西鉄ライオンズのこと、ボクはほとんど憶えていない。黄金時代のことだって
だいぶ後になって知ったことが多い。ただ「黒い霧事件」だけは、おぼろげ
ながらリアルタイムで見聞していた。
黒い霧事件
。
それは西武ライオンズが西鉄ライオンズだった1969年(昭和44年)のシーズン
オフに起きた。野球賭博に絡んで、プロ野球投手の「八百長事件」が発覚し、
「黒い霧事件」と呼ばれた。翌年、西鉄のエース・ 池永正明
投手をはじめとする
主力6選手にも八百長の疑惑が及び、当時の西鉄球団オーナーや球団社長の
退任に発展、池永投手らはこの事件で球界を永久追放されたプロ野球界最大
の事件のこと。
当時のボクはまだ小さかったが野球が大好きだった。でも残念なことに憧れの
プロ野球選手たちが八百長をやって、ヤクザからお金をもらうような悪いことを
したという認識でこの事件を見ていた。「黒い霧」というネーミングはまさに的を
射ていて、当時のプロ野球界には重苦しい空気が漂っていた。田舎でテレビ
観戦していただけのボクにも、そのことはよくわかった。
結局この事件、「永久追放処分」という前代未聞の厳しい処分が下り終息した。
処分を受けたのは、当時西鉄ライオンズに在籍していた 永易将之
、 与田順欣
、
益田昭雄
、 池永正明
(※池永は2005年に復帰を認められた)の4選手。ただ、
ほかにも疑惑をもたれた選手も少なからずいたが、そこにはメスを入れられる
ことはなく、軽い処分を数名に行ったのみ。これでは全面解決とはいえず、「うや
むや」のうちに事件は終結したような印象を残した。
疑惑があったものの、軽い処分に逃れた西鉄選手の一人、 田中勉
はおよそ
事件の10年後にこんな述懐をしている。
以下、『魔術師 三原脩と西鉄ライオンズ 決定版』(立石泰則著、小学館刊)より。
「実は、ボクに対して、ある球界筋から、永久追放処分などの厳しい処分を
しないかわりに、八百長問題についてしゃべってくれるなという交換条件が
出されたんです」
「あの当時、西鉄以外の選手で、実際に八百長をやった選手は、今すぐにでも
70人の名前を出せますよ。これをしゃべったら、球界は分解していたでしょうね」
「だから、僕は、球界全体を救うために犠牲になったと思っとります」
いったい何が「犠牲」なのか、そのことがよくわからない。全てを明らかにすること
がこの時、田中に必要だったのではなかろうか。これでは単に「臭いものにフタ」に
手を貸しただけに思える。
※いま調べてみると、永久追放などの厳罰を下したのはコミッショナー委員会と
呼ばれる3名の委員からなる組織。その内の1人は、後に 「江川の空白の1日」
で
有名になった 金子鋭
(後にコミッショナー)だった。しかもこの金子が厳罰を主張する
急先鋒だったというから、別な意味で不思議なことではある。というか笑ってしまうが。
※本文中、人名はすべて敬称略。
この記事は『ボクにとっての日本野球史』の中で、次の期に属します。
→ (第6期)「1958年(昭和33年)、立教大の 長嶋茂雄
氏が巨人に入団した時以降」
(第6期)に属する他の記事は以下のとおり。
◇ 「ボクにとっての日本野球史」
(2009.7.1) → こちら
へ。
◇ ボクにとっての日本野球史
の関連記事「あま野球日記」バックナンバーより。
「西鉄、稲尾和久vs和田博実」
(2009.7.7) → こちら
へ。
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