ポンコツ山のタヌキの便り

ポンコツ山のタヌキの便り

PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

やまもも2968

やまもも2968

カレンダー

バックナンバー

2024年11月
2024年10月
2024年09月
2024年08月
2024年07月

サイド自由欄

設定されていません。

コメント新着

さとし@ Re[2]:夕陽丘セツルメントの思い出(06/17) 昔の子供さんへ ?その後の文章ないですか…
夕陽のOBです@ Re:夕陽丘セツルメントの思い出(06/17) なんか懐かしくなって、夕陽ヶ丘セツルメ…
南日本リビング新聞社@ Re:天文館の唯一の映画館の最後の日(10/11) こちらの写真を新聞で掲載させていただき…
昔の子供@ Re:夕陽丘セツルメントの思い出(06/17) 懐かしいです、昔のお兄さんたちに会いた…
昔の子供@ Re:夕陽丘セツルメントの思い出(06/17) 偶然この文章読みました、まさにその当時…
安渓 遊地@ Re:武部利男先生と漢詩の中国音読み(04/01) やまもも様 吉川幸次郎先生(と武部先生)…
安渓 遊地@ Re[1]:武部利夫先生と漢詩の中国音読み(06/05) やまももさんへ 武部先生の漢文は、3年間…
通りすがり@ Re:夕陽丘セツルメントの思い出(06/17) こんにちは。 ここの大学のOBです。 同…
鹿児島の還暦じじい@ Re:鹿児島弁の「おいどん」は一人称複数!?(12/24) おいどんの記事興味深く読ませていただき…
やまもも@ Re:武部利夫先生と漢詩の中国音読み(06/05) mastanさん、ご質問に気がつかず、返事が…
2010年09月18日
XML
カテゴリ: 鹿児島


 大河ドラマでは、今回初めて鹿児島を訪れたように描かれていますが、瀬野富吉著『幻の宰相 小松帯刀伝』』(小松帯刀顕彰会、1985年7月)で調べてみますと、竜馬は2回鹿児島を訪れているようです。

 1回目は慶応元年(1865年)のことで、元治元年10月21日(1864年11月20日)、勝海舟が幕府の軍艦奉行を罷免され、神戸の海軍操練所が閉鎖されたとき、西郷隆盛が勝海舟に依頼されて塾頭の坂本龍馬以下塾生約30名の身柄を大坂の薩摩屋敷に引き取り、さらに小松帯刀が慶応元年5月1日(1865年5月25日)に坂本龍馬等を連れて鹿児島に帰り、同年5月16日(1865年6月9日)まで原良の小松別邸に住まわせています。

 その翌年の慶応2年(1866年)にも、薩長同盟成立後、小松帯刀は伏見町奉行配下に襲われて手傷を負った坂本龍馬とその妻のお龍さんを伴って京から鹿児島に帰り、同年3月10日(1866年4月24日)に原良の小松別邸に宿泊させています。なお、その後、龍馬夫妻は霧島栄之尾温泉へ行って保養していますが、これが日本最初の新婚旅行と言われているものですね。

 鹿児島市の天保山公園に「坂本龍馬新婚の旅碑」がありますが、それはこの地から龍馬とお龍が桜島丸に乗船して薩摩を後にしたことに由来しているそうです。なお鹿児島市はNHK大河ドラマ「龍馬伝」の19日放送に合わせて龍馬夫妻の銅像を新たにいづろ交差点のブラザー鹿児島ビル前(同市大黒町)に設置するそうです。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2010年09月18日 21時32分36秒
コメント(0) | コメントを書く
[鹿児島] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: