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2022/01/26/水曜日/午後から晴玉川上水の緑と水の袂にある美術館と邸宅、お庭、お茶室など、彫刻作品と住空間を楽しめる。ところで、寡聞にして知らずの明治大正日本彫刻の世界。名前も読めず、しばらくは平櫛さんと田中さんのお二人の作品を展示しているものと誤解していたくらい。長い漆喰の塀と土器色の湿式壁の色のハーモニーに常緑樹と空の色が映える。建物が期待できそう、と入館。作品は撮影ができず、コロナ禍で住居庭園スペースもほんの一部だけ眺めることができただけ。でも幸い資料、パンフレットによって幾つかのことを知る。設計は住宅の名伯楽というべきか大江宏。パンフレットに並ぶ写真四人の右端の方、その左が平櫛田中。上野あたりの都心から転居して来た竣工時、実に98歳である。住居号はそこから取って平櫛翁自ら名付けたという。98歳で思いの丈の籠る最晩年の家を普請する。明治人かつ芸術家の健啖ぶりに驚愕と尊敬の念。その後アトリエを作り更に作品を仕上げる。モデルは伊勢の赤福餅の女将でこれが最晩年の作品らしいが、107歳で帰天される。葛飾北斎もうなることだろう。因みに平櫛の左が武原はん。流石に美しい佇まいで風景に溶け込むかのように自然にそこに立つ風情。これだけの建物なので、上棟と竣工の舞など捧げたのかもと想像する。コロナ禍以前はお茶室でお茶なども頂ける催しも。氏は最晩年まで創作意欲が衰えなかった、というように門から入ると左手に、彫刻材の大きな楠が迎えてくれる。大きめの枯れた中庭を囲む屋根の美しい平家住宅だ。古典的な和の建築は決して古びない。
2022.01.28
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2022/01/25/火曜日/穏やかな晴こちらは記念館。サザエさんのおうちのお茶の間が実物大で再現されていて、撮影できる少ない場所の一つ。館内にはサザエさんはもちろんのこと、エプロンおばさん、意地悪ばあさんがほぼ同じボリュームで楽しめるように展示されているのが嬉しい。発見!サザエさんは当初波平さんとフネさんをパパママと呼んでいたのでございます!大好きなハンサムなお父様が早くに亡くなられ、お母様は一年伏して泣き暮らしますが、ある日がバリと起き上がり、上京。15歳の町子さんがふと漏らした弟子になりたいの一言に反応して田河水泡の元に行かせるなど、驚きの行動の方。いやあ、意地悪ばあさんのユーモアと毒とペーソス、本当こんなにケケケと笑えるのは久しぶり。エプロンおばさんだって庶民の姿を見てを活写して見事。素晴らしい才能です。美術館は道を挟んで反対側にあり、こちらが先にできた。町子さんとお姉様の鞠子さんで集めた美術品を、社会還元しようと自分たちの力で開館したのが昭和60年。その経緯も実に正直にパンフレットに紹介されている。ただ今ひと足お先の、桜新町桜満開展示中。両方とも見学にで大人900円。カフェの100円引き券付き。ショップで絵葉書と波平さん織り地ネクタイを衝動買い。
2022.01.27
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2022/01/22/土曜日/暖かく穏やかな晴天随筆編『骨董』中、秦秀雄「猿投」を読んで、慶應大学日吉キャンパス造成の折、川崎市南加瀬土中から発掘された国宝秋草文壺を見たいと思いたち出かけてみた。読み直してみると秦氏は慶應大学までこの壺を見に行ったのは昭和15年とあるが、大学のネット掲載情報では17年とある。何にしても氏が藤原古陶を追い始めて数年、廬山人の鎌倉古陶鑑賞発見から10年ほど。万を辞して土中からひょこりと現れることが面白いではないか。壺の時代は平安と特定できたが、どこの古窯かは未だ特定されないそうだ。氏の考えではその後瀬戸系や常滑と派生していく猿投窯業の広範な広がりを知ることができる。さて、2階国宝室には今回この壺はなく、羅漢図が架けられていた。調べもせず思い立って出かけては空振りすること多いが、二体の十一面観音立像に見えて幸福だ。そちらは撮影禁止。右大日如来坐像うるわし。秋草文壺は無かったが、猿投の立派な壺は見られた。蓋付き。左10世紀猿投、右12世紀常滑。やると言われれば猿投を頂きます、私。トーハク150年に当たる本年は、めでタイガー。応挙のトラと刺し子陣羽織に瞠目しつつ、田中抱ニの若松春草にほんわか。七歳の書に教えられ、八十一歳乾山の手になる陶箱の書を寿ぎ、寅の陶枕で邯鄲の夢、琉球3人弁当箱で野遊び哉今年は会員にでもなって、とにかく秋草文壺に出会えるまで辛抱強く通おうかしらん。
2022.01.23
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2022/01/19/水曜日/思ったより寒くはない晴天白井晟一といえば、飯倉交差点にあるNOAビル。学生時代この建物に遭遇した時のことを思い出す。明らかに周囲の建物と異なる存在感。求道的というか殆ど宗教的。ゴツゴツした重さ、アメリカではなくヨーロッパ志向。などなど。考えてみれば不思議な経歴の方だ。京都の現工芸繊維大学を出た後、ドイツでヤスパースの元、哲学を学んだという。その留学、帯殴時代に林芙美子と交友を持ったことが会場で紹介されている。なんと。先週林芙美子邸を訪ねたばかり。彼女の住宅は素晴らしいものだった。山口文象設計と言い状、実際は旺盛な建築学習欲で芙美子の方が彼を圧倒していたのではないかと想像される住まいだ。彼女の伴侶は彫刻家であり、彼女自身、画家を夢見たという。さて当初は建物見たさの松濤、まさかの白井晟一展でドンピシャ。渋谷駅から道玄坂を登り神泉辺りのヤバヤバな隘路に紛れ込み、つつつと斜め急ぎ。ちょっと気位の高い松濤へ。竣工当時は建物が美術、とささやかれていたような小さな入り口から入館すると右手で受付。左手にホワイエ、ロッカー、資料展示など。入り口からまっすぐ、オープンな渡り廊下。地下2階と地上2階の真ん中、この演出はお寺の、俗世を離れるお太鼓橋でもあろうか。