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輪違屋 図書館で借りてきて上下巻を一気によみました。 5人の女性から見た新選組のお話です。 上洛して壬生に住みついてから、おっかなびっくり芹沢鴨を暗殺するまでを描いています。 登場する女性は、 土方に想いを寄せる輪違屋の天神・糸里 芹沢の愛人・お梅 平山五郎の恋人 屯所・八木家のおかみさん 屯所・前川邸のおかみさん 武士と農民に壁があるなら、女性には絶対に超えられない性別の壁がある。 だけど、精神的には女性のほうが恐ろしく強いんだよね。 浅田次郎の描く新選組のキャラクターは、真剣なのに滑稽で、時々プッと吹き出しながら読んでました。浅田次郎インタビュー・「輪違屋糸里」について 輪違屋糸里(上)糸里が、壬生で訓練する新選組隊士の掛け声に合わせて、思わず足踏みしてしまう場面が一番好き。
2005.08.30
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野村佃煮で、しいたけの佃煮と魚の子の煮物を買って帰りました。 魚の子の煮物がすごくおいしかった。 小袋を買ったのですが、夕食の一品で出したら、主人と二人でペロリと食べてしまいました。 しいたけの佃煮も刻んで素麺にいれたり、結構おいしかったです。京都駅ビル専門店キューブHP→http://www.thecube.co.jp/top.html【京佃煮 野村】 ちりめん しめじ ごはんの素今回の京都の旅 JR京都駅―泉涌寺周辺―京都国立博物館―島原周辺―西本願寺周辺―油少路周辺 ―不動堂村屯所跡―JR京都駅今日で、2回目の旅の紹介はお終いです。来月も、また京都に行く予定です。できれば、修学旅行と鉢合わせしないように9月初旬に行きたいな。
2005.08.29
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JR京都駅のキューブで、若菜屋の桃夭(とうよう)という桃のゼリーを買ってかえりました。 桃の果肉がぎっしり詰まっていて、すんごく美味しかった。 桃の形の容器に入っていて、見た目もカワイイです。 あと、大原女家の和風ゼリーも買ったのですが、なんだか味覚麻痺しそうな甘さだったので、私は苦手でした。 お抹茶とかだと合うのかも。1つ450円くらい。高かったので、2つだけ購入しました。京都駅ビル専門店キューブHP→http://www.thecube.co.jp/top.html若菜屋HP→http://www.wakanaya.co.jp/今回の京都の旅 JR京都駅―泉涌寺周辺―京都国立博物館―島原周辺―西本願寺周辺―油少路周辺―不動堂村屯所跡―JR京都駅
2005.08.28
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新選組が京都での最後の半年を不動堂村屯所で過ごしました。 西本願寺が新選組を厄介払いするために、移転の全費用を負担した不動堂村屯所は、まるで大名屋敷のようだったそうです。 しかし、華やかな屯所とは裏腹に、新選組には暗雲が立ち込めます。 不動堂村の屯所に移転してから出来事は、 慶応3年 6月15日 不動堂村屯所に移る 10月14日 徳川慶喜が大政奉還 11月15日 坂本龍馬暗殺 11月18日 油少路の変 12月 7日 兵庫開港・天満屋騒動 12月 9日 王政復古クーデター 12月18日 近藤勇が御陵衛士の残党に撃たれる 明治元年 1月 3日 鳥羽伏見戦争開戦 近藤は伏見街道で撃たれてからは、剣を振るうことができなかったそうです。 剣豪・近藤勇はここで終わったのかもしれません。 不動堂村屯所跡現在、当時の面影はなく、屯所跡のリーガロイヤルホテルの前に、記念碑が建っています。「事あらばわれも 都の村人となりて やすめん皇御心 新選組局長 近藤勇」参考図書新選組新撰組、敗れざる武士達今回の京都の旅 JR京都駅―泉涌寺周辺―京都国立博物館―島原周辺―西本願寺周辺―油少路周辺―不動堂村屯所跡―JR京都駅
2005.08.27
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慶応3年11月18日、近藤勇の妾宅に呼び出された伊東甲子太郎は、その帰り道に暗殺されました。 新選組は、伊東の遺体を大通りの交差点まで引きずって放置し、御陵衛士たちが引き取りにくるのを待ちました。 とても寒い夜だったので、伊東の着物は血で板のように凍っていたそうです。 武装して討ち死にしたら笑いものになるからと、軽装でやって来た御陵衛士たちは、新選組に包囲されました。 5人は逃げ切りましたが、藤堂平助・服部武雄・毛内有之助の3人は討ち死にしました。 藤堂は、刀を握り締めたまま亡くなったそうです。享年24歳でした。 服部は民家を背に奮戦しましたが全身二十数箇所刺され、毛内は全身なますのように刺されて討ち死にしました。 4人の遺体は、3日間道路に放置されたそうです。 難を逃れた御陵衛士の生き残りは、その後薩摩とのつながりが濃くなり、伊東の独特な考え方は維持できませんでした。 油少路の変で出動したのは、永倉と原田の隊でした。 後に永倉は、近藤から藤堂を助けるように指示され、自分もそのつもりだったと語っています。 実際に近藤から指示がでていたかは不明ですが、永倉が藤堂の死を惜しんだの確かだと思います 油少路の変・跡地写真の車のむこうに、伊東の遺体が放置され、死闘が繰り広げられました。参考図書新選組新撰組、敗れざる武士達今回の京都の旅 JR京都駅―泉涌寺周辺―京都国立博物館―島原周辺―西本願寺周辺―油少路周辺
2005.08.26
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伊東甲子太郎は、ドラマや映画で新選組を裏切る敵役として描かれますが、実際は全く別の魅力的な人物だったようです。 近藤の1つ年下の伊東甲子太郎は、スラリとした美男子で文武両道でした。 性格は温厚で偉ぶらず、伊東は衛士の仲間を「同士」「友」と呼んだそうです。 伊東を知る上で、彼の思想はとても重要です。 伊東は建白書で「大開国大攘夷」を主張しています。 その内容は、 ・積極的に開国し、外国人からも税金をとる。 ・国民皆兵とする。 ・天皇を中心とした政権を確立する ただし、王政復古は話合いによって、挙国一致で実現する。 「大開国大攘夷」は、坂本龍馬の「船中八策」に近いと言われています。 建白書では、薩摩が行ったような幕府の武力制圧ではなく話合いを重視し、外交においては徳川家臣の参加も検討していました。 伊東がこの建白書を書いたのは大政奉還(慶応3年10月14日)の直後だといわれています。 彼が暗殺されたのは、同年11月18日でした。 油少路事件の現場検証で、伊東の懐から、建白書と似た内容の意見書と、薩摩・土佐・宇和島藩らの方向性を示した文書が発見されたそうです。 暗殺された夜に、近藤に呼び出された伊東は、一人でフラフラ出かけました。 平和主義の伊東には、近藤暗殺計画や新選組乗っ取り計画はなかったんだと思います。 伊東が絶命した本光寺入隊時は、共鳴する部分もあったのでしょうが、無骨な集団の新選組(そこが好きなんだけど)と、洗練された伊東では、無理が・・・。結局、悲しい結果を招いてしまいました。参考図書新選組松浦玲著。歴史学者の本なので、見方が公平です。 新撰組、敗れざる武士達山川健一著。伊東について沢山かたっています。新選組読本伊東の縁者・小野珪次郎著「新選組・伊東甲子太郎」が載っています。参考HP誠斎伊東甲子太郎と御陵衛士超オススメHP。伊東甲子太郎について目からウロコでした。今回の京都の旅 JR京都駅―泉涌寺周辺―京都国立博物館―島原周辺―西本願寺周辺―油少路周辺
2005.08.25
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西本願寺の近くに、美好園という宇治茶のお店があります。 (天満屋騒動跡地の隣) 美好園で、抹茶アイスを食べてきました。 島田魁の住居跡の場所が分からなくて歩き回った事を店長さんに話すと、京都住所の「上ル」「下ル」の考え方を教えてくれました。 後で知ったのですが、美好園は宇治茶では有名なお店だったようです。 お店でいただいたお茶も抹茶アイスもおいしいはずだ~。 美好園 ↑このソフトクリームに惹かれて入りました美好園HP→http://www.bikouen.com/index.html(店内には坪庭や茶室があり、茶道体験もできるそうです)今回の京都の旅 JR京都駅―泉涌寺周辺―京都国立博物館―島原周辺―西本願寺周辺―油少路周辺
2005.08.23
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慶応3年12月、紀州藩士の三浦安太郎が、坂本龍馬の暗殺の黒幕だと誤解し、海援隊と陸援隊は三浦のいる天満屋に斬りこみました。 この日、天満屋で三浦の警護をしていたのは、斎藤一率いる新選組でした。 海援隊らが斬り込んだ時、新選組隊士は三浦と酒盛り中。(なぜ?!警護が目的なのに!) 灯りの消えた狭い屋敷の中で、何者かが斎藤に斬りかかりました。 しかし、平隊士の梅戸勝之進が敵を背後から抱き止めたおかげで、斎藤は九死に一生を得ることができました。 新選組の誰かが機転を利かし、「三浦は討ち取った!」と嘘を叫んだので、海援隊らは退散し、なんとか三浦を警護する目的は果たせました。 斎藤を救った梅戸勝之進は、天満屋で重症を負いましたが、戊辰戦争では鳥羽伏見から仙台まで転戦しました。 その後の消息は不明ですが、明治9年までに亡くなっているそうです。 天満屋騒動跡 十津川藩士・中井庄五郎の殉難の碑が建っています。中井は天満屋の半年程前に、沖田・永倉・斎藤と体がぶつかり、乱闘しています。彼は、1・2・3番隊長相手に無傷で逃走。すごい人です。参考図書新選組、敗れざる武士達新選組を歩く参考HPフリー百科事典『ウィキペディア』今回の京都の旅 JR京都駅―泉涌寺周辺―京都国立博物館―島原周辺―西本願寺周辺―油少路周辺
2005.08.22
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西本願寺の近くにある、薫玉堂というお店に行ってきました。 薫玉堂は創業400年のお香の老舗です。 お店でいくつか試したお線香は、とてもいい匂いでした。 お盆に夫の実家に呼ばれていたので、お供え用にお線香を購入しました。 お店には、お香の道具も沢山そろっています。 その中に「志野袋」というのがあり、私の名前(志野)と同じなので、店員さんに聞いてみました。 すると、志野流という香道の流派があるとのこと。 ちょっとした発見です。 薫玉堂 藤むらさき自宅用に購入しました。1200円くらい。5種の花(梅・蘭・菊・水仙・牡丹)の香りが楽しめます。江戸時代、遊郭でもお香が流行し、お線香で時間を計ったそうです。新選組の隊士たちが島原の花街で遊んでいるとき、こんな香りに包まれていたのかもしれません。薫玉堂HP→http://www.kungyokudo.co.jp/index.htmlちなみに志野袋↓ 今回の京都の旅 JR京都駅―泉涌寺周辺―京都国立博物館―島原周辺―西本願寺周辺―油少路周辺
2005.08.21
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慶応元年2月、壬生の屯所が手狭になり、新選組は西本願寺に屯所を移しました。 勝手に大工を入れて風呂場や首切り場を作ったり、境内で豚や鶏を飼ったり、新選組は西本願寺でもやりたい放題です。 ある日、住職が髪を剃っている時、新選組の大砲の音に驚いて、後ろにひっくり返ってしまいました。 困った住職は、新選組に「大砲の練習をする時は前日に教えて欲しい」と申し入れました。 しかし、新選組は、住職が本堂に入ったと聞きつけては大砲の訓練を行うので、住職は奥の座敷に引きこもって、頭から布団を掛けていたそうです。 イジワルですね~。 慶応元年9月、壬生寺境内を訓練場として借用したいと申しいれています。 それまで、西本願寺(世界遺産)で大砲をぶっぱなしていたのでしょう。 西本願寺境内新選組は北集会所と太鼓楼を利用しました。太鼓楼は現在も西本願寺にありますが、北集会所は姫路の本徳寺に移築されています。今度は、本徳寺にも行ってみたいな。西本願寺HP→http://www.hongwanji.or.jp/北集会所が移築された本徳寺HP→http://www1.winknet.ne.jp/~k-goboh/参考図書新選組!をめぐる京都の旅新選組日記
2005.08.20
