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世界的ピアニスト辻井伸行はこうして生まれた2009年6月、一人の全盲の若者が世界を感動の渦に巻き込んだ。その演奏を聴いた世界中の人が涙した。辻井伸行さん、ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール優勝の瞬間である。その陰には、絶望の淵から立ち直り、伸行さんをピアニストとして育て上げた母・辻井いつ子さんの姿があった。親子二人三脚の歩み、そこで得たいつ子さんの信條とは。 辻井いつ子つじい・いつこ 昭和35年東京都生まれ。東京女学館短期大学卒業。フリーのアナウンサーとして活動後・産婦人科医のご主人と結婚。生まれつき全盲の長男・信行さんをヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール優勝に導く。著書に『今日の風、なに色?』『のぶカンタービレ!』(ともにアスコム)。こんなに苛酷な運命を背負わなくてはならないの長男・伸行が元気な産声を上げたのは1988年9月13日でした。待望の赤ちゃんは五体満足で標準体重。私は無事出産を終えた安堵感と子を授かった喜びで、その晩はなかなか眠れませんでした。伸行の異常に何となく気づき始めたのは翌日に授乳を始めてからでした。ベビー室には多くの赤ちゃんが眠っています。お母さんが抱き上げ、おっぱいを与えると、皆可愛い目をクリクリさせながら、お母さんの目をジッと見つめます。ところが、どういうわけか伸行だけは目を閉じたままなのです。ベビー室に何度足を運んでも、いつも同じような状態です。「なぜ、いつも眠っているみたいなのだろう」。その疑問は時間を追うごとに膨らみ、「これは何か変ではないか」という不安が、まるで心の片隅に黒いインクをポツンと落とすように広がっていきました。後で知ったことですが、私の出産に立ち会ってくれた産婦人科医の夫は、伸行の異常に気づき、眼科医にそのことを相談していました。そこで告げられたのが「小眼(しょうがん)球症(きゅうしょう)」という目の病名。この子は生まれつき目が見えないという宣告でした。しかし、産後間もない私にショックを与えまいと、「小さい頃は、まだはっきりしたことが分からないんだ」と曖昧な説明を繰り返していたのです。専門の眼科医から真実を知らされたのは、間もなくのことでした。悪い予感は的中していました。「やはり......」と思った瞬間、深い谷底にドーンと突き落とされたような激しい衝撃に襲われました。「夢なら覚めてほしい。誰か、この先生が言っていることが嘘だと言って。なぜこんなに可愛い赤ちゃんが、こんなに苛酷な運命を背負わなくてはならないの......」心の中で何度、そう思ったことでしょう。毎日、伸行の目を見ては泣いていました。真っ青な空や美しい草花を眺めるだけで、「ああ、この子は一生、この光景を見ることができないのだな」と感情が高まり、ワーッと涙が溢れてきます。そういう状態が長く続きました。私は深い絶望感に晒されながらも、心の奥深くで「なんとか、ここから脱していかなきゃ私もこの子も駄目になってしまう」と焦るような思いがありました。そのヒントを求めるように書店に足を運ぶと、可愛い盲導犬の写真が配された本が目に留まりました。そこに描かれていたのは、全盲でありながら、盲導犬を連れて福祉に関する講演活動をしたり、美術館や歌舞伎に行ったりアクティブな人生を満喫する福沢美和さんの姿でした。「全盲でも何だってできるじゃないか」と思いました。「この子が生まれてよかったのか疑問に感じたのは、自分が間違いだったのではないか」と思いました。福沢さんの本に大きな勇気をもらった私は、感想を吹き込んだテープを送り、ぜひお会いしたいと伝えました。了解の返事はすぐに来ました。一歳にも満たない伸行を連れて箱根のご自宅を訪ねると、福沢さんが屈託のない笑顔で出迎えてくださいました。驚いたのは思っていた以上に颯爽(さっそう)とし、障害者ということを少しも感じさせない方だったことです。「普通にお育てになったらいいのよ。特別なことを何も思わないで、あなたが感じるままに、いいことは一緒にやったらいいし......」すっかり打ち解けた雰囲気で食事をしながら、彼女が何気なく口にした一言が素直に私の心に溶け込んでいくのを感じました。「そうか。じゃあ普通に育ててみようか」この時から私は前向きに生きられるようになりました。美しい情景を見ては「きれいよ」と伸行に語りかけました。どうせ分からないからと何もしないままでは、彼の感性は育たないと思ったのです。 我が子に秘められた才能を伸ばす福沢さんと出会う少し前から、伸行の音楽に対する感性の鋭さに驚かされることがありました。