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昨日(3/30)は若草読書会のお花見でした。(花園中央公園・桜広場) 花園中央公園でのお花見はいつ以来かと調てみると、2019年4月7日以来でありました。 場所取りは例によってヤカモチの役目。 上の写真は、設営完了の状態です。 ここでのお花見は場所取りも競争となるので、早朝に行動開始となるのだが、今年はまだ満開でもなく、加えて気温も冬に逆戻りという状況であったので、お花見をする人もそう多くはないだろうと見込んで、朝9時ごろに現地に出向く予定にしていたが、実際は8時過ぎに現地到着でありました。 集合時刻は11時なので、いつものことながら、時間を持て余すことになるという次第。 で、一足早く、カメラを向けての「ひとり花見」であります。(同上)(同上)(同上) 満開までは届かず、五分咲き程度でしょうか。(同上)(同上) 場所によっては、満開も近いという木も。 シロヤマザクラなどは、既に満開である。(同上)(同上) キジバトがやって来てトコトコと・・。(キジバト)(カワラバト) こちらは、お馴染みのカワラバト。(コブシ) 桜だけでなく、コブシも咲き散っています。(クスノキ) クスノキは地元・東大阪市の木でもあるが、ここの木は未だ若木。 既に若葉に全てが入れ替わっているようで、何か瑞々しい感じ。 撮影した時は、クスノキと思って撮ったのだが、ひょっとするとクヌギであるかもしれないと写真を見て思ったりも。 そして、菜の花とユキヤナギも満開。(菜の花とユキヤナギ) そうこうしているうちに、ひろみの郎女さんがやって来られました。 10時27分。ヤカモチ以外では彼女が一番乗り。 続いて、恒郎女さんとめぐの郎女さんが到着。 その後、凡鬼さんとそのお孫さん3人(男子高校生2人及び小6の女児1人)、和郎女さんとそのお孫さん(幼児)が揃って到着。 最後に槇麻呂さんが到着で、以上、男性5人(うち高校生2名)、女性5人(うち女児2名)によるお花見会開催となりました。 ひろみの郎女さんは、寒いと体調に影響するとして、特別参加のお孫さんたちへのお土産とみんなでお召し上がりくださいというシャノアのケーキ&マカロンをご持参されましたが、それらを差し入れして、お花見会開会を待たずに早々に退席されましたので、お花見会参加者は前記の10名になったという次第。(お花見風景) 各自持参のお弁当や飲み物による飲食という形式のお花見会でありましたので、ヤカモチも設営を済ませ、ひろみの郎女さんや恒郎女さんが到着されたアト、近くのコンビニでお弁当やお茶を調達したという次第。 12時を過ぎた頃、雨が降り出す気配も認められたので(ポツリ、ポツリしたものの、実際には降り出すことはなかったが)早めに撤収することとし、若草ホールへ引き上げることとする。 和郎女さんとお孫さんはここで帰途につき、恒郎女さんとめぐの郎女さんは車で移動、ヤカモチは自転車(CB)を押しながら、凡鬼さん、そのお孫さん3人と槇麻呂さんは徒歩で移動。 若草ホールで珈琲やクリームソーダ、お菓子などをいただきながら、暫し談笑、午後3時半頃に帰途につきました。(若草ホール前のポケットパークのコノテガシワ)(同上) 若草ホール(恒郎女邸)の前のポケットパークに植えられていたのは、コノテガシワの木。 この木も万葉に詠まれているので万葉植物である。奈良山の 兒手柏(このてがしは)の 両面(ふたおも)に 左(か)にも右(かく)にも 佞人(ねぢけびと)の徒(とも)<奈良山の児手柏のように、二つの顔を使い分けて、ああ言ったり、こう言ったり、おべっかつかいの者どもだ。>(注)コノテガシワについては、他にオミナエシ説、トチノキ説などもあり、未詳。<参考>若草読書会関係の過去記事はコチラ。 フォト蔵アルバム・2025.03.30.若草読書会お花見はコチラ。 フォト蔵アルバム・024若草 読書会関係はコチラ。
2025.03.31
