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近鉄奈良駅で電車に乗る前にペットボトルを買いたかったのですが、特急券を買うのにちょっと手間取り「京都で買えばいいよね」と愛する奈良に別れを告げて無事指定の席に座ることが出来ました。不思議にいつも空席が多い特急電車。このときも3分の1くらいの乗車率でした。良かった!(後で思えば近鉄さんにも我々乗客にも!)座れば思い出すことは奈良での楽しい思い出ばかり。大体の目的は果たせたけど、唯一行けなかった弥勒石。「いいよね、次回の宿題ってことで。来年は弥勒石に絶対行こう。飛鳥寺からゆっくり農道を歩いてもいいし」「次は橿原神宮前で軽も車を借りれば車でも行けるかも」「来年じゃなくて今年の秋でも行けるかも」なんて次の旅に心を遊ばせていると、ゆっくりめのアナウンスが「ただいま、人との接触事故がありました。急ブレーキがかかりました。お気をつけください」と言い、ゆっくりとした感じで電車が停止しました。同時に窓の外を綿毛のようなものが大量にふわふわとふってきました。あれは何だったんでしょう。そのときはボロギクのような綿毛の多い植物が生えている場所かな?鳥の羽毛みたいな気もする。ひかれた犬の毛?接触事故というけど。アナウンスは「警察の到着を待っています」というのが何回もあり、結構長かった。その後「警察が到着しての確認中です」というのも長かった。何時に京都につくかとは言わなかった。車掌さんが何回か回ってきて「電気は止まっていますがトイレは使えます。ご迷惑をおかけして申し訳ありません」とは言うけど詳しいことは何も言わなかった。「接触事故と言ったけど救急車の音が聞こえないね」「新幹線間に合わないかもね」「仕方ないね」「のどが渇いたね」「やっぱり奈良でペットボトル買ってくれば良かったね」「そのうちもらえるかも」などと言っているうちに、オレンジ色の消防署の人らしき男性たちが「体調の悪い方はいませんか」と聞きに来てくれて、こちらは(ご親切にありがとうございます。大丈夫です)の会釈。同じ車両の人で、何度も前の方に様子を見に行くらしい中年男性が一人いたけど、声の大きな人やヒステリックな人は一人もいなくて良かった!そのうち、京都着のおおよその時間がアナウンスされ、それがまた遅くなったりして、予約した新幹線には乗れなさそうに。「遅延証明出るのかね」「出ないかもね。海外だと半日遅れでもみんな問題にしない国もあるし」「新幹線の券をもう一回買い直すつもりでいるしかないかもね」と、あきらめの早い千葉県人。そのうちに点検も終わって、京都まで行く乗客は、西大寺で橿原神宮前から来た特急に乗り換えるというアナウンス。西大寺の乗り換えはリュックに荷物の行列でぞろぞろ歩くと難民気分。西大寺から電車は快適に進み、京都駅に着いたのは新幹線の時間5分前。走って転んだりしたら大変なので、次の新幹線にしようと思ったけど、乗れるかも!と新幹線改札口のお兄さんに聞いたら、「すぐに行ってください」とのこと。あわてて停まっていた新幹線に飛び乗り、中を歩いていると、どうも別の状況で新幹線の発車が遅れているらしい。友だちが駅員さんに「ペットボトルを買いに降りてもいいですか」と聞いたら即、却下され、間もなく新幹線は走り出しました。それにしても、喉が渇いて死にそう!奈良のいつものパン屋さんで買った美味しいサンドイッチも、喉を通らないかも。と思ったら、友達のリュックから、ならまちの果物屋さんで買った美味しい和歌山のみかんが出てきました!それを食べたら、喉の乾きはすっかりおさまり、家に帰るまで水分を補給したいとは思いませんでした。けれど、たとえ街なか移動でも、油断しないで必ず水は持つこと!を痛感しました。何が起きるかわかりません。踏切事故の方は、60代の男性だったと、ネットのニュースで知りました。どんな事情の人だったんだろう。誰にも温かい居場所がありますように、と神仏に祈らずにはいられません。
2026年02月23日
最終日。前の日に予約の7分前に朝ご飯を食べに行ったら、テーブルの準備はしてあったけど、誰も出てこなくて、しばらくして「早かったので」とお運びの女性が出てきた。食事の予約は7時から9時の間というので8時にしたので、少々早くても良いかと思ったのだけど。友だちが「そういえば〇〇(ヨーロッパの国)に行ったとき、予約時間まで誰も来なかった。日本でもパートさんが時間で働いてるのかも」というので、この日は8時の予約より10分遅れて行った。嬉しいことに茶粥が出た!部屋に帰って地元のテレビをみていたら、奈良国立博物館で始まる展示の説明をしていた。都大路とならまちぶらぶら、という何もない予定だったので、ラッキー!しかし待てよ、いつも月曜日に博物館、図書館、美術館まどの前で泣いてきた私の人生!休みかもね。だったらその前で記念写真を撮るだけでもいいよね。負け組はこだわらないのが生き延びるコツ。チェックアウトを済ませて、前の夜に買ったみかんの入ったリュックをフロントさんに預けて、まずは、1日目も2日目も夜早く閉まっていた和菓子屋さんへ行ってみました。そうしたら、なんと!まだ1月だというのに、修二会、お水取りのお菓子、糊こぼしを売っていたのです。大喜びしてお菓子を確保、少し歩いてくるので、とお願いして買ったお菓子を預け、大好きな都大路を歩きはじめました。「さすがに月曜日の午前中は誰もいないね」「日本人は働きに行ってるだろうし」などと歩いていたら、何と、興福寺さまを過ぎる前から、奈良公園の向こうに人と鹿たちの集団が!いやあ、どうしたことでしょう。老若男女、家族連れ、グループ、世界の国から集まった人たちが楽しそうに鹿と戯れています。気のせいか、鹿に接近するのは、どこの国の人も男性が6:4くらい多いみたい。みんな少年に帰ったみたいに楽しそう。鹿も物慣れた様子でゆっくり移動。国立博物館は、やっぱり休館日でお掃除の人や内部のなにかの工事の車などが入っていました。すごく内容を薦めて語っていた奈良のNHKさん、「今日は休館日です」ってひとこと付け加えて欲しかったわ。仕方ないので看板の前で記念撮影をして、ベンチに座り、鹿と人との様子を眺めました。これが、けっこう楽しくて、人々がここを立ち去らない理由なのかも、と思いました。少しして、春日大社の参道を下って興福寺さまの五重の塔の裏に出ました。宝物館に入ろうかと思いましたが、完成してからまだ中に入ったことがない東金堂に。建物が新しいので荘厳さには欠けますが、大きくて立派、他の建物も建立当時はこんなだったんだろうなあと、司馬遼太郎が「爛熟の長安を真似た奈良は、長安の都が冷凍保存されたものと言える」平城京に思いを馳せました。南円堂さまで御朱印を戴こうと思っていましたが、御朱印求めてすごい行列!あきらめて、お賽銭をあげて今年の平安を願いました。いつもの美味しいパン屋さんでパンを買い、和菓子を引き取って、いよいよ近鉄奈良駅を後にします。新幹線への乗り継ぎの京都駅では、1時間ほどの時間の余裕があるので、そこでいつものように、平宗の柿の葉寿司を買い、おみゃげも買う予定でした。
2026年02月19日
朝食をきちんと食べていたのでお腹も空かず、飲まず食わずで明日香村をあっちへ行ったりこっちへ行ったりしながら、私たちの車は最後の目的地、甘樫丘にたどりつきました。疲れていたけど欠かせない場所。冬枯れのさっぱりとした道を登って行きます。気持ちははやれど、気を引き締めてゆっくりと、この日最後の行程を転んだりしないように上がります。1日中晴れていたので空気は3月みたいに心地よく「斉明が私たちのために用意してくれた最高の状態」の展望台が待っていました。展望台のベンチに座って、持っていたみかん、おせんべい、甘いお菓子を食べてひと息つきました!前の晚ならまちの果物屋さんで買った和歌山みかんの美味しかったこと!眼下を見れば、最初に行った向原寺が見えます。反対側に行けば飛鳥寺。田んぼ道を歩く人たち。多分あのへんにある弥勒石。本当は、難波宮方向に沈む夕陽を拝みたかったのだけど、車を6時までに飛鳥から近鉄奈良駅まで持っていかなければならないので、急ぎ帰途に。高速の側道を行く途中、何度も渋滞に合い、外は真っ暗、それでもしっかり指示してくれるナビは本当にありがた山です。最初に奈良でレンタカーを借りた頃、芋峠や志貴皇子の御陵を訪ねた時に、沈黙が異常に長く「奈良のナビは信頼できない」なんて悪口言ってごめんなさいです。20分遅れでレンタカー会社に到着。受付のお姉さんの帰宅時間が遅れるかと途中で電話を入れたりして心配していたのですが、他のスタッフの方も皆さん快く迎えてくれました。疲れていたのでまっすぐホテルに帰ることにして、柿の葉寿司を買い、コンビニでパンとカップスープを買って夕食にしました。お風呂に入ってすぐに爆睡!