音楽をかけると反応し、特にブーニンが弾く『英雄ポロネーズ』はお気に入りで手足をバタバタさせて喜びます。それはあたかもリズムを取っているかのように見えました。ある時、そのCDが傷ついてしまい、別の奏者による『英雄ポロネーズ』を買って流しました。するとまったく反応を示さないのです。「あれっ」と思って再びブーニンの曲に変えるとバタバタと体全体で喜びを表現します。親バカだったのでしょうか、「この子は音楽を聞き分ける耳を持っている」と思いました。そこで、近所のピアノの先生に週一回来ていただくことにしました。とはいっても伸行は一歳半。膝の上に乗せてもらって演奏と歌をおとなしく聴く。それが練習でした。しばらくすると、電子ピアノを購入し、脚を短くして居間に置きました。軽く指を乗せるだけで音が出る電子ピアノなら、幼い伸行でも楽しめると思ったからです。最初はおもしろ半分音を出していたのが、しばらくすると私の演奏や歌の音を拾って曲として弾けるようになりました。これも後から分かったことですが、この頃、絶対音感が身についたようなのです。もちろん、主人と私は伸行に英才教育を施そうという気などさらさらありません。少しでも楽しんでもらいたい。この子の自信になるものが一つでもあって欲しい。その一心だったのです。保育園に入る頃には、簡単な童謡くらいは弾けるようになっていました。初めて視覚障害のあるお友達が入園したということで園の子たちは伸行に少し遠慮がちでしたが、オルガンを弾き出すと皆周りを囲んで「伸くん、すごい、もっと弾いて」と、途端に仲良くなりました。正式にピアノの練習を始めたのは四歳からでした。幸いだったのはご指導を受けた高校教師の増山真佐子先生が、伸行の好きな曲を、彼の喜ぶ方法で教えてくださったことです。先生は最初、ピアノの基礎とされるバイエルの作品から練習を始められました。しかし「この子は、それでは伸びない」とすぐに方向転換されたのです。伸行は楽譜が見えません。鋭敏な耳で音を拾い、それを鍵盤で弾いていくのです。増山先生は伸行の手を取り、鍵盤に指を置いて音を確認するという指導を繰り返し続けられました。伸行が六歳になると、私たち一家は埼玉から東京へと引っ越しました。ここから高校三年生まではピアニストの川上昌裕先生にご指導いただきました。川上先生も伸行の性格を見抜かれたのか、決して無理強(じ)いはされず、褒めながら才能を伸ばそうとされました。伸行もまた、勉強をする時とはうって変わってピアノの練習には極めて然心でした。練習時間は一日二時間と決して長くはないものの、端で見ていても凄(すさ)まじい集中力を発揮しました。負けず嫌いな伸行は「一度注意されたことは二度と注意されたくない」と思っていたようで、次のレッスンまでには必ず課題をクリアします。レッスンが終わっても、即興曲をつくって楽しんでいたので、なかなかピアノの前から離れることがありません。ピアノはもはや、伸行の生活の一部となっていました。レパートリーが増えると、伸行はますますピアノにのめり込みました。そうなると、もう私の出番はありません。親でありながら、一人の熱烈なファンのような気持ちで音楽に聴き入り、その活動を見守るようになったのです。
2010.02.20
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この子はすごいピアニストになる伸行が大会で賞を取ったのは、小学一年生の時、全日本盲学生音楽コンクール器楽部門ピアノの部で優勝したのが最初でした。小学生から専攻科まで全国の盲学生が鎬(しのぎ)を削る大会で、保育園を出たばかりの子が栄冠を手にしたというので注目の的でした。三年生の時はモスクワ音楽院大ホールで演奏する機会を得ました。新聞記事を偶然見て応募したところ、予選に合格してモスクワに行けるようになったのです。嬉しかったのは、ロシアの音楽界の実力者である同学院の主任教授・カステルスキー先生から「この子はすごいピアニストになる」と太鼓判を押していただいたことです。先生が来日された時、直接レッスンを見ていただいたこともあります。この時も「伸行君からはレッスン料は取らない」とおっしゃり、親身になって指導をしてくださいました。「この子は素晴らしい感性を持っているから無理強いは絶対に禁物。それよりもよく遊ばせてあげなさい」と繰り返し私に伝えられたのを覚えています。ピアノの道を歩もうと思ったら指の怪我は禁物です。特にコンサート前になるとスポーツなどを慎(つつし)むのが一般的です。しかし、私たちはカステルスキー先生のアドバイスもあって、山登りでも海水浴でも、伸行が希望することは何でもさせました。それでよかったのだと思います。大自然の中で小鳥のさえずりや小川のせせらぎなどが、すべて彼の音楽に生かされ、その感性を育(はぐく)んでいったのですから。その後もよいご縁は広まりました。カステルスキー先生が日本の音楽シンポジウムにゲストとして招かれた時、作曲家の三枝(さえぐさ)成(しげ)彰(あき)さんがご一緒でした。カステルスキー先生は偶然居合わせた伸行のことを「この子のピアノを聴いたことがありますか。素晴らしいから一度聴いてごらんなさい」と話されたのです。演奏を初めて聴かれた三枝さんはいたく感動され、九八年、伸行が十歳の時にご自身のコンサートで大阪センチュリー交響楽団と共演する機会を与えてくださいました。伸行にはこの上ない光栄なデビューでした。指揮者の佐渡(さど)裕(ゆたか)さんとも不思議なご縁でした。伸行の演奏テープを聴かれた佐渡さんは「ぜひ、この子に会いたい」と連絡をくださいました。楽屋に招かれて直接演奏を披露すると号泣され、数か月後のパリのコンサートにピアノ奏者としてご招待くださいました。伸行がここまで歩んでこられたのは、このような素晴らしい出会いに数多く恵まれたからにほかなりません。伸行の大らかで楽天的な性格が不思議と人を惹きつけてしまうようでした。音楽界に何の伝(つて)もなかった私たちにとって、そのご縁は「ありがたい」としか表現できません。曇りのない無心の演奏が心を打つあまり自分の願望を口にしたい伸行ですが、十七歳の時、「どうしても出たい」と主張したコンクールがあります。五年に一度開かれる有名なショパン国際ピアノコンクールでした。これには私たちも驚きました。ご指導いただいていた川上先生も「これまでのコンクールとはまったく格が違うよ。若いんだし次の機会でいいじゃないか」とおっしゃったくらいです。しかし本人は「ファイナルでコンチェルトを弾くんだ」と聞く耳を持ちません。長丁場でしたが、先生も私も早くからポーランドのワルシャワに入り、懸命に練習を重ねました。本番はとても張り詰めた雰囲気で、伸行よりむしろ私のほうが胃がキリキリするありさまでした。結果はセミファイナルで落選。批評家賞をいただいたものの、勝ち気な本人は納得できない様子で、「ファイナルで弾けなかったのが大変悔しい」と何度も言っていました。その後、伸行は待望のCDデビューを果たし、全国ツアーも行うなど充実した音楽活動を楽しんでいました。忙しさもあり、本人の中では「コンクールはもういいかな」という思いもあったようです。音楽事務所の社長から「伸君、もうコンクールに出る気はないの」と声がかかったのは二十歳になった時でした。「課題曲が多くて大変だけれど、レパートリーを増やすいい機会だよ」という言葉に後押しされて、軽い気持ちで出場したのが、二〇〇九年六月にアメリカで開かれた名門のヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールです。ショパンコンクールの時と比べて伸行にはある変化がありました。三年間で実力が格段に高まっていたこともありましたが、世界的コンクールであるにもかかわらず、なぜかまったく気負いがないのです。予選の段階から肩の力が抜けて、とてもいい演奏ができているのが私にも分かりました。「ああ、これはいけるかも」と思いました。それでも、いざ本選となると私の心中は穏やかではありませんでした。名だたる大会で入賞を重ねた実力者が顔を揃えていたからです。素晴らしい演奏が披露されるたびに圧倒されそうになります。しかし、伸行に緊張した様子はありません。本選を通過した時、「ファイナルの六人に残れただけでもいいね」という私の投げかけに、「うん、そうだね」と笑顔で答える余裕すらありました。客席には伸行のファンも多く、伸行が登場すると歓声が上がります。さながらコンサートのようでもありました。そういう雰囲気が彼にはよかったのだと思います。本人も後の記者会見で「聴衆の心と自分の心が一つになったと感じた」と話していたように、大きな愛情に包まれるようなリラックスした雰囲気が、実力をフルに発揮させたのかもしれません。結果は優勝。私たちの期待を大きく上回る快挙でした。演奏中、伸行の心にはおそらく「いい演奏をしよう」とか「審査員に受けよう」という気持ちがまったくなかったのだと思います。いわば無心です。一点の曇りもなく無心で奏でるピアノの音色が審査員だけでなく、聴衆の心を強く捉(とら)えた。それは間違いないと思います。審査結果の発表後、表情を崩して涙ぐむ伸行の姿を見た時、小眼球症と診断された時の苦しみ、ピアノを弾き始めた時の愛くるしい笑顔など今日までの出来事、その時見せた伸行の表情の一つひとつが甦ってきました。「ああ、ついにここまできたんだな」。私は感無量の思いで、自分自身にそう語りかけていました。そしてその思いに応えるように伸行は記者会見でこう言ってくれたのです。「もし僕に一つだけ見える目があったら、一番見たいのは両親の顔です」と。