大田区 東雪谷 石川台の学習塾 塾長が責任もって指導 個別指導塾の松栄塾(しょうえいじゅく)が考えていること

フリーページ

2010.07.01
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
あくまでも私の感覚だが、それはお金。

子どもはお金の話をしてはいけないと思う。
私は子どもの頃そうすると、決まって父親からしかられたものだ。

お金って、本来は不浄なものだと思う
それが証拠に、買い物をするとき以外で他人に現金を渡すときは、むき出しにせず袋に入れる。万が一持ち合わせがなかったばあいはティッシュにくるんで、一言申し添えるのが普通だと思う。
お年玉だって、ポチ袋に入れて渡される。

科学的根拠とか何もないが、そういうものだと教わってきたし、それは大いに納得できる。


お金がなければ確かに始まらない。
しかしお金は手段であって、目的ではない。

お金の話をおおっぴらにするのは、少し前までは下品だったと思う。
私はこうやって、年収○○円にしました なんて本は下品の極みだったはず。

しかし今やお金の教育をするのが進んでいる、なんて風潮もある
中学生に株の買い方すら教えている。
まだまだ席巻している成功本(もどき)なんて、いくら稼いで、出来れば不労所得で、あわよくばプチリタイア(要は遊んで暮らそう)の嵐だ。

ある程度年齢が来たらそれでも良いが、いい若い者がまっとうに考えることではなかろう。

ただ不思議なもので、そうしようとすればするほど、お金というのは入ってこないものなのだが。


話を元に戻す

なぜ子どもがお金の話をするのがいけないのか?

私の父は、「親元ですべて面倒見てもらって、一銭も稼いでいないお前にその資格はない!」と言っていた。

そう、「資格」だと思う。


お金の前では赤ん坊からお年寄りまで皆平等になってしまう。
小学生が使う1000円と、大人が使う1000円に価値の違いなどない。
1000円は1000円だ。

しかし大人と子どもは本質的に平等ではない。子どもにも権利があるが、それはあくまでも大人の庇護の元である。

必要以上にお金を持つ、使う、というのはその関係を壊しかねない。


だから、子どもの前ではタブーにしていたはずである。

お金を使うには、ある程度の資格がいるはずである
その資格については細かく言及しない。そもそもできない。

とにかく、一人前になったときにはじめて、正当にお金というのは使えるのだと思う。


子どもの時に、必要以上にお金を使う快感(全能感)を憶えてしまうと、大人になったときに重大な影響を及ぼすと思う

それは、働くことの本質にもつながってくると思うのだが、長くなるので次回に回す(^_^;)















お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2010.07.01 12:22:55


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

お気に入りブログ

■ 今の時期だからこ… New! デット君さん

視座を変える「東京… 金沢市MIB塾長さん

お久しぶりです。 早稲田国際学園塾長さん

プロのつぶやき1290… 丁寧な暮らしさかもとこーひーさん

おしらせ 進学塾キャラベルさん

高田の数学道場日記 高田の数学道場さん
丸くとも一角あれや… 双葉学習院の村松さん
人生のポートフォリ… ミドル英二@「ホンカコ」「ホンダソ」発行人さん
新・さすらいのもの… さすらいのもの書きさん

コメント新着

面白い本2@ Re:社会から必要とされてないのでは?のが辛い(11/20) 申し忘れておりました、「反教育論」もス…
面白い本@ Re:社会から必要とされてないのでは?のが辛い(11/20) ブログとあまり関係ありませんが 泉谷閑示…
腸内フローラ@ Re:どんな状況下でも、人間は順応していく力があるのだなと(05/15) ブログと無関係ですが「失敗の科学」と「…

キーワードサーチ

▼キーワード検索

カレンダー


© Rakuten Group, Inc.

Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: