2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
2012
2011
2010
2009
2008
2007
2006
全21件 (21件中 1-21件目)
1
人物A>ってなワケでさぁ、北条泰時様は明慧上人のその言葉を深く信じて、なんとかして、それを実践に移していこうとされたんだ・・・その最初のチャンスが、ご尊父・義時(よしとき)様が急逝(きゅうせい)された時にやってきた・・・。北条泰時>(内心)父上は、遺言状無しに、逝ってしまわれた・・・さてさて、領地をどのように分配したらいいのか・・・。北条泰時>(内心)明慧上人は言っておられたな、「上に立つ者一人だけでも、このように小慾に徹していったならば・・・」。北条泰時>(内心)ご生前の父上は、おれよりも弟たちの方をかわいがっておられた。おそらくは、おれよりも彼らの方に多くの遺産をと、思っておられたに違いない。人物A>というわけで、泰時様はだな、朝時(ともとき)様、重時(しげとき)様ら弟様方に主な領地を配分しちゃってだな、自分の取り分は、三男、四男の相続相当分程度に止められたんだ。それでも、泰時様には何の不足も無かったんだよねぇ。人物A>このように、何事においても小慾に、小欲にと振舞っていかれたからだろうなぁ、天下は日に日に良く治まっていき、諸国は年を重ねる毎に豊かになっていったんだ。人物A>自分の前に訴訟人がやってくると、泰時様はいつも、訴えを起こした側、起こされた側双方の顔をしげしげと見つめられて、いわく、北条泰時>天下の政治を司(つかさど)るに当たり、私が願って止まぬ事、それは、全ての人が自己の中から、ねじけた邪悪な心を追い出してしまう、ただそれだけだ。私はそれを実現するために、政治権力を執行しているんだ。北条泰時>それにしてもだ・・・人間、口が達者であるよりも、廉直(れんちょく)な人柄でありたいもんだよなぁ。きれいな心で私欲無く、曲がった事は一切しない、そういったパーソナリティーでありたいもんだよなぁ。(注5)(柳田注5)原文では、「泰時天下の政を司て、人の心に無姦曲事を存ず。然ば廉直の中に無論。」。ここの箇所、正直言って、そのように訳したらよいのか分からなかったので、あえて上記のように。北条泰時>きっと、君たち二人のうちのどちらかが、ねじけた邪悪な心の持ち主なんだろう・・・さぁてさて、いったいどっちなんだろうなぁ・・・ま、いいさ、そんな事、調べを始めたら、すぐに分かるんだから。訴えを起こした人>・・・。訴えを起こされたた人>・・・。北条泰時>じゃ、いいかね、X月Y日に、双方共に領地取得間連の経緯(けいい)を証明する文書を持って、ここに再度出頭してくること、わかったね!北条泰時>これだけは言っておくぞ、この裁決の場において、わるだくみが明るみに出たその瞬間、即座に罪に問われるから、そのつもりでなぁ!北条泰時>とにかくだ、ずるがしこいヤツをこの世の中にノサバラセとくわけには、いかんのだ! そんなヤツを放置しといたんじゃぁ、万人の禍になってしまうからな。諸悪の根源、天下最大の敵とも言うべき害虫のようなヤカラは、さっさとシマツしてしまうに限る!北条泰時>本日、申し渡す事は以上の通り。分かったら、もう帰ってよろしい。人物A>泰時様のこの毅然とした態度に、「なんとかうまいことして、領地を掠め取ってやろう」ってたくらんでいた側はさぁ、「もしもこの悪巧みがバレたら、こりゃぁタダじゃぁすまねぇなぁ」ってんで、もうビンビンに震えあがっちまうってわけよ。両者さっそく談合開始、和談成立となって一件落着となるケースもありゃぁ、わるだくみをしていた側があきらめて、訴訟を取り下げてしまうケースもあった。人物A>このように、泰時様は一貫して、無欲の人を賞し、慾深い者を恥ずかしめていかれた。だから、他人のものを掠め取ろうとするようなヤツぁ、日本国中、一人もいなくなっちまったんだ。人物A>寛喜(かんき)元年に国中を大飢饉が襲った時には、借用証書を調(ととの)え、それに幕府執権の印鑑を押して、富裕者から米を大量に借りられた。そしてそれを、困窮している者に分配しなすったんだ。さらに法律を定めていわく、 「来年、穀物の作柄が回復したならば、元金の分だけを借り主に返納すべし。利息分は私、北条泰時が全額支払うから。」人物A>このような処置を定めてから、みんなから借用証書を取られた。翌年、領地を持っている者には元金分だけを出させ、利息分はご自身が負担されて、確実に返済しなすった。貧しい者に対しては返済を全額免除されて、ご自身の領内の米でもって、その返済の肩代わりをされた。人物A>その年の泰時様の生活ぶりたるや、いやもうそりゃぁ質素なものだったよねぇ・・・家中何かににつけ、倹約、倹約、新品の購入はみなストップ、何もかも古物を使ってすまされたよ。衣服も新調せずに、烏帽子(えぼし)でさえも古びたのを繕わせて使われた。夜は灯火を消し、昼は一食抜き、酒宴や遊覧は一切無し、このようにして、その借金肩代わりの出費をしのがれたってわけさ。人物A>食事の最中に面会人が来れば、食べるのすぐにやめて、面会されたねぇ。髪をくしけずっている時でさえも、訴える者が来たら、先ずそれへの対応を先にされた。一寝一休さえも、のんびりしているわけにはいかない、憂いを抱いてやってくる人を一時でも待たせてはいかん、ただただ、それだけだったねぇ。人物A>まさに、進んでは万人を慰撫(いぶ)せん事を計(はか)り、退いてはわが身に過失あらんことを恥じる、泰時さまって方は、そういうお人だったよ。人物A>でもねぇ、残念な事には、泰時様がお亡くなりになってから後は、父母を背き、兄弟を亡き者にしてしまおうってな訴訟が、どんどん出てきちゃった。人倫の孝行も日に日に衰え、年を経るに従ってどんどん廃れていっちまったんだよなぁ。人物A>とにかくだ、最高権力者が振舞いを正せば、万人それに従うって事はだなぁ、この泰時様の例を見れば、もうこりゃぁ明々白々(めいめいはくはく)ってぇもんだろう、そうじゃぁねぇかい?
2004年05月28日
コメント(0)
たまたま京都におられた時にな、泰時様は明慧上人(みょうえしょうにん)に面会された。上人と対面して仏教の事について、いろいろと教えを請われた後に、さらにこんな質問をされたんだ・・・。以下、人物Aの語った話。北条泰時>明慧殿、もう一つ、お教えを乞いたい事があるのですが。明慧>はいはい、どうぞ、なんなりと。北条泰時>いったいどのようにしていったら、天下を良く治め、人民を安んじていくことができましょうか?明慧>・・・はぁ、そうですなぁ・・・。北条泰時>・・・。明慧>良医は患者の脈を取って、その病患(びょうげん)の根本原因を探り当てます。その上で、適切な薬を処方し、適切な場所に灸(きゅう)を処置します。その結果、病は自ずから癒えていく・・・そうでっしゃろ?北条泰時>はい、その通りです。明慧>政治かて、それと同じことですやん。国に混乱をもたらすその根源をよくよく究明(きゅうめい)、認知(にんち)した上で、よろしく治世を行っていけっちゅうことですわいな。北条泰時>うむ。明慧>乱世の社会を生みだしてしまうその根本原因、泰時殿はいったいなん(何)やと思われますか?北条泰時>・・・。明慧>慾ですよ、慾・・・欲望本位の生き方ですよ。人間の欲心が変じて、万事一切の禍(わざわい)となるんです。北条泰時>うん・・・たしかにその通り・・・その通りだと思います。でも、人々に「無欲になれ」といっても、それはしょせんムリというものではないだろうか? 慾心を捨てるのは、人間にとってはとうてい不可能な事だ、そう思われませんか?明慧>まずは、最高権力の座にある人からですわなぁ。その人さえ、慾の心を捨ててしもたら、もうそれでうまいこといくんや。北条泰時>え?明慧>そら、そうでっしゃろなぁ、上にいる人が無欲に徹してみなはれ、その姿見る下の人は、自分が欲望たくましぅ生きてる事、なんや恥ずかしぃなってきますやん。そやさかい、みんな自然と、慾心が薄ぅなっていくんですよ。北条泰時>うーむ・・・(うで組み)明慧>欲心深い人間が訴訟を起してきたらな、「これは自分がまだまだ欲望を捨て切れてないという事の証拠やなぁ、自分がこんなんやから、こないな訴訟が持ち上がってくるんやぞ」と、自分で自分によぉよぉ、言いきかせていかはったら、よろし。明慧>古人いわく、「その身(み)直(すぐ)にして影(かげ)曲(ま)がらず、その政(まつりごと)正(ただ)して国(くに)乱(みだ)る事(こと)無し、うんぬん」。またいわく、「君子(くんし)、その室に居(おり)て、その言(ことば)を出す事(こと)善(ぜん)なるときは、千里(せんり)の外(そと)、皆(みな)これに応ず」。明慧>「善」というのは無欲という事です・・・これは古代中国・周(しゅう)王朝建国直前の時代の話ですが・・・。明慧>当時、周の民は互いに畔(くろ)を譲りおぅ(合)てたらしいですわなぁ。いったいなんで、そないな美風が生れたかというとですね、それは周の君主である西伯(せいはく)、この人は後の周王朝の文王(ぶんおう)となる人ですが、この人の徳の力が非常に大きかったからなんですわ。明慧>この西伯の徳は、周一国にとどまる事無く、その他の国々にまでも、良き影響を及ぼしていきました。その結果、万民が皆、やさしい心になったというわけですわ。明慧>「畔」というのはですね、ようは、自分の田んぼと他人の田んぼの間にある境界地帯の事ですわ。境界地帯やから、自分のもんでもない、他人のもんでもない、なんか中途ハンパな存在ですわなぁ。それを隣の田んぼの持ち主に譲ってしまうっちゅうんですからなぁ・・・そないなフウですから、ましてや、他人の土地を掠(かす)め取るなんちゅう事は、周の国では到底ありえへんかった、というわけですよ。明慧>ほんまになぁ・・・現代の人々の心とは、まるでかけはなれたレベルですわなぁ。他人のものを掠め取る事はあっても、自分のものを他人にやる、なんちゅう事、今の世の中では到底考えられしませんやん?明慧>ある日、周の国に、他国から二人の人間がやってきました。二人は領地争いをしとったんですよ。で、その紛争の決着をつけるために、周の西伯のとこへ来たんですわ。今フウの言葉で言うたら、訴訟の決着をつけるために周にやってきた、というわけや、西伯に裁決してもらおう、思うてね・・・西伯っちゅう人はそれほどにまでも、人望が厚かったんでっしゃろなぁ。明慧>周に入った二人は、目を見張りました。「この周っちゅうトコ(国)はいったい、なんちゅうトコやねん! 農民は互いに畔を譲り合い、道行く人は互いに路を譲りおぅとるやないかい。それにひきかえ、わしらはいったいナニやってんねん、醜い領地争いに毎日、血道上げてるだけやないか、恥ずかしいやら、あほらしいやらで、もうこら、たまらんわ」という事になり、二人は訴訟を止めて国に帰り、和解に至りました。明慧>というわけで、この西伯は自分の国一国を見事に治めるのみならず、他国にまでも、徳を施すに至ったというわけですわなぁ。たった一人の無欲の心が、他国にまでも良き影響を及ぼしていったというわけですよ。この西伯の徳は満々と満ち満ちて、ついに彼は中国全土の支配者となり、百年の寿命を得ました。明慧>ようはですな、上に立つ者一人だけでも、このように小慾に徹していったならば、天下万民がそれを見習うようになっていくっちゅう事ですわいな!北条泰時>(ドン!:右腕で右膝を叩く)うーん、なるほど! 分かりました! やります、やりましょう!明慧>がんばってくださいやぁ! 万民の為になぁ!北条泰時>やりますよ、まぁ見ててください! いやぁ、これはジツにイイ事を教えていただいた!人物Aの語った話、以上で終わり。
2004年05月27日
コメント(0)
人物A>こりゃもう、日本史の常識、周知の事実ってもんだけどさぁ、あの承久の乱(じょうきゅうのらん)以降ってもん、武士階級が日本の最高権力を握って政治をやってきたよなぁ。こう見えても、わしも、あの鎌倉幕府・評定衆(ひょうじょうしゅう)の末席に連なってたもんだからさぁ、当時の政治の事、少しは実際に体験してるぜぃ。人物A>わしの現役時代・・・あの頃は、武士が天下を取ってからもう大分経ってたよなぁ・・・日本全国一所残らず武士階級の所有地、どこの家もみな、幕府に従属する民ばかり、そんな状態だったわさ。でもなぁ、そんな中にあっても、幕府が武威(ぶい)をカサに来て横車(よこぐるま)を押し通すってなぁ事は、絶対になかったんだぜぃ。人物A>幕府がそういう態度だったから、地頭(じとう)だって、あえて領家(りょうけ:注1)を侮らなかったよ。守護のレンチュウだって、権断(けんだん:注2)やる以外には、荘園にゃぁ一切手ぇ出さなかった。(柳田注1)荘園の[本所職(ほんじょしき)]を持つ公家。公家や寺社は本所職を所有している荘園に、荘官を送り込んで現地の管理をさせていた。土地を実質的に所有している者が、その土地を公家や寺社に寄進して、[本所職=寄進先の公家や寺社、荘官=寄進行為を行った土地の実質的所有者]の構造を取った場合もある。(柳田注2)鎌倉時代の守護の任務は「大犯三箇条(たいぼんさんかじょう)」、すなわち、謀反人の検断(捜査、摘発、捕縛、裁判)、殺人犯の検断、大番催促(任国内の御家人に、京都と鎌倉の大番役(警備役)を割り当てる)であった。人物A>にもかかわらずだ、天下の成敗を正すために、貞応(じょうおう)年間、鎌倉幕府・執権(しっけん)・北条泰時(ほうじょうやすとき)様はだよ、日本国中の荘園を洗い出して、台帳(注3)にまとめさせられたんだ。(柳田注3)原文では、「貞応に武蔵前司入道、日本国の大田文を作て庄郷を分て」人物A>さらに貞永(じょうえい)年間、泰時様は51か条の法律を定めて、諸々の認可・裁決に停滞を来(きた)さないようにされた。(注4)(柳田注4)原文では、「貞永に五十一筒条の式目を定め裁許に滞不」。いわゆる、「御成敗式目」、別名、「貞永式目」の事である。人物A>このように、様々の善政が行われた結果、世は治まり、民は正しくなったんだ。人物A>でもなぁ、いつの時代にも不満分子(ふまんぶんし)ってぇのは、いるんだよなぁ・・・(ハァー:溜息)・・・「わが国は神の国なのに、武士が国家権力を握ってしまってる。古来からの良き王道、仁をもって行う政治の裁断も、関東の連中らの顔色をいちいち窺(うかが)いながら下さなきゃなんねぇ、あぁ、なんて嘆かわしい事なんだろうなぁ」ってな事、言うヤツもいた事はいたさ。人物A>それでもだ、泰時様はただひたすら、立派な政治を行っていこうって志を、ますます深めていかれたんだよなぁ・
2004年05月26日
コメント(0)
太平記 訳:柳田 俊一さんより北野神社において3人の登場人物、現代の政治について論ず・その1吉野朝廷(よしのちょうてい)側の日野僧正頼意(ひののそうじょうらいい)は、密かに吉野(よしの:奈良県吉野郡)の山中を出て京都にやってきた。霊験あらたかなる、あの北野神社(きたのじんじゃ:上京区)の威神力(いじんりき)にすがり、自らの宿願を達成せんと願っての事であった。今夜も、彼は徹夜で参篭(さんろう)している。秋もはや半ばを過ぎ去り、梢を吹き渡る風の音も、心なしかうすら寒く聞こえてくる。有明(ありあけ)の月は松の頂を越えて西に傾き、庭にひっそりと降りた一面の霜を、明るく照らし出している。頼意>(内心)今夜は殊更(ことさら)に、神聖な雰囲気や・・・なにか、しみじみと、ものを思ぉてしまうわなぁ。彼は巻き残した経典を手に持ちながら、灯火をかかげて壁に寄り添い、古歌を詠じつつ、庭の夜景を楽しんでいた。頼意>(内心)あれ・・・あんなとこに人がおるやないか・・・。頼意>(内心)あの人らも、秋のあわれに誘われて、月を見て楽しんでるんやろか?・・・彼の視線の先には、神殿の欄干に寄りかかって座る3人の人物の姿があった。頼意はじっと目をこらしてみた。1人目の人物をかりに「A」と名付けよう。Aは、年の頃60ほどの時宗(じしゅう)僧侶、その話し言葉は「典型的なる関東なまり」である(注1)。盛んに、かつての鎌倉幕府(かまくらばくふ)時代の治世をなつかしんでいるようである。その話の内容から察するに、かつては鎌倉幕府の中枢メンバー、すなわち、引付衆頭人(ひきつけしゅうとうにん)あるいは評定衆(ひょうじょうしゅう)に名を連ねていたようである。「あの頃の政治は、よかったよなぁ」というような事を、繰り返し繰り返し述べている。(柳田注1)原文では、「坂東声」。2人目の人物を「B」と名付けよう。彼はどうやら、今まさに朝廷に仕える身分であるようだ。しかしながら、「仕える」といってもそれは名目だけ、その家は貧しく、朝廷への出仕もせず、毎日徒(いたずら)に、学窓に明かりをともして書物、それも仏典以外のものばかり読んで、心を慰めているようだ。顔色は青白く、その態度は極めて、ものやわらかである。3人目の人物「C」は僧侶である。人々からは「ナニナニ律師(りっし)」、あるいは、「ナニナニ僧都(そうず)」などと呼ばれているようだ。門跡寺院(もんぜきじいん:注2)に所属、顕教(けんぎょう)密教(みっきょう)の両真理を求めんと、一室に閉じこもってひたすら、天台宗(てんだいしゅう)の教義研究に没頭、という事らしい。とても痩せており、何かしら疲労感を漂わせている。(柳田注2)皇族を「門跡(その寺院のトップ僧侶)」として迎え入れている寺院。やがて3人は、「南無天満天神」の文字を句頭に置いての連歌を始めた。連歌が終わった後、今度は外国や我が国の様々な事がらについて、論じ合いはじめた。頼意はじっと耳を傾けた。頼意>(内心)ほほぉ、あの3人、なかなかスルドイ(鋭)トコ(所)つ(突)いてるやないかいな。「うーん、なるほど」と、うなずかされるような話、やたらと多いわ。頼意>(内心)あの「朝廷に仕えてる」っちゅう人、彼は明らかに儒学(じゅがく)の信奉者やね。人物B>・・・ようはやね、「戦争と平和」、その問題ですわ・・・。人物B>どのような戦争も、いつかは終結して、世に平和がもたらされる、それが歴史の鉄則なんやと、私は思うておりました。人物B>歴史書をめくってみても、そうですわなぁ。古代中国・戦国時代、互いにしのぎを削ったあの「戦国の6強」も、最終的には秦(しん)の支配に屈しました。漢(かん)の高祖(こうそ)と楚(そ)の項羽(こうう)とが70余度も戦いを繰り広げたあの時代も、結局は8年の歳月の経過と共に、漢の天下と定まりましたやろ。人物B>わが国においても同様。阿倍貞任(あべのさだとう)、宗任(むねとう)の乱、前九年(ぜんくねん)・後三年(ごさんねん)の役(えき)、源平争乱(げんぺいそうらん)の3か年、いずれも結局は、カタがつきました。他にも争乱はいろいろとはあったけど、どれもこれも、せいぜい2年以内にはカタがついて、平和が到来しとります。人物B>ところが、今回のこの争乱だけは、まったく例外や。元弘(げんこう)年間の鎌倉幕府滅亡以来このかた、天下は乱れに乱れて30余年、たった一日として静かに送れた事はない。人物B>もしかして、この戦乱はエンドレス(end less)なんやろか、いつになっても終結する時は来ぃひんのんと、ちゃうかいなぁと・・・いったいぜんたい、なんで世の中、こないな事になってしもたんでっしゃろなぁ? どない思わはりますぅ?人物A>(ジュラジュラジュラジュラ・・・数回、念珠を高らかにすり鳴らし、憚る事なく明瞭に)そりゃぁなぁ、アンタぁ、世の中、治(おさ)まんねぇには、治(おさ)まんねぇだけのワケ(道理)ってもんがあるってことよぉ。人物A>あんたはさぁ、外国や我が国の歴史ってもんを、よくよくご存じのようだから、こんな事あらたまって言う必要、ねぇのかも・・・でも、この際、一言言わせてもらうよ。人物A>昔の世の中にはね、「民苦を問う使者」って職種があったんだよなぁ・・・ようはだな、帝王が勅使をいろんな地方へ送り込んでだなぁ、そこいらの人民が苦しんでねぇかどうか、現地でじっくり調査させるってわけよ。人物A>いってぇなんで、こんな事をしたかって言やぁ・・・人民無しじゃぁ、君主は政治をやってけねぇからよ・・・。人物A>人民は食わなきゃ、生きてけねぇ・・・穀物が無くなっちまったら人民は困窮する、人民が困窮すりゃぁ、年貢が入ってこなくなる。年貢が入ってこねぇとなったら、さぁ、君主だってもう、アガッタリよぉ。人物A>人民がトコトンまで疲弊しきっちまったら、もうその国はオシメェ(終)さなぁ・・・だってな、考えてもみろよ、疲れきった馬はもう、鞭だって恐がらなくなるんだからぁ・・・「おれたちゃもう、トコトン破局まで追いつめられたプロレタリアート(無産階級)よ、これ以上失うモンなんか、もうナニもありゃしねぇ!」ってな状態に追い込まれちまったら、人間もう、コワイモン無しさなぁ・・・「帝王の権威」なんか、ドコ吹く風ってもんよぉ・・・みんながみんな、わが身の利益だけを追い求めるような、そんな社会になっちまうんだ・・・不法な事が日常茶飯時のように行われる、そぉいった、トンデモネェ世の中になっちまうんだ。人物A>人民が不正に走るとすりゃぁ、その責任は官吏にあらぁな。んでもって、官吏の悪事の全責任は、帝王が負わなきゃなんねぇよ・・・そんな、フザケたヤロウを官吏に選んだのは、他ならぬ帝王だもんなぁ・・・マトモなヤツを官吏に選んでさえすりゃぁ、何も問題、起こりっこねぇんだもんなぁ。人物A>私利私欲を貪ってばかりいやがるようなヤツを官吏に登用するってこたぁ、暴れ虎を村に送り込むようなもんだぜ。徹底的に、百姓を虐(しいた)げていきやがるからな。人物A>国の中に、そういった状態が続いていきゃぁ、いってぇ何が起ると思う? 天災さ・・・人民の憂いが天に昇って、災難になって落ちて来るんだよ。人物A>天災が起ったら、国土は乱れるさなぁ。で、そんな事になっちまった責任は、権力者の側にあるんだよ。権力者に慎みってもんがなくて、人民をあなどってるから、そんな事になっちまうんだ。人物A>国土が乱れ始めたら、もう帝王だって安閑たぁしてらんねぇぜぇ。人民が苦しんでる国ってもんは、必ずそこら中で反乱が起きるんだからぁ。人物A>だからこそ、古代中国・殷(いん)王朝の湯王(とうおう)はだな、旱魃(かんばつ)の時、桑林(そうりん)の中で雨を祈り、自分自身を犠牲として火中に投じたんだ。唐(とう)王朝の太祖(たいそ)だって、蝗(いなご)の害をおさめるために、蝗を呑み込んで野外に横たわり、自らを天の運命に任せたじゃぁねぇか。人物A>ようはだ、権力者たるもの、常に己(おのれ)を責めて天の意志にかなうように心掛け、人民を撫育(ぶいく)して地の声に耳を傾けよってことだよなぁ。かの白楽天(はくらくてん)だって書いてるだろ、「王者の憂楽(ゆうらく)は衆と同じかりけりと知る」ってね。人物A>こういった事を、ちゃぁんと実践されてた天皇が、過去の日本にはおられるんだぁ! そう、あの、醍醐天皇(だいごてんのう)陛下だよ。
2004年05月25日
コメント(0)
昨年の今頃、福井の吉住さんのところにに一ヶ月ほど遊びにいっていた。そのとき知り合ったのが、Mさん。Mさんは、すごい方です。3時間以上楽しく飲んできました。御年68歳、いまでも韓国に30くらいの恋人がいるし、日本ではよき夫、よき父、よいおじいちゃんを完璧にこなし、韓国では、プレイボーイで通した方です。もちろん、金の力だけではありません。言葉もしゃべれるし、仕事もできます。話もめちゃおもしろいです。こんな68歳、(俺の倍)になりてぇー。まさに、日本が高度成長の頃、韓国のニット産業立ち上げに寄与した戦士でもありました。強い国には強い男がいるのよ、やはり!別に大手商社にいるわけじゃないのに、地方にもこれくらい覇気のある方がいたわけよ。俺も頑張ろう、日本男児ブランド化のよき先輩だ。
2004年05月22日
コメント(1)
TANAKA1942bより<雑種強勢 hybrid vigor> ● ヘテローシス heterosis ともいう。生物の種間または品種間の交雑を行うと、その一代雑種はしばしば両親のいずれよりも体質が強健で発育がよいという現象がみられる。これを雑種強勢といい、農作物、家畜の品種改良にしばしば利用される。最初トウモロコシで発見され、ついで動物でもモルモットで認められた。 一方、異なった個体間の受精のよって繁殖することを常態とする他殖性作物(トウモロコシなど)を、強制的に自殖(同一個体内で受精させる)させたり、近親間の交配を繰り返したりすると、子孫(後代)の生育がしだいに劣ってくる例が多い。これを自殖劣勢といい、雑種強勢と逆の関係になる。また、特定の遺伝子的な効果によって雑種第1代の生育がまれに弱勢化することがある。こらは雑種弱勢 hybrid weakness といわれる。 (平凡社「大百科事典」から) ● 雑種が純系よりも生育が旺盛なこと。両親の組合せによって雑種強勢が強く現れる場合と、そうでない場合があり、種内では一般に、特性が大きく異なる両親間で雑種強勢が顕著である。(「花の品種改良入門」から) ● 多くの作物の種子は自家受粉によってつくられ、純系と呼ばれる。これに対して父親と母親が別の個体から由来したものは雑種(ハイブリッド)と呼ばれる。かつては農産物を均一にするという観点から純系をつくることが中心に行われてきた。一方、雑種のなかには両親よりはるかに優れた性能を示すものがしばすば見られる。このような現象は昔から雑種強勢と呼ばれている。特にこの現象はトウモロコシで顕著に見られ、純系に比べ背が高く収量がはるかに多くなる。現在世界で取引されているトウモロコシの種子の大半が雑種である。ダイコン、キャベツ、ブロッコリー、ニンジン、トマトなどその他の多くの作物でも雑種強勢を利用した種子が利用されており、この雑種強勢の性質は両親の関係が遠いほど出やすいという傾向がある。 イネでは従来この雑種強勢の性質は利用されていなかった。その最も大きな理由は、現在利用されているイネは確実に種をとるために、野生種のもっている他家受粉受粉する性質を捨て自家受粉する性質を強くもっているため、雑種を作りにくいことにある。そして、それゆえ雑種強勢の性質があることは一部で知られていたが、あまり注目されなかった。(「夢の植物を育てる」から) (^_^) (^_^) (^_^) <カブXハクサイ=???> ポテトXトマト=ポマト、オレンジXカラタチ=オレタチ。では同じアブラナ科のハクサイとカブの雑種をつくったらどうなるだろうか?そんな文章があったので引用しよう。 「ハクサイとカブは簡単に雑種をつくるのか。そしたら、ハクサイとカブの雑種をつくれば、地上部がハクサイになって、地下部がカブになり、一石二鳥ではないか?」と言われるかもしれません。実際に雑種をつくってみると、残念ながら、地上部はカブで地下部がハクサイになってしまいます。葉を巻く性質も、根が太る性質も、劣性の遺伝子が集積してできたもののようで、雑種にするとその性質はすぐには現れてこないようです。 雑種をつくった、その後代から上手に選べば、葉が巻いて根が太るものもできるかもしれません。しかし、葉の巻く性質に関係する遺伝子群と根が太る遺伝子群の両者を動じに選び、そして同時に品質がよく、それぞれを堪能できるものに仕上げるには、相当の努力と資金が必要でしょう。しかも、葉も根もそれをつくる物質は太陽エネルギーと土中の無機物質が元ですので、葉の大きさも根の収量も半減することになります。こんなことをするよりは、葉が巻いて美味しいものと、根が太って美味しいものを別々につくって、口の中や胃袋のなかで混ぜた方が利口だという判断があったのかもしれません。 (「菜の花からのたより」から) (^o^) (^o^) (^o^) <主な参考文献・引用文献> ふしぎの植物学 身近な緑の知恵と仕事 田中修 中公新書 2003. 7.25 大百科事典 平凡社 1984.11. 2 菜の花からのたより 農業と品種改良と分子生物学 日向康吉 裳華房 1998.11.25 花の品種改良入門 初歩からバイテクまで 西尾剛・岡崎桂一 誠文堂新光社 2001. 6.15 植物の育種学 日向康吉 朝倉書店 1997. 3. 1 夢の植物を育てる 鎌田博・堀秀隆 日本経済評論社 1995. 7. 1
2004年05月20日
コメント(0)
りょうくんが紹介してくれた、この宇宙は誰が…が非常によい。20代の後半、ギーターにはまって、マハーバーラタの完訳を8万近くで購入しました。以下抜粋時折、全ての宇宙の創造主であるブラフマンが、この地上に化身することがあるというのです。時空の歪みを調節するため、または時代そのものを変えるため、様々な目的をもって化身するのです。 今から5000年前にクリシュナという一人の人物がインドにいました。彼はブラフマンの化身であるといわれています。彼とその弟子(アルジュナ)との対話を収めたバガヴァッド・ギーター(バガヴァッドはサンスクリットで神、ギーターは歌)は、今でもインドの最高聖典として世界中の多くの人に読まれています。この本は聖書に次いで発行部数の多い書籍です。彼はその中でこう言っています。『迷える人々は、人間の姿をとる私を軽んずる。私の万物の偉大な主としての最高の状態を知らないで・・・・・・。』<第九章・十一詩節>『無知な人々は、非顕現である私を顕現したものと考える。不変であり至高である、私の最高の状態を知らないで・・・・・・。』<第七章・二十四詩節> この箇所は、ブラフマンが一個の肉体の中に自分自身を凝縮させたのではなく、ブラフマンは今でも十二個の宇宙を監督する立場に身を置いていながら、自分自身の意識の一部を肉体という形で物質世界に表現したという意味です。 そしてまた、クリシュナは自分と同時代に生まれ合わせた人々の幸運にも言及しています。 実は、人は死後、死ぬ時に抱いていた想念と同じ世界に導かれていくのです。『臨終において、人がいかなる状態を念じて肉体を捨てようとも、常にその状態と一体化して、正にその状態に赴く。』<第八章・六詩節>このように死ぬときの意識状態で死後導かれていく世界が違ってくるのなら、死ぬ時に何を思いながら死ぬかという問題は極めて重要です。 実はブラフマンは我々の喜びの源泉であり、ブラフマン→梵天→・・・と枝分かれしていく度にその割合が少なくなっていきます。だから、梵天以下全ての意識はブラフマンに帰融したがっています。(人間はその欲求をも忘れていますが・・・) そこで死ぬ時にブラフマンのことを思いながら死ぬことができれば、まさしくブラフマンに達することができるのです。しかし、『だが、非顕現なものに専念した人々の苦労はより多大である。というのは、非顕現な帰結は、肉体を有する人々によっては到達されがたいから。』<第十二章・五詩節>とクリシュナが言っているように、ブラフマンとは存在の全てですから目に見えるものの全てであるブラフマンに意識の焦点を合わせながら死ぬことは大変難しいのです。ですが今はブラフマンが眼に見える形をとって化身しているので、死に際にクリシュナのことを思いながら死ぬだけでまさしくブラフマンに帰融することができるのです。『臨終の時、私のみを念じて肉体を脱して逝く者は、私の状態に達する。この点に疑いはない。』<第八章・五詩節> クリシュナはまた、ブラフマンに帰融する為のもう一つの方法も説いています。それは物質世界に対しての欲望を捨て去ることです。我々は物質世界に対する執着心を持ってるがために輪廻しているからです。解脱とは「物質世界に対する欲望を解いて輪廻から脱する」という意味です。 物質世界に執着しない姿勢はバガヴァッド・ギーターの中では「過去の行為の収穫を欲しがらず、未来に対しての意図を持たないこと」と説かれています。『聖仙たちは、放擲とは願望成就のための諸行為を捨てることであると見なす。また賢者たちは、捨離とは一切の行為の結果を捨てる(顧みない)ことであると説く。』<第十八章・二詩節>ヒンドゥーの聖賢はこの宇宙は一つの意識が特定の目的を持って創ったものだと話します。そして我々がその分身だと。 虚無の空間に漂う一つの意識が体験を欲したために自分自身を宇宙空間として広げて活動する場となり、活動する主体として自分の分身の人間を創りました。 当初、肉体を持たない意識だけの存在だった我々は、宇宙空間に多くの星々を物質化しました。そしてその上に多くの動植物を創り、自分が創ったその世界を楽しむために自分自身が入るための媒体として肉体を創ったのです。この話がフィクションでない証拠にインド聖者は空中から物を取り出す物質化現象を見せます。そして「あなた方ができないのは自分の正体を忘れてしまったからだ。できる状態は目と鼻の先にある」と語るのです。 この重く硬い物質世界も実は全て意識でできており夢ほどに非現実的なものです。決して絶対的な実在ではありません。ですが我々は肉体に入って地上で生きるうちに肉体と自分を同一化してしまい、物質世界を絶対的な実在であるかのように錯覚してしまったのです。自分を肉体だと思い込む固定観念は肉体の寿命がきた後もまた自動的に次の肉体に入ってしまう輪廻の原因になっています。
2004年05月19日
コメント(1)
戦国動乱の世の中を力ずくで平定していった武士たち。荒々しいそのイメージとは裏腹に、死を目前にして何とか生き延びたいと蠢動する人間的な一面が見え隠れします。今回は室町幕府の実力者、高師直の哀れな最期を紹介します。 高家に伝わる天下取りの遺言状高師直・師泰。世が室町時代初頭なら、高兄弟の名前を聞いただけで震えあがってしまうことでしょう。彼らは足利尊氏に従って、鎌倉の北条氏を滅ぼしたほか、最大のライバル・楠木正行を四条畷で撃破するなど、数々の武勲をたてました。室町幕府が成立すると、兄の師直は執事(のちの管領・将軍の補佐役)、弟の師泰は武士を統制する侍所の地位を与えられ専権を振うようになります。 『太平記』には、兄師直の横暴について「驕淫奢侈、兇威をほしいままにし、その巨毒をたくましくして怨告する者多し」と描かれています。それもそのはず。師直は、貴族や社寺の荘園を勝手に切り取って部下にどんどん与えたほか、気に入らぬ者があれば相手の身分に関わらず、容赦なく攻め殺してしまったからです。 実は、高家には代々伝わる秘密の置文があり、それには「我が孫は必ず天下を取って家名を輝かせよ…」と記されてあったとか。高兄弟は千載一遇のチャンスに接し、いまこそ天下を我が手にと意気込んでいたのかもしれません。 しかし、彼らの栄華も長続きはしませんでした。反旗は足利幕府内部からひるがえり、小さな城に逃げ込んだ高兄弟は敵の大軍に取り囲まれてしまいます。そのとき、側近の一人が武士らしく討ち死にすることをすすめましたが、日頃の威勢はどこへやら、何とか命が助からないものかと、小さく肩をすぼめてうなだれるばかりでした。 やがて、師直に父を討たれた上杉顕能が城に乗り込み、血まなこになって憎きかたきを捜し回りましたが、どこにもその姿が見あたりません。すると、城から出ていく降将の中に、編笠で深く顔を覆い、絣の着物をまとった二人の女官がいるのに気づきました。 「そこの者、なぜ顔を隠すぞ」と問いただしても、女官は小刻みに震えて押し黙っているばかり。笠をはねのけてみると、なんと頬に紅をさし、女性の姿に身をやつした高兄弟だったのです。兄師直は即座に斬られ、弟師泰は思いつくだけの命乞いの言葉を並べたものの、それは寒空に虚しく響くだけでした。 天下に指をかけながら、あまりに哀れな最期を遂げた高師直。「人は死して名を残す」といいますが、彼はまさに「往生際」の悪さゆえ、後世まで名を残す羽目になったのです。
2004年05月17日
コメント(0)
