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使う人の心によって、モノのちからの意味は変わります。モノが一番にくる人は、モノに牛耳られ、モノをコントロールできる人は、自分を持つことができる。所詮、モノは道具にすぎないのだから、じ゛ふん中心でなければならない。メイクなどというものは、自分中心で当然なのだから。よく、どうしていいのか判らないという言葉を聞くが、それなら、しなきゃいいと思う。平気で、どうしていいかわからないなどと、自分の自信のなさを吐露してどうするのか。自分の行く先くらい自分で決められずにいてどうするのかだ。今日は、こうありたい。それくらいのことをきめられなくてどうするのかだ。
2012.03.23
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メイクには、答えが無いのが正しい。個人の自由で、何をしても許されるのだから。ただ、言えることは、違和感がなければいいのではないか。しかし、それも、個性的という概念からは、いまいちということになる。めだちたがりやさんには、いまいちはダメでしようからネ。普通に普通の人を対象としたら、目立たず、しかも自然がいい。だから、答えがあるようでいて、答えがないのが正しい。私個人は、自然が好きだから、その根拠に基づいて、人に望むのは、自然ということになる。ただ、一点の拘りは、眉。これは、譲れない線がある。自然を大切にだ。そして、そこが自然であれば、否応なしに全体は自然になるのだからである。
2012.03.20
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顔を洗ったり、メイクをしたり、落としたり。なにげにするのではなく、目的意識を持つことこそが、美の本来のありようだと思います。が、それを続けるということの難しさは、ことのほかではないでしょうか。難しいこととしてしまわないためにも、毎日のなにげない行いを大切にすることだと。美は、即日に手に入るものではないのです。日々のつづりをしながら、なを、努力ということが大切ではないでしょうか。
2012.03.19
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とってつけたようなメイク以外なら、自然なのか?そういうことではないと思いますネ。自分というものをより以上に見せるということでもないと思います。自分らしさとは?その結果が自然だと考えています。自分の持っているものをそのまま利用することで、作りすぎず、柔らかに表現できるということが、自然らしさなのだと。塗る以上は、不自然やむなし。とおもうのであれば、それは違うでしょう。モノは、使い方で、自然とは?との取り組み次第ではないかと思います。ひとつひとつを考察するのは面倒などと言わずに、暇な時にちょっと考えるといいですネ。四六時中に考える必要はありませんが、自分を考えるということができるようになって欲しいと思います。
2012.03.07
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