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2024/10/19/土曜日/妙に暑い、29度ジョーカーの続編も公開中だったけれど、前作を観た後は胃の臓腑がムカムカなるくらい絶望に襲われたので避けてしまう。こちらだって、政府軍と独立したカリフォルニア州テキサス州連合軍同志の、分断されたアメリカ国民の戦争なので、陰惨なものであるのは必定だけど見終わって感じたことは米国が銃社会であること。ジャーナリズムがかろうじて機能しているというか、報道は存在していた、ということ。で、その内容とか質はどうなのか。その背景を知りたければアメリカという国の来し方を尋ねなくてはならないだろうけれど、米国史はほんの少し読んだ、くらい。3回の訪米、しかも一度はハワイの観光やショートホームステイ程度の関わりではアメリカって全然分からない。朧げに感じ取れるのは以前読んだフォークナーから滲み来るアメリカの姿が、この映像と近しい印象をもたらすということ。同国人ながら受け入れられないほどの乖離、土地土地の歴史背景や宗教…いや宗教などというものはこの映画では体良く避けられていたが。というより戦争カメラマンとか、ジャーナリズムとかテーマがそちらにスライドされて、市民分断の焦点はピンぼけだったかもしれない。ベテランカメラマンのリーを演じる女優の存在感は素晴らしかった。人心も国土も荒廃する風景を車で走り抜ける日々の、ほんのひととき、横たわり草原の青い花を見やる、その静かな眼差し。カメラではなく生の目で見た青い花の命と共鳴したような彼女の瞳は既にカメラマンであることを終了しているように感じさせる。国がどうなるかしれない中で、当事者たることを放棄し、その事実に心も思考も閉した、古き良き東海岸の小さな町のコミュニティが描かれていた。日本人としての私はさすがに居心地の悪さを覚える。平和を願うことの困難な道を思う。ガンジーが言ったように。意味不明な大量殺人者、ルックスがティピカルアメリカンな彼が〈アメリカかアメリカでないか〉をジャッジして問答無用で他者を殺傷する場面。どこの出身か聞かれ、恐ろしさに返答もできないアジア系←彼は日本人俳優と思われる←ジャーナリスト?パパラッチ?が、何とかひねり出した香港!秒殺である。これは色んな意味でやばいアメリカだ。レイシストの上をいく。トランプの拡大系はこれに繋がるやもしれない。トランプ。とハリス。独裁になる危険をはらむ者と多様性を説きながら実はDSの踊り子かもしれない者と。オルタナティブがない!私たちの国もまた間も無くどんな船に乗り込むのか票を投じなければならない。自分の選挙区に投票したい立候補者がいない!それでも棄権する事はできない。全くもって不条理を生きるのみ、なのだな。苦々しきこと重なる。大統領選を前に日本を支配するこの国の姿を知りたくて好天の昼間に暗い部屋に入ったのだった。ところで。ホワイトハウスには地下道が軍用機の発着基地まで絶対通じてるはず、と私ならシナリオを書く。その裏をかいて最後のインタビューをする。ジャーナリストの音声に兵士が立ち止まるこの場面はよい。しかし速攻射殺ですか。裁判無しですか。これは戦争ではなく殺戮、それを証明してしまったラストがいけない。
2024.10.19
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2024/08/27/火曜日/台風が近づいている先日、区の施設で暑い日中に無料で映画「Tove」を見た。知人に教えられなければ見逃していた。諸々有難い。空席が目立つ。実にもったいない。きみも来来♬『彫刻家の娘』には父との葛藤が描かれているらしいけれど私はそれを読んでないので映画によって父と娘の関係のニュアンスを知り得た。その父と死後に和解が生まれる場面がある。肉親とは愛も憎しみもいざなえる縄の如し。ソレ、DNAとなりぬる?トーベ・ヤンソン母シグネもまた芸術家だが、娘の成長に横から手を伸ばしコネ回すことはしない知性と寛容の持ち主で、私はこの方のファンだ。『ソフィアの夏』に出てくるおばあちゃんに彼女のパーソナリティが濃く活写されている。この小説は私が今まだ読んだジュブナイル小説のベスト20に入る。It would be terrible not to have your own money.これは何かのインタビューで語ったシグネの言葉。女性も働いて自分でお金を得ることを説いている。ボーイスカウトしかなかった時代に、女の子だって森や川や湖や海で遊びたいとガールスカウト活動を始めた女性だ。苦しいガードルから女性を解放したココ・シャネルと生死年がほぼ同じであることが興味深い。映画の中で薪ストーブ用の薪を割り、電気工事もしてみせるトーベには、シグネの薫陶が生きている。トーベはマルチタレントの持ち主である。ガスも水道もない島暮らし、移動の小船の管理、それらをやり通せるヒトだ。脂肪なしの、しなやかな細い筋肉が華奢な骨格を揺らすダンスが最高だ。ダンサーにもなれたろう。そして同性愛者であった。ヴィヴィカに翻弄されながらも、生涯彼女への愛は揺らぐことはなかったろう。↓向日葵のようなヴィヴィカトゥリッキーというパートナーを得て平安の中にまどろんだとしても。↓ムーミンランドでヴィヴィカに別れを告げるのも島暮らしをたたむのも、自らの精神と肉体をマネジメントできないと理解した時、である。見事、である。映画エンドロールのスタッフ名に日本人女性の名前を発見、嬉しい。誇らしい。
2024.08.27
