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今日は地蔵盆。家の下にあるお地蔵さんの地蔵盆をして
やっと、8月の行事が全て終わった。
思えば、3日のお墓の掃除、7日にはお墓の7日参り、
同じ日にお寺さんの掃除、9日に毘沙門天さんのお参り、
13日にお迎えの行事、14日にお寺のお参り
15日にお寺への御挨拶、その後仏様を送って
18日に施餓鬼、そして今日の地蔵盆。
その間に、お盆のお参りに訪れる親戚や帰省してくる
義姉たちへのもてなしなど、あっという間に8月は過ぎて行く。
間でちょっと温泉も行ったけど、ずーっと前からこんな感じ。
夏や正月は家族で海外へ~とか、そんなのは夢の話。
なんで生きている人間じゃなく、亡くなっている人間に
振り回されてるんだろう、とか、こんなことに意味があるのか
非合理的な・・・と思ったこともあるけれど、最近の親が死んでも
葬式もせず、兄弟とも連絡を取らずにお互いがどうしているか
全く知らない、なんてニュースを見るたびに、一見無駄にみえることに、
実は人間として大切なものがあるんじゃないかと思うようになってきた。
うちの御近所は家や地域の行事や、お寺の行事を通して
お互いの情報をよく把握している。
鬱陶しい時も確かにあるけれど、そういう環境の中で
子供も自然に、そういう風にするものだと思って育っている。
いろんな行事を通じて、挨拶や、他の年代との接し方などを
自然と学べているように思える。
こういうのは、最近の電子教科書か昔ながらの教科書か、
という議論にも通じるところがあると思う。
ソフトバンクの孫社長のように
「いちいち辞書のページをめくることにどんな意味があるのか」
と言ってしまえばそれまでだけど、自分の経験から言えば
目的のページを探す過程で、探している単語の前後の単語が
偶然目に入って、
「へえ、これってこんな意味もあったんだ」とか
「こんな単語知らなかったなぁ~!」
というような発見があったように思う。
ページをめくって探すことは、無駄なようでも非合理的なようでも
あるけど、その積み重ねが糧になるという意味では、重要だ。
人とのつながりも、無駄や非合理的、非効率的なことの積み重ね
で、確かなものになっていくのかもしれない。
お盆の行事を終えてほっとしながら、そんなことを考えた1日だった。