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今週の水曜日に京都に行ってきます。 島原、西本願寺、油少路周辺を歩く予定です。 時間があれば、京都国立博物館の坂本竜馬展に行ってこようと思っています。(8月28日まで開催) 出品目録を見ると、なんと平成10年に見つかった永倉新八の「浪士文久報国記事」が展示!おおっ!楽しみ~♪ 新撰組日記―永倉新八日記・島田魁日記を読む
2005.07.31
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維新志士でありながら明治政府によって汚名を着せれられ、赤報隊・隊長の相楽総三は処刑された。 これが「ニセ官軍事件」だ。 油少路で難を逃れた高台寺党の三木三郎(伊東甲子太郎実弟)や篠原泰之進らは、相楽総三率いる赤報隊に参加している。 ニセ官軍事件 攘夷運動に関わっていた相楽総三は、江戸治安を乱す部隊の隊長に任命される。暴動は成功し鳥羽伏見の戦いのきっかけとなる。 その功績が認めらた相楽は京都に呼ばれ、西郷から赤報隊への参加を命じられる。 この時、維新側は相楽の進言した「年貢半減令」を採用しており、明治元年1月29日赤報隊はその宣伝をしながら江戸に向かって出発した。 しかし、赤報隊が出発して10日もたたない内に、事態は急変。維新側に軍資金を貸していた商人達が、返済を年貢米で返すように求めたのだ。 そうなると維新側にとって年貢半減令は邪魔でしかない。加えて維新側の勢力争いもあり、年貢半減令を掲げる赤報隊は次第に目障りなものになっていった。 こうした背景で、同年2月10日、赤報隊をニセ官軍とする布告が全国に出される。これを受けた各藩は、維新側への忠誠を示す絶好の機会として赤報隊への攻撃を開始。 隊員達が次々に戦死する中、相楽は誤解を解くように訴えるが、3月2日出頭命令が出される。相楽は出頭後、取り調べもなく、大木に縛られ雨ざらしにされた上、3月3日斬首された。享年30歳。 三木、篠原らはニセ官軍事件に連座、投獄されるが釈放されている。
2005.07.30
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幕末当時、読みが同じなら漢字はこだわらなかったらしい。 「新撰組」「新選組」両方の文字を使った文書が存在し、他にも沖田総司が手紙で「総二」と書いた例がある。 どちらが正しいではなく、当て字感覚。 ちなみに専門家は「新選組」の文字を使うことが多いけれど、このプログでは「新撰組」と書いています。 深い意味はなく、たまたまパツ1で変換できるのが「新撰組」だっただけデス。 今度は読み方の話ですが、山南敬助は「ヤマナミ」と呼ぶ説と「サンナン」と呼ぶ説があるそうです。 ・子母澤寛著「新選組遺聞」では 正式には「ヤマナミ」 あだ名が「サンナン」 と説明。 ・天然理心流門人・古谷優之助が書き留めた「剣術覚書帳」では 三男(サンナン)啓介 と表記。 大河ドラマで新撰組を知った私は、ふりがなが無いとやはり「ヤマナミ」と読んでしまうなぁ。
2005.07.29
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光縁寺に沖田氏縁者の墓がある。 戒名から女性だと判明しているが、沖田氏縁者とは誰を指すのか詳細は不明で、様々な憶測が飛んでいる。 ・沖田総司を看護した「秩」という恋人。 総司との子供を産んだ説もある。 ・医者の娘。総司と別れ、嫁ぎ先で病死。 ・沖田総司の縁者ではなく、沖田承之進という隊士の縁者。 ・偶然に殺された誰か。 どれも憶測。 さて、総司は京都で恋をしたのでしょうか? 司馬遼太郎の小説「新撰組血風録」の中で、総司が医者の娘に片思いをするエピソードがあります。 ついつい親子に見立てたくなるような話。 息子(総司)の片思いに気づいた母(土方)は、父(近藤)に相談。 父は息子に内緒で「俺にまかせろ!」と医者の家に乗り込み勝手に告白。 あげく父はふられて帰ってくる。 総司の繊細な恋心と、土方と近藤のトンチンカンなお節介が噛み合わない。 そんな総司の恋はあまりに切ない。 私このお話大好きです。
2005.07.28
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斎藤一が新撰組から御陵衛士への間者ならば、御陵衛士から新撰組への間者といわれる人達がいた。 佐藤七五三之助、茨木司、富川十郎、中村五郎らの4名は伊東甲子太郎が新撰組を離脱する際、伊東の密命を受け新撰組に残留。 その3ヵ月後、新撰組の幕臣取立てに反発して御陵衛士と合流をしようとする。しかし、両陣営内の規定により許されず、伊東から帰るよう説得される。 孤立した彼らは、会津藩に離隊を願い出たが、近藤勇との交渉は決裂し、4名は会津藩邸で自刃した。 (大河の新撰組!でも彼らのエピソードが描かれていました。) 彼らの墓は山南敬介、壬生心中の松原忠司らの眠る光縁寺にある。(後に御陵衛士の生き残りによって、油少路で死亡した伊東や藤堂らと共に戒光寺にも改葬されている。) 光縁寺 風光るでセイちゃんのお尻を追っかけまわしている中村五郎。漫画ではどんな風に描かれていくのかな?
