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地区懇談会がありました。その場で話題が出たことをいいことに思い切り発言してきました。せっかくの職場体験をもっと有意義なものにするためにその体験を学校の中だけで閉じないでもっと親の声も聞いて、毎年出てきた声を次年度に生かして欲しい、概略的にはこういうことを言いました。実際に、その場で他の親からも事前に親にももっと話をしてほしかったという声がありました。なぜなら、親がどのように子どもに援助してやったらよいのかわからないまま、背後ではらはらしながら見ているという状況だったからです。ようするにわが子のように結構子どもには負担かな、と思うようなことがあるのをケースバイケースで親が心配していたということなんです。シュタイナー教育は詰め込み教育ではなくそれは魂そのものの教育を重視しているようです。勉強の中で大切にしているのは、算数と作文。算数によって、すべてのものには秩序があること、論理的なものの思考方法を学ぶというのです。それと作文。特に思春期の頃は、自分と向き合うことを重要視していて、自分の心で感じたことを詩に書くという行為をさせていたようです。その教育を受けて有名になったのが、ミヒャエル・エンデです。それと同時にボランティア活動と労働をするという体験を学校が積極的にさせているようです。日本の場合は、カリキュラムのひとつに組み込んだという感じですね。人間は社会の中で生きていく存在ですから、社会体験の中で何を得ていくのか、社会の中でどう自己実現をしていくのかを子どものうちから習得していくべきものなのではないでしょうか。シュタイナーに関してつけくわえるならば、そのシュタイナー教育を受けさせたくてドイツに引っ越したという家庭があると聞きます。私は、シュタイナーが推進した教育というものは、シュタイナーの作り上げたカリキュラムの中でしかできないものだとは思っていません。ですから、職場体験には、保護者として熱が入ってしまいました。子どもたちには大切な体験だと思うからです。
2006.06.30
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星をデザインしたパターンの中で原点といわれるのがこのレモンスターだということです。13年前に長女を妊娠して仕事をやめるときにはじめたのが今と同じ講座の通信講座でした。その中にもレモンスターのパターンがありました。今回は色の配色がある程度決められていました。色の変化と柄の変化をつけて隣り合った布が美しく見えるようにするというのが課題です。前回の時はキットでしたから、布も型紙もセットしてついていました。今の講座では型紙も自分で製図し、布は自分で色柄を選びます。
2006.06.29
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いろんなことが重なっています。今週は思ったよりも仕事がたてこんでいていつもなら休みがもらえる授業参観の明日も2時まで出勤です。明日は、朝、長女を駅まで送ってから出勤です。長女の方は、今週は職場体験と称して自転車で40分かけて郊外のショップまで通っています。かなり遠方なことと朝のラッシュ時に車の多い通りを通うことでかなり案じておりました。とそこへ、今朝は右折車に激突した事故現場にでくわしました。部品が道路のいたるところにちらばっていてその事故の衝撃の激しさを物語っていました。もし、もう少し早い時間帯であれば、子どもたちが通っているかもしれない中学校のすぐ前の道路です。右折車は三叉路の歩道に乗り上げていました。私は長女にその道ではなく、学校の裏を通るように指示しておいてよかったなと思いました。もし指示をだしていなければその道を通っているようなところだったのです。おまけに帰ってみたら、長女が片道8.8キロの道を自転車がパンクしたために歩いてきたと聞いてびっくり。自転車で40分の道を歩いてくるとは、なかなか根性のあるやつです。私なら自転車をおいておいて、電車とバスで帰っただろうなあ。さて、夜父に電話をして病院に検査に行ったという結果を聞きました。けれども検査の話を聞いただけで実際の検査は一月ちかく先になるのだとか・・・そのくらい待てるのだったら、前回のときと同様に腫瘍があったとしても早期発見ということになるんでしょうね。写真は、我が家の玄関先におかれた寄せ植えのはちです。次女が水やり当番です。
2006.06.28
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鈴木大拙の没後40年のシリーズは、すでに91回目となっていました。北国新聞でその記事を読み進めるに連れて、私は金沢出身である鈴木大拙についてとても興味を持つようにありました。幼い頃父を亡くし、女手ひとつで育てられ、大学に入学すると西田幾太郎と交流を持つようになります。けれども経済的なことと、精神的なことを理由に大学は1年でやめてその後美川の小学校で一時期教員となったようです。その美川は私の住んでいる町のすぐ近くです。さて、その後アメリカにわたり、彼は西洋の書物を翻訳する仕事に携わり、西洋のものを書物にて日本に紹介する傍ら、東洋の禅を西洋に知らしめることとなります。彼から禅を伝えられた人々は、その後帰国した大拙のもとに禅を学びにやってくるようになります。私がその鈴木大拙に惹かれたのは、禅というものもですけど、彼のその生き方そのものです。彼は、彼の禅を学問として知らしめることをしなかったので日本では彼のことがあまり知られていないようです。彼の教えを得た人々は、その教えを社会の中で仕事を通して、またボランティア活動を通して実践していくようになります。その流れが、心惹かれる要因のひとつです。精神の学びを、社会という現実の中で実践していくこと、はシュタイナーが教育という分野で行っていたことに通じてくると思うからです。精神というものは、閉ざされた精神の中の学びにとどめていくのではなく、生きている社会そのものの中に還元していくこと。それが大事なことのように思うんです。鈴木大拙に興味を持ったことが京都のみならず、石川そのものの興味をも深めてくれました。
2006.06.27
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2006年6月24日北国新聞より 日本総合研究所会長、三井物産戦略研究所所長で、早大アジア太平洋研究センター客員教授も務める寺島実郎氏(58)はビジネスの世界から、今鈴木大拙に光をあてる意義を説く。 寺島氏が、たとえば、と挙げるのがライブドア事件だ。現代ニッポンに、大げさに言えば、カネのためなら何でもありの拝金主義が蔓延していないか、という問いである。 とりわけ経営者には、「魂の基軸」とでもいうべきものが必要だ、というのが寺島氏の持論である。自分を客観的にとらえること、自分を律し、どうあらねばいけないか、ということを常に問いかけるという基軸であり、その大切さを説いたのが大拙だ、と寺島氏は言う。 この基軸がなければ「いたずらに欲と道連れだけの世界、あぶく銭を求めて生きるだけ」になる。買収劇で会社を大きくして株価を引き上げ、粉飾決算の容疑にも問われているライブドア前社長の堀江貴文被告らに、魂の基軸と呼べるものが果たしてあったのか、と問われる時代である。 寺島氏が大拙に着目したのは、明治開国以降、先頭を切って国際社会に飛び出していった人々を調べたことに始まる。その中で、大拙が世界の舞台で活躍できた背景には、同郷の安宅弥吉や、出光興産創業者の出光佐三をはじめ、多くの経済人の物心両面にわたる支援があったことも知った。 大拙を世に送り出すために、いかに経済界の先輩たちが果たした役割が大きかったか。同じ世界で生きている人間として心を打たれたという寺島氏は、「大拙の教えを腹の底にすえることが大事だ、と理解できた経済人がそれだけ多くいたということではないか」と受け止めている。その次に浮かんでくるのが、今はどうだろう、という懸念である。 たとえ、世界を席巻したIT革命を利して、時代の寵児となったといっても、大拙流にいえば、しょせん、お釈迦さまの手のひらの上でのこと。そこで成功者として世にみとめられるようになっても魂の基軸、言い換えれば自らを律する哲学や理念がなければ、行き着く末路はどうなることか、と寺島氏は警鐘を鳴らす。 没後四十年たったが、大拙は決して、遠い思い出話の人ではない。むしろ今こそ見つめ直すべきであり、宗教や思想の世界にかかわる人にとどまらず、経済人にとっても普遍の教えがあるのではないか。寺島氏の主張は、大拙と同じく東洋と西洋を行き来をする足跡の中で生まれた。(佐々木玲子)
2006.06.27
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順調に生育しつつある我が家のトマトです。トマトといえば、子どもの頃母がよく冷凍してくれていて、アイス代わりに食べたりもしたものです。でも今の子どもたちには不人気のようですね。うちの長女は、小さな頃食わず嫌いが多かったためいまだに好き嫌いが多々あります。食べられるようになったものも増えていますけどトマトが一番だめみたいです。それを食べさせようものなら、お好み焼きもたこ焼もきゅうりもピーマンも食べるけどトマトだけは食べられない、とふんばります。彼がそれでも「食え」と言っていたのですけど彼自身にも好き嫌いがたくさんあることを思い出し、長女はトマトを食べられなくても許されることとなりました。その紛争をはためにしながら次女は、嫌いなしいたけにも挑戦し、点数を稼ぎます♪そこまでも要求しなかった私は、やはり甘い親でしたねえ。食卓は子どもたちにとって大事な体験の場ですね。
2006.06.26
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~ネット署名をお願いします 26日の朝9:00まで~父が昨日の病院の検査で、甲状腺にできものがあるとわかりました。3年前に前立腺の癌を除去する手術を受け、昨年は、白内障の手術を2回受けた父です。甲状腺の機能が低下したというわかったとき、父はさすがに心細くなり、自分の財産のことや住宅ローンのことなどを私に話を始めました。その父が、火曜日に検査を受けるという話を昨日聞きました。その時、父は温水プールに行く直前でした。3年前の手術以前は父はよくジムに通い、日々運動をするのを心がけていました。でも昨年より腰が弱り、運動量も減っていました。それでもあきらめてはいないんですね。脳溢血で倒れて以来、10年間半身不随となっている母と、私と娘たちのためなんだなと私は思いました。医療は、生を支えるためのものであって欲しいです。ここからは、多田富雄 (東京大学名誉教授)さんの呼びかけです。「リハビリ中止は死の宣告」 私は脳梗塞の後遺症で、重度の右半身まひに言語障害、嚥下障害などで物も満足には食べられない。もう4年になるが、リハビリを続けたお陰で、何とか左手だけでパソコンを打ち、人間らしい文筆生活を送っている。 ところがこの3月末、突然医師から今回の診療報酬改定で、医療保険の対象としては一部の疾患を除いて障害者のリハビリが発症後180日を上限として、実施できなくなったと宣告された。私は当然リハビリを受けることができないことになる。 私の場合は、もう急性期のように目立った回復は望めないが、それ以上機能低下を起こせば、動けなくなってしまう。昨年、別な病気で3週間ほどリハビリを休んだら、以前は50メートルは歩けたのに、立ち上がることすら難しくなった。身体機能はリハビリをちょっと怠ると瞬く間に低下することを思い知らされた。これ以上低下すれば、寝たきり老人になるほかはない。その先はお定まりの、衰弱死だ。私はリハビリを早期に再開したので、今も少しずつ運動機能は回復している。 ところが、今回の改定である。私と同棟に180日を過ぎた慢性期、維持期の患者でもリハビリに精を出している患者は少なくない。それ以上機能が低下しないよう、不自由な体に鞭打って苦しい訓練に汗を流しているのだ。 そういう人がリハビリを拒否されたら、すぐに廃人になることは、火を見るより明らかである。今回の改定は「障害が180日で回復しなかったら死ね」というのも同じことである。実際の現場で、障害者の訓練をしている理学療法士の細井匠さんも「何人が命を落とすのか」と3月25日の本紙・声欄(東京本社版)に書いている。ある都立病院では、約8割の患者がリハビリを受けられなくなるという。リハビリ外来が崩壊する危機があるのだ。 私はその病院で言語療法を受けている。こちらはもっと深刻だ。構音障害が運動まひより回復が遅いことは医師なら誰でも知っている。1年たってやっと少し声が出るようになる。もし180日で打ち切られれば一生話せなくなってしまう。口蓋裂の子供などにはもっと残酷である。この子らを半年で放り出すのは、一生しゃべるなというようなものだ。言語障害者のグループ指導などできなくなる。 身体機能の維持は、寝たきり老人を防ぎ、医療費を抑制する予防医学にもなっている。医療費の抑制を目的とするなら逆行した措置である。それとも、障害者の権利を削って医療費を稼ぐというなら、障害者のためのスペースを商業施設に流用した東横インよりも悪質である。 何よりも、リハビリに対する考え方が間違っている。リハビリは単なる機能回復ではない。社会復帰を含めた、人間の尊厳の回復である。話すことも直立二足歩行も基本的人権に属する。それを奪う改定は、人間の尊厳を踏みにじることになる。そのことに気づいて欲しい。 今回の改定によって、何人の患者が社会から脱落し、尊厳を失い、命を落とすことになるか。そして一番弱い障害者に「死ね」といわんばかりの制度をつくる国が、どうして「福祉国家」と言えるのであろうか。 ネット署名はコチラからhttp://www.craseed.net/
2006.06.25
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古都金沢の町屋では、新築時や便所改修時に便器の下に 夫婦一対の泥人形を埋め、「厠の神さん」と言ってトイレの守り神としました。「トイレの神さん」を埋める際は、例えば、おはぎ(ぼたもち)や、 赤飯や紅白の餅などを半紙に水引を包んでお供え物として差し上げ、一緒に埋めました。近年もう出来上がったトイレには、泥人形のみを飾る場合もあります。☆トイレの神さんに関して*「トイレをキレイに掃除すると安産間違いなし」*「トイレをキレイに掃除するとよい縁談間違いなし」*「トイレをキレイに掃除する病気にかかりにくい」などと若い女性にかかわる迷信もあります。 昔は、大晦日の晩にトイレに灯明をともして新年を迎えました。今では少ない親から子へと伝えたい唯一、後世に伝えたい貴重な古都金沢のの風習です。 (石川歴史辞典にて)昨日こういうことがあったんです。私が仕事から帰ると、彼は珍しく脱いだ作業着を洗濯機に入れてありました。いつもは部屋に脱ぎ散らかしてあるのにね・・・ありがたや、と思い洗濯機を回した後、「くさくなかったか」と彼が一言いい、話し始めました。解体現場にて下水管をユンボが壊してしまい、その中の汚水が彼をおっかけてきていたのだとか。さぞかしユンボの運転手に文句をいったことだろう、と思いきや缶コーヒー1本でごまかされてしまったのだとか。で、そのあとどうしたかというとしっかりとその作業着を着たまま、仕事をして帰ってきたというのだからすごい。おまけに普段はさっさと帰る事務所にて20分ものんびりとしてきたらしい。「俺臭くないか?」と回りに聞くと「臭い」と言われたとか・・・当然でしょうね。社長なんていつもは「お疲れさま~」と彼を出迎えてくれるはずなのに昨日はさっさと帰ったのだとか。なにしろ、汚水を洗わずにかわかしただけでその臭いを事務所にもって帰っていたんですからねえ。何故平気なのかというと、彼の専門分野のひとつに配管工事があるので汚水処理の現場をいくつも経験しているからなんですよ。私は思わず抱きしめてあげました。「あんたには、トイレの神様も味方するよ~」ということで、今日は金沢から古来伝わっているトイレの神様の画像をアップ。その歴史は土偶の時代より伝わる郷土人形らしいです。
2006.06.24
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パッチワーク教室でのパターン“
2006.06.23
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若山雅子さんの作品を本で見てカントリードールに興味を持ち始めたものですから、カントリーな配色で作るハウスは大好きなパターンです。今回は生地の柄にこだわっていつもとは違う配色のハウスを作ってみました。手芸店で赤の柄の生地を見たときには、これが屋根部分だとすぐに決まりました。あとはすでに持っていた生地のなかから選びました。生地選びが楽しいひとときでもあります。
2006.06.22
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今子どもたちがまきこまれる事件が多いですね。その反面、子どもたちが引き起こしている事件も増えてきています。誤って転落してしまったり、親を殺して家に火をつける事件が続いて起こるようになったり・・・そうしたニュースを傍目に見ながら、他人事で知らんふりをしていることはできないなと思います。なぜなら、そのような子どもたちを増やしたくはないからです。うちには関係ないわ、なんて思わないでください。誰もわが子がそのようなことになると親は予想だにしていません。けれども、今の子どもたちに何かが抜け落ちてしまっているということを私たち親が認識することが大事だと思うんです。それは何かというと子どもたちは体験から学んでいるということです。長女の小学時代のたとえ話をしてみましょう。1・2年の頃でしたけどね、長女が遊んでいた友達は、外で遊ぶときもゲーム機を手にしている子が多かったのです。学童保育がない学校でもありましたから、共働きをしている親が、子どもたちにゲームを買い与えているケースが多かったのだと思います。そのような遊びの中で子どもたちは何を体験していけるでしょうか。最近外を歩くといたるところでメールをしたり携帯電話で会話している人たちを見かけます。喫茶店でデートするカップルが互いに向かい合って別々の携帯でメールをして時間を過ごしているのをみて、とても違和感を感じたのを覚えています。そういうカップルが結婚したとしたら、現実生活がうまくいかず、当たり前のように不倫をしていくんでしょうね。そのような形だけの家庭を持ち、架空現実の中で生きているような親の元で子どもが産まれ育つとしたら・・・今よりももっと希薄な現実の中でしか生きられない子どもたちが育つことでしょうね。危険予測ができない、子どもたち。事件やニュースを見て類似事件を簡単に起してしまう子どもたち。そうした子どもたちを生む背景には何があるのかを真剣に考えて生きたいと思います。
2006.06.21
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一番那谷寺らしい写真といえば、こちらでしょう。鳥取県三朝(みささ)町にある三徳寺の投入堂を思い出させます。、山岳寺院建築のつくりになるんでしょうね。その歴史は縄文時代にまでさかのぼることができます。白き神々の住む白山に魂が登り、清められて地上に回帰するという信仰が加賀にあったようです。それが、那谷寺の洞窟のなかに作られています。奇岩遊仙境を中心とした境内は、本当に山水画のようでした。素人の写真ですけどフォトアルバムにアップしましたので、ごらんください。
2006.06.20
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なた寺と読みます。15年ほど前、桜の頃に両親に連れられて一度訪ねたことがります。紅葉の美しさでも有名なところです。昨日突然思い立ってその那谷寺を訪ねました。いたるところに紅葉が植えられていることからして、秋の景色は、さぞかしすばらしものだろうな、と思わせる庭園でした。後ほど、写真を整理してアルバムにアップすることにしますね。
2006.06.19
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こっぺぱんとグラニュー糖を買ってくるように数日前に頼まれました。それで揚げパンをするというのです。揚げパンといえば、小学校の通学路に工場をかまえている揚げパン屋さんがありました。あんこの入っている揚げパンでしたけど大好きで時々買いにいっていました。今朝はさっそく彼が揚げパンを作ってくれました。できたての揚げパンはとてもおいしくて、子どもたちも1本半食べてしまいました。なのに、彼は2本食べて、私の分のおかわりだけがありませんでした。「ダイエットだから」ということなんだそうです。うーん、もっと食べたかったな。
2006.06.18
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今日の集合は朝6時でした。中学校文化連盟春季演奏会があるんです。明日は、明日で中部日本吹奏楽コンクールというのがあります。顧問の先生は、このコンクールの予選は一位で突破したいと言ってるんだそうです。指導力のある先生なので、子どもたちもいいところまでいくのではないかと思います。でも、私は熱心な保護者ではありません(汗)予選を通ると、県外に遠征に行くこととなり、それに親も応援でついていくことになるんだそうです。顧問の先生が前にいた学校では、全国大会にも行き、その応援についていったという保護者の話も聞きました。私は子どもの教育に関しては、放置状態かもしれません。次女がピアノを習い始めてからも本人が助けを求めるとき以外には、練習にも口を出しません。でも本人が自覚してそれなりに練習をしているみたいです。勉強に関してもそんな感じ。ですから、「勉強しなさい」なんて口出しをする必要がありません。にも関わらず、生活面においては過保護に育ててしまったみたいです。なんでも聞いてくる子どもたちを前にして彼が「私の育て方が悪い」と文句を言います。そんな~、完璧な子育てはむずかしいよね。写真は、天龍寺の裏手にあった竹やぶです。天龍寺の中から撮ったんでこの角度でしか取れませんでした。でも嵐山の大自然を庭に取り込んでいるという感じで素敵でしたね。
2006.06.17
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今度は思い切って1週間くらいお休み体制でのぞむことにしました。っていうより、仕事が来ないうちは毎日がお休みなのですけど、いつもは数日家にいると「そろそろ仕事しなきゃ」と自分を追い立ててしまうんですよ。その間にこのところたまっているパッチワークの課題に集中することにしました。それと同じのんびりでも、時間をうまく活用して、午前中の体調のいいときにジャズを聞きながら、手作りの時間に決めました。子どもたちが登校する前と、帰ってきてからが家事の時間。次女は、帰るときに私に家にいて欲しいみたいなので、午後一番に買い物に行きます。それから、思いついたことはなるたけすぐに実行に移して、時間に流されないで過ごすようにしてみました。仕事をしている一日も家にいる一日も同じ時間が流れていきます。自分がどう使うかだけなのかもしれませんね。日を追うごとに体の疲れが取れていくのがわかります。思っていた以上に疲れていたみたいですね。写真は、京都で過ごしたのんびりとした時間の風景です。
2006.06.16
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本当は私のドールが飾ってあった玄関先なんですけど、最近そのスペースがどんどんと狭くなってきました。そして、とうとう彼はそのスペースに命名までしてしまいました。そうです。骨董集めが趣味と化してきたのです。解体業者がお得意さんですから、めざとく見つけたものをゲットして帰ってきます。一番右端のアイロンを次女が見たときには、感動していましたねえ。「このアイロン、社会の教科書に乗ってる~」って。大正時代のものらしいです。その手前にあるのは先日のフリマで彼が見つけてきた九谷焼です。「四角いのは珍しい」と彼はほくほく顔。南部鉄瓶なんぞ、私が興味を示さないものなら、すねて大変です。いくつ持って帰れば気がすむのやら・・・(笑)さて、自分の興味のあるものは次々と持って帰ってくるのですけど私の最大の関心事である絣の着物だけは持って帰ってきてくれませんでした。せんだっての京都のとある神社で手づくり市が行われていました。絣の着物の値段を見せて、こういう値段だからすっごい貴重なんだよ、と学習させてきたにも関わらず、目の前で解体された蔵の中から着物が山ほど出てきたいうのに手土産はなし・・・このときばかりは、私もかなり文句を言いましたね~。その文句がきいたとみえて、翌日木屑だらけの中から着物を数点持ち帰ってきてくれました。しかも中に白絣が一枚入っていました♪黄ばんでいても、ほどいて反物にしたもので1メートル1500円もするんですよ。さっそく綺麗に洗濯してアイロンをかけましたよ。近いうち、フリマには骨董品コーナーもできることでしょうね。もっとも彼は、フリマにはいいものは出さないといいます。なぜなら、価値のわかる人よりも安く買いに来る人ばかりだからです。でも私は夢見ているんですよ。和洋いずれのカントリーなスペースに手づくりも満載のショップです。
2006.06.15
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そろそろ手づくりを思う存分楽しむ時間が欲しいなと思っておりました。とそこへ、あと1週間は続くはずの仕事が急にキャンセルになりました。昨日は来週の半ばまであるといわれたところだったのに、次に納められるものが遅れるとこととなったのです。思いは、大事にしないといけませんね。こんなにもすぐに実現するんだから♪さて、昨日たまたまテレビにて飛び込んできたのが今年の異常気象について、です。例年よりも日照時間が少なくなっているのは、この冬がいつもよりも厳しくて例年より海水の温度が2~3度低いのが影響しているために雲ができやすいのだとか・・・日本海側は、曇り空になれていますけど太平洋側がぐずついた天気が多いということなんでしょうね。その異常気象が災いしてか体の方もすっきりしない人が多いですね。我が家は子どもたちは元気になりましたけど、今度は大人の方に影響が出ているみたいです。風邪とまではいかないものの、疲れがたまっていて体のあちらこちらに炎症がでていたりしています。ということで私はのんびりしてみようと思います。写真はアルバムには公開していない、信長の館の和紙人形です。
2006.06.14
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アルファベットのTの字が斜めに並ぶのですけど、ブロック同士のはぎ目に逆さにTが表れるのでダブルTとも言われています。先月は、抜けられない仕事があって、2回教室を休みました。その後は、休みが取れる仕事なので教室には参加できていますが、たまたま先生の都合で2週間おきのものが毎週あるんです。課題の方がおいついていません。久しく手づくりをする時間が持てないでいると、“作りたい病”になるんですよね。とりあえずは、今日一日仕事に行くと明日はパッチワークの教室です。手づくりディーにしようと思っています♪
2006.06.13
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「地球に旅立つ光輝くものたちは、この使命と記憶を、 地球の変革期にいっせいに「思い出す」ことにしたのです。 光の存在のひとりとして生まれた人の記憶の底には、 特定の音、色、光、イメージ、言葉、シンボルなどに対して、 共鳴して振動することを取り決めた記憶が内蔵されています。 そして彼らは、共鳴のきっかけとなるもの-美術や音楽などの芸術、 優しく包み込むような表情、会話、感情などを そうとは意識しないであらゆるところにふりまくのです。 それらを見たり聞いたりした人々が、めざめへの 深いあこがれをつのらせ、愛を見出していくことになります。」 アリエールスピリスバリー作 宮武恭子訳 『マヤンオラクル』より言葉にならない想いを伝えるのには、言葉に頼るよりもむしろイメージで伝える方がより伝わるのではないかと思っていました。実は、私が手づくりをするときにこめている想いがあります。マヤンオラクルの本を久しぶりに読み返したときに飛び込んできたのが上述の文章です。その時に、マヤンオラクルを検索して、訳者の宮武恭子さんのブログを知ることとなりました。サイトのトップページにこの部分の文章を飾りたかったのでそのことを問い合わせてみました。著作権について知らなかったからです。でも、著者と訳者の名前を載せているならば、引用してもよいのだと教えていただき、新しく立ち上げたyumemirutokiのサイトにこの文章を載せています。yumemirutokiは、主に文章をメインにして、ネットショップとは別に、愛と魂のサイトとして運営しています。
2006.06.12
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今日は朝から大忙し。夕食のカレーを作ったあとは、まずは、町内の一斉清掃に参加しました。そのあとは、麒麟ビール工場にて行われる、フリーマーケットに出店すべく、車で向かいました。今回も50店舗ほどの店が並んでいました。ここのところ、手づくりをする時間がなかったうえに、フリマに出す品物もなくなってきていたので友達と一緒に出店することになっていたので友達に電話をすると今回は2区画を申し込んでいたとの事。なんと私を入れて4人が2区画に店を並べることに・・・でもここのフリマの区画は広めに作ってあるので、狭いかなと思う心配をする必要はなかったです。彼女とは1年ほど前に初めてこちらでフリマを出したときに親しくなって以来のおつきあい。ビーズアクセサリーの素敵な作品を作っています。近いうちに彼女のビーズの作品も私のネットショップにて紹介できる予定です。さて、今回は売上げを出すというよりもここのところ仕事に追われて、本業とすべき手づくりがおざなりになっていたのでその意識を転換するきっかけにしようと思いました。そうすると不思議なことに手づくりに目を向けて買ってくれる人が現れてくれるんですね。ある方は、パッチワークの額をまとめて4点買ってくださいました。その方のつれはアメリカの男性で、私のお気に入りのスーちゃんのパッチワークをその方に見せて「スーちゃん」という名前を教えていました。スーちゃんはパッチワークのパターン名なんですよ。本当はもう1点もほしかったようですけど、「5点でその値段は、手づくりの値段じゃないわよ。もっと色をつけてあげなきゃ」と私の作品をすでに買ってくださっていた、隣のお店の知り合いの方が、クレームを入れてくださってあきらめてくれました。というか、作品を気に入ってくださった方が「安くして」と言われると私も弱いんです。でも私のショップ名をネットで検索して見てくれるとまで言ってくれましたから、そういう出会いが得られるってことが大事なようにも思いました。それにスペースが狭いことで、どうレイアウトすれば自分の売りたいものが売れるのかがつかめたし、在庫がなくなったことで必然的に手づくりに励まざるを得なくなりましたから、収穫は大きかったかもしれません。そういうひとつひとつの体験を大切して前へと前進していこうと思いました。写真は、上述に出てきたスーちゃんです。
2006.06.11
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本を読み終わるよりも先に映画を見てしまいました。本を読んでから見たほうが、詳細がわかってよかったことでしょうね。小説家は、インスピレーションにより過去を、時には未来を垣間見ることがあります。その真実をフィクションの中に織り込んで壮大な世界が出来上がっていきます。ダヴィンチ・コードのどの部分が真実であり、どの部分がフィクションなのかを問題にする必要はないないことだと思います。それはお話として描かれていますから。けれども真実とは、本当は星の王子様の言う、心の目が大事なんだということなのだと思います。イエスが人々に伝えたかったのもそのことと一致しています。ユダヤ教の教えを遵守するよりも愛を尊びなさい、と彼は教えました。支配者が宗教を利用しはじめた時点で、それは真実とは離れて一人歩きを始めてしまいます。ジョセフ・キャンベルが神話の歴史を紐解いていて、その地その地にあった民俗信仰を編纂したものが聖書だと書いておりました。そのように正史しから隠されていたものが光をあびる時代が来ているようです。アマテラスは天の岩戸にお隠れになった。そうして出てきたのは、女性ではなく男性のアマテラスだった、と言う説が今ふっと思い出されました。マルコ・ポーロの『東方見聞録』には黄金伝説として日本が挙げられていますけど、アマテラスまでさかのぼる日本にもまた、深い真実が隠されていると私は感じています。
2006.06.10
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そして最後の写真がこれです。これ以上大きく私が写った写真はありませんでした。アップに耐えられないと彼が判断したからでしょう(笑)京都からの帰り道、尼御前のSAに止まり、尼御前岬を見にいきました。すぐ裏手にあるのにまだ訪ねたことがありませんでした。安宅の関よりも手前です。ここで、尼が源義経の足手まといになってはいけませんから、と身を投げたのだそうです。最後に京都で訪ねた三十三間堂は、平清盛が完成させたものだと言います。その歴史の流れを追ってきたようなものだなと思いました。金沢は小京都と呼ばれているだけあってやはり寺社が多く存在しています。能登の方にも有名な寺があると新聞に載っていました。遠出するのもいいけど、地元を探索するのもいいかもね、と二人で話しながら帰ってきました。追伸:写真は期間限定です。
2006.06.09
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嵐山についたのは夕方でしたから、散策はできたのですけど、みやげものやも店じまいの準備にかかっていました。日本の名園といわれる天龍寺も閉館していましたから、翌朝一番にそこを訪ねることにしました。天龍寺は、庭の鑑賞がメインで入場料を取っているくらいのところで、すばらしい庭でしたね。紅葉の頃にもう一度ここに来たいものだと思いました。二日目、三日目は天候にも恵まれたので新緑をたっぷりと堪能できましたね。そして、天龍寺を出た後は甘味処で一服♪そのあとは思いたって、三十三間堂を訪ねました。修学旅行の時には見ているはずなのですけどあのころは興味を持たないで通り過ぎていたんですね。かれは絵葉書ではものたりず、写真の載ったパンフレットを購入。そのあとで、曼荼羅の絵にも興味をしめして買いました。曼荼羅って男女の姿をあらわしたものなんだよ、っていうとえっ、なんて顔していました。ダヴィンチ・コードにも通じてくるのですけど隠されたコードとは、真実の愛なんですよね、たぶん。(実はまだ本は、1巻目の途中なんです)今回の旅行は、二人の時間を綴る旅行でもあったからとてもよい時間となりました。さて、写真は100枚以上撮っていましたが、その中から半分ほどのものをアルバムにアップしました。スライドショーで見ることができます。ゆっくりと京都を味わってみてくださいね~♪
2006.06.08
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今回のテーマは織田信長と新撰組ということでしたから、二日目は、東本願寺まで散歩して、ホテルを出た後は坂本竜馬の墓を目指して行きました。前もって地図を見ておけばよかったのですけど、京都のことを知っている風の彼にまかせていたので実際に車に乗ってから私がナビゲーターをすることに・・・今回の教訓としたのは、彼が運転して行く旅行には道に迷う時間というものがいる、ということでした。地図を見ないで方向感覚だけで走るので、いつかは必ず目的地にはたどりつけるけれども時間がかかるということがわかったんです(笑)めざすものは円山公園の上の方にありましたけど、地図には説明がないのでそこにたどりつくのが大変でした。京都の寺は本当に大きいし、たくさんあるというのを実感するような場所でしたね。その坂本竜馬の墓のある高台からひとしきり、京都の町を展望するとあとは予定をたてていなかったので、嵐山に行くことにしました。彼は30年以上も前に訪ねたきりだといい、私も20年ほど前関西に住んでいた頃に電車で訪ねたのが最後でしたから、お互いに新鮮な気持ちで河原を散歩しました。夕陽が沈むのを見ながら、ゆったりとした時間が過ごせました。
2006.06.07
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2日は朝5時に出発しました。北陸自動車道を走り、八日市インターにて降りました。最初訪ねたのは、安土に作られた信長の館でした。スペイン・セビリア万国博覧会に飾られた小田信長の安土城の天守閣を展示してあるもので、ホームページの写真のごとくきらびやかなものになっていました。豪華な城もさることながら、その城を作る過程をドールハウス風に展示された石を引っ張る人々の姿や、和紙人形に目がとまりました。その日は京都タワーホテルに泊まって、京都の夜景を展望台から一望しました。夕食は、彼ご推薦の舞坂のうなぎです。
2006.06.06
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前回旅行したのは2年前かな。その時は日帰りだった上に、急に思い立ってでかけたので、金閣寺と清水寺を見ただけでした。今回は、それ以外の有名な観光スポットをめぐってきました。二人とも関西に住んでいたので京都は何度も訪ねたところではあったのですけど歴史と自然をテーマに散策をしてきました。とてもよい時間を過ごせましたね。写真は、これから整理してアップします。よくばってとってきたので私のノートパソコンでは処理しきれず中途半端になってます(汗)三千院の新緑の写真をまずはご紹介です。
2006.06.05
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これから、関西方面に出かけてきます。今回は、織田信長と新撰組のコースになるんだそうです。今夜のお泊りは、京都の駅近くのホテルを予約しました。心配されていた天気も回復し、いい旅行になりそうです。隣で、過去の京都の写真を見ながら、一人ぶつぶつと思い出話に花を咲かせているやつがいるので、そろそろ出発します。ネットショップにて更新ができればいいですけど、帰ってくるのは日曜日の夜になります。それではいってきます♪
2006.06.01
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ちょっと贅沢なフープです。いわゆる刺繍枠のようなものです。これをキルトラインを縫うときに使います。普通は、台座がなくフープを手に持って使うのですけど、これには手づくりの台がついています。最初はカメラの三脚にとりつけられるようなものとして開発されたのですけどオリジナルな台がついています。角度も自在に変えられて、非常に便利なものです。パッチワーク歴は、カントリードール歴ほどに長くもないのですけど贅沢なこのフープを手に入れてしまいました。このフープを使用した方が、体に負担なく長時間、続けることができるだろうなと思えたからです。実際、4年越しになるこの作品は、3センチに満たない大きさの中に納まる八角形を縫い合わせています。このような小さなピースにキルトラインを入れるには強い味方になるのではないでしょうか。昨日一ヶ月ぶりにパッチワークの教室にも参加することが出来ました。その課題作品のかたわらにこのキルトにもかかっていきたいなと思っています。
2006.06.01
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