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2024/08/10/土曜日/朝から熱風インド独立の史実に即した物語のようではあるけれど、私の知る所はまるで少ない。ガンディーとタゴール、ボースを少し本で読んだくらいの私には。そんな彼らはこの映画のストーリーのどこかには存在していたかもしれないが、この映画の主人公はラーマとビームという少数民族の、二人の男、一人はヒンディでさえない森の住人だ。圧政者英国の奸智に長けたサディスティックな暴力を戯画的に描きつつも、多民族多言語のインドの国の様子が知識乏しい私にもよく伝わる。歴史であり、エンタメであり、冒険であり、友情であり、民族自立のプライドであり、不撓不屈の精神であり、プライドであり、恋物語という、極彩色の蕩尽。やれやれインドな。何やら『πの物語』を思い出すシーンあり『ギルガメシュ王物語』フルな友情ありStory Fire Waterに含まれる3つのR、それが映画のタイトルになっている。ようだ。これは四大、地水火風の内の火のラーマと水のビームを表している。のではないか。驚異的を更に超絶する能力で、現地人として異例の出世を遂げて大英帝国軍の奥深くに栄達するラーマその立場を利用して、軍から大量の武器弾薬を奪取する使命と誓い帯びている。それ故に友情で結ばれたビームを裏切るしかないラーマが目にするビームの苦悶の涯ての姿は!ビームの振り絞るような歌声は大衆の心を震わせ、その振動は大地を揺るがす。だろう予感に満ちるやはり、ガンディーであるか。不服従と無抵抗その魂の兄弟、ラーマとビーム。「ターバンまこう♬」みたいな歌とダンスがおしまいに出てくるのも、シーク教徒への温かいユーモアが見える。ハッピーエンドで、ビームがこれから文字を覚えたい、という返答をするのが印象的。真心や勇気、共感力、正義感全てを備えている優しいビームが最後に得たいもの、それは知識。その順番こそ正しいのだ。核爆発の早まった知識を持つ我々に問いかけるようなエンドでもある。
2024.08.10
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2024/07/17/水曜日/曇りのち少し晴れグッドドクター以来の山﨑くん推しあの時に比べれば随分ワイルドな男臭さがプラスされたような。やっぱりそれでも、何とも言えない筋肉の柔らかなスプリングが格闘の中にも感じられる。恵まれた身体の持ち主なんだろうなあ。村の少年が将軍になりたい一心で駆け上がる様子を体現する身体=役者しかし、この映画に限っては大沢たかおという、稀有な役者に捧げられたフィルムだった。圧倒的な存在感、その大きさ。彼が命を賭して使える王を演じた吉沢亮は、これまた殆どアクションなしの、心の内だけの演技という難しさ。大沢たかおが余りに素晴らしかったので、他が霞むけれど、ギリギリ王の水準を持てたのは、監督の編集の能力でもあるのかな?何故こんな大将軍が生まれたのか、その背景が何度か過去に遡り描かれる。過去とは何と甘美なことか。もしも将軍が真の値打ちにおいて大将軍に変容しているならば。その甘美な記憶に、まさにぴたりと匂い放つような清野菜名、ではなかった!新木優子、の麗しさ。この美しさって中国の女優さんかと思ったくらい。山崎賢人演じる信を、おらが村の大将へと担ぎ上げる仲間たちの友情に目頭が熱くなる。ロードオブザリングのホビットのサムを思い出した。ところで、これで終章⁉︎それはないんじゃない。今まで徒だった信がようやく馬に乗れたのだよ?そしてそれは新たに大将軍に育ちゆく若い人が、今は亡き大将軍の魂である太刀を携え帰還するというリレーションの始まり。なのだからね。
2024.07.17
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2024/05/10/金曜日/晴れ渡るはっきり言って、山崎賢人の陰陽師との選択で迷ったのだった。館内はほぼ満席。この映画館が満席に近いってハリーポッターシリーズ以来かも。驚き。アカデミー賞7部門受賞のきらびやかな覆いはあれど内容は原爆開発の技術者リーダー、理論物理学のオッペンハイマーの物語なのだから。オッペンハイマーは『ご冗談でしょう、ファインマンさん』で知った名前。だけど随分昔の読書なので私の彼へのイメージは原爆開発者として、科学に裏付けされた冷酷な人物、権威主義者 と勝手に虚飾されていた。記憶ってこんなものか。映画を通して見れば、年齢とともに他者に気をつかう繊細な人物だった。そして辛抱強い。当たり前か。コミュニストの元恋人の自殺を知った時に見せた、まるで天涯孤独者のごとき彼の嗚咽は何だろう。ヒロシマ、ナガサキの多くの市井の民の命をこれ以上無い苦しみで奪い去る武器開発の当事者としての嗚咽は無いのか、どうなんだ、と日本人である私は問いたくなる。時の大統領に、泣き虫坊やはもう連れて来るなみたいに吐き捨てられるシーン。これぞアメリカマチズモ漢の能天気なパペット、みたいな大統領。アメリカの観客席ではどう受け止められるのか。原爆実験成功のはしゃぎぶり。この先にヒロシマ、ナガサキの犠牲を知る私たちは科学の成果に、人類史上初めて拒絶した民族だ。そのはずだ。それがまあ、20110311の自爆なのだから。悲劇と皮肉は地球の核まで届く叫びとならん。科学が夢見たものが即、産業と結びつき金儲けに展開され、その端の端のすみっこの、残された甘味をチウチウし暮らしてる私のような人が、この場内にも99%。己の罪悪をひたひたと館外に出る。にもかかわらず五月の美しさを何としよう。フィルターを外すファインマンさんボンゴを叩くファインマンさん妙にそこだけ野生を覚え。
2024.05.10
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2024/02/09/金曜日/陽が沈む頃には寒くなる平日のお昼に映画を観るなんて!くすぐったく申し訳ないような。 でも学生らしき人もそこそこいるけど?好きだったマンガも最近ではとんと読んでない中、これは読みたいと思いながら、え〜もう30巻も出てるの!と腰引けに。しかし映画化。しかも一番好きなマスクの山﨑賢人が主人公。嬉しい。アイヌ少女とそのおばあさんの存在感が私には素晴らしかった。それと高畑充希の可憐さも。白い狼やヒグマのCGも違和感がない。大した技術だなぁ。ウルトラマン初期の頃との乖離が凄過ぎる。往年の名優たちは充分楽しんでこの世界観を大切にしている。アイヌ民族とシャモが日本離れした風景の北海道でアイヌ埋蔵金を追い求めるというストーリーの骨格が太い。身内お手盛りなちまちま日本映画←まあそれはそれで翔んで埼玉とか楽しめるけど、という従来の娯楽作品を超えている。これは世界に通用する。映画のスタート画面は、日露戦争激戦地の二百三高地だ。乃木希典の愚策が招いた、大量の戦死者の山に至る戦争という人殺しをあらゆる角度から見せつけるカメラアイ。これがリアルでいきなり引き込まれた。異国で虚しく骨となった数多の戦友や部下の、故郷に残した家族のことを念頭に、新しい戦さを仕掛ける鶴見中尉の異形振りを玉木宏が怪演している。彼は舞台俳優⁉︎役者魂ひかる。日本の多様性、それがきちんと描かれている。続きが今から楽しみだ!
2024.02.09
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2023/10/14/土曜日/衣替えによいお天気中央民芸ショールームの、このコーナーが好き。フランス、シャルトルの民泊で泊まった宿のダイニングが正にこんな感じで、すごく落ち着いた。家具はフランスっぽくもっと軽めカジュアルなんだけど、庭の三方モルタル壁が高さと緑の組み合わせ、似てる。シャルトルはこれの倍くらいの横広がりで、高低差があり、お花が高く低く咲いていたように思う。閉ざされた小さな庭、には想像がひろがる。↑そして下段の真ん中のお店で木のボタンを買う。ボタンは使うし、使うは役立ち、月夜の浜辺で落としたりする、にも良いし。そして細い道の先に蔵を改装したショップとアトリエが。2階展示のお洋服がステキ。京都のブランドらしいけれど。糸かけワークスこの飴、すごく美味しい。美味しいといえば、市内にはお蕎麦屋さんがあちこちにあり、羨ましい。以前は二八の蕎麦が多いように感じたけど、最近は十割蕎麦を供する貼り紙も。どのお店も連休の中日で並び待ち。10月半ば以降は、市内に新蕎麦が出始める。↓木曽のフェア会場ではドライエノキを買う。このまま食べても美味しい。博物館では日本アルプスのハガキ。友人に届ける。再び会場に戻り、お蕎麦を食べて帰り道、高速に乗ると雨がポツポツ。↓松本市水道局のボトルとその水道水。ただし、山の家の水がもっと美味しい。
2023.10.14
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2023/09/05/火曜日/夏が終わらない話題の映画を週末、新宿に観に出かけた。監督 森達也企画、脚本に 荒井晴彦ほか音楽 鈴木慶一森達也といえばどちらかといえばドキュメンタリー作家の印象だけど、こんなオーソドックスな抒情的シーンも描けるんだな。そこは荒井晴彦氏の手腕なのだろうか。でも女性の描き方が相変らず、というか。しかし、それを突き抜けたような田中麗奈は良かった。水道橋博士の怪演は驚きだった。⬛️ 館内劇場に着いた時点で満席。前日に予約したとき既に3分の2は埋まっていたので、平日午前ならともかく当日席は難しいだろう。そのくらいの入り。団塊世代の方が過半数?若い女性も。若い人はどちらかというと一人で来てる人が多い印象。若くない私も一人で来た。⬛️ 予め知っていたこと関東大震災時の流言飛語については、高校日本史資料で目にしたが、授業でまともに取り上げられなかったように思う。今の高校生はどうだろうか?方言を理解してもらえず、香川県から来た薬売り一家が村の自警団によって殺戮された史実は既に20年前に上梓されていた事を私は知らなかった。⬛️ 差別を知る被差別部落に関しては、高校の三年間で1時限割いた授業があった。それまでそんな事は何も知らず、周囲からは半ば浮いていたかもしれない。後年、網野善彦の歴史本に触れて初めて政治的な側面と祭司に纏わる歴史から、ある時点で民間の中にそのような差別意識がフィックスしたことを知った。差別されるものはより下に置かれたものを差別することで自身を浮揚させようとする。それが大多数の私たちだ。学生時代に流行したアジアンテイストなワンピースで街を友人と歩いていたら、年配の二人連れ女性から、チョン公と罵られた経験がある。私はその時何の事かさっぱり分からなかったが、友人が教えてくれた。罵った女性二人は明らかに夜の飲み屋かキャバレー嬢の風体なのだ。切ない。勤務先からの帰途、迷子の男の子がいた。聞くと遊んでいた同級生とはぐれてしまい、帰り道が分からないという。転校生かと聞くと、福島からという。大震災後ままないことだった。大人に言われ遊ぶふりをしてわざと放り出す、そんな経緯が見えた。私は悔しいやら腹立たしいやら、男の子を学校の見えるところまで案内し、副校長に訴えた。心ない言葉をぶつける子たちがいる事を知った。避難してきた子どもの胸の内を想像することすらない。共感の気持ちはどこへいったのか。知らないところで気づかないところで、大小様々の悪意が徒党を組んで差別を生む。⬛️ 映画に見られる差別構造しかし、一方で時代の空気に流されない、屹立した個を際立たせる人間がいる。永山瑛太演じる薬売りの頭目もそんな一人。ツイ最近まで忌み嫌われ、強制的に隔離されていた らい病=ハンセン病者に商機とみるや臆せず近づく。憐れみと商売気のないまぜが可笑しいけれど、村人は伝染を恐れ近寄らないのだ。いつもケチな彼は、鮮人とののしられている飴売り娘の飴を女子どもに大盤振る舞いしたりもする。ところで飴売り役の女優さんが可憐で、素晴らしかった。そのシーンだけで涙ぐんだ。自警団が武器を携え激昂して取り巻き、口々にお前らは鮮人だろうと罵る。薬売りは自分たちは日本人だ、と言うが、頭目は「朝鮮人なら殺していいのか」と自警団に問い返すのだ。薬売りらは部落出身者だった。田舎か都会か、高学歴か否か、金持ちか貧乏人か病者か健康か、日本人か他国人か、支配者か被支配者か、定職者か行商人か、常民か否か、或いは思想による峻別も描かれる。大震災のどさくさに獄死した共産主義、社会主義、労働運動に携わる若い人たちが沢山いた。亀戸事件 としてしられているが、映画はそれにも触れている。この時に民本主義活動をしていた吉野作造も追われていた。