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実は、私は古布にも興味があるんです。きっかけは鳥取にいた頃にならった、パッチワークでしたけどね。鳥取って、そういうアンティークなものが手に入りやすかったんですね。今になって実感します。骨董品やさんってそんなにないんですよ。でも街中に1件、風庵というところがあって、パッチワークをするようになってから、古布をもとめてそこに通うようになりました。といっても古布は高いんです。私が欲しい絣は、反物の幅の1メートルで1500円ですから。そのお店の2階にはところせましと、着物と生地がずらりと並んでいました。鳥取と島根あたりの蔵から出てきたもののようです。地元の人の話を聞くと、蔵を壊すときにトータルで○万円とおおざっぱな価格でひきとってもらうみたいですけど、その中には宝の山だったりするみたいです。さて、鳥取から石川に舞台が移ると、こちらは加賀友禅の地。それはそれで、よいのですけど、私が欲しい絣におめにかかることがなかったです。九州にも遊びに行きましたけど、やはり古布は、骨董品のお店に並べられているらしくて、行きつかなかったんです。ところが先日、お休みだったときに、すぐ近くの骨董品のお店を始めてのぞきました。そこは、自転車でもいけそうな距離。でも行かなかったのは、駐車場がなかったからかな・・・今回は、表に“縮緬”という紙がはってあり、その一言に惹かれて入りました。すると、たまたま“私のアンティーク”の雑誌に掲載されたからということで、着物を含む、2階の商品は2割引とのこと。量は多くなく、しかも絣は、愛好家が入るとすぐまるごと買っていくということで、ほんとうにわずかに残っていただけでした。(もちろん買いましたけどね)そこは“つぼしろ”という名でした。写真の通りの和風アンティーク満載のお店です。常連客になりそうです♪
2006.01.31
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昨日は天気がよかったので、買い物の途中でデジカメを撮りに帰りました。遠方の山々に雪がかかっていて、陰影のある素敵なシーンを作り出していました。でもね、もやがかかっていて写真に撮るのがむずかしかったのであきらめて帰りました。すると彼から、「今海にいる」と電話がありました。パソコンを教えに友達のところに行ってきて、やはり天気がいいので一眼レフを持って海に行ったとのこと。今日は夕陽を撮る絶好のチャンスだと意気込んでました。私もひとときを海で一緒に過ごしたんだけど、食事の用意がありますからね、一足先に帰りました。ところが、陽が沈む頃になって、雲が空を覆ってしまったとのこと。せっかくの夕陽は撮れず・・・・その代わりに私があきらめてしまった白山の風景を写真に収めてくれていました。それが今日の写真です。今朝の新聞には、同じ白山の残照が写っていました。この山々が夕陽をあびて、茜色にそまっていました。
2006.01.30
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図書館で何度も借りて、白いキルトも素敵だな、とながめておりました。そして、とうとう年明けには書店で取り寄せて本を購入しました。不思議と、好きな布をコツコツと集めていると作りたい作風の布が集まってくるんですよ。白いキルトにも挑戦してみようと思います♪COUNTRY夢見
2006.01.29
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お財布、出てきたんです。おまえが出てくるような気がするって言ってたのがまさか本当に出てくるとは・・・とあきらめていた彼もびっくり。しかも出てきた経緯が不思議なんです。財布をなくして以降も同じ現場に出ていたのですけど、彼の方はも出てこないだろうと探していなかったんです。ところが同僚の一人はずっと探してくれていたみたいなんです。そして、木切れが現場のすみっこに飛んでいったのをおいかけていって、その時たまたまそこに瓦が落ちているのを発見。解体業者のところに派遣されている仕事ですから、その瓦も片付けようと取ってみたら、そのしたにあったんですって♪3日間放置されて、雨と雪でびしょびしょにはなっていたのですけど、瓦のおかげでどろからは守られていたとのこと。私もびっくりしました。いえね、彼の運の強さは人一倍ですから、ひょんなことから出てくるかも~、とは思っていたんです。その反面物事はなるようにしかなりませんから、じたばたしないで、流れにまかせようって考えていました。今回の場合は、あきらめないで探し続けてくれた、彼の同僚の想いのおかげでしょうか。彼は、財布の中のお金でお礼をしようと思ったのですけど、昔かたぎな大工さんですから、お金では受け取らないだろうからって、博多の辛子明太子をお礼に取り寄せてもっていくこととなりました。それから、COUNTRY夢見のサイトを少しリニューアルしました。のぞいてみてくださいね~♪COUNTRY夢見
2006.01.28
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昨日の朝、ネットをしていると電話がかかってきました。久しぶりに鳥取の友だちからです。私の方も年明けに彼女に電話しようっと思いながら今日にいたってました。たいてい、そういう頃にどちらかが電話しているみたいです。さてひととおり、お互いの様子を話をした後、彼女がこういうんです。領収書を送るから、経理をお願いできないかな・・・実は、彼女は子育ての事業を自分でやっているんです。最初は、子育てサークルの運営でしたけど、今では幼児のための教室と、子育てサロンを運営しているんですよ。鳥取にいたころは、友だちや親戚が縁でそういう経理やデータ入力の仕事を請け負ったりもしていましたが、こちらに引っ越してきて、そういう仕事が来ることはなくなりました。昨年もそういう話があったのですけど、フルタイムで仕事に出てましたからね、今はちょうど仕事もなくて暇にしているからってことでふたつ返事で了承しました♪そうそう、運勢が動き出すときってそういう話が向こうからやってくるんですよね。そのことを彼に話したら、そういう在宅の仕事をどんどんすればいい、って。そんなふうにわかってくれるのが、うれしいんだよね。
2006.01.27
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昨日は、ドールの2体目を仕上げました。ひとつ目はお嫁入りが決まっていたので、2つ並べて記念撮影をしました♪さて郵便局に発送をしに行って、買い物をした後は、風邪をひいている次女を連れて病院に・・・その間に彼から電話があったんです。病院の中では電源を切っていたので、お留守番サービスでわかったのですけど。まだ5時にならない頃だったので、早く仕事が終わったのかな、思いきや「財布を落とした」とのコト。えっ、あのお気に入りのルイビトンの財布?今日は解体現場に行っていたので、一緒に仕事をしていた仲間が探してくれたといいます。そして、財布にチェーンをつけたものを見せてくれて、こうしておかないとだめだとアドバイスもくれたとか。工具を落とした話は何度か聞いてましたけど財布は初めてのことで、彼もさすがにがっくり。そのあとはカードを止めたり、運転免許書の再発行について調べたりとばたばたとしておりました。でもま、このくらいのことでは動じません。なにせ、物事はなるようにしかならないものですから。こういうことが起きるときって次にはいいことが起きるんですよね。とそこへ、仕事仲間の友達からメールが来ました。実は今日、仕事の情報交換をしている友達に「ネットショップも持っているので、フルタイムはやめて、短時間の仕事にします」という旨のメールをしたんですよ。で、そのショップのことを聞いてきたので、携帯のメールだったんだけどアドレスを教えました。すると携帯から見てくれたみたいで、欲しいものがたくさんあるから、直で売ってほしい、とのこと。でもこの話は、まだ彼には言ってません。男性とメールしてるっていうだけで、焼きもちを焼くだろうから(汗)
2006.01.26
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まずは一つ目のカントリーウェブリングを付けてみました。カントリー大好きというウェブリングです。ここは一番大きなところかもしれません。登録しているサイト数が多すぎてかえって目に届かないかも、と思うのですけど、私が一番最初に出会ったのがここで、ここからあちらこちらへ飛んでカントリーのサイトを見て回った思い出のウェブリングなのです。一番最初にドールを作ったのがかまぼこ板にトールペイントをして、うさぎをつけたものでした。先日の名刺に出ている画像がその作品です。子育てが一段落していたところに義理のお姉さんが勤めているお花屋さんでステンシルの講習会をするから、とさそわれたのがきっかけでトールペイントの材料を買いました。けれどもまだ次女が小さかったので筆をもって書くような時間がなかなか作れなかったのです。針だと、すぐに中断することができますけど、絵を描き始めたらそうはいきません。結局真夜中に集中して書いていたのを思い出します。そのうさぎに使った布は、お古の綿のカッターシャツでした。それを珈琲で染めて、顔を書きました。その頃に近所の商業高校で催し物があり、洋裁の残り布を買ったのをリボンに使いました。それがカントリードールの始まりでした。今では、シーチングの生地をお店で買って珈琲で染めます。レース生地やレースは、紅茶であわく染まるように調整します。その作業がまたわくわくします。その微妙な色をあわせていく作業が、とても好きです。ウェブリングはこちらのサイトのトップページについてます♪COUNTRY夢見
2006.01.25
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ひとつ仕事を問い合わせていたんだけど、夕方からの時間帯のしかないというんで、またまた仕事探しを一から始めないといけなくなりました。ま、お休みの時もあってもいいか、と午前中はお買い物。午後は、手づくりをしてのんびりと過ごしました。たまたま派遣で一緒になった友だちが私と同じデータ入力の仕事が専門だっていうので、お互いにメールで情報交換をしたりして、ここのところ求人情報ばかり眺めていました。データ入力の仕事って好きですね。文字を扱うからでしょうか。けれども方向を変えないといけないんですよね。外に出て行って仕事をする方が楽といえば楽です。時間でお金がもらえますから。でも自分で起業するとなると、決して楽ではないですね。時間があると手芸店に行き、いろんな布や素材を見て回ります。それだけで、市場がよくわかります。どんなものが今流行っていて、どんなものが売れているのか。お店によってレイアウトも扱う素材の力の入れ方も異なります。でも私は流行にはあまり目を向けません。常に自分の好きなものだけに焦点をあてています。そして自分の気に入った素材をこつこつと集めてきました。ですから、作りたいものが思い浮かんだときには、自分の手元にあるものでたいてい間に合います。その反面、この布集めが趣味、なのが難点ですよね。もはや、この布は私の財産と化してきています。言い換えれば、布しかないってことです(笑)