2005.07.27
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またまた、幕末・明治の着色写真から新撰組にまつわる場所を紹介。島原大門隊士達が大いに遊んだ島原二条城大政奉還の舞台となった二条城 着色写真シリーズは今回でおしまいです。 写真でもなく、絵でもない着色写真はとても綺麗です。画像が悪く、上手く伝えられないのが残念。 紹介した以外でも清水寺や、丸山公園の桜、嵐山の渡月橋など数多くの名所や町並みが本に載っています。 パラパラと本をめくっていると、古い映画か絵本を見ているような気分になりました。幕末・維新彩色の京都 京都新聞出版センター発行
2005.07.26
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昨日に引き続き、図書館で見つけた幕末・明治の着色写真から新撰組にまつわる場所を紹介。三条大橋新撰組は三条高札事件で土佐の急進派を一掃した。また、斬首された近藤勇の首は三条橋南河原に晒された。黒谷・金戎光明寺金戎光明寺には京都守護職の本陣が置かれた。近藤勇は松平容保到着後すぐに駆けつけ、京の治安を守るため仕事が欲しいと懇願した。幕末・維新彩色の京都 京都新聞出版センター発行
2005.07.25
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図書館で、幕末から明治維新の京都のカラー写真集を見つけました。 正確にはカラーではなく、白黒の写真に絵の具で色を付けたのもで、着色写真と呼ばれるそうです。 ちょっと見にくいですが、新撰組にまつわる場所のご紹介!西本願寺第2屯所があった所八坂神社門前八坂神社の石段下で谷三十朗が斎藤一に殺害された説がある幕末・維新彩色の京都 京都新聞出版センター発行
2005.07.24
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「新選組―幕末怒涛の2000日!義に殉じた若き隊士たち」という本で壬生義士伝の作者の浅田次郎が新撰組について語っている。 浅田氏曰く、「隊士の中で誰が一番好きか?」という質問をされて、ウーンと考え込む人ほど中毒だそうだ。 新撰組中毒になると好きな隊士選べなくなり、さらに中毒が進むと考えたあげく知名度の低い隊士の名前を出してしまうとか。 大河ドラマで新撰組にはまり、ファン暦の浅い私は、「好きな隊士は?」と聞かれたら「斎藤」と即答してしまう。軽症なのかな? 2番目は悩むなぁ。。。「新選組―幕末怒涛の2000日!義に殉じた若き隊士たち」
2005.07.22
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浅田次郎の「壬生義士伝」大好きです。 気に入って文庫本をお風呂で何度も読んでいたらボロボロになり、ハードカバーを購入してしまいました。 昨日、図書館で「新選組―幕末怒涛の2000日!義に殉じた若き隊士たち」という本を読みました。 この本の巻頭に浅田次郎のインタビューが載っています。 壬生義士伝の中で、坂本竜馬は斎藤一に暗殺されます。私は完全に創作で斎藤に設定したと思っていたのですが、浅田氏は本気で竜馬暗殺の斎藤一説を語っています。理由は以下のとおりです。(立ち読みなのでウル覚え) ・伊東甲子太郎が新撰組が犯人だと主張したのは怪しい。 高台寺党の犯行なら、斎藤が犯人である可能性あり。 ・斎藤の愛刀「鬼神丸国重」は居合向きの刀。 斎藤が居合の名手だったと考えると竜馬をばっさりやれるのでは? (ただし、斎藤左利き説を否定しないと成り立たない) 大河の新撰組!でも竜馬暗殺の直前に、竜馬と斎藤が話をしてましたね。 斎藤が犯人でしょうか。個人的にはそうでない事を祈ります。 竜馬暗殺の犯人は永遠のなぞですね。
2005.07.21
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壬生の光縁寺には壬生心中で有名な松原忠司のお墓があります。 子母澤寛の「新撰組物語」の中で――“松原忠司は、自ら斬殺した紀州浪人の妻と深い仲になり、土方にとがめられて切腹するが失敗。自暴自棄になり、慶応2年5月に心中した”と語られている。 子母澤寛が書いた新撰組三部作「新撰組始末記」「新撰組遺聞」「新撰組物語」は事実と創作が混じっているという。後の作品になる程、その傾向が強いとか。 光縁寺にある松原のお墓は、慶応元年9月2日となっていた。 当時武家から心中は嫌われ、遺体すら引き取ってもらえなかったらしい。心中だとすると墓があることが疑問になる。 また光縁寺の過去帳に、松原が埋葬される際に掘った墓穴の寸法は「五尺二尺三尺五寸」とあり、大男の松原らしくない大きさで、首だけを埋葬したのではないかとも考えられているそうです。光縁寺
2005.07.20
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夫のPEUGEOTの自転車を土方仕様にしてみました♪ って八木邸で買ったシール貼っただけだでどね☆ 拡大図
2005.07.18
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今日は京屋忠兵衛というお店について。 私 「壬生に遊びに行ってくるけど、おみやげ何がいい?」 旦那「日本刀!土方モデルよろしく♪」 私 「。。。。無理!」(でも、ちょっと欲しい) 私より新撰組ファン暦の長い夫と朝にこんな会話をして出かけました。 よくネットで隊士の日本刀のレプリカを見かけるけど、なんだかチャチな感じかします。材料にプラスチックを使っていたり。 壬生寺のお隣にある京屋忠兵衛というお店には、観賞用から居合刀まで日本刀が置いてあります。(もちろん隊士モデル) 平日で人も少なかったので、お店の主人に日本刀についてイロイロお話を伺うことができました♪ 観賞用の刀を握らしてもらったのですが、重くて驚きでした。 鴨の鉄扇までありました。 日本刀の他にも新撰組グッズや“風光る”のグッズ等を置いていますが、なんとこのお店には映画「燃えよ剣」の土方役でおなじみの栗塚旭さんのサインが置いてあるんです! (大河の新撰組!では土方の盲目の兄の役で出演されていました) 店長は“旭の最後のハネ”が大きい方がお薦めだそうで、数枚置いてあった中から店長に選んでもらって購入しました。 京屋忠兵衛の店長は新撰組同好会のメンバーで、毎年7月16日(昨日ですね)壬生寺から八坂神社までパレードしているそうです。 京屋忠兵衛HP→http://www.kyoya-chube.com/index.html栗塚さんのサイン(旭のハネが大きいやつです)
2005.07.17
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新撰組!の京都めぐり1回目は、阪急大宮~八木邸~ 新徳禅寺・前川邸 ~ 壬生寺 ~ 光縁寺 ~二条城~JR二条駅というコースを歩きました。 今日は二条城について。 今回は壬生周辺だけにしようか迷ったけど、やっぱり壬生から二条城まで歩きたい!っていうのがあって、最後に二条城に行きました。二条城の側には京都守護職屋敷があったし、近藤や土方らもこの道を通ったのかナ~とか考えながら。 世界文化遺産の二条城は、徳川慶喜が大政奉還を発表した場所。(城内では人形で大政奉還の場面を再現しています。) 二条城に着いたのは入場受付最終の4時。入場料の600円を払い、急いで中に入る。時間ギリギリだけあって、人もまばら。 各部屋に狩野派の襖絵が描かれた二の丸は見ごたえがあります。廊下を歩くと、うぐいす張りの床が“キュイ、キュイ”と泣くんですよ! 天守閣跡の高台から二条城が一望できたました。 早足で回っていたつもりだったけど、二条城の庭の大きさをなめてました。 同じ時間に入った人たちは庭園を散策せずに帰ったのか、コースを回っていたはずなのに、周りにひとがいない!心細いのに全然出口につかない!すると追い討ちをかけるように「もうすぐ閉館です~お急ぎ下さい~」のアナウンスが。。。。 こんなトコに一人閉じ込められたらどうしよう。。。(半泣き)でした。 今度はじっくり回れる時間に行こう。。。。 二条城HP→http://www.city.kyoto.jp/bunshi/nijojo/
2005.07.16
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光縁寺には、山南敬助をはじめ、新撰組で死亡した隊士達のお墓があります。 油少路で殺された伊東甲子太郎や藤堂平助らも、はじめ光縁寺に埋葬されましたが、後に改装されました。 住職から当時のお話を聞くことができました。 光縁寺の近くに新撰組の馬小屋があり、隊士達が毎日行き来していたそうです。 最初に山南が住職と仲良くなりました。 山南家の家紋と高円寺の鬼瓦が同じだった事がきっかけだったそうです。 その縁で、討ち死にや切腹、あるいは斬首された新撰組隊士たちが亡くなると、光縁寺に埋葬されました。 何の因果か、山南自身も光縁寺に埋葬されています。 お墓は公開していませんが参拝は可能です。 参拝とは難しい事を考えず、ただ手を合わせば良いそうです。 住職に見守られ、きっと隊士達は安らかに眠っている事でしょう。 今回の旅阪急大宮~八木邸~新徳禅寺~壬生寺~光縁寺~二条城~JR二条駅
