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背番号5(その7)
その6からの続きです
この背番号って この先も近本君までの間にたくさんの選手が着けてるんだよね その7まで来たんだけど もうちょこっとお付き合いしてね
トーマス・エバンス 内野手
平成13(2001)年、21世紀になったこの年、3年目の野村阪神は苦しんでいた。 春季キャンプで赤星憲広、藤本敦士、沖原佳典、上坂太一郎、平下晃司、松田匡司、高波文一の 7 選手を F1 セブンと命名して売り出したが所詮は小粒な選手ばかりで、赤星が盗塁王になったほかは不発。
新庄というスター選手が抜けて人気も低迷し、スタンドには空席が多くなった。ダフ屋が半額くらいにディスカウントしてチケットを売っているのを見たことがある。
新庄、大豊泰明、トニー・タラスコが退団したことで、もうホームランも期待できない貧弱な打線を補強するため、イバン・クルーズとエドワード・ペレスという新外国人選手を獲得したが、両者そろって期待外れに。
特にサードを守っていたペレスが開幕から不振を極めたため、6月にデトロイト・タイガースの3Aにいたエバンスを緊急補強することになった。昨年まで新庄の着けていた背番号5で登録される。
結果的に成績は芳しくなく39試合出場で124打数30安打14打点2本塁打、打率は .
242で打撃では戦力とならなかった。
タイガースでのエバンスの特徴は守備にあった。もともと練習熱心でノックも積極的に受けるし下手ではなく、守備固めだけの出場にも不満を漏らさないなど性格も好かった。そのおかげで低調な成績のわりに珍しく残留している。
平成14(2002)年には背番号が「59」に代わり、「5」は1年着けただけだった。せっかく残留できたエバンスだったが、星野監督に代わったタイガースは、ジョージ・アリアスを筆頭に大胆な外国人補強を断行したので押しのけられてしまって出番はなし。
エバンスは5月に橋本武広との交換で西武ライオンズへ移っていった。本来なら飼い殺ししたうえで解雇となるはずが交換要員になっただけでも奇跡的だった。スコット・マクレーンの戦線離脱の穴埋め要員として西武側から申し入れたトレードだったようだ。
ところが、西武では故障のマクレーンに代わってのスタメン出場に恵まれると、78試合に出場、242打数61安打45打点15本塁打とブレイクして、リーグ優勝に貢献する働きを見せ、日本シリーズにも出ている。しかし活躍は実らずマクレーンが復帰して結局は1年で戦力外となっている。
一方タイガースは、出だしは好かったが新外国人のデリック・ホワイトが役に立たなかったため、「なんでエバンスを出したんだ!」と結果論でファンが怒ってしまうなど、後半戦で失速して4位に終わった。
沖原佳典 内野手
沖原佳典はアマチュア歴の長い選手で、愛媛県西条高から亜細亜大を経て平成7(1995)年にNTT東日本に入社して6年間在籍している。都市対抗で活躍し、平成12(2000)年のシドニーオリンピックに出場。この時はJR東日本にいた赤星憲広も代表チームメートだった。
オリンピックではスタメン・ショートとして2本塁打を打つなど活躍し、その様子を見ていた野村監督の目に留まって赤星とともにタイガースに指名されることになる。
平成13(2001)年タイガース入団、この時28歳になっていた。最初に着けた背番号は「8」で翌年から「5」に代わり、トレードに出されるまで4年着けた。
実力を買ってくれた野村監督の下では1年過ごしただけになったが、F1セブンの一人として71試合218打数43安打14打点4本塁打の成績を残す。ただし、野村監督の期待した足のほうは2盗塁に終わっている。
その後は藤本淳士とのポジション争いが続き敗れて控えに回り、さらに平成16(2004)年には鳥谷が入団してショートのポジションはなくなった。
対左投手にはめっぽう強く、代打でも使われたが、平成17(2005)年の6月に東北楽天へトレードされ、平成18(2006)からは再び野村監督の下でプレーしたが、レギュラーになることはできず、平成20(2008)年に戦力外となって引退した。
前田忠節(ただとき) 内野手
和歌山県出身だが高校はPL学園で、甲子園にも出ている。同期には福留孝介がいた。東洋大学へ進み平成12(2000)年、ドラフト3位で近鉄バファローズに入団する。
近鉄時代は守備固めが中心の起用だった。前田はセカンド、サード、ショートのどこをやっても上手く、守備要因になりやすい要素があった。それに加えて各ポジションにライバルがおり、打撃面では競争に勝てなかったため、レギュラーに届かなった。
平成16(2004)年、近鉄の球団消滅による分配ドラフトで東北楽天に入団したが、やはり守備要因に終始する。
平成17(2005)年5月に沖原とのトレードでタイガースに移籍し、スライドで背番号5を着けたが、翌年から32番に、最後の1年は55番を着けている。
移籍しても、鳥谷、今岡、平野の内野が固定されている状況で、代走や守備固めしか出番はなかった。5年間で公式戦わずか24試合の出場で、最終年は一軍のゲームには出ていない。
平成21(2009)年に引退。その後独立リーグやソフトバンクのコーチ、実業団のコーチなどを経て令和3(2021)年にタイガースフロントに復帰して現在スカウトを担当している。
まとめ
新庄さんが出ていったあとのこの3人は続けて冴えないんだよね
エバンス選手はどうして西武で急に打ち出したんでしょうね?不思議
タイガースへはシーズン途中の入団だったから1年目はむずかしかったとしても2年目に星野新監督になったのも痛かったわねえ 監督が代われば外国人選手も大きく入れ替えるから出番がなくなって・・・なんかかわいそうだったね
沖原さんや前田さんは守備はうまかったんだとおもうけど、時期に恵まれなかった感じ 打力のある選手とポジションがかぶっちゃって やっぱり投打のバランスが取れてないとレギュラー獲りはむずかしいんだ
その8へ続く
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