2006.01.24
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この画像は、ネットで親しくなった友だちが、私のために作ってくれました。いろんな方との出会いが力となって今日にいたっています。夢は一日にしてならず・・・けれども、レンガを積むような日々の積み重ねがいつか大きなものを作り上げていくのだと思います。今、作品を作りながら、どのようにショップを充実させようかと考えています。作品を、手づくりの本に公開する、手づくりのwebリングに登録する。ヤフーのオークションに作品を出品する。完成品だけでは、数が作れないので、オリジナルの作品のキット販売を始める。地元の委託販売、フリーマーケットにて、販売すると同時に自宅ショップの準備をしながら、人に教えられるだけのスキルを身につける。というようなことを今のところ思い浮かべています。たちあげたネットショップがいつのまにか閉鎖されいていた、などというようなたちあげ方をしたくはなかったので、ゆっくりと時間をかけて、作り上げてきました。それと同時に私がイメージしているのは、言葉にならない想いを手づくりにこめて作り続けていきたい、ということです。私の作った作品に足を止めて、何度か手にとって見てくださり、そうして連れてかえってくださったお客さまは、そのような私の想いを受けとめて買っていってくださったのだと私は思うんです。
2006.01.23
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これはカントリードールという月刊誌に出ているうさぎのドールを参考にして作りました。まだカントリードールを作りは始めた頃に見ていて作りたいな、と思っていたドールです。耳の部分に使うボアの生地を去年見つけて購入していたので、今回作ってみました。37cmのボディにあわせてアレンジした服を着せてみました。小物のくまちゃんは、フリーマーケットで購入。結構手間がかかるので、2体だけの限定版で、もう一体も途中まで仕上がっています。
2006.01.22
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おととい母がお部屋を引越ししました。一番奥の、食堂に近い部屋だったのですけど、2人部屋から4人部屋に引っ越していました。昨日、父を眼科に連れて行った帰り、二人で母の新しい部屋を訪ねていきました。母が、倒れて早10年。もう10年になるんだから、引越しもして気分転換しないとねというと施設に入っては4年になる、と父が言いました。その半分は自宅で介護をしていたのか、と私は父の大変さを思いました。部屋が広くなり、窓もその分広くなっていました。庭の様子も変わっているので、気分転換になると本当にいいのですけど。ふとみまわすと、部屋にかざってあった、私の手づくりの布絵が、まだ引っ越してなかったので下の部屋まで取りに行きました。去年の正月の頃に作ったのだと思います。そろそろ布絵も作り変えないと、ね。ちなみに写真が母に贈ったのと同じ作品の布絵です。
2006.01.21
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周波数は、あなたから別な人へと流れていきます。そこに愛のきずながあると、とくにそれが起こります。愛のきずながあるということは、二人が永遠にくっついているという意味ではありません。二人がお互いを尊重し、エネルギーを交換し合って、まるでオープンにした電気回路をエネルギーが流れるように、エネルギーを交換するというところから見て、適切であるとあなたがたがみなす期間のあいだ、その関係を持続するという意味です。二人がお互いを愛しておらず、愛のきずなで結ばれていないときには、エネルギーの交換はありません。回路が開かないのです。 『プレアデス+かく語りき』 バーバラ・マーシニアックこのプレアデスのシリーズは私が好きな本です。最初に読んだチャネリングの本は、シリウス星のものでした。それはとても知的で、感情の含まない文章で、地球の歴史について語っていたのを覚えています。その本の紹介もしたいのですけど、題名が出てきません。ただ、ひとつだけここの記しておきたいことがあります。同じ意識を持つ人々が時空を超えて出会い、つながるようになる。私は、この言葉をずーっと心に刻んでいました。そうです。このブログを読んだ方は感じてくださると思いますが、このネットこそが、現実では出会えないながらも同じ意識を持った人々との出会いをもたらしてくれているのです。プレアデスの星の人々は、ヨーロッパ系の人々の祖先にあたるみたいです。私は色の違う人種というものが、宇宙から運ばれた遺伝子だという説に親しみを感じています。今オーストラリアのアボリジニに通じる星の人との交信録が本になったものを読んでいます。するとそれぞれが自分の星のこと、とその子孫についてしか語らないんですよ。そのことしか知らないからなんですよね。何が本当であるかは、自分で考えなさいと彼らは言います。私の言うことを信じなさい、とは言いません。ですから、私は地球の思考という枠組みを超えた、宇宙の人々の声に耳を傾けるのが好きです。
2006.01.19
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彼の子供時代は、辛いものだったのだと思う。一番愛情が欲しかった頃、彼の母はそばにいることがなかった。やんちゃで手にあまる彼をおばあちゃんが面倒を見ていたらしい。彼の思い出話は、私には想像もできないような世界で、それだけでドラマになりそう・・・その彼の子どもの頃から見ると、私の子ども時代は、本当に絵に書いたような平凡な家庭、と言える。ごく一般的な日本人のサラリーマン家庭。贅沢はなかったけれども、クリスマスには、ツリーが飾られてケーキと鶏肉、それにクリスマスプレゼントが用意されていた。母が、家庭を大事にする人であった。それは、母がまた家庭というものを知らずに大きくなってきていたからなんだと思う。彼は、その平凡な、家庭を求めていた。彼が両腕に長女と私を抱くときに彼の手中にその家庭があることを実感してくれているかな?形だけではない、つながり。そういったものを、大事にしていきたいなと思う。(10本のろうそくを前にうれしそうにしている次女の写真は、彼が撮りました♪)
2006.01.18
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あのね、本当は僕ね、うさぎが欲しかったんだよ。でもね、本当に買ってもらえると思ってなかったんだ。そうしたら、家に帰ったら、うさぎが部屋の中にいたんだよ。母さんが、「欲しいって言ってたでしょ」と僕の顔を見ながら、にこにこして言ったんだ。でもね、ぼくってすごくあまのじゃくなヤツなんだ。母の隣に父がいたからかもしれない。父は、義理の父なんだけど、いつもお父さんづらして、ぼくを叱り飛ばしてばかりいるんだ。僕は、父を意識しながら、「そんなもんいらない」って冷たくいいはなったんだ。いつもの通り、父は不機嫌な顔になり、母はこまったような顔をしていた。父の怒鳴り声を背に、僕はぷいっと外に出て行ったんだ。それから、いつもの遊び仲間と合流して、遊びまくっていたんだけど、心の中には、家で見たうさぎのことがずっと気になっていたんだ。だからいつもよりも早く切り上げて、家に帰ったんだ。本当はちょっぴり、いやな予感がしていたんだ。だから、走って帰ったんだよ。でも間に合わなかった。母は、あのうさぎを鍋にしていたんだ。いくら小料理屋をしているからって、そんなもんまで鍋に入れるなよ。あのとき、どんなに傷ついたかわかんないだろう。僕は、本当にうさぎを飼いたかったんだから。(これは彼の思い出をお話にしてみました)
2006.01.17
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セルフカウンセリングみたいなものだと思います。自分の出会ったこと、体験したこと、感じたこと、をありのままに綴っていくとそのことを通して自分を客観視していく・・・そのように記していくことは、観想という行為であり、瞑想に通じてきます。引きこもりを始めたばかりの弟と接したとき、私が最初にもちかけたのは、パソコンの話でした。何故ってその頃の私はネットを始めて間もない頃で、パソコンに対して興味を増していたからです。パソコンのプログラミングの仕事に関わっていた弟は、その手の話が好きだったのですぐに話がもりあがりました。帰省の度に弟の部屋に顔を出し、少しずつ心が通じてくるにつれて私は弟の胸のうちを知るようになります。リストラされて傷ついてきたこと、それと同時に見えてきたのが、弟と両親との関係です。私は関西に就職した頃、弟はまだ中学生。私は弟のことを知りませんでした。今回、ふとよぎったのは、弟の魂が何を学ぶために今世を生きているのか、ということでした。私は過去世には興味を持ちません。けれども今世を知ることで、過去より持ち越している問題がその人の人生において現れてきていると知ることができます。引きこもりを選択する魂は、その体験が必要だから、引きこもりを体験していると言えます。けれども引きこもり続けることで、その魂は学んでいるとはいえないのです。その体験をする人々が、そのことを通して学びを得ていくことが大切なのです。私はそのことを少しずつ、また考えていきたいと思います。(あんのおしゃべりの中で以前、書いていましたので)
2006.01.16
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そうそう、彼が石をつれて帰ってきました。台所のテーブルの上にぽんとおくので漬物石にするのかと思いきや、解体の現場から出てきたんだけど、どうもその石だけが目に止まるんで持って帰ってきたというんです。本当は、そこから人が出てきそうになったのを閉じ込めてやったというんです。ここだけを見るとなんだか怖いお話になりそうですけど、その石は、それから、何日が我が家に滞在していますけど、悪い縁を持ち込んでくる気配はないですね。ただ、彼の言うとおり、その石は、人の気配を感じさせる石でもあります。封じ込めてやったから、出て来れなくなっているから、というのが理由で、彼はその石をたいそう丁重に扱います。そのわけがわからない行動がなんとも可愛らしいんです。彼のその霊的なエネルギーで霊を浄化させているのではないかと思うんです。まるで女を扱うように、あのように優しく扱われたら、さまよえる魂も癒されていくのではないか、と思うんですよ。今朝、彼は仕事に行く直前にその石を自分の座っているパソコンの前のイスに座らせました。そして、その背もたれには、自分の愛用している半纏をかけています。そのようにして座らせられた石は、今私を見てます。
2006.01.16
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朝一番に私の心にやってきたインスピレーションがその言葉でした。昨日は、かなり重たい日記を書いたかなと思ったのですけれども向き合わなければ前にも進めないというのがあったのでしょうね。母の元に弟を連れて行ったのは、どれだけぶりだったのでしょう・・・・弟が就職をしていることと、それに車の免許を再度取りに行っていること、などその様子は折にふれて報告していましたけど、1年以上連れて行っていなかったんですね。弟もまた、ポスティングの仕事ですぐ隣町まで来ていてもわざわざ顔を見にいく、ということをしてはいなかったみたいです。さすがに母も喜んでいるのが伝わってきました。「顔を見せて」と弟に言いました。普段は、「大きくなったね」とうちの次女にいうのですけど、今日ばかりは、「小さくなったね」と言いましたね。弟のそばでは私も小さくなったように見えるでしょう。もっと早くにあわせてやれなかったのは、私の方に余裕がなかったせいですね。週末にも仕事と子どもたちの病院通い、それに学校の役員の行事も入り、それに加えて昨年は父が2回入院して目の手術もしていましたからね・・・弟は、3人兄弟の末っ子で少し年が離れて生まれました。その小学生時代は、オイルショックの真っ只中。父は、能登半島の小さな工場にとばされて、仕事に追われる日々。そして母は、その父を支えて家で内職をしていました。私は中学生になっていて、その一番多感な頃を転校生として学校になじめず自分のことで手一杯の日々でした。あの頃の弟も今の弟とさして変わらない環境におかれていたのだと思うんです。家族が共にいながら、“一人”という状態。そういう星の元に生まれる人生というものがあるのかもしれませんね。でも、それはこういうことです。そういう人生の中で学び取っていくものがあるのだということなんです。
2006.01.15
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今日は、父を連れて整体に行きます。整体には次女も一緒にかかっています。先回、男の整体師の方にしていただいたら、痛かったというので、今回は女性の方にお願いします。(実はこの整体にかかるようになったのは、女性の整体師がいるとHPで知ったからでした)お昼は、父と一緒にお食事をします。そのときには弟も誘う予定。10日に次女が10歳の誕生日を迎えたので、そのお食事会と称しています。母が倒れたのが、次女がお腹にいるときでしたから、それから10年がたつことになります。弟は、母が倒れて数ヵ月後に勤めていた会社からリストラされて引きこもりを始めました。それから、私が離婚して帰ってくるまで引きこもったままでした。その後、私がバイトで始めたポスティングを手伝うようになり、そのポスティングの会社が某求人情報誌の子会社となった頃には、アルバイトとして常勤するようになり、更新に行かないで失効してしまった車の免許を取るため、再度年末より自動車学校に通うようになりました。でもそれは外見のこと。引きこもりの親の会のデータによると引きこもりとなった人が社会復帰する確立は5%だそうです。弟の場合も、内面的にはさして変化がありません。それを、周りが暖かい目で見守ってあげないといけないのだと、アドバイスが出るところでしょうけど、実は彼と弟とはまったく正反対の性格で、せめてもの救いは、二人ともパソコンが趣味であることなんだけど、その生き方の違いから、合わない関係になっています。弟にはせめて一年に一度くらい母に顔を見せるようにとすることを目的に今日の食事会に誘っているのですけど、(帰りに父を送りに行くときに母に会いにいけますからね)私がセッティングしなければ、両親を訪ねていくということもしないでしょうね。自立に関して言えば、経済的な自立は、私と同程度のレベルです。そしてその程度のところから進歩しようとしません。私も彼には支えられている立場です・・・でも彼にしてみれば、私や子どもたちの面倒を見るのは当然と思っていますけど、弟の老後までの面倒を見ることになるのか、とぼやきます。普段はその問題を見ないようにしていれば、何事もなくすべてうまくいっているのです。でも、それではいけないでしょうね。弟が両親との関係を乗り越えないまま、今日にいたっている課題をどこかでクリアーさせないとね・・・そしてその問題が、今のニートや引きこもりの人々に通じる課題でもあるわけですから。
2006.01.14