2026年02月15日
万葉文化館に車を置いて、隣接の亀形造形物に。説明解説をしてくださる方がいて、ありがたく説明を聞きました。2000年に道路(施設内の?)拡張工事の時に発見されたそうです。確かに亀の形の石造物。上からの樋状のものから水が流れてくるらしい。水は下の方に流れ下っていくらしい。真新しく見える後方の石積みは、斉明のいた当時のもので、石神神宮のあたりの石だそうです。斉明が作った狂心の溝を通って運ばれて来たらしい。ここで斉明は祈ったり占ったりしたのだろうか。当時の為政者は、天変地異、疫病、人々を苦しめる災害は自分の行う政治が悪いから天の怒りをかうのだという考えで、神には命さえも捧げるつもりで祈ったに違いありません。なんと純粋な斉明!石造物の後ろには、きれいに整備された竹林が続いており、亀形石造物の真上あたりに、写真で見る形そのままに有名な酒船石がありました。ここから水が流れ落ちていったに違いないと思わせる位置です。見上げれば空は雲一つない快晴で、1月なのに吹く風が心地よいって・・・!斉明が迎えてくれたに違いありません!案内所の方に、目指す弥勒石の場所を聞いたところ知っていなくて、明日香村の地図をいただきました。万葉文化館から道に出て、大体あの辺だろうと思う方向をしばらく眺めましたが、その場所に行き届くための道が見つかりません。今回の奈良旅の目的の初詣もしたいので、聖徳太子の生誕地といわれる、橘寺さまに車を走らせました。山門のところの受付の女性に「弥勒石」の在り処を聞いてみましたが、知らないので拝観している間に調べてくださる事になりました。橘寺さまは去年来たときと同じように静かな佇まいで迎えてくれました。本堂に上がらせていただき初詣。御本尊さま、幾つもの仏様を拝ませていただきました。目の前で、同じ高さの仏様を拝ませていただく、平城京の仏様と違う、飛鳥の御仏の優しさにすごく癒やされました。良い香りのお線香を買いました。山門の受付の女性が弥勒石の場所を調べてくださってあり、地図のこの辺、ということを聞きましたが、入る道が地図になく、近くに行けばわかるかも、と車を走らせました。甘樫丘と弥勒石の大体の場所の映像の記憶が頼りです。甘樫丘のそばを通る道沿いに入り口を探しましたが見つからず、最初の右折出来る道を入り、そこを右にまた入ったら飛鳥川の甘樫丘側の川辺の道でした。農道ですが轍の跡があるので進みました。2台ほど車が来たので、抜けられるだろうとひと安心。そして川の向こうを見ると、弥勒石の小屋が!もっと良く見て、何なら拝んでくれば良かったのに、まっすぐ行って川を渡る道があったらそこから行けるに違いないと期待は大!人生何度も見通しが甘いための苦渋をなめ、苦汁を飲んできたのに反省もなく、ますます細くなる道を進みました。(10分弱かも^^;)やっと、信号があり川を渡る橋のある道に出たので橋を渡り、飛鳥川の反対岸を進みましたが、道は狭まるばかり。車を洗っている男性がいたので、弥勒石って知ってますか?と聞いたら「知らない。この先は農道だから道はないよ」とのことでした!甘樫丘にも登りたいし、車を返しに行かなければならないし、弥勒石の姿は見たので、良しとしよう、とあきらめる事にしました。けれど、あきらめきれず、甘樫丘に行く道で、もう一度亀形石造物の前の通りで車を停め、田んぼ道を少し歩いてみました。あの辺りだろうとの見当はついて、向こうからあぜ道を来る人もいるので、行ってみたかったけど、ものすごく疲れていたので、甘樫丘をめざしました。お昼は抜きだった!?
2026年02月13日
次は、飛鳥寺さまに。しばらく古墳がマイブームだったので久しぶりです!でも、あの周辺を通るときは、いつも懐かしく心の中で大仏様に手を合わせ、また奈良に行けば必ず行く甘樫丘の展望台でも、まずは飛鳥寺さまがあそこ!と確認して国見を始めるのが常の私たちです♪ 駐車場に車を停め、まずは前のお店で「蘇」を買おうとしましたが、無くて残念!蘇を最初に親しく思ったのは山岸凉子先生の日出処の天子で、厩戸の母の穴穂部間人皇女が宴の膳の采配をしていて「蘇も器に盛ってね」とはしゃいでいるシーンを見てからです。いじけた長男の厩戸とかわいい弟を慈しむ母の温かいホームドラマシーン! 久しぶりの飛鳥寺さま、飛鳥大仏さまも変わらぬ無表情?で迎えてくださいました。かわったと言えば説明をしてくださるお坊様が、お若い方に変わったこと。よどみなく、豪華絢爛の飛鳥寺の伽藍配置、建立時から大仏さまが遭遇された数々の災難、槻の木の広場での中大兄と鎌足の出会い、乙巳の変のことなど話されて、感激しました。若い人にちゃんと引き継がれている!帰りに、香りの良いお線香を買い、この旅のちょっとした目的でもある、弥勒石の場所を聞いてみました。弥勒石は、飛鳥川の川岸のそばにある大きな石で、由来、用途は不明なれど、近年、足のご利益があると明日香村の人々の信仰を集めている、との噂。私たちも自分の足で歩ける日のタイムリミットがひたひたと迫ってくるお年頃なので、今回、新年でもあるし弥勒石に初詣をして、いっぱい拝んで来ようと目論んでいたわけです。飛鳥寺さまの受付の方に弥勒石の在り処を聞くと、入鹿の首塚の先、徒歩12分くらいです。と教えてくださいました。この時に、自分の足で歩いていけば良かったのですが、車の快適さに慣れた、なまけ心に負けて、車で行くことに。この判断が、奈良旅で毎回起きるさすらいの旅、弥勒石彷徨のはじまりとなったのでした。車は飛鳥寺さまから万葉文化館へ。絵葉書やお菓子を買い、ひと息ついてから隣接の亀形石造物と酒船石に向かいます。
2026年02月11日
斉明ファンクラブの私たち。熱量はそれぞれですが、国語の教科書にあった志貴皇子の歌なんかは好みが同じだと思う。そして、斉明の二人の息子、中大兄と大海人、天智と天武と壬申の乱の前後のことも、どうせふたりとも斉明の息子じゃん!♪とは思うのですが、やはり、母の斉明の心をまじめに引き継いだと思われる天智を好ましく思えてしまいます。先日、昔のノートに司馬遼太郎「街道をゆく」のメモがあって、白村江のことが書いてあったので、その1の1「湖のみち・韓の国紀行」をUNEXTで見てみました。司馬遼太郎は右翼のおぢさんが好きな本だと思い、読んだことがなかったのですが、最初から飛ばしています。土を踏む、風に聞く、声と出会う、そしてはるかな時を見る。近江、雨の日は雨のふるさと 粉雪の日は粉雪のふるさと近江というこのあわあわとした琵琶湖畔を走る湖西の道古代、朝鮮半島から来た人々の跡を辿る。楽浪の滋賀。司馬は北小松という漁村で、渡来人が伝える石組み技術の痕跡を見る。面が摩耗した石の深い溝。千基ほど残る6世紀後半の古墳の中の石組みにも、朝鮮半島から伝わる技術が。(私の心の声・おお、これは斉明の「たぶれごころのみぞ」と酷似ではないか!)日本民族はどこから来たのか、と思うと司馬は日本人の血液の中に朝鮮半島から来た血がしたたり落ちていると想像する。そして、ソウルを訪ねる。思い出の中に、兵隊だったときに貨車の扉をそっとあけ、高麗青磁や李朝の痕跡を家々の瓦に探した自分も。ソウルでは、1910年から45年までのつらい記憶。