芸術に身を投ぜよ、と。階段というのはそもそも劇場的だけれど、それをよく心得た抑えた構成だと思う。静謐で穏やかだ。館内に二つの大小オーバルタイプの周り階段。仕上げは同じだけど、小さい方は円形プランから生じたニッチな空間が面白い。こんな所に展示があっても良いのに。2階のギャラリー、サロンミューゼは、リッチなマンションの居間にでも迷い込んだかのよう。竣工当時、白井晟一は私有物で展示の具合を確認したらしく、その様子を再現したインスタレーションだとか。館内のあちこちに置かれた鏡は当初から。何故鏡か。哲学するためか。正面に飾られた旧約聖書からキリストの受難のタピストリーが私には垂涎の逸品だった。サロンミューゼ隣接の小さな展示室には書をよくしたという白井晟一の作品と共に道具類の展示も。地下二階のお茶室は今回初公開だとか。ただし一度もここでお茶会がもたれたことはないとの事。週末実施の職員による建築ツアーは全て満席。展示を廃して、建物を見せる。ちょっと意表をつく展覧会ではあったが、ささやかに村田勝四郎のダックスフンドの像などがエレベーターホールにあったのはご愛嬌実はここから、和菓子の岬やさんまで遠くない。ここの最中は他所で見当たらないくらい私には美味しい。眼福の後は口福、帰宅の愉しみ喜び
2022.01.20
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2022/01/14/風多少あるも陽当たりよし都庁舎から近い所にある、今まで何度も通りながら気づくことなく通り過ぎたビルの、アプローチの分かりやすい場所にある、学園附属の服飾に特化した博物館。ただ今、欧米クチュリエに繋がった歴史の展覧会中民族衣装のような手仕事の感じられる服飾に昔から関心があり、旅先では可能な限り民族博物館などを訪れる。小さな町の資料館でびっくりするようなモノに出会えるととても楽しい。かつて佐倉で見た民族博物館の蚕のコレクションには圧倒された。サンフランシスコ、チャイナタウンにある資料館の民族衣装の刺繍も素晴らしい。ドイツの名前も忘れた村唯一のお店兼観光案内の建物二階でバルラハを始めて知ったことなども懐かしい。↓これは多摩美だったと思うけれどユーラシアの渦巻き紋様を追って鶴岡真弓さんと西洋占星術家の鏡リュウジさんの対談というまあ、面白い企画で。↓ラトビアの森の手仕事マーケットとラトビアのミトンを地域ごとにまとめたコレクション本を出した女性が持っている手仕事のお店に併設された民族衣装コレクションの画像ここは野外民族博物館となっていでとても充実している。物資不足の共産圏時代、彼らはここに集い物々交換経済で息をついていたのだ。なんと日本語訳があったショップ。このお店で典型的なラトビアのスカートを購入したけれど中々着用機会がない。↓アジアの手仕事、特に刺繍が好きでハノイの国立博物館はとてもよかった。建物の屋根の意匠に目を見張る。今では実物があるのかどうかは不明。ベトナム人女性、というよりおそらくその地の少数民族の人びとの手先の器用さ他に台湾、ウーライの山岳民族資料館で見た衣装、その刺繍やプリーツなども。今回展覧会で興味深く思ったのが、戦時中の陸軍被服厰の熱心な現地調査と記録。態度は大変学術的。もう少し資料数が多ければ貴重な、興味深いものとなったろう。欧米が世界各国の民族衣装を受容しデフォルメする幾つかの展示の中で青いかすりのドレスのオリジナルがとても美しく印象に残った。
2022.01.17
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2019/09ハンガリー旅でホッローケーまで、ブダペストから高速利用で2時間ほどのドライブ。世界遺産登録された村の第一合とのことらしい。ホロクとも聞こえる。発音はとても難しい。ハンガリーの言葉で、ホッローケーはカラスと石、の意味だという。東欧らしい、ラプンツェルのような昔話に因む地名。まあ世界中に知られてない美しい村はたくさんあることでしょうが…村の人の手作りのような素朴な教会を中心に50軒ほどもあるかしら。村にはレストランとお土産屋さんが一軒ずつこの村で気になったのが、ハンガリーの地方ごとの民族衣装をほぼ同じサイズの人気に着せている博物館。力作揃い。館内は小さい、おまけに訪れた時点ではカタログも販売されてない。しかし人形や民族衣装好きな方は半日くらい平気で過ごせると思う。日本の紬は各地の文化や自然、美を愛する心や技術を伝えた。東欧の民族衣装にもそんな誇りがこもっているように思われる。
2021.11.25
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2021/11/17/水曜日/お天気レッスンの日の午後は出かけやすい。というかせっかくチケット頂いたのだし。東京は21日までとか、この日しか行けない。青山一丁目で降りてお蕎麦を食べてからてくてく歩く。青山墓地沿いを過ぎ、赤坂報告に曲がると、あらこんな所に例の日本学術会議の立派な建物が。中身は知らねど。その並びに国立新美術館。以前ここは何があったんだろう。作品の数が膨大過ぎる!とりあえず書をみる。先生の先生が入選されたのだという。私は鑑賞の目を持たないので、皆目分からない。ただ勢いよくとか呼吸とかを見る。↓これは文部科学大臣賞受賞日比野博鳳氏の書、無理がなく流れるごとくな印象他に日本画をみる。洋画より充実している気がする。気になったいくつか。↑士農力氏。隈研吾の設計意図が掴めるよう。時間をおいてみるとUFOのようにも。しかも未来的乗り物のそれの方が手作りであり、時間と共に朽ちていく「負ける建築」にも。↑この青の深い美しさ。村居正之氏。↑「道なき時代」前川和之氏。草むらや葉っぱが琉球紅型のよう。葉っぱが語る物語と紋様、人間無しに。
2021.11.20
