・戯れ歌 言葉遊び・駄洒落集その他のカテゴリー自転車 絵画 能・狂言 友人ほか ブログの歩み カテゴリー未分類^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^ 当ブログの昨年1年間のアクセス件数は455523件でした。 一昨年の383827件をかなり上回りました。 多数のアクセス、まことに有難く、心よりお礼申し上げます。 今年も引き続きご愛読賜りますれば幸甚に存じます。 <参考>過去の年間アクセス数<括弧内は年末時点のアクセス総数> 2011年 53664件( 151563) 2012年 48490件( 200053) 2013年 39816件( 239869) 2014年 78308件( 318177) 2015年 250713件( 568890) 2016年 501049件(1069939) 2017年 383827件(1453766) 2018年 455523件(1909289)
2019.01.01
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