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とうとう2006年もあと残すところわずかとなってしまいましたね。今日は、家の大掃除と買い物に追われ、パソコンに向かうことがなかなかできそうにありません。年をあけてまた時間のあるときに皆様のところには遊びにいきたいと思います。一年の締めくくりには、この素敵な文字の入った写真をアップしておきます。これは、別のSNSで知り合った友だちに夢と言う文字をかたちどったパッチワークを作りたいので書いて欲しいという私のリクエストに答えて書いてくださった文字です。ちょうど家には色紙を入れる額があったので(彼がおみやげに持って帰ってくれていた額の中にありました)さっそくその色紙を入れて部屋に飾りました。実は、私はCOUNTRY夢見というショップ名を掲げていましたし、彼と出会ったときの彼のハンドルネームは夢太郎でした。その夢という字がまた、二人の距離を縮めてくれたものです。そして、彼が仕事で関西にいた頃、法隆寺を訪ねて夢という文字の入ったお守りを私のために買ってくれました。二人が現実に出会うこととなったのもそのお守りを届けてくれるというのが縁でした。そういった意味でも、夢と言う文字にはいろんな想いが含まれています。来年はもっと夢をいっぱい実現していく年になることでしょう。みなさんにとっても良い年となりますように♪
2006.12.31
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昨日の午前中はひさしぶりに整体に行きました。我が家にマッサージチェアが来て以来、整体を必要とするほどに体を悪くすることがなかったのですけどさすがにせんだっての福箱の仕事の後遺症が後をひいて、いくらコリをほぐしてもゆがみを治すことができないことが判明。昨年同じポストをしていた人が、腱鞘炎になりそのポストに後半携わったゆえの結果なんです(涙)腰のゆがみを治してもらったら少し楽になりました。そうしたら、ついここのところ針がもてなかった反動で手づくりを始めてしまいました。いえね、この百徳キルトカードの台紙があと一枚あったので一人これを贈りたいなと思っていたんです。年賀状は喪中のため出せないということもあり、年内に仕上げて発送したいなと思っておりました。今回は前回のポーチの時に手に入れいてた古布を少しアレンジして、あのときに習った刺繍を入れてみました。クレージーキルトスタイルで縫い合わせるだけでしたら1時間少々あれば終わるのですけど刺繍に凝り始めてとうとう夕方までかかってしまいました。あとは1月1日生まれの母のためにももう一つ和の作品を作りたいなと思っているのですけど・・・でも、大掃除しなくちゃね(汗)
2006.12.30
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これは次女が学校の家庭科で作ったもので、春の小ブクロという名なんだそうです。お姉ちゃんのお古の裁縫箱を使っているのですけどお裁縫は好きなようで、この小ブクロセットを作ったあとお友だちのお誕生日だからと同じ家庭科の本を見て、フェルトでティッシュケース入れを作りました。さて、今日は久しぶりに整体に行くことにしました。年末年始は病院も休みになるから、整体に行け、と彼も言ってくれましたから。
2006.12.29
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やりたいことはいくつもありますけどとりあえずはゆっくりと休んで、体調を整えます。今日はレンタルビデオのお店と図書館へ行き、そのあとは買い物です。去年も今ごろには年末休みに入っていたと思うのですけど、その頃に父を病院に連れて行ったり、相変わらず忙しくしていたみたいです。そうそう、去年の今時分にアンサンブルコンテストがあり、去年はクラリネット部門は、金賞を受賞するも予選を通過することはできませんでした。が、今年は見事予選を通過し、次の県大会に出ることになったみたいです。年明けに県大会があるのでそれに向けて今日年内最後の部活に行きました。昨年は大雪で送り迎えをしていましたが今年は暖冬ゆえ、雪が全くふらず、寒い中自転車で通っています。たくましくなってくれたものです♪
2006.12.28
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ヘクサゴンを使ったパッチワークは、結構好きなんでいくつか作品を作っています。その中で今日は携帯ケースをご紹介しますね。ところで夢キルトについては応援してくださってありがとうございます。でも急いで仕上げる予定ではないんですよ♪お正月休みにのんびりとかかりたいなと思い、その段取りにかかったところです。今日も仕事なんですけど福箱の後遺症で腰痛ではなく背中に痛みがあってすわり仕事にも関わらずちょっと大変な状態です。明日からは、雪が降るとのことなので年内の仕事は今日までで終了させて明日からは家の大掃除なるものにとりかかってみようかな、と思っています。ということで今日は、足跡だけで失礼するかもしれません。
2006.12.27
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夢という文字をパッチワークで作ってみることにしました。それは、私が考えたのではなく、図書館で借りたパッチワークの本に図案が出ていたんです。でもその通りにするのではおもしろくないのでちょっと手がかかるのですけど、22mmのヘクサゴンのペーパーライナーを使って小さな布を継ぎ合わせたもので文字を作ることにしました。22mmの六角形の布であっても色柄によって表情がひとつひとつ変わります。9月に和布の福袋セットを購入していますから和布のうち赤の系統の布を引っ張り出して最初に段階を作り始めたものがこの写真です。このように公言すると必然的に行動に移さざるを得なくなります。けれども自分で自分を追い込んでいく、というのは、何かを成し遂げるのには大切な行為でもありますよね。
2006.12.26