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本日(3/27)は、平城宮趾公園や佐保川畔を銀輪花散歩してまいりました。 先ずは、ヒメオドリコソウとホトケノザ。(ヒメオドリコソウとホトケノザ) 上の写真はヒメオドリコソウですが、右端に1本ホトケノザが写っています。両者をかつてはヤカモチも混同したりすることがありましたが、最近は流石にそういう間違いはしなくなりました。 これは、平城宮趾の東院庭園の東裏手の畦に咲いていたもので、両者が並んで咲いていることから、両者を比較してその違いを明確にするには丁度よいショットかと、カメラを向けた次第。(同上) こちらは、正面手前中央にホトケノザが咲き、背後は全てヒメオドリコソウということで、両者比較の写真としては、この方が優れたショットかもしれません。 ツーショットとなるアングルはないかと探すと、ありました。(同上) 左側がホトケノザ、右側がヒメオドリコソウ。 ただ、手前のカラスノエンドウが邪魔をして、ヒメオドリコソウを見えづらくしているという難点ありではあります。 近くには、ツクシも沢山顔を出していました。(ツクシ<土筆>) こんなに群生していては面白味に欠ける。 これも、ツーショットとなるようなアングルはと、探してみました。(同上) はい、探せばあるものです(笑)。 そして、レンギョウも今を盛りと咲き匂っています。(レンギョウ)(コブシ) コブシが咲いていたのは、酒造司の井戸の遺跡の脇。(酒造司の井戸の遺跡)(同上説明碑) 「平城宮にはここで使う酒や酢を製造した、酒造司という役所があった。ここからは、醸造用の水を汲んだ井戸がいくつか見つかっている。この井戸はそのうちの一つで、杉の大木をくり抜いた直径140cmの井筒を中心として、円形に川原石を敷き、周囲に石を組んだ溝をめぐらせ、六角形の屋根をかけていた。このような立派な構造をもつことから、儀式用の酒の醸造に用いた特殊な井戸と考えられる。 遺構は盛土をして保護し、その上に型取りした遺構模型を展示している。」 朱雀門脇から平城宮趾公園を後にし、大宮通りに出てこれを東に向かう。 奈良市役所の前で信号待ちとなったので、大宮通から県コンベンションセンターの前の道を通り抜けて三条通りに移る。これを東へ、すぐに佐保川畔に出る。 佐保川というと桜並木である。 佐保川の桜や如何にと、川畔の道を下流に向かって走る。(佐保川の桜)(同上) そこそこに咲いていて、間もなく見頃を迎える感じです。(同上)(同上) この木が一番満開に近い。 川原に石橋があり、並木の間隔がここでは広くなり、南側が開けた立地になっているので、他の木よりも日当たりがいいのだろう。 しかし、この日は時々雨がパラつくというイマイチのお天気。 一応、雨具は用意して来たが、降られてまでは走りたくない心境。 ここで、またパラパラと来たので、対岸に渡って奈良駅へと向かうべしで、下流へとさらに進むと、大安寺西中学校の近くで対岸へと渡る橋があった。 そこは、どうやら名前は何とも存じ上げないが、佐保川の支流となる川との合流点になっているよう。 で、その支流の川沿いに東へと進むと。 早咲きの河津桜と出くわしました。(佐保川支流の河畔の河津桜) 既にして、盛んに散っていますが、ソメイヨシノとはまた違った雰囲気で、河津桜もなかなかいいものです。(同上) 以上、銀輪花散歩でありました。<参考>花関連の過去記事 花(5)・2022~ 花(4)・2020.4.~2021 花(3)・2017~2020.3. 花(2)・2012~2016 花(1)・2007~2011
2025.03.27
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友人、岬麻呂氏からの旅便りです。(旅・岬巡り報告338・宮古島) 岬麻呂氏からは「次は流氷の旅」だとの予告を受けていたので、そのつもりでいましたが、これは直前でキャンセルされたようで、今回は宮古島へのご夫婦旅であります。 以下は、旅報告の添付写真です。(添付写真1) (同2)(同3) (同4)(同5)(参考地図・宮古島)※参考地図は地理感のない読者の便宜のため、ヤカモチにて適宜に挿入させていただきました。ご参考になれば幸いです。 では、例によって別途メールで送信いただいた写真をその旅程に従い、ご紹介しつつ、旅をご一緒させていただくこととしましょう。 しかし、今回の写真は、カメラの撮影日時記録表示機能に故障が生じたようで、正しい撮影日時が記録されているという保証がないので、これを手掛かりに旅程を探るというヤカモチの手段は封殺されている次第。 よって、岬麻呂氏がその撮影日別に付してくださった番号順に、写真をご紹介することといたします。3月12日関西空港→宮古空港→(レンタカー)→東平安名崎→来間島→伊良部島・渡口の浜 関空から直行便で宮古島へ。 気温27℃とあって、殆どの人が半袖姿。 快晴であるが、島の天気は変わりやすい。見たい風景は欲張ってでも手早く回るにしかずと、レンタカーで先ず向かわれたのは東平安名崎。(東平安名崎)(同上)(参考地図・宮古島 東平安名崎) 東平安名崎から西方向にとって返して来間島へ。(来間の海) 対岸は、前浜ビーチ。 右端に写っているのが来間大橋。(同上)(同上)(参考地図・来間島、来間大橋) 来間島から宮古島に戻り、北上。(渡口の海) 伊良部大橋を渡って、伊良部島の渡口の浜へ。(参考地図・伊良部大橋、渡口の浜)(伊良部大橋の夕焼け) 落陽は慈愛の色の金の色・・と来れば中原中也であるが、金色に沈む夕日は、丁度ホテルでの夕食の時刻に当たっていて「お見逃し」とのことにて、夕焼けのみの写真となりましたが、残照もまた味わい深き眺めというものであります。(平良港の夜景)沖辺おきへゆく 船の灯あかりを 見つつもや 語らな我妹わぎもと 来こし方などを (偐岬持) 岬麻呂氏のメールによるご説明では、「時間は20:14ですが、灯火が多く画面が明るいです。中央奥の海に船舶の明るい灯が写っている右横の高い位置の灯りは『池間島灯台』です。」とのこと。3月13日池間大橋→池間島灯台→島尻マングローブ林→熱帯植物園 旅の二日目は朝から曇り空。 宮古島を北上、池間島を目指します。(池間の海) 池間大橋を渡って、池間島へ。(同上)(参考地図・池間島、池間大橋) 池間島、右回りか左回りかは知らねど、島を一周、島北部の池間島灯台に立ち寄り、池間大橋から宮古島に戻り、島尻マングローブ林へ。(島尻マングローブ林) マングローブ林で見かけた蟹、シオマネキと暫し戯れ・・。(シオマネキ) 宮古島のほぼ中央部にある、熱帯植物園へ。 この辺りで雨になり、やがて激しい雷雨に。(熱帯植物園) そんなことで、ドライブも切り上げることとし、午後2時にはホテルに帰還でありました。3月14日伊良部大橋→渡口の浜→下地島→通り池→佐和田の浜→白鳥岬→宮古島→前浜ビーチ→砂山ビーチ 旅の三日目は、もう一度、伊良部島へ。(渡口の浜) 渡口の浜から下地島の佐和田の浜へ。(参考地図・伊良部島、下地島)(佐和田の浜)(白鳥岬) 宮古島に戻り、前浜ビーチ、砂山ビーチへ。(前浜ビーチ) 上の写真に写っている橋は、伊良部大橋だろうから、伊良部島に向き合った浜が前浜ビーチということになる。(追記訂正:2025.3.25.) 写真の橋は伊良部大橋ではなく、来間大橋とのこと。 対岸の島影は来間島で、伊良部島ではありません。 従って、対岸の島を伊良部島であることを前提とした記述は全て誤り。 前浜ビーチ=与那覇前浜ビーチ、であります。 前出の「来間の海」の写真で、来間島に向き合った浜も前浜ビーチとの説明であったので、ヤカモチの頭はいささか混乱気味。 「前浜」というのは、対岸に島を望む地形にある浜を意味する普通名詞と考えれば、あちこちに「前浜」があっていい訳である。 しかし、「前浜ビーチ」となると固有名詞なので、本来は「〇〇前浜ビーチ」などと区別できる呼称であることが望ましいということになるが、地図によると、来間島対岸の前浜は、与那覇前浜であるようです。(砂山ビーチ)3月15日東平安名崎→池間島→宮古空港→関西空港 最終日は朝から小雨と生憎のお天気。 再び、東平安名崎を訪ね、灯台や巨石群を撮影。(東平安名崎灯台)(東平安名崎の巨石群) 島の南東端にある東平安名崎から島の北端の先にある池間島にも再訪し、午後便で関西空港へ。沖縄と大阪との気温差で体調を崩されたようですが、大事に至らず快癒されたようで何よりです。<参考> 過去の岬麻呂旅便り記事はコチラ。 フォト蔵アルバム・岬麻呂写真集はコチラ。
2025.03.24
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偐万葉・どち篇(その13) 久々の偐万葉シリーズ記事です。 いつ以来かと調てみると、直近のそれは、昨年の4月7日の記事で、同じくどち篇(その12)でありましたが、ほぼ一年ぶりの偐万葉ということになります。 各篇について、20首以上に歌数が達したら遅滞なく記事アップするというのが、このシリーズの編集方針になっていますが、近ごろは歌を作ることも少なくなっていて、どの篇についてもなかなか歌数が増えないというようなことで、偐万葉記事も間遠になっているという次第。 今回のどち篇は、大学同期の友人二人、中学時代の級友二人の逝去の報に接するというようなことが続きましたので、何とも複雑な思いの記事内容と相成りました。1.健人会関係 健人会の集ひに寄せて詠める歌1首石山の 瀬田のほとりに 我らみな つどひて今日も 楽しきを積め (偐家持) (20250805健人会)2.