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彼と一緒になってからついていることが多い。彼は強運の持ち主なのである。大勢を相手にけんかをしてまけて、半死の状態にあってもなお、目の前に咲いていたタンポポの花をみてくそ、負けられるかと起き上がったという根性の持ち主だからこそ、その後も死ぬような目に何度も合いながら生き抜いてとうとう私と出会った。彼は本当についているやつである。(おいっ、朝からのろけるな)私はといえば、赤毛のアンとともに大きくなり、少女ポリアンナのいいこと探しをして、人生を乗り切ってきたので、この二人のペアは最強である♪さて、今日はこの言葉をご紹介したいと思います。実際的観点から考えた場合、これは、成長していく道を選ぶか、そのままでいることの方を選ぶのかの、ニ者択一の問題です。パートナーは、あなたの可能性を最大限に引き出して成長させてくれる存在にもなり得ますし、あなたを同じ場所につなぎとめておく錨にもなり得ます。どちらの道を選択するかは、パートナーに対するあなたの接し方で決まります。それは逆から見ても同じことで、あなたもまたパートナーの態度次第で、相手の成長を助けることもできれば、錨になることもできるのです。ところが私たちはその道を自分で選べることに気づいていません。そのような自覚を持たないままに、ただ漫然と受身の姿勢で二人の関係を成り行きに委ねてしまっています。『私をコントロールしないで!』(リチャード・J・ステナック博士著 VOICE)この言葉は、3年前離婚を悩んでいたときに光り輝いて私の目に止まった言葉でもあります。子どものために、相手のためにこの結婚生活を続けるか否か私は1年かけて熟考しました。もしその時、違う選択をしていれば、今のパートナーと一緒になることはできなかったわけです。今でもこの言葉は時々読み返しています。それは、錨ではなく互いが成長できる方向にあり続けたいと思うからです。さて、写真は今朝長女を部活に送り届けた帰りに取りました。朝焼けを見るのはひさしぶり・・・このあと朝の光をあびながら家に帰りついた私って、やはりついていますよね~。
2006.01.13
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そうそう年があけてからは、かなり時間に余裕が持てるようになりました。こうして朝のひとときをネットをすることもできるようになりました♪雪が解けて、出勤時間が伸びたせいもあるでしょうね。中学の子どもを送っていくために冬休みの間は、8時10分には家をでていましたけど、今は8時半までネットできます。年があけたら、仕事はないと聞いていたので、今週あたりから仕事探しかな、と思いきやどうやら順調な滑り出しで仕事も来るみたい。現在人材派遣で仕事を受けているのですけど、長期ではない、単発というスタイルの仕事なんです。ですから、前日にならないと仕事のスケジュールがわからないということがほとんど。春に会社を辞めて、登録したので冬に仕事をしたことがないんです。でも去年までは冬ごもりしていて3月ごろになるとようやく仕事が出始めたとのことでした。私の場合は、SOHOを目指しているということもあって派遣会社の仕事の頼るばかりではなく、自分で切り開いていかなきゃ、考えてます。今年は特に、SOHO路線をがんばりたいと思ってます。自分らしく、自分のやりたい仕事をする、とモットーに考えてます♪
2006.01.12
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お酒にはぜんぜん詳しくないのですけど、今日彼がおみやげに持って帰ってきたんです。稲川という銘柄の吟醸酒です。普段は焼酎を飲むのですけど、今日は二人でちゃぶ台を囲んで、のんびりとお酒を飲みました。結構強いお酒なので、この日記を書いたあと、どれだけパソコンの前に座っていられるでしょうか・・・
2006.01.11
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もしも、見知らぬ土地に拉致されて、そこで思想を強要されたら・・・外から見る情報は、右から左へと流れて行く・・けれども、それを登場人物の立場で見ていくと世界は変わって見えるます。昨夜、告白のドラマを見ました。私は基本的にはテレビを見ないのですけど、たまたま居間に入ったら、そのドラマが始まったところでした。子どもたちを寝付かせながら、私一人がテレビに釘付けになりました。それは脚色されたドラマとなっていました。けれども、そこに描かれたチャールズ・R・ジェンキンス氏の心情は、真実なのだと思いました。見知らぬ地にて生きていくしかない、二人が出会い、築いていった絆。日本、アメリカ、朝鮮という国を超えた家族の絆。それは、今の私たちが見失いつつあるものなのではないでしょうか。拉致のこと、アメリカ、そして日本が抱えている問題については、また少しずつ考えていきたいと思います。
2006.01.10
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以前からレースを少しずつ買い集めていました。そろそろレースをふんだんに使った、エンジェルドールも作ってみたいなと思い、白を基調にしたリース作ってみました。20センチの小さなリースですけど、思い描いたとおりのものができあがるまでには、4~5日かかりました。考えている時が結構楽しいかも~。そろそろ材料の整理にかからないとあれはどこにあったのかな、と探してばかりで時間がかかってしまいます。次はどんなものを作ろうかな・・・・作りかけになってるものもたくさんあるんだけど(汗)
2006.01.09
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今の会社に変わってから、ようやく、親しいつきあいができるようになりました。そんな中で一番最初の日に親しくなったのが彼女。私が離婚している、とさりげなく明かしたのがきっかけです。実は彼女は離婚を考えていたんです。彼女の近所には母子家庭が何人もいるのだけど、誰もがガードを固くしていて、心を開いてくれないといいます。その彼女の心はすぐに理解できたから、お互いに心を打ち明ける関係になりました。赤毛のアンでいう、腹心の友という関係ですね。けれども、年末のメールを境に私は彼女に少し距離をおいていました。何度かコンタクトをとってもメールの返事もなく、少したってから、来たメールには、いろいろと考えたいので仕事もするのを控えます、という内容でした。残念ながら、私には何もしてあげられませんでした。彼女の悩みをわかってあげることができても行動するのは彼女自身。どんなに手を差し伸べてあげたくてもそれができないときもあるんですよね。それから少しして彼女は、不登校の長女をフリースクールに通わせるために送り迎えをしている、とメールしてきました。仕事より、離婚よりまずは娘のために動くことを決めたんですね。鳥取にいるときに一番悩んでいたときにいつも心の支えになってくれていた友だちがいました。でもその彼女も私が、本気で離婚を決意するまでは、なにも手を差し伸べることをしませんでした。そして、彼女の妹が協議離婚を経験していたので私が離婚するに当たっては、いろいろと情報を提供してくれたり、悩みをきいてくれました。そう・・・距離を置くのも、寄り添うのと同じくらい大切なことなんですよね。今も心から応援しているからね。
2006.01.07
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実家に移り住む理由を話した、そのあとで、私は買い物についてきたがる、パートナーをふりきって、一人で書店に行った。子どもたちを友だちの家に送り出してのこと。書店に行くことは、最近はほとんどない。だから、この休日のひと時、一人という時間を一番必要なところで過ごしたかったの。私は自分にアドバイスしてくれる本が欲しかったので、4冊の本を手にしたあとで、振り返って書棚を見て出会ったのがこの本。しかも、2002年9月20日初版発刊。偶然とは、常にそのように用意されているのです。副題は、あなたを支配するパートナーとの縁の切り方。私は自分の手にした本の一冊をこれと取り替えた。帰ってきてから、赤ペン片手に一気に読んだ。赤ペンは、気になるところに線を引くため・・・何人ものアドバイスしていただける方に関わり、なんら答えは得られなかった。だから、自分で答えを探すしかなかった・・・そこで見出したもの、は、全てこの本に書かれてあったの。私が理想だなと思いながら書き記した、絆・・・・これこそが、この本のいうコントロールのないパートナーとの関係そのものであり、私が今歩んでいる過程は、そのコントロールから脱する歩みあることが実証された。そこにはこう書いてある。コントロールのある環境と両立させていくためには、忍耐力が求められます。コントロールがあっても自由でいられるように、自由の定義を自分の置かれた環境に即して調整していかなければなりません。そのためには、コントロールの及ばない自分だけの時間を大切にすることです。カップルの問題を解決することがいかに大変かは驚く人は少なくありません。問題を複雑にする理由は山ほど考えられますが、多くの場合、なかでも最大の要因になっているのは、気持ちの上での信頼感が失われてしまうことです。コントロールの発達過程で積み重ねられてきた嫌な出来事が、その都度信頼感を傷つけ、ついには粉々に打ち砕いてしまって、大部分の人々がそれを回復することができなくなってしまうのです。信頼感を取り戻せるか、取り戻せないか、二つに一つしかありません。信頼とは、求めて得られるものではなくて、贈り物として差し出されるものなのです。 『私をコントロールしないで!』 (リチャード・J・ステナック博士著 VOICE)私は、自分にコントロールが及ばない関係に身をおいている。そのために、二人の関係は以前とは、全く異なるものとなってしまった。そのことから、私を失うのを恐れてなお、私に愛情を要求する。これだけの愛情を与えているのだから、それに応えよ、と。過去に傷つけたことに対しては、「ごめん」と言ったじゃないか、と彼はいう。それでいて、私が歩む人生に対してはなんら理解をしめさず、それを阻む言葉を平気でいう・・・彼の言葉には「責任」がない。「責任なんてもてない」と自分を擁護しているから、その責任のない、気分で吐く言葉が、相手を傷つけることがわからない。厳しい現実・・・・。人は、何故優しくしないの、という。相手が改心して、家事、育児に関わるようになったのに。傷つけられて、ぼろぼろとなり、同じ空間にさえいられないほどなってしまったのに、どうして、愛しているふりができるだろう。 (at 2002 09/23)追記:この本の題名を検索にかけたところ、過去に書いたあんのおしゃべりが出てきました。こういうことを書き記していたんだ、と忘れていた文章を読み直しました。
2006.01.06
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というモチーフのイヌをアレンジして作りました。私が愛読している“コットンタイム”のカレンダーに載っているワンちゃんです。長女が最初、「可愛い~、作って♪」と言ってきたのですけどどうもこれは次女の好み。来週は、次女のお誕生日が来るので、次女に作ることにしました。本当は、おみかんを頭に載せているのですけど、それだとお正月っぽくなるので少しアレンジしました。のどもとのリボンは、母が手芸で使っていたリボンの残りです。もちろん、次女は喜んでくれてさっそく机の上に飾りました。
