1980年頃、近鉄には2人の優れた「正捕手」がいた。
梨田昌孝
(現・日本ハム監督、浜田高)と 有田修三
(現・解説者、宇部商高)
◇ 「近鉄、捕手たちの『系譜』」
(2008.3.9) →
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西本幸雄
監督(当時)は、この「正捕手」2人を巧みに使い分けていた。
ボクの記憶では、当時の「絶対的なエース」 鈴木啓示
が登板する時は有田が
捕手を務め、それ以外の投手の時は梨田がマスクを被っていた。
◇ 「西本幸雄(元・近鉄)監督の立教大時代」
(2009.3.22) →
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『パ・リーグを生きた男 西本幸雄』(ぴあ刊)によると、
この2人の活用法に、西本氏の選手の性格や相性を重視する選手起用が
現われていたという。
鈴木啓示と有田修三を組ませた理由。
それは「俺はトップだ」という意識をもつ鈴木と、過激に「苦しい場面で苦しい投球」
を要求する有田の相性を考えてのこと。
西本さんは、有田のことをこう言っていた。
「鈴木ほどのピッチャーでも自分が分からなくなる時がある。まぁ、たびたびある
わけや。そんな時、有田は苦しい場面で苦しいことを要求するわけよ。
『ここでこの球を放れなかったら、お前は潰れるぞ』と(鈴木に)言える男なんや。
だから、有田のサインに鈴木が首を振っても、何度でも有田は同じサインを出す」
そして梨田のこと。
「俺(西本氏)が思うに、梨田は穏やかというか、穏便な方向に進めることの多い
人間で、そういう性格や考え方がピッチャーをリードする時に出てくる。苦しい時に
苦しい要求をすると、ピッチャーが自滅すると考えるのかもしれんが、もし鈴木が
ストレートでと言ったら、『はい、そうしますか』とピッチャーの投げやすいボールを
投げさせる。そういうリードよ。どっちがいいか悪いかということじゃないよ。これは、
タイプの違いだから」
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