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土方と共に函館まで転戦した島田魁は、明治6年に京都に戻り、新撰組隊士時代に知り合った女性と結婚したそうです。 巨漢の彼は案外ロマンチックだったかもしれません。 島田は京都で雑貨屋や仏具屋に勤め、晩年は西本願寺の夜間警備をしていました。 73歳で勤め先の西本願寺で亡くなり、お葬式には北海道から永倉新八が駆けつけました。 島田は亡くなるまで、土方の戒名を懐に入れて肌身離さず持ち歩いたそうです。 島田が京都で暮らしたのは、 「下京区花屋町通大宮西入ル一筋目下る」(現:細い路地付近)。 ガイドブックの地図は大雑把だけど行けばわかるだろう、と思ったのが間違いでした。 地図の辺りを歩き回ってもハッキリした場所がわからない。 配達中の郵便局員に聞いてもわからず、諦めて次の場所に行きました。 帰ってネットで調べると、島田の家はちょうど郵便局員に声をかけた付近でした。 京都の住所って難しい・・・。 西本願寺 太鼓楼西本願寺に屯所を移した新撰組は、太鼓楼に泊り込み、見張りをしたそうです。島田魁は晩年、西本願寺に守衛として住み込み、終生念仏をとなえながら太鼓番をしたと伝わっています。参考資料新選組見聞録新選組日記今回の京都の旅 JR京都駅―泉涌寺周辺―京都国立博物館―島原周辺―西本願寺周辺―油少路周辺
2005.08.19
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島原の近くに「新選組記念館」というのがあります。 町屋を利用して、新選組の資料やパネルを沢山展示しているそうです。 ガイドブックによると、館長が新選組を熱く・ディープに語ってくれるとか。 開館時間は決まっておらず、館長がいれば入れます。 電話で予約する勇気もなく、直接行ってみましが、残念ながら閉館していました。 張り紙があり、館長は「新選組サミット」に遠征中でした。 記念館前のパネルなぜ西田ひかるが土方を?!めちゃめちゃ色あせてるし。謎は深まるばかり・・・今回の京都の旅 JR京都駅―泉涌寺周辺―京都国立博物館―島原周辺―西本願寺周辺―油少路周辺
2005.08.18
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島原に着いたのは、お昼の2時ぐらいでした。 炎天下の中、歩きまわったので汗ダク。 輪違屋の近くに「誠の湯」というスーパー銭湯があります。 おばちゃま達に混じって、一風呂浴びてきました♪ ロビーには「誠の湯・御法度13ヶ条」というのが・・・・新撰組より多いよ! 誠の湯名物は溶岩の湯。桧風呂が気持ちよかった。汗を流してサッパリできました。タオル付きで1000円。料金は高めですが、混んでないのがうれしいです。誠の湯HP→http://homepage2.nifty.com/shoei/bath/注)誠の湯は、湯の宿「松栄」の浴場です。 お風呂だけでも利用できます。新選組見聞録ガイドブックです。この本で見つけました。今回の京都の旅 JR京都駅―泉涌寺周辺―京都国立博物館―島原周辺―西本願寺周辺―油少路周辺
2005.08.17
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昨日紹介した角屋の他に、島原には輪違屋が残っています。 輪違屋は300年以上前から続く老舗で、幕末当時は太夫を他店に派遣する“揚屋”として営業していました。 現在も太夫を抱え、お茶屋としても営業していますが、一見さんお断りです。 揚屋なので、新撰組が輪違屋の中に入ることはありませんでしたが、伊東甲子太郎や山南敬助、平間重助は、輪違屋の遊女の馴染みだったそうです。 輪違屋の芸姑・糸里は、芹沢鴨が暗殺された夜、八木邸で平間と一緒に寝ていました。 二人は、土方や沖田が入ってきた庭の反対側で寝ていたので、殺されずに逃げ出すことができました。 輪違屋の事を調べていて、浅田次郎が「輪違屋・糸里」という本を書いてるのを知りました。 とっても読みたいんだけど、文庫本はまだでていない。 お財布の中もさみしいので、あした市民の味方「図書館」に探しに行くことにします。 輪違屋お店の中には、近藤勇や桂小五郎の書があるそうです。現在も幕末当時のままの建物です。輪違屋の司太夫さんのHP→http://kyoto.cool.ne.jp/tukasa21/index.html 輪違屋糸里(上)浅田次郎インタビュー今回の京都の旅 JR京都駅―泉涌寺周辺―京都国立博物館―島原周辺―西本願寺周辺―油少路周辺
2005.08.16
