先の24日の明日香小旅行下見の番外篇です。24日のブログ記事は午後2時過ぎに近鉄飛鳥駅まで帰って来た処で終わっていますが、それは字数制限(10000字)にかかったからでありまして、実はそのあと、軽く東地区を一回りして橿原神宮前駅まで走ったのでした。途中で撮った写真などを番外篇としてご紹介しておきます。
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明日香小旅行下見
(ナンキンハゼ?)
これは与楽鑵子塚古墳の奥の竹林の前にあった高木ですが、ナンキンハゼの木でしょうか。ちょっと印象に残る木の佇まいであったので写真に。
(佐檜乃熊 檜隈川之 瀬乎早 君之手取者 將縁言毳)
これは、先の記事で冒頭に挙げた万葉歌「さ檜隈檜隈川の瀬を速み君が手取らば言寄せむかも」の歌碑(犬養先生揮毫)である。
(鬼の雪隠付近から東南東方向を望む。)

(上の写真をずっと手前にカメラを引くと、こんな風景です。手前のキャベツ畑にせり出すようにある石造物が「鬼の雪隠」である。古墳の石室<底石・蓋石・扉石>の一部で蓋石に当たる。道を挟んだ反対側の高みにある「鬼の俎」が底石で、そこから転げ落ちて来た状態にある。説明板には、「この周辺は霧ヶ峰と呼ばれ、鬼が住み、通行人に霧を降らせ、迷ったところをとらえて、俎の上で料理し、雪隠で用を足したという伝説があった。」とある。)

(同じ場所から西を見ると。右手の森は欽明天皇陵。奥の山が金剛・葛城の山々であり、その手前に見える丘陵が真弓の丘、佐田の丘で、先程自転車で走って来た処である。)

(ムラサキシキブ)
(柿)

(柿の黄葉)

(天武・持統天皇合葬陵)
この御陵の脇でおばあちゃんが大きな富有柿を並べて売っていらっしゃいました。6個1盛で300円。こんな処で客が来るんだろうか?1盛買い求めました。そしたら、おまけだと言って後方の大きな袋から1個の柿を取り出して7個にして下さいました(笑)。背中のザックが重くなる。
(亀石)
明日香と言えば、この亀石が昔から有名ですな。今はやりの「ゆるキャラ」はこの亀石に始まると言ってもいいのではないかな。万葉のゆるキャラだ(笑)。今は、亀型石遺跡が発掘されて、北東にもう一匹、亀が登場しているのだが、キャラクターが全然違う。向こうは素性正しき「王室の亀」なのに対し、こちらは何処の馬の骨とも分らぬ、いや、亀の骨とも分らぬ、庶民的或いは落語的「亀」なのである。
(カラスウリ)

(ハゼとカラスウリ)

(犬養万葉記念館の前庭にある犬養万葉歌碑・・山振之 立儀足 山清水 酌尓雖行 道之白鳴 巻2-158)
この歌は十市皇女(天武と額田王の間の娘、大友皇子妃)が亡くなった時に、高市皇子が悲傷んで作った歌3首のうちの1首である。
山吹の 立ちよそひたる 山清水 汲みに行かめど 道の知らなく
(山吹が咲いている山の清水を汲みに行きたいけれど、そこへの道が分らない。)

(水落遺跡の近くに美しい紅葉が・・)

(采女乃 袖吹反 明日香風 京都乎遠見 無用尓布久)
采女の 袖吹き返す 明日香風
(采女の袖を吹き返した明日香風は、都が遠くなったので、ただ空しく吹いている。)
この歌碑は甘樫丘の中腹にある。犬養万葉歌碑第1号である。一昨年の4月に犬養先生生誕百年記念行事の一つとして、犬養万葉顕彰会の手で、副碑が建立されたが、その除幕式に、友人の和麻呂氏と一緒に参加したことを懐かしく思い出す。下の写真は碑の前から丘の頂上への道を眺めたもの。
脈絡のない記事になりましたが、24日の下見で掲載しなかった写真を2~3ご紹介するというだけのものにてありますれば、ご容赦を(笑)。
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