『君たちはどう明らか』著者で、戦後岩波少年文庫を編集にあたった思想家だ。宮崎駿は岩波少年文庫で育った人だ。⬛️ 真相を知りたい。声にしたい。日本人の本性というものを知りたい。その歴史、背景を知りたい。特殊な環境下で自分がどんな立場を取るか、あらゆる可能性を考え尽くしておきたい。そのためにはできるだけ、事実を知ることだ。それを担保するのが報道だ。ところが報道は知る権利を報道しないことで歪めている。昔からそうで、今もそうだ。だから情報を鵜呑みにしてはいけない。朝日新聞の天声人語と、政治社会面に報道していることのギャップに驚く。購読者を馬鹿にしている。口先だけ、ペン先だけなら何でも言える書ける。心がない。映画では小さな地方紙ではあるが、報道の世界で真っ直ぐに使命を生きる若い女性が「書かなかったことでどれだけの犠牲者が出たか。新聞記者には書く責任がある。朝鮮人だろうが日本人だろうが、何人だろうといい人も悪い人もいる。そうではないですか。」と上司に訴える。青臭い使命感だろうか。この青臭さがないから今、日本は混迷しているのではないだろうか。ラストシーンが強烈で、靄のかかるような利根川をどこへたどり着くかも知れない舟に一組の男女が乗っている。どこへ行くの?男は明確な答えを持っていない。
2023.09.05
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2023/08/17/木曜日/朝から灼熱8/16 久しぶりに映画館に出かけた。キングダムとどちらにするか迷いつつも、宮崎駿を選択した。構造的には『千と千尋の神隠し』に似ている。別次元の世界で濃密な時間と体験を過ごし、何かを克服してこちら世界へ戻るとき、子どもはどんな成長を成したか。この内的成長は、その後世の中で彼、彼女が何を大切に世の中に具体的に関わるのか決定的な要因になるだろう。昔話や児童文学が多くこのことを扱っている。長谷川摂子『おっきょちゃんとカッパ』のようなエンデの『ネバーエンディングストーリ』でもありピアスの『トムは真夜中の庭で』でもあるようないわゆるファンタジーは特に。宮崎駿が良質な児童文学から汲み上げたスピリッツのカクテルのような味わいの映画だ。母を空襲の火事で亡くした、牧 眞人は10歳くらいか。その後間も無く母の実家に疎開するが、そこには父の再婚相手である母の妹、夏子伯母が待っていた。しかもおめでたなのである。胎動を眞人の手を取り触らせるのである。これは強烈だ。母を亡くしてまだ2年ほどなのに。父はどうやら戦争で儲かる事業経営者である。おそらく戦後は戦後で物資不足の中で富を得る、凡庸な俗物だが家族を思う気持ちは強い。息子の眞人はその間合いに屈託している。その事実において、眞人は凡庸な俗物ではない。いや子どもとはみなそういう存在かもしれない。その屈託が要因として物語の顛末がある。結果の自傷は自分の悪意によることを、もう一つの世界で眞人ははっきりと自覚する。自覚を促したのは、大叔父の、世界を均衡させる積み石だ。世界を統べる後継者になれ、と大叔父に求められるが、それを作用させる積み石に悪意があるから、僕はつがないときっぱり拒絶する眞人。ここには世界は刻々生成する丸ごとの生命なのだ、手のひらの中で知的に弄ぶゲームではないのだ、という声が聞こえるようだ。さて悪意、である。それがテーマかもしれない。顕在化した時、眞人の悪意は克服されたが、未だ潜在する悪意が眞人を襲う。黄泉平坂の地下世界にお籠もりした、身籠る夏子の呪いの言葉〈あんたなんか大っ嫌い〉で悪意が最高潮に至ったとき、その世界の住人である母ヒサコ=火水ヒミによって焼き清められる悪意。いや、火水ヒミの炎を燃え上がらせたのは、眞人が夏子をお母さんと呼んだ、その嘘偽りのない哀れむ心=愛、真心、の言葉が誘導したのだ。真心のこもった言葉が救いなのだ。人を殺すも生かすも言葉なのだ。私たちは道の別れ目で選択を迫られた時、どちらを選ぶか。果たしてそれが悪意による選択でないと言えるか。生き延びるにはそれしか選びようがないとしたらどうするか。『君たちはどう生きるか』。生きるとは選択の連続なのだ。何かに悩むとき、相談する友だちが現実世界に見出せないとき、例えばコペルくんと共に悩んでみないか。この本の扉のアオサギが道案内するだろう。宮崎駿が12歳になって、塔の老人にもなって、12歳の自分と君に伝えている。
2023.08.17
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2023/04/20/木曜日/初夏の如し念願叶う。殆ど太郎の同名書物に沿った画像と今現在の沖縄を被らせるカメラワークもちろん当時はあって今では失われたものがある。例えば久高島のイザイホー岡本太郎が撮影をしてそれを公開する事で島の人に衝撃をもたらせた風葬そのスキャンダル仕様は相も変わらずなマスコミの介在による、こんがらがりが一層、関係者を惨めな境遇に陥らせる、という展開なのだ。今回その事へ取材は慎重に入っていった。久高島の祭祀を司るノロ、大変気高い風貌の、その女性のお孫さんのことばは、風葬の写真公開が巻き起こした憤り、困惑を慰撫し、包み込むかのように思われた。そしてこのフィルムの中でもっとも重要なことば「むかし、人は生きるということはどういうことかを考えていた。