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島原で幕末当時の建物が残っているのは、角屋と輪違屋の2軒です。 角屋は国の重要文化財に指定されていています。 その角屋で暴れたのが芹沢鴨。 文久3年8月、新撰組は角屋で会合を開き、そのまま大宴会になりました。 しかし、普段から角屋の主人と仲が悪かった芹沢は、いちゃもんをつけて怒りだし、 店の太鼓を外に放り投げ、 愛用の鉄扇で手当たりしだい器を壊し、 三味線で掛軸を破り、 置物まで壊してしまいました。 ひととおり暴れて店の外にでた芹沢は、土方に 「これで気分がさっぱりした♪」 と言って、そのまま役所に行って角屋を7日間の営業停止にしたそうです。 ホント大物です、鴨さんは。 角屋には、新撰組がつけた刀傷があります。 お金を払わないので出入り禁止を言い渡された隊士が、怒って抜刀したんだとか。 これも芹沢かもしれません。 映画やドラマで必ず描かれる、芹沢を暗殺する夜の宴会。 これも角屋でした。 芹沢の角屋での暴れっぷりは、永倉新八が「浪士文久報告記事」で愛情たっぷりに綴っています。 剣の流派も同じだし、永倉は芹沢が大好きだったんでしょうね。 角屋の前に建つ久坂玄瑞の碑勤皇の志士たちも角屋の常連です。角屋もてなしの文化美術館HP角屋は今でいう料亭。太夫や芸妓は他から派遣されたそうです。美術品を多く所有していて、その中には丸山応挙や与謝野蕪村の作品があるそうです。残念ながら私が行った時は閉館期間中だったので、中に入れませんでした。参考図書新選組、敗れざる武士達 永倉新八日記今回の京都の旅 JR京都駅―泉涌寺周辺―京都国立博物館―島原周辺―西本願寺周辺―油少路周辺
2005.08.15
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島原の花街は、壬生の屯所や西本願寺の屯所のすぐ近くにありました。 新撰組の隊士達は、島原で大いに遊んだといいます。 隊士達の女性関係は、 土方―故郷に「数え切れない程の女性がいる」と自分で手紙に書くほどのモテ男。 しかし、生涯独身。 沖田―医者の娘の恋人がいたとか、いないとか。生涯独身。 松本良順による童貞説もあり?! 永倉―芸者上がりの女性と結婚。子供もいた。 維新後、松前藩医の娘と結婚。 斎藤―桔梗屋の相生太夫に入れ込み、御陵衛士のお金をネコババして逃走?! 会津で時尾と結婚。 原田―町娘まさと結婚。 山南―明里が有名だか、子母澤寛による創作説が有力。 そして、 番長・近藤 ― つね(本妻)がいるにも関わらず、 絶世の美女・深雪太夫 深雪太夫の妹・孝子 駒野、金太夫、植野、およし、君尾・・・・・。 明日死ぬかもしれない恐怖と緊張の毎日。 激務に疲れた隊士たちを京都の女性たちが癒してくれたのでしょう。 島原大門島原の入り口にある大門手前に見えるのは「見返り柳」帰り道、隊士達も振り返って眺めてたのかな。参考図書新選組、敗れざる武士達今回の京都の旅 JR京都駅―泉涌寺周辺―京都国立博物館―島原周辺―西本願寺周辺―油少路周辺
2005.08.14
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今回の京都の旅では、美味しいおばんざいをたべたい!と思っていたので、京都国立博物館からバスでJR京都駅まで戻って、ホテルグランヴィア京都にある万彩というお店に行ってきました。 おばんざいを食べるのは初めてなので、ウキウキ♪ でも、ちゃんとしたお店のお一人様は、かなり久しぶりなのでチョット緊張。 おばんざいって、おかずが沢山あって嬉しい。 京都らしい上品な薄味なので、おかずだけでもパクパク食べれました。 気を使わずに、好きなものを食べれるお一人様はクセになりそう。 次に京都に行ったら、ゆば食べたいな。ホテルグランヴィア京都HP→http://www.granvia-kyoto.co.jp/ ランチは1700円くらいでした。この他にも、二品ついてました。おかず3品は、好きなのを選べます。
2005.08.13
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今まで紹介した他にも、もりだくさんの龍馬展でした。 印象に残ったのは、 ・龍馬を斬ったといわれる刀 ・龍馬が着用した紋服 結構小柄な人だったんだと思いました。 ・アルファベットの掛軸/ジョン・万次郎 ・椿美人図、獄中自画像/武市半平太 武市半平太の描いた美人画は、とても繊細。 この絵をみて、彼のコトをもっと知りたいと思いました。 ・薩長同盟密約と龍馬の朱書きの裏書 ・海援隊・近藤長次郎が切腹の時に着ていた袴の一部。 血痕がついていた。 ・船中八策/坂本龍馬 ・たくさんの龍馬の書簡 彼はホントに筆まめな人。 AND MORE 入館して、すぐに新八の書へ直行!(変な人だったと思う) 気が済むまで眺めてから、入り口に戻って最初から展示品を見てまわりました。 受付で、展示品の紹介をしてくれるプレーヤー(500円)を借りました。 幕末の知識が少ない私には重宝でした。 展覧会を2倍楽しめた気分です。 龍馬のクリアファイル夫のおみやげ。受付横の売店で300円くらいでした。夫の反応は・・・微妙。坂本龍馬ムック本同じく売店で買いました。浅田次郎とか黒鉄ヒロシとかが話をしてて面白かったです。
2005.08.12
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龍馬展では、尊王思想を持った幕末の画家の絵が展示されていました。 私が興味を持ったのは、冷泉為恭(れいぜい ためちか)。 為恭は京都で活躍した画家です。 彼は昔の大和絵を理想とし、その復興に尽力しました。 大和絵とは、平安時代から始まった日本独特の美意識を持った画風の絵をいいます。 国宝「伴大納言絵巻」は平安時代に描かれた大和絵の傑作です。 この絵が為恭に悲劇を呼びました。 幕末当時「伴大納言絵巻」の所有者は、小浜藩主の酒井家。 その酒井の殿様が、偶然に京都所司代に任命されます。 大和絵の模写を多く手がけていた為恭は、これはラッキー!と思ったでしょう。 傑作「伴大納言絵巻」の模写をするために、彼は京都所司代の酒井邸に頻繁に出入りしていました。 しかし、この行動が幕府に内通していると誤解を生み、為恭は長州出身の過激派志士に暗殺されてしまいました。 為恭が命がけで見た「伴大納言絵巻」は、現在東京の出光美術館が所有しています。 常時展示はされておらず、数年に一度、一般公開されているようです。 伴大納言絵巻→出光美術館 龍馬展で展示された冷泉為恭の絵「源頼朝像」→東京国立博物館HP 冷泉為恭の書いた模写の宝庫→こんぴらさんHP 謎解き伴大納言絵巻
2005.08.11
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昨日に引き続き、京都国立博物館の坂本龍馬展について。 龍馬展では、坂本龍馬と中岡慎太郎が襲われた時、近江屋にあった掛軸と屏風(重要文化財)が展示されていました。 掛軸と屏風には、血痕がついています。 何年か前に夫と高知旅行に行った時、桂浜にある「坂本龍馬記念館」で血染めの屏風と掛軸を見たんです。 それはそれは二人で大興奮でした。 でも、龍馬展で見た血痕付きの掛軸と屏風は京都国立博物館の所蔵になっている。 あれ?おかしいな、と思って、帰ってから高知の龍馬記念館のHPを調べました。 私たちが感激した高知のやつは、レプリカだった・・・。 本物と信じていれば本物!(たぶん) この事は、夫には言っていません。 高知県立坂本龍馬記念館HP→http://www.kochi-bunkazaidan.or.jp/~ryoma/index.htm 京都国立博物館→http://www.kyohaku.go.jp/jp/index_top.html 龍馬展では、坂本龍馬記念館から借りてきた、現存する龍馬の最後の手紙が展示されていました。
2005.08.10
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京都の旅の2回目は、泉涌寺地周辺~京都国立博物館の竜馬展~島原~西本願寺~天満屋事件跡地~油少路の変跡地~不動堂屯所跡のコースを歩きました。 今日は、京都国立博物館に展示されていた、永倉新八の「浪士文久報告記事」について。 明治7年、新政府は、幕府兵の追悼祭や墓碑の建立を解禁。 これを機に、永倉は「浪士文久報告記事」を書き、近藤・土方の顕彰碑建立の為に奔走する。 明治9年に近藤が処刑された板橋に顕彰碑を建てた。 明治以降、新撰組はどのような評価をされていたのだろう。 永倉による板橋の顕彰碑建立と同じ頃、多摩でも近藤・土方の顕彰碑建立の計画が持ち上がった。 石碑の上部の題字は、松本良順を通じて有栖川宮熾仁親王に依頼するが実現しなかった。 徳川慶喜にお願いしても、涙を流すばかりで引き受けてはくれない。 結局、松平容保が書いてくれた。 京都国立博物館の竜馬展の前に、御陵衛士のお墓にお参りに行った。 お墓のあった戒光寺は、天皇の菩提寺である泉涌寺の敷地にある。 維新側についた伊東は、死後、朝廷から従五位を賜り、さらには靖国神社に祀られている。 勝てば官軍。負ければ賊軍。 永倉どんな気持ちで「浪士文久報告記事」を書いたのだろう。 実物を前に、彼の気持ちを思うと胸が痛かった。 参考資料新撰組全史京都国立博物館→http://www.kyohaku.go.jp/jp/index_top.html「浪士文久報告記事」は、池田屋突入の様子を書いたページが開かれていた。横には、池田屋事件直後に書かれた竜馬の手紙が展示されている。“今は戦争を起こすべきではない”という内容の手紙でした。
2005.08.09
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京都の旅の2回目は、泉涌寺地周辺~京都国立博物館の竜馬展~島原~西本願寺~天満屋事件跡地~油少路の変跡地~不動堂屯所跡のコースを歩きました。 今日は京都国立博物館の庭園にある2つの石塔について。 この石塔は、源義経の家来佐藤継信・忠信兄弟の墓と伝えらています。 北東500M先から現在の場所に移築したそうです。 今週の大河ドラマ見ました。 義経たちは屋島へ船を出し、次週は屋島の合戦。 このタイミングで、那須与一と佐藤兄弟のお墓に訪れたのはスゴイ偶然! 去年の新選組に続き、義経にもハマッてしまいそう。 京都国立博物館 庭園私、お墓の写真は撮ってなかったんだけど、これはサクッと写せました。お墓というより、記念碑に見えませんか?南塔には永仁三年(鎌倉時代後期)と刻まれています。
2005.08.07
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泉涌寺 山門 泉涌寺には楊貴妃観音像があり、なんと美人祈願で有名なお寺だそうです。 京都から帰ってから、お守りの本をパラパラ読んで知りました。 今回は山門で引き返してしまったので、美人祈願もお守りGETもできませんでした。 あ~、残念! 泉涌寺HP→http://www.mitera.org/京都のお守り手帳京都のお守りの本。かわいくて絵本みたいな本です。
2005.08.07
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御陵衛士のお墓のある戒光寺墓地の隣に即成院というお寺があります。 このお寺には義経でおなじみの那須与一のお墓があります。 大河でもうすぐ与一が出演するとあって、お寺では大パネルでババン!と宣伝してます。「那須与一役 今井翼 登場!!」門前と本堂入口に大パネルあれ?でも住職、写真はタッキーなんですが。。。。8月14日から那須与一が登場するそうです。与一のお墓にもお参りに行ったので、これを機会に大河の義経をちゃんと見ようかな。って、これはヘンテコパネルの宣伝効果?!即成院のHP→http://www.mitera.com/
2005.08.06
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今日は、油少路で殺害された伊東や藤堂と共に戒光寺の墓地で眠る、茨木司ら4名の死因について。 7月27日の記事で、“御陵衛士の間者として新撰組の残った茨木・佐野・富川・中村の4名は会津藩邸で自刃した”と書いたけど、新撰組による斬殺説もある。 例えば、子母澤寛の「新選組史録」によると、 → 会津藩邸の別間で待っている4人を、背後の障子ごしに数名が槍でついた。 4人は応戦したが、斬殺された。 佐野七五三助は腹を槍で刺されながらも、大石鍬次郎に手傷を負わせた。 永倉新八は「浪士文久報告記事」では、 → 4人は会津藩邸で切腹。 見にいった大石鍬次郎は佐野に膝を切られた。 でも永倉さん、切腹説は変やね。 切腹してる人が斬りつけてくるの? 切腹と思いたいけど、斬殺の方がしっくりくるなぁ。 他には 西村兼文(西本願寺侍臣)→斬殺説 宮川信吉(新撰組隊士・近藤勇の甥)→自刃説 です。 左の小道の奥に茨木・佐野ら4名のお墓があります。参考資料新選組日記新選組
2005.08.05