それでも日本から来たというと歓迎してくれた人々。秀吉軍が上陸した村は3世紀半後の朝鮮戦争で米軍の爆撃で消滅していた、などなど様々な出会い。秀吉軍の武将で、自分の兵と共に秀吉軍と戦った「沙也可」が、王から土地を貰い一族が今も暮らす村「友鹿洞・ゥロクトン」も訪ねる。彼は今なお4000余人の子孫から慕われ法要には各地から子孫が集まる。田んぼに囲まれた村のたたずまいは、日本の田園風景そのままだと、司馬は感動する。百済、新羅の古都を訪ね帰国した司馬は、滅亡した百済の王族の墓が近江で祀られていることを知る。田のあぜ道を行くと鬼室神社。社殿は神楽舞台のよう。百済から帰国の敗残の日本人たちは、700人の百済人を日本に亡命させた。天智はこの百済の王族を文部大臣として重用、人々は今も祭を続ける。司馬はこの事例を、日本歴史の誇るべき点のいくつかのうち、第一としても良い、と書く。前置きが長くなりましたが、天智の株がますます上がった街道をゆく、でした!日本と朝鮮半島をつなぐ洋上の街道を思う司馬は、『朝鮮人は冬に来たと確信する。冬になると風が日本に向かって吹くからである。われわれの中に、朝鮮からの血液が混じるのは、この風がもたらしたものに違いない』と書く。ところで、純血の日本人っていたら博物館行きだと思うけど、自分は純血種を言い張るヘイトする人たちの中には司馬のファンも多いでしょうに、何考えてんだかね。
2026年02月07日
車はラク!ナビのいう通りに進んで、桜井から割とすぐに懐かしい甘樫丘が見えて来て、右折すれば向原寺さまの豊浦宮跡でした!あとで地図を見たら、豊浦駐車場というものがあり、そこに車を停めれば甘樫坐神社さまにも歩いて行けたのでしたが、とにかく道が狭く車を置く場所もない(としか思えなかったので)私だけ車を降りて向原寺さまの門前で記念撮影。他の車の道を塞ぐといけないので、大急ぎでその場所を離れました。飛鳥に来ると必ず行く甘樫丘、そこから難波宮の方向に沈む夕陽を見るときに、真下に見えていた豊浦の集落。もっとゆっくりしたかったです。車は甘樫丘バス停の前を通り、次の目的地、飛鳥水落遺跡に向かいます。以前も来たのですが、やはり中大兄が初めて作った水時計とのことで、よく見たかったのです。時を掌握するのは権力者の象徴で、その漏刻からの鐘の音に合わせて、眼の前に広がる飛鳥の宮の人々が動いていたということ。中大兄は、母斉明天皇が力を尽くした、百済の応援が失敗に終わり、母を亡くし白村江の戦いで新羅に敗れたあと、国内の政治の充実に力をそそぎ、東アジアの国々とは平和的外交に力を尽くした、ということで今まであまり関心のなかった天智が、ちょっと私の中で株を上げて来ているのです。水落遺跡は、柱の跡に座り良さそうな高さの柱がのどかな日差しを浴びていました。眼の前の田んぼの向こう、飛鳥宮跡の広々とした景色は、なかなか良いものでした。 二百メートルくらい先に石神遺跡があり、ここは饗宴施設だったとのこと。地方の豪族や、北の蝦夷などをもてなし、この飛鳥の朝廷の新しい文化や技術を見せつけたらしい。大きな井戸の遺跡が、残っていました。北方や新羅の壺などがここで発掘されたそうです。韓国時代劇「善徳女王」の春秋(チュンジュ)も少年の頃に飛鳥に来ていたらしいので、ここに来たのかも、と思いました。のちに高句麗、百済を破り三韓統一をなしとげた新羅の武烈王です。日本書紀には、日本に来た時の彼の様子を、眉目秀麗なイケメンだったと書いてあるそうです♪
2026年02月02日
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