PR
フリーページ
コメント新着
サイド自由欄
キーワード 恩寵
賁。亨。小利有攸往。
(ひはとおる。すこしくゆくところあるによろし。)
「賁」は飾ること。「山火賁の時は通じる。小さいことなら進んでも良い」。この卦が表しているのは、太陽(火)が山のかなたに沈む日没寸前の光景で す。山々が夕日で赤くいろどられ、確かに息をのむほどに美しい姿ですが、それはあくまで表面的かつ一時的な美しさで、内面的、永続的なものではありませ ん。 山火賁の時は、たとえるならば夕暮れ時で明るさに乏しく、遠くまで見通すことができません。したがって、まず大きなことをする時ではありません。また、と か く外見にとらわれ、体裁にこだわる時ですので、見たて損ないのないようその内面にこそ目を向けることが大切です。メッキがはがれたら目もあてられなかっ た、ということにならないように内容を充実させましょう。
〔大意〕「賁は、亨る。小しく往くところあるに利ろし」『易経』)賁(ひ)には飾るという意味があります。これがなぜ恩寵なのでしょうか。
これは潜在意識理論から説明ができます。ふつう飾るというのは、外面にこだわり、内面は見かけほどでもないという意味にとられますが、そうとはばかりはいえない点に注意が必要です。たとえば、苦境にあるときに、その苦境を強く認識することが良い方向へ作用すればいいが、挫折感や恐怖感が先に立てば結果は悲惨なものになる。訓練された技術の持主が本番であがってしまい、失敗するのも似たような心理状態である。そこで潜在意識理論では、「自分の望む状態を想像せよ」ということをよくいいます。
その良い例はストレス学説で著名なハンス・セリニ博士がいうように、「悲しくても、うれしそうな顔をしろ。そうすれば不思議にうれしくなってくる」ということです。これは意図的に自分の心を飾ることです。しかしこの飾りは潜在意識に良い効果を及ぼす。
「良いことを思えば良いことがおきる。悪いことを思えば悪いことがおきる」という法則を援用する限り、わたしたちは良くないときも「良いほうに飾らなければならない」のです。
飾るのは他人のためではありません。自分のために、自分の心を安堵させ、積極的に導くためにする飾りは必要なことなのです。あなたが何か夢を持っているなら、その夢をあなたの想像でできるだけ飾ることです。
それが細部にわたって細密に飾られれば飾られるほど実現に近くなっていくことでしょう。
「恩寵とはあなたがいつも抱いている考えに対する自然からの数学的回答である」とマーフィー博士はいいます。まさにそれは具体的な形であらわれるのです。そのためにはあなたはあなたの人生プランを思い切り飾ることです。
●初 9 :あなたには偉大な存在からの恵みがある。
賁其趾。舎車而徒。
(そのあしをかざる。くるまをすててかちす。)
「足を飾る程度。格好の良い車などに乗らず歩いていく」。確実に、本来持っているものを生かして進みましょう。会社では業者からの接 待、ワイロなどの誘惑に乗らないことです。
●二 6 :熱意をもって真実を話せば、あなたは勇気づけられる。
賁其須。
(そのひげをかざる)
「須」はひげのこと。「自然にはえてくるあごひげを飾る程度なら良い」。口があってのあごひげ、ただ従うだけの時です。才能がないの だから仕方ないかも。あるいは、体裁だけで中身のない時です。交渉などには要注意。
●三 9 :たえず前に進むことを考えょ
賁如。濡如。永貞吉。
(ひじょじゅじょえいていにしてきち)
「賁如」はかざりたてること。「濡如」はみずみずしいこと。「美しくみずみずしく飾りたてた姿。このままいつまでも貞正にしていれば 吉」。きらびやかな美しさ、それはそれで見事だから良いのです。
●四:あなたが夢を持つとぎ、それが正しければその願いはかなえられる。
賁如。[白番]如。白馬翰如。匪冦婚媾。
(ひじょじゅじょはくばかんじょ。あだするにあらずこんこうせんとす。)
「賁如」は飾りたてること。「白番」は白髪。「翰」は白い馬。「寇」は敵、賊のこと「白い虚飾のない馬がやって来る。敵ではなく求婚 しに 来たのだ」。飾り気のない人の援助を得られる時です。飾らない態度、控えめな態度で臨むべきです。
◎良い時です。
●五 6 :荒野でもあなたは恵みを得ることができる。
賁于丘園。束帛戔戔。吝終吉。
(きゅうえんをかざる。そくはつせんせんりんなれどもついにきち。)
「束帛戔戔」とは少なくて貧しいこと。「丘や畑を質素に飾る程度。」一時非難されるが、ケチケチぐらいのほうが最終的には吉」。何事 も質素倹約を心がける時、その努力が後で好結果を生むでしょう。
◎良い時です。
●上 9 :正しく考え、正しく期待し 正しく行動せよ。
白賁。无咎。
(しろくかざる。とがなし。)
「白く飾る。問題はない」。 白色は美しい。最高の美しさを求めていけば、結局、行き着くところは質素で飾らない自然のままの姿にな るでしょう。飾り気を捨て、内面を充実する時、精神的な喜びがあります。
「マーフィの易い」 J. マーフィ(昭和 61 年、産能大学出版部)及び以下を参照しています。
http://www.keisho.server-shared.com/64/k22.html