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新撰組をめぐる旅の2回目は、戒光寺の墓地周辺~京都国立博物館~島原~西本願寺~天満屋事件跡地~油少路の変跡地~不動堂屯所跡のコースを歩きました。 今日は、御陵衛士の墓がある戒光寺の墓地をご紹介。 油少路で殺された伊東甲子太郎、藤堂平助、服部武雄、毛内有之助は新撰組によって光縁寺に埋葬さましたが、明治元年に戒光寺の墓地に改葬されました。 戒光寺は、泉涌寺の敷地内にある小寺。 泉涌寺は日本で唯一の天皇の菩提寺です。 伊東らは戒光寺の長老を介して、孝明天皇のお墓を守る為に御陵衛士となりました。 明治元年、戒光寺への改葬は、御陵衛士の同士が200人余りを使い、盛大に行われています。 大正7年に朝廷は特に伊東の勤皇事績に対して追賞し、従五位を贈られました。 また、昭和4年には国事のために一身を国家に捧げた者の列に加えられ、靖国神社に合祀されています。 会津藩に新撰組を脱退したいと嘆願し、藩邸で自害した茨木司、中村五郎ら4名も伊東らと共に、光縁寺から戒光寺に改葬されています。 左の小道の奥に御陵衛士の墓があります。右に見えるのは、即成院というお寺。 今回は油少路の変の跡地に行くので、一番最初に御陵衛士のお墓に行きました。 伊東を真ん中に、油少路で亡くなった四人のお墓が並んでいました。参考資料:新選組読本
2005.08.04
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2回目の新撰組史跡めぐりをしてきました。 御陵衛士の墓~京都国立博物館の竜馬展~島原~西本願寺~天満屋騒動跡~油少路の変の場所~不動堂屯所跡のコースを歩きました。 明日から旅の詳細をぼちぼち書いていこうと思ってます。 京都駅ではアトムが出迎えてくれました♪ 前回私が京都に旅行に行った時、ダンナはワンコが心配だからと、仕事を午前で切り上げ帰ってきていました。 今日は仕事の後で宴会だから、まさか家には帰っていないだろうと思ってたんです。 がっ、しかし!!京都から帰ってきたら誰もいないのに家の電気がついている!! どうも、ダンナが宴会の前に帰ってきて、ワンコが寂しくないように電気をつけたみたい。 恐るべし愛犬パワー。。。
2005.08.03
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ドラマ「新選組血風録」(’65)を見て触発され、赤名修が新撰組を描いた漫画です。 アフタヌーンで連載され、1巻は芹沢暗殺まで収録されています。 登場人物は、それぞれ魅力的。 近藤は男気溢れる好漢だし、 土方はそれを支えるイケメンだし、 沖田は美少年で好青年。 しかし!登場人物の中にベムみたいな顔なのがいる。 ベムに関すエピソードが無いので、試衛館メンバーを消去法で当てはめると。。。。 このベムは永倉?! ダンダラ 勇午ダンダラは1巻が2003年の12月に刊行されてから、続きがでていません。「勇午」ばっか描いてないで、「ダンダラ」の続きも描いてよ、赤名さん。もしかして、鴨主役だったとか?!交渉人を描いた勇午もおもしろいです。
2005.08.02
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女性隊士として新撰組に入り、他の隊士との会話を選択してゲームを進め、仲良くなった隊士と恋に落ちるPS2の恋愛シュミレーションゲームです。 攻略できるのは、近藤・土方・沖田・山南・永倉・斎藤・原田・藤堂・山崎で、シークレットで才谷梅太郎(坂本竜馬)も攻略できます。 近藤がイケメンだったりメチャメチャではありますが、史実もちゃんと散りばめられてます。 さらに、こんな会話も楽しめます♪ 土方に「四賢候とは誰か知っているか?」と聞かれて →「土方歳三様!」とボケてみたり (この人クソマジメなのでつっこんでくれないけど) 永倉に「俺の剣の流派知ってる?」と聞かれて →「我流でしたっけ?」とおちょくってみたり。 (永倉は一番つっこみ上手) お気に入りの斎藤には →「何か用か?」と聞かれたら 「寝癖ついてますよ」と答え、 斎藤が年齢を言うと、 「ウソいっちゃダメですよ」と答え、 甘いのが苦手な斎藤と甘味処に行き、具合が悪くなった彼に、 「食べたら元気になりますよ♪」と、もっと食べるよう薦め、 御陵衛士から帰ってきた斎藤に 「気分はまだ御陵衛士ですか☆」と激励したりして楽しめます♪ ちなみにこれは、好感度を上げて楽しむゲームで、 ↑↑のような会話してると、Happy-Endにはならないのでご注意を!! 幕末恋華新選組ゲーム屋さんのレジでこれを出すのは、かなり羞恥プレイでした。遊んだ後はヤフオクで結構いい値段で売れました。でもちょっと、後悔。これ書いてて、また遊びたくなった。
2005.08.01
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