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近場で、子供たちのお気に入りはレオマワールドだった。何年か前に閉園していたのが、再開園したのは2年ほど前のこと。遊園地もイベントもホテルもホテル内のプールもエスカレーターの山頂も・・どれもちびっ子たちが大喜びで、年に2回は行っていた。あんなに喜ぶのだから、また是非連れて行きたい!との希望で、家人が言い出して7人乗りの車に変えたのは一昨年のこと。甘かったァ~ちびっ子の二人の母親は、一人は姑の看病があり、一人は、一番喜んだかな子を喪ったことで気が乗らない・・加えて、ちびっこたちの学年が進んで、全員そろうことが難しい、揃ったところで、私と家人と二人で彼らを統率するのが無理であること・・体力的にも気分的にも・・などなど。こんなはずじゃなかった・・・別府行きのためだけには、自動車が大きすぎる・・と、張り切って用意した車は全くの 無用の長物 になりさがった。誰も貰い手が無くって、辟易していた。若い彼女が、教室送り迎えように、長年乗っていたデュエットをシェンタに買い替えを機についでに思いついた。1年半に6千キロ弱の走行距離で、未だ新しいからと、かなり好条件で交換してくれた。今度はおとなしく、カローラアクシオラグゼール。年末11月に引渡しが終わっていたのに、車が間に合わないとかで、やっと2ヶ月ぶりにもって来てくれた。その間は代車。ぴかぴかのセダンは、偶然ながら、車のナンバーが、家人の誕生日と一致。運転はヤメダァ~・・と、云っていた家人が、このところおお乗り気で、運転している。ナンバープレートにご機嫌なことも確かだとおもう。怪我の功名 ならぬ思惑違いが正解に転じた感がある。それにしても、体力的に下り坂の人間と、成長期の上り坂の子供たちとの、放物線の接点はつかの間 だとしみじみ痛感した証しのような、車の件だった。
February 2, 2007
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このところ、土曜日ごとに腕白兄弟がやってくる。百人一首のカルタにはまっていて、カルタしに来たァ~ということで。カルタは2回ほどで、後はPCゲームや持参の任天堂MDゲームや、要するに遊びに来るわけで。。大人の顰蹙をかわぬよう、ちゃんとランドセルと下着の袋を持ってくる。宿題やるのも3人でわいわいとやるのが楽しいらしくって。いまどきの子供は、子供だけで遊ぶことが無いらしい。近所でも外を走り回っている子供をほとんど、見たことが無い。たまに、近くの三角公園で遊ぶ子供たちがいるが、必ず母親がついてきている。兄弟を送り迎えする母親が云うまでも無く、私んちへ来たがるのも、今の間だけだから・・と、わが亭主どのも、寛大である。部屋を完全に占領されても、いやな顔もせず、客間に逃げ込んでいる。おまけに、暖かい日中はは、土手の公園に、3人を引き連れて、ボールけりやキャッチボールの相手をしたりしている。私は、それぞれの音読を聞かされたり、カルタの読み手を引き受けたり、食事はいつもと違って大テーブルでにぎやかに、やったり・・・要するに振り回されて、へとへとになる。一人っ子のまあ子も、いつもと違って大きな声で笑うし、嬉しがっているのだから、とは思うが、帰った跡片付けをしながら、子供が、家の中でしか遊べない、外で子供同士が心配なく遊ぶことが出来ない、ってやはり変な、ご時勢だと思う。昔は・・・とつい思ってしまう。ともあれ、土日を全部彼らにささげて、1月もも終わった。
January 29, 2007
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昨日、あなたは何時間生きていましたか?何のコマーシャルメッセージだったか覚えてはいないし、コピーライター氏の名前も覚えていないが、言葉だけが目に飛び込んできて、一瞬、ドキッとさせられたメッセージだった。ぼんやり、または無意味に過ごした時間は、生きていたことにはならない!って意味なんだろう。若い頃とか、仕事をしている方とかにはかかわりの無い言葉だろうけれど、仕事を退いた後、家にいるもの・・私なんぞには、インパクトのある言葉だ。毎日を大切に丁寧に過ごそう!と改めて思った時もあったのに、生来の怠慢なせいか、だらだらと、有意義とは程遠い時間を過ごしたり、ただ時間に流される一日だったり、と情けない私自身を思い知る。これって、何時間生きたことになるのかなァ~などと。それにしても、コピーライター氏ってすごい!こんな発想もあるんだァ~と感動しきりである。。
January 23, 2007
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来日して帰国した夫婦からメールが届いた。久しぶりのプライベート旅行だった彼の言。何人もの人に会えて、楽しかったには違いないが、どうしても、慣れることが出来なかったこと、それは、親しい間柄の人々が、久しぶりに逢ったせいもあってか、太ったとかやせたとか、白髪は増えたとか髪が薄くなったとかを、面と向かって挨拶のように、云ってること。。自分が云われているわけでは無かったが、異様な気がした。そうな。せめて、貫禄がついたネ、くらいにすればいいのに・・・親しいからこそ・・と言うのが彼の言い分。みんながそうじゃないよォ~たまたま、学生時代に返ったような気で言い合ったんでしょうよ~と言い返してはおいたが、外国生活、何十年もの彼には、違和感が少なからず有ったのだろう。今は大人になった彼の子供が幼稚園前の頃、一緒にお茶をしたことがあった。そのとき、猫舌の私は、つい、コーヒーを飲むのに、ちょっと、音を立てた。その時、そのちびっ子が、父親に英語でささやいた。えっなに?私の問いに、父親が笑いながら、ちびっこの言葉を解説してくれた。。。あのミセス(私のこと)コーヒー飲むの、音立てなきゃ、大統領とでもお食事できるのにね・・・!?あのおばさま、おかしいね、というかわりに、アメリカ坊やはそんな言い方をするんだァ~とそのとき、妙に感心したのを思い出した。なんでも自分の意思は、はっきり云うけれど、相手を笑いものにする言葉は絶対にタブーだ、という、厳しい常識らしい。親しければなおさら・・と。日本でも当たり前のこと、のような気もするし、親しさゆえに、と寛大なような気もする。ちょっと考えさせられた一言ではあった。
January 20, 2007
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1月15日の今日は小正月、又は女正月。もともとは、年末年始と多忙な女性が、やっと一息ついて、ゆっくり家でくつろいだり里帰りをしたりする日という意味でそういう呼称だそうだが、いまはただ、1月も半分済んだァ~と日が経つ早さを感じるだけ。唯一つ残っている慣わしは、もち花・・柳の枝に紅白の小さなボールをくっつけたり毬や羽などの飾りをつけた枝・・お正月からずっと飾ってあったのを、仕舞う日である。朝夕は、冷え込むと言いながら、お天気が好いから、日差しは結構強くって南向きの部屋や、日向は、暖房を切ってしまうほどである。午前中は、外国の兄と弟たち、友人にメールを送って済んでしまった。午後はいつものように、縫い物をして時間を過ごした。日が経つのが早い割には、一日の仕事は効率よく,。とはいえないでのんびりと女正月の一日は終わって、明日から1月も後半となる。
January 15, 2007
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あっという間に、七草粥の日になった。元旦以来、今日の午後になって、静かさが戻ってきた我が家である。3日の夕方、まるで洪水が退くように、腕白たちが帰宅し、我が家のまあ子も母親とその実家に里帰りして、静かになるのを待っていたように、客があった。2週間の予定で来日していた米国在住の弟夫婦が、4泊を当地に。夕方、出迎えてJALホテルで一緒に食事した。家から比較的近くのこのホテルがお気に入りで、頼まれてとっておいたもの。翌日も、一緒に行動し、今度は中国からの弟が、加わって食事をしたり、お墓参りをしたりアッシーをしたり。中国で仕事をしている弟は年末新年をロシア旅行をし、成田の着いて、荷物を東京の自宅に送ってすぐ羽田から当地に来た、と言う変わり者、でも私とは好く気が合う面白い人物である。昨日の6日は、その彼らと、当地在住の弟たち夫婦や帰宅した我が家のもの、腕白たち親子と、大人子供混ぜて、総勢17人での大パーティとなった。何時ものことながら、焼肉と、オードブルや刺身の大皿で居間も広間も溢れかえった。途中で、大人になった甥まで駆けつけて、シャンペンありビール焼酎あり紹興酒ありで、夜更けてホテルに帰り、代行を呼んだりタクシー呼んだり、泊まるものありで、お開きになったのはずいぶん遅かった。例年のことながら、今年が一番規模が大きかった。また来年もねぇ~などと、念をおして帰ったものもいた。持参のロシア産キャビアが人気があって、子供たちにまで、アメリカ産のロブスター人気を上回っていたのが面白かった。今日の正午に、最後の客を空港に見送って、やっと静かになった。 我が家のお正月が終わった!疲れたァ~帰ったらゆっくりやすもうね・・とは、一緒に見送りに行ったちびっ子まあこの言である。楽しかったね・・とお土産もらってたくさん遊んで、喜んでいたまあ子も、疲れたらしい!?
January 7, 2007
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当地では結婚した娘はお正月に実家に挨拶に来る習慣がある。腕白兄弟の母親、私の娘の家では、1日に亭主の妹が子供を引き連れて実家である腕白兄弟のうちに来て、会食をして帰った。今日は腕白一同がやってきた。ご亭主は救急当直で来なかったが。せっかくの静かな寝正月の夢が破れた一日だった。昼食の会食が終わっても、なかなかに腰を落ち着けて帰らない。挙句に腕白どもはとまることにした・・と。宿題を下げてきているところを見ても、最初からその予定だったらしい。母親は、息子たちを置いて、帰っていった。明日はまあ子が、母親と実家に行くらしい。毎年思うこと、それは、正月の間、旅行して逃げ出したい!・・何年も言い続けていまだ実現したことの無い夢である。まあ子は、喜んで、夢中で遊んでいるから、仕方ないけれど・・昨日一日でも、ゆったりと静かなお正月をしたのだから。。昔、子供が小さい頃は、私も実家へ子供を引き連れて行ったっけ。子供たちが小さい間だから・・と亭主は達観しているが。。。
January 2, 2007
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あけましておめでとうございます。元旦の今日、富士山のご来光を拝めました。テレビの映像で。穏やかな一日でした。いつもより、きれいに片付いた部屋であったかい一日を富士山いっぱい見て、駅伝見ていつの間にか昼寝をして、早々とお風呂に入ってビールを飲んで・・・ふだんならこんな一日ついぐうたらと、なーんにもしないですんでしまったァ~ってことになるのに、今日は元旦だから・・のどかで静かでゆったりとしたよいお正月だァ~と亭主どのと感動しあっています。 神 そらにしろしめす 世はすべてこともなし ブラウニングの一節を思い出したりして。。
January 1, 2007
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自閉症もどきや、早めの冬眠をしていたわりには、年末の2ヶ月は好く働いた、動いた、と自分でも思う。今年が終わる・・という焦りかな?クリスマスパーティもまじめに、やったし、恒例の今日のパジャマパーティのために、自分地と、腕白家族、友人の悦ちゃんちのと、全員のを縫ったし、大掃除もしたし、部屋の模様替えもしたし昨日と今朝で、年賀状も出した。今朝は、早くから、ちらしすしもつくった。おせちは、このところ、何年も前から、ホテルの注文取が来るから、それに頼んだのが、お昼頃に届いている。更新、サボりにサボったから、気分転換に、パソコンデスクをとっかえた。ちょっと大きすぎの感じだが、快適である。新しい年は、大いに変えてみよう、なにもかも。。と今は思っている。10時殻、年越しそばと、越年乾杯があるが、私方では、元旦のお雑煮とともに、これらは、男性の役目。若い彼が、ノロウイルスの件で、年末も休み無く、大晦日の今夜も職場に行ったきりなので唯一男性のわが亭主どのが、やることになっている。その間をみはからって、書いている次第。一夜明ければ、新年だから、おおいに時分を変えよう・・なんて変えられるものかなァ~とにかく、あと3時間。昔っから、お正月は、好きである。アタラシッイ~って感じが好き!冬なるに 空から花の降りくるは 雲のあなたは 春にやあらむ(新古今集)いにしえ人のまねをして、とりあえずは、好いことだけ、いいようにだけ、考えることにしようか。。などと。
December 31, 2006
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久しぶりの友人から電話がかかった。凄くさっぱりしたのよォ~聞いてね!彼女の一人っ子の息子さんが、先年来、県外に就職していた。その方が結婚、転勤を機会に転居することになったことは聞いていた。荷物送るネ~の電話の後、何日もしないうちに、トラックで荷物が送られてきたそうな。小さなたんす、本箱、寝具、衣類・・要するに家具一切を送られてきた。自宅のガレージに下ろしてもらったものの、その処置に困った彼女は、「ご入用の方、お持ち帰りください」の張り紙をして2泊3日の旅に出たそうな。。ご亭主と二人して。あちらで、処分すればいいのにィ~でも母親が買ってくれたものだから返さなきゃァ、とでも思ったのかしら・・アホな子だわァ~彼女は憤慨したり、笑ったり。車入れるところも無い有様だったし、誰もいないほうが、もしお持ち帰りの方があった場合好いかな、と留守にしたんだそうな。温泉めぐりの旅行から帰ると・・・きれいさっぱり!・・とまでではなかったが、あらかた、なくなっていた! やったァ!? 大成功だった。後は、ゴミ袋で済む程度まで。。これに限るわァ~いい方法でしょう!片付いて、さっぱりしたわ!得意げに喜んでいた。喜びながら、冷蔵庫やコーヒーカップやポット、シャツや本など、持ち帰った人、片付かなくって困ってるんじゃないかしら・・などと変な心配をしたり、笑ったり。何はともあれ、片付いてよかった。さっぱりしたァ~・・自分の思いつきにご満悦の彼女は、しきりに私にも勧めてくれた。
October 17, 2006
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面白い言葉を見つけた。「三本の矢」で有名な、戦国時代の武将、毛利元就の言葉。人生には三つの坂がある。一つは上り坂、二つは下り坂、三つ目はマサカという坂。この三つ目のマサカ、という坂に出会ったとき、どのように対処するか、によってその人の人生は大きく決まる。 その対応の仕方でその人の人格も決まる。当たり前のことではあるが、改めて言葉にすることで、心にしむ。たいしたのぼり坂もなく下り坂も無く平凡というか平穏な人生だと疑いも持たず過ごしてきた。取り立てて、対処することも無く流れに従っていて、何事も、良いようになるようになる、と信じていた。事実そうだった。その分、大きなマサカに出会ったのかもしれない。対応も決することなく、相変わらず、流れに任せている、ということかもしれない。マサカから立ち直ることも無く凹みに任せていることになるのかも。。。いろんなことを反省させられた。ゆっくり考えてみよう・・・と。
October 12, 2006
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湯治のあと、湯治に行っている間も、結構しんどいが、帰宅したとき翌日も、ぐったりと寝込んでしまうことは、毎度のことである。帰宅すると、お祭りが終わった後、まあ子たち母子もぐったりしていた。お神輿について、町内を歩き回って・・担ぐのは子供神輿も中学生がほとんどだが、小学生低学年も,ワッショイの掛け声を笛に合わせてかけながら行列するし、低学年の親は、子供がヘバッタときのために、ついて歩くし。。夜はモテコ~イ!の最終日のちょうちん行列があるし。。ご褒美にもらったお菓子などの袋をあけもせず、まあ子は早々に寝ていた。体育の日の休日も、半日だけ仕事に出かけた老若の彼らは別として、老若幼の女性3人はそれぞれの部屋で終日寝て過ごした。当地の祭り、もてこーい! の掛け声は、喧嘩神輿によるものだ。美々しい神輿に、これまた美々しく綱かけをして、神輿の上には頭取の男性が上っていて、境内や広場に集まり、他の氏子の神輿や、他の町内の神輿にもてこーい! もてこーい! と挑発しあって、神輿同士で押し合いをする。「持って来い~!」が方言的に訛ったものらしい。穏やかな土地柄だのに、お祭りだけは、なぜか、喧嘩神輿である。神輿から落ちたり、はさまれたりして、何年かに一度は怪我や死亡の事故があったりした。さすがに、最近では規制が厳しく、そいうことは無いようだ。それでも、何箇所かの喧嘩場所は、神輿と見物人で、凄い人垣である。祭りが終わった今日は、やたらと街が静かだった。祭り疲れと湯治疲れの我が家もみんな、けだるく静かだった。
October 10, 2006
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明日から3日間、当地は秋祭りである。明日の夜から小学生以上の子供が、はっぴ姿で提灯かかげて、もてこい!もてこい!の掛け声で町内を練り歩く。明後日は、昼間の子供神輿とは別に夜は、各家を一軒一軒玄関まで入って、お祝儀を受け取る。今年は1年生のまあ子は もてこい! の初デビュー。かな子も、一回だけやった。 2年生の2回目のお祭りは49日忌だった。神事と一緒では・・ということで、前もって忌祭りをした。門提灯もつけず、家族じゅうが耳をふさぐ気持ちで、鳴りを潜めていた。今年は、まあ子のためにも、門提灯をつけねば。。と。ひょうたん温泉が呼ぶから・・ちょうど、お祭りは事務所も休業の家人は、別府温泉湯治を思い立った。かな子のこと以来、お祭りが嫌いな我が家の大人ではある。張り切っているまあ子の手前、逃げ出すことは出来ない若い彼や彼女には、申し訳ないがそこは、年の功??わがままを許されたし・・と実行することにした。明日早朝出発して、3泊または行った都合で延期、ということで決行?する。正直、湯治もなかなかに疲れてしんどい。でもその後の体調の良さに、虜となり病み付きになっている家人である。。齢のせいに違いないが。。。当地のお祭り行事のひとつ、上乗せいっぱいの散らし寿司を作るのは、毎年私の役目。前もって作っておこうかと、提案したがみんなでいただくほうが好いから、、、との彼女の提案で、1週間遅らすことにした。 安心して行ける。帰る日を決めないままに、ひょうたん温泉湯治に行きます!城下祭り逃避行をかねて。。。
October 4, 2006
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このところ、能率上がらぬままに整理をしている。戸棚から、何年も前に買った布が,また出てきた。かなり整理をしたつもりだのに、見覚えのある何点かの布を見つけた時、気が遠くなりそうだった!?パジャマには不向き、スーツには派手、何にしょう・・明るいブルーの布を前にひらめいたァ~・・・クションのカバーにした!。私どもに居間に長方形、正方形のかなり大型のクション3個を使っている。それらを同じ布で統一して、ついでに、PCの小さな椅子のカバーを作った。簡単なものだから、一日で仕上げた。帰宅した家人に、垢抜けてるでしょう!センス良いですよね・・なんせ、洋服ようだから布もいいし、上品だし・・・自慢しまくっておいた。上品だかなんだか・・だけど、浪費の後始末が出来て、よござんしたナ~自画自賛の私ほどは、感動してくれないが、それでもやや満足そうだった。あとの布は、また考えよう。とにかくすっきりと、物を始末しなければ・・・まさに、土壇場の整理、始末の世代だから・・・
September 29, 2006
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今日の木曜日は我が家の亭主は休日。トイザラスの開店時間に遅れそう!10時ですよね!・・・腕白ママから電話がかかった。登校前にも腕白どもから、念を押されているのに・・・と。開店前に行きたいそうで、ポケモンのダイヤモンドとパール、今日が売り出しだとか。訳わからぬままにメモして、朝の散歩がてら、亭主が簡単に引き受けた。トイザラスは私宅からは自転車だと10分とかからないが、腕白たくからは自動車でも30分はかかる。たかが、ゲームごときに・・・・ウイークディだし、朝からそんなもののために、出かける親も、そうは居ないよなァ~早すぎても・・と亭主はゆっくりして今からだと未だ早すぎる、シャワーを浴びたりしながら、おもむろに出かけた。今10分前だのに・・60人以上並んでる!!亭主から携帯がかかった。ええっつ!!なんでぇ~・・仕方ない並ぶわ・・・だと。驚いたァ~なんちゅう親バカなんだァ~どっこの子も、登校前に、頼んでおいたのかなァ~アキレテ若い彼女に報告するとっこんちにも、そのお一人が・・ですよね・・と笑われた。腕白ママから、電話がかかった。じいじ一人で、二つ買えないと困るから、、もうじき私も到着するから。。。結局二人して、二人分のモンスターを買って、ついでに、もう一個、DSを買って帰ってきた。 やっと、二人がもめないわァ~これって、なかなか 買えないのよね!すぐ売り切れちゃって!おやばかママは喜んでいた!?帰るとき、70人以上、未だ並んでいたそうな。。。以前、DS買ったときも、お一人様1個、ということで、腕白二人で1個をめぐってよくもめていた、とか。私宅へきた時も、腕白兄が、占有して、弟は、なんとなくまあ子を丸め込んではまあ子のDSを占有して。。。四角いのや長いのや、二つもそれぞれ持っているでしょう・・・私の言葉にさも軽蔑したように、あれはゲームボーイ!これはニンテンドーでもDSなの!!ねぇ~・・腕白弟とまあ子が口をそろえて云う。ミニカーやウルトラマン、ポポちゃんに夢中のころは、簡単だったよなァ~男の子も女の子も、、、、任天堂に夢中。。なんて。今日並んだ、母親や、頼まれたらしいよそ様のお宅の じいじ や ばあば もきっとそう思っているに違いない!?
September 28, 2006
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今日は地区の小学校の運動会。学年4級の児童数にしては運動場が広い学校である。運動場のイチョウの木、桜の木に沿って、ピーチパラソルの花が咲く。今年は、四角いテントふうのも多かった。父兄席のテントも学校側が用意してくれてはいるが、テーブル付きのピーチパラソル持参が圧倒的に多い。昼食は、生徒も家族と一緒だから、ちょっとしたピクニック気分でもある。我が家の1年生まあ子は、かけっこで3等!みんながね、まあ子の前に、どんどん入ってくるから・・まあこドベのほうみたい・・・仕方ないよねぇ~みんなが早いから・・といいながらも直前になって、土手公園で特訓した。学生のころ国体選手だった じいじことわが亭主どのがたった1回だが、つきっきりでの特訓だった。総練習のとき、まあ子ちゃん早くなったねぇ~どうして?って云われた・・と嬉しそうだったから、本番や如何に。。と家族中で見に行っていた。まあ子すごい!特訓の効果歴然!大人4人家族中で大喜びしながら、3等でこんなに喜んじゃあ恥ずかしいですよねぇ~と声をひそめて大笑いした。夕食は広間で焼肉パーティ。3等おめでとう!すごかったねぇ!乾杯!に上機嫌のまあ子は、りょうくんたちも呼んだらよかったねぇ~でんわしようかァ~・・駄目よ、あちらも運動会だったし、亮くんや憲ちゃんは、かけっこ1等、リレーの選手だし3等でおめでとう・・なんて笑っちゃうよォ~と母親に言われていた。それぞれの学年での記録保持者の腕白兄弟に比べて、我が家もまあこはピアノはバイエル終わり近いし本もよく読むけど運動神経には恵まれていない。かな子もそうだった。あのころ、じいじは今より若かったから何回も特訓して、本番にゴール近くまで、1等だった。結果的には2等だったけれど、あの時もみんなして喜んだ。かなこのピーチパラソルでの、運動会は一回こっきりだった。テーブルの写真を見て、誰もが思ったが誰も口には出さなかった。まあ子は嬉しそうで、多分今夜は良い夢を見ることだろう。疲れているから。。。
September 24, 2006
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当地では秋彼岸・・お彼岸の中日は、菩提寺に集まって、寺の住職・・お上人さまの法話を聞き卒塔婆をいただいて帰るのが慣わし。お盆に来ていただいたとき、卒塔婆は注文?契約?されている。市街地の、市内電車通り近くのこの菩提寺は、この宗派では一番大規模の寺で、駐車場も広いが、当日は大広間も前庭もいっぱいの人で、車の置き場にも困るから、私は、かな子の両親である彼と彼女を、まあこと一緒に運ぶのがいつものことである。1時間半くらい経って、電話を受けて、また、まあこと迎えに行った。帰りに、お墓へ寄って、帰った。墓地は、大勢の人がお参りに来ていた。前日にも行ったし、次からは、当日止めて、翌日にしましょう。。というのが彼女の感想だった。大勢の方々に出会うのがいやだから。。。この2時間以外は、テレビの「大地の子」を終日見ていた。前の放送でも見たが、今回は、ぶっ続けで放映されていたから・・・お墓で、ボロボロして、テレビでワアワア涙流して・・一日中涙流して、目がはれたようで。慣わしだから、従ってはいるが、お彼岸なんて無ければいいのに、と思う一日ではある。
September 23, 2006
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今日の彼岸入りを待っていたように,曼珠沙華が咲く。彼岸花といわれるゆえんであろうけど。まんじゅしゃげは大好きな花の一つである。「曼珠沙華」は梵語で、赤い花 の意であるそうな。何年か前、中国の西湖に行ったとき、湖畔にびっしりと、黄色い曼珠沙華が咲いていた。真夏のことである。中国のこの地では、彼岸花とか言わないだろう。真夏に咲くのだから。不思議なことに、赤い曼珠沙華は見あたらなかった。梵語の「赤い花」は中国語ではなんと呼ぶのだろう。県の南部、南予地区には、国道脇も、田んぼの畦も、一面、真っ赤な、曼珠沙華が咲き誇っている処が多い。何年か前、この地方の友人が、赤と黄色の球根をくれた。庭の隅っこに植えたのが、年々少しずつ増えて、今年はそれぞれ30本くらいが、2分咲き位になっている。暑い日盛りのころは,気がつかなかったのに、この3.4日急に伸びて目に付くようになった。葉を全くつけないで、いっせいに渾身で咲き誇るような「まんじゅしゃげ」の潔さ、のような、華やかさが、やはり大好きである。
September 20, 2006
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日中も涼しく、残暑など飛ばして秋に突入の感じの、昨日今日である。仕事もはかばかしい。パッチワーク風の、パジャマやスカートを組み合わせるのに、結構夢中ですごした。もともと、溜まった布を整理するつもりで縫い物をはじめたが、縫い始めると、つい、布を買いまくって、一層残り布の山が大きくなるばかりだった。気に入った布は、つい多めに買う、という悪癖によるところも大きいが・・・パッチワーク風だと、袋物と違って、パジャマやスカートとなると、布のはけ方が違う。整理がはかどる。布の組み合わせの妙と、整理をかねて、いささか病み付き、的である。時間はかかるが、残り布の山が減るのがこの上なく、良い気持ちである。夏物をそろそろおしまいにして、秋物、冬物に取り掛かろう。すごーく有意義なことをしているようで、われながら、気分が良い。合間に、たんすの洋服も整理しよう。3年間着ない服は、なくっても良い、ってことだァ~・・家人の口癖である。着ない服も、着てすんだ服も・・・ぜーんぶ整理したら,どんなにか、気分が好いだろう。当分の間、頑張ってみよう!
September 13, 2006
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仕事の都合がついたから、明日から別府にいこう、、、帰宅の家人の一言で急遽別府行きが決まった。3泊4日。 8月はいろんな都合でパスしていたから、2ヶ月ぶりである。昨夜帰宅したところ。ちょっと久しぶり、ということもあって、かなりの湯あたり状態だった。今回は連日5時すぎにはホテルに帰って宵からひたすら眠っていた。それでも、9時の開館から、連日7時間あまり、湯に浸かったり、滝湯に打たせたり、砂湯で寝たり、露天風呂の木陰でぼんやりしたりで、正直のところ、2日目には逃げ帰りたくなったほど。。3日目は諦めて、4日目は慣れて、の感じ。お陰で、体は快調だァ~と仕事に出かけた家人には申し訳ないが、私は1日中のお昼寝タイムで、すごした。確かに体が軽くなったようで・・湯治の効果は確実にあるらしい。
September 11, 2006
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友人の悦ちゃんはパッチワークの名手である。何度か個展やグループ展もやった。小さなグループの指導もしている。展覧会には、小さなポーチや袋物、クッション、壁掛け、ベッドカバーなどの大作もあった。小さな布を組み合わせて、幾何学模様や花模様など。。果てしなく時間をかけたそれらは、感動ものではある。でも私は、狂喜乱舞するほどに好きではない。パッチの袋物やバッグを使いたいとは思わない。ましてや、チクチクと小布を手縫いで縫い合わせることは、性に合わない。だから、やりましょうよォ~といわれても断り続けて、近頃では、誘わなくなった。パジャマやスカートを縫えば縫うほど、残り布が増える、ということから、それらをつぎはぎして、パジャマを作って欲しい、ということになった。悦ちゃんのリクエストに応じて、インド綿の地格子柄シリーズと、花柄シリーズと2枚のパジャマを作った。アトランダムに、でも色取りを考えながら、1メートル前後の布を組み合わせて。。出来上がった2枚のパジャマとスカートを、渡した。えらく喜んで、元気が出るパジャマだァ~などと。次はもっと小さな布を寄せて、作ってぇ~ だめ!これ以上は手間かかってしょうがないから!こんなつぎはぎルックは私の好みではない。こんなのが大好き!♪ と喜ぶ彼女は、パッチ狂いだからだろう。時間がかかっても、悦ちゃん喜ぶし、布の整理になるし。。また作ってみようかなァ~などと。。人の好みって、おかしいもんだな、と改めて。。。の日であった。
September 6, 2006
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日中でも涼しい風が吹いて、夏の終わりを思わせられる1日だった。調子よくなったミシンを1日中使っていた。夏が終わるのに、夏物を裁断したままで、縫い残しているから。。2週間予定が狂ったのだから仕方ない。文句の一ことでも・・と思わぬでもなかったが、相手が気分を壊せば、こっちも気分悪いし・・・近頃、面倒なことが、すごく嫌になってどうでもいいことは、なるべく拘りたくないというのが本音。今日と明日の二日間で、幾分は片付くだろうし、縫い物に夢中になれるからミシンはありがたい。ミシンは良いのがあるけれど、ウデとアタマがないから縫えないわァ~友人の悦ちゃんから電話がかかった。ミシン良いのがあるけど、ウデとアタマがあるから縫えて縫えてシンドイわァ~嘯いておいた!?
September 5, 2006
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12日ぶりにミシンが帰ってきた。今朝、電話したら、部品が届かなくって・・・などと。何日経ってると思ってますウ・・と心の中でわめいた。宅配でなく郵便なもので、遅くなるんですよォ・・・ウソだァ当節ゆうパックは宅配並みに、2日目には届くというのに・・・うそつき!怠慢!デタラメだァ~アメリカから送ってくるわけじゃないでしょ!東京でしょうがァ!声に出さずに、電話のこちら側で、心んなかで、わめき散らした。遅くなるようだと、持ってきてください。メーカーの出張所の取りに来てもらってもいいですから・・・せいいっぱい、にこやかに云うことで、溜飲を下げた.厭味のつもりで。以前、阿刀田隆の小説だかのせりふ・・・「私って、大嫌いな人に大嫌いだ・・って悟られないようにするのが特技なの♪~」厭味な女性のこのせりふが私はたいそう気に入っている。何度かこのせりふを自分の中で使ったことがあって、その度に、溜飲を下げた気持ちになれて面白かった。夕方、部品がやっときて出来ましたァ・・・と持ってきてくれた。確かに音は軽くって調子が良くなっていた。丁寧すぎるほどにお礼を云うたせいか、お辞儀をいっぱいして帰った。小さなバネ1っこ取り替えるのに、時間かかりすぎだァと本気で思ってはいる。
September 4, 2006
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夏休みもあと一日、ラジオ体操も今日、明日だけ。近くの三角公園での、ラジオ体操に行ってみた。当節の小学生ラジオ体操は、夏休みの初めの一週間と、終わりの一週間にするだけに決まりだそうで。我が家の小学生まあ子は、夏休みはじめの一週間は、ハワイ旅行で欠席、参加は今回だけ。6時半からの集合に、早起きして100mほど離れた会場に行った。40人近くの子供たちが、おしゃべりするでもなく、集まって、ラジオ体操の歌が始まるとのろのろと並んで。一番ちびっ子のまあ子は人見知りのせいか、運動神経ゼロのせいか真ん中あたりで、一拍おくれで、ゆるゆるとやっていた。他の子供たちも、まあ子ほどではないにしても、みんな、ゆるゆるやっていた。端っこの桜の木下で、私もやってみた。以前打撲の、右肩がいたくって右手は上がらなかったが。あれれっ!?子供たち、ゆるゆるながら、みんな反対だァ!?前で、子供のほうを向いて、やっている6年生の子供が、やっているのを見てするから反対になるんだ・・判った。6年生は、やはりゆるゆるではあるが、順番はちゃんと覚えている。さすが!ではあるが。後方で、お役目らしくやっている若いお母さんが4人ほどいらしたが何も言わないし。ゆるゆるやっているお母さんの中に、しゃんしゃんやっている方も居たけれど。。。当節のラジオ体操ってこんなものかと、おかしかった。終わった後、6年生の班長さんにはんこもらって、ありがとう、とユルユル解散。皆さん、静かねえ、お話しもしないのォ~・・みーんな眠いじゃァないのォ~まあ子の所感である。新学期のための早起き練習ですから・・・我が家の若い彼女の弁である。
August 30, 2006
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今度はミシンが故障、サボタージュ。故障するようなミシンじゃないんですけど・・無理しましたア?無理なんてしてません! 酷使はしましたけど。。。取りに来てくれたミシン店のご主人との会話。先月末にも同じような会話をした。あのときはパソコン。やっぱり、私は確実に機械運が悪い。パソコンも買い換えて1年経たないうちだったし、ミシンもそうだし。頑強がウリの家庭用工業ミシンというパソコンよりも高価なミシンだのに。。内部のどっかのバネが悪いからメーカーから取り寄せるから2週間くらいかかる・・答えまで、前回のパソコンとおんなじ。ミシンが無いってことは、今の私には、空気の抜けたボールみたい。シャカシャカ ミシンを縫いながら、早く片付けよう、物好きするのは止めよう、といつも思っていたが、案外、忙しい思いをして縫っていることが、今の私には大きく救いなのだと気がついた。
August 29, 2006
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このところ、当市の美術館で,4大浮世絵師展が開催されている。云うまでもなく、江戸時代の人気浮世絵師、葛飾北斎、喜田川歌麿、歌川広重、東洲斎写楽、の作品170点以上の大掛かりなものである。これらすべてが、神戸在住の中右瑛氏のコレクションだというから驚きだった。格別に浮世絵に興味があったわけではなかったが、、、むしろ、膨大な中右コレクションに惹かれたところもあった。予想以上に面白かった。ことに美術館学識委員の懇切丁寧な作品説明があったから、一層わかりやすく、楽しい時間だった。アメリカ在住の兄が来日していて、一緒に行った。もともと美術館が好きで、東京近郊のあちこちの美術館に来日のたびに、巡っているし、1昨年私が4週間半アメリカ滞在したときも、たくさんの州の、都市の美術館へ連れて行ってくれた。ことに、葛飾北斎が、晩年70歳を過ぎてからの仕事、[富嶽36景]によって後世にその偉業を残した、というのがお気に入りの彼である。人生50年の時代に、晩年にこれだけの作品を残したことで、単なる人気浮世絵師ではなく偉大なのだ、、、ともに90歳過ぎるまで、大きな仕事を続け、成し遂げ、後世に残した、日本地理の伊能忠敬とともに、彼の畏敬する日本人としてよく聞かされていた。これだけの展示会をする美術館があるとは、、と当市まで褒めまくって帰っていった。神戸在住の収集家中右氏に感謝せねば・・帰りに、私は好きな、北斎の「赤富士」と「浪富士」の額を買って帰った。重いから・・と迷った末に兄は、大きな写真画集をかって帰国した。電話のかかった友人の、何人かに、是非行くといいよォ~と勧めておいた。それほどに、圧倒されるほどに、見ごたえのある、楽しい展示会ではあった。
August 28, 2006
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迎え火、送り火のお盆も終わった。人の出入りが多かったり、身近な人の入院のお見舞いや訃報があったりせっかく帰ってきたパソコンがストライキを起こしたり、疲れることの多い夏だった。でも、我が家で本当に、夏なのだ、と実感するのはかな子のあの日に始まり終わりになる。今年は3度目の夏である。お盆から引き続いてお花で溢れかえるかな子はあの時のまま幼い顔で屈託なく笑顔でいる。どうしても、かな子ちゃんに会いたいからと云うもんで・・おばあさまと一緒に仲良しだった晴香ちゃんがお盆の終わりの日に来てくれた。139センチに背が伸びたはるかちゃんは、手足のすらっとしてすっかり少女めいていた。120センチにやっとなった、と喜んでいたかな子だったよな・・・やはり3年間は確実に経っているのだ。かな子がこれが良いと買ったものなの、香菜子からだと思ってね。。彼女がハワイのお土産をはるかちゃんに手渡していた。昨夜私の部屋にやってきた若い彼が、言わせて・・・と。かな子が、幼くして、だから不憫だとか哀れだとかでは絶対泣かないで。親である私らは、会いたいのに会えない、こんなときあの子はこうしていた、こうするに違いない、とかで泣くことはあっても、哀れんだりはしない。かな子は、いっぱい学んで今は、現世の大人よりももっと高い魂になって心豊かに暮らしているのだから・・泣いてもいいけど、憐れむのは駄目、冒涜だからね。。。と。理屈に合っているような、無いような・・・江原ひろゆき氏や英国霊媒のお話を聞きに行ったり本を読みふけっての結論だろう。筒型のかわいらしい灯篭や池に浮かぶ睡蓮のような赤い蓮の灯明、お霊供膳を欠かすことの無い彼女も、早朝仏間にこもる家人も、みなそれぞれだが、香菜子の思い出を語り合ったりは未だ出来ない。普通に暮らすことがこれほどに健気な努力が必要な家族に今年のあの日がもうすぐやってくる。
August 19, 2006
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日中34,5度の毎日が続く暑さだのに今日は立秋、暦の上とはいえ、なんだか変なきぶんである。あれから、サボり始めてから6週間過ぎた。自閉症的に1週間すごし、体調を崩して1週間、その後しゃかりきにパジャマを縫ってパソコンが使用不能になって、、買い換えて1年も経たないのに、本体(?)をはずしてメーカーに送るということになった。機械運が悪いのはいつものことだから驚かないが、全く無いということは不便だった。雨が少ない当地にしては、珍しく長雨が続いたり、梅雨が明けた途端に猛暑の日々で、、、有意義でなくすごしていても、日が経つのが早いことに妙な感動を覚える。月末から1週間のハワイ旅行から若い家族が帰ってきた。日本は暑い!快適なハワイだったア~夏の日本から大勢の人がハワイに行くのがやっと判った、、そうな。空港で出迎えたまあ子が,開口一番、にほんってあついねぇ~だと。やっとパソコンも帰ってきた。週末から、まあ子と彼女は実家へ里帰り。若い彼は、交代でハワイに出かけた人もいて、連続の当直で留守。居住空間が全く別だから、居ても、うるさいとも思ったことは無いが、居ない、ということはそれなりに、のんびりと気楽なことを発見した。ハワイの留守ちゅうは、腕白どもが、2人と2匹乱入していたから、こんな穏やかな気分になれなかった。
August 8, 2006
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梅雨の曇天に左右されるわけではないがこの何日間か、やたらと凹んでいた。人に会うのも、話をするのも億劫になる。普通の日は、家人も仕事で出かけるから、部屋のこもっていようと別に差し支えは無い。こんな時は当然ながら建設的なことは考えない。やたらと辛い思いに捉われる。子供だと、こういう状態を自閉症と言うのだろう。不定期に、時にそんな気分になるが、、、家族の誰にも気づかれることも無くこの期間をやり過ごしてはいる。と思ってはいたが、いつか、若い彼が、精神安定、とかの薬を朝夕服用するように、と持って帰ってくれた。今日は、たまたま家人の休日。朝からご機嫌な彼は、早起きして、せっせと、家中のクーラーの掃除を始めた。家中と云っても、離れの別棟になっている私どもの居住区には3っしかないが・・ふてくされた私も仕方なく、踏み台押さえたり、雑巾取り替えたり、と手伝うより仕方ない。お掃除機能がついていると言うクーラーだのに、ふたを開けて、掃除するのが一番!と思い込んでいるキカイ音痴で、楽天家で、のうてんきな、亭主にちょっといらいらするが、ことさら陽気に、明るく振舞うのが判っているから、何も言わずに手伝って。そのあと、さあ温泉行きだァ・・・おいしいもん食べよう!・・温泉ホテルのランチでブランチ済ませて温泉に入って帰った。。。かえって昼寝をして。。陽気な楽天家の家人と一緒じゃ、自閉症的憂鬱病もやってられない!?夕食後サッカーの映像を見ながら、缶チュウハイでご機嫌な家人に付き合って時間を過ごした。
June 15, 2006
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地震だよねぇ~などと言いながら目も開けず、起きもせず眠りの続きのなかだった。朝のニュースで、震度5弱と知った。道理で、揺れ大きかったよな。などと・・出窓の花瓶も倒れてないし・・街の声・・で、ガスを大急ぎで消しましたァ~とか柱にぶっつけて怪我をした人とか報じていた。朝5時。そんなに早く起きておいでかと、そのことに感心したり。震度5弱と言われる割には、どこも被害はでなかったらしい。100年ごとに、南海プレートの地震が来るはずだからこの地方も、安閑とはしては居られない状況だ、と言われて久しい。どんな風に予防すべきか、その時は・・とか話題になることはあっても、いつしか立ち消えて、地震に鈍感になっているらしい。起きもしなかった鈍感さは特別としても、誰もがのんびりしていることは確かのようで・・・瀬戸内海と四国山脈の間で、守られる形の地形だから、人間がのんびりしているし、良くも悪くも傑出する人物が居ない、または少ない、とよく言われる。本当にそうかもしれない。。。
June 12, 2006
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今日はよく仕事?をした。仕事しすぎて、完治したはずの肩、上腕が痛い。 骨の芯がうずく感じで・・風呂上りに、シップをベタベタ貼って、早速眠ることにする。無理するからァ~家族に言われて、私って期待されていないんだァ・・・と思い知る。とにかく、早くに寝るのが一番のようで・・・
June 10, 2006
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変身宣言した割には、ちょこっと縫い物をして、ちょこっと手紙を書いて1日が終わってしまった。まあ子が出来上がったパスポートを見せに来た。夏休みに入る7月末、1週間のハワイ行きのものである。署名は自筆のひらがなだった。父親の彼の勤務先で、オーナーの招待旅行だとか。勤務先の運営上、家族単位での交代旅行だから気楽だし・・と誘ってくれたが、暑い時期だし、夏休みの混雑期だし・・家人が即座に辞退、私もちょっと考えたが結局辞退した。かな子の時、翌年のハワイ行きを約束していて、かな子が楽しみにしていたこともあって彼女はなかなか踏ん切りがつかなかったようだが、結局行くことにしたのだった。ワイキキ浜辺の良く聴くホテルで、プールあるからクロールとバタフライと泳いでくるね♪とまあ子。3人で楽しんでらっしゃいね~お姉ちゃんも行くから4人なのよォ~・・屈託無くまあ子は嬉しそうだった。長い飛行時間は、ちょっとなァ~・・バンコクなら、また行っても好いかなァ~家人の言である。 あちこち行くたびに、又行こう!とあれほど言い合ったのに、搭乗時間が大儀になる、なんて想像もしなかった・・・怠慢人間になったのは私だけじゃあ無かった。。。
June 9, 2006
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今日の小雨で、いよいよ入梅宣言らしい。家人の事務所がお休みの今日、2ヶ月ぶりに奥道後のジャングル温泉に行った。肩を痛めて以来、休んでいたから。午前中、ホテル経営の田舎屋箱そばを開店早々に立ち寄って食した。温泉は、1時間20分入っている間中、5・6人の入浴客で、空いていた。小さな浴槽があちこちと8つほどあるが、ドコも、貸しきり状態で、かけ流しがざぶざぶ溢れて気持ちが良かった。露天風呂は2ヶ月見ないうちに、うっそうの青葉山になっていたし。。、かえってまた長い昼寝をしたが、気分はすっきり!明日からは、怠惰の固まり状態のサボり病におさらばだァ~サボり状態で何日も過ごすことも、眠り病で寝溜める事も、突如仕事人間に変身することも、得意技なのだから!??片付ける事柄を、今日は箇条書きに、書き並べておいた。明治天皇の5か条のご誓文を大きく超えて、聖徳太子の17条の憲法との中間くらいの項目があった!??
June 8, 2006
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多忙です。別に、たいした仕事をしている訳ではないのに、用事が山積して。理由ははっきりしてはいる。。ついつい、なんでも後回しにする結果、オセオセになった用事が溜まる、それが気になりながら、なおオセオセにしていることが原因であること。写真を送っていただいた方へのお礼状とか、頂いた句集のお礼と感想とか、外国の兄弟へのメール返信とか友人からの手紙の返事とか、縫ってあげたい方への、縫い物を造ることとか、端切れで、袋物やクッション枕カバーを作りたい、...etc...いずれも期日があるわけではないが、早いに越したことは無い、たいした用事ではないがきちんとやるにこしたことは無い。気持ちの負担であることは間違いない。判ってはいるのだが、気持ちが乗らない・・やたらと眠い。本当に脳みそが溶けて流れているのかも知れない。物を始末するだけでなく、身辺整理も始末のうちだとは思っているのだが。雑用を気にしながらでも、ひたすら眠いこの数日間を眠り過ごして,しゃきっとする日を待とう・・・居直りながらやっぱり、気にしたり。単なる眠り病とサボり病なのかもしれない。。。。
June 7, 2006
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手術を生まれて以来したことの無い私は、今回はじめて知った。長い入院や高額治療を受けた場合は、高額医療費を払ったことで、返還があることは知っていた。これも、私には無縁だったが。。救急車で運ばれて、即手術の場合は別として、手術すべきです・・いつにしましょうか・・の場合は、あまり遠くない日で、病院、医者の都合で日を決定する。何故か月末の手術日が空いていることが多いそうで。。。今回手術した悦ちゃんは29日だった。ふた月にわたる手術入院の場合は、いかに高額であっても、返還金はナシだそうな。へぇ~そうなのォ~・・・そうなのよォ~でもまァ、毎回命拾いしてるから好いけどねぇ・・過去に数回の手術をしても、何時も月末だから、ふた月にかかるから、返還金なんて恩恵に浴したこと無いそうで。。こんなこと言うの、元気になった証拠だよね。。。自分で云って置いて、ケラケラ笑っていた。私も物知りになれた!今は自宅で静養中だから、出会うのは止めにして、電話で長話をした。いろんなご親切制度も、よくよく知っていなければ、都合の好いことばかりでも無いらしいことが、判った日だった!?
June 6, 2006
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修学旅行から帰った腕白兄が、お土産を持ってきた。いつもの事ながら、母子3人と2匹でやってきた。腕白兄が近頃、やたらと手足が伸びて、おとなしめになったと思ったら、もう6年生になっていたのだ。広島の平和公園、秋吉秋芳洞、山口で一泊、下関の水族館、北九州のスペースワールド。楽しかったァ~・・でも4百円しか残らなかったァ・・と。まあ子とかな子には飾りのついたボールペンを彼と彼女にはおせんべいを私どもにはトムとジェリーのストラップ。自分ちの家族にもこまごまと買い物をしたらしい。お小遣いもって行くの、5000円に決まってるから、貰った分はぜーんぶ置いて行ったから・・貯金しとくね。。ママに貰った分だけ持っていったから。。どっちがトムにしょうかと迷ったけど、どっちが良い?ええっ!??ジェリーのほうがちっちゃいから、そうかなァ~と思ったけど・・イメージが・・とママが言うし。。そりゃあトムでしょう! うんそうだよなァ~・・そばに居た彼と彼女が口をそろえて言う。まさか、私はそんなに意地悪じゃないよォ~ドジなところが・・ということだよね・・亭主までが口を添える。結構賢婦人で鳴らしていた私だと自信があったつもりだけど・・家族はそんな風に思っていたのかァ~気にすること無いよ、ドジは昔から、やから・・ヘンな慰めは一層きつい。心優しい亭主殿は、体が大きいから私がこっとだよね、とトムを受け取ってくれた。確かに私はすばしっこくはないよなァ~と思いながらジェリーが私のものになった。
June 3, 2006
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心配した神戸での手術を恙無く終えて、明日には帰宅する由、電話があった。今日にでもお迎えに出かけようとしたけれど。。。神戸時代の友人が、荷物を片付けて、宅急便で送ってくれるし、バスに乗るまで見送りしてくれるから・・ということで、、、彼女の云うとおりに行くことを止めにした。それにしても、手術から6日目の退院は、早い!と安心と同時に驚いている。おなか、捌いたわけでないし、不要物を切り捨てただけだから・・広がりも転移も無かったから良かったのォ~♪♪ 彼女は嬉しそうだった。ラッキーだった。帰りは彼女の市のインター停車のバスで帰るから・・・帰ったら一番に電話するね。。。と電話は切れた。ほんとに良かった。お家のことも気になるから早く帰れてよかったのだ。後は何日か置きに、通院すれば好いそうで。悪性と通告されても、きちんと手術が出来るのは、全く気に病むことは無いのだ、ということを改めて知った。良かった。良かったと繰り返して思ったし、言い合った。退院!なんていい言葉なんだろう!退院した、って言葉を聴くと、誰もが安心する。退院即安堵。。安心、希望と同義語なんだァ~♪
June 2, 2006
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よく働いたァ~早くから布団を干し、シーツカバー類を全部洗って、押入れを整理して家中の湿気とりドライペットを全部入れ替えて、アイロンかけをして・・etc働きすぎて完治した肩が痛んだほど。。シップをベタベタ貼っておいた。夕食後に帰宅した若い彼が、知人からの頂き物の釣り鯵持ち帰り、それを捌いた。肩が少し・・とは思ったが、魚を捌くのは私の役目、と決まっているから。。普段家事は全くやらないけれど、ちらし寿司と魚捌きは、私でなければ・・・とおだてられて、私自身もそれに甘んじているから。桜の頃、目の下50センチもの大鯛を3尾持って腕白兄弟の母がやってきたときは、さすがに苦闘したっけ。こんな大きな鯛は、手に負えない、以前なら近所の魚屋さんにお願いしたこともあったのに、今はそのお店もないし・・こんな大きな鯛は普通の台所に持ち込むものじゃないよね・・下さる方も、もうちょっと考えてくれれば好いのにねぇ~などと、持ってきた彼女とぶつくさ云いながら、1時間あまりかかってやっと1尾を。後は、氷詰めにしておいて翌日、亭主も動員して、片をつけたりした。今回は,鯵だし、鯛ほどには骨が硬くないし。。30センチの大鯵と少し小さ目と3尾。1尾半を刺身にした。食事も終わっていたから、改めて、ビールで乾杯して、頂くことにした。さすがに釣りたてで、美味だった。鯛のときのように、小さな傷が手にいっぱい出来たりもしなかった。釣り趣味人間が家族に居たら、何時もこんな美味しいのを頂けるのに・・・などと。よく働いた月初めの一日だった。
June 1, 2006
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5月も終わった。カレンダーを眺めながら,間違いなくいろんなことがあったはずだのに、一瞬、戸惑うほどに今月が早く終わった感じ。。そういうのってボケ、認知症の始めだよォ~と周りのものに言われた。やばいな、と自分でも思う。とにかく5月は終わった。認知症だとは思わないが、あまり有意義な月日でなかったのか、やたらと多忙多事な月だったのかと思うことにした。月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人なり。。。。松尾芭蕉のような偉大な人も凡俗の私にしても、月日が逃げるように過ぎていくのは同じなんだ。あながち、認知症の始まりとはいえない。屁理屈を述べ立てて,自分を納得させながらも、6月は有意義な価値ある月にしよう!あれっ、もう終わっちゃったなんてことの無いように・・・心せねば。。。。
May 31, 2006
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今日は良い日だった。お天気は良いし、暑くも無く爽やかだったし。。近くの郵便局に行ったついでに、駅前まで歩きいつもの美容院へ、これもついでに髪を切った。丁度、空いていたので、コーヒーをよばれて、紫陽花、アイリスの花いっぱいの店内で休憩して、、、、本屋、布屋でちょこっと買い物をして。。。放浪とも徘徊ともつかぬ時間を過ごした。結構な気分転換の半日だった。帰った頃、メールが入った。無事手術が終わって、病室に帰ったと。。鏡を見たら、首にワッカを巻いて、何本もの管をつけて、まるで犬みたい・・だと。何事も無ければ週末には帰る・・と。神戸に手術入院に行った悦ちゃんである。パジャマもガウンもぜーんぶだから、一緒に居るみたいで寂しくないよォ~なんて。よかった良かった、と大安心した。-先だって遊園地の写生大会の絵が銀賞だけど、表彰式の案内が来たことと別の企業主催の展覧会はただの入選だのに、本人の絵をプリントしたTシャツが送られてきたこととが重なってまあ子は嬉しがって報告してくれた。デモね、今度の表彰式は、ギンだからあんまりはよくないけどね・・・などと口ごもりながらそれでも、ちょっと得意げだった。今日は好い日だった。久しぶりの五月晴れは気分も五月晴れだった。
May 30, 2006
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朝寝坊の私がちょっと頑張って、神戸行きの彼女を見送った。早めの駅に、彼女ひとりで座っていた?ご亭主さまは?お嬢さんは?今朝はちょっと調子が良くないから・・・送ってくれたお嬢はすぐ帰ったのォ~パパのお世話頼んでるから・・・ちょっと寂しそうに笑った。もっと早起きして、迎えに行くんだったのに・・・彼女は隣接の市の居住者だから、駅まではちょっと距離がある。大小二つの鞄をもって。。大丈夫?荷物多いよね! そう、私ってモテモテ女だから荷物いっぱい持つのォ♪いつもの明るい笑顔で笑って見せた。病院用にと用意していた花模様のソックスと、車中でのお弁当代わりにと巻き寿司サンドイッチお茶コーヒーなど、地下街で用意していた袋を渡した。朝早いからお食事取ってなかったのォ~助かったァ~アリガトウ。。。そんな彼女の鞄を持ちながら、やっぱり一緒に行けばよかった。。このまま行こうか!?本気で思ったけれど、良い、良いと固辞するし、、、バス降りたらすぐタクシーあるしホスピタル・ホテルに着いたら誰か来てくれてるし・・・彼女は笑顔で云うから。。。3列のゆったり座席に客は両方の窓側だけ。1時間あまりで2回のサービスエリアで休憩。4時間足らずで神戸着だから、ゆっくりいけるよね。。。一人で行く寂しさよりも、お家のご亭主さま、気にかかるだろうな、と笑顔の彼女が健気で・・3分間の発車までの間、悦ちゃんガンバ!メールを送った。高い座席から、窓に顔くっつけてok!ok!のサインをしながら笑顔で手を振って出発していった。
May 28, 2006
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神戸での手術を近日に控えた友人と、午前中壮行会(?)をかねて、2時間の出会いを持った。神戸行きを一緒に、の予定だったが、ご亭主かお子さんかが、ということなので。。検査や術後の病棟用にと、ガウンらしきものを仕立てて持参した。ガウンというよりも、一見コートドレス風で、ちりめん生地の小花模様にした。われながら良い出来で、彼女も、わァ素敵ィ~病院でおしゃれだし、パジャマの上でもゆっくりだし・・・えらく喜んでくれた。パジャマは以前から何枚か渡しているのが、この時用にとお気に入りを未使用でとってあるから・・・とか手術を一度もしたことの無い私は少し怖いけど、執刀医がご亭主の後輩だし、神戸出身の彼女は、身内は誰も居ないけれど、学生時代まで神戸だったから、友人の何人かが待っていてくれるというから、寂しくは無い・・と。術後は早々に帰るというけれど、いつでもメールしてね、すぐ行くから、、約束しておいた。眠っている間に手術は終わるから・・と明るい彼女だが、それでも、来て欲しいときはほんとに来てね・・と念を押していた。歩くことが体に良い、って話になって、公園を毎日歩くことを盛んに勧める。私の体を盛んに心配して。。。私の心配なんかすること無いよォ~私は歩きはやらない、なぜなら、徘徊と間違えられるから・・・それもそうねぇ~・・共鳴しないでよォ~徘徊ねぇ~うんうんありえるよねぇ・・いつもの明るい笑顔で笑い転げる彼女である。かなり大変な手術のようで,自身不安もあるらしいのに、、、分野が違うにしても、一言もコメントが無いご亭主は、きっと主治医の先生を全面信頼してるってことだと思うのね。だから私も・・・と素直で明るい彼女を見ると、なくなった彼女のお母さま、良い環境で育てたんだな~などと思わせられる。いつもの事ながら。。。
May 26, 2006
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一年生が学年集団下校をするから、保護者は途中まで出迎えに行くのが日課である。今日は母親の彼女が用事があるので、私が代わりをすることになった。午後2時に自宅を出て、200メートル近く離れた国道歩道橋が通学路の途中で、そこまで一年生を出迎えに行く。6車線の広い国道の大きな陸橋の向こう側までは先生か他の大人が送って来てくれる。橋の陰で待つことしばらくで、10人ほどの黄色いランドセルカバーのちびっ子集団が見えた。ばらばらと階段を上がるのを見ながら、改めて、1年生ってちっこいなァ~と。女の子は3人しか居ないし、ことに小さい女の子がまあ子とほかに一人。角を曲がると、男の子ばかりで、女の子はまあ子だけ。6年間、学年集団下校だったら厭だわァ~という母親の気持ちも判る。腕白そうな男の子ばかりだったから・・・子供の少数化はこんなところにも影響するんだなァ・・と。何年か前までは、登校下校は同じような女の子同士で仲良し通学してたのに・・今は、町内でも小学生はほんの数人で。世の中物騒だし、子供少ないし、公立の地区の学校通学でさえ保護者が送り迎えしなきゃならないなんて・・幼稚園のときと変わらない状態で。。。一クラスが30人足らずで、行き届くから・・と喜んでも居られない状態なのだ、とはじめて知った。以前なら・・・と繰り返し思うのは、人間が古いってことなんだァ~当然ながら・・・
May 24, 2006
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骨折でもないし、3週間目に改めて写したレントゲンも異常ないし、当初から2,3週間ということだったから,完治したはずだのに。。完治したァ~とはしゃいで運転も少しはするし、ミシンも少しは・・・だのに、やっぱり痛む。湯治したのが少しは効いているような気もするけれど。。。お相撲さんでも、打ち身、捻挫は2ヶ月、完治にかかるというのが普通だから・・力士と比べられてもしょうがないが、家族は口々に慰めては呉れる。痛いままに暮らすって、かなりなストレスではある。もっと体の痛いお人もおいでだろうから・・とは思ってもやはり不便が多い。でも自分の不注意でなったことだから、どうしようもない。こういうのを、「日薬」と昔の人は云った。日が経てば直る、日数を数えれば良い、ということで、一番軽症ということだろう。「ひぐすり」とは云い得て妙である。失恋でしょげているときの慰め言葉にも、使うことがあるのを思い出した。失恋も、人生のうちでは軽症微々たるものってことなんだろう・・・失恋なんて今の私には死語にも等しい言葉だがちょっと面白いと、思い出した。
May 23, 2006
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頑張らないことにしよう、と決めて湯治に行ったけれど、やはり疲れた。長湯はしない、早めに切り上げて、と心がけたけれど打たせ湯はかなりエネルギーを消耗するらしい。3日間雨の覚悟だったが、あとの2日はピーカンで風が爽やかだった。砂湯でうとうとと眠り、蒸し風呂でもうとうと。ホテルでは宵から眠りの繰り返し。帰りの船中でもぐっすり眠ったのに、今日の午前中まで眠りどうしで。やっと夕方近くから、爽やかに。知人友人に勝手に予定していたミシン縫いがたまりにたまっているのが気になる。明日からまじめに頑張ろう、などと。頼まれたわけでもないから気楽なのだが、布の山を見ては、いささかになるから。。湯治は疲れる!2泊が限度だよね~以前のように3泊はとても・・・家人と一致した意見である。直後は湯疲れが出るが、3,4日経てば快調になる、を信じて明日あたりからだろうと期待している。6月は何日ごろにしようかなァ~などと嘯く家人に、聞こえないフリして返事は保留しておいた。
May 22, 2006
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今日も梅雨のように1日じゅう雨だった。立て続けに人に会う約束があって、疲れたァ~最終便の東京行きを見送りに行き、空港レストランで蛸づくしを頂いた。郷土出身の上京組の人は、妙に蛸飯を懐かしがる。久しぶりの蛸飯は美味しかったし、蛸刺も柔らかで美味だった。午前中には別の人に会っていたし、お付き合いのはしごは、さすがに疲れた。明日は早朝から、恒例の別府行きを予定している。4月は、家人の隠岐旅行があって、別府行きはパスしていたから、2ヶ月ぶりである。今回は、私の肩の少し残る違和感に、大きく温泉効果があるだろうとの期待もあるし。。3泊は返って疲れるから・・2泊にして予約万端完了した。早朝6時出発の為、今日は早々に就寝予定である。3日間の入湯はかなり疲れるが、効果の大きいことを期待している。
May 17, 2006
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まるで走り梅雨のような曇天の2,3日である。肌寒くって、カーペットを暖房し朝はストーブをつけたりしている。今日、久しぶりに、悦ちゃんから電話。年下の友人である。肩痛いのが直ったお祝いしょうと。。庭のきれいな蔵造りの郊外の喫茶店で。モーニングサービスセットのコーヒーで乾杯。快気祝いだァ~と。4週間ぶりのおめもじ。 回復第一号作品2点のうちの一つ、彼女のスカートを持参した。私自身気に入った、ニューデザインで・・私の『優れものスカート』のファン、その1の彼女はエラく喜んで、二人して 良い!良い!素敵だァ と褒めあってはしゃいだ。締め切り間近の彼女の俳句を、岡目八目で添削したり、感想言い合ったり・・・終わりの頃は、彼女のご亭主のお体のことに。 ご亭主殿は、ご自分の専門分野の発病だけに、愚痴もおっしゃらずに、痛々しい。。気丈さで保っているような、毎日の勤務振りをそばで見るのは辛いだろうなァ~泣いたり笑ったり、二人して。波間の小船のように、揺らいだり、穏やかだったり、波かぶったり、前に進んだり、くるくる回ったり、、、不安定な日常の彼女が見える。普通に暮らせるときと、限りなく凹こむときと、日によって、または時間によって、あちこちする自分と重なって見えたりする。ずっと年下の彼女の健気さが労しい。曇天だけど、心晴れたわァ~良い時間だったよねぇ~などと。。3時間のサービスブランチ快気祝いを解散した。
May 16, 2006
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今日の母の日、午前中に絵画展の表彰式があった。母子で出席したが、帰宅一番、特別優秀賞だったよォ~まあ子一番目に賞状貰ったのォ~得意げに報告するまあ子と対照的に若い彼女は疲れた顔をしていた。何年か前の、かな子もそうだったから、フラッシュバックして辛いに違いない。他の記念日には出かけることをしても、母の日は日曜でもあるし、よその子供連れの母子に出会うし、顔見知りに出会うこともあるし、3年前のかな子と一緒だった事を思い出すのが辛いのか、若い彼女は今年もこの日の食事会を極力避けようとする。判っているから無理には誘うことをしない。でもこの日は、現役母親に家事一切を免除してあげることにしているから、仕方なく私どもだけで外食して、彼女にはお土産にテイクアウトすることにしている。丁度、腕白母子も明日が繰りかえ休校で私にプレゼントを持ってやってきた。腕白母も、毎日からだの不自由な姑の世話で大変だから、二人の若い母親慰労の為のささやかな私主催の食事会である。近くのおすし屋さんへ、総勢6人がカウンターの殆どを占領しての食事会だった。この2年間、留守番します・・の彼女が気になって、今年も早々に、お持ち帰りを下げて帰宅した。つい4日前の私の誕生会はジンギスカンだったが今日はケーキだけで、それでも乾杯はして。。花は、ピンクのバラ。カーネーションはやはりかな子につながる想いが重すぎて。。水泳教室も、英会話もお絵かきも全部かな子が行ってたところと、まあ子は違う所へ行かせている。かな子を覚えている先生が、まあ子を比べるとカワイソウだから、ということだが、本当のところは、送り迎えの折、香菜子の同級生やその母親に会うのが辛いし、かな子はいつになっても、過去にはならないから、なのだと思う。いろんな、生活的な行事を普通にやってはいるが、この辛さ、切なさは何年経っても減ることは無いに違いない。それでも、笑顔で暮らさなきゃならないんだ。。。まあ子ちゃんの特別賞に乾杯!ありがとうおねえちゃんとおんなじ賞状なのよォ♪腕白んちのおばさまの乾杯に屈託無く笑顔のまあ子を見ながら、笑顔、笑顔と改めて思った。。。
May 14, 2006
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肌寒い今日の小雨日だったが、3週間ぶりに運転解禁日となった。肩を痛めて以来、運転はもとよりミシン縫いもその他もすべて自粛(?)状態の3週間だった。自粛というより、痛くてなーにも出来なかった。まだ少し痛みはあるが、大体、無理しなけりゃ・・・って所。120度位までで、真上には腕が上がらないが、そのうち直ると思っている。毎日服用していた痛み止めは睡眠剤が入っているのか、夜も昼も眠くって眠くって・・・というものだった。体の痛みがなく、日常を過ごせることがこれほどにありがたく、幸せなことだと身にしみて思うこの頃である。この上なく身近で幼い者を喪って以来、時間が経つことも年をとることも、全く厭ではなく、むしろ再会の日を待ち望む気持ちが強いことに代わりは無いが、それでも生かされている間は、普通に過ごせることを感謝せねば、と思っている。良い時間を過ごさねば・・と本気で考えている。また来週から、片付けても整理のつかない身辺の整理に精を出さねば。。などと。
May 13, 2006
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「大げさなことはしたくない・・母の日だからといって・・さり気無く・・その日は母と買い物などに行こう・・」大型店のコマーシャルである。 先日来何度も放映される。とんでもない! さりげなくなんて。。たとえ小さなプレゼントにしろ、簡単なお食事会にしろ、目いっぱい、ありがとう!嬉しいわァ~・・乾杯!ってやれば良い。小さな家族旅行とか誕生日とか何かの日など家庭内でささやかでもいろんな行事がある。それらはいつでも誰かを喜ばせたいと思ってのことであるから、少しくらい意に沿わなかろうと、さりげなくでなく、なんかでなく大いに喜ぶべきだと思っている。いうなれば、これは家庭での一種のプレイなんだから。お互いの気持ちに感謝する心を表現する為のプレイ!ささやかなお土産でも、精いっぱい喜びなさい、これもプレイ!お互いのプレイってお互いを大切にしていることだから・・・と固く信じている。結果、お祭り人間の家族が出来上がった!?この種のプレイは、明るく楽しい家族を構成する為に必要不可欠なものだと思えて仕方が無い。プレイ、という言葉が軽薄だとしても、もの喜びをする ってことは、家庭内だけでなく、対人関係のすべてに大切なことだ、と思えて仕方が無い。
May 10, 2006
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