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2021/11/12/金曜日/快晴国立映画アーカイブを初めて訪れる。一番の目的はこれに合わせるように発見された円谷監督の「かぐや姫」を見ること。といっても先日2日だけの35分公開版ではなく、ディスプレイで5シーンくらい流れるもの。かぐや姫役の女性が85年前とは思えない今日的な造形美でいつつ、平安的な優美さも漂わせて素晴らしい。同時に常設展、「日本映画の歴史」が見られる。ナチスドイツの大衆操作用に公開された、枢軸国日本紹介のフィルムなど興味深い。モノクロでも分かる、当時の桜と原節子の美しさ。
2021.11.14
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2021/11/5/金曜日/秋晴れ随分前から駒場にある日本民藝館を訪ねたいと思っていたら、先に近代美術館で柳宗悦を中心とした100年展が開かれてしまった。所蔵品のめぼしいものは此方に移ってしまったことだろうと先ず此方を見学する。お堀を挟み反対にあった工芸館は建物ごと金沢に引越してしまい、身近に見られず本当に残念なことだ。ところで入場料1800円もするのに、出品リストの用意がない。リストはQRコードで読み取れと曰う。その時はそんなものかと思ったが、作品を見ながら印象を書き込んだりするのにこんな小さな画面でそれも叶わず、不親切さに呆れた。帰宅後の思い起こしの楽しみも失せ。美術館に対応改善を乞う。改めて柳宗悦の大きさ、守備範囲の広さに感じ入った。同時代、民俗学を起こした柳田國男とのカイゴウも一度あったことを知る。バーナード・リーチは六世乾山に陶芸を学んだという。尾形乾山の伝書を預かった三浦乾也が六代目かと思っていたが、その辺り事情が入り組んでややこしい。ここでいう六世乾山は浦野乾哉であるらしい。今夏、乾也縁の秦野市で彼の生誕200年展があったそうな。なんという事、気がつかないままコロナ夏を過ごしたのだった。陳列の、今和次郎『日本の民家』ああここでも出会えた岡書院!また鳥取民藝運動に投じた吉田ショウヤ氏の展示もあり、いつか民藝美術館と割烹も訪ねたいと強く思った。展示のお終いに、宗悦の揮毫「悉有美醜」があった。達筆というのではないが迷いない勢いがあると感じた。「美の標準」から「美の法門」へと至る昇華モノの介在はとどのつまり、山川草木水空気熱運動、天然と呼ぶべきかは。本日のお土産一升瓶カゴ、『吉田ショウヤの建築の原点』記念の和手ぬぐい、3点帰り道、宝来屋で栗饅頭と熊本みかん丸ごと大福、うまし。
2021.11.07
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2021/11/3/水曜日/秋晴れヌーボーワインで有名なボジョレーは11月の第3木曜日が解禁祝いの日。山梨ワイナリーでもヌーボー祭があり、それは本日なんだとか。ところで鶴川、岡上の蔵亭もそれにあやかり本日ヌーボー祭の日となった。でもこれは特別なお祝いの日。川崎の農園で育ち川崎のワイナリーで醸造された初めてのワインの蔵出しなのだから。春から農園のお手伝いされた方には思いひとしおに違いない。岡上ヌーボーはメルローもピノノワールもその他畑のぶどうを全て集めて、ボジョレーの「マサラシオン・ガルボニック」なる醸造法で醸されたとのこと。色はやや濁り気味でも香りのブーケが立ち上がり、ぶどうの皮裏のヌルりを思い出すような味わい、微発酵とフレッシュ感。でもこれはあくまで始まり、これから蔵亭は成長して美味しくなるその途上に漸く一つの点を灯したんだと思う。記念のハーフボトル35?本の一つをお持ち帰りできたワインセミナーでは試飲の時に栗をお持ちくださった方がいらして、食べるとワインの味がまろやかに変わることにビックリ↑右下画像の右、岡上ヌーボー左イチゴワイン蔵亭お庭で見た柿の色、帰り道のお寺山門奥、少し色づいた木?地域情報誌マイタウンから〈今年7月に初の純川崎産ワインを完成させた「蔵邸ワイナリー」で、11月3日(祝)に開催される同イベント。11:00〜16:00までの間に蔵邸を訪れれば、岡上産ヌーボーを1杯600円で味うことができ、さらに柿スイーツやキッシュなど、自家農園で収穫した季節の野菜や果物を使った軽食も楽しめます。この機会に秋深まる岡上へ出かけて、ゆったりと過ごしてみてはいかがでしょうか。〉
2021.11.04
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2021/10/30/土曜日/秋らしく晴鶴川の武相荘を訪ねたのは久しぶりのこと。室町に遊ぶ〈特別展〉開館20周年記念の。今様「遊びをせんとや生まれけむ たはぶれせんとや生まれけむ…」白州正子の書が掲げてある。白洲次郎の「play fast」は、いつものように木の根元に。そのバーは見学はできるのだけど、ここでギムレットかなんかやることが可能かどうかは知らない。展示品を見ていると青柳恵介氏や友枝真也さんが説明くださる。例えば「常滑蹲」。これは青柳氏が白州正子さんと出会う前に既に所有していたけれど、「信楽檜垣紋水指」は、京都の古道具屋さんにご一緒の折、白州正子さんが購入されたとか背景をエッセイのように語って下さる。角切がある根来の盆は室町と想像できるとか、ざっくばらんにお話は展開される。これは!というのが友枝家に伝わる翁面と面を蔵う入れ物、「面箱」それに正子さんの「能面 老女」翁面面は顎が離れた様式、これは大陸や半島の影響が濃く遺るものだそうで、それ以外の面はこの仕組みを持たないらしい。しかし顔意匠はまことに日本らしい、と友枝氏。また本来は文箱だったと思われる「面箱」。友枝家伝では細川ガラシャから賜ったものという。細川の九曜紋と細川ガラシャ生家の明智の桔梗紋が文箱には描かれている。「能面 老女」に関しては白州正子さんの『能面』に詳しい。丹生神社の若い女の子面が見たくなるではないか。白州正子さんは案外優れた旅のガイドかも。何度か見た彼女の書架に今回は幸田露伴の『澁澤栄一傳』を見つける。2年前頃からなぜか幸田露伴に関心が向き目に止まったのだろう。
2021.10.31
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2021/10/24/土曜日/晴風有り横山大観と下村観山共作の〈明暗〉を見に早稲田大学の会津八一記念博物館を訪ねた。直径4.5mの継ぎ目無しの和紙、とは驚く。果たしてどのように梳いたものだろうか。同じものがドイツのグーテンベルク博物館にもあるという。建物の内部空間が広々としているせいか、そんな大きく見えない。見た目2.7mくらい。即ち六帖間の狭い側くらい。私はこれを月の出かとばかり思っていたが、実は日の出なのだった。建物は1925年竣工、今井兼次のデビュー作、用途は図書館だった。学生たちはホールの階段を上り、その踊り場で眺めたこの絵、即ち暗い蒙を開く開知の太陽の〈明暗〉を見て、閲覧階の2階へ上るという仕掛。誰が考えたか。巷の栄華低く見るための2階閲覧室、何処もかしこも金のみ顧みて知が顧みられない時代だ。せめて〈明暗〉でもとっくり眺めた後、本を開きたい。ところで、こちらの2階に碌山の代表作〈女〉があった。碌山美術館はそういえば、今井兼次設計。何かの縁続きだろうか。会津八一氏コレクション冨岡重憲コレクション展示、考古学の山内清男時代の展覧会開催中。国際文学館、村上春樹ライブラリーが今年オープンした様子。要予約、カフェは開いてれば予約無しで利用できる。演劇博物館があるのが素晴らしい。確か村上春樹氏は演劇学部だったと記憶。全て無料で公開、ただ今石井ふく子展開催中。キャンパスのイチョウ、早いものはもう黄変気味
2021.10.26
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2021/10/22/金曜日/冬の寒さ、小雨農大生と関わりのある蔵元の、お酒が並んだ壁を見てみよとて出かける。事前予約、無料。企画展は「学祖群像」、まさに青天を衝けの時代。どうしてこうも立派で志の高い青年たちが大挙生まれて来たのか?農大最初の学長となった農政学ジャーナリストの魁、横井氏は足尾高山の問題を先駆けて報知したのだという。時の農林大臣榎本武揚はその任を遂げた上で辞任した。さらに日本の博物学の泰斗田中芳男。農代と三者、三者同士の関わりの説明ボードが分かりやすい。初めて知ることばかり。進化生物学研究所と農業研究が母胎のためか、展示はやや雑駁、逆にいうと守備範囲広く農大生一般教養必須の展覧会のように感じた。2階は日本酒に関する全般、醸造昔道具、容器や浮世絵、それに鶏の剥製がずらり。お酒にコト寄せ、江戸庶民の風刺が効いた御一新浮世絵が興味深い。旨い肴で酒を飲み交わす宴席風。実は戊辰戦争の様相を描く。長州薩摩の侍に、魚に当たりやがれと睨む会津、庄内の浪人魚屋風情。ブタで一杯どう?と土佐、箱根、三春新政府群。天璋院の給仕を手伝う和宮が応えて、ブタは知りませぬ。ブタが大好物で豚一様と呼ばれた慶喜公不在の皮肉か。料理待ち胸算用する少年睦仁親王、後の明治天皇のとなり、有栖川宮。↓こちらも心行き惹かれた作品、教訓、祖の目鏡「ばくれん」ヤンキーな姐さん、左手に茹でたカニをむんずと掴み、ギヤマンで酒呑みほすとは、なんとまあ羨ましき。帰途、駅前に見るからに美味しそうな和菓子屋さん在り、栗饅頭と栗の茶巾絞りをお土産にする。このお店の室礼が素敵なので、写真を撮らせて頂いた。ホトトギスを初めてそれと知り見た。柿は細工物かと見まごう。「近頃は和花も少なくなってお茶の先生もお困りです。」こんな会話が30年後残っていますよう。
2021.10.23
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2021/10/20/水曜日/秋晴れ、風ありレッスン会場は神田川に近い場所。この川沿いに1時間ちょっと東に下れば実は永青文庫側に行ける。が時間節約のため東西線で早稲田まで出る。かつてのお屋敷街の面影が残る堂々とした木立。胸突き坂入り口には関口芭蕉庵。高台の南面に川、とても気持ちがよい所。神田上水改修工事の監督のような仕事に携わった芭蕉はこの地の水番屋に住んでいたという。戦災で消失したものの庭は当時の姿を復元したそうだ。↓歌川広重が描いた神田川。右手に芭蕉庵、左は名実どおりの早稲田の田んぼ、「名所江戸百景」この更に右上には各藩守の下屋敷など並ぶ。明治になると細川家本邸や家政所が建ち、家政所が今の永青文庫となった。細川家が所蔵した書画骨董の中に国宝が複数あるという。うら覚えだが、江戸時代、藩の飢饉に際してお殿様の趣味で集めた品々を全て売り払って藩の人びとを救った歴史が肥後の国にあったと思う。確か江戸屋敷にいた家老の判断だったと記憶するが切腹覚悟の事だったろう。お殿様の趣味の動産というのはそのような時に役立つものなのだなあ。永青文庫、屋外は思ったより質素で、屋内もそんな気張ったデザインではない所がよい。家政所であるのだし。伊丹の造り酒屋22代目当主、岡田利兵衛氏の柿衛文庫コレクションの「芭蕉」展。柿衛文庫は日本三大俳諧コレクションとのこと、全く無知にして本日初めて見聞する事多し。蕪村の絵画はよく知るところだったが、芭蕉のスケッチも実にらしさを感じる淡さ。諧謔五七五を芸術のそれに変転させた「ふる池や、蛙とびこむ みずのおと」俳句への取組が深まるに連れ、書の姿まで変じてゆく有様が見てとれる。そして書も句も体力も漲ったそのとき、こぼれ落ちたのが、ふる池 なのだった。自身の手による短冊が見られるとは感激。『奥の細道』これも未だ読んでない、私は。
2021.10.22
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2021/10/19/火曜日/一日寒い小雨一年半のコロナ巣ごもりの反動か、兎に角歩きたい、美しいものを見たい、古刹名刹で手を合わせたい、という心境。そして訪ね歩くとまあ、東京にはいったい幾つ美術館博物館があるのやら。それに私が行くそれらは殆ど人がいない。道にも人は少ない。港区立郷土歴史館を出て山種美術館に行く。30分ほどのディスタンスである。道すがら見つけたところでランチを摂る。↓こんなにたっぷりで1400円、なんか申し訳ないくらい飲食店の努力が刺さる。なるたけ応援したいなあ。山種はさすがに年配の方が多い展覧会。気品あり、こじんまりの中にたっぷりゆっくり、がある。両者超絶技巧とあるが、晩年の作品にはそんなケレンは去っている。それを佳、花を多く描いた御舟、山や伽藍を多く描いた吉田善彦。最近は展覧会カタログは買わず。絵葉書を少し求めて美術館を後にする。帰途、バスク地方チーズケーキだけを商っているお店を見つけ、それもお土産とする。
2021.10.21
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2021/10/19/火曜日/寒い小雨模様↑赤坂氷川神社の山車倉に貼られたポスターに目が止まったのは今月5日の日差しの強い戻り夏みたいな日で、蚊に刺されたのだった。本日時間を見つけふらりと出かける。目黒駅から真っ直ぐ行く。年配女性グループは↓この展覧会に吸い込まれて行く。私もふらふら入りそうになるが、どうやら予約制の様子。きっぱり当初目的地へ。東京大学医科学研究所と敷地を分け合っている印象。アプローチが分かりにくいけれど、ガードマンの方がいます。非常に立派な建物。旧公衆衛生院、内田祥三設計。ロックフェラー財団の寄付支援で1938年設立とのこと。公衆の衛生こそ国家が安全保障の第一に挙げるべく、の誇りの感じられる威容だ。機能面で流石に対応できなくなっただろうが、よくぞ残ったもの。見学ルートのパンフレットがあるが現在ボランティアガイドツアーは無いようで今回は割愛して、2階左翼に展示された港区所有の人形をみる。あーここで氷川神社と結びつく仕掛け。江戸三大祭りの内、震災戦災で日枝と神田には残らなかった山車人形が氷川に14中9つ残った。その内の三体が展示されている。その一つ、ヤマトタケルの命は考えてみれば卑怯なり。女のフリで熊襲タケルの命を葬ったわけだ。浄瑠璃人形のかしらが幾つか。人形遣いの吉田冠十郎自身が作製していたとは。さぞや人形に気魄がこもった事だろう。宮中「人形満て」の習わし。これ興味深い。大正天皇の人形満て、に及んだ下賜が回り回って巌谷小波が持つに至ったクロ駒に乗る御所人形の麗しいこと。ピカイチと感じたのは大正天皇の「御台人形 鶴亀」とからくり儀右衛門の「弓曳き童子」。知恵と技に優れた からくり儀右衛門こと、田中久茂1799年生まれ、は懐中燭台や無尽灯の商品開発を為し京都で時計師として活躍。55歳で佐賀藩お抱えとなり蒸気車、蒸気船の雛形などを作る。御一新で久留米の製鉄所が閉鎖されると、なんと75歳で一族引き連れ上京。銀座に電信機などの店舗兼工場を開く。これが東芝の始まり、天晴れなるかな。
2021.10.20
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2021/10/13/水曜日/偶にしぶく雨書道博物館に出かけた。正岡子規旧居見学予定もあったがコロナ禍の影響でこの時点で暫く閉館。旧居前にある、中村不折氏が開設し今は台東区立の「文字」を扱う専門博物館はさすがに開館しています。中村不折は高遠の人。先月訪ねた安曇野の碌山美術館の碌山とほぼ同時代の信州人、フランス行きやロダンとの面会に関して先輩後輩の縁ある事を知る。碌山からの葉書の展示あり。不折は恵まれた出自とは異なるが、おそらく才能豊かで高潔な、大きな人だったのだろう。西洋絵画を当時パリに学んでいるが、それに留まらず書道研究に大きな足跡を残す。日清戦争の従軍記者として正岡子規と共に中国や朝鮮半島に滞在した事が起因だった。当時清国の工芸品の夥しい流出は巨大市場のある欧米日本へと向かう。一儲け狙う売買の沸騰の様子は広田不狐斉著作で読み印象に残った。そんな時代に不折は大陸滞在する。彼の審美眼に叶う作品群はおそらく格安に入手できた。しかしそれらは芸術家の手に渡ったのであり商機の対象ではなく散逸を免れた。不折は個人の力で博物館を建て学問研究に資するよう努めた。頭が下がります。一方で中村不折は味わいのある、文豪に愛された文字を持った人でもある。諏訪の有名な清酒、真澄や信州一味噌の文字などは信州人不折の手による。また墓碑の書き手として森鴎外に指名されたという。展示の「西宮酒造株式会社社長紀徳碑」の士徳商才の題額は渋沢栄一、碑文は不折の書、渋沢翁の支援などもあったろうか。碌山美術館設立に渋沢敬三氏の寄付があり、渋沢家と信州人の縁三代も見えて面白い。そういえば幸田露伴に『渋沢栄一伝』があり、前々から読みたく思いながら果たせていない。3日と開かず、副島種臣の書を、ここと別の場所でも見た。こじんまりとした博物館だが見るもの多く思ったより時間が過ぎていた。人間の個性が現れる文字、書の面白さ。書くのは無理としても、せめて幾らか碑文の読める人になりたいものだ。この度の展示テーマは「書でみる日本の歴史と文化」そういえば、東洋文庫にあった広開土王碑←5世紀始め、これの3.4面が展示中。日本の国の成立ちを知る上で特別な歴史資料だ。ここに見える倭国は八州統一政権ではないし、以降150年ほど大陸とのやりとりの記録がどこにも無いそうだ。「倭国大いに乱れ」それどころではなかった証?大和朝廷立国として時の政権が記紀で粉飾しても、まつろわぬクニは未だ沢山あった。この国の始まりはそんな古いものではないんだなぁ。聖徳太子が仏教を国の宗教と取り決めた背景には宗教戦争のような様相が?と想像を膨らます。↓子規庵
2021.10.17
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2021/10/05/火曜日/晴、夏の逆襲ニュース番組で見た三島喜美代さんの作品に関心を持ち、森美術館に出かけた。ミックスペーパー、資源ごみの要塞のようなボリューム。喉元過ぎれば熱さを失う、ニンゲンの愚かさは軽いか重いか。少なくともこの作業に費やした時間の重みは手応えがある。大きなゴミ箱から溢れる様々な国の新聞。驚くべし。陶土にシルクスクリーンの焼き物。How does it make ?陶器➕シルクスクリーンは更に面白い展開が期待できそう。三島さんがどんなに人生を楽しんでいるか、インタビューから力強く伝わる。誰だって本当に夢中になれるものを見つけたら、それ以外何にも要らないはず。それって最高アンナ ボギギアン なんか民族も性別も年齢もすっかり超越している。そんな彼女が織りなしたシルクロードのインスタレーション。意外なほどに繊細でいながら、おおらかでユーモラスなセンスが溢れて、好きだなあこれ。出色、ミリアム・カーン。今回初めて知った。彼女の絵は今回の展覧会のポスターにもなっていた。バーゼルのユダヤ人家庭に生まれたことは間違いなく彼女の表現の源になっていると思う。過激さと静かさの同居するような不穏、それを増幅させる色使いが素晴らしい。他にもいくつか好みのものが