他と比較せずその子の本分を伸ばす常に子供の目線で見て考え、語りかける。私は伸行を育てる上でいつもそのことを心がけてきました。私自身、そういう育て方をされたからかもしれませんが、例えば何か失敗しても、頭ごなしに叱(しか)ったりせずに、なぜそうなったのかを落ち着いてゆっくり説明してあげることは大事だと思います。そして当然ながら、うまくいったらよく褒めてあげることです。ことピアノに関しては、伸行は納得いくまでとことん練習しますから「もっと頑張りなさい」という言葉は必要ありません。しかも、私のピアノの実力など到底及ばないレベルに行ってしまったので、ある時点から私が何かを説いて聞かせることはなくなりました。むしろ「こんな短時間で、ここまで弾けるようになったの!」と褒め役に徹します。私自身があまりピアノを弾けないものですから、心から上手だと思うんです。それで、伸行もまたやる気を出してくれたように思います。伸行を育ててきた経験から、子供の可能性とは本当に無限だと感じています。私は現在、インターネット上の「辻井いつ子の子育て広場」を通して、子育てに悩む方の声をお聞きしたり、講演活動をしたりしています。その中で「この子はこうだから駄目、などと勝手に判断せずに、何事も諦めないで挑戦してください」とアドバイスすることが少なくありません。中には「伸行君は特別だから」と思う方もいらっしゃるでしょう。しかし、そうではありません。伸行は盲学校の小学部で洋服のボタンを留めることもできない"劣等生"でした。しかし、私はあまり気にすることなく、伸行の長所を伸ばすことを心がけてきました。周囲と比較するから些細なことで一喜一憂するし、子供も萎縮してしまいます。第一、それでは子育ては楽しくありません。母親が自分を犠牲にして子育てをしている、自分がいることで苦しんでいるという雰囲気は必ず子供に伝わり、気持ちを暗くします。だから、私はできるだけ自分が無理をしないでやってきたつもりです。人と絶対に比較せずに、その子の本分を見つけて思い切り伸ばしてあげる。月並みかもしれませんが、私のこの信條を子育てに悩んでいらっしゃる方にお伝えすることで、少しでもお役に立てればと思っています。それを考えると、挫(くじ)けずに二人三脚でここまで歩いてきて本当によかったなという思いを強くします。
2010.02.20
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楽力を高め3ボレで生きよう健康道場・コスモポート主宰 吉丸房江いま、世界中のお母さんたちが子どもに一番多く使っている言葉は何でしょうか。それは「早○○しなさい」です。早く起きなさい、早くご飯を食べなさい、早く支度しなさい、早く学校に行きなさい、早く、早く、早く......。揚げ句、早くいい学校へいって、早くいい会杜に入りなさい、となります。学歴杜会と言われて久しいですが、私はこれから「学力」よりも「楽力(がくりょく)」を重視した社会になってほしいと思います。いい学校に行ってたくさん知識を身につけても、誰かを鋭く批判したり、なんだかんだと理屈をこねるならば、そんな学力はないほうがいい。たくさん知識を得たならば、その知識を使って楽しくなるように考えましょう。そして周りのみんなを楽しくしましょう。それが本当の学力=楽力です。楽力が高い人はその場の雰囲気を明るくし、みんなを楽しくさせます。場が楽しければ、免疫力のスイッチがバチっと入って元氣になり、たとえ能力が八しかなくても十二の力が発揮できます。反対に、たった一人のふくれ顔で場の空気は壊れ、十の能力がある人が集まっても八しか出せなくなるのです。家庭の中でお母さんが楽力を発揮してくれれば、お父さんも子どもも元氣になって、日本中が元氣になると思います。お母さんは家庭の太陽です。だから、お父さんや子どもに批判や理屈を言ってはいけません。批判や理屈は会杜や学校でたくさんの人が言ってくれるので、もう十分です。「お父さんが一番素晴らしい、わが子が一番素晴らしい」、それでいいのです。私は「ホレる」人生でなければいけないと思います。「好き」はダメ。まだ「隙」があります。「ここはいいけど、ここは嫌い」と条件がつきます。愛は無条件です。私が主宰する「健康道場・コスモポート」にいらっしゃった方には「皆さん、3ボレの人生でなければいけませんよ」と申し上げています。3ボレとは、まずは自分自身にホレること。それは素晴らしい私を生んでくれた両親にもホレて、その両親を生んでくれた祖父母にも、祖先にもホレる。それが本当の先祖供養です。そしてこの私を育んでくれた郷土、国家にもホレなければなりません。次は連れ合いにホレること。連れ合いとは何も伴侶や家族のことだけではありません。仕事をしていれば、職場の仲間が連れ合いです。商談をしていれば、お客様がその時の連れ合いです。その場をともに過ごす人にホレるという意味です。そして、自分の仕事にホレることです。自分の仕事がつまらないと思ったら、間違いなく疲れます。社長は社長として、杜員は杜員として与えられた立場で力を尽くしましよう。「もう定年で仕事をやめてしまいました」という人もいるでしょう。しかし、働くとは「端(はた)を楽にすること」です。それぞれが先を憂えず、いま自分の持ち場で与えられたことを一所懸命やればいい。そうすれば必ず知恵となり道標となって、進むべき道に光を指し示してくれるでしょう。「素直で明るくあたたかく」を道標に私は三十歳前後に相次いで父母を亡くしました。がんでした。西洋医学の限りを尽くしたにもかかわらず苦しんで死んでいった姿を思うと、何かもっと違う方法があったのではないかと感じ、それが東洋医学の門をたたくきっかげとなりました。両親が亡くなり、形あるものは皆なくなることを実感として得てからは、毎朝目が覚めることが奇跡だと感じます。人間には六十兆個の細胞があるといわれますが、きょう目が覚めたということは、そのすべてにスイッチが入ったということです。これを奇跡といわず何といいましょう。私に奇跡が起きた!子どもにも孫にも奇跡が起きた!そう思ってお日様に「バンザーイ」と万歳三唱をして、「ありがとうございます」と合掌することから私の一日はスタートします。そして「さあ、きょう一日はどんな心で生きようか」と考えます。中村天風さんは「人生は心一つの置きどころ」とおっしゃいますが、自分で自分の心の形を決めておくことは非常に大切だと思います。私が自分なりにつくった心の形は、「素直で明るくあたたかく」です。もちろん、時には嫌なこともあれば悲しい出来事にも出合い、心に穴が開いてしまいそうになる時もあります。でもそんな時は、「素直で明るくあたたかく」と、その言葉で心がいっぱいに満たされるまで何度も何度も唱え続けます。いわば私の念仏です。そして人生で迷った時に必ず立ち返る、心の道標となっています。宇宙創造神によって創られた私たちは、宇宙に咲く一輪の花です。どんなに小さくとも、どんな環境であっても、「私って素晴らしい」と思える人生を送ることが、そもそも神様が私たちに生を与えた真意です。太陽を追いかけて咲くヒマワリに勇氣をもらう人もいるでしょう。大きな木の下に楚々()と咲くスミレに心癒やされる人もあるでしょう。地球上に咲く花は色も形もにおいもすべて違います。遅咲き、早咲き、みんなよし!だから人と比べたり、競争したりしなくてもいいのです。躓()いたり転んだりしてもいいのです。ちょっとくらい病氣になっても大丈夫。宇宙創造神の意に沿って生きれば、愛に満たされて生きていけます。どんな悲しいことがあっても、寿命が来るまでは必ず日はまた昇るのです。もしも、どうしようもなく不安になった時は、天に聞いてみてください。「大丈夫?」って。そうしたらあなたの耳元で「あのね、大丈夫よ」とささやいてくれるでしょう。そうしたら「うん、大丈夫!」と自分で肯定して、晴れやかに、そしておおらかな心で生きていきましょう。そうすれば本当の健体康心が得られるはずです。
2008.06.17
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入園前には人一倍人見知りが酷かった長男君。知らない人が公園にいるだけで、入っていけない性格でした。その彼が始めて好きになった番組は「機関車トーマス」 興味が沸いてくれればと、ビデオや玩具を買いあさった私。その後、船隊シリーズ・ポケモン・と興味が移って行きました。 2年生になった彼は最近「コナン」の漫画を読むようになりました。先日、一緒に買い物に行ったとき「コナンの漫画が買いたい」と言ったので、どうせ最後までは読まないだろうと思いながら1冊買ってあげました。 予想に反して、熱心に読み続けて、なんとその日のうちに読み終わっていました。その後も何度も同じ本を読んでいるので、なんだかいじらしくなって続きを買ってあげたいと思っていました。 実は私は子供の頃に漫画を読んでいた記憶はあまありません。漫画を読むようになった彼に、驚きを感じています。なんだかまた少し成長したなって思えます。 子供には異常に甘い私は、今日のお土産にコナンを5巻買って来てしまいました。何のイベントでもないのに・・・いかん。甘過ぎます。反省しないと。子離れが大変だ(自爆)
2007.10.06