世界精神、世界法則、世界法則を捉える人類の歩み、科学的知識の総体,人類史 それと個々の時代、個々の地域、個々人の関係 ヘーゲル『歴史哲学講義』上、岩波文庫、64―69ページ 「手段ということばを聞くと、わたしたちはまず、自分の外にあって、目的とはなんのかかわりもないような手段を思い浮かべます。が、実際は、自然物でさえ、いや、身のまわりの生命なき物体でさえ、手段としてつかわれるときには、目的と合致する面を、目的と共通するなにかを、もっています。 まして、人間が理性的目的の手段となる場合、その人間が外的な手段にとどまることなど、およそありえない。人間は手段であることに満足し、手段の位置にたって理性の目的とは内容の違う特殊な目的を設定するのみならず、理性の目的そのものにも関与し、こうしてまさに自己を目的とするものになる、・・・・ 人間が自己を目的とするといえるのは、人間のうちに神々しいものがあるからで、それは、もともとは理性と名づけられ、それが活動力として明確な姿をとると、自由と名づけられるものです。・・・宗教心や道徳心はそうした自由な理性を土台ないし源泉とするもので、外からやってくる必然や偶然に左右されることはないといえます。ただ、道徳的ないし宗教的な堕落や、道徳心ないし宗教心の弱さが露呈することはあって、個人が自由に生きようとするかぎり、そうしたことに責任をもたねばならないことはいっておかねばなりませんが。 人間は何が善で、なにが悪かを知っている、といわれますが、それは、人間の絶対的で高貴な使命をいいあわらすことばです。まさに、善を意思するか悪を意思するかが問われているので、一言で言えば、人間には責任というものがある。悪だけでなく善にも責任があり、あれにもこれにも、どんなものにも責任があり、のみならず、特に個人の自由に関わる善悪に責任がある。本当に責任がないといえるのは動物だけです。・・・・ 人間の美質や道徳心や宗教心が歴史上でこうむる運命を見わたすとき、善意の誠実な人びとが多くの場合に不幸な目に会い、邪悪な人びとがうまくやっているようにも見えますが、そんなことを嘆きの種にするのはあたらない。うまくいくというのもさまざまな意味があって、富や外見上の名誉などもふくまれる。しかし、絶対的に存在する目的を問題とする場合には、あれこれの個人がうまくいったかいかなかったかは、理性的な世界秩序になに一つかかわるところをもたない。世界の目的という観点からすれば、個人が幸福な状態にあるかどうかより、道徳と法にかなったよい目的が確実に実現されているかどうかのほうが重要です。 人間が道徳的に不満を感じるのは(とはいえ、この不満はよく自慢の種になるのですが)、正義でも善でもあるとみなされる目的(特に今日では理想的な国家機構)に現実が合致していないと思えるときです。そのとき、目の前の現実に本来のあるべきすがたが対置される。もとめられているのは、特殊な利害や情熱を満足させることではなく、理性や正義や自由を満足させることです。 正義や善の名分を与えられると、現実への要求は声高になり、現在の状況に不満を言うだけでなく、それに怒りをぶつけるようにもなる。そうした感情や見解を正当に評価するには、文句のつけようのない形で提示される要求を、あらためて検討してみる必要がある。 現代ほど、現実に対する一般的な命題や思想が声高に提示される時代はないからです。過去の歴史が情熱の闘いとしてあらわされるとすれば、現代の歴史は、情熱が欠けているわけではないにしても、主として思想の自己主張の闘いとして、ときには、思想の自己主張という形をとった情熱と主観的利害の闘いとしてあらわされる。理性にかなったものという形で主張される正義の要求は、まさしく絶対の目的と見なされ、宗教や道徳に匹敵するものとされるのです。 すでにいったように、(空想の産物たる)理想が実現されていない、この素晴らしい夢が冷たい現実によって壊される、といったなげきほど、今日よく聞かれるものはありません。厳しい現実にぶつかって、実現の途上でついえさるような理想は、さしあたり主観的なものにすぎず、自分のことを最高にして最優秀な存在だと考える個人の所有物に過ぎない。わたしたちはそんなものにかかずらう必要はありません。個人が自分ひとりで考えだしたことが一般的現実にとっての法則になるはずはなく、同様に、世界の法則が、いずれは消えていく個々人のためにだけ存在するということもないのです。が、理想といわれるものには、理性、善、真の理想もあって、シラーのような詩人は、この理想を心の琴線に触れるよう感情ゆたかに表現しつつ、理想が実現されないことに深い悲しみの情を吐露しています。 これにたいして、わたしたちが普遍的理性の実現というとき、むろんここの経験的事実を問題にしているのではない。個々の経験的事実はよくもわるくもなりうるので、というのも、ここでは偶然や特殊条件が事態を大きく左右する力をもっているからです。だから、個々の現象については、非難すべき点はいくつも見つけられる。個々の事実のうちに働く一般的理性を認識しないで、その欠点だけを主観的にあげつらうのは難しいことではなく、そういう非難を得意とする人は、自分だけは全体の幸福を考える善意の心やさしい人であるような顔をしていて、いい気になってふんぞり返ったりするものです。個人や国家や世界支配の欠点を見つけることは、その真の内実を認識することよりも簡単です。事柄のなかにわけいって、事柄そのもの、事柄の積極面をとらえることをしない人でも、否定の口調で非難のことばをなげつけていれば、事態を上から見下ろすような、気持ちのよい偉そうな顔が出きるのです。 青年期はなにかと不満だらけなのに、年をとると人間がおだやかになるという。年をかさねることが判断を成熟させるからで、利害にとらわれない目でマイナス面をも評価できるようになるだけでなく、まじめな人生経験を積むことによって、洞察力が深まり、ものごとの実体ないし実質をつかめるようになるのです。 哲学は理想を夢想するのではなく、冷静な洞察をもたらさねばなりませんが、その洞察とは、本当の善ないし普遍的な理性は、自己実現する力をもっている、という洞察です。」 世界史のあゆみヘーゲル『歴史哲学講義』上、岩波文庫、114―115ページ 「思想に親しむという習慣をもたない主観的教養人にとって、思考観念は違和感をかきたてるものであり、対象のイメージや理解のうちには見出されないものだと思えるのですが、それはイメージや理解に欠陥があるのです。かれらは、哲学は歴史学のことがわからない、という。が、かれらはむしろつぎのことをみとめるべきだ。哲学は、歴史学で力を発揮する分析的思考をもつのでもなければ、分析的思考のカテゴリーにしたがって思考をすすめるのでもなく、理性のカテゴリーにしたがって思考しつつ、同時に、分析的思考を理解し、その価値と位置をもわきまえていることを。分析的思考の方法をとる学問にあっても、本質的なものをいわゆる非本質的なものから区別し、それとして取り出してくる必要のあることはいうまでもない。が、それができるためには、本質的なものがなにかを知らなければならない。世界史の全体が考察の対象・・・・・・」 「一般的にとらえられた特徴とはっきり矛盾するような、身近な例を持ち出す人がいますが、そのやり方は、普通は、理念をとらえたり理解したりする力のなさをあらわしてもいます。自然史において、境界のはっきりとした類や綱をかきみだすものとして、奇形や異形や混成種のれいが持ち出されることがありますが、それに対しては、ごまかしのためによく使われる手ではあるが、例外は規則を証明するものだ、といういい草をかえしておけばよい。いい草の真意は、例外を見れば、それが生じてくる条件なり、正常状態から逸脱した欠陥体や両性具有体なりがわかるということです。・・・」 118ページ「真の道徳原理ないし共同精神・・・」「世界史は道徳の本領たる、私的な心情、個人の良心、個々人の意思と行動といった場面よりも、もっと高い次元を動くもの・・・個人はそれぞれに価値ある点や非難されるべき点をもち、賞と罰をうけますが、精神の絶対的な究極目的が要求し成就すること、もしくは、神の摂理がおこなうことは、個人の道徳性に関わる義務や責任能力や要求をこえたものなのです。・・・」 119ページ「世界史的個人といわれるような大人物たちの行為は、かれらが意識しないような内面的な意味で正当化されるばかりでなく、世界の流れという立場からも正当化されます。 とはいえ、世界史的な行為や行為者に対して、世界の流れを見つつ、道徳的な要求を掲げるわけにはいかないので、それが場ちがいというものです。つつましさ、謙虚さ、人間愛、慈善などといったくだくだしい個人道徳をかれらに要求してもはじまらない。世界史というものは、道徳が問題になったり、人のよく口にする道徳と政治の区別が問題となったりするような領域とはまったく違う。世界史は道徳的判断などしない―もっとも世界史の原理や、その原理と行動との関係は、それ自体すでに判断だとはいえるのですが―・・・・ 世界史の地理的基礎ヘーゲル『歴史哲学講義』上、岩波文庫、149ページ「アメリカは未来の国です。近いうちに、たとえば南北アメリカの対立が世界史を動かすほどの重大事件になるかもしれませんが。古いヨーロッパの歴史的な武器庫にうんざりしたすべての人にとって、またアメリカはあこがれの地です。ナポレオンは、『古いヨーロッパはもうたくさんだ』といったそうです。アメリカは今日まで世界史が動いてきた土地からは除外されます。いままでにアメリカが獲得したものは、旧世界の反響、および、異質の生命の表現に過ぎず、未来の国については、私たちの関知するところではありません。・・・・・」 以上,見てきたように、ヘーゲルの世界史認識は実に深い洞察に満ちているのであるが,他方では、青年ヘーゲル派、フォイエルバッハ、マルクスなどが批判したようなプロイセン国家主義、プロイセン国家擁護,現状擁護の思想も色濃く残っていた。マルクスは,その一番初期の作品のひとつ「ヘーゲル国法論批判」で,文字通りそうしたヘーゲルの批判を行っている。「それぞれの国民はその国民に適合しその国民にふさわしい体制を有する」というヘーゲルにたいして、マルクスは、「ヘーゲルの論法からすれば、・・・『自己意識の在り方と形成』が『体制』と矛盾しあうような国家はどんな意味においても真の国家ではないことになってこざるをえない」Aus Hegels Räsonnement folgt nur, daß der Staat, worin „Weise und Bildung des Selbstbewußtseins“ und „Verfassung“ sich widersprechen, kein wahrer Staat ist.と批判する。 そして、「或る過去の意識の産物であった体制が或る進んだ意識にとってむごい桎梏となりうるとか,その他等などの事柄はなんといってもありふれた事実である。このことから出てくるべきものはむしろ,意識とともに前進していくという規定と原則をそれ自身のうちに具えた体制が要請されるということだけであろう。現実の人間とともに前進していくということ、このことは『人間』が体制の原理になってこそはじめて可能なのである。」
2004年05月15日
コメント(0)
現代世界のフランクリンはどこから出てくるか? フランクリンは、アメリカの偉人の一人であり、アメリカ独立革命の闘士であり、アメリカ憲法に体現されたあたらしい理念の推進者であった。 ヘーゲルの『歴史哲学講義』(岩波文庫、上、58―64ページ)から、そうした世界史的な偉人・英雄等に関する叙述を書きとめておこう。 カエサルの具体例を述べた後、ヘーゲルは言う。「歴史上の偉人とは、自分のめざす特殊な目的が、世界精神の意思に合致するような実体的内容を持つ人のことです。偉人が英雄とよばれるのは、その目的や使命を、現存体制によって正当化されるような、安定した秩序のある事態の動きから汲みとるばかりでなく、内容が隠されて目に見える形をとらないような源泉からも汲みとってくる場合にかぎられます。その源泉とは、いまだ地下にひそむ内面的な精神ともいえるので、この精神は種子の殻をたたくように外界をたたき、外界をこわしてしまう、―つまり、英雄とは自分のなかからなにかを創造するように見える人物のことであり、その行為が、かれのもの、かれの作品であるとしか思えない事態や状況をうみだす人です。 こうした個人は、目的の設定にあたって理念を意識しているわけではない。かれらはむしろ、実践的かつ政治的な人間です。が、同時に、かれらは思考の人でもあって、なにが必要であり、なにが時宜にかなっているかを洞察している。洞察されたものは、まさに、その時代とその世界の真理であり、時代の内部にすでに存在する。かれらの仕事は、世界のつぎの段階に必ず現われるこの一般的傾向をみてとり、それを自分の目的とし、その実現に精力をかたむけることです。だから、世界史的人間、ないし、時代の英雄とは、洞察力のある人びとを考えるべきで、その言動はその時代にあって最上のものです。 偉人は他人を満足させようとするものではなく、自分の満足をねらいとします。彼らは他人から善意の忠告や助言を与えられたりもしますが、それらは偏狭で、いい加減なものが多い。事態をもっとも正確に理解しているのは偉人たちで、まわりのすべての人は偉人に教えられて事態をとらえるか、少なくとも、事態にうまく対処するかするのです。というのも、前を行く精神はすべての個人の内面的な魂をなすもので、偉人たちは、個人の無意識の内面を意識にもたらすものだからです。だからこそ、この魂の指導者に他人がついていくことにもなるので、人びとは、偉人という形で自分の前にあらわれた自分自身の内面精神に、どうしようもなくひきつけられてしまうのです。 このように、世界史的個人は世界精神の事業遂行者たる使命を帯びていますが、彼らの運命に目をむけると、それはけっしてしあわせなものとはいえない。かれらはおだやかな満足を得ることがなく、生涯が労働と辛苦のつらなりであり、内面は情熱が吹きあれている。目的が実現されると、豆の莢(さや)に過ぎないかれらは地面に落ちてしまう。アレクザンダー大王は早死にしたし、カエサルは殺されたし、ナポレオンはセント・ヘレナ島へ移送された。歴史的人物が幸福とよべるような境遇にはなく、幸福は、種々様々な外的条件のもとになりたつ私生活にしか約束されない、というのはぞっとするような歴史の事実ですが、その事実になぐさめられる人もいるかもしれません。が、そんななぐさめを必要とするのは、立派な遺業を見て不愉快に思い、なんとかそれを小さく見せようと粗(あら)さがしをする嫉妬深い人だけです。・・・・自由な人間というものは嫉妬心などもたず、高貴な偉業をすすんでみとめ、それが存在することによろこびを感じるものです。 だから、歴史的人物を考察するには、その関心と情熱がどのような全体的事業に向けられたかをみなければなりません。かれらが偉人であるのは、偉業を、それも思いこみの偉業ではなく、正真正銘の偉業をなそうとし、なしとげたからです。 こうしたものの見かたは、いわゆる心理的考察をも排除します。心理的考察とは、嫉妬心の満足には大いに役立つもので、すべての行動をその心理にわけいって説明し、主観的形態に還元してしまう。すると、行動を起こしたひとはすべて大小なんらかの情熱にもとづいて、つまり欲心にもとづいて行ったことになり、この情熱ないし欲心のゆえに、道徳的人間ではないことになります。マケドニアのアレクサンダー大王はギリシャの一部を征服し、ついでアジアを征服した、だからかれには征服欲があった、といわれる。かれの行動は名誉欲や征服欲に基づくもので、欲がかれをかりたてたことの証明は、かれが名誉を得、征服を行った事実に求められる。 アレクサンダー大王やユリウス・カエサルをあつかう学校教師のなかで、この二人がそうした情熱に突きうごかされた不道徳な人間であることを証明して見せなかった人がいるでしょうか。そこからただちに出てくる結論として、大それた情熱をもたない学校教師のほうが、アレクサンダーやカエサルよりも立派な人間だということになり、それを証明するものとして、学校教師はアジアを征服もしないし、ダリウスやポロスを打倒もせず、人に危害を加えることなく安穏にくらしている、という事実があげられるのです。 こうした心理家たちはまた、歴史的大人物の私生活にまつわる特殊な事実に、強い執着を見せます。人間は食べたり飲んだりしなければならず、友人知人と付き合い、刹那的な感情や興奮にかられます。「従僕の目に英雄なし」とはよく知られたことわざですが、わたしはかつて、「それは英雄が英雄でないからではなく、従僕が従僕だからだ」と補足したことがある(ゲーテが10年後に同じ言葉を繰り返しましたが)。従僕というのは、英雄の長靴をぬがせ、ベッドに連れて行き、また、かれがシャンパン好きなのを知っている男のことです。歴史的人物も、従僕根性の心理家の手にかかると救われない。どんな人物も平均的な人間にされてしまい、ことこまかな人間通たる従僕と同列か、それ以下の道徳しかもたない人間になってしまう。・・・・・・・ 世界史的個人は冷静に意思をかため、広く配慮をめぐらすのではなく、ひたむきにひとつの目的に向かって突進します。だから、自分に関係のない事柄は、偉大な、いや、神聖な事柄でさえ、軽々にあつかうこともあって、むろんそのふるまいは道徳的に非難されてしかるべきものです。が、偉大な人物が多くの無垢な花々を踏みにじり、行く手に横たわる多くのものを踏みつぶすのは、しかたのないことです。 理性の狡知 理性の策略 個人は一般理念のための犠牲者となる・・・ 歴史の根底を流れる真の民主主義の論理(大局的歴史進化の論理、宇宙史・地球史・人類史の論理) 一般理念の実現は、特殊な利害にとらわれた情熱ぬきには考えられない。特殊な限定されたものとその否定から一般理念は生じてくる。特殊なものが互いにしのぎを削り、その一部が没落していく。対立抗争の場に踏み入って危険をおかすのは、一般理念ではない。一般理念は、無償の傍観者として背後に控えているのです。一般理念が情熱の活動を拱手傍観し、一般理念の実現に寄与するものが損害や被害をうけても平然としているさまは、理性の策略とよぶにふさわしい。世界史上のできごとは、否定面と肯定面をあわせもつ。特殊なものは大抵は一般理念に太刀打ちできず、個人は一般理念のための犠牲者となる。理念は、存在税や変化税を支払うのに自分の財布から支払うのではなく、個人の情熱を持って支払にあてるのです。 個人の存在とその目的と目的の満足とが犠牲に供され、個人の幸福が空前の要素に左右される・・・結局は個人を手段のカテゴリーのもとにとらえるほかはない・・・」
2004年05月14日
コメント(0)
横浜市立大学 永岑 三千輝教授のHPよりアメリカ独立戦争・独立革命の闘士ベンジャミン・フランクリン(1706年出生)と教養広辞苑の記載:フランクリン【Benjamin Franklin】アメリカの政治家・科学者。印刷事業を営み、公共事業に尽した。理化学に興味を持ち、雷と電気とが同一であることを立証し、避雷針を発明。また、独立宣言起草委員の一人で、合衆国憲法制定会議にも参与。自叙伝は有名。(1706~1790)[株式会社岩波書店 広辞苑第五版] フランクリンは自発的教養ゼミを組織した。彼は高等教育を受けることができなかった。一〇歳から働いた。印刷業の職人となり、長じて印刷屋を開業した。読書が好きで、夜間や休日に自発的読書を楽しみ、教養を身につけた。大学だけが教養の場ではない。いやむしろ、普通の生活の場、市民生活の場こそが教養を深め拡大する場であるだろう。大学はむしろその一生をかけての教養の深化拡大のためのできるだけいいきっかけを作る場ということであろう。教養形成・深化の一つの重要な手段が読書であるとすれば、別に大学だけが教養の場でないことは極めて明白である。 フランクリンは自発的な公共的図書館の創設者でもあった。公共図書館は、自分たちのもっている本を集め、相互に貸借することから発展した。彼は自発的な消防組合の提唱者、創立者でもあった。そして、ペンシルヴェニアに大学を設置・創立する組織者の一人となった。自発的読書会として発足したジャントー・クラブがその中心となった。→1751年創立のフィラデルフィア大学[1](のちペンシルヴェニア大学)[2]彼はまた自発的な寄付金による法人を組織して病院を建設し、その基礎の上に州会から補助金を得た。・・・・ヴォランティア精神 『フランクリン自伝』から、自発的勉強会の設立に関する箇所を紹介しておこう。 1727年の「秋、わたしは有能な知人の大部分を集めて相互の向上を計る目的でクラブを作り、これをジャントー(スペイン語から来て、徒党・秘密結社を意味する)と名づけて、金曜日の晩を集まりの日にしていた。会則もわたしが起草したのだが、それによると、会員はすべて順番に、倫理・政治ないしは自然科学に関する何らかの点について少なくとも一つの問題を提出し、仲間の討論にかけることになっていた。また三ヶ月に一度は何であれ、自分の好きな題目について論文を書き、それを提出して読むという約束であった。討論も、議長の司会の下に、議論のための議論をするとか、相手を言い負かすために議論するとかではなしに、真理探求という真面目な精神で行うことになっており、しばらく後には、議論が喧嘩腰になるのを避けるために、独断的な言い方や真っ向から反対するといったことはいっさい禁制となり、それを破る者には小額の罰金を課することにした。[3]」 ジャントー・クラブは、「頃合の人数として」会員数を一二名までと決めてあったという[4]。教養ゼミも、また2年生後半以上の本ゼミも一二名程度,せいぜい二〇名程度が理想的であろうと、私も考える。 できれば、『フランクリン自伝』の全体を読んでみてはどうだろうか。(こんなことを別にことさら強調しなくても、手元の岩波文庫版だけで56刷にもなっていることから、みなさんの中にもすでに読んだ人が何人もいるかもしれない)。私自身、読みなおすと、感銘深い点をいくつも発見できて、面白く、教訓的であった。 アメリカの健全な精神(アメリカにも日本や世界の至るところと同様に、傲慢不遜な精神・勢力がいることはいうまでもない)の育成にあたって大きな影響と与えた(与えている)とされるフランクリンの業績について、一度は味わってみるのは価値あることのように思われる。 彼は道徳を考える場合にも、「完全に道徳を守ることは、同時に自分の利益でもある」ことを強調した。彼は「現世の幸福を望むものにとって、徳を積むことは有利なのだ」という確信を述べ、それを証明し、自伝の読者に対して証明しようともしている。彼が自ら定め、それを完全に身につけようと努力した徳(実際に行うのは彼の場合でさえ、彼自身、謙虚に、認めるように困難至極だったが[5])、その有名な13徳はつぎのようなものであった[6]。 「第1 節制 飽くほどに食うなかれ。酔うまで飲むなかれ。 第2 沈黙 自他に益なきことを語るなかれ。駄弁をろうするなかれ。第3 規律 物はすべて所を定めて置くべし。仕事はすべて時を定めてなすべし。第4 決断 なすべきことをなさんと決心すべし。決心したることは必ず実行すべし。第5 節約 自他に益なきことに金銭を費やすなかれ。すなわち、浪費するなかれ。第6 勤勉 時間を空費するなかれ。つねに何か益あることに従うべし。無用の行いはすべて断つべし。第7 誠実 詐(いつわり)を用いて人を害するなかれ。心事は無邪気に公正に保つべし。口に出すこともまたしかるべし。第8 正義 他人の利益を傷つけ、あるいは与うべきを与えずして人に損害を及ぼすべからず。第9 中庸 極端を避くべし。たとえ不法を受け、憤りに値すと思うとも、激怒を慎むべし。第10 清潔 身体、衣服、住居に不潔を黙認すべからず。第11 平静 小事、日常茶飯事、または避けがたき出来事に平静を失うなかれ。第12 純潔 性交はもっぱら健康ないし子孫のためにのみ行い、これに耽りて頭脳を鈍らせ、身体を弱め、または自他の平安ないし信用を傷つけるがごときことあるべからず。第13 謙譲 イエスおよびソクラテス[7]に見習うべし。」 フランクリンは、「あらゆる宗派の人に役立つ」道徳基準を確立すること、「ある特定の宗教に特有な教義といったもの」を排除することを目指した。人類に普遍的な道徳基準を確立し、自らの基準、努力目標にしようとしたということであろう。フランクリンの精神、世界諸宗教に共通する道徳基準を抽出するという精神、人類の共通原則の確立という精神的地平は、宗教をめぐって、あるいは宗教を武器として悲惨な戦争がいまなお続く現代世界にとっても、熟慮すべき事柄だろう。 しかしフランクリンは、なによりも貧困から身を起こすこと、財産・富を持たない普通の人びと、年齢層でいえば「若い人びと」の向上と「立身出世」に資することを目指した。「正直と誠実とは、貧しいものが立身出世するのに最も役立つ徳であるということを、若い人びとに悟らせるようにしたいと思った」と[8]。 さて、教養ゼミに参加する諸君は、この点をどう考えるか?フランクリンの13徳を、一つの努力目標の参考にするか、無視してしまうか?自分なりに新たな基準をつくるか?その場合に、世界の偉人から学ぶか?
2004年05月13日
コメント(0)
昨日も書きましたが、空海と高階一門は非常に密接につながっています。第16次遣唐使の次に唐に来た国使・高階真人遠成の船で日本に帰らなければ(806年)、空海は唐で生涯を終っていた高階真人遠成もキルゴアの先祖です。不思議な縁です。それで、密教についても調べていました。それに当家の祖 高橋六朗左衛門の法名は円心だし。注:円は、天台宗の教理です。今回率直に感動したのは、執金剛神立像【梵名ヴァジュラダラ。ヴァジュラ(金剛杵)を持つものの意味で、執金剛・持金剛などと漢訳され、伐折羅陀羅(ばさらだら)と音写される。金剛杵をもって諸尊を守護する役をになう夜叉神。金剛力士とも呼ばれる。 本来は独尊で釈迦の警護にあたっていたが、仏とその聖域を護るため阿・吽一対に分化して表されるようになり「仁王」の別名持つようになった。 その姿は、裙(喪)を腰にまとうだけの半身で身構える、筋骨隆々としている。甲冑をつけた武人の姿で忿怒形。岩座にたち、一方のては宝塔を捧げるかもしくは腰に手を当てて、もう一方の手で戟もしくは宝棒を持つ。】と深沙大将です。とにかく行ってみてください。いけばわかります。弘法大師、宗(唐)に渡り真言の教え持ち帰り来る空海渡唐1200年-奇跡的幸運の連続 密教21フォーラム事務局長 長澤弘隆(真言宗智山派・満福寺住職)参照 空海の渡唐には、いくつかの奇跡的な幸運がある。それを単なる幸運というか、いや空海の宇宙的な運気が引き寄せたもの、というべきか、稀有な幸運である。 まず第一に、空海が参加した第16次遣唐使は、やり直しの派遣であった。 空海は、出直しの遣唐使船に運良く乗り込めたのである。実は、第16次遣唐使船は前年の延暦22年(803年)3月に難波ノ津を出航している。途中で暴風雨に遭い船が損傷して修理のために引き返し、翌年5月に再度出航したのである。この幸運がなかったら、空海は次の遣唐使船(836年)まで30年余待たなければならなかった。これは事実上、空海の渡唐と正統の密教の伝来が不可能となったことを意味する。 第二に、日本を離れた遣唐使船が東シナ海で暴風雨に遭い、空海の乗った第一船は難破船となって漂流しながらも中国の南方海岸(赤岸鎮とよばれる地域の岸、現在の福建省霞浦県赤岸村)に漂着したことである。第三船・第四船が海の藻くずとなったことを思えば、奇跡的な幸運である。 第三に、言語力、つまり唐語(当時の中国語)や梵語(当時のサンスクリット語)の語学力や、詩文の文章力や書の力である。 まず、赤岸鎮から回された福州で、「国使」であることを文書で何度も提出するも怪しまれるばかりで上陸が叶わず、困り果てた遣唐大使・藤原葛野麻呂の要請で空海が代筆し、福州の観察使にあてて上申書(『大使の為に福州の観察使に与ふるの書』)を書いて出したところ、それを読んだ地方長官の態度が一変し、正式な「国使」として上陸を許されついに長安に入った、というエピソード。 長安に入って後、空海は長安の文壇社交界に登場し、唐の詩文に異能ぶりを発揮して長安の文化人を驚かせたほか、王羲之や顔真卿などの中国の著名な書家の書風による書をものしては、「五筆和尚」とまで称えられた。 また一方、インドの僧・般若三蔵や牟尼室利三蔵との交流がはじまり、彼らについて梵語の語法や読み方・書き方をはじめインドの宗教やアジアの諸文化を空海は学んだ。このことは長安における空海の密教修学の中心課題であり、それをクリアーしたことがやがて師・恵果和尚から密教の正統の嫡流として受法する奇跡につながる。 第四に、師・恵果和尚との運命的な出会いと正統密教の受法の奇跡である。空海は、密教に関する修学を深めた後、やがて当時の中国密教最高の師・恵果和尚に出会うのだが、恵果は「我、先より汝の来るを待つや久し」といい、自分の寿命が残りわずかなことを告白し、初対面の空海に、わずか2ヶ月のうちにすべての「潅頂」を行い、1000人を越す弟子を差し置いて空海に密教の正統な継承者の位を与えた。そして恵果和尚はその年の暮に亡くなる。中国の密教はその後40年を経ずして廃仏の弾圧に遭い衰退してゆく。まさに奇跡的幸運である。 第五に、20年という留学期間の規則をやぶり、長安での留学を2年で切り上げ、第16次遣唐使の次に唐に来た国使・高階真人遠成の船で日本に帰らなければ(806年)、空海は唐で生涯を終っていた、という奇跡的幸運。空海が帰った後、唐に派遣された遣唐使船は32年後の838年のことで、空海入滅の3年後である。 これらの奇跡的な幸運があって、空海の破天荒な渡唐留学は大成功となった。思えば、密教への高いモチベーションをもった空海の異能ぶりと無関係ではない。一人の異能がもたらしたものは実に大きかった。
2004年05月10日
コメント(1)
今日は、石井ターニャさんと、Hiroetteさんの、コンソーシアム ボードメンバーミーティングを、弘法大師入唐1200年記念空海と高野山を見る前に、国立西洋美術館のカフェ「すいれん」にておこないました。重要な方向性が決まりました。WHOの健康の定義「健康とは、 病気ではないということではなく、何事に対しても、前向きな姿勢で取り組めるような精神、肉体、そして社会適応状態が達成されている事をいう 。」と定義しています。上記のような、健康的な状態を保障する仕組み(システム)づくりを目指して、ビジネスや政治といった面で行動してゆくと決まりました。「Turn Around For Sound State Japan」プロジェクト始動です。
2004年05月09日
コメント(0)

「私は自分を最大限に活用しようとしている。それこそ、人間のように意識ある存在が望むただ一つのことだと思う。「2001年宇宙の旅」HAL~R・ブロディ 「夢をかなえる一番良い方法」~より引用最初の頃の日誌にも記入しているが、キルゴアは、自分を最大限に活用するため、2つの梃子をもっている。ひとつは、遺伝子への信念である。今まで述べたきたように、高階真人の血が自分に本当に流れているか、実践にて、結果にて試してみたいのである。モンゴルのチンギス・ハーンの母は、ハーンが生まれる前に、タタール族に連れ去られ、出生を疑われていた。青き狼の正統「モンゴル」である事を実力で示さねばならなかった。ハーンの息子ジュチ(=モンゴル語でお客様という意味も、同じであった。たとえ家系図があったとしても、むしろ実力にて示すほうが納得性が高いと信ずる。地球システムとしてのマルチメディア参照このやり方は、 サー・ウィンストン・チャーチルにも学んでいる。渡部昇一の「100人の指導者たち」より第一にチャーチルは源頼朝や足利尊氏と同じくイギリスきっての名門の出身であり、血筋が重要な役割を占めていた。 イギリスは貴族制が厳存している国であり、それに対する国民的尊敬心が残っている。 チャーチルの先祖であるモールバラ侯爵はスペイン継承戦の英国総司令官、連合国総司令官としてブレニムなどの戦場などで、何度も大勝利してその軍事的天才はヨーロッパ中に鳴り響いていた。軍事的才能は遺伝するというような素朴な考え方が一般にある。 国家の危機の時にチャーチルの背後には先祖の軍事的天才の後光が射す。 一方チャーチルは平和な時は失敗もする。選挙に五回も落選していることはそれを物語る。何度落選しても重要なポストに復帰するのは、彼の才能もさることながら、名門中の名門だからだ。第二に彼にはとび抜けた想像力がある。この才能は彼がノーベル文学賞を受けるほど、沢山のベストセラーを出していることからも分かる。 イギリスの陸軍参謀長ウィルソンの大陸作戦計画は全く当たらなかった。素人だけれども、想像力がすぐれているから専門家より秀れたアイデアを持ち、かつ他人の突飛なアイデアも採用できる。 彼は元来は騎兵出身である。しかし第一次大戦前に海軍大臣になると―――これは明治の頃、西郷従道陸軍中将が海軍大臣になったのと一脈通ずる―――イギリスの軍艦の燃料を石炭から石油に変え、主砲の口径を1インチ半(約4センチ半)大きくして15インチにするということをやった。これが第一次大戦でイギリスがドイツ艦隊を押さえ込むことに成功した最大の理由である。 また、大陸の塹壕(ざんごう)戦を実際に見ると、タンク(戦車)を考え出した。もしこの案がすぐに採用されていたら、戦争は一年早く終わっていたと言われている。 第三は落選して野にある時の生活の仕方である。彼は前に述べたように文章家であり、若い時からベストセラーを何点も出している。その上、絵も上手で、ピカソもその才能をほめているくらいだ。 政治家は落選中は辛いものらしいが彼はその時間は悠々と読書し、著述し、絵を画き、世界の大勢をじっくりと睨んでいたのである。 現代の社会で、一流の著述家が政治家になることの有利さは、常に広い世間に向かって――イギリスの場合は英語だから世界に向かって――自分の考え方を示すことができることだ第四は彼のずば抜けた勇気である。青年時代にアフリカの戦場に出て以来、第一次大戦でも戦場に出て、恐怖を知らない者の如く振る舞っている。 向こう見ずともいえる冒険心は子供のときからのものであった。いざという時に腰くだけになるようでは、非常時のリーダーにはなれない。(加藤の乱の加藤紘一氏、靖国神社参拝の時の小泉首相と比較せざるをえない。) 第五には稀有の幸運である。その伝記を読めば、何度も死んでおかしくない局面でも、全くの幸運で助かっている。たとえば怪我は普通は不幸である。しかし彼は手の骨折のため騎兵なのに剣が使えず、ピストルにしていたことがあった。これで助かったのである。強運の人こそ一国のリーダーであるべきだ。続いて、高皇産霊神(たかみむすびのかみ)であるが、野中先生の、知識創造の方法論 ナレッジワーカーの作法にも、でている、W.ジェームスの『プラグマティズム』の有用性しての真理から梃子を得ています。W.ジェームスは命題が真理であるとは、すなわちそれが有益な結果をもたらす場合である。 たとえば 神の概念ですら、それが実生活に豊かな実りをもたらす効果がある ならば、それを肯定すべきであるとしました。キルゴアも尊敬するオリバークロムウェルが神の力を梃子としたように、その力を借りるべく、高皇産霊神を神として自分の力を引き出すのです。その手法は聖書にあります。クロムウェルもきっと以下の話を体化してニューモデルを創設したはずです。聖書のギデオンの話 のように。以下抜粋神の愚かさ、神の弱さ(ギデオン、ミディアン人を破る 士師記7章) 「神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強い」と聖書は言います。 旧約時代の士師の一人ギデオンは、非常にユニークな戦い方で大勝利をおさめます。13万5千人の敵に対して350分の1である、たった300人の兵士によって救いを勝ち取ったのでした。神にとって不可能なことは何一つありません。 時として、神は人を通して働くとき、人にとっては愚かで弱々しく思える方法をとられます。人が自分だけの働きで行ったと言うことがないようにするためです。いつも主に栄光を返しましょう。その他資料神はイスラエルの民を救い出すために、新たな士師を起こすことを決意されました。主の目はあまねく全地を見渡し、ついにヨアシュの子ギデオンを見出したのです。そのとき、ギデオンはミディアン人を恐れて酒ぶねの中に隠れて小麦を脱穀していました。私たちの目には、とても士師として選ばれるような人には見えません。しかし、主は彼にこうおっしゃったのです。「勇者よ、主はあなたと共におられる」(6:12)。 神の選びは不思議です。15節のギデオンの言い訳を見てください。「わたしの一族はマナセの中でも最も貧弱なものです。それにわたしは家族の中でいちばん年下の者です。」一般的な見方をするならば、最も選ばれるはずのない人物でした。しかし、神はそういう人をあえて選ばれたのです。なぜでしょうか。社会的な地位が高く、有能な人を選んだなら、敵に打ち勝ったとき、人々は指導者のおかげだと思い、その心はまた神から離れてしまうからです。イエス様の選びも不思議です。ルカ6章に、イエス様が徹夜して祈りながら12使徒を選ばれたときのことが書かれています。ご自分が天に帰られたあと、この大切な福音を託すために主が選ばれたのは、無学な漁師たちを中心としたグループでした。そして、主は彼らを用いて、全世界に福音を宣べ伝えてくださったのです。 12使徒の選びが不思議だったとすれば、21世紀の弟子たちとして私たちが選ばれたということはもっと大きな不思議ではないでしょうか。パウロもこう語っています。「兄弟たち、あなたがたが召されたときのことを、思い起こしてみなさい。人間的に見て知恵のある者が多かったわけではなく、能力のある者や、家柄の良い者が多かったわけでもありません。ところが、神は知恵ある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選び、力ある者に恥をかかせるため、世の無力な者を選ばれました。また、神は地位のある者を無力な者とするため、世の無に等しい者、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれたのです。それは、だれ一人、神の前で誇ることがないようにするためです」(第一コリント1:26~29)。神は誇る者を使うことができないのです。 モーセの召しを考えてみてください。彼の120年間の生涯はきれいに3つに分けられます。第一が最初の40年。エジプトの王女の息子として当時世界最高の英才教育を受けていた自信に満ち溢れた期間です。このときモーセは、もし神が誰かを用いるとすれば、自分しかいないだろうと思っていました。しかし、その段階で神は彼を用いることができなかったのです。彼は砕かれなければなりませんでした。第二が80歳までの40年間。そのとき、モーセはミディアンの地に逃れ、そこで羊飼いとして生活をし、このまま自分の人生は静かに終わると思っていました。自分は特別なことは何もできない人間だと思っていた期間です。神がモーセを召されたのは、まさにその期間の最後、80歳のときでした。第三が、それから120歳までの40年間。それは、モーセが、神は何もできない人間を使って偉大なことをなさる方だということを知った期間です。そのとき、モーセは最高に用いられたのです。 あなたが自分こそ何か偉大なことを成し遂げる人間だと思っているとき、神はあなたを用いることができません。かと言って、自分は何もできない存在だと自己卑下していては、立ち上がることができません。神は何もできない自分を用いて何かをなしてくださる方だとわかったとき、それがあなたが用いられるときなのです。主はギデオンに、「勇者よ、主はあなたと共におられる」と語られました。臆病なギデオンであっても、主が共におられるなら、彼は勇者として用いられるということです。主が共におられるなら、無学な者は知恵ある者に変えられ、無力な者は力ある者に変えられ、臆病な者は勇者に変えられるのです。ですから、「誇るものは主を誇れ」(第一コリント1:31)と書かれているのです。
2004年05月08日
コメント(0)
源義家から七代後、足利家時から三代後、ついに源氏の本流足利家は10代にして天下をとりました。10代も世代を超えての、目標達成。ここまでやるか、足利家!見習えますか。天下はとれずとも、三代かければなんだってできるはず。目標・目的が明確であれば何が目標・目的に対して必要・不必要がわかり、目標・目的に対して忠実に行動できるのです。この精神見習おう。渡部昇一の「100人の指導者たち 足利尊氏」より絶対値というのは数字でプラス・マイナスを考えないで数の大きさだけを指す言い方である。たとえばヒトラーは価値観を入れて見れば巨悪、つまり大きなマイナスになる人物になろうが、価値観によるプラス・マイナスの記号を取り去れば、強力無比のリーダーだったということになる。 足利尊氏も何はともあれ、北條幕府を潰すのに大功があり、その後に出来た建武の中興の天皇親政の政府を潰し、ついに足利幕府つまり室町幕府を作った男だから、抜群のリーダーシップを持った人物であったことに間違いない。とにかく器量が大きいのである。 源頼朝でも見たように、武士の棟梁になるには家系が非常に重要である。武士は系図尊重主義団体なのだ。源頼朝が鎌倉幕府を開くことの出来た最大要因の一つは、彼が源氏の武士集団の祖と仰がれる源義家(八幡太郎)の直系の長男だったからである。 この点、足利家も八幡太郎義家の子、義国の直系である。同じく義国の直系には新田義貞がいて、この二人は後に覇権を争うことになり、尊氏が勝ったのである。ちなみに徳川家は新田家の子孫で源氏ということになっている。 足利・新田の両家は家格が同じであったが、後になると新田氏は北條幕府とうまくゆかずに無位無冠の地方豪族にすぎなくなる。一方、足利利家は北條幕府の下で栄えており、上総、三河両国の守護職と35箇庄を領有していた。尊氏(若い頃は高氏)はこれだけの領地を父親から譲り受けている。 そして15歳の時に従五位下・治部大輔に任官しているが、当時の将軍北條高時は正五位下である。つまり尊氏の継いだ足利家は北條幕府の下の大豪族であり、武士団の系統から言えば、元来が平家の系統の北條氏よりも本流であった。 そんなことは日本中の武士が知っていた。しかも彼は、16代執権にもなった北條守時(赤橋守時)の娘の登子と結婚している。 その尊氏は楠木正成を千早城に攻めるために上京したのだが、一転して反北條となり、後醍醐天皇が隠岐の島から帰京する前に、京都を支配し、武士たちに御教書という通達を出している。 後に新田・楠木らの朝廷軍に追われて九州に行くが、すぐに勢力を盛り返して、逆に楠木正成や新田義貞をも滅ぼすのである。彼は大局を見る政治家であったが、ここぞという決戦では、北九州でも関東でも勝っている。 後に弟や息子に離反され、何度も窮地に落ち入りながらも不死鳥のように立ち直る。その行動の根源には祖父の足利家時が「わが命をちぢめて三代の中に天下を取らしめ給へ」と八幡大菩薩に祈って「置文」を残し、切腹したことがあった。この文章を後に見たことが、自分の幕府を作る決心を尊氏に固めさせたと思われる。キルゴア注:「難太平記」には、源氏の祖・八幡太郎義家の「我れ、七代の孫に生まれ変わって天下を取るべし」という置き文が残っていると伝えている。 勃興足利家(5)より「殿、今日はその事も有りますが、ぜひ殿に見ていただきたい物がございます。祖義兼公より足利家に代々継がれてきた秘宝でございます。これには、義兼公より伝えられた古文書が入っております。代々足利を継ぐ者は、これを読み、読んだ者はたとえわが子であろうとその内容を他の者に話してはならないという掟がございます。代々執権を務めております高階が大切に管理し、足利家の当主になった方に一度だけおみせする習わしになっております。ぜひ殿のお手で開けてくださいますようお願い申し上げます。」言われて眺めると、古めかしい、しかし管理の行き届いた黒漆の箱がそこに置かれてありました。年数の経つ父の花押の封印を破るとそこに緑青を吹いた錠がありました。懐剣で軽く叩くと簡単に錠は開けられました。中にはだいぶ変色した文書が入っていました。それをやおら取り上げ無造作に読みだした足利家時の顔がみるみる蒼白になっていきました。しばし呆然とその文書をながめていた足利家時は、ふらりと立ち上がると夢遊病のように奥の部屋に入っていったのでした。その日、足利家時は自害しました。古文書には、祖源義家が、死に際し自分は七代目の子孫に変わって天下を取ると遺言したとしたためてありました。そのためには歴代足利家を継ぐ者は、自分を犠牲にして七代目の成就の為に尽くせ。ひたすら耐え忍びその時の為に蓄えよ、ともありました。その七代目がまさに足利家時だったのです。足利家は、その大きな野望の為に代々の主君が恥を忍び権力者に媚び力を蓄えてきたのです。なのに足利家時はそんな先祖の所行を恥じ軽蔑し、武士を捨てたいとさえ思っていました。全てが義家公の生れ変りとなる自分の為にしたことなのに。 尊氏の一生は朝廷に反逆を起こすことと、自分に対して反逆を起こされることの連続であった。何度それを繰り返したことであろう。しかし彼には究極の目的があった。祖父の遺言、つまり置文のメッセージである。 源氏の嫡流とも言える足利家は、平家の北條幕府に取って替る幕府を作るのだ―――という遺命である。その大きな目的があったから、彼は自分が仕えた天皇に叛くこともでき、大功のあった弟も殺し、その弟の養子になった自分の息子も殺すこともできたのである。かくて北條幕府に代わって、再び源氏の室町幕府ができたのであった。
2004年05月07日
コメント(1)
ゴーログWEEK ゴーログ交流会 万歳よりいやー、今日は交流会にいってきました。はっきりいってむちゃくちゃ楽しかったです。なにせ、僕の導師(グル)の岡本呻也さんがいらっしゃっていて、なんとお話ができました。うれしいー!この方は、新日本人にとってのカルヴァンであり、フスであり、エラスムスです。KFICLUBは、投資効果400%以上です。コロンブスなみの収益率です。そして、 「新日本人」革命は、45歳以下は必読です。この本は、現代の「キリスト教要綱」です。スカッとしたカルタシスを味わえます。それと、いつものメンバーも炸裂してます。熱いです。ところで、木村さんお誕生日おめでとうございます。こんな企画をしてくれる、社長に感謝、多謝です。KFIクラブの皆様方、お疲れ様でした。今度は「勝手にオフ会」で盛り上がります。今度は、新宿マキャベリだ
2004年05月06日
コメント(0)
今日は石井ターニャさんとHiroetteさんと3人で国立東京近代美術館クイーンアリス・アクアで、熱く語り、盛り上がっちゃいました。いやー、魅力的な2人とおいしく楽しく食事しちゃいました。二人は初めてあうのに、よくまぁ、話が合う。なんか、不思議パワー強いよね。「日本男児ブランド化」の話が、テルメ、アガスティア、シンクロニシティとスパイラルで盛り上がる。いろいろ話過ぎて、忘れてもた。いや、日本は大丈夫です。こんなパワーのある方々がいるのですから・・・・。陰と陽はお互いに相対するもののようであるが、陰はずっと陰で陽はずっと陽というのでなく、 陰が極まって陽になり陽極まって陰にもなる。極陰の状態から陽が、ここに小さいが生まれつつあるんだ。この陽の因子を大きく育てよう。大きく育て陰の因子と拮抗させよう。
2004年05月05日
コメント(0)
「人間を幸福にしない日本というシステム」とかのカレル・ヴァン・ウォルフレン アムステルダム大学教授は、日本のシステムを喝破した。では、「人間を幸福にする日本というシステム」を創り上げることも可能ではないのかと信ずる。一緒に、「ターンアラウンド ジャパン」運動を起こし「人間を幸福にする日本というシステム」を創り上げるコンソーシアムを組成します。用語説明コンソーシアムコンソーシアムとは、本来、生物が各々の個性を維持しながら、共生を通じ、個々の最適状態を発展させること。コンソーシアムのは、共通の目的を達成するために、それぞれが得意分野を持ち寄って提携した共同体または連合体を意味しています。さまざまな目的を持った組織・団体が増えていますが、今までは連携する機会はあまりありませんでした。共通の目的を持った組織・団体・住民によるコンソーシアムをつくることによって、以下のような効果が期待できます。・各団体・個人で個別に実施していた事業の体系化を図ることができる。・単独の団体だけでは実施できなかった事業が、協力することで可能となる。・各組織・団体が互いに多様な情報を入手することができる。興味ある方はメールかBBSにてついでに快傑ウォルフレンの「日本ワイド劇場」 [著] カレル・ヴァン・ウォルフレン ・ 藤井清美日本は民も官もない「公私混同国家」、「民主主義国家」を疑わせる日本の選挙運動、元建設相の逮捕に見る権力構造維持のための「儀式」…。日本の再生のために直言居士が快刀乱麻を断つ! 『プレジデント』連載等をまとめる。【目次】第1話 空虚な、あまりにも空虚な!第2話 真の主役は誰なのか第3話 愛する日本、我が誇りの日本対談―稲盛和夫/日本再生は一度すべてを「ご破算」から第4話 アメリカよ、驕ることなかれ!第5話 グローバル時代なら何でもありか?第6話 これを「進歩」と呼ぶべきか第7話 日米「おそまつ狂騒曲」第8話 私のお願い、日本への期待対談―橋本大二郎/情報という武器をもって改革を進める