2021.10.07
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2021/09/20/月曜日/快晴大正昭和の出版人、岡茂雄『本屋風情』の「渋沢敬三さんの持ち前とそのある姿」に昭和6年、渋沢さんほか数名と穂高町で碌山美術館を訪ねた箇所がある。それによれば、夭折した萩原碌山の数少ない遺作を「生家の庭前に小宇を設けて納め碌山館と命名した」所を訪ねたのである。その後昭和33年に碌山美術館設立時渋沢さんが協力を惜しまなかった、とあるのは何らか寄付をしたと思われるが、昭和46年、生家と碌山館は焼失した、とある。しかし、今井兼次設計碌山館は竣工が昭和32年、コンクリート造焼き締めレンガで被覆されていたためか経年の美しさを見せ動じない。2009年には国の登録有形文化財に指定されている。彫刻と建築群が心地良く配置された美しい空間。今井兼次に設計を依頼する卓見が素晴らしい。画家の魂と共鳴している。ゆっくり滞在した時を過ごしたい。明治の時代に海外に出て学ぼうとした地方の青年たちの熱い心にも触れる。勉強熱心で作品群を重ねる毎に進化する様が画像からも伝わる。帯殴時に購入した書物が展示されているが、西洋芸術の根幹に触れようとの幅広いコレクションと思った。ロダンに送った浮世絵などもある。朝倉彫塑館作品群に比して、権威よりも表現の切実度が高いと感じるのはこの芸術家の生まれた時代背景か、夭折故の若さか。それを佳とも惜しいとも。
2021.09.26
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2019/12/15/日曜日/晴ちょっと前のMOTTのミナペルフォネン展。編み物やパッチワーク、刺繍なんかのインスピレーションに皆川明さんの熱烈ファンというわけではないけれど、オリジナルテキスタイルに対する敬愛の念を持ちます。決して古びない服たち。いつも新しく懐かしい感じ螺旋の動きから生まれたアンモナイトな極小住宅山小屋なんかによいかも今までの仕事の大規模な展覧会を通して見えることは、皆川さんは手の人、だということ。本当によく手を動かしている、起きている限り?
2021.09.22
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2021/09/15/水曜日/晴まもなく終了する「江戸から東京へー地図にみる年の歴史」ミュージアムは前々から行きたいと思いながらかなわず、本日何とか時間を取った。お昼頃の到着、先ずはレストランへ。ミュージアム内からのアプローチが美しいです。本日スペシャリテ、これにたっぷりコーヒーも付く。マリーアントワネットのご本ランチは売り切れ。初めは外に一席のみで屋内希望を伝えておいたら直ぐに対応くださった。お味も満足、レストランを出て2階の展示フロアへ。モリソン書庫に圧倒される。これを岩崎久彌は今の換算で70億円投じて入手した由。コレクションの散逸が免れた素晴らしい仕事だと思う。研究者にとっての恩恵は計り知れないことだろう。先日読んだ、田中克彦『ことばは国家を超える』の中に、著者が1950年代、昔の東洋文庫で研究中にニコライ・ポッペ博士と知り合った逸話が出てくる。博士は亡命先のアメリカで初めてウラル・アルタイ語の研究所を開いたがアメリカの学生は英語しか使えないと嘆くのを聞いて、田中氏はアメリカはくだらない国と思ったそうだが、今の日本の大学もその頃のアメリカと同じだと嘆息している。また、乾隆帝「四庫全書」在目(←そんもく、と読むらしい。初めて知る言葉)の古今東西知識の壁。乾隆帝といえば『乾隆帝の幻玉ー老北京骨董異聞』という興味深い本を以前読んだことがある。コレクションコーナーではコロナ禍で閉じ込められた見学者に、時空を超えた旅を届ける嬉しい企画が。19世紀末のアジアの都市を描いた水彩画が並ぶ。バナラシ、シンガポール、江戸など、みなのんびりしている。展示室は思ったより小さい。ミュージアム建物ファサードに大書されているのとは反比例か。それともその内容に正比例か。いくつも記録した中から地図ではない2点を。楽しい帰り道はかき氷が待っているから♪すぐ入れてラッキー雪華さんの宇治無双、お天気もかき氷日和、嬉しいな。ついでに塩大福もぶら下げ帰宅おっとミュージアムお土産はこちら。行きたい所は益々増え
2021.09.15
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2021/09/14/火曜日/曇天後雨予約のお菓子を引き取りに出かけるついでに大回りをした。意外にも大宮から都心は大変便利で近い事を知る。当初、「埼玉県立歴史と民族の博物館」を訪ねる予定がこの両日は定休。埼玉では火曜が要注意なんだなぁ。そこで大宮盆栽村を散歩しつつ大宮盆栽美術館を訪ねた。館内には少し何故盆栽村がこの地に出来たのか、そんな背景も展示されている。歴史好きには嬉しい。平和な時代が続いた江戸時代は庶民の間にも園芸ブームが沸き起こり、植木屋の園芸地も菊や盆栽で飾られ大勢の人が集まり繁栄したという。今の駒込から団子坂に植木屋を営む者が集合していたが、東京の発展に伴い植物を育てるのには必ずしも良い環境とはいえず、園芸地を求めていた所に関東大震災が襲い、集団で転地したのが大宮の盆栽村だという。盆栽を営む家々の普請が素晴らしく立派で、この村付近の住宅のお庭もさすがに風情があります。館内の撮影は禁止、お庭は大丈夫。館内ギャラリー5 小楢 が一番お気に入りだけど画像なし。タイミングよくコナラの柔らかい青い葉と青いどんぐりがたわわで可愛らしい。庭の盆栽は樹種、姿、盆器のみならず、銘名も中々古典漢籍に通じる教養がいるのだなぁと感じた。お土産は高明な盆栽のシルエット和手ぬぐい、江戸鉢植え絵のファイル、ガイドブック。土呂駅まで出て調べていた鰻屋へ。えー!またもや本日休日の看板が。川越に続いて、うなぎ流れ2軒目なり。次店をくぐる。肝吸は残念。鰻はかすかに泥臭あるも風味はよい。タレは私には甘過ぎ、普通盛りのご飯の量が多い。お米は旨い。特筆はお漬物。ちゃんと奈良漬があるのは久しぶり。大根、牛蒡も旨い。
