あむ日よむ日あくる日

あむ日よむ日あくる日

PR

プロフィール

天然風

天然風

カレンダー

コメント新着

天然風 @ Re[1]:道に拾う(07/17) りぃー子さんへ なかなかスムーズにお返…
天然風 @ Re[1]:トライアングルモチーフバッグ完成(07/19) りぃー子さんへ お返事に気づかずすみま…
りぃー子 @ Re:トライアングルモチーフバッグ完成(07/19) わー!素敵なバッグです。 しかも、重みが…
りぃー子 @ Re:道に拾う(07/17) こんにちは、モグラの子、今まで二度ほど…
天然風 @ Re[1]:旧朝倉家住宅(02/20) 富久道義さんへ いつもありがとうございま…

キーワードサーチ

▼キーワード検索

2023.04.15
XML
カテゴリ: 映画➕アルファ



本当のところ、「 岡本太郎の沖縄 」 を観るつもりだった。

ところがそれは明日からで、 当日朝のプログラム
は、かの「 独裁者

という何とも私らしい顛末。

この類のあるあるで忘れられないのが、パリ滞在の短日に一日を費やす張り切りでルーアンにモネの大回顧展を観に出かけたら、その日は特別休館。
なんぞという事もあったなぁ。

もっともその手のミスが決して嫌いではないのである。左様であればこちらの舟に乗りまする、とゆらゆら行くのも旅オツである。

という訳で思いがけず 独裁者 を観た。

チャップリンの映画は殆ど観ている。ライムライトやキッドなんかは何度も観た。しかし本作を劇場で観たのは初めてだと思う。

これが1940年に公開された事に当時大きな意味があった筈だが、ロシアのウクライナ侵攻一年後の今現在、更に時宜を得て胸に迫るとは何事ぞ。

私たち人間はかくも進化できない生き物、動物以下の存在なのだろうか。涙滂沱。

ユダヤ人床屋がなぜか疑似ヒットラーである独裁者と瓜二つ。其々に知識、情報を与える指導者的執事的存在があり、回りを囲む者たちがいる。

つまるところ独裁者も床屋もある意味、中身無しの容器というか媒体物のような存在だ。

さて。床屋のチャップリンにあって疑似ヒットラーのチャップリンに無いもの。

それが愛、思いやり、友情、信頼をかもすコミュニティであり、コミュニティがもつ、ゆったりと流れる時間なのである。

それらを本質的に憎んでいるのが独裁者であり、そもそも媒体である彼には一貫性も無く、思いつきやその場限りの感情に突き動かされている。その決裁が招く事態には全く無頓着で不気味なほど。
↑何とかいう政治家に似てないか?

ではどうしてそんな独裁者は生まれて来るのか。

映画の中で、世界を席巻する力の構造様式であるテクノクラート官僚機構と独裁者はとても相性が良さそうに見える。

彼から世界を手中にできると甘言された 疑似ヒトラー総統は 幻想を抱く。

そのシーンで、地球風船と戯れさせる場面を 監督チャップリンは描いている。

このシーンは強烈なファンタジーだ。

どの場面も機械の如き肉体顕現の総統が、部下を下がらせ、いじらしく柔らかく地球風船と戯れる、その素の姿。



独裁者の秘密はここにあるのではないか
とチャップリンは描いてはいないか。


瓜二つであったことが招いた最後のスピーチ。


媒体に過ぎなかった床屋のチャップリンが
「HOPE」の一言で心身全体的に電気が走り、まるで今産まれたかのように主体者へ変容していく様。


何度でもこのスピーチを胸に刻みたい。

あの残酷な連中に自らを譲り渡すな!機械の頭と機械の心を持った機械の奴らに!諸君は機械ではない!諸君は家畜ではない!諸君は人間なのだ!諸君の心の中には人類愛がある。諸君は憎むことはない。愛されぬ者だけが愛されぬ者と残酷な者を憎むのだ。兵士たちよ,隷属を求めて戦うな!自由のために戦うのだ! 引用元 Y's Factoly on Note


希望の光を心のランタンに灯し、高く掲げて人間の道を歩みたい。知識が人を冷笑的に不感症にしていくなら、知識を超える知恵を持ちたい。


ずっとそう思っている。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2023.04.15 09:47:30
コメント(0) | コメントを書く
[映画➕アルファ] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.
X
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: