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内閣支持率が急落しているという。それはそうだろう。物価高、上がらぬ賃金、不安定な中東情勢と問題は山積みなのに、国民生活とも関係がなく、さして緊急とも思えない法案の制定を急ぐ理由がよくわからない。ただし、かといって、野党の支持率が上がるとも思えない。今、問題になっている副首都構想にしても、最初から大阪ありきと言う感じで、実際に大阪の経済界には待望論が強いという話も聞く。副首都であるということを錦の御旗にして、国の負担で北陸新幹線の駅ができる。副首都という名目で国の機関もできる。副首都の発展のための施策が行われる。格の高いポストも生まれるので官界だって大歓迎だろう。しかしこうしたものの費用は所詮は国の税金である。そうなると当然になぜ大阪に…と思う。大震災、火山噴火など、日本ではどこでも災害の危険がある。ただ、先の関東大震災をみても、関東全域が壊滅的被害というのは、さすがに考えにくい。いざという場合の首都機能を担う都市は必要であっても、それは大宮副都心、幕張副都心のような関東にある副都心ではまずいのだろうか。副都心構想にも東京の災害に備えるという視点もあったのではないか。※最近、聴かれなくなった言葉に「男は仕事、女は家庭という男女の役割分担の見直し」という言葉がある、言葉が消えたのは、そんな役割分担など過去のものになったからだろう。ところがそういう役割分担意識があったのはそんなに昔のことではない。一頃はお嬢様ブームと言うものもあって、若い女性は家事手伝いがかっこいいとされた時代もあった。フリーターが若者の自由な生き方と言われ、世は好景気を謳歌していたころだ。その頃よりは後の世代になるが、最近、婚活市場では、そうした花嫁修業を続けたまま、40代に入ったような女性もいるという。4070とか8050とかと言って中高年ニートが社会問題になっているが、こうした中には実は男性よりもはるかに多く女性が含まれているのではないか。親が死亡した後に生活に困窮するようになれば、彼女らもまた、そうした古い男女の役割分担意識の被害者なのかもしれない。ただし、そうした役割分担意識のあった時代は男女の就職時の差別も当然のように行われていた時代でもあったのだが。
2026年07月26日
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有名女性作家のコラムがアパルトヘイトを主張しているということで問題視されている。http://www.huffingtonpost.jp/2015/02/13/sono-ayako-column_n_6677760.htmlたしかに内容をみると、外国人労働者を入れた上で居住区を分けると言う主張はアパルトヘイト推奨ととれないこともない。これについては著者にも言い分があるようであるので、大いに議論した方がよい。それにしても、そもそもなぜこうしたものが外信発で問題になったのだろうか。コラムの内容もさることながら、こうしたものが日本国内で問題にならずに、まず外国で問題視されたのが不思議である。そしてまたネット上では、これが大いに海外で問題視されているという情報はいくらでもでてくるのに、日本のテレビや新聞ではあまり報道されていないのはなぜなのだろうか。日本と外国との情報落差がここにも…という思いである。*件の女性作家は若い頃から才色兼備ともてはやされてきた人で、これまでも審議会委員など数々の要職を経て、夫君ともども活躍されてきた方だ。そして肩書きは小説家でも、何を書いたかという作品名が思い浮かばないのも夫君と共通している。件のコラムは小生も読んだが、外国人の居住を分けろという箇所よりも、まず介護職というのは誰でもできる仕事だというくだりにひっかかった。まさにそういう感覚が多くの人にあるからこそ、介護職の処遇はさっぱりよくならないし、もはや介護の現場では人材崩壊といった事態が起きているという話もある。介護現場への外国人導入はさらに介護職の待遇を悪化させるだけであろう。
2015年02月19日
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昔、豊川誕という歌手がいた。別にこの時代の歌謡曲に詳しいというわけでもないのだが、彼の曲「星めぐり」の一節だけは、なぜか耳に残り記憶している。 ~かわいそうな 星めぐり 君のわかれの言葉だよ 誕という字はどうみてもタンとしか読めないのに、芸名では「じょう」と呼んでいた。事務所は彼の孤児院育ちという生い立ちをウリにして、そのため、芸名も出生…つまり誕生を連想させる名前をつけたのだろうか。売り出し当時の話では、幼いころから孤児院に育ち、豊川という名前も彼が捨て子として発見された豊川市からつけた。そんなことだったかと思う。その後、その頃あまたいた他のアイドル歌手同様に彼の名前も消えていった。 ※ そして、次に彼の名前が世に出るのは、歌手としてよりも、三面記事の主役としてである。先日警察官をなぐって逮捕されたというが、これは初めての逮捕ではない。平成8年に偽造クレジットカードを使用したとして逮捕されたほか、同10年と同12年にも覚醒(かくせい)剤を使用した疑いなどで逮捕されている。 彼の転落の背景には覚醒剤がつきまとう。もちろん、薬物中毒の治療はするのだが、治療しても、人によっては覚醒剤からはなれられないこともあるようである。ちょうどそれは、たやすく禁煙できる人と、一度たばこを覚えたら最後、決して止められない人がいるのと同様なものかもしれない。もし、覚醒剤の恐ろしさを広報するのなら、きれいなおねいさんがでてくるポスターよりも、彼のような例があることを周知したほうがよい。そういえば、韓国の朴大統領の息子も何度も覚醒剤で逮捕され、その都度、篤志家の支援を受けてやり直すのだが、なかなか更生できないでおり、しっかり者の姉(朴クネ議員)とは対照的な人生を歩んでいる。 検索をしてみると、彼は芸能界をやめた後に本もだしており、それによると、なんと一時オウムにも入っていたようである。オウムも彼を広告塔にはしなかったし、世間もそれを話題にしなかった。それだけ彼が忘れられた存在ということだったのであろう。 ここにも少し書いてあるように、孤児であること、親を知らないことをウリにするのは、やはりおかしいと思う。親がいないこと、そして孤児院育ちであるというハンディは、今の社会では小さくはないかもしれない。でも、同時に、健康で、才能にも恵まれ、親の力はなくても、多くの人の助けで成長したありがたみも考えるべきであろう。どんな家に生まれ、どんな親の下に育つか…出生は人生のほんの出発点である。そしてそれからの人生行路は親よりも自分の才能や努力によってきりひらいていく部分の方がはるかに大きい。今の世の中、そうして道をひらいていけるだけの体制は十分に整っているのだから。 覚醒剤はアヘンなどと違い、人間の攻撃性を増す作用があり、重大犯罪と結びつくことも多い。こうした覚せい剤常用者による犯罪の例としては、川俣軍司の白昼無差別通り魔事件などがある。こうして考えると、覚せい剤が背景にある犯罪で、重大な結果にいたらなかったのは不幸中の幸いなのかもしれない。 ~かわいそうな運命(ほし)めぐり~はそろそろやめるべきときであろう。aisya96@lycos.jp
2003年05月04日
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アパルトヘイトめいたコラムが問題となった女性作家について再び書いてみる。小説家は大勢いるのになぜ彼女だけが審議会、講演、コラムなどでもてはやされるのだろうか。老いなどの問題についての新書版エッセイも絶好調で出せば売れるという状況だ。読みやすい文章を書く才能…それもある。だけど彼女の文章や発言がもてはやされている最も大きな理由はそれが「本当のこと」だからではないか。「本当のこと」というのは、語弊があるのであれば、「多くの人が本当だと思っていること」と言い換えてもよい。男性の政治家や経済人が言えば問題になるようなことでも、昔から才色兼備ともてはやされてきた女流作家の発言であれば、すっと社会に通ってしまう。アパルトヘイトを称揚したとされるコラムを読んだが、実は一番ひっかかったのは居住は別にしなければならないというくだりよりも、介護の仕事は日本語力も専門知識もいらない誰にでもできる仕事だというくだりだ。これくらい介護という職業をバカにした発言はないと思うのだが、現実にはそう思っている人が世の中には多いから、介護職の待遇は向上しないし、外国人をよべばという議論もでてくる。このほかにも、この方は、途上国の貧困の実態を紹介しながら、「日本の貧困はアフリカよりもマシ、貧困層は甘えるな」という趣旨の発言も何度も行なっている。彼女の夫君も彼女に劣らず様々な公職についているが、その夫君も教育問題をあつかった会議で、「非才、無才はせめて誠実さだけを身につけて欲しい」という発言をしている。つらつら考えるに、居住区は別だの、いっしょには住めないだのという発言は必ずしも人種や民族についての発言ではないのではないか。要するに…こういうことだろう。誰でもできるような仕事をしている非才、無才は誠実さだけを身につければよい。給料が低いの待遇が悪いのと甘えるのではない。アフリカに比べればはるかに恵まれているのだから。能力なんて期待していないのだから、とにもかくにも誠実さだけを身に付けて、文句はいいなさんな。でも、我々は貴方達とは同じところに住むつもりはないのよね…。
2015年02月19日
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昨日の閉会中審査はニュース映像で見ただけなのだが、総理本人が出てこないのはやはり奇異だ。疑惑の本質は総理の個人的な友人関係がどこまで政策に影響を与えたかであり、総理本人こそが問題の中心ではないか。それなのにG20が終わった後も夫人同伴でさして懸案のない国を歴訪するなんて…逃げているとしか思えない。いったい何を怖れているのだろう。※韓国ドラマ「仮面」を見ている。例によって、一方には御曹司、一方には借金を抱えた親を持つ貧しい娘というパターンなのだが、これにサスペンス要素が入っているのが面白い。つまり御曹司の母親は幼いころに謎の死をとげ、目撃をしたはずの彼もその時の記憶を失っており、トラウマとして断片的に映像が残っているだけ。それに謎の死をとげた婚約者。その婚約者と瓜二つのせいで、身代わりとして上流社会に入るヒロインという話。どっかに自分と瓜二つの令嬢がいて、うまいことなり替わって人生逆転できないかしら…そんな妄想をくすぐるような導入なのだが、こういうのは、はまれば面白い。それにしても、こういう話ってどうして考え付くのかしら。小生なんて、留学中の御曹司二人がドラ息子同士で意気投合して、帰国してからもゴルフに酒にとつるみ…なんて話しか思いつかないもんね。本当にこんな物語つくりの才能のある人ってうらやましい。
2017年07月11日
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れいわ新選組の山本太郎氏が政界を引退するという。多発性骨髄腫の一歩手前というのもわかりにくかったし、数か月遅れてスピード違反の話がでてきたことも異様な気がする。ただ、それでも、今回の政界引退にはとうとう…と思う。政党を立ち上げ、話題になっても、その後もその政党が伸び続けるためには政策通も含めたそれ相応の人材が必要だ。れいわの場合、山本氏のきわだった知名度はあったものの、他は素人同然の人が目立ち、人材不足の感は否めなかった。世の中には経済的に恵まれている層とそうでない層とがいる。傾向としては経済的に恵まれている層ほど、政治に対する関心も高く、知識も豊富だ。一方、そうでない層の中にも、まあまあ現状に大きな不満もなくマスコミに流されやすい層(いわゆるB層)と漠とした不満を持っていて政治にも絶望している層とがある。実は後者というのはブルーオーシャン(未開拓の大きな市場)で、れいわはここのあたりに支持を広げていったのではないか。同じくこの層に広がっていった政党として参政党があり、参政党の伸長はれいわの伸び悩みと表裏一体なのかもしれない。これからもれいわを離れた層の多くは参政党に向かうのではないか。右とか左といった区分では、よくれいわは左あるいは極左、参政党が右とか極右とか言われる。しかし、そろそろこの右とか左といった区分は意味がなくなっているのではないか。欧州で、相当の支持を得、支持者の多くが貧困層であるような政党を極右と呼ぶのも変だろう。れいわと参政党は似ている。党首にきわだったカリスマ性があるのだが、そのイメージが既存のエリートのイメージとは真逆であることも共通している。すでに定住している外国人の扱いについての考えは異なるが、移民労働力の受け入れに抑制的なことなどの政策面の共通性も多い。さらにいえばもう一つ共通点がある。マスコミやいわゆるリベラルと言われている人々からの評価が低いことである。こうした人々は、護憲とか反原発とか戦争反対とかそういった主張を重視するし、デモなどを行ったりそれを好意的に報じるのもこの層である。しかし、多くの有権者はそうした理念的なものよりも、もっと身近な問題に反応して投票する。ひところ大報道された官邸周辺の反原発デモが結局は政治の流れに大きな影響を与えなかった理由もこのあたりにあるのではないか。
2026年07月14日
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「父と子」を読了した。この小説に描かれている世代対立はロシア特有のものがあるが、社会が変動していくときに、急進的な若い世代と保守的な親世代の対立というのは歴史のあちこちで常に起きているものだろう。日本でいえば、文明開化期の封建的な親世代と開明的な子世代、終戦後の軍国主義に染まった親世代と民主的な子世代というように。「父と子」は日本でもよく読まれたと思うのだが、最近はどうもこうした古典は影が薄くなっているようにも見える。急進的なニヒリストのバザーロフと彼に心酔するアルカージーという人間関係は、全共闘運動でもみかけたことがあるし、それに似たものは青年主体の様々な社会変革運動でもきっとあるものだろう。そして、アルカージーが結婚という人生の新たな局面にたったときには、この関係は終わりを告げる。「父と子」は世代の対立を描いた小説ということがよくいわれるが、全体を読むと親子の情愛を描いているところが印象に残る。もちろん親が子を思うほどには子は親を思わないので、親の子に対する情愛である。中学生の時に読んだ際には気づかなかったのだが、特にバザーロフの父の優秀な一人息子に対する恐れの混じった愛と、その息子が死んだ後の悲嘆の場面が印象的である。そして臨終の際の宗教の問題もある。無神論の子に対して、親は宗教的儀式を望む。世代効果だけでなく、加齢効果もあるのだが、親世代の方が子世代よりも信心深いものである。同じような場面は「ある愛の詩」にもあったと思う。バザーロフはロシア文学史上初めて現れた雑階級出身の人物とされる。たしかに父は貴族出身でないが、軍医にまでなった後は貴族の娘と結婚し、領地を持っている。もともとの貴族ではないので、農民には親近感を持たれているが、それでも旦那であることには変わりない。本格的に地主以外の階級の主人公がでてくるのはもっと後になってからだろう。登場人物の誰もがどこかにいそうであり、そして誰もが小説の中で生きている。古典的名作文学にはこうしたものが多いし、今は読まれなくなっているのが残念に思う。
2026年07月24日
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最近のニュースで不思議に思うこといくつか…。東京都知事の公金の私的流用疑惑で「第三者」という言葉が連呼された。けれども、その第三者にいくら立派な肩書があろうとも、それは第三者ではないのではないのではないか。もちろんその「第三者」なるものには知事が人選に関与する。こうした疑惑で第三者というものは警察や検察、それに議会に設置される委員会しかないのではないか。都民、あるいは選挙民の上に「第三者」の判断があるかのようなものいいには違和感を覚える。同じ公金流用疑惑でも号泣する人もいれば、意味不明の「第三者」を連呼する人もいると言うことか…。もっとも、どなたかがメディアで言っていたが現都知事が辞め、選挙になってもマシなのがでてくるような気がまったくしない。素人がタレントが知事になっている例もあるし、いっそ空位でもよいのかもしれないし、都市外交などの無駄遣いも行なわず、公金流用もしないなら現知事がそのままおとなしくしていてもよい。号泣県議の扱いと比べると、いささか不公平という気もするけれど。もっと不思議なのはオリンピック招致疑惑での第三者による検証である。これはもともと外国から火のついた問題であるので、いくらJOC内で検証したところで第三者にはならないのではないのだろうか。どうせ最初から問題なしという結論なんだろうし、税金の無駄である。まあ、問題はこっちの方がよほど大きく、都知事の問題など、こっちの二ュースを隠すための煙幕のようにさえみえる。そして最後に、沖縄の米軍関係者による女性殺害事件である。すごく素朴な疑問なのであるが、日本国内で●国人が犯罪を犯した、あるいは精神障害者が犯罪を犯したとして、そういう場合、●国人はでていけとか、精神障害者をなんとかしろといった議論をしたらどうなるのだろう。そんな議論はすぐに差別だとして瞬殺されるだろう。少なくもマスコミには決して出てこない。それなのに、米軍関係者が犯罪を犯すと、なぜ米軍関係者全体が犯罪予備軍であるかのようなことが言われるのだろうか。それこそ、米軍関係者に対する差別ではないか。もちろんこうした事件で日本の刑事司法が十分に機能できないという問題があれば、それは正さなければならないが、かつてのような治外法権状況はずいぶん改善したようにみえる。
2016年05月26日
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ときどき訪問するブログの「日本人がかわりつつあるようです」と題する文章に小生がつけたコメントである。http://ameblo.jp/usinawaretatoki/entry-11595473143.html#cbox「あたりまえですが、雇用の劣化は人間の劣化につながります。人は社会の中できちんと責任をおうことで成長していく。人は人の間にいてこそ人間です。それをいつまでも不安定雇用や名ばかり正社員で使い捨てる。心身を病んでいくのでなければ、無職となって親の年金にすがる。これで人間がだめにならないわけがないじゃないですか。かくて国民が劣化し民族が劣化していく。そしてその雇用をさらに劣化し衰退を加速しようとしているのが現政権です。」非常識な行為に結果の重さを教えることはもちろん必要であるが、それを身につけるのがまさに職場という場だろう。http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130827/crm13082703190001-n1.htm不安定な待遇で企業への忠誠心ばかりを要求するのは山で魚を求めるようなもの…。非常識写真だけではない。最近では、リコールも増えており、高品質で安心な日本製品というのも過去の話になっているという。また、労災事故も増加しており、これも、通行人や顧客をまきこんだ事故もある以上、雇用者だけの問題ではなく、社会全体の問題なのではないか。安倍政権は人材派遣業についての規制をさらに緩和し、ホワイトカラーエグゼンプション、解雇規制の自由化、限定正社員制度の導入ももくろんでいる。安定した雇用形態で働く人はさらに少なくなり、貧困に苦しむ人、無職の人はますます増えていく。豊かな生活をしている人が多い国を繁栄した国という。技術発展の恩恵を受けて便利な暮らしをしている人の多い国を先進国という。そう考えると今の政権は日本を衰退させ、途上国化させることを目指しているとしか思えない。*スーツケースに入った老女の死体がみつかった事件では48歳の無職の息子が遺棄したのだという。この頃、この手の事件が多い。むかしからいい歳をした無職というのはいたのだが、それはあくまでも例外的な存在だった。それなのに、今の世では、普通に育った普通の人間が無職で家にいたりする。これでは子供を持ちたくないという人が増えたってなんの不思議もない。日本の人口は4年連続の減少を記録しており、「今後の労働力の不足が懸念される」みたいなお定まりの論評がなされている。しかしながら現実に起きているのは若い世代の就職難や無業者の増加である。人口減少で労働力不足と言ったってさっぱり説得力がない。
2013年08月22日
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都知事選の結果について悪代官顔の政治家が「勝てた選挙だった」とかなんとか言っているらしい。細川と宇都宮の票の合計が舛添に接近してことをいっているようだが、脱原発以外に共通点のない二候補の票を合計するなんていう前提自体に無理があるだろう。そもそも原発が一基もない東京で原発が争点になるわけがないじゃない。まあしいて今回の知事選に意味があるとしたら、マスコミや文化人の威光というものに、そうそう選挙民が踊らなくなったということくらいだろうか。それにしてもあの悪代官…票とか選挙にしか興味がないんだろうな。嗅覚はよいのだが、政策変更や主張変更は屁とも思わないみたい。反消費税もひっこめたようだし、軽減税率も無理だとおっしゃる。そういえば昔は憲法9条を改正して軍隊を持つ「普通の国」になって、その国軍を国連の指揮下に置こうという普通じゃないこともいっていたけど、今ではみんな忘れているみたい。*マスコミといえばいつからオリンピック報道はこんな風になったのだろうか。選手の地元で近所の人や親戚が集まって応援する情景を放映する。いつも思うのだがあの隣人の大応援団ってどうやって集めるのだろうか。だって近所の誰かがオリンピックに出るからといってわざわざどっかに集まりますか?うちの近所だったら、そんなこと誰もやりそうもないんだけど。そしてメダルがどうのと大騒ぎして、それを中継して「感動をありがとう」なんていう。以前の方がもっと外国の選手も報道していたようだ。札幌五輪のジャネット・リンやモントリオールのコマネチなど。ところが今では日本選手の報道ばかりで、いくらメダルが期待されるからといって世界で何百人しかやっていないような競技にまであんなに大騒ぎする必要はないように思うけど。*オリンピックにかぎらず報道全体が芸能マスコミ化しているように思う。しばらく前のSTAP細胞のニュースもそうだ。発見の意味を解説するよりも、発見者の科学者を芸能人扱いしたような報道ばかりで、ああいうのって恥ずかしいと思わないのだろうか。何年か前のノーベル賞受賞者の報道で授賞式のダンスがどうのとくだらないことばかり騒いだのと同じようなことをまたやっている。***遠隔操作ウィルス事件の初公判が行なわれた。検察は状況証拠をつみあげるというのだが…報道前に「猫 首輪」で検索をしたのがなんで状況証拠なのだろう。猫に首輪でなんかおかしいところってあるのかしら。それに犯罪を派遣社員が職場のパソコンを使ってやるなんて…ありえないんじゃない、そんなの。http://blog.goo.ne.jp/junsky/e/cbba21458f07626e4d9936d8d00f4f9cこの事件では4人もの人間が誤認逮捕されているので、警察も検察も世間の怒りの矛先をそらすためにも「真犯人」をみつける必要があったということはよ~くわかるけれどもね。じゃなければ、警察や検察内部の処分とか組織改革とかそういう議論が絶対にでてくるもの。それにしても、あの退学になっちゃった大学生は学校に戻れたのかな。御免ですんだら警察いらないというけど、なんかその警察が御免ですませてない?***自民党では8月に新しい祝日「山の日」を検討しているという。飲食店や小売などブラックが問題になっている業界の社員にとっては、絶対に休めない日が一日増えるだけだけれどもね。
2014年02月14日
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フェミニズムというものは世界のどこの国にもあるのだが、日本と他の国とのフェミニズムには大きな違いがあるように思えてならない。それは、下品な言い方なのだが、日本のフェミニズムには「下半身」がないのである。女性の能力を生かせ、女性を重要な地位につけろ…ということは声高に主張するが、売春や犯罪の問題について、こうしたフェミニズム論者から何か言ってきたという話はあまりきかない。だから従軍慰安婦の問題も外国ではかなりの部分、女性の人権の問題としてとらえられてるのに、日本ではどこの国が「日本をおとしめている」といったようなとらえ方しかされていない。「日本をおとしめている」という視点ではなく、女性の人権という視点でみると、この問題も別の形でみえてくるのに。*人権問題と考えると何がみえてくるのか。それは連行の強制性よりも、国家の関与の下で、公的に慰安所が設置されていたこと自体が問題なのではないか。そこに来た女性が暴力で強制されていなくても、金を貰っていたとしても、ひとたび慰安所に来れば、そこは戦場であり、自由はない。そういう施設があったということ自体人権侵害である。これに対しては慰安所は他の国にもあったという人もいる。そんなことはない。こうした慰安所があったのは日本とナイスドイツだけである。http://fightforjustice.info/?page_id=2425また、当時は売春は合法だったという意見もある。でも、それをいうのなら奴隷制度だって「当時は合法」でだからといって、それがよいというものではないだろう。が、それをいうのなら米国の奴隷制だって、当時の米国の法律では合法だった。「当時は合法」という議論はその程度のものである。さらに、他の国の軍隊も女性に対する暴力は行なったという議論もある。こういうふうに当時は他の国も酷いことをやっていたという議論は、「何ちゃんだってやってるもん」という子供の論理である。だいたい他にもやっているということを言い始めれば、ナチスだって悪ともいえなくなる。アフリカの奴隷狩りやオーストラリアの原住民ハンティング、畑をつぶしてゴム園を作った事による大量餓死…公平にみてナチスとどっちが悪いと言われても返答に窮する。*慰安婦には半島の女性ばかりでなく、多くの日本人女性もいた。戦後、GHQが進駐した時にも、政府の関与の下で日本人女性が進駐軍相手の慰安所に集められた。インドネシアには日本軍人に暴行されたオランダ女性もいた。国際的に「イアンフ」といえば、こうしたヨーロッパ人女性の受難の方が知られているのではないか。日本人も含め、慰安婦となった女性の苦しみや悲しみ…そうしたものに想いを馳せる人が、日本のフェミニストとよばれる人の中にはいないということが不思議でならない。
2014年08月06日
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あのオウム改めアレフ教団で温熱修行中の信者の死亡が確認されたという。死亡したのは富樫若清夫氏(45歳)。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050103-00000012-san-sociこの富樫氏、「オウム真理教辞典」(東京キララ社)によれば、1987年に勤務先を退社、出家した信者で、サリン噴霧装置製造にかかわり、地裁で懲役8年を求刑されたという。その後の量刑は不明であるが、服役後、やはり教団に戻ったのであろう。ちなみにホーリーネームはマハーナーマとのことである。※いよいよ今年はあのサリン事件から10年。その後も教団は存続し、命をかけるほどの修行を行なう人がいるのは驚くばかりであるが、そろそろ皆気づいたのではないのだろうか。オウム真理教事件は決して麻原という異様なカリスマがマインドコントロールという術を使い善良な信者を操っておこした事件などではない。彼がいなくても、ちゃんと教団は存続しつづけるし、殺人に関与した信者も「マインドコントロールが解けて」悔悟の日々をおくるわけでもない。※そしてその麻原であるが公判では何年も異様な言動をくりかえし、弁護団はおろか家族とも意思疎通ができないという。裁判所はかたくなに精神鑑定を拒否しているが、彼よりももっとまともにみえる刑事被告人達に鑑定がなされているのと、あまりにも均衡を失するのではないのだろうか。はじめから詐病ときめつける姿勢はいかにも変である。本当の意味での事件の真相を究明するためにも彼の精神鑑定はぜひ行なうべきであろう。※サリンテロこそその後起きていないが、テロは今日では世界的な大問題となっている。そんなテロ被害国の中で実行犯に極刑が回避され、テロを起こした当の団体が合法的に存続しつづけた国がどこにあろうか。あの頃、テレビなどにでずっぱりのオウム評論家は事件の全貌を「麻原という怪物がマインドコントロールによって信者の心を操作して起こした事件」として描いた。あのオカルトじみたマインドコントロールなるものに首をかしげていた人は多かっただろうが、ネットなどといった便利な意見発信手段もなく、マスコミ評論家発の「マインドコントロール論」がいかにも有力な世論のように席捲してしまった。信者達に寛大な量刑が下され、破防法の適用が見送られたのにはこんな背景もあったのだろう。※マインドコントロール論を唱え、「反オウム」といいながら麻原以外の信者を擁護したオウム評論家達は今の事態、つまり教団が存続し、社会に危険を与えている状態をどう解釈しているのか、ぜひきいてみたいところである。
2005年01月04日
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選択というためには対象となるものに差異がなければならない。コーヒーか紅茶か、カレーかラーメンかというように。ほとんど同じものを二つ並べてどちらかを選べと言われてもそれは「選択」とはいわない。そういう意味でマスコミの喧伝する「二大政党制」なんてはじめからうさんくさいと思っていた。たとえば二大政党制の本家のようにいわれる米国の民主か共和であるが、あの間にはほとんど政策の差異なんてない。移民社会のあの国ではもともと草の根の国民一般に対する不信のようなものがあるから、あんな複雑な大統領選挙のしくみをつくり民意が反映しないようにわざとしているのではないのかしら。ありていにいえば二大政党制なんてのは民主主義の退化形態であり、先進国標準でもなんでもない。日本の民主か自民かなんていう二大政党制は米英以上に酷いことになりそうだ。民主も自民も財界の意向をきき、外交などでは同じように「現実的選択」をしたらそりゃあ同じような政策しかでてこないだろう。こんなもんでも国民が政権を選ぶことのできる二大政党制は素晴らしいなんていうのだろうか。それにまた今度の選挙でもあのコイズミ劇場と同じような手法が使われてことも指摘したい。コイズミは郵政擁護候補対刺客候補の対立をことさらあおり、しかもその対立をワイドショー的な意味で「絵になる」ものにした。その結果、野党候補をすっかり脇役にして圧勝を勝ち取った。その伝でいけば、「小沢」対「反小沢」の対立の演出だって似たようなものだろう。悪代官小沢に善玉菅が挑むというような「絵」である。なんかこの「絵」で騒ぐこと自体、小沢の手のひらで踊っているようなものではないか。「小沢」対「反小沢」の対立なんてもともとないのではないか。民主党が選挙に勝つということでは利害を共にしているし、こんな対立の「絵」であおって選挙に勝てれば万々歳なのだから。ところでその民主の選挙公約なのだが、具体的なものは二つしかない。議員定数の削減と消費税増税法人税減税である。第一に議員定数の削減なるものが、なぜ国民にうけるのかさっぱりわからない。議員定数、それも民意を敏感に反映するといわれる比例区の議員が減れば、ますます一票の価値は減り、死票が増える。参政権だって先人が長い闘いの末に血と汗で勝ち取った国民の権利ではないか。国会議員というのは議員バッジをつけてよい思いをする人々なのだろうか。それとも自分たち有権者の代表として政策を実現するために活動をする人々なのだろうか。どうも議員定数の削減に賛成する人というのは、国会議員の地位を前者のように考えているのではないか。民主主義のなんたるかを理解していないとしか思えない。第二に消費税増税と法人税減税である。この二つがセットで出ること自体、後者の減税の財源を前者の増税でまかなうなんてことは小学生でもわかる。もちろん前者は福祉に使うの何のというのだろうがお金に色なんてついているわけでもないので意味はない。国際競争力のために法人税減税というが、はてさてその結果、どんな利益がある。法人税が減税されれば企業の利潤は増えるが、それはどこにいくのだろうか。それが新規雇用に結びついたり、多くの社員の給料アップに結び付いて景気に反映する…なんてことはたぶんないのじゃない?強い財政、強い社会保障というけど、そうなるためには強い社会がなければだめだろう。強い社会というのはまじめに生きている人が幸福に暮らせる社会ということである。ところが今の社会には失業、過労死、ワーキングプア、無業ニートがまん延している。それなのに民主も自民も福祉や雇用対策はお寒い限りである。なにしろ両政党とも抽象的なことしか書いていないのだから。私事であるが、最近新聞を読むのをやめた。産経はネタとしてみているが、論説や政治分析などあんなものの枠内で考えるなんて愚の骨頂としか思えない。民主か自民か「みんなの党」かなんてのを煽るのももううんざり。いくら書いても無駄かもしれないけど、格差や貧困の拡大、そして二大政党や議員定数削減による民主主義の空洞化にストップをかけないと、大変なことになる。ブックマークにいくつかの政党をリンクした。マスコミを通じてよりも、直接、政党のHPから情報を得ることも重要ではないか。
2010年06月19日
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昨日までせっせと韓国の「玉ねぎ男」のスキャンダルをやっていたテレビも今日は電車とトラックの衝突事故一色になっている。まあ、韓国の法務大臣のスキャンダルは娘を大学に不正入学させたというもので、日本の感覚(たぶん他の人もそうだと思うので)ではいくら大臣の娘だろうが20にもならないガキンチョがどこぞの大学に入ったのが不正だのなんのでなぜあんな騒ぎになるのかわからない。そういえば前大統領の側近の娘が有名女子大に不正で入った事案についても5人もの人が逮捕され、海外に行っていた当の20代女性も国際刑事警察機構に捜査を依頼するなど、「不正入学」に対する見方は日本より格段に厳しい。日本では有名私大で、有力政治家や財界人の子弟を優遇して入学させている事情があるのかどうかは知らないが、もしたとえあったとしてもそんなに驚かないように思う。もちろん国立大学が有力政治家の子弟の入試の点数に下駄をはかせていたなんてことがあれば、それは日本でも韓国でも大問題になるのだろうけど。で、今回のトラックと電車の事故である。67歳で大型トラックの運転というが、その年齢になれば自覚症状がなくても、視野が欠けたり運動能力が衰えたりする。いったん別の会社を退職して今の会社に採用されて日が浅いということなのだが、年齢からくる衰えや業務に慣れていないことが事故の背景にあるのではないか。そうだとすれば、昨今、問題になっている高齢ドライバーの事故にも通じる問題があるのかもしれない。
2019年09月06日
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江戸時代までの日本はいくつもの藩に分かれ、藩それぞれが国のようなもので、当時の人々にとって「日本」という国家意識はなかった。農民は農民、武士は武士で身分が分かれ、戦はお武家様のするものと思い、そのお武家様も普通は一生刀を抜くこともなく平和な時代が続いていた。そんな時代を考えると、明治期の急変ぶりはすさまじい。一応の国家の組織ができるのが明治4年頃だとして、学制が明治5年、徴兵令が明治6年であり、日清戦争は明治27年。学制は学力だけでなく、国家意識や忠誠心の涵養も目的としていた。最初はあちこちで学制反対一揆、徴兵令反対一揆があったというが、それでも明治維新以降に生まれ育った世代が大人になる頃には、戦争の出来る国になっていった。別の言い方をすれば戦争の出来る国になるまでには、それだけの時間が必要だったわけである。なお戦争に従事する職業集団が軍人であるが、軍人は単に武器をもった公務員ではない。国家との間に他の公務員とは違う特別な関係があり、自由に辞職することもできず、逃亡などで職務を放棄することは重罪となる。その代わり、他の職業以上に名誉をもって遇され、多くの場合、憧れの職業にもなっている。誰でも知っている唱歌「我は海の子」でも歌詞の最後の方に軍人になる夢が歌われている。戦前まではそうした軍人のいた時代であった。戦争は人間の性のようなところがあり、世の中から戦争がまったくなくなる時代というのは当分には来そうもない。ただ傾向としては無謀な戦争は独裁政権の下で起きやすく、逆に民主的な国家運営がなされ、豊かで安定した社会を維持している場合には戦争は遠いように思う。国民が貧しく不満が鬱積しているようなところではその不満を外に向けるために為政者はことさら外国に対する敵意を煽ることもあるだろう。
2023年02月17日
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万葉集(三)を読んだ。最近、ペースが落ちていたのは、第11巻、第12巻と非常に似たような恋の歌が延々と続いていたせいである。だいたいが想う人に会えない嘆きを歌ったものが多く、会えない理由としては旅であったり、世間の噂であったり、女性の母親の反対であったり、人妻であったり、女性がまだ子供であったりというもので、女性は妻の場合もあれば、遊び女の場合もある。こうした歌は、作者の記述もなく、どういう状況でうたわれたものかという記述はない。思うにこうしたものは、民謡のように節回しをつけて歌われたものではないのだろうか。そういえば少し前までは恋をうたった歌謡曲があちこちで流れていた。こうした一連の万葉集の恋の歌も、それと同じようなものなのかもしれない。こうした歌がどういう人々の間で歌われていたのかは想像するしかないが、万葉集の編者やその周辺に近い階層だったのだろう。こうした階層なら、時には遠方に旅をすることもあるし、旅先でもそれ相応の交情の機会を得ることもある。日本では騎馬の風習というのはあまりなかったようなイメージがあるが、意外なのは馬に乗る歌もけっこうある。馬の蹄の音がするので、女がいそいそと迎えにでるというような歌である。この頃の一定階層以上の人々の間では騎馬も一般的に行われていたのかもしれない。詳しくは知らないのだが…これが時代が下って平安時代になると、光源氏が馬を乗り回すというのは、ちょっと想像しにくい。 いで我が駒 早く行きこそ 真土山 待つらむ妹を 行きて早見む
2023年07月05日
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その昔、日本では欧米に比べて法曹の数が少ないという理由で弁護士の数を飛躍的に増やしたことがあった。その結果起きたのは生活できない弁護士の増加である。そもそもこうした弁護士不足の議論は市井からわきおこったものではなかった。無医村で悲鳴をあげている地域はあっても、弁護士がいなくて困っている町というのはきいたこともない。日本が本格的な訴訟社会になることを望む人は今も昔もあまりいない。それとは全く違うのだが、現在いくつかの職種でも人材あるいは人手不足が問題になっている。これもその不足の議論がどこからでてくるかを考える必要がある。例えば、タクシーの運転士が不足しているので、その解消のために二種免許の試験を外国語でも受験できるように改正するという。相変わらず人出不足≒外国人の採用という発想である。いくら円安日本でも世界にはまだまだ貧しい国もあるので、やってくる外国人はいるかもしれない。しかし、本当に需要者からみてタクシーの運転手が不足しているのだろうか。タクシーがつかまらなくて困っているという話はあまりきこえてこない。都会以外ではタクシーはそうそう走っていないし、それを前提に生活している。都会ではタクシーが無理なら別の交通機関がある。おそらくこの運転士不足と言う議論はタクシー運営会社からきているのではないか。今の経営体質では低待遇の運転士を多数雇用して利益がでるわけなので、運転士がいなければ困る、外国人でも来てくださいというわけだ。しかし、利用者の側で見れば、人口減少と高齢化の二重の消費縮小の上、財布のひもも固くなっていてタクシーに乗る需要そのものが減っている。そうだとすれば、運転士を増やすというよりも、むしろタクシー運賃を上げ、タクシーはたまの贅沢にした方が、運転士の待遇も向上し、人手不足の問題も解決するように思う。同じように人手不足の業界である介護の場合には需要そのものは今後も増え続ける。この分野でも介護士の試験を外国語でも受験できるようにするなど、外国人を導入し、よりハードルを下げる議論が行われている。しかし、その結果、介護労働環境にどんな影響を与えるかという検討はあまりおこなわれていない。日本人の志望者はますます減少するように思う。介護労働者に負担が大きいのは入浴排泄の介助なのだが、これは介護者だけではなく、介護される側にも負担だということに留意する必要がある。排せつの介助をされるようになると、急速に痴呆が進むという話を聞いたことがあるが、それもそうであろう。極力機械できるものは機械化し、人力に頼らないですむような試みをしてはどうなのだろうか。いずれにしても、人口減少、高齢化、人材(人手)不足の方程式は難しい。めざす解は人口増と生活できる年金の維持ではなく、高齢になっても働けるうちは働くのが当然という社会なのかもしれない。
2023年12月27日
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米国の国勢調査によるとチャン、リウ、ワンといったアジア系の姓が急増しているという。背景にはもちろんアジア系移民の増加があるのだが、そのうちのかなりが中国系だろう。移民ではなく、留学でも中国系は多く、大陸中国の高官でも子弟を米国に留学させている人は多いという。よく米中対立とか米中のライバル関係とかいわれるが、米国は移民国家であり、現在も中国から多くの人々が留学や移民として流入している状況で「対立」などはあるのだろうか。かつての米ソ対立といわれた時代には、ソ連からアメリカへの移民は亡命者くらいしかいなかったのとは大違いである。そしてまた、米国の白人が認めたがらない不都合な真実なのだが、中国系の方が白人よりもIQが高いという。最近、カナダに行ってきた人から聞いた話なのだが、バンクーバーはアジア系の多い町なのだが、それがその地域の名門大学に行ってみるとアジア系はさらに多いという。米国でも似たような状況なのではないか。米国の中で、大陸中国に多くの親族がいて、大陸中国の政府を嫌っているわけでもない移民が大勢いて、その人々が高度な教育を受けて、それぞれの地位についていく。それでいったいなぜ米中対立なのだろうか。もし、対立があったとしても、それは敵対というよりもライバルといったものなのではないか。
2026年04月15日
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暗く陰惨な映画に違いないと題名からかってに想像していたのだが、見てみると思った以上に面白い。主観的にはこの間、ネットで見た「国宝」よりも良いかもしれないと思ったくらいだ。戦国時代、荒木村重が信長に反旗をひるがえして籠城し、使者としてやってきた黒田官兵衛も捕らえられる。これ自体は史実であるが、荒木村重の反乱の理由は今でも謎らしい。映画では、荒木村重と黒田官兵衛の心理戦が大変な緊張感とともに描かれる。このあたりはもちろんフィクションなのだが、籠城している荒木とそこにさらにとらわれている黒田の間に何が起きていたかは歴史好きの想像を刺激するところだろう。大量殺戮者の信長に対する生命尊重の荒木という見立ては現代的なのだが、実際、荒木村重の謀反の原因には、ついていけなくなったという動機があったのではないか。籠城を舞台にした心理劇として一見の価値のある映画だと思う。ところで、日本史を海外の歴史と比べた時、気づくのは権力者の途方もない贅沢や途方もない残虐な話が少ないことである。歴代天皇、歴代将軍の中で、とんでもない贅沢をした人や大量粛清をした人がいただろうか。日本史三大悪女(淀君、日野富子、北条政子)も三大悪人(道鏡、平将門、足利尊氏)も、どうもそんなに悪いという感じがしない。道鏡は下野に流された後、住民に慕われ、今も墓が守られている。そうした日本史の中で信長と秀吉は例外的にみえる。ところが日本史上人気のある人物もこの二人にかなり集中しているのも不思議である。
2026年06月24日
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韓国ドラマ「明日も出勤」を見ている。工業大学を卒業して7年目の女性が主人公で、その上司との恋愛がラブコメタッチで描かれている。ともに新製品開発を行うという設定なのだが、あまりその大変さは描かれておらず、ラブコメが中心なのは娯楽作なので仕方ないだろう。ただ舞台が人もうらやむ大手企業で、開発するのがAI家電というのが興味深い。AIというとパソコンやスマホにある機能で、質問するとなんでも答えてくれるものしか知らないし、これも、そつないけれども役にたたない回答が多く、最近ではあまり利用していない。これが主人公らが開発しようとしているAI家電というのは、常時電源の入っている冷蔵庫に接続し、家の家電を管理するだけではなく、冷蔵庫の食材も把握し、賞味期限の近づいたものを教える機能もあるという。これを発展させれば、それぞれの家庭の状況や家族の好みを把握した上で、その日の季節や気候にあったレシピを提案する機能もできるだろう。ドラマはSFではないので、現実にこうした家電の開発もありうるということなのかもしれない。AIランキングというものがあり、この分野では米中がしのぎを削っており、アジアでも韓国やUAEが上位にきているという。かつてはアジアきっての先進国日本というイメージがあったのだが、AIの分野ではそうもいえなくなっているのではないか。AI家電の開発もSFのような話なのだが、韓国ではドラマの背景になるくらいに、ありそうな話になっているのだろうか。知らんけど…。そういえば、途中リタイヤした韓国ドラマでも人気俳優の青年がAIを話し相手、相談相手にしている場面があった。スマホやパソコンでAIを相談相手にするというのはあるのだが、実際に言葉をしゃべるAIというのも実用化されていて、すでに、日本でも使っている人もいるのだろう。姿が人間に近づけば、友人のいない人には友人の代わりになり、家族のいない人には家族の代わりになるので、将来は、人間型AIが孤独解消の切り札になるのかもしれない。もっとも、不気味の谷というものがあって、人間に似すぎていると気味悪さを感じるという心理もあるのだという。AIの進歩は凄まじく、そのうち多くの人が第二の脳のように、AIに多くのことを相談し、代わりに考えてもらうという時代がくるのかもしれない。そうなると、大企業のトップや政治家も同様に様々な決断をする際AIに相談するようになる。考えをまとめる文章作成もAIはお手の物である。AIの発達によって個人の生活の便利だけでなく、孤独の解消、そして第二の脳としての助言をしていくことで、結果的に人間が賢くなるのと同様の効果が得られるのかもしれない。それとも、AIに頼ることになった人間は思考能力が低下するのだろうか。
2026年07月17日
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レイプ目的で母子を殺害したFに死刑判決が下った。これで、あれが「社会にひょっこり芽をだす」(彼が友人に送った手紙の一節)こともたぶんなくなっただろうから、娘を持つ親、いやすべての人にとっての朗報だろう。しかしなんだろうね。あの弁護士達。ドラえもんだのちょうちょむすびだの復活の儀式だのって…。自分達の政治的主張のために被告人をだしに荒唐無稽な主張をくりかえしてきたとしか思えない。あの弁護士達よりも、被害者の遺族の男性の方がはるかに冷静で論理的で、何倍もまともにみえるくらいだ。いいかげん社会も「弁護士」というだけでありがたがるのをやめてはどうなのだろうか。それに、そもそも死刑廃止論をいう人間などさらさら信じちゃいない。死刑廃止の急先鋒にたっていた弁護士が自分の妻が殺害されたとたん、ころっと宗旨変えした例だってあるし、まあ、そんなものなのだろう。識者の中には相変わらずFの不幸な生い立ちを強調する人もいるけどあれもどうなのだろう。貧しい生い立ちや劣悪な家庭環境だから犯罪者になったというのは、一見人道的な意見のようにみえて、実はものすごい差別的な意見ではないか。Fの場合、母親の自殺で精神的成長がとまったなんていう人がいたが、自殺遺児の方がこんな発言によくいからないものだと思う。Fの生い立ちはたしかに不幸だ。しかし、世の中、もっと不幸な人や不運な人はたくさんいる。病気、障害、事故、災害…。皆、それをのりこえてけんめいに生きているし、それが普通ではないか。けっして「環境のせいにして逃げる」ような議論をしてはならない。※それにしても犯人が少年の場合、被害者が一人だと死刑にならないのだろうか。40日間もレイプ暴行をくりかえして女子高校生を殺害した事件など被害者1人でも陰惨な事件はいくらでもある。少年法という法律自体がそもそも不要なのではないか。
2008年04月23日
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