あま野球日記@大学野球

あま野球日記@大学野球

2009.07.10
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カテゴリ: 大学野球

西鉄ライオンズのこと、ボクはほとんど憶えていない。黄金時代のことだって
だいぶ後になって知ったことが多い。ただ「黒い霧事件」だけは、おぼろげ
ながらリアルタイムで見聞していた。


黒い霧事件

それは西武ライオンズが西鉄ライオンズだった1969年(昭和44年)のシーズン
オフに起きた。野球賭博に絡んで、プロ野球投手の「八百長事件」が発覚し、
「黒い霧事件」と呼ばれた。翌年、西鉄のエース・ 池永正明 投手をはじめとする
主力6選手にも八百長の疑惑が及び、当時の西鉄球団オーナーや球団社長の
退任に発展、池永投手らはこの事件で球界を永久追放されたプロ野球界最大
の事件のこと。


当時のボクはまだ小さかったが野球が大好きだった。でも残念なことに憧れの
プロ野球選手たちが八百長をやって、ヤクザからお金をもらうような悪いことを
したという認識でこの事件を見ていた。「黒い霧」というネーミングはまさに的を
射ていて、当時のプロ野球界には重苦しい空気が漂っていた。田舎でテレビ
観戦していただけのボクにも、そのことはよくわかった。


結局この事件、「永久追放処分」という前代未聞の厳しい処分が下り終息した。
処分を受けたのは、当時西鉄ライオンズに在籍していた 永易将之 与田順欣
益田昭雄 池永正明 (※池永は2005年に復帰を認められた)の4選手。ただ、
ほかにも疑惑をもたれた選手も少なからずいたが、そこにはメスを入れられる
ことはなく、軽い処分を数名に行ったのみ。これでは全面解決とはいえず、「うや
むや」のうちに事件は終結したような印象を残した。


疑惑があったものの、軽い処分に逃れた西鉄選手の一人、 田中勉 はおよそ
事件の10年後にこんな述懐をしている。
以下、『魔術師 三原脩と西鉄ライオンズ 決定版』(立石泰則著、小学館刊)より。

「実は、ボクに対して、ある球界筋から、永久追放処分などの厳しい処分を
しないかわりに、八百長問題についてしゃべってくれるなという交換条件が
出されたんです」

「あの当時、西鉄以外の選手で、実際に八百長をやった選手は、今すぐにでも
70人の名前を出せますよ。これをしゃべったら、球界は分解していたでしょうね」

「だから、僕は、球界全体を救うために犠牲になったと思っとります」


いったい何が「犠牲」なのか、そのことがよくわからない。全てを明らかにすること
がこの時、田中に必要だったのではなかろうか。これでは単に「臭いものにフタ」に
手を貸しただけに思える。

※いま調べてみると、永久追放などの厳罰を下したのはコミッショナー委員会と
呼ばれる3名の委員からなる組織。その内の1人は、後に 「江川の空白の1日」
有名になった 金子鋭 (後にコミッショナー)だった。しかもこの金子が厳罰を主張する
急先鋒だったというから、別な意味で不思議なことではある。というか笑ってしまうが。


※本文中、人名はすべて敬称略。  



この記事は『ボクにとっての日本野球史』の中で、次の期に属します。
→ (第6期)「1958年(昭和33年)、立教大の 長嶋茂雄 氏が巨人に入団した時以降」

(第6期)に属する他の記事は以下のとおり。

「ボクにとっての日本野球史」  (2009.7.1) →  こちら へ。

ボクにとっての日本野球史 の関連記事「あま野球日記」バックナンバーより。

「西鉄、稲尾和久vs和田博実」  (2009.7.7) →  こちら へ。


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Last updated  2009.07.12 05:30:27
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