おしらせ 0
日本人だけが知らない日本の歴史 0
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心理学講座『プライベート・アイズ』のクライアントさんのなかで、レターセラピー(手紙の往復によるカウンセリング)を受けていただいている方がいる。文字を書くことが極端に少なくなった現代、私はすっかり字が下手になってしまったけれど、手紙の良さは、メールにはない「手触り」があること。このごろ、セラピー(カウンセリング)の場面で、以前よりも プロセッシング(クライアントさんの文章を読んで、ふさわしい答えを考えて 返すまで)の時間が短縮されて 心理カウンセラー、心理療法家、セラピストとしての能力がアップした感じがする。以前は まるでウミガメの出産のように、苦悶しながら、どのようにしたらいいのか模索しつつ傷つけてしまうような間違いのないよう、効果をうまく最大に出せるように必死に頑張ってたっけ。なつかしい。平井 瑛子( ひらいようこ )ホームぺージ 不安神経症を完治する精神療法(心理療法)ライブドアブログ不安神経症(ノイローゼ)は、心理学で完治・解消・克服OK!
2011年09月23日
知り合ったある人Aさんにそう問われて、ボランティアで手伝ってくれるつもりなのかな?と思った。でももちろんアルバイト代とかは支払わなきゃいけないと考えた。で、正直に返事した。「新しく人を使うとなると、いろいろあるし、肝心の仕事のほうに身が入らなくなるから……(いいです)」と。「使うとかそんなんじゃなくってさ~」Aさんは私の返事に、ちょっとあきれ気味というか、かすかな嫌悪感を漂わせて続けた。 「(自分に話をしとけば、)人づてで話が伝わって(あんたの商売に)何かってこともあるでしょぉー」そっかそっか~。な~んだ。言葉のあやってやつね。私はまた、言葉通りに、善意で腕まくりして手伝ってくれるのかと思った。けど、私の情報を知りたかっただけなんだ。そのために、少しリップサービスしただけなのね?(笑)で、なんで私はそう思ったのかと自己分析してみた。それは、自分のなかに、献身的なところがあるからだと思い当たった。私がもしそのAさん(70代の専業主婦)のように自由な時間がたっぷりあって、健康で、とくにこれといってすることがなかったら、無償で何かをやっていたと思う。現に、そういうボランティア婦人?(笑)も知っている。だから、その、私に質問した、子供のように天真爛漫なAさんも、他人の私のためにわざわざ親切にしてくれようとするのね?と思ったわけである。――私自身が親切にするときには、つきあいの長さはそれほど関係ないので。でも、Aさんは年下の私に、自分のケアテイカー(お守り)の役目をさせようとしていると気づいた。私の好意をあてにして、してもらうことだけで嬉しくなって、もっと・もっと・たくさん世話してもらおうとする人、ここにもいたんだ。(^^; 親切にしてあげればあげるほど、もっとしてやらなきゃいけなくなっていく、この矛盾。――ある親切な行為を私がAさんに「今回だけね」と断ってしてあげたら、いつのまにか、いつでも必ずしてあげることに、なっていた。。。。?別な人……共通の知人であるBさんからこう言われたのだ。「でもAさん、よかったわよね。あなたが来たからいつも助けてもらえるものね」えっとびっくりである。「助けてあげるのは、今回だけね」と断ったのに……、Aさんが、吹聴したのだろうか? こういう形で外から固められるとは……?! (;^_^A 人に優しくするときには、よくよく気をつけないといけないな。またひとつ賢くなった。(^^; 平井 瑛子ホームぺージ http://hiraiyoko.com/メールマガジン http://hiraiyoko.com/seminar.html
2006年11月10日