2021.09.14
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2021/09/11/土曜日/曇後晴故あって、大森海岸から大森駅を経て暗闇坂を上り、ようよう大田区立博物館に辿り着く。いかにも昭和の頃あちこちの自治体で建てられた風な古い建物でも、さすがに大田区。これだけの収蔵があり展覧会が開ける。3階では版画作品が仕上がるまで、スケッチ旅から刷り上がりまでを川瀬さんご本人の登場、語りでの上映もある。当時の日本の風景や彫師、摺師の仕事や佇まいも伺えて興味がつきない。映像に見える作品も館内に展示されていた。その「法隆寺 西里」が仕上がるまでの緻密で息を凝らすような時間が一枚の紙の上に折り重なるようだ。左、心惹かれた作品右、画像が暗すぎて見づらいが、スケッチは大丈夫。これは元箱根、岩崎家別荘の連作の一つ。その前に三菱が深川の庭園の版画を発注し海外のお得意様に配布。これで巴水の評価は海外でも高まったという。狭い会場にできるだけ作品を見せよう、版画の背景を知ってもらおうと努力してくださった様子、版画作品と画伯のスケッチ帳と並べ展示してあるのは素晴らしい。地図付き作品リストも用意され、入場無料というのも更に素晴らしい。巴水の感じていた美、うら寂しさ簡素さ懐かしさ。それらの風景は今この国でどれだけ見つけられるだろうか。そんな感懐もありカタログを買うか迷ったが、悩んだ末に絵葉書全三冊とカレンダーを購入した。入場料のつもりで。巴水の同時代に海外出身の絵師3名が紹介されていた。エリザベス・キースが気になった。西馬込駅に出る前に文士商店街の和菓子屋さんで買った豆大福、洗練されなさ加減が、いかにも大福で美味しく頬張った。
2021.09.11
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2021/04/23/金曜日/快晴燕子花の屏風を押し広げれば、そこは燕子花の群生する庭池に浮かべた屋形舟で晩春の風と光と水を感じ、茶碗一献と、まあこんな風流も往時には愉しんだことだろう。私のような庶民もその一端に触れられるとはありがたい。白鷺も小首傾げて水の中ぁ〜雑踏をやり過ごし横断歩道を渡り、美術館に至るまでのアプローチが、心を鎮めてくれる。隈研吾建築。お庭のレストランは混むことも多いので、表参道駅迂回してて、小原流会館地下のふーみんやお蕎麦やさんでランチ食べてゆっくり歩いてゆくのも乙。ここに所蔵の殷時代 双羊尊が私の目を惹く。確か似たようなものが大英博物館にあったと思うが当館の方が何倍も麗しい。と、ここまで書いて本当に大英博物館だったが検索してみると何と これを借り入れて2015年にふたつ並びで展覧していたのでした!見逃してしもた。
2021.09.07
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2021/09/03/金曜日/小雨稲葉天目をまた目に留めておくチャンスが、東京駅をはさんでアーティゾン美術館の反対側、三菱第一号で!これ幸い。その前にお腹を満たすべく 老舗伊勢廣の焼鳥丼 と帰宅後のお楽しみ、日本橋長門の久寿もち、最中を求め徐に駅の向こうへ。丼も和菓子もとても満足。ところで、三菱スリーダイヤモンドは、元々土佐藩城主山内家の家紋の一つ、丸に細柏3枚と岩崎家家紋の重ね菱の二つからアレンジしたものと、先日岩崎邸庭園を訪ねて知る。マリーアントワネットが所有していたかもな「イエズス会士書簡集」や15世紀にアントワープで刊行された『東方見聞録』など、度肝を抜く感あり。昔々アントワープの印刷所博物館を訪ねたことがある。確か欧州で初めての印刷工房だったとような。その時、カミナリに打たれたように『銀河鉄道の夜』でジョバンニが働いた場所は絶対にここだ、宮沢賢治ここに来ている、と唐突に確信した事だけが鮮やかな記憶に…さて、稲葉天目。徳川家光のために生涯薬断ちをしていた春日局が病を得たとき、家光がこれと薬を下賜したという。その後関東大震災の中も所有者は何よりもこれを守り、持ち主が変転する内、壺中居の広田氏が仲介して小弥太の手に。そのやりとりは広田氏の『骨董裏おもて』に詳しい。小弥太は自分如きがこの器を用いるべきでないと、生涯使うことは無かったという逸話も麗しい。何度見てもこれは特別と思う。照明の演出か偶然か、腕の中に光が宿り、角度を変える毎に青、みどり、紫と変色する。女性の掌にすんなり収まるくらいの小さい腕に全宇宙が輝く神秘。ところが今回出品されていた「南宋官窯 青磁鼎型香炉」。これが実に素晴らしい気品を放ち目を奪われた。これはひょっとして、空襲の最中まんじりともせず広田氏と小弥太が向かい合い息を呑んで眺めた香炉、ではないだろうか。他に「広州官窯 青花 寿福 草花文壺」おっとり大らかでケレンのない穏やかさ。秋の七草でも活けてその横で渋茶とお団子の風景が浮かぶ。よいものがみられました。
2021.09.04