2005.07.15
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壬生寺は、八木邸の隣にあります。 新選組は、訓練場として壬生寺の境内を使い、大砲もぶっぱなしたそうです。 沖田総司は、近所の子供達を集めて壬生寺の境内で遊んだと伝わっています。 お寺の敷地内にある壬生塚には、近藤勇の胸像や芹沢鴨・勘定方の河合耆三郎らのお墓があります。 なんと、河合耆三郎のお墓は近藤勇の胸像の隣。 河合が紛失した50両は、近藤が深雪太夫を見受けする為のお金だとか言われてるのに。 河合の遺族が近藤や土方に対してのイヤガラセで建てた伝わるお墓は、大きく立派でした。 彼はホントにエエトコのボンだったようです。 河合の墓に比べて、芹沢鴨のお墓は―――ちっちゃいです。 しかも、平山五郎と合同墓碑です。 池田屋事件の前だし、お金がなかったのでしょう。 壬生寺ホームページ→http://www.kyoto.zaq.ne.jp/mibu/index.htm 今回の旅阪急大宮~八木邸~新徳禅寺~壬生寺~光縁寺~二条城~JR二条駅
2005.07.14
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新徳禅寺 近藤・土方ら浪士隊は、清川八郎に率いられ江戸から京都にやってきました。 その目的は、将軍の警護です。 しかし、京都に着いてすぐ、清川八郎は浪士達を集めて、 「将軍の警護をするのが目的じゃない、すぐに江戸に引き返して黒船から国を守ろう!!」 と演説します。 清川八郎が演説したのが、八木邸の向かいにある新徳禅寺です。 小さなお寺で、中には入れませんが、門が開いていたので、少しだけ覗けました。 前川邸 新徳禅寺のお隣は、新選組が屯所として利用した旧前川邸です。 前川邸の母屋で、山南敬助が切腹しました。 池田屋の情報を得るために土方が古高を拷問にかけましたのは、前川邸の蔵でした。 今は住居として使われているので、中に入ることはできません。 休日は玄関が開放されて、絵葉書等を売っているそうです。 この辺をガイドブック片手にウロウロしてると、自転車に乗ったおっちゃんが、新選組の話を聞かせてくれました。 観光客を見つけては声をかけているようです。 しかし、おっちゃんは、八木邸だったか壬生寺の方を指差して、 「前なぁ、あんまり観光客つかまえて、話しとったらあかんって怒られてん」 と呟いてました。 いやいや、私は一人で来てるから、おっちゃんと話せて楽しかったよ。 この後、壬生寺に行って帰るときにも見かけました。 おもろい人やなぁ 今回の旅阪急大宮~八木邸~新徳禅寺・前川邸~壬生寺~光縁寺~二条城~JR二条駅
2005.07.13
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阪急大宮駅から八木邸までは、歩いて10分ぐらいでした。 新撰組隊士も、この辺りを歩いたと思うとドキドキです。 八木邸といえば、芹沢鴨暗殺。 八木邸のガイドさんが母屋で詳しく説明してくれました。 “庭のあそこから刺客の沖田と土方らが現れた”とか、 “芹沢たちの寝転んでいた順番は~”とか。 今いる場所で起こった事なので、なんだかリアルでした。 鴨居には、鴨暗殺の時の刀傷が残っていました。 刀傷は他にもあったそうですが、いろんな人が触っているうちに消えたんだとか。 うーん、気持ちはわかるよ・・・ 長屋門の外には、隊士達が毎日水を飲んだという井戸があります。 井戸の前で、ガイドさんと修学旅行の女子中学生が会話してました。 ガイドさん「この水は沖田総司も飲んだんだよ~」 中学生 「へ~」 ガイドさん「この前、香取慎吾くんも飲んでたよ~」 中学生 「キャー!!飲むー!!」 ・・・・がんばれ沖田! お抹茶とお菓子をいただき、大満足の八木邸でした。八木邸ホームページ→http://www.mibu-yagike.jp/index.html八木邸前の井戸もちろん私も飲みました♪ 今回の旅阪急大宮~八木邸~新徳禅寺~壬生寺~光縁寺~二条城~JR二条駅
2005.07.12
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