今でも、あのとき思い切って行けばよかった、怖がって失敗したなと悔やまれることがあります。もうかなり前ですが、仙台のアミティサポートグループが、あのアリス・ミラー博士をこの仙台に呼んだことがあり、参加の機会があったのです。今なら迷わず参加するでしょう。でも、当時はまだその勇気がなく、行けませんでした。 不安神経症(不安障害・ノイローゼ)を克服して以来、日常生活にはなんの問題もなく、ほとんど忘れていたのですが、なぜか、アリス・ミラー博士のイメージと、真っ暗な地の底に引きずり込まれるようなあの不安神経症(不安障害・ノイローゼ)の恐怖とが条件反射的に結びついてしまっていて……二の足を踏みました。参加してアリス・ミラー博士と直面したのをきっかけにぶり返してしまったら……?!今の平穏な生活が脅かされるという不安がありました。いらっしゃるのが、(ありえないけれど)もしもアメリカの精神科医・精神分析家、カール・A・メニンガー(メニンジャー)博士だったら迷いはなかったですが、何かしら、言語化できない危うさが自分のなかにわき起こる懸念が払拭できませんでした。先日、張本元野球選手が被爆者であったこと、あの現役時代のトレードマーク黒い手袋は変形した指を隠すためであったことを知りました。「原爆記念館には一回行ってみなければと思っていましたが、なかには入れませんでした。その次もやっぱり入れませんでした」と語るのをきき、トラウマというものは、年月をへても、こうして人を苦しめるものだと再認識してはじめて、私がアリス・ミラー博士と会えなかった理由もわかりました。念のため申し上げておきますが、アリス・ミラー博士の本を読み出したのは、フロイトの精神分析療法で、不安神経症(不安障害・ノイローゼ)を克服したあとです。私自身が日本人向けに改善した精神分析で不安神経症(不安障害・ノイローゼ)が治るということ、実際に私が治ったということ、その体験を他の方に伝えるために、まず、素人が精神分析を自分でやったという、通常では信じられないだろう事実を、どう考えたら良いのか、その課題を解決するためでした。 メールマガジン『本当の自分がわかる心の技術 安らぎと治癒の自己改革』でテーマにした通り、アリス・ミラー博士のお考えは革新的で、子供(時代)の心理を理解するために、他では絶対に得られない見地を得られたことに深く感謝しています。かえすがえすも、機会損失を悔やんでいます。引きこもりの人が一歩前に、外に出られないのは、このような心境なのでしょうか? 母親が父権的で絶対権力を握っており、問題を起こすこと(非行や不登校など親に反抗すること・親の手を煩わせること)は許されざることだったので、生きるためには(家に置いてもらうためには)学校に行くしかなかったのですが、もしそうでなければ、不登校になってもおかしくない状況に、かつての私もありました。 。。いずれにしても、時間は戻らない。覆水盆に返らず。悔やんでもしかたがない It is no use crying over spilt milk とはわかっていても……。平井 瑛子ホームぺージ http://hiraiyoko.com/メルマガバックナンバー(大幅加筆修正済み!読んで損はさせません) http://hiraiyoko.com/seminar.html
2006年10月20日
私自身は、心理カウンセラーではありません。一般的な「心理カウンセラー」とは、まったく毛色が違う人間なのです。人の話を聞くカウンセリングをするというよりは、ヒプノセラピーや催眠を含む精神療法(心理療法)や、セルフヘルプ、自己啓発、潜在意識、ヒーリング、心理学など、体と心のしくみをくわしく講義し、心の健康回復のための「実践・維持方法を教える」講師、といったところです。うつや神経症などの症状や、自分でも理解できない癖などのことを、一番最初にうかがうだけで、ほとんどそのまま返事をしないで、自分で書いたプラアイセミナーテキストによる講義に入っていただきます。(^^;)うつ病や、不安神経症(不安障害・ノイローゼ)や、アダルト・チルドレンなど、心の悩みは、プラアイ・セミナーでお教えしていることを知れば、解消したり手放すことができるからです。 私は、心理カウンセラーが専門にしている、その方の悩みにじっと耳を傾ける「傾聴」はしないのです。カウンセラーはこの「傾聴」をする人のことです。十分に話をさせてくれる人のことです。愚痴や悩みを聞き続けてくれる人のことです。そしてカウンセラーは答えは出さない。苦しくてもじっとクライアント(相談者)の側についていてあげる。クライアント(相談者)は、落ち込むところまで落ち込んで、それをカウンセラーに感情的に一緒に何ヶ月もつきあってもらう。