今、私たちは生活をどうするかしか考えていない」岡本太郎という人はとてつもなく大きい振れ幅の人間だ。彼はパリが芸術家の溜まり場、毎日が祝祭日のような1930年代に18歳から10年暮らした。絵で表現することの根源を見極めるためだろうか、ソルボンヌでやがて哲学、美学、心理学、民俗学を学ぶ。特に民俗学の泰斗マルセル・モースに学んだ事が彼に大きな影響を与えたのは疑いない。何しろモースの下からは、かのレヴィ・ストロースらが輩出されたのだから。敗戦という未曾有の経験を通して塗り替えられていく日本物事の価値観をフランスで作り上げた自分そんな自分の祖国の、これぞアーキタイプと思われるものを求道し、ついに太郎が出会った沖縄、なのである。そして、心ある沖縄の人びとはそんな太郎の気持ちを丸ごと受容したのだった。御嶽の場太郎は言う。そこは何もない、何もないことによって豊穣である。ただきよらかさに満ちた元初の祈り人間とはこうしたものではなかったろうか。ありのままに生きる人間とは。太郎はその御嶽のエネルギーを作品へ注ぎ込んだあの、太陽の塔へ太郎の居間からは芭蕉がエネルギッシュに育ち放たれている。まるで沖縄をいつも思い出せるように。あわや失いかけた所で救われた 芭蕉布平敏子さん、という人間存在そのものがすばらしい。芭蕉布を織ること嘘をつかない、正直な仕事カイコではなく、葉から人間の手が直接生み出す糸この扱いにくい繊維を見事な糸に紡いで折り上げる平敏子さんが持ち得た技術それを支えた生き方、身の振る舞い、一つ一つに涙がこぼれてしまう。かたじけなさに涙がこぼれる。昨年9月に101歳の生涯を閉じられた。沢山の弟子、跡を継ぐ人びとを育てて。なんと見事な生涯であろうか。沖縄本島の東にあって、600年続いた女たちの神への祈りは豊漁と航海の安全のみならず、名護の女性が語ったように、本質的には根の国=女の国からの、日本、アジア、世界全体をも包括する祈りだったのかもしれない。イザイホーはもう失われたが、その祈りは、それを大切に思う人びとの心の裡に場所を変えたのだ。芭蕉布やエイサーや紅型ややちむんの形になって、沖縄で日本で花開いていくのだろう。
2023.04.20
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2023/04/15/土曜日/朝から雨、いささか寒し本当のところ、「岡本太郎の沖縄」 を観るつもりだった。 ところがそれは明日からで、 当日朝のプログラムは、かの「独裁者」という何とも私らしい顛末。 この類のあるあるで忘れられないのが、パリ滞在の短日に一日を費やす張り切りでルーアンにモネの大回顧展を観に出かけたら、その日は特別休館。なんぞという事もあったなぁ。もっともその手のミスが決して嫌いではないのである。左様であればこちらの舟に乗りまする、とゆらゆら行くのも旅オツである。という訳で思いがけず 独裁者 を観た。チャップリンの映画は殆ど観ている。ライムライトやキッドなんかは何度も観た。しかし本作を劇場で観たのは初めてだと思う。これが1940年に公開された事に当時大きな意味があった筈だが、ロシアのウクライナ侵攻一年後の今現在、更に時宜を得て胸に迫るとは何事ぞ。私たち人間はかくも進化できない生き物、動物以下の存在なのだろうか。涙滂沱。ユダヤ人床屋がなぜか疑似ヒットラーである独裁者と瓜二つ。其々に知識、情報を与える指導者的執事的存在があり、回りを囲む者たちがいる。つまるところ独裁者も床屋もある意味、中身無しの容器というか媒体物のような存在だ。さて。床屋のチャップリンにあって疑似ヒットラーのチャップリンに無いもの。それが愛、思いやり、友情、信頼をかもすコミュニティであり、コミュニティがもつ、ゆったりと流れる時間なのである。それらを本質的に憎んでいるのが独裁者であり、そもそも媒体である彼には一貫性も無く、思いつきやその場限りの感情に突き動かされている。その決裁が招く事態には全く無頓着で不気味なほど。↑何とかいう政治家に似てないか?ではどうしてそんな独裁者は生まれて来るのか。映画の中で、世界を席巻する力の構造様式であるテクノクラート官僚機構と独裁者はとても相性が良さそうに見える。彼から世界を手中にできると甘言された疑似ヒトラー総統は幻想を抱く。そのシーンで、地球風船と戯れさせる場面を監督チャップリンは描いている。このシーンは強烈なファンタジーだ。どの場面も機械の如き肉体顕現の総統が、部下を下がらせ、いじらしく柔らかく地球風船と戯れる、その素の姿。この幼児性!独裁者がもつ幼児性!独裁者の秘密はここにあるのではないかとチャップリンは描いてはいないか。瓜二つであったことが招いた最後のスピーチ。媒体に過ぎなかった床屋のチャップリンが「HOPE」の一言で心身全体的に電気が走り、まるで今産まれたかのように主体者へ変容していく様。何度でもこのスピーチを胸に刻みたい。「あの残酷な連中に自らを譲り渡すな!機械の頭と機械の心を持った機械の奴らに!諸君は機械ではない!諸君は家畜ではない!諸君は人間なのだ!諸君の心の中には人類愛がある。諸君は憎むことはない。愛されぬ者だけが愛されぬ者と残酷な者を憎むのだ。兵士たちよ,隷属を求めて戦うな!自由のために戦うのだ!」←引用元 Y's Factoly on Note希望の光を心のランタンに灯し、高く掲げて人間の道を歩みたい。知識が人を冷笑的に不感症にしていくなら、知識を超える知恵を持ちたい。ずっとそう思っている。