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私が別れた夫は、最後の最後まで、公文ではなく、そのらくだのプリントをさせないといけないのかわからない、と言いました。嫌がっている子どもにさせる必要はないじゃないか・・・長女は、公文の夏の無料体験というのに通ったのですけど、そのころすでに、私の方はらくだの塾に興味を持っていましたからね、私の提案で娘にらくだのプリントをさせてみました。すると、比較的算数の得意な娘は最初の頃はらくらくとやっていたのです。でも、制限時間と正解率をクリアしないと次のプリントに進めないのでむずかしい計算になると同じプリントをずーっとしないといけないんですよね。それがおもしろくなくて、立ち止まってしまいました。これこそが、できないことと向き合う瞬間だな、と思ったのですけど、その体験を続けさせることができなくなったのは、その体験を理解できない夫が、いたからでもありました。「ああ、この人といたら、私は自分のやりたいことを実現する人生を生きるのは無理だろうな」と思った瞬間でもありました。さて、そのときから、今度は私が壁にぶつかりました。この人と生きる人生を選択し続けるのか、それとも新たな人生を切り開いていく選択をするのか・・・・どちらが簡単かといえば、それまでの人生を生きる方、のように思えました。だって、そこには安定する形が存在するのですもの。子どもたちにとっても、です。少なくとも生活費の最低限なものを夫から確保できましたし、それがある以上、子育てサークルのネットワークを支援する、なんていうボランティア活動をしながら、その傍らで仕事をする、という程度でも十分だったのです。その答えを出すまでに1年かかりました。そして、そのことを決めてから、それを実現するまでにもう1年かかりました。その2年間こそが、「夜な夜な何かに追われる苦しい自分」を感じ続けていた2年でもありました。でも次のステップに続く、大事な期間でもあったのでしょう。その結果が、今の私です。さて、写真は昨夜のクリスマスの夜に撮りました。ケーキの後ろにあるライトは長女が美術で作ったものです。ペットボトルに紙粘土で細工したみたいですけどなかなかロマッチックな演出になりました♪
2006.12.25
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一つホームページを紹介します。http://www.rakuda-kyoiku.com/index.htmlスクールらくだというサイトです。実は、鳥取にいたころ、シュタイナー教育が縁で、シュタイナー教育の読書会やっている方と知り合いになりました。その方が、その数年後、塾を始めたのを新聞で知りました。シュタイナー教育は、そういう学習塾とは無縁の考え方をしているから、なんか変だ・・・と思いながら、訪ねたのがきっかけで私もそのセルフラーニングの教材について知ることとなりました。それがきっかけです。おもしろいのは、その設立者である平井さんの考え方です。私は、何年間か、そこの講座に通いました。離婚する1年くらい前までは熱心に通ったかな。ただ、離婚するのを本当に決意するとね、お金がいるでしょ、それでそれまで自己投資としようして、その講座にかけていたお金をひたすら貯金にまわすようになったの。もし興味をもたれたら、のぞいてみるのもよし、でもそれを紹介するのはね、平井さん自身がかつて神経症をわずらいながら、それを克服するというか、神経症をつきあいながら生きる、ということを実践された方だからなんですよね。ですから、引きこもり暦のある弟をつれて東京に行った時にも熱心にお話をしてくださって、もともと数学科出身の弟は、その教材にも興味を示したんですよ。私の夢のひとつは、自宅で手作りショップをやると同時にそのセルフラーニングの塾を開設することでもあったの。鳥取にはすでにいくつかあるんだけど、石川には公文はたくさんあってもその塾はひとつもないんですよね。ただね、難点はお金がかかるってこと。学研や公文を開くよりも準備するお金の単位が大きいみたいなの。それに講座を受けないと塾を開けないしくみにもなってます。なぜって、その塾は、プリントがすごいだけではなくて、指導力が問われるからなんですよ。自分でできるようになる、子供の力を引き出すのが目的であって、プリントはその材料にすぎないのですもの。そして、やる気のない人間からやる気を引き出すのってとてもむずかしいことですよね。でも一時期無職で部屋に閉じこもるような生活をした、平井さんだからこそ、自分の中のやる気を引き出すコツを実体験されたのでしょうね。実は、今でこそ私もネットショップをやったり、近所のスーパーが店舗モニターを募集していたら、その登録を試みたりするくらい積極的に行動できるようになったけどもとはといえばそうではなかったの。自閉症と自殺する人間の気持ちがよくわかる、って十代の頃思っていたものです。たぶん、自分の中の思考をコントロールしていくっていうことが、自分でできるようになるっていうしくみなんだと思う。誰でも好きなこと、興味のあることに対しては積極的に体が動くじゃない・・・でもやりたくないこと、やらなければならないことの場合は、そうも行かない・・その、やりたくないこと、やらなければならないことにどう向き合っていくかが、この塾で子供達が学んでいることなの。勉強が好きな子であってもね、新しい単元に入って、思うように、計算ができない場面にぶつかるとね、プリントに向かうことができなくなるの。(いい例が、我が家の長女でしたね~)けれども、やりたいことだけをやっていれば、うまく生きていけるのかといえばそうでないの。やりたくないこととも真正面から向き合っていける人間が、自分をのばしていけるのよね。これが今ばやりの成功した起業家たちとも共通したことでもあるようです。夢を実現するコツとはそんなことをも含んでいるみたいです。(この夢を綴るシリーズは、2005年2月に別のサイトに書き綴った日記の転載から始まっています。)
2006.12.24
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COUNTRY夢見という、サイトを立ち上げたのは、私が夢見る夢子ちゃんだから、というのではない。ただ、私と娘たち二人の頭文字を取ったらyumemiだったということから思いついた名前である。でも、この夢見という、言葉は今の私には、大きな意味を持っている。キーワードは、夢。精神世界では、現実こそが夢の世界であり、夢こそが、真実であるという。シュタイナーもそのようなことを言っているのを覚えている。それは、どういうことか・・・一流大学を出て、一流の会社に入る、という目的は、現実の中で大切なことのようであって、ただの“はかない現実”である。本当に大切なのは、その受験生活の中で、夜な夜な何かに追われ続ける苦しい夢を見続けている自分がいる、ということであったりする。そんなことはわかりきったことじゃないか、と人は言うかもしれない。そのわかりきったことをなしえるかどうか、が夢を実現できるかどうか、にかかっている。写真は鳥取で最初に私の作品を委託したショップの風景。池に転落して脳に障害を持ってしまった息子さんのために開いたという手づくりショップです。中央には母の作った薔薇を飾ってもらいました。
2006.12.23
