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キーワード 裂ける
剥。不利有攸往。
(はくはゆくところあるによろしからず。)
「剥」は追剥の剥で、ハギ取ること。「山地剥の時には進んで事を行なってはならない」。この卦は、全体を圧縮すると山になり、上爻が山崩れを起こして 下まで落ちていく姿を表わします。上爻の陽の悲鳴が聞こえてきそうです。山地剥の時は、崩壊寸前で足もとが非常に不安定な時です。すなわち、大きな危険、 みんなハギ取られるような危険がそこまで近づいている状態です。こうした時には最低限、自分の立場を守り、身を守り、何事も進むべきではありません。さま ざまな災難や転落などの事故も起こりやすい時ですから、充分な注意を怠らないことです。会社ではトップが苦しんでいる時で、倒産寸前の状態にあるなど、難 問山積の時でしょう。あるいは、あなたがつきあげられ、ハガされる立場になるかもしれません。
〔大意〕剥は「はぎとる」「裂く」などの意味で『易経』では「小人の勢いが盛んとなり君子を剥害する時に当たる」という喜ばしくない状態を暗示しています。
いわゆる衰運の象で、困難、苦労がつきまといがちです。まさに「剥は、往くところあるに利ろしからず」です。物事を強引にすすめるとうまくいかない。ここは一番じっくり構えてあせらず、待っ度量が必要になります。
潜在意識の理論では「待つ」ことをあまりすすめてはいません。消極よりは積極、否定よりは肯定が成功を勝ち得るためには大切であると説いています。では、この卦はどう解釈すべきでしょうか。
マーフィー博士はこういいます。「家が分かれあらそえば倒れてしまう」と。ここでいう家とはあなたの心のことです。つまり心の中の争い、葛藤があるときに事をおこせばどうなるか。
これはうまくいかないに決まっています。
まさに葛藤に引き裂かれた形になり、事はうまく運ぶどころかより悲惨な結果になりかねない。こういうときは「じっとしてあなたの心、体、外界の情況が静まるのを待つことである」というのは当然です。いくら約束があったにしても、台風が吹き荒れているときに外出する人はいません。
ましてこの卦の剥離(はくり)というのは、無理矢理はがされるという強い調子があります。障害が消えさるのを待つことは、消極的でなければ否定的でもない。
いまは台風が来てあなたの家の戸を吹き飛ばそうとしている。こんなときじっとしていることは、むしろ当然のことである。それができれば障害は去り、運は上昇へと向かいます。いまは自己の内部にエネルギーを貯えるときです。
●初 6 :すべては過ぎさっていくものであることを実感しなさい。
剥牀以足。蔑貞凶。
(しょうをおとすにあしをもってす。ていをほろぼせばきょう。)
「牀」はベッド。「蔑」は滅ぼすこと。「ベッドの脚が崩れる。貞正を失えば凶」。足元の揺らぎ始めている時です。部下の造反などに目 を光らせるべきです。
◎あなたの考え方、進み方に問題点があります。よく反省し、改めましょう。
●二 6 :否定的なものと同居してはいけない。
剥牀以弁。蔑貞凶。
(しょうをおとすにべんをもってす。ていをほろぼせばきょう)
「牀」はベッド。「弁」はベッドの脚の付け根のこと。「蔑」は滅ぼすこと。「ベッドの脚の付け根が崩れる。貞正を失えば凶」。二爻、 すなわち従業員グループである下卦の中心人物の造反のため、会社も揺らぎましょう。早く災難を避ける方法を考え、ガードを固めることです。
◎あなたの考え方、進み方に問題点があります。よく反省し、改めましょう。
●三6:自分の心にある不安や心配、否定的観念は消えさることを念じなさい。
剥之无咎。
(これをはくすとがなし。)
「ベッド本体が崩れるが問題はない」。たとえ仲間はずれになってでも正道を守るべき時です。つまらない連中とはキッパリ手を切りま しょう。
◎あなたの考え方、進み方に問題点があります。よく反省し、改めましょう。
●四 6 :恨み、怒り、後侮はあなたの人生にとって毒である。
剥牀以膚。凶。
(しょうをおとすにはだえをもってす。きょう。)
「牀」はベッド。「膚」は人の皮膚、すなわち人のこと。「ベッドが崩れて人の上にまで危険が及ぶ。凶」。あなたの身にこの上なく危険 が迫っている時です。身一つで至急逃げるしかないでしょう。
◎あなたの考え方、進み方に問題点があります。よく反省し、改めましょう。
●五 6 :答はあなたの心の中にある。
貫魚。以宮人寵。无不利。
(うおをつらぬく。きゅうじんのちょうをもってす。よろしからざるなし。)
「魚」は衆陰(初爻から5爻まで)を指す。「魚の目指しの如く女官を従えて、君の寵愛をうけるようであれば、よろしい」。災いの渦中 の一服か、あなたの従順さが愛され、上司の引き立てを受ける時です。妥協策を講じて無難な時。
●上 9 :悪は終局的には滅び去ることを忘れてはいけない。
碩果不食。君子得輿。小人剥廬。
(せきかくらわれず。くんしよをえ。しょうじんろをおとす。)
「碩果」は大きな果実。「輿」は車。「廬」はすみかのこと。「たった一つ残った大きな果実を誰も食べることはできない。君子は馬に乗 り、小人は住む所すらない」。災難の時が崩れ去って、新しい状態に移り変わろうとしている時です。時の審判を仰ぎましょう。実力のある人ならば、やっと日 の目を見る時が来ました。今は 無理をせず、再起に備えることです。
「マーフィの易い」 J. マーフィ(昭和 61 年、産能大学出版部)及び以下を参照しています。
http://www.keisho.server-shared.com/64/k23.html