そういうなかで、クライアントが、「これは自分でなんとかしないといけないんだ」と割り切れるようになって、自分で探して見つけていく。これがカウンセリングです。でも、私は何回も同じ話を辛抱強く聞いてあげることはしません。その方の希望や、個性とタイミングで判断して、施術的なことをしてしまいます。(心にも、体と同じく、手術や治療というものができるのです。そしてリハビリや回復も、です。)私のセミナーでは、相談者の方が、短い期間で(すぐに・あるいは遅くても1ヶ月~2ヶ月程度で)答えを自分自身で見つける方法をじかに教えています。たとえ話でいうなら、魚を与えるよりも、魚を釣るための知恵と具体的な方法を教えているわけです。(^^) ですから、スクールに通って「人の話を聞く」ための「お勉強」をして資格をとった「心理カウンセラー」とはスタンスが全然違うのです。ヒプノセラピーもしますが、そのヒプノセラピーも西洋直輸入の方法ではなくて日本人向けに自分でアレンジしたものなのです。「心理カウンセラーじゃないとなると、じゃ、結局お前は何なんだ?」と訊ねられると、自分でも自分をうまく形容できなくて困っています。(;^_^A私の他に私のようなことをやっている人は、私の他には一人もいないので。まあ、「潜在意識(深層心理)実践研究家」あたりが、妥当なのかな?と思っています。(^^;)平井 瑛子ホームぺージ http://hiraiyoko.com/メールマガジン 『本当の自分がわかる心の技術 安らぎと治癒の自己改革』
2006年10月09日
あんまり楽しくないお話しですが、こういうこともあるのだと心の片隅にでも置いておいてください。心の治療家やカウンセラーの一部には、愛情と承認のしるしとしてクライアントとセックスする人もいるようです。心の癒しや魂の救済を掲げる宗教家も、信者とセックスをする人もいるし、これが、学校の先生と生徒という場合もあります。普通の恋愛やセックスが、心の癒しというか救いというか、結果としてセラピー(治療)的な働きをすることは、誰しも認めるところでしょう。(^^) でも、治療の名を借りて、治療者がセックスやそれに近い行為をクライアントや相談者、患者に行うことは、たとえ患者がそれをどれだけ切望したとしても、絶対にやってはいけないことだと思います。体の関係ができてしまえば、それまでの関係が、まったく性質の違うものになってしまいます。フロイトが、精神分析のルールとして、患者の欲求を満たしてはならない!と強く禁じたのは、自分の話をじっと熱心に黙って聞いてくれるフロイトに、患者(上流階級の貴婦人たち)が、恋愛感情をもつことが多かったからです。 治療者も人間ですから、誘惑にたいして「石」のようであれというのはきついかもしれませんが、 それでも、患者の利益を護るために、――治療においての責任者は治療者なのですから――、絶対に踏み越えてはならない一線があると思っています。☆ 性的な癒しを売り物にして、自分の上半身のセミヌード写真(乳房)をホームぺージ上にアップしている女性カウンセラーもいます。でもそれならそれでいいと思います。その方の男性ファンは、そういうものを求めているのでしょうから。問題は、そんなことをおくびにも出していないのに、おかしくなっていくことです。 治療の名を借りたセクハラを受けたら、相談者(クライアント)の心は癒されるどころか、汚染されてしまう。自分が患者の親に代わって神のような大きな愛情を与えて救ってあげられる、もし、そう考える治療者やカウンセラーがいたとしたら、思い上がりというか、勘違いも甚だしいです。(;^_^A 誰も、過去を変えることはできない。心が回復していく力はそのクライアント(相談者)のなかにあって、カウンセラーはそれを引きだすお手伝いをするだけなのです。文責 平井瑛子ホームぺージ http://hiraiyoko.com/メールマガジン 『本当の自分がわかる心の技術 安らぎと治癒の自己改革』
2006年10月04日
――カウンセラーの仕事って、カウンセリングって、こんなんでいいのか?―― 心理学を勉強したらどんな仕事につけるのか、という本。これ、何かの間違いではないのだろうか? あえて本のタイトルはあげませんが、どうしても引っかかるところがココ。P110------------------------------------------------------------ 心理治療が顕著な効果を示してくれる場合もあるが、多くの回数を重ねていくことが、カウンセラー自身の治療であること、そして、それに気づいたカウンセラーが、ケースと同じ症状を起こす現象を見ることは多々あるものである。鏡を見ることがごとく、クライアントは、カウンセラーの心や姿を写してくれるのである。------------------------------------------------------------「写して」は「映して」の間違いだと思うけど、それはささいなことで、人を助けようとする人間が、お金をいただいて提供しているサービスを、自分の治療として自分のことを中心にすえていいはずはない……と思う。そして、クライアントに引っぱられて同じ現象を起こすだなんて……。もしこんなことが「多々ある」ならば、相談者にとってはいい迷惑だ。この部分を書いた方は、あるアメリカ系の私立の学校で、幼児から成人までをカウンセリングし、専門学校などでカウンセリングの講師をつとめ、地域の公民館講師や、女性の勉強グループの指導をし、ご自身でもカウンセリングルームを開設しているそうだけど……。なんかの間違いだと思いたいけどな……でも、この本は、大阪の大学の、人間科学部教授が監修しているんだよね……。大学教授の監修だよ。それでコレ?……マジですかって感じ……。クライアントの利益を代弁させてもらえば、 カウンセラーのレベルなんて、こんなもんでええんかい?(横山やすし風)自分の治療になるとか、クライアントの前で自分が混乱してどうするの?プロとして活躍して人を指導している人の口から、こういうことが平気で語られるところをみると、まだカウンセラーとしての仕事をするだけの準備ができてない人が、カウンセリングをしているケースが、けっこうあるのではないかと疑ってしまう。 『プライベート・アイズ』セミナーに申込んでいらした方には、 カウンセリングをいろいろと受けてきた方もいる。 それまでの「治療」ではいい結果にならなかったようで、 クタクタに疲れて神経質になってしまっている様子だった。 この方は、先日 見違えるように元気になって連絡をくれた。 プラアイの効果がでたらしい。(^^) それはともかく、 カウンセリングを職業にしている人は、 生半可な気持ちではやってほしくないなー。平井 瑛子ホームぺージ http://hiraiyoko.com/
2006年09月29日
心理カウンセリングの、一見おいしい?お仕事について、吉家先生が講義してくださっています。コメントを書き込もうとしたら、ちょっと長くなったので、こちらにアップします。______________________________________________________________________おはようございます。有益な記事をいつもありがとうございます。記事の最後に書いた質問をうえに持ってきました。 ↓ ところで先生、>心理カウンセラーを目指す方々と議論をすると、ご自身に都合の悪いことが話されると、すごく拒絶的な態度を示す方が多いと思います。心の構造が、とても幼稚なのです。これはたとえば、どういうことでしょうか? ______________________________________________________________________先生がおっしゃっているように、カウンセラー養成講座で、心理カウンセラーをめざす人のなかには、(精神科をめざす医学生のなかにも)自分の問題を解決したくて、――あるいは、人の相談にのるという行為が、イコール、自分の問題は解決ずみという証拠になると勘違いして?――その道の専門家になる、というパターンは、心の治療家の分野では、だいぶ以前からあったように思います。 身体の病気や症状などでも、自分自身が弱かったからもっと知りたくて(治したくて)治療家になったという方もいるのですが、身体の場合は、それでもとくに問題ない。でも、心はそうはいきません。 心は身体と違って目に見えないし、比べたり、状態を確認しづらいものだからです。でも吉家先生のお話しをうかがうと、こういう事態が放置されたままというのは、クライアント(利用者・相談者・患者)にとって迷惑な話ですね。カウンセラーとしてふさわしい技量と姿勢をもったカウンセラーと、資格はあっても、まだ他人の世話をするには早いカウンセラーと、見分けるガイドラインのようなものがあると良いのですが。吉家先生の前回の記事にあったように、自分が困っているのなら、まず自分から変えること。たとえ今までもっていたプライドが傷つこうとそれを乗り越えて、自己改革を完成させてから、プロとして人と接するべきですね。これを書きながら、ふと、「神事を執り行うときにはみそぎをするように、心の治療者も自分を律する必要がある」という表現が頭に浮かんだのですが、人の心を扱うというのは、ひょっとして神聖な仕事としてとらえられるべきなのではないでしょうか?それくらいクライアントを大切する気持ちをもってはじめて、カウンセリングを、自分の問題はまだ未解決なのに、学校で得た耳学問を頼りに、自分の価値を確認したいため?自己実現のため?、就業・開業の手段として?、利用する人にとっては、ちょうどいいのではないか?と思いました。クライアントに接するときに神聖な気持ちになるべきといっても、クライアントを崇拝したり甘やかすという意味ではなく、世界にたったひとりのかけがえのない存在だと認める、という意味です。カウンセリングのいちばんの基本は、相談者を人として尊重し、大切にする気持ちのように思うのです。(堅苦しく形式ばった敬語を使えという意味ではなく)もしかして……、カウンセラーになりたいと思っている人の多くは、カウンセラーの仕事を誤解しているということはないのでしょうか?カウンセラーになれば、都会のきれいなオフィスで、汚いことや重労働もせず、白衣を着て?、にこやかに微笑んで?、センセイと呼ばれ、慕われ、頼られ、相談者に頼まれて「正解」を答えて喜ばれ、高い報酬がもらえる。そういう心理カウンセラーになって、プロとしてカウンセリングの仕事をするためには、免許(資格)があればよい。そのためには、カウンセラー資格をくれる学校に最低でも何十万円か支払って、通って、お勉強して、カウンセラーの資格認定(免許?)を受ければ開業できる。こんなふうに、イージー(安易)かつ、理想的な完璧なイメージを心理カウンセリングにたいしてもっている人もいたりして。(^^;私は、カウンセラーの仕事は、実際はすんごいガテン系だと思います。昔、医療関係者向けの、「理想的な外科医」という面白いイラストを見たことがあるのですが、それは、長時間トイレに行かないですむ膀胱、とか、スキルフルで有能な手がたくさん生えて別々に手際よく動く、とか、モニターやら患部やら部下の仕事ぶりなど、瞬時に全部把握できる目とか、手術中の突発的なトラブルに対処する○○(忘れました(笑))とか、身体のパーツがすべて超人的で、恐ろしく有能なロボットのイメージでした。もちろんこのイラストはジョークでしょうが、でも難易度の高い複雑な外科手術をこなす医師というのは、それだけたいへんなんだなと。頭も体も気力も精神力も、技術もノウハウも、信じられないほど突き抜けていることは想像できました。 カウンセラーの仕事も、知識や技術、判断力、強靱な気力・体力のうえに成り立ちます。ラクな仕事ではありません。普通に(冷静に)考えれば、自分の問題を解決できない人が、なぜ他人の問題を解決できるのか? 自分の問題から逃げながら、他人の心の相談にのることを通して?解決したつもりになるというのは、論外です。堪え性というか、強さと柔軟性を兼ね備えていなければ、人に対して手をさしのべ、力を貸すなんてことは不可能なのですが、そこまで本当のこと言ってしまうと、カウンセラー養成学校でカウンセラーの資格を取りたい人なんて、激減するかもしれません。「まず、自分の問題と向き合い、解決しなさい」という言葉は、心理カウンセラー養成講座ではまず、聞かれないことかもしれませんね。______________________________________________________________________平井瑛子ホームぺージ http://hiraiyoko.com/
2006年09月21日
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