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「子どもが育つ魔法の言葉」 ドロシー・ロー・ノルト、レイチャル・ハリス( 原題 Children Learn What They Live Parenting to Inspire Values ) 誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ子どもを誉めることは、親の大切な愛情表現の一つです。子どもは、親のことばに励まされて、自分は認められ愛されているのだと感じるのです。親の誉め言葉は、子どもの心の栄養となります。子どもの健全な自我形成には欠かすことができません。子どもが成し遂げたことだけでなく、その子の意欲も誉めましょう。子どものちょっとした行いを誉めてあげることで、子どもは、自分が認められたのだと嬉しく感じます。そして、ますます長所を伸ばすことができるようになります。子どもを信じ、その長所が伸びるようにすれば、子どもは、本当に親の願うような子に育ってゆくものなのです。 子どもには、それぞれ様々な長所があるものです。けれど、親は、自分が価値を見いだしている長所だけを誉めるものです。不幸なことに、現代の消費社会では、人の価値はその人が何を持っているかによって決まる傾向があります。このような物質主義に洗脳されないように、親は子どもに自らが信じる価値観を教えてゆきたいものです。確かに、子どもに失望するときはあります。失望を無理に隠してもしかたがありません。しかし、いちばん大事なのは、親の気持ちではなく、子ども自身の気持ちではないでしょうか。時には上手な嘘も必要なのです。 自分で自分を好きになることは、とても大切なことです。自分自身を愛することのできる心の安定した人間に、子どもが育ってほしいものです。健全な自己愛は、生きるうえでのエネルギー源となります。その積み重ねは幼い頃から始まっています。言葉で誉めてもらうだけでは足りない子には、十分なスキンシップをしてあげましょう。親の離婚や病気や死、引越しや失業など、家庭生活に大きな変化が起こることがあります。そんなときは、親は普段以上に子どもに気を配ってあげなくてはなりません。こんなときこそ、子どもには親の愛情がぜひとも必要なのです。 認めてあげれば、子どもは、自分が好きになるわたしたち親は、子育てのあらゆる場面で、子どもにわたしたち自身の価値観を教えています。子どもは、自分が何をしたら誉められ、何をしたら叱られるかをいう体験を通して、親は何を善とし、何を悪いかを考えているかを学ぶのです。子どもの人格形成において、親の価値観は、大きく影響します。子どもの長所が光るのは、日々の暮らしのほんの些細な出来事においてです。それを見逃さないでほしいのです。 子どもは、よいところを誉められれば誉められるほど、よい子になろうと頑張るようになるものです。食事が終わったらすぐに食器を片づける、外に行く前にはおもちゃを片づける、テレビは宿題が終わってから見る。このような約束事は、日常生活を効率よくきちんと送るためのものです。このようなルールについては、親が一方的に子どもに押しつけるのではなく、子どもの考えや要望を取り入れて決めてゆくものです。そうすれば、子どもはより協力的になります。そして、自分がルールを破ったときも素直に認めるようになるのです。 子どもが親の同意を得ようと何か言ってきたら、できるだけソフトな態度で受けることが大切です。「言ってくれてよかった」という態度を示せば、子どもの態度も柔らかくなり、親の意見を聞いてから決めようという気になります。子どもは成長するにつれ、自分なりのモラルや価値観を持つようになります。親は、そんな子どもなりのモラルや価値観を尊重するよう心がけたいものです。子どもが自分なりに真剣に考え、人に対して誠実であろうとしているのなら、子どものやり方を認めるべきだと思うのです。たとえ親として多少の不満があったとしても、子どもが自分で判断できたことを喜んであげたいものです。 子どもが悪い誘惑に打ち勝つことができるのは、親に叱られるからではありません。自分の自尊心が許せないことはできないからです。子どもの自尊心を育てることの大切さは、ここにもあります。 親は子どもに過剰な期待をせず、きっぱりとした、しかし柔軟な態度で接することが大切です。そんな親に育てられた子どもは、親に愛されているという自覚を持って、のびのびと育ち、健全な自尊心を形成することができるのです。 見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる子どもを見つめ、話に耳を傾ければ、子どもの心が理解できます。子どもが何をどのようにしたいと考えているのかがよく分かることでしょう。それが分かれば、親は子どもに手を差し伸べることができるのです。何かをやり遂げるには、目標を決めて努力を重ねなくてはなりません。それを、幼い頃から子どもに教えてゆければ、と思います。そして、子どもが実現可能な目標をたてることができるように、具体的なアドバイスや手助けをしたいものです。子どもを励まし、支えることを忘れてはなりません。努力をすれば成果が上がるということを、幼い頃から理解できている子どももいます。一方、そうでない子もいます。親はそういう子にこそ手本を示して、何事も一つひとつの積み重ねが大切なのだということを教えなくてはなりません。 わたし自身は、お小遣いは、食事の後片づけや掃除やペットの面倒をみることなど、家庭生活の基本的な仕事に対する見返りとして与えるべきではないと考えています。こういう仕事は、家族の一員として当然協力すべき事柄だからです。わたしは、お小遣いとは、子どもも家族の大切な一員として認めるという意味で、家の収入の一部を子どもに与えるものであると考えています。わたしたち親は、日頃から、子どもの努力を認め、うまくゆかない時には励ましてあげなくてはなりません。そうしてこそ、子どもは、夢に向って頑張る子に成長できるのです。子どもを夢を分かち合うチャンスは、ちょっと気をつけていれば、いくらでも見つかるものです。 分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶわたしたちの家庭生活は、家族が分かち合うことによって成り立っています。それぞれの時間やスペースやエネルギーを家庭のほかの者たちと分かち合うのです。分かち合う心は、言葉で教えるのではなく、親が態度で示すことが必要です。子どもにも他人には絶対に貸したくない物があります。それを、親は分かってあげなくてはなりません。ととえば、テディベアやお気に入りのタオルなどは、安心感や心地よさや慰めなどの特別の心理的意味を持つことができます。そういった子どもの大切な宝物を、家族の者は粗末に扱ってはなりません。それをほかの子に貸すように仕向けるのもよくないことです。また、もう大きいんだからとそれを取り上げたり、躾に利用したりするのもいけません。わたしたちに与えられた時間とエネルギーはかぎられています。親は、日々成長してゆく子どもに合わせて、ライフスタイルを変えてゆかなくてはなりません。子どもの生活に合わせられる柔軟性が必要です。 困っている人の役に立ちたいと思えるようになれば、子どもは、分かち合いの心をずいぶん学んだことになります。家族が分かち合いの心を持っていれば、子どもは、与えることの大切さと喜びとを日々の暮らしのなかで学んでゆきます。そして、十代になるころには、親への感謝の気持ちを持つようになります。 見返りを期待せず、愛情のしるしとして人に与えることのできる人-わが子がそんな人に育ってほしいと親は願います。時間や労力を惜しまずに人を助けることのできる人間になってほしいと親なら願うのです。ところが、これはなかなかむずかしいことです。しかし、心の豊かささえあれば、分かち合う喜びを知る人生を送ることも、世の中に貢献することもできるのです。 守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ親子の絆が強い信頼で結ばれていれば、子どもの心は安定し、自信が生まれます。たとえどんなことがあっても、親は自分の味方になってくれる。どんなときにも自分を守り、支えてくれる。そう思えれば、子どもは親を心から信じることができるのです。「何かを信じる」ということは、信念を持つということです。信念のある人間は、自信を持って人生を歩んでゆくことができるのです。 家庭生活の習慣を破るような楽しい出来事を体験させるのも、子どもには大事なことです。そんなわくわくする体験を、子どもは一生覚えています。日常生活から離れた新鮮な体験だからです。 自分の考えがあやふやで、自信がなければ、人に振り回される弱い子になってしまいます。そんな子にしないためには、まず親が子どもを信じることが大切です。自信のある子に育てるのは、決して難しいことではありません。親の育て方次第なのです。それには、子どもを信じ、可能性を信じることが何よりも大切です。子どもへの信頼を子どもに伝えてください。子どもは、そんな親に支えられて、自分を信じ、伸びてゆくのです。
2007.05.26
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子育て 石川洋先生の講演を聞かれた方の報告が掲載されていました。そこには下記のように書かれていました。親はもっと子供のことを勉強すべきである! 事例1 「お母さんのどこが好きですか?」という子供達への質問がありました。ある子供が言いました「おいしくない時もあるけど、毎日私たちのためにご飯を作ってくれることです」 一概には言えないかもしれませんが、多くの非行少年少女たちは、手作りによる晩御飯の味を知らない子供たちなのだそうです。 事例2 お母さんを驚かそうと思って、小学三年生の女の子が重い布団を一人で敷いて母親の帰りを待っていました。仕事に疲れて帰宅した母親は開口一番「早く勉強しなさい!」と言ってしまいました。この子はせっかく布団を敷いていたのに、そのことをなんとも思わないのかと訴えたそうですが、母親は「それくらい子供なんだから当然でしょ」と答えたそうです。そして、母親にではなく作文の上で、こう書いていたそうです。「本当は、黙っておきたかった。そして、怒られて変な気がした。」と! --どう思いますか?親は子供と接するとき細心の注意を払わなければならないというたとえだと思いますがいかがでしょうか。母親が、「ありがとう、たいへんだったね、ごくろうさん」と、一言かけてやってさえいれば、この女の子は嬉しい気持ちになったと思います。 事例3 駆け足に自信のある男の子が、運動会が終わって半分べそをかきながら帰ってきました。そして大声で、母親に向かって「びりから二番だったんだよ。」と言いました。すると母親は、「びりから二番なんて、大声で言うもんではありません!はずかしいったらありゃしない!近所に聞こえたらどうするんですか。」と叱ったそうです。悔し涙に、門前にたたずんでいたこの子に、今度は父親が「どうしたんだい。びりじゃなかったんだからいいじゃないか。でもなぜなんだい?いつもは一番ばかりなのに今日は体調でも悪かったのかい?」と、聞いたそうです。わっと泣き出したこの子はズボンに隠れた足の擦り傷を見せて、「痛かったけど、一所懸命がんばったので、びりにはならずにすんだんだ」と訴えたそうです。この子は父親の「でも」「なぜ」に救われた気がしたと後でこう語っていたそうです。「お母さんにヒヤットとしたけど、お父さんにホットした。」と! 子供の出すシグナルはどんな些細なことでも見逃すな!と言う教訓です。 少年院でのカウンセリングの経験から、非行少年の親たちは必ず「こんな子供に育てた覚えはない。」「自分は悪くない。社会が悪い。学校が悪い。友達が悪い。」という常套句を発するそうです。しかし、例外なく、この子たちは皆、親から認められることのなかった不幸な子供たちだそうです。 これらの事例を通して、先生は以下のことを強調しておられました。「子供を、よく見つめ、よく認めなさい。そして、答えてあげ、評価してあげなさい!」「小さいことを大きく認めて、できれば十分ほめてあげなさい!」と言われていました。
2007.02.16
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いじめっ子 いじめられっ子が出来る要因色々な原因がありますが、一つの要因としてお考え下さい。 両親が子供に十分な愛情を注がないばかりではなく、子供に対して、子育ての基準が高かったり、自分の子供と他人の子供と比較したがったり・・・・・・。このような両親の子供はいじめっ子に育ち易くなります。親の方で勝手に子供の理想像を描き、その像にに合わせての子育てのプログラムを作ってしまう。そしてプログラムに添った子育てを強要する。これが良くない。自分の子供の能力を低く見てしまう。この事こそが、親の子供にへの愛情不足、心の通い合いの不足につながります。努力をしない、助け合いをしない、建設的な事をしない・・・・子供になり、破壊好きの周囲から嫌われ者になってしまいます。全ては他人の苦しみが理解出来ない事から発しています。一方、暴力の中で自分が無価値であり、無力であると感じた場合、自らの殻に閉じこもります。無気力・無感動・無関心です。こういう子供は逆にいじめられっ子になります。いじめられるにはもう一つのパターンがあるように思えます。それは彼等が、仲間達の考えている事を読み取る能力がありません。小さい時に過保護だったり放任されたりして、本を読む機会が少なかった子供によく見られる現象です。これは、楽しい事や悲しい事を共有出来ないという事にもつながります。付き合い下手です。 子供を小さい時に厳しく育てる事は大切ですが、間違った厳しいは、かえって子供の発達をおかしくしてしまいます。親は自分の望む事を、子供が進んでするように躾ようと思います。この厳しさは間違っています。これは、大人の氣にいった型の子供に仕立てるという事です。大人の意図に従わない時、罰がくだされます。右脳を開発すると神経伝達物質が効率よく分泌し出し、イメージする力が強くなります。神経伝達物質は脳全体を働かせ、自律神経の働きを調節して病氣の発生を抑え、人間の生命そのものをコントロールしています。脳の母乳といった存在です。また脳神経細胞を活性化させます。
2007.01.05
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