2004年05月04日
コメント(1)
Hiroetteさんの記のブログにインスパイアされて、石井ターニャさんのお父さん、石井紘基さんをベンチマークに(奥さんのナターシャさんは、結婚当時美人で才媛と評判)、柴五郎中佐、エリック・シンセキ将軍、007(イメージ ピアース・ブロスナン~ジョンブルに負けるな大和健児)みたいな世界の女性を魅了する日本男児を創るプロジェクトはじめます。(GENERAL SHINSEKIについて)花王の、アジエンスのコンセプトは、女性だけのものではない。男性にも立派に通ずるコンセプトだ。日本男児の良い面は伸ばし、欠けている部分は補う。金で女を落とすのではなく、魅力で落とす男を創り出し、もっと日本男児に自信をつけてもらおうというコンセプトです。ターニャさんによると、あのモテモテイタリア男子さえ、「伊達男養成講座」があるということですので、海外経験のある大和撫子を結集して、フランス人やイタリア人との行為の差をベンチマークして、トヨタやソニー、ホンダなみのブランド力ある日本男児を生み出しましょう。イメージ国際都市 上海でシンガポール航空のスッチーのガールフレンドとデートし、ソウルや台北からきたガールフレンドを青山のワインバーで歓待する。モルジブでフランスのガールフレンドとスキューバを楽しみ、フィレンツェのリストランテ「マキャベリ」でキャンティクラシコを飲みながら、イタリアのガールフレンド達と古代ローマの思いに馳せながら、政治談議に花を咲かせる。(自分はぜんぜんこんな感じではないのですが・・・)( リストランテ「マキャベリ」;最高の赤ワインを求めて世界各国からキャンティクラシコ協会を訪れるお客様のゲストハウスとして有名なリストランテ「マキャベリ」)上記、イメージのような男子にはなれなくとも、そうなるように一生懸命に日本男児が、努力して少しでも魅力的になれば、日本男児の自信がつき、語学力も向上し、かつてのベネツィアの冒険商人のようなエネルギッシュな男たちが街を闊歩すつようになれば、いっぺんに日本は元気になります。いずれアジアハイウェーも実現するかもしれません。そのときまでには、お金ではなく魅力でアジアNo.1の男子達を創りましょう。(ヨンさまに負けるな)(Hiroetteさんの返信メール:いやいや。めざすソニーは世界一なんだから、どうせやるなら世界一の男子です。お金も持ってるし、内容もよければ無敵です。アニータさんみたいなお金がないと振り向かせられないようなのは卒業しましょう。)確かに、千田被告のような奴は、日本男児の恥だ。判決 市中引き回しの上、死刑青森巨額横領事件 参照公務員がいかに杜撰かという、まさに証明ですね。公社の代表者の青森県副知事、自己責任とったんかい、ゴラァ。閑話休題 話をもとに戻して日本男子が世界ブランドになれば、大和撫子もきっとうれしい。うーん、壮大な構想ですね。これくらいの夢がなきゃ、相手を感動させられません。みんなを巻き込んでやりましょう。何故、スキピオプロジェクトなのか?それは、歩兵(ファビウス)と騎兵(スキピオ)にも、書いたように、やるんなら、意表をついた機動作戦を展開すべきなのです。トヨタやホンダがGMやフォードルノー、フィアット、MGMに勝ったように、世界に打ってでて、スキピオのように敵(かな?)本拠地で戦うのです。国内でチマチマ、迎撃するのではなく上海、台北、香港、バンコク、シンガポールなどで勝ち抜く競争力を闘いながら、身につけるのです。バンコクや広州、マニラで、女買って顰蹙まで買う千田被告モデルは止めにしましょう。フェアプレーの精神にのっとって、正々堂々と口説けば、逆に尊敬を勝ち得るかもしれません。ヒロッテさんのブログより田嶋さんの描くイギリス人男性で思ったけど、日本人の男性は殆ど女性をほめるということはしない。でも、それは仮にせっかくほめたとしても「なによ、なんか下心あるわけ、冗談じゃないわよ」みたいなことを女の人に思われてしまって「そんなつもりもないのに、じゃあ、そう思うんならもう褒めないよ」みたいな事になってしまうんだと思う。それから「今日の髪型はきれいだね」とか「あなたは美しいね」みたいな言葉は日本語として文法的には間違っていないけど、言語としては破綻していると言っても等しい。 そんな文化的背景で褒めるという事の方が難しい。それから、日本人成長過程で家庭でも学校でも余り褒められることがなかった。それも原因にあると思う。だから日本人の男性は女性をほめないけど、日本人の女性も男性をほめないじゃないですか。だから、それは仕方がないと言うか、それだけで日本人の男性をいけてないと責めるのはかわいそうだと思う。教えられてこなかった事を上手にできるわけはないのです。それから、職場だと特に「今日はきれいだね」とか言おうもんなら「何よ!セクハラしないでよ!」とか言われちゃうかも知れないので、そんなリスクを負うぐらいならしない方がいい、と言うことになる。 と言うか、職場で仕事ができる人がたくさんいるんですよ。それで、仕事自体じゃなくてもすごくイケテルーーという瞬間があってそう言う場合私は本当に感じ入ってしまうので「○○さん、かっこいいーーー!!」とか本当は言いたいんだけど、日本でそれをやっちゃうと誤解をされるというかやはり余り宜しくない事になってしまうので「○○さんってすごい!」くらいに抑えるか、結局言うタイミングを逃して言わずに終わるかって事になってしまうですよね。そういうのは残念だなーとか思いますね。それで田嶋陽子の本にはイギリス人の話が男性も女性もいっぱい出てくるのだが、やはり日本以外の国を知るというのは視野が広くなることに大いに役立っていると思う。で、例の日本人の男の人はそんなに女性をほめないし自分の恋人や妻に「今日もきれいだよマイ・ハニー」みたいな事は普通は言わない。言うとなると海外経験のある人とか石田純一とかってある程度は限られた範囲の人だけでしょう。でも、だからといって日本の男いけてないと言うことにはならないでしょう。私は逆に外に出たから日本男児の良さもつくづく分かるようになった。本当にみなさん偉いですよ。なんかこの状態だったらフランス人だったら「やってらんねーよ!」って切れるだろうなーっていう状態でも一生懸命仕事に頑張っているんですもの。 で、ある日品川駅を歩いていたら、いかにもフラメンコの舞台で後ろでギター弾いているかフラメンコを踊ってそうな外人が歩いていたんですが、すれ違いざま私にすっごい流し目をして去っていったことがあったんですよ。あれは驚きましたねー。たまげました。とろけるような流し目でした。それを見た時に「あーー、もう育ちが違うな」と思いました。あんな流し目、彼は物心着いた頃からそう言うことに腐心して生きてきたのでしょう。そういう日々の積み重ねがないとできないし、周りにそういう流し目をする人がいる環境で育ったのでしょう。これは絶対日本人にはできない流し目だと思いました。 そうなんです。育ちが違うんです。文化背景が違うんです。だから日本男児の良さだってやはり一朝一夕にはできないものだったのです。そうやってその国それぞれ、その人それぞれの良さがあるのだなーと思いました。
2004年05月03日
コメント(0)
「私は保証していい。手紙その他の手段で政治家と交流したり電話で新聞編集者に意見をいっているうちにあなた自身が変わってゆく、と。それは、あなたが市民であることの証明である。」この本は、日本が民主化するための処方箋がのっています。これを、具現化するためにキルゴアは動く。「支配者を支配せよ 選挙/選挙後」 あとがきより 著者/訳者名:カレル・ヴァン・ウォルフレン/著 大原進/訳 出版社名:毎日新聞社 発行年月:1996年10月 【本の内容】27万部のベストセラー『人間を幸福にしない日本というシステム』につづき、日本の読者に向けて書き下ろされた本書は、前著の実戦編ともいえる。本書の目的は、民主主義のお説教でも、ユートピア論の押し売りでもない。既得権益がからみあう中で、市民の側が成果を得るための、リアリズムの勧めである。山が動く。日本は変わる!古いシステムが崩れかけ、エリートたちは呆然自失。いま、日本の未来は、知性ある市民の手中にある。【目次】第1章 変化が必要だ第2章 市民の目をそらすもの第3章 国家をつくる第4章 いまがチャンス第5章 政治家を選ぶ第6章 総選挙後の革命第7章 日本経済というブラックホール
2004年05月02日
コメント(0)
キルゴアは銀行員時代システム部員だった。当時、情報システム、情報データベース班に所属して、オフライン(バッチ処理:一括処理)を担当してました。キルゴアのもっとも思いで深い仕事である「オフラインの効率化」というプロジェクトの実質的な切り盛りを任され、ここでQC的手法を駆使してやりとげました。その仕事をもとにのQC大会にでたら東京地区大会で3位でした。キルゴアの誇りです。だからいまでもQCや問題解決手法は大好きです。QCこそ日本を救う鍵だ。QC万歳QCは、「事実に基づく管理」が非常に重要視されます。これを具現化していくときの、使いやすい基本的な手法なのです。そこで、重要なのが、「現状把握」です。現状把握とは、今の状態を知ることです。その状態とあるべき姿・状態との差(ギャップ)が、「問題」となるわけです。だから、「現状=今の状態」と「理想=あるべき姿」を把握する事が非常に大事なのです。情報開示が重要なのは、改革やカイゼンを行うにしてもまずは。「現状把握」という叩き台が必要です。では、歴史からその教訓をひろってみましょう。普及版『歴史概論よりギリシャの道も一歩から 大学入試で世界史を選択すると、かなりの確率で「ギリシャかローマ」の問題が出題される。そのうち「ギリシャ」は、ほぼまちがいなく「アテネの民主化」にからむ問題である。そんなタイヘンに歴史的意義の大きい、といわれるアテネの民主化の第一歩は『ドラコンの立法』といわれるものであった。 ドラコンの立法は、今まで貴族が話し合いで「いつもこうやっているから今回もこんな感じでヒトツ。まままま、そんなカンジでよろしくよろしく。じゃ今日はこんな感じでこのままイッパイ行きますか?キュッとね、キュッ」なんてやっていた“慣習的な”方法( キルゴア注日本でやってる裁量行政 法に基づかない人治主義 を、きちんと文章に書き留めたモノだ。 が、意外にも「民主化の第一歩」とされているにもかかわらず、中に書かれている内容は、貴族の特権をこれでもか的に強化するものであって、お世辞にも民主的とはいえない。 そんではなぜ、これが大学入試試験にまで「民主化の第一歩」として出題されるのか? 現ロシア、元ソ連邦で、ゴルバチョフオジサンがペレストロイカを始めたとき、ペアになって呪文のように唱えられた『グラスノスチ』って覚えてるだろうか?今までひたすら隠してきた情報を少しずつ公開いたします、っていうアレですね。『ドラコンの立法』の意義は、まさにこのグラスノスチの意味に近いモノがあるのだ。 つまり密室である間は、「な~んか怪しいんだよな」と思っていても、確証がないためつっこむことができない。仮につっこんでも、相手に「そんなことしてないよ。ちゃんとやってるよ。んもう、疑り深いんだから。き・む・づ・か・し・や・さん」とトボケられればそれでおしまいなのである。アテネ貴族共和制の初期は、まさにこの状態だったのであった。 そこへドラコンの立法で、 貴族がどんなことをやっているのかということがビシッと文字になった。するとそこには、まさしく「ムチャクチャやってるよ」という内容が書かれているではないか。 そしてなし崩し的にアテネの民主化がスタートする。やってることは全部書き留められているから、もう「そんなことしてないよ」というゴマカシは通用しなくなってしまったのだ。 結局これは、現代の私たちがいろんな機関に対して「もっと情報を公開しろ!」と要求しているのと心は同じなのである。 しかしなんというか、やってることを偽らずバカ正直に「成文化」しちゃうあたり、アテネのオジサンたちは、やっぱりまだ「ピュア」だったんだろうなぁと、すでにやってることを誤魔化しながら成文化する国に住んでいるワタシなんかは、ちょっとほほえましく思ってしまうのであった。
2004年05月01日
コメント(0)
全21件 (21件中 1-21件目)
1