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今から、14年前のこと。どうして覚えているかというと、長女が今14歳だから。その頃の私には、今の私は想像だにできなかった・・・・パッチワークには、確かに手をつけていたけれど、子どもが生まれる直前に針を止めたまま、だった。慣れない子育てに終われ、子どもが寝た直後に、取り出す赤毛のアンのシリーズの本を読む時間がゆいいつの楽しみだった。そして、その頃、私はノートに書いていた。自分の将来設計を一年きざみに記していた。半年後に、就職、そしてその3年後に次女を出産。そして、車の免許を取る。次女を保育園に入れて、再就職。それは、一年とたがわず計画通りに運ばれていった。ただ、予定外だったのは、二人の子どもが、保育園に通うようになって引き続いて喘息を発症したこと。そのときから、人生の流れが変わった・・・・流れるまま、周りにあわせて生きる人生から、自分が選択する、人生に。夢とは、自分の選択した人生を生きること。写真は、まち針をつけたまま眠っていた、パッチワークのパターンを仕上げたものです。
2006.12.22
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この本は学生時代に、父の書棚で見つけました。残念ながら、2階の書庫に行って探しましたがこの本は見当たりませんでした。たぶん、大人になってからもなお読み返すために書庫から持ち出してそのまま鳥取に置いてきたようです。ということで私の右脳のイメージより感ずるままに展開していこうと思います。この異星の客とは、火星で育てられた地球人を意味しています。彼は、火星にてただ一人取り残されて、子ども時代から過ごすこととなりました。彼を育てたのは、火星に住む長老たちです。私の覚えている印象では、火星人である長老たちは、日常生活を営むことよりも冥想にて時間を費やすような人たちであったみたいです。そして私が興味を持ったのも実はこの部分です。冥想をすることを常とする人々、しかもそれは地球という星ではなくまったく異なる星に育つということ・・・それが何を意味していたと思いますか?そうです。一言で言えば、主人公は星の王子様のようなタイプに育ちました。要するに“地球”という思考の枠に染まっていないんです。さて、みなさんは地球人という思考を考えたことがありますか?自分よりも集団を重んじるような日本人の特性、おおらかで個人主義なアメリカ人の特性、質素堅実なドイツ人など、その国の人にはその国のパーソナリティを備えているように地球の人々は地球というある種の癖をもった思考に染まっている人が多いのですね。その思考について深く知りたければ、『神との対話』(ニール・ドナルド ウォルシュ著) をオススメします。その本には、国というもの枠を越えた地球レベルでの思考が語られていますから・・・この異星で育った主人公は、公証人なる人々を従えて地球の人々に影響を与え始めます。公証人とはどういう存在かというとこれがまたおもしろいんですね。感情を交えず、あくまでも事実だけを取り扱うということを本分としているんですね。また、印象に残ったのは、彼が物事を深く理解することです。知識として知ったという段階ではなく認識(グロク)という段階までもっていきます。ところが、自分の感情というものを自己中心的に捉えている人々にとってあくまでも自己中心ではなく、冷静かつ客観的に、たとえば正義というものをもとりおこなうような人々は、目の上のたんこぶのような存在となります。そして救世主イエスさながらの展開が、そこには生じます。彼は、私たちには害を与える存在だから抹殺してしまえ!そしてその結末は・・・これは私の描いた世界です。本に描かれた世界はもっと違うものをも意味しているのかもしれません。それは、皆さんが読んで感じてみてください。
2006.12.21
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白いキルトをテーマに作品を作り始めたのは昨年の冬・・・そして、メモリアルフレームという命名をいただいたのが今年に入って間もない頃でした。雪うさぎを作ってみたら、とリクエストされたのは2月くらいでしたでしょうか?それから10ヶ月たってようやく娘の作った雪うさぎをモデルにしたメモリアルフレームができあがりました。最初は、赤い木の実の枝を刺繍しようかと思ったのですけど16×16cmのフレーム内でのシーンですからそこまでの凝る必要はなかったみたいです。それでもイメージしたものがほぼできあがりました。パッチワークを始めたきっかけは、カントリードールのスキルアップが目的でしたけどこの布絵というスタイルはとても気に入っています。色だけではなく、布の素材感を生かしてシーンを作り出すというのがとても面白いのです。そこで大きな作品を作ろうとすればやはりミシンの手を借りる必要が出てきます。来年は大作に挑戦してみたいですね♪
2006.12.20
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今日の話題はなんといってもこのミシンです♪とうとう、我が家にやってきました。パッチワークの先生に紹介してもらったのですけど、先生いわく、「キルターのステータス」のベルニナミシンなんだそうです。それまで使っていたミシンは、長女が生まれる前に買って14年間使っていました。その頃ハイツのお隣に住んでいた方が、手芸が好きで、ブラザーのコンピューターミシンを持っていました。そのミシンのアフターケアをされているブラザーの会社の方から、そこそこ使えるミシンを、ということで買いました。保育園に入る頃より、子どもの袋物を初めとして愛用してきたのですけど糸調子が合わないことが多くてその糸調子に時間を取ることが多々ありました。どうやら、ミシンの手入れをちゃんとしていなかったことと、針の取替えなど扱い方を知らないでいたことが原因かも、と知りましたね。昨日は、私のクリスマスプレゼントとなるミシンのために半日で仕事を早退して帰りました。午後からの和布のパッチワークの時間は、この新しいミシンの講習会となりました。パソコンを使い慣れている分、操作を覚えるのはむずかしいことではありませんでしたが、あとは、それを手づくりに生かせるかどうかは、私の腕次第っていうところでしょうか。今朝は、このミシンをケースから出して二人で写真を撮りまくりました。なにせ、我が家のパソコンよりカメラよりも高くついたミシンですから(笑)
2006.12.19
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~何もしない~意外とここのところがむずかしいみたいです。たとえば、私は弟が引きこもりをしていた頃、特別なことは何もしませんでした。特別なこと、というのは言い換えれば余計なこと、と言ったらよいのだと思います。たとえば、「いい加減に仕事をみつけなさいよ」とか「こんな状態を続けていてどうするの?もっとちゃんと考えなさいよ」と言った言葉でしょうか。引きこもりをする子どもを持つ親ならば、子どもの将来を案ずるあまりそのようにあせってしまうんですね。前回記した、泣き止まない子どもに関しても同様です。泣き止まない子どもを抱くと何とか泣きやまそうとあの手この手を聾します。何かに意識を向けようとやっきになってみたり・・・私は、ただその子の不安が解けるのを一緒に待っていただけです。お母さんと言って、部屋の外を指差す子どもがいれば、一緒に部屋の外に行きます。それから、「まだお母さん帰ってこないね」といって一緒に待ってあげます。「すぐに帰ってくるからね」というように言葉であやしたりはしなかったです。そのうちに落ち着きを取り戻した子どもは、自然と遊ぶことに目を向け始めます。そうすれば、もう大丈夫です。今でこそ、そのことを言葉にできますけど以前は言葉にならない感覚的なものとして私は自然に行っていました。相手がのぞむことを肌で感じ取っていたという言葉の表現が正しいのかもしれません。これを今風の言葉で言えば、コーディネーター力というのでしょうね。その場を読む、ということ。さて、今日の写真は去年次女が作った雪うさぎです。今この雪うさぎをモデルにパッチワークの作品を作っています。
2006.12.18
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~コミュニケーションの原点~20歳を過ぎた頃、私はベビーシッターの仕事を手伝うことがありました。講演会を聴きに来られた方たちの子どもさんたちを少しの時間預かるんです。普段から、預けられた経験のある子どもたちは、その場にも慣れていますから、泣くこともなく、思い思いに遊んでいます。ところが、初めて預けられた子どもの場合は、そうもいかないケースもあります。何人かがあやそうと試みるのですけど、激しく泣いたままの女の子がいました。私は少しの間、その子を抱いていました。すると、その後も少しの間は泣いていましたが、次第に泣き止んでしまったので、まわりの大人たちは、びっくり・・・何か特別なことをしたわけではありません。でも私は、知っていたんですね。今ならそのことを言葉にすることができます。子どもたちは、初めての場では不安を感じます。けれども相手が自分を受け入れてくれていると感じることができたならば、その不安を解くことが可能なんです。その感じるという世界で、人のみならず、動物も本来コミュニケーションをしています。次女がまだ幼稚園にも行かない頃、手づくりをはじめて間もない私が、手芸屋さんが展示会を催した会場へと足をはこびました。夢中になって生地を見ている私の傍らにいた、娘がいつのまにか同じぐらいの年齢の男の子と走り回っています。その二人には、会話はいりませんでした。目と目を合わせて次の瞬間にはもう以前からの友だちのように心を通わせていたんです。人は言葉を扱うようになり、大事なことを見失ってしまいました。それは、何かというと心です。想いとはうらはらな言葉を操るうちに大事な心を見失ってしまいました。どんなに“愛している”という言葉をささやかれても何人もの女性と付き合う男性に心を許せるでしょうか?その女性はどこかで不安を感じているはずです。「私は本当に愛されているのかしら?」と。それでもたぶん、その女性は自分に言い聞かせるのでしょう。私は愛されているはず、だと。星の王子さまの本は、そのことをも教えてくれています。“本当に大切なものは、目には見えないんだよ。”
2006.12.17
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~感情から学ぶ~人は体験から多くを学び取っています。そのひとつの例としてわが子の作品を紹介したいと思います。きつねのコン太くんの“みんなの温泉”というお話です。COUNTRY夢見の子育ての部屋に入っていますので時間のある方はのぞいてみてください。このお話では、コン太くんとモン太くんが二人で温泉に行くのですけど二人だと寂しいなと感じるシーンがあるんです。そこへ二人の友だちが現れ、みんなで温泉に入り楽しい時間を過ごしたという展開になっています。このお話を書いた娘は小学生ですけれどもそのお話のモチーフは彼女の感じたところからきているのだと思います。一人だと(二人だと)寂しいけど、皆が一緒だと楽しいんだという体験。子どもたちはこのような体験を日常生活の中でしています。そのときの教科書は、知識ではなく、子どもたちの感情そのものです。ところが、です。赤ちゃんは泣きたいときには泣き、嬉しいときにはにこにこしていて、とても自分の感情に素直に生きることができましたけど次第にそれを失っていきます。何故だと思いますか?本来、感情をコントロールすることによって赤ちゃんほどには喜怒哀楽が表に出てこないというのであればそれは仕方が無いことだといえます。けれども問題なのは、その感情を封じ込めてしまうこと、それから、正しい形でその感情を収めることをしないことでしょう・・・・感情を封じ込めた場合、その心は下手をすると病にかかってしまいます。また感情を収めなければ、それは人を傷つける形で暴走したり、爆発したりすることが起こってしまいます。感情のコントロールを学ぶということ。それはとても大切な部分です。我慢をするという体験は、自分の欲望のままにやりたいことをしていてはいけない、という体験となります。また感情を爆発させるのではなく、相手とコミュニケーションする中で自分の感じていることを伝え、わかってもらうということも学んでいかなければなりません。それは知識で習得することではなく、自らのうちの体験で学んでいくことなんですね。
2006.12.16
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毎年恒例の、といっても私の場合はまだ2回目に過ぎないのですけど福箱の仕事をやっています。そうです、お正月に店頭にならぶ福袋ならぬ福箱の中のものを詰める作業です。しかもこの仕事の時にはベルトコンベヤーで流れてくるものの作業ですから気が抜けません。結構大変なので、嫌だと思う人が多いのですけど私は気に入っているみたいです。たぶん、このときばかりは皆で大変さを共有しながら、一緒に仕事をするからでしょうね。単発の派遣の仕事が主としているところなので仕事がない時期に他の仕事を求めて去っていく人も多いのです。結局残る人は他の仕事の傍らでこの派遣の仕事も受けているような人たちになります。ということで、今回の福箱がはじめてという人がほとんどなのですけど、新しい人には「楽しい楽しい福箱作り」と紹介しています。この仕事を楽しんで乗り切れる人たちは、気心の知れる仲間になっていきます。
2006.12.15
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SweetRoseさんのカウプレの企画に応募したところ、厳正なるあみだの抽選に当たりました、ということでこんな素敵なプレゼントをいただきました。すべて手づくりです♪私もレースは好きなのですけど根っこがめんどくさがりやなのでこのような手の込んだ小物を作るのは苦手なんです(汗)レースの巻き板には、さっそくレースを巻きつけて記念に写真を一枚。シルバニアファミリーをはじめ、ちいちゃいもの大好きの次女にねらわれそうなミニドレスは、レースの手づくりです。スプーン型ピンクッションは、もったいなくて当分は使えそうにありません。このまま、リース台にディスプレイして少しの間、飾っておくことにします。SweetRoseさんは楽天のブログでのつながりです。ネットショップOnlyには、素敵な作品が数多く満載されています。一度、訪ねてみてくださいね。
2006.12.14
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~体験から学ぶ~だんだんと形が代わり、そういった分野で親が動き回ることが増えたのとは反比例して精神的なものが育ちにくくなってきているように思います。と、スポーツ少年団活動について語りましたけれどもこのことについての元になることをお話したいと思います。実は、石川に引っ越してきて数ヵ月後、翌年の子ども会の役員を決める会合がありました。そのとき来年6年になる子どもは、うちの子を含めて5名いましたから、まさか部長になるような話がくるとは思っていませんでした。会計くらいになら・・・と思ったのですけど会計には兄弟に自閉症の子を持つ方が立候補されたので譲らざるをえませんでした。一人は父子家庭なので、それも仕方ないでしょう。ところが残りの二人は、子どもがスポ少で活動にほとんど参加できないのと、週末には親がその送り迎えで動かなければならないので役員はできないというのです。けれども私も引っ越してきたばかりで子どもの顔も親の顔もわからないうえ、、子ども会の行事も経験がないので運営に責任を持つことなどとうていできません。結局もうひとつ下の学年の方に部長を頼んで副部長をひきうけることとなりました。あの年、6年生が子供会の活動に関わったのは、役員を引き受けた子どもが主だったことは言うまでもありません。小学校でも地区懇談会において、スポ少のことについて話題に出たのは、やはりスポ少の活動を理由に学校の廃品回収の手伝いに子どもが参加しない、とか親もバザーの役の手伝いに出ない、などといったことでした。果たして、子どもたちにそういった地域のボランティア活動に参加する機会を持たせないことはよいのだろうか、とある保護者は、発言しました。私もそう思います。子ども会の行事も面倒だなあと内心思いますけど、わが子が参加しているので、役員でない年も融通のつく限りは、手伝いに出るようにしています。学校の役員だけは、内心書に関係するので受けるようにしている方がいるとききましたが、本来そういう問題ではないのだと思います。地域との関わりを体験するということは子どもたちにとっての社会体験の最初のステップなんですよね。そういうものを、スポ少を理由に参加しない子どもたちは、中学校で社会体験学習をした時にどういう反応をしめすと思いますか?自分のやりたいことのみやってきた子ですから、「この仕事は私がやりたいと望んだ仕事ではなかった」と親に文句をいうようになったりするのでしょうね。(実際に子どもがそのように言っていたと先生に報告している親がありました)ちなみにわが子は、「先生に必ずしも希望通りの仕事を体験できるとは限らないと言われていたから、仕方がない」と思いながらも楽しんで、その体験学習を過ごしました。このような違いが、たぶん近い将来には大きな違いを生んでいくことになるのでしょうね。
2006.12.13
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~解決能力を育てる~子どもたち自身が、自らの体験の中でいじめをしてはいけないんだよと学び取っていかない限り、いじめの問題は減ることはないでしょう。本来、日常生活の中で、これはしてもよいこと、悪いことといったものを学んでいかないといけないのですけど家庭においては共働きの家が多く、親の躾も行き届かなくなり、少子化がわざわいして大家族の中で自然と分け合ったり、けんかしたり、そのけんかを仲裁したりという人間関係を学べなくなるなどして子どもたちは経験を積むことができなくなってきました。そのうえに現実としてではなく、テレビやゲームという仮想現実が彼らを誤った思考、感情へと導くようになりました。かつてスポーツ少年団やクラブを通して一致団結したり、試合に勝った、負けたの中で多くを学んでいっていた子どもたちもだんだんと形が代わり、そういった分野で親が動き回ることが増えたのとは反比例して精神的なものが育ちにくくなってきているように思います。(ここのところは私自身がまだあまり関わったことのない世界なので多くを語ることができません)そのよい体験の場としては、教育の現場で行っているよい集団作りというものがとてもいいアイディアだと思いました。そのことは、別のSNSのブログに書かれていたのですけど、学校のクラスでこういう集団作りを指導されているんだそうです。 例えば,誰かが,嫌な事を言っている場面があれば,友達が「やめろよ」と言える集団。 授業中に私語をする子がいたら,「静かにしようよ」という集団。 先生が話しているのに,別の事をやっている子に,目や態度で教えてあげる集団。いじめというものは単独で行われるケースよりも集団という形でそのいじめが拡大されるケースの方が深刻なように思います。見てみぬふりをすること自体が、そのいじめを容認しているんだという、いじめの集団意識というものなかなか気づけません。けれども、よい意識作り意図的に行っていけば、子どもたちもいじめの集団意識に振り回されずにブレーキをかけるという行為を起すことをする子も出てくるでしょう。なによりもよいのは、大人の力を借りずに自分たちで問題を解決する能力を身につけていくいい機会になるということです。携帯電話を変えました。蒔絵のシールもはって、オリジナルな携帯電話になりました♪
2006.12.12
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さて、久しぶりにCOUNTRY夢見のサイトを更新しました。こちらが、パッチワーク教室のサンプラーとして15番目に作ったターキートラックスのパターンを使ったランチョンマットです。配色がクリスマスらしいのでランチョンマットにするといいかも、というアイディアをいただいてさっそく作ってみました。実はそろそろ手づくりの方も本格的に稼動していきたいのでいつも後回しになってしまう手づくりに本気になることに決めて、今回の5連休の間に作ってみたんです。この作品を含めて、パッチワーク教室の課題の合間に作った作品をネットショップの新作のページにアップしました。また、教室の課題となるサンプラー作品もパッチワーク教室パターン集として、手作りのアルバムにアップしました。 今日から2週間は、仕事です。それが終わると子どもたちと一緒に冬休みに入ると思います。来年度は、本格的に手づくりをすることにしました。そしてより夢の実現に向けてステップアップします。
2006.12.11
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~解決への道筋~いじめが突発的なことのように扱われ、その時の対処によりうまくおさまるとその時のことは遠い過去へと忘れ去られてしまいます。それがいじめがなくならない原因のひとつです。引きこもりの場合は、親自身も子どものことを世間の目から隠そうとして、二重の引きこもりをさせていた時期は、誰からも注目されることがありませんでした。それがようやく親の会を立ち上げるなどして、引きこもりの子どもたちを抱えた親たちが動き出し、その親の会の地道な活動がマスコミを動かし、支援の手を差し伸べてもらえるようになってきました。が、それまでの間にずいぶんと時間を経ています。ところで、そのいじめが引きこもりのひきがねとなっているケースは多々あるんですよね。たとえば弟のケースもそれに近いんですよね。上司が自ら手を下すのではなく、会社に所属しているカウンセラーに「あなたは、この会社にあっていないんじゃないか」と言わせているんですよ。心をケアするはずのカウンセラーが、心に傷を負わせて辞めさせているんですよね。(それから弟は、7年ほど引きこもりをすることとなりました)いままでいじめというものはどこにでも生じるものであるがゆえに、大人たちも平気でそれを“いびり”とか“村八分”というような形でとりおこなってきています。動物の世界でもいじめはあります。だからいじめはあってもよいのだ、ではなくて人は未成熟の状態で生まれていますけど経験を積んで成熟していかなくてはなりません。そのことをみないで、いじめの問題は解決への道筋は、見えてこないと思います。さて、いじめと引きこもりについて思いを馳せていたときにネットに出てきたのが松谷みよこさんの絵本でした。ここにその全文を掲載させてもらいます。わたしの妹(松谷みよ子著)全文この子は、わたしの妹。向こうを向いたまま ふりむいてくれないのです。妹の話、聞いて下さい。今から7年前、わたしたちはこの町に引っ越してきました。トラックに乗せてもらってふざけたりはしゃいだり、アイスキャンディーをなめたりしながら。妹は小学校4年生でした。けれど転校した学校で、あのおそろしいいじめが始まりました。言葉がおかしいと笑われ、とびばこができないといじめられ、クラスのはじさらしとののしられ、「くさいブタ」と言われ。ちっともきたない子じゃないのに、妹が給食を配ると受け取ってくれないと言うのです。とうとうだれひとり口をきいてくれなくなりました。一月たち、二月たち、遠足に行ったときも妹はひとりぼっちでした。やがて妹は学校へ行かなくなりました。ご飯も食べず、口もきかず、妹はだまってどこかを見つめ、お医者さんの手もふりはらうのです。でもその時、妹の体につけられたあざが、たくさんあるのがわかったのです。妹はやせおとろえてこのままでは命がもたないと言われました。かあさんが必死でかたく結んだくちびるにスープを流しこみ、だきしめて、だきしめて、いっしょにねむり、子守歌を歌って、ようやく妹は命を取りとめました。そして毎日がゆっくり流れ、いじめた子たちは中学生になってセーラー服で通います。ふざけっこしながら、かばんをふりまわしながら。でも妹はずっと部屋にとじこもって、本も読みません。レコードもききません。だまってどこかを見ているのです。ふり向いてもくれないのです。そしてまた年月がたち、妹をいじめた子たちは、高校生まどの外を通っていきます。笑いながら、おしゃべりしながら・・・このごろ妹は折り紙を折るようになりました。赤いつる青いつる白いつるつるにうずまってでもやっぱりふりむいてはくれないのです。かあさんは泣きながらとなりの部屋で つるを折ります。つるを折っているとあの子の心がわかるような気がするの・・・ああ私の家はつるの家わたしは野原を歩きます。草原にすわると いつの間にかわたしもつるを折っているのです。ある日妹はひっそりと死にました。つるを手のひらにすくって花といっしょに入れました。妹の話はこれだけです。
2006.12.10
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~いじめの背景~私が語ったいじめは、言ってみればいじめのモチーフのひとつにすぎないんだと思います。かつてはそうだったけど今はもっと深刻なんだよ、という人の声が聞こえてきそうです。なぜなら、助けようと手を差し伸べたら、今度は自分に火の子がふりかかってくる・・・しかもそのいじめは、以前よりも陰湿なものだったりする・・・昔もいじめはありました。けれども昔よりも今のいじめは違ってきているように思います。何が違うのでしょうか?子どもたちの世界は、大人の社会の縮図です。子どもたちのいじめが深刻化しているとすれば、それはその子どもたちの手本となる大人の社会のそのものの影響を受けているというのが本当の原因です。ドメスティックバイオレンスの原点がここにあります。強いものが弱いものをいじめて、ストレスを発散させることで自己を満足させているというパターンです。会社で、上司にいびられストレスをためこんだ夫が、妻にそのストレス解消の刃を向ける。妻はそのストレスをわが子に向ける。そして、わが子は、自分よりも弱い立場のものにたいしてストレスを発散させる・・・これはあくまでもたとえですけれどもそのような連鎖がそこには存在していることもあるのです。いじめが悪いというよりもいじめたくなるような自分の心と向き合うことが大事なんですね。そのような行為に走るよりももっと前向きに自分を成長させるような方向へとエネルギーをそそぐことを子どもたちが学んでいくことが大切なのだと思います。そして、それは大人たち自身も、です。
2006.12.09
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~いじめの考察 その6~そして最後の体験となるのが、私の娘のことです。長女がまだ小学校に入って間もない頃、やはり集団登校をする学校に通っていました。同じ町内に長女には同級生が一人もいませんでした。ですから、仲のよい友だちもいないまま学校へは通っていました。そして近所のひとつ上の子と一緒に遊ぶことが多かったのですが、その子がとてもやんちゃな子でした。どのくらいやんちゃな子かといえば、話すと長くなるのでここではやめにします。その子が、また同じ学年の子を従えて、長女を仲間はずれにはじめたんですね。どんな風に・・・とは今はもう説明できません。でも傍目でみて分かる雰囲気でした。私はいつ、長女が学校へ行くのが嫌だと言い出すのではないかとそのことを心配していたのですけど何事もないような顔をして小学校へ通っていました。その頃から、根性のある子だったんですね。さて、そのいじめはどうなったと思いますか?実は、そのやんちゃな子にひっぱられていた同級生の姉がそのいじめをみかねて、自分の母親に報告してくれたのです。そのために流れが変わりました。どう変わったかというともともとやんちゃなその子は、誰からも嫌がられるような子だったので周りの子も親から注意されたこともあってその子の誘いにのることをしなくなったみたいなんです。子どもから報告を受けたという母親は、わざわざうちに来てわが子へのいじめを謝ってくれると同時にそれらのことを話して教えてくれました。ここにヒントがあります。それはどういうことかというといじめの流れを変えることができる、ということです。“いじめをみかねた”一人の子の想いが、私の娘のいじめを解決へと導いてくれました。もうひとつ記しておきたことがあります。そのやんちゃな子は、保育園時代から我が家にも出入りしており、私の手を焼いていた子でもありました。その一つの例は以前、ブログにも書いたことがあるのですけど家に来るときに挨拶がまったくないまま、上がりこんでくるというようなことでした。その親とのつきあいがさしてなかったので私はその子に挨拶をすることを教えなければなりませんでした。いじめはその子だけの問題ではないんですね。その子を育てている背景にも、なにかしら要因があることをも添えておきたいと思います。
2006.12.08
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ターキートラックス(七面鳥の足)は最初の頃は、ワンダリングフット(さまよえる足)と呼ばれていたのですけど、あまり縁起のよくない名前だったので、当時ごちそうだった七面鳥の名前になったんだそうです。以前のパッチワーク教室で布絵を作る工程において、カーブを縫うということは経験していたのですけどきれいなカーブを縫うのには時間がかかりました。そろそろ、手づくりにも本腰を入れることにします。去年は、仕事が優先となっていましたけど今年に入ってからパッチワーク教室も再開し、仕事の方も、そろそろ控える方向にあります。来年は、もっと作品作りに本気になろうと思います。
2006.12.07
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~いじめの考察 その5~あの頃、まもなくしてもう一人、私は同級生の死を知りました。このことを誰に聞いたかも覚えていません。高校の頃でしょうね。Mさんも石川での中学の同級生でした。彼女もおとなしい子で、クラスでは目立たない子でした。私は彼女の自殺の理由を知りません。そこにいじめがあったかどうかも知りません。なぜなら、彼女は違う高校に行っていたからです。けれども彼女の死を忘れられないのは、彼女は自宅の風呂場にて、灯油をかぶって焼身自殺をしたと聞いたからです。あの頃の私は自殺の手記を読み漁っていましたから、彼女の死は、衝撃でした。もえさかる炎の中にいる自分を想像してみてください。そのような死を選ぶにいたるとはどのような心模様が彼女の中にあったことでしょう・・・・私は彼女の死を知ったとき、彼女と幼い頃から友だちだったYさんのことを思い浮かべました。MさんとYさんは性格がまるで正反対でした。大柄で性格も明るいYさんは誰からもしたわれ、高校ではバレー部のキャプテンをまかされるような存在でした。そのYさんは私と同じ高校に行っていました。Yさんがどんなに悲しんだことでしょう・・・と私はそのことを思いました。死を選ばないでください。死を選べば、すべてが終りです。あなたのことを思っている友達がいるならば、なおのこと、死を選んだりしないでください。いじめは簡単に解決できるような問題ではないかもしれません。でも死もまたそれを解決する答えでは、決してないことを覚えておいて欲しいのです。今日から週末まではお休みになりました。ですが、午前中のパッチワーク教室の宿題がまだ仕上がっていませんので、午後になってから、みなさまのところへは遊びにいきますね♪
2006.12.06
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~いじめの考察 その4~あの頃、ひとりぽっちの私を支えてくれたのは、岡山の同級生だった友だちでした。その友だちとは赤毛のアンとダイアナのごときぶ厚い手紙のやりとりをかわしていました。その彼女が、あるとき私の友だちの死を伝えてくれました。私にとっては初めての友だちの死でした。高校に入ったS君が、バイクの事故で死んだというのです。彼は、私が小学5年の時に転校した先のクラスの同級生でした。ところが中学2年に再び同じクラスになったとき、そのイメージがあまりにも変わっているのに驚きました。彼の頬には傷がありました。以前にはなかった傷です。そして、あまり柄の良くない上級生が彼に近づいていました。そのことゆえに、彼はクラスの中では浮いていました。恐れられていたという感じだったのかもしれません。けれども、席替えで私のすぐ近くの席に彼がきたとき私は彼を恐れませんでした。表面は変わったように見えても内面は、小学校の頃、一緒にふざけあった頃のままの彼だと私は感ずることができたからです。ですから、私がそのクラスから転校することが決まり、友だちの家にて私のお別れ会が催されるときに彼は私の友だちとして呼ばれていました。その時のお別れ会の様子は、私の親友がカセットテープにみんなの声を入れてくれています。彼は、もうこの世にはいませんが、あのときの彼の声もその中に今も残っているんです。私は彼の死を知ったとき、何度もそのテープをかけて彼の声を聞いたのを覚えています。彼は、いじめる側のグループに所属していたかもしれません。彼は、悪いですか?本当はそういう問題ではないのだと思います。彼の心には、実は彼の頬の傷と同じように傷があったのだと今の私は感ずることができます。ですから、あの頃の彼は、私にとっては怖い存在ではなくて、寂しそうな顔をした存在だったのです。
2006.12.05
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昨日は次女のピアノの発表会でした。隣の小松市で行われるので、ちょっと周り道をして父を連れて行きました。その時に隣の敷地の施設にも顔を出して、母に娘の発表会のことを話してから出かけました。リハーサルがその場で行われてから、本番の開始。次女は、幼稚園に入る前に音楽教室に通っていて、その時に一度発表会にも参加していたのですけど覚えていませんからね、緊張していたようです。あの頃、音楽教室はグループレッスンで、カリキュラムに追われて幼児科に通っていた長女も大変そうでいた。次女は、まだ幼児科のひとつ手前のコースからかよったのですけどじっとしているのができなくて踊ったりする場面になるとすごくいきいきしているのをみてこの子は、今は音楽教室よりも運動系の方がよさそうだと幼稚園の体操教室やダンス教室に行くようになりました。そして、一年前に保母さんいなりたいからと再度ピアノを習い始めたのですけど目的があって習っている分、上達も早かったです。私自身3歳から習ったのですけどそんなに小さい頃から無理して習わなくてもその子次第で、十分上達するのだなと実感しました。本人のやる気がすごいんです。なにしろ発表会前の家での練習でうまく弾けなかったりするとかんしゃくをおこして何度もやり直していますから・・・あれは私にはない性格ですけど、その性格をうまくいかせたら、これからどんどん伸びていくでしょうね。ということで今日は親ばかな写真を一枚♪
2006.12.04
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~いじめの考察 その3~次に思い浮かんだのは、中学生のときです。岡山から、能登半島の小さな町に移り住むようになりました。けれども閉鎖的な小さな町なので私はその中学に溶け込むことができませんでした。そのとき、私は誰からも受け入れてもらえないという雰囲気の中で、過ごすことが多かったですね。修学旅行は、誰の輪の中にも入ることの出来ないという辛い思い出となりました。でも今書こうとしているのはそのことではありません。もしかしたら、私自身がそのような“ひとりぽっち”を経験していたということがプラスに働いていたのかもしれません。それはどういうことかというといじめる側の影響を受ける必要がなかったということなんですね。実はその時のクラスに一人、いじめを受けている子がいました。その子はたいそうおとなしくて、地味な子でした。いじめというよりも仲間はずれ、という感じだったかもしれません。あるとき、私は一人で下校しておりました。その時、雨が降っていました。目の前を、上述した少女が歩いていたんですね。北陸ですから、「お弁当を忘れても傘忘れるな」というくらい天気が悪いことが多かったのですけど彼女は傘を持っていませんでした。私の心の中では、一瞬葛藤がありました。彼女に傘を差し出そうかどうしようか、という心の葛藤です。そして、その葛藤を超えて、私は彼女に傘を差し出しました。いじめをするかしないか、を生み出しているのは実は心なんですね。いじめを見てみぬふりをしたことのある人たちは、その心の中をもう一度思い返してみてください。そうすれば、見て見ぬふりをすることはいけない、という前に自分の心に見つめるべきものがあるのがわかるでしょう。ああ、あのとき私は何もしてあげられなかった、という後悔の思いをそこに見出すでしょうか。それとも、私には関係ないという無関心の思いしかなかったでしょうか。その心を見ずして、いじめを考えることはできないでしょう。そして、もし一度でもその葛藤を超える経験をすることができたならば、いじめというものは、越えることのできる体験なんだと知ることができるでしょう。その時の葛藤こそ、いじめの集団意識の影響をうけないという自分を創る体験だったと今はわかるからです。(画像のカメラマンは次女です♪)
2006.12.03
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~いじめの考察 その2~いろんな方からいろんなコメントをいただいています。私の書いた文章が引き金となっていろんな方の想いを聞かせていただけるのはとても嬉しいです。いくつかのブログでこのテーマのものをアップさせてもらっています。そして、すでにパソコンのファイルにはこのいじめの考察というタイトルでいくつかの文章が保存されています。しかも、いろんな観点からものを言っておりますから、誤解や衝突があってはならないのでベースとして感じることを最初に少し述べておきたいと思います。私はいじめというものの本質を見つめていきたいと思うのです。今社会問題にしている学校のいじめは、その責任の所在を追及し、その対応策を誰にでも見える形で行おうとしています。懲罰というスタイルは一番わかりやすいですものね。けれども懲罰を行えば、人は悪をしなくなりますか?人は刑務所に入れられたら、自分の行為が間違っていたと気づきますか?そうではないでしょうね。その人の心に、人の命の大切さや愛が届いて初めて自分のした行為を改めていくようになるのだと思います。では、どうすればよいのでしょう?いじめる人が悪い、いじめられる人に問題がある、ということを問題にするのではなく、そのような行為は、どうしたらなくすことができるか、を見出していきたいのです。そこで、いくつか私の体験したことを最初に書き記した上で、私自身が感じたことをまとめていきたいと思います。それは、すでに皆さんも感じていることとも通じてくるのですけど、少しずつまとめていきたいと思います。
2006.12.02
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~いじめの考察 その1~私はいじめについての考察を始めました。とおい昔、自分が小学校時代をまず振り返りました。私の中には、小学校の集団登校のシーンがよみがえりました。旗を持つ班長の役割をする6年生のお姉さんは、私の妹の姉にあたりましたけど、その6年生をはじめとする上級生が下級生をいじめていたんです。そのターゲットは、同じではなく順番に移り変わっているのを私は目で見て知っていました。するととうとう、私がいじめにあう番がやってきました。どんないじめだったのかは覚えていません。でも辛くて母親に話したのでしょうね。あるとき「お母さんに言ったでしょう」とその上級生に問い詰められました。私はとぼけて、「知らない。妹が言ったんでしょ」と言ったようです。はるか昔なのであまり明確には覚えていないんです。私が子どもの頃に受けたいじめの思い出というのはそれだけなのです。そして、その時の体験でいじめというものは誰にでも起こりうることで、相手がおもしろい反応を示さなければ、いじめの対象は変わっていくんだと子どもながらに感じました。私はこう思うんです。いじめは悪い、と大人が言うことができるでしょうか?では、あなたがた大人はそういういじめのようなことをしていませんか?大人たちはむしろ、いじめよりももっとひどい虐待行為をしている人がいるんじゃありませんか?子ども達の思いを無視して自分たちの都合をおしつけてばかりいるんじゃないですか?私は存じません、と責任逃ればかりしていませんか?いじめは悪いことだからしてはいけません、という形で結論を持っていくことが可能なのかどうか。それができるならば、世の中から犯罪そのものがなくなっているでしょうね。でもそうではないですよね。では、どうしたよいのでしょう・・・・?(今日の写真は次女mikiの撮ったものです)
2006.12.01
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