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2021/09/03/金曜日/しのつく雨東京駅まで丸の内線を使うとかなり遠い。八重洲地下街の一番先。しかし24番出口からは目と鼻の先なので、雨の日暑い日はこのルートがよい。旧ブリヂストン美術館が5年の歳月を経てモダンなタワービルの3フロアに新しい名前でスタートしたのが昨年のこと。そもそも企業家の美術館には余り関心が無く足を運ぶことは無かった。それが古美術商、壺中居を創業した広田不孤斎の『骨董裏おもて』を読んでから、偏見なしの展覧に考えを変えた。因みにアーティゾン近所に壺中居はあるが、畏れ多くてとてもドアを開ける勇気はない。さて、コレクションはあまりにも網羅的で館の視点がぼやけるような印象もあったが、作品に思いっきり近づいて撮影できたり、スマホイヤホンから解説が聞けるのはとてもよい。高明なアートの落札価格インフレがアートを投機対象にし、見る側の人間との間に不穏な壁を築いた状況を改善してもっと晴々とした関係を築こうとする意欲があると考えるのはうがち過ぎか。気になった作品をいくつかピックアップ上はモネの晩年近い、視力のおぼつかない頃ベネッツィアを訪れたときの作品下は松本 竣介(1912-1948) 運河風景(1943)垂直、陰、水、空、色の対比カンディンスキーと瀧口修造
2021.09.03
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2020/07/20/火曜日/快晴個人美術館としてはとても充実している。特筆すべきは平山夫妻が40年に渡り収集したシルクロード地域の美術工芸品9003点で、これだけの収蔵品は国内で他にあるかは知らない。平山氏が亡くなって11年。アフガニスタンの米軍プレザンスは一昨日の2021年8月末で終了、20年に及ぶというが、平山氏が骨を折った貴重な美術品をアフガニスタンに戻す運動は今、現地でどんなことになっているのか。
2021.09.02
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2021/07/03/少し雨模様上の画像、左下は展覧会場内の模型だか、上は実物を撮影したもの。8年くらい前にこの橋の袂の温泉に浸かった。薬草湯はとても刺激が強かったが風邪など吹き飛ばそうな配合だったと記憶。この橋があるのは四国山地の梼原町。須崎市からレンタカーで細い山道を心細く運転した。当地には初期作品の雲の上ホテルがあり、隈研吾の建築の原点ともいえる場所ではないだろうか。狭い場所に彼の〈毛深い〉建築が群生している。2018年にアンデルセンの町オーデンセを訪れたら、アンデルセンミュージアムが建築中で、現場フェンスにfamous architect Kuma Kengo みたいな文字が並んでいた。2000年オープン予定だったから、東京オリンピック競技場と同年なんだなぁと当時は思った。未来というのは全く予測不能なことによって歪められる。実はそれの模型を期待して訪れたのだった。だが展覧会場にはアンデルセンミュージアムの模型はみつけられなかった。今、どんなことになっているんだろうか。さて、展覧会の重要なファクターは猫。猫がのんびり暮らせる空間は人もホッとできる空間だと共感する。時系列で見ていくとより軽く明るくというデザイン傾向だろうか。太宰府のスタバも、台湾高雄が本店の青山にあるパイナップルケーキ屋さんも偶々訪れたが共に彼の仕事だ。これはよほど作品数が多いのだろう。この二つは木の使い方がよく似ている。おまけの画像、下の3つの上はプラハのオーガニック化粧品のお店。このお店のスタッフの甥の方が2018年当時、インターンシップで隈研吾事務所にいると教えてくれた。いやはや、の隈研吾つながり。左下は梼原町で古くから地域に建てられたお茶堂。昔から地域の人が交代で村を通る人にお茶の接待をしたという。その右は地上階がお土産もの屋さんで上は宿泊施設だったか。並べて違和感がないのは素晴らしい。
2021.08.31
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2019/10/10/木曜日/やや晴旧近衛師団司令部庁舎を転用した、北の丸工芸館は現在、近代美術館の分室という扱いだが、一般公開はされてない模様で、その役割は金沢市に移転。そうとも知らず偶然訪れたのも籠好きゆえにフィナーレを飾った展示は「竹工芸名品展」
2021.08.27
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2021/08/23/月曜日/雨後薄く晴阿智村まで車でほぼ2時間近く。満蒙開拓平和記念館を訪れることが一の目的だった。道を間違えたお陰で長岳寺に立ち寄ったことが後になって良いことと分かる。館内は全て撮影禁止。この日は中高生らしいグループがいくつか見学学習で来館していたり、講座がもたれているようだった。このような施設は「仏作って魂入れず」なケースをよく見かけるけれど、学ぶ若い人たちの姿を見て当館には血が通っている印象をもった。広島平和記念館の物言わぬ展示物が何より原爆の恐怖を雄弁に伝えているとしたら、またひめゆり平和祈念館が少女たちの写真と作文からその一人ひとりの掛け替えのなさを切実に伝えているとしたら、当館はインタビューに応える引き揚げ者、残留孤児(初めて耳にした時は何という言葉かとたじろいだ)、養父母らの語らいや身振り、暮らしの背景がのぞき未だに何一つ〈終わっていない〉戦争が見えて来る。沖縄には私設の美術館があるが当館もその設立にはひとりの住職山本慈昭さんの働きがあった。こんな方がいらっしゃることを知るだけでも有難い。彼は記念館から歩いて数分の長岳寺の住職であった。私の読んだ、満州、大陸から引き揚げて来た人の記録、あるいはフィクションなど。次は『赤い月』を読もうかな?なかにし礼さんもパンデミックの最中の昨年12月亡くなられました。合掌。
2021.08.24
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2021/08/13/金曜日/雨発見の道、と題しているだけあって彼の来し方がよく見える展覧となっていた。知人からとても空いていると聞いて出かけたが存外若い人や親子連れで混み合っていた。今回ライティングの良さをしみじみと感じた。キュレーターの愛着が感じられる現場となっていると思う。
2021.08.19
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