岬麻呂氏関係 岬麻呂に贈りて詠める歌13首 岬麻呂の旅に寄せて詠める歌7首夜桜を つばらにも見む 鶴ヶ城 家なる妹が 待ち問はむため (岬桜麻呂)(本歌)難波(なには)潟(がた) 潮干(しほひ)のなごり よく見てむ 家なる妹(いも)が 待ち問はむため (神社忌寸老麻呂(かみこそのいみきおゆまろ) 万葉集巻6-976) (20240418鶴ヶ城)冬と春 ゆきつもどりつ 大雪(たいせつ)の 山の辺の道 わが桜旅 (北桜旅人)これやこの 咲くも咲かぬも 花がまま 散るも散らぬも また桜旅 (同) (20240517名寄市・弥生公園)桜旅 一人し行けど 酒酌めば 日英親善 民間外交 (日英旅人) (20240517湯の沢温泉の桜)青島に 潮満ち来れば 潟を無み 洗濯板の 形もなくあり (海辺青鬼)(本歌)若の浦に 潮満ち来れば 潟をなみ 葦辺をさして 鶴鳴き渡る (山部赤人 万葉集巻6-919) (20240615青島)空の青 海の青にも 負けじとや 今か咲くらむ ジャカランダの花 (ジャカ麻呂) (20240615ジャカランダの森)若き日の こと思い出す 宮崎の 旅にしあるか いもがらぼくと (芋家持) 岬麻呂氏のコメントに答へて詠める歌1首その出自 いかにかあらむ 墓地西瓜 木にはならぬに 気になる西瓜 (南瓜麻呂) (20241004墓地に西瓜byヤカモチ) 岬麻呂の旅に寄せて詠める歌5首雁がねの 声聞くなへに 裏磐梯 五色の沼は かくぞもみてる (偐家持)(本歌)雁がねの 来鳴きしなへに 韓衣(からころも) 立田の山は もみち始(そ)めたり (万葉集巻10-2194) (20241120毘沙門沼)もみち葉の 影なす池の 底清み 沈(しづ)く石をも 玉とそ我(あ)が見る (偐家持)(本歌)藤波(ふぢなみ)の 影なす海(うみ)の 底清(きよ)み 沈(しづ)く石をも 玉とそ我(あ)が見る (大伴家持 万葉集巻19-4199) (20241120御薬園)サガリバナ 咲きたる姿 つばらに見む 家なる妻が 待ち問はむため (西表猫持)(本歌)難波潟(なにはがた) 潮干(しほひ)のなごり つばらに見む 家なる妹(いも)が 待ち問はむため (神社忌寸老麻呂 万葉集巻6-976)(訂正追記:2025.3.22.)歌番号に誤記があったので訂正。(誤)「巻6-967」→(正)「巻6-976」本歌の旧訓は「つばらに見む」であるが、新訓は「よく見てむ」である。原文は「委曲見」である。 (20241228サガリバナ)夕照の 残波の浜に 寄す波の 音しめやかに うら悲しかり (夕家持) (20250201夕照の残波ビーチ)めぐりあひて みしや睡蓮 名を問へば これ初耳の 紫式部 (紫家持)(本歌)めぐりあひて みしやそれとも わかぬまに 雲がくれにし 夜半の月かな (紫式部 小倉百人一首57、新古今集1497) (注)新古今集では、第5句は「夜半の月かげ」 (20250201ムラサキシキブ)3.油麻呂氏関係 油麻呂の逝去を傷み詠める歌1首在りし日の 背子が笑まひや あれこれを 思へば心 痛しも悲し (偐家持)4.丸郎女氏関係 丸郎女の逝去の報に接して詠める歌1首若き日の 思ひ出ひとつ はがれゆく ことでもあるか 友の死思ふ (偐家持)5.嶌郎女氏関係 嶌郎女の逝去の報に接して詠める歌4首妻逝きしは 去年(こぞ)霜月の ことなりと 寒中見舞ひに 書かれてありき悲しかも 妹やはいづち もみぢ葉の 散りのまがひに かくれにけるか思ほえば 面影立ちて 悲しかり 春の佐保川 秋の大宇陀在りし日の こと思ほえば 水仙の 花もかなしけ 心ぞ痛き (20250120もみち葉)6.朝麻呂氏関係 朝麻呂の逝去の報に接して詠める歌2首君逝きて ひとり見つつの 白梅の 花は悲しも いたづらに咲く (偐家持)朝麻呂を たづね行かめど 銀杏散る 泉のほとり どこと知らなく (偐家持) (20250311ひとり見つつの白梅)7.オガクニマン氏関係 クニ麻呂のコメントに答へて詠める歌1首鉄人も わびさびならぬ 錆にして 酸化鉄なり 老いの細道 (末尾芭錆)<参考>偐万葉・どち篇の過去記事はコチラ。
2025.03.20
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昨日(3/18)は、生駒の叔母の通院介助のため叔母宅へ。 予約した時刻よりもかなり早くに病院に到着したので、診察を待つ時間を利用して、叔母の依頼で生駒駅前の「近商」へ蜜柑を買いに行くことに。 近商での買い物を済ませてから、先日の白庭病院でのレスパイト入院に関しての「看護サマリー」在中の封書を担当のケアマネさんにお渡ししてくれと同病院から受領していたので、買い物ついでに社協地域包括支援センターに立ち寄ってこれをお届けすることとしました。 その帰途、「いこまこども園」の前を通った時に撮った写真がこれ。(いこまこども園) 「幼保連携型認定こども園」とあるから、幼稚園と保育園を一体的に運営している施設なんだろう。(同上) そのネットフェンスに飾られていたのがこれ。(同上) 通園している園児たちが作製したものなんだろうが、自分たちの顔を表現したものであるのかも。(同上) 結構な坂道なので、腰痛ヤカモチには応える道。 途中からザックに入れていた登山用のステッキを取り出し、これを適当な長さに調節して、杖をつきながらの歩行となりました。 叔母の待つ病院待合に戻りましたが、まだ診察待ちの状態。予約時間が過ぎても診察が始まる気配がなく、1時間遅れでようやく診察室へ。 会計を済ませて病院を出たのは12時40分頃。 叔母の手をひきながら、杖をつきながらの叔母と駅前のパスタ店へ。 エスコートする側が杖をついていては様にならないところ、病院の待合に戻った時には登山用ステッキはたたんでザックに仕舞い込んでいたので、ヤカモチは杖なし歩行であります(笑)。 パスタ店に到着するまでの間に叔母の要請で2度ばかりベンチで小休止するという、のんびり歩行でありましたが、これはヤカモチの腰にとっても歓迎すべき小休止であったかもしれない(笑)。 叔母とランチを共にした後、駅前からタクシーで叔母宅へ。 叔母宅は生駒霊苑の近くにある。(生駒霊苑駐車場から矢田丘陵を望む) 以上で、通院支援完了であります。 叔母宅を辞し、生駒駅から地下鉄中央線で新石切駅へ。(大阪メトロ中央線夢洲行き車内・生駒駅発車) 駅高架下の駐輪場からマイCBを取り出し、帰宅しようとして、ハッと気がついたことは、買い物を頼まれた蜜柑(伊予柑とデコポン)がヤカモチの背中のザックに入ったままであるということ。 さて、どうしたものか。叔母宅へ引き返すのも億劫。 で、思いついたのが、宅配便でこれを叔母宅へ送るということ。 幸い、新石切駅からはほど近い、恩智川沿いにクロネコヤマトの配送センターと言うか、営業所がある。 同営業所に行くと「明日(3/19)の午前中には配達できる。」とのことなので、これを送ることとし、叔母にその旨を電話で知らせる。 通院支援は無事完了したものの、買い物支援は昨日現在では未完了。 今日(3/19)、叔母より「蜜柑届きました。」との電話があったので、買い物支援についても、クロネコさんのご協力も得ての二日越しとなりましたが、これも無事完了であります(笑)。
2025.03.19
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今日は、レスパイト入院をしていた生駒市在住の叔母の退院の日であったので、病院へ迎えに行くことに。 自宅からマイCB(クロスバイク)で出かけ、夢洲駅~学研登美ケ丘駅を結ぶ大阪メトロ中央線の新石切駅まで行き、駅高架下の駐輪場にCBを預け、白庭台駅で下車。 叔母が入院していたのは同中央線の白庭台駅前にある白庭病院。 ヤカモチの自宅から電車で生駒へ行くには、最寄り駅である近鉄奈良線枚岡駅から乗って生駒駅で下車というのが普通の行き方になるのだが、最近のヤカモチは腰痛で最寄り駅の枚岡駅まで歩くのも辛く、自転車で新石切駅まで行く方が楽という次第で、生駒の叔母を訪ねる際には、この新石切駅コースを選択することが多い。 それに今回は、下車駅が生駒駅の一つ先の白庭台駅であるので、近鉄奈良線枚岡駅からの乗車だと生駒駅で乗り換えなくてはならないこととなるため、新石切駅→生駒駅→白庭台駅の乗り換え不要の直通コースの方が便利ということになる。(新石切駅 ※但し、3月6日撮影の写真) 叔母が入院していた病室の窓から見えていたのは、この公園。(白庭台駅前公園) 公園の背後右奥に見えている一段高くなった場所に何やら墓石のようなものが立ち並んでいるのが見えたので、叔母を病院に見舞ったりした時には、何だろうね、と言い合っていたものだが、これが何なのか3月6日見舞った日の帰りに、足を向けてみた。(古んし与塚 3月6日撮影) 上の写真の奥に写っているのが白庭病院の建物。 最上階の5階病室の窓からこちらを眺めて「あれは何だろうね。」と話し合っていたのだが、病室窓とは反対側に回ってみると、こんな石階段が設けられていた。 登ってみる。(同上 ※3月6日撮影) 石仏などが並んでいて、右隅には「古んし与塚」と刻された石碑。(同上 ※3月6日撮影) 「古んし与塚 谷垣内 昭和六十二年吉日」とあるが、何と読むのか。 「こんじょ塚」(根性塚)とでも読むのだろうか。 碑の裏面を覗いてみたが、由緒や説明などは何も刻されてはいない。 ということで、病室での「何だろうね」という疑問は解けぬまま。 今日は、白庭台駅で下車して、病院の前を通過して白庭台駅前公園のベンチで電子タバコを一服してから、病院玄関へと戻りました。 同病院は「駅から徒歩30秒」(同病院看護師さんに電話で問い合わせた際の説明がこれ)とのこと。 不動産広告などでよく目にする「徒歩〇分」は、80mを徒歩1分で換算する決まりになっているから、看護師さんの説明がこれを踏まえているなら、駅改札口から病院玄関口までは40mの距離ということになる。 この論で行くと白庭駅前公園は徒歩1分20秒位か(笑)。 先ず、窓口で会計支払いなどの退院手続きを済ませてから、5階の叔母の病室へと向かう。 入院の際に持ち込んだあれこれをヤカモチのザックに詰め込み、叔母と1階に下り、タクシーを呼び、生駒駅前の「近商」へ。 近商で、今日の夕飯や明日以降のための食材などの買い物を済ませて、再びタクシーで叔母の自宅へ。ヤカモチもヤレヤレであります。 暫時、叔母と珈琲をご馳走になりながら談笑の後、帰途につくべく叔母宅を辞しました。(叔母宅庭の水仙)(同上)(同上)(同上・白梅)(注)誤記入の文字「の」の削除を行いました。(2025年3月16日)
2025.03.14
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今日は囲碁例会の日。夕刻からは雨になるという予報であったので、雨具をザックに入れて、CB(クロスバイク)で、梅田へと向かいます。 今日は、家を出たのが11時20分を過ぎていたので、大阪城公園に着いた時にはもう正午を過ぎてしまっていました。(大阪城公園森ノ宮入口) ということで、噴水広場の近くにあるコンビニでサンドイッチとコーヒーを購入し、公園のベンチで昼食ということにしました。 半分ほども食べ終えたところで、霧雨のような細かい雨が降り出しました。食べかけのサンドイッチなどを仕舞い込み、何処か屋根のある処に移動して・・とCBで走り出しましたが、そういう場所が見つからぬまま、大阪城公園を通過、天満橋を渡って、滝川公園まで来た頃には、霧雨も止んでいたので、滝川公園の藤棚の下のベンチの一つで昼食の続きということにする。鳩や雀たちにサンドイッチの一部を小さくちぎった欠片を投げ与えながら、彼らと共にランチでありました。 そんなことで、梅田スカイビルに着いた頃には午後1時を過ぎてしまっていました。(梅田スカイビル) 以前は、このスカイビルの21階にある部屋を会場として使っていたのだが、2012年4月からは右端手前に写っている付属棟の建物の5階の部屋に会場を移すことになったのでありました。 ということで、その5階の部屋に行くと、既に、福麻呂氏、平〇氏、村〇氏が来られていて、平〇氏と村〇氏が対局中で、福麻呂氏がそれを観戦という状況でありました。 今日は、結局、ヤカモチを加えてこの4名の出席。 ヤカモチは、先ず福麻呂氏と対戦。 しかし、見落としのミス、勘違いなどが続き、中押し負け。 メンバーチェンジをして、次は平〇氏と対戦。これも5目半差でヤカモチの負け、最後の村〇氏との対局も大差でヤカモチの負け。 全く振るわずで3戦全敗となりました。 このところ腰痛の痛み止めの薬を服用している所為か、何やら身体がフワフワした感じで軽いめまいのような感覚もあったりということで、注意力散漫、気力・意欲の減退で殆ど考えるということもなく、機械的、感覚的に碁を打っていた感じなので、これでは碁に勝てる訳がないというものでしょう。お陰で腰痛の痛みはかなり軽減しているのだが、この頭が何かボオーッとする感じがこの痛み止めの薬の副作用であるのなら、ちょっと強すぎる薬であるのかもしれない。さりとて、腰痛の痛みがぶり返しても困るから、この辺は悩ましいことであります(笑)。 帰途は再び滝川公園に立ち寄って小休止。(今日の門前の言葉) 滝川公園の道路向かいのお寺の今日の門前の言葉です。 今日は、信号のタイミングが合わず、帰途は大阪城公園には入らず、大阪ビジネスパーク(OBP)を経て、大阪城公園駅前から大阪城公園のへりに沿った道を通って中央大通りの森ノ宮交差点に出る。 此処からは中央大通りを東に向かってひた走るのみ。 今日は、気温も高く、上着を脱いで腰に巻きつけ、シャツは腕まくりして、というスタイルで往復を走りましたが、これで丁度良い陽気でありました。(横枕南公園のマイCB) 途中、横枕南公園の藤棚の下のベンチで水分補給と「煙」分補給の小休止です。 立ち寄り先もない、毎度同じような写真の内容のない記事でありますが、腰痛に免じてご容赦を(笑)。<参考>囲碁関連の過去記事は下記参照。 囲碁関係(その1) 2008年~2019年6月 囲碁関係(その2) 2019年7月~
2025.03.12
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昨日は、このところの腰痛で通院している整形外科クリニックに行き、痛み止めの注射をしてもらい、同じく痛み止めの薬を処方してもらった後、遅ればせの確定申告関係書類の郵送のため郵便局に立ち寄り、ついでにと郵便局近くの花園中央公園にも立ち寄ってみました。 桜広場の桜は未だ蕾が固い状態。梅は満開でした。(花園中央公園の梅)(同上)(同上) 帰宅しての夕刻に中学時代のクラスメイトであり高校も同窓であった朝麻呂君のお嬢様からのお電話で彼がこの元日にお亡くなりになっているということを知りました。 中学卒業後も時に集まってミニクラス会などを行っていた男女10名余のグループの一員でもあった朝麻呂君であるが、彼とは高校時代には弁論部で一緒に活動した仲間でもあり、親友の一人でありました。 彼は早稲田大学文学部に進学し、共同通信の記者となりましたが、ヤカモチは大阪の大学に進学し大阪に本社を置く民間企業に就職、本社勤務となったことから、東京・大阪ということで、直に顔を合わせることは少なくなりました。 大学4年の五月ゴールデンウイークに就活で東京に行った時、何日間か彼の下宿に居候をさせて貰ったことがある。 その下宿屋さんの廊下を挟んでの向かいの部屋に三人の女子学生が相部屋下宿していたが、彼はその内の一人と結婚したので、ヤカモチも彼の奥さんとはその結婚前からよく存じ上げているのでありました。 その奥様を亡くされたのが3年前の秋だったかと思うが、そんなことで元気を無くしてしまったのかも知れない。死因は食事の誤嚥による窒息死とのこと。 奥様を亡くして気落ちしている彼を励まそうと上京した折に新宿で彼とランチを共にしたのが一昨年の春のことであったが、それがヤカモチが見た彼の最後の姿ということになる。まことに悲しく、心痛く、無念なことであるが、生者必滅、受け容れるしかありません。 早速、中学時代のお仲間に彼の死のことをメールや電話でお知らせしました。(同上)君逝きて ひとり見つつの 白梅の 花は悲しも いたづらに咲く (偐家持)朝麻呂を たづね行かめど 銀杏散る 泉のほとり どこと知らなく (偐家持) お嬢様からお電話いただいたのは、ヤカモチが彼の携帯に電話をしたが留守電になっていたので、自宅の固定電話に電話を入れ直したものの、どこやらに転送されているようでもあったが、お出になる気配なし。 この電話に対する返電がお嬢様からの電話であったという次第。 ところが、この電話は電話番号非通知であったので、応答するかどうか暫時ためらいがあったものの、ともあれ出てみようと思ったのが幸いで、お陰様で彼の逝去の報を受け取ることができたという次第。 お嬢様の話から、ヤカモチの今年の年賀状をご覧になって、それに記載のヤカモチのスマホの電話番号にこれまでに何度かお電話を頂いていたようです。言われてみれば、何度か番号非通知で何本かの電話が受信履歴に残っているのを目にしていました。多分、マナーモードにしていて着信に気付かなかったか、スマホから離れた場所に居たので取れなかったというようなことであったのだろう。今回はたまたまスマホで何やらの操作をしている時に着信があったので、それに気付けたのでラッキーでした お嬢様によると、父からも母からも共通の友人、知人ということで話を聞いて居り、予てよりヤカモチの「お名前は存じ上げて居りました」とのこと。 今更の遅ればせではありますが、彼のご冥福をお祈り申し上げます。 中学時代の男女仲良しグループ10名余のうちでは、早くに高麻呂君が夭折、昨年秋に嶌郎女さんが逝去、そして今回は朝麻呂君の逝去ということで、既に3人が欠けるということになりました。<参考>中学時代同期関係の記事はコチラ。 朝麻呂君が登場する記事は以下の通りです。<参考>中学恩師の墓参・ミニクラス会 2015.5.30.
2025.03.11
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今日は囲碁例会の日。 前回の例会、2月12日は、独り暮らしの叔母の通院介助のため欠席したので、前々回2月5日以来となる、一ヶ月ぶりの囲碁でありました。 お天気は小雨。雨具を着用してCB(クロスバイク)で、会場の梅田スカイビルへと向かう。雨の日は迷うことなく電車を利用して会場へと行くのが通例であったが、このところ腰痛が酷くなり、自宅から最寄り駅までの歩行、大阪駅から梅田スカイビルまでの歩行が苦痛を伴い、とても無理な状態なので、自転車で行くこととしました。 中央大通り、大阪城公園、天満橋、滝川公園、国道1号・2号、梅田スカイビルというのが大雑把なコースであるが、自転車は腰への負担が殆ど無いので、片道22km程度、所要時間1時間半程度の走行となるも、歩行の際の苦痛を考えれば、小雨位なら、雨具着用してでも、こちらを迷うことなく選択するというのが、現在のヤカモチであります。(小雨降る大阪城公園・森ノ宮入口から) 自宅を出るのが手間取り、梅田スカイビルには12時50分前後と、いつもよりかなり遅い到着となりました。 駐輪場にマイCBを預け、地下の全席喫煙席というカフェ・ピアッツァ・ポポロ(CAFE PIAZZA POPOLO)で昼食を済ませてから、ガーデン・ファイブ棟5階の部屋へ行くと既に福麻呂氏、平〇氏、村〇氏が来られていて、福麻呂氏と平〇氏が対局、村〇氏がそれを観戦という状況でした。 ということで、ヤカモチの最初の対戦相手は村〇氏ということになりました。これは3目半の差でヤカモチの負け。 続くお相手は平〇氏、これもヤカモチの中押し負け。 遅れて青◎氏が来場されたので、3戦目は青◎氏と対戦。これは、ヤカモチの中押し勝ち。最後に福麻呂氏と打ち、これもヤカモチの勝ちとなって、今日は2勝2敗という成績でした。 帰途は雨も上がり、曇り空。 大阪城公園まで帰って来て目にとまったのがこの梅の木。(天王寺商業高校同窓会の梅の木) 枝垂れ梅が満開。 往路ではこの梅の木の周囲に10名ほどの外国人観光客とおぼしき人々が集まってこの木を撮影していましたが、復路では、この木をバックに若いカップルが写真を撮って貰っているようです。 この梅の木は昨年の2月7日の記事にも写真を掲載していますが、人気の木のようです。<参考>囲碁例会・全席喫煙です 2024.2.7. 梅田スカイビルを出てからほぼ休みなく走ったので、流石に少し疲れたのと、水分補給と煙分補給のための休憩ということで、横枕南公園の藤棚の下で小休止。(横枕南公園のマイCB) はい、これが今日の相棒です。 更に走って、花園中央公園のあずま屋でもう一度休憩。(花園中央公園の猫) この猫は、多分ネコロンだと思う。同じキジトラ猫でオスの清兵衛というのがいるのだが、オスは右耳が桜の花びら状にカットされているのに対して、メスは左耳がカットされることになっているところ、この猫は左耳がカットされているように見えるから、メスである。 花園中央公園のメスのキジトラ猫でヤカモチが知っているのはネコロンであるから、ネコロンということにして置きます。 まあ、ネコロンも清兵衛もヤカモチが勝手にそう呼んでいるだけで、本当の名が別にあるのか、名無しなのかは知るところではない。 以上、囲碁にかこつけての銀輪散歩記事でありました。<参考>囲碁関連の過去記事は下記参照。 囲碁関係(その1) 2008年~2019年6月 囲碁関係(その2) 2019年7月~ 犬、猫などの記事はコチラ。
2025.03.05
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