2006.01.05
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この種の防衛のもうひとつの興味深い形態に、 心理学関連の著作を読みあさるということがある。 本書の読者に注意を促したい!人によっては、 魂の探求を、心理学の本をかたっぱしから 読むことによって行おうとする者がいる。 しかし、こうした本は人生や心の問題を それぞれ異なる視点から語っていることが多い。 誰か、心理学書を読む心理について本を書くべきだろう。 こうした本を読みすぎるのは、現代の心理学的病理のひとつである。 セラピーにきた連中に、私はよく読書から一年間遠ざかるように勧める。 読書は魂に注意をむけることから人々の気を逸らす働きをしがちである。 なぜなら、他人の考えが本人の思索の場を奪ってしまうからだ。 それぞれの人間が独自の心理学的な辞書をもっているほうが好ましい。 そのほうが、自己啓発のマニュアル本によって際限なく提供される考えから キーワードを借用するより、はるかに有効だろう。 『ソウルメイト 愛と親しさの鍵』 トマス・ムーアより 次第に本を読むことよりも、自分の心のひだの奥の想いに目を向けたり、自分自身の魂の声に耳をかたむけてることの方が大事だと感じるようになりました。心理学関連や精神世界の本を読みあさるにつけて、その内容を理解することよりも自分自身の体験に重きを置くべきだと感じるようになったからです。昨年縁あって、隣町の大学の心理学研究所を訪ねることとなりました。その時に私が心理学に興味を持っているという話はしましたけど、ではどんなことの興味があるのかというとうまく話せませんでしたね。トランスパーソナル心理学をはじめとして、現代の心理学の本をあれこれ読んでいても、心に残っているのは、アドラーの子育てのための心理学、セルフカウンセリングを通して自分を見つめること、など自分の人生に生かせるような実用的な内容になるんですよね。この『ソウルメイト 愛と親しさの鍵』を手にした2002年は、私の人生における何度か目の転換期になりました。その頃読んだ書物と共に、その頃を振り返ってみようと思います。
2006.01.04
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今日は、父と母のところへ挨拶に行ってきました。ずっと部活で忙しかったので、長女が母に顔を見せるのは久しぶりでした。年末に顔を出したときに「恵も連れておいで」と言っていたのですけど、話したのは数分。それでも元気だとまだ母の方から言葉が出てきます。「鳥取は雪が降ったの?」と母。うーん、まだ鳥取に住んでいる時の記憶とごっちゃになっているみたい。来週次女の誕生日が来て、10歳になるんだよ、と言っても、違うでしょ、と言いたげな顔をします。そして、いつものように右手を出して握手でお別れです。冬休みの間に、次女のお誕生日のお祝いをかねて、父とは一緒にお食事をしよう、と約束しました。その時に、無料券をいただいている整体をも受けてこようと思います。父は、体が動かせなくなってきているので、寒さで筋肉が硬直しているのでしょう。整体でほぐしてもらうと少しは楽になる、と父はいいます。私の方は、軽作業で体を動かす仕事をするようになってからは、体がとても元気になりました。事務仕事ってずーっと座っていて楽なようで、体にはよくなかったというわけです。帰りには、本屋さんによって犬の図案がたくさん載っているパッチワークの本を購入。今年は戌年のこともあって、ワンちゃんをリクエストされているんです。作りかけの作品にもとりかかっているので、ネットの方はゆっくりとした、更新になりますが、よろしくお願いします♪
2006.01.03
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穏やかな朝で始まりました。朝から晴れていましたけど、初詣に出かけてみるとまだ境内には雪がたくさん残っていて空気が冷たかったです。我が家は、家でのんびりと過ごすお正月です。子どもたちは、お年玉で買った、新しいゲームに夢中。私はテレビを見るということをほとんどしないので、今日は特に家事も最低限でいいし、用事もないので時間の許す限りネットをしています。手づくりをして過ごす時間と同じくらいこのネットにはまってしまうんですね。今年は、手づくりの方により力をいれようと思っています。できれば、パッチワークも習いに行くのを復活させようかと思っています。見学に行ってみようと思っているところがあるんです。父の眼科のそばにある文化センターなのですけど、父の通院も月に1度に落ち着いたので、仕事の合間に通ってみようかと思ってます。それができるということは、私自身がかなり落ち着いた証拠です。気持ちに余裕がないと習い事までしようという気持ちにはならないですから。それと平行してブログの更新もまめにしていきたいと思っています。自分と向き合っていく時間を持つことの大切さを再びかみしめています。精神的なものが充実してよりよいものが生み出されていくのだと思っています。今年もどうぞよろしくお願いします。
2006.01.01
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