2023.04.15
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2023/03/25/土曜日/打って変わって寒い雨の朝先日話題の映画をみた。ピカデリー新宿は初めて。ポスター提示などはなく、上映してないかのような雰囲気が世の中の風圧を感じさせるではないか。シネコンの中では、最上階の小さなスクリーン、しかし館内は人ひとで満席。若い方や主婦層も多い。女性が多い。なんか嬉しい。日本史上最長の安倍政権、しかもこんな唐突な死それに対して自民党も野党もマスコミからもまともな検証がなされてないように思う中、『安倍晋三 回顧録』が、信じられないことにベストセラーなのである。そんなことでいいのか、とごまめの歯軋りをしていたら、こんな映画が上映されると聞いて、ちょっと救われた。彼の危険性とは何だったのか。その複雑さがよく描かれていだと思う。制作側のスタンスは思った以上に中立で、これを観て傾いていると感じるとしたら、己がポジションのバロメーターになるのでは。映画は何も政治の闇とか事件の追及とか壺議員をなじるものでは無く、観る側の鏡像でもある今の日本の姿をちゃんと押さえている。気持ち悪いのは、安倍を中心に据えてその周囲で権力のおこぼれを得るために日本会議にも創価学会にも統一教会にも平気で魂を売る政治家と一帯の岩盤システムだなぁと改めて感じる。政治家官僚公務員企業人芸能人マスコミ電通スポーツ界財界学会法曹界宗教団体、え?労組さえも?な状況である。心ある官僚が内部情報をマスコミに伝えても握りつぶされ、その正当な義憤が逆に己が身を危うくさせる、そんな疑心暗鬼が渦巻いている。身を隠して取材に応じた彼らは今の無法状態は政権によるテロだ、とまで。これは酷い!安倍晋三という人はつくづく中身も思想も志操もない虚ろな人間だ。その人物が不在のままに空虚と虚妄の中心で未だ遠心力となっている、まさに妖術。熟議なしの閣議決定という手法。損なわれた官僚たちの矜持や節度が回復するにはどうすれば良いのか。安倍氏の人事テコ入れで、就職試験の時と180度変わった法解釈!本質を憲法学者の小林節氏の語る姿を眺めると、もうどうしようもないね感が漂う。しかし山口の安倍事務所と反社会団体の軋轢を記事にした山岡氏のレジリエンス一人、大工稼業の傍、統一教会問題を追い続けてきたエイトさんの静かな不屈の闘い妖怪の孫をプロデュースした古賀さん彼に関心が湧きYouTubeで映画のコメントも見た。Iam not ABEは実はISに囚われた後藤さんに対する政府対応批判で初めて口にされた、つまりIS組織に向けた言葉だったという。沢山の人に映画を観てほしい。妖術の解けた人から少しずつ、その内パタパタと世の中は変わっていくだろう。安倍晋三を思うとき、私は 山上たつひこの「がきデカ」 をなぜか思い出す。凡庸と権力が結び付くことの恐ろしさ、滑稽さと悲劇。でもそんなものに私は付き合いたくないんだ。
2023.03.25
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2023/02/08/水曜日/ケルト曇りイニシェリン島の精霊イニシェリン島の妖怪タイトルで随分イメージが変わる。確かにアイルランドは妖精の宝庫だけれど、可愛らしい妖精フェアリーみたいなのは少ない。殆どが悪さをしたり、人間には余り関わらないものも。手元に資料がないのでおぼつかないけれど井村君江さんが専門家としてよく研究されていて一般向け資料も豊富映画原題を直訳すれば イニシェリン島のバンシーバンシーは一族固有の妖怪で、その一族に死者の出るとき、凄まじい大声で嘆き悲しむ。と言われる。バンシーといえば、 アン・ファイン の『妖怪バンシーの本』が思い出される。多感な思春期にあるお姉ちゃんの変身に戸惑う ぼく。そんな状況のぼくが読んでもお姉ちゃんが読んでも或いはその親が読んでも面白いはず。さて、そんなバンシーは映画の中では年老いた女に比定されているようだが叫び声を出すどころか、殆ど沈黙している。バンシーは時代と共に少しずつ解けてアイルランドの風の中にこぼたれた?はて!北欧神話の、死んだ兵士の魂を運ぶワルキューレの乙女も確か叫ぶのではなかったか。主人公の妹、シボーンは比較的標準に近い英語で話す。比較的というか唯一英語が聞き取りやすい。彼女は知的て賢い女性であると同時に老いたるバンシーとも唯一言葉を交わし合う。主人公の元友人、音楽家のコリンをブレンダン・グレンソンという役者が演じている。あー彼の顔、アイルランドの船乗りみたいな、その顔。コリンの住いには何故か能面、若い娘と鬼の面これも暗示的であるし、ラフカディオ・ハーンはアイルランド人で(ギリシャ的要素もあるけれど)日本の山陰の昔話を欧州にもたらしたのだなあ。時代設定はちょうど百年昔の1923年この年春、内乱は一応親英国派の勝利で終わるけれど北アイルランド解放軍などの擾乱で国内は揺れ動いた。その年日本では摂政昭和天皇の台湾訪問訪問記念柱が北投のラドン温泉入り口で倒れたまま放置されているのを20年前くらいに見たっけ。そして関東大震災。アメリカではディズニーランドドイツでは国家社会主義ドイツ労働党がミュンヘンで擾乱木下杢太郎はこの時期、パリのサンルイ島の病院で医学研究者として過ごしていた。あと10年もすれば軍靴の音が世界中のあちこちで聞こえ始めるだろう。本当に束の間の安寧
2023.02.08
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2023/02/05/日曜日/温かいよー監督 マーティン・マクドナー↑このショットが非常に印象的まるで十字架を背負う罪人の如し全編通して印象的な場面が畳み掛ける。アイルランド独立運動の内乱ドンパチがまるで対岸の火事のように見えるほどに海に閉ざされた島イニシェリン痩せた土地、 剥き出しの自然、変わりやすい天気宗教的アイコン、犬、馬、牛、山羊、ロバ…ロバといえば、アイルランドのキルデアという町でロバの頭を撫でたことが思い出された。そこは名馬を育てるような大きな牧草地のある公園だったように記憶するけどイニシェリンとはアラン諸島の島らしいので、イニシュモア島辺りのイメージアイルランドで映画、といえば「アラン」今はいざ知らず、かつてアイルランドではこの映画を ただ The Film と呼んでいたという。ロンドン橋をロンドンっ子が The Bridge と呼ぶように「アラン」を観て以来いつかそこに行くと思ったら12年くらい前本当に行ってしまった。一人でダブリンからゴールウェイ行きのバスに乗りあ、地元の方はこれをガルウェイと発音してた。ケネディ大統領も、その昔ここに里帰りした。ガルウェイに宿を見つけ、港からフェリーに乗って割と近い、三つの内一番大きい島がイニシュモア島の船着場で自転車をレンタルして島を巡った。古い教会の廃墟でぼんやり海を眺めていたらえっと驚くような大きな観光バスが日本人ツーリスト満載、さっと横付け私と風景を物珍しげに眺め、さっと去った。のだった。行き交う自転車の一人旅の人とお互い写真を撮り合いながら、帰りにはアランニットも買ったけど殆ど観光物産的ではあった。むしろ何にも無い場所で、島のお爺さんが柳か何かの木で作ったらしい、聖ブリギットの十字架これが忘れ難いアイルランドの古称エリンの栄光、ブリギットさて、大人しく人懐こくきっと馬ほど賢くはないとても可愛い生き物で、私はロバ好き。孤独になった主人公の相棒でもあったロバのジェニー鳥のように飛んでいける人馬のように誇り高い人ロバのように素朴な人人、人、人はずっと同じ愚かしさの中に囚われている、誰も彼もどんぐりの背比べのように、今日も遠くでドンパチが聞こえる。監督の見せた世界は私にそんなふうに伝わった。アイルランドの映画原題は
2023.02.05
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2022/04/09/土曜日/晴天2020年公開映画モノクロフィルムが、1960年代ソビエトを活写する。監督は今年85歳になるコンチャロフスキー。複雑で理解し難いソビエトロシア。今のウクライナ国境にほど近い辺境から捉えたその近現代史を、詩情豊かに多声で響かせた。主人公リューダは共産党組織の地方委員会幹部で、スターリニズム真っ只中に成長した真っ直ぐなコミュニストである。彼女の一見白系ロシア人風貌からは結びつきづらいが、彼女の父はコサック兵であることが映画の経過とともに理解される。コサックを含むタタール系アジア系モンゴル系など多くの民族グループはかつて辛酸を舐めた歴史的背景をもつ。そのロシア帝国で、革命によりみな労働者として平等であり、労働者自らの自由な自治に基づき人類のユートピアが築かれる筈だった。少なくとも彼女リューダはそれを信じて疑わず、真っ直ぐ生きて来た。が、その一方で彼女の地位故に長蛇の列に並ぶこたなく容易く、垂涎のラトビア産チーズもルーマニア産サラミも手に入ることには鈍感で、自前の事と理解している矛盾に無知である。コサックであることの誇りと父祖的豊かさを体現する老人の父、自由で民主的な未来を体現する娘。その狭間で現実として立ち現れるソビエトの結局極めて古臭い因習に満ちた体面重視の社会システムを前に、同志ではなく個人が名前を持ち名前で交流することがどういうことか、監督はピアニッシモで問う。硬直したこの国に老監督が見せる一コマ。ドン河の、おそらくコサック民の子どもと馬の素晴らしく詩的な場面。その水につかり顔を洗うリューダの洗礼。今のロシアにも希望を告げてはならないのだ。世界が美しいことを知るのであれば。
2022.04.11
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2022/02/12/土曜日/お天気、春の光夕方、近所の映画館へ。近所とはいえ久しぶり。ましてこのチョイスは同行者ゆえシリーズを観ていた同行者は、とても良かった、歴代スパイダーマンが出て来て嬉しい、みたいな感想で何だか同窓会のノリなのかしらん?私としてはカンバーバッチ様の登場だけで行く気になったのだけど、ええーカンバーバッチ様はこんな役回り?何だか私の知るスパイダーマンとは異なる世界が繰り広げられてるんですけど。同行者曰く、アメコミやアベンジャーに触れてないと、とそこまで楽しめないかもね?とか。いやいや、いま読んでる『ジュリアン・バトラーの真実…』の描写のアメリカの純粋好き若者好き文化が刻印されるばかり。ハリウッドの政治的に正しいキャスティングとコロンビアに被さるsonyロゴ、勝利の女神から自由の女神のアイコンへ?のサブリミナルで、オマケに貰ったこのハード仕様のクモたんマンカード?何に使うのか、不明。映画はまだまだ続く様相でジエンド。スクリーンで見る動くアメコミだった。主人公の役者、トム・ホランドは「ビリー・エリオット」を演じた一人とか。身体のこなしが柔らかいのはなるほど。カンバーバッチ様、内的困難抱えた近世美丈夫ストーリーが見たいでございます。
2022.02.13
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2021/11/7/日曜日/晴久しぶりにおウチでDVD鑑賞フランス人の美しいところが全て出た、みたいな。ちょっとしたファンタジーのような。かつてはパリにもあったであろう下町の人びとの共助精神。だって主人公靴磨きの老人は若き日々をおそらく、かつてアルジェリア内紛、1999年以降アルジェリア戦争、の義侠にかられ、パリのカフェでわいのわいのと談義し、詩を叫んだ時代彷彿ムシューなんです。お洒落で信義を重んじ自由を愛して女性には花を贈る、例え今晩のバゲットが買えなくとも、なパリジャン。あーランスロットの末裔か。ル・アーブルのカフェで、モン・サン・ミシェルはブルターニュかノルマンディかともめたり、あら私もソレ不思議な中立点だなぁと思ってました。それからドイツ語フランス語で揺れた最後の授業の地、アルザス出身らしい男のアルザス語りなどなど、当地がフランス中の流れ者到着地であることを匂わす。更に末期癌を匂わせる靴磨き男性の奥さん。衰えた眠りに添える、ご近所婦人の読み聞かせがカフカ短編集。婦人の出自をそれとなく匂わせる、東奥、ユダヤ、ドイツ圏。そこに難民が命からがらアフリカからやってきてコンテナで見出される。脱出する少年、彼を何とか希望の地へ送り出そうと奮闘するムッシュとご近所仲間の人情。日本からは失われて久しい感情だ、何でこんなぺこぺこの薄っぺらになっちまったんだかだから奇跡はその少年と靴磨きマダムの手の触れ合いから醸された。そんなおはなし。
2021.11.10
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2021/10/17/日曜日/雨の寒い日近所の映画館で上映中。木曜日で打ち切りを知る。まあね、007には太刀打ちできないかもね。それでもこんなに早く?手元で座席予約画面を開くとがら空き。あーあ予約無用かと映画館へ。上映10分前にチケット購入のパネル操作をすると、え!殆ど空席無し!そうか予約ではなくこの場で直接買う人が多いんだなぁ、満席が妙に嬉しい。よい映画だった。ジョニー・デップ、シーザーハンズの無垢な青年、海賊の弾け振りマフィアの非道冷酷、考えてみると役幅の広い人。ユージン役によくハマっている。アイリーン役の美波さんの知的で毅然とした所も役に見合ってよかった。タイトルロールでBased on event とあったと記憶。こういう時の「事実に基づく」という表記は event で置き換えられるのかぁ、なるほど。「事実」というよりも「起きた事」とか「生じた事」、一連の出来事の意に近いのかしら。エンドロール近いところの女性ボーカルの曲、 One Single Voice / Katherine Jenkins とてもよかった。↓現在のアイリーンさん、朝日新聞10/16土曜日盤より
2021.10.17
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2021/08/20/金曜日/快晴「The light house」ロバート・パティンソン ウィレム・デフォーパンデミックで仕事を控えているにも関わらず、観たいと思っていた映画が近所の映画館にかかっている事を知り、チケットを早めに買いに出かけた。嵐に閉ざされた島の灯台守二人がその狂気を徐々に増幅させていく様がすこぶる恐ろしい。これは役者二人にとっても記念碑的な作品になったのではないか。嘘も真実も現実も幻影も激しく逆巻く水に溶けて、人間の愚かさが哀れである。それでもというべきかそれ故にというべきか。美しいもの神々しいものを求めずにいられない、荒ぶる自然を前にして幼な子のような心許ない我を含む人間というもの。19世紀初めにウェールズで実際にあった事件を背景としているそうだが、『テンペスト』『蝿の王』『セイレーン』なども心をよぎった。ロバート=ルイス・スティーブンスンというスコットランド出身の作家の祖父も父も灯台設計の技師で、彼の家にはその技術を学ぶために日本人が明治の初め寄宿していたことなども、つらつらと。この二人はシェイクスピア舞台でも素晴らしい演技を見せるに違いない。しかし舞台ではこれだけの作品は作れない。その意味で映画メディアならではの果実だ。こんな肝の座った時代、テーマ、男を演じられる役者、監督、プロデューサーって日本にいるんだろうか?さて、お昼ご飯は初めて訪れる近所のお鮨やさん。焼きゴールドラッシュとうもろこし、ハモの天ぷら、タコの梅和えの小皿3つにぎりはメイチダイ、ヅケ鮪、サバ、カツオ、イクラ、画像無しの本鮪中落ち手乗せ、アナゴ、高菜漬け巻物、玉子。これにべったら漬けとアサリの味噌汁〜はあ、しあわせ
2021.08.20
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