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2日目 ホテルは素泊まりで7500円くらいなのですが、朝食を予約して、包丁裁きの上手な美しい奈良の朝ごはんを頂きました。9時過ぎ、予約してあった駅前のレンタカー屋さんに。スタッフさんがキビキビと注意事項を説明してくださり、行先は飛鳥だというと、良い道を教えてくれました。まずは裴世清が上陸した桜井市に行くので、ナビに近くの公共施設を入れてもらいました。他人の車は運転できない私と違い、友達は初めての車でも平気!この特技には感謝しかないです。奈良から桜井へ、去年行った山の辺の道を左に見て車はすいすいと桜井を目指します。目標は仏典が初めて上陸した仏教伝来の地、河川敷公園。ナビに入れた公共施設はあったのですが、それから先が見当たらない。高速?の側道下の道は一方通行で、駐車場もなく、人影もなく行きつ戻りつ、畑にいたおじいさんに「馬の置物のある公園」を聞くと、知らないと言うのです。日曜日、講師の先生らしき人を先頭にしたグループの姿も見かけましたが、車を停められず聞くことも出来ず、焦りました。もう一度、一番最初の場所に行き、道端に車を置いて歩いて探したところ、やっと仏教伝来の地の立派な石碑を見つけ、その近くに可愛い馬たちを発見!思っていたより小さくてペンキもハゲハゲで、したが、裴世清を出迎えた75頭の馬たちの装束が当時と同じようにあって、感激でした。河川敷の土手の壁に、裴世清が来た時の歓迎の様子が描かれていました。鴨がいっぱいいる初瀬川・大和川にかかる橋の真ん中まで行って川下を眺めると、裴世清が乗った船が、ここを遡って来たのだ!ということが実感され、ま正面に二上山の姿が霞んで見えるのも感動でした。来ることが出来て、本当に良かったです。近くの畑のおじいさんも知らなかった場所ですが、日本が初めて世界とつながった場所として、すごい、記念すべき場所なのだと思いました。良かった!良かった♪と車に乗り込み、次は裴世清の通った道であろうとされる道を走り、推古天皇が裴世清を待つ豊浦宮跡の向原寺に向かいます。この道は、少し迂回しており、どうも、荒れた野山ではなく、少し賑やかな町らしき様相のある海石榴市などを経由、当時の世界一番の国の使節にこの国は極東の野蛮な国ではないと思わせたかった模様です。
2026年01月31日
1日目 京都駅で新幹線を降り、まっすぐ歩いて近鉄京都駅。suikaが使えないので、切符購入。近鉄奈良行があったので、迷わず乗って奈良にすっかり慣れた私たち。懐かしい近鉄奈良駅について、まずは駅近くの宿に。もう部屋の準備はできているとのことで(橿原神宮駅前のホテルはチェックインが遅くて部屋に入れなかった)リュックを部屋に置き、早速東大寺さまの大仏様に表敬訪問の初詣。入場料が惜しくてずっと大仏殿の拝観してなかったのです。何しろ最近コッている古墳や御陵、神社は無料なので。でも、維持費もかかるでしょうし、たまには寄付のつもりで、(心おきなくいっぱいお願いしよう)と今回は大仏様を拝観。その前に、あいも変わらず都大路の大賑わいに遭遇。日本人は修学旅行生。外国人はさまざまな国の人。私は、毎日韓国ドラマを見ているので、韓国語が聞こえると嬉しくなってしまう。けれど、韓国語だとわかるだけで、会話ができないので話しかけられないのがもどかしい。鹿たちは物慣れた様子で、鹿せんべいをくれる人だけに寄っていく。本当にどこの国の人も鹿が大好きで、鹿も安心しきっている様子を見られるのも嬉しい。大仏殿は、やはり大きくて荘厳で、重機などなかった時代に、よくもこんなものを作ったものだと感心しました。大仏様の花瓶?にアゲハチョウの飾りがついていて、それも素晴らしく素敵でした。奈良に来たら、必ず来たい場所になったかも♫そしてこの場所に立ってみると、大仏建立から始まった、この場所でのさまざまな出来事、1180年、反平氏勢力の拠点だった奈良の寺社を攻撃した、平重衡の南都焼討で、大仏殿も焼け落ちました。貴族たちにとって、このショックは大きく、平家滅亡の遠因になったと言われています。1181年、後白河法皇は東大寺の復興を開始。1195年、東大寺の再建を支援してきた源頼朝は、3月12日の落慶法要に妻政子、息子、娘を伴い参列、その時、警護の兵と僧兵たちとの間で、一触即発の事態がおきたとか。大イベントの間のトラブル、色々、現場からは以上です!みたいに伝えられていますが、現場に立つと、どんなふうだったのかなあと、想像してしまいます。次に春日大社の参道を下り、ならまちに行きました。いろいろな絵の描いてあるカップ酒があったら買いたいという友と、醸造元の酒粕で作った奈良漬が買いたい私との意見が合ってついでに昼呑みのできる酒屋さんを目指したのですが、ふたりとも相当疲れていて、ちょっと手前で犬の散歩のをぢさんに道を聞いたら、「その先ですけど、5時で終わりだと思いますよ」とのこと。残念だけどあきらめて、以前テレビで見た昼呑み屋さんで夕食の予定だったので、ならまちを歩いて宿へ。ここで斉明が出てくるんですけど、いつも、斉明が、良い天気にしてくれるんです!まだ1月だというのに、春のようなそよ風。猿沢池の周囲のベンチでゆったりと過ごす人たち。私たちも、とても良いそぞろ歩きができました。宿に帰って一息ついてから、すぐそばの昼呑みもしているというお店に。テレビで見た、おでん食べながらのお酒が旨そうだったので、おでんは絶対たべるつもりで。奈良のおでんって、どんな味だろう、薄味に違いない、と思ったら、炭のように真っ黒の大根、はんぺん、さつま揚げが出てきてびっくり!しかも、見た目のとおりすごくしょっぱくて、がっかり。口直しに甘い和菓子を食べようと、奈良ではいつも行く萬勝堂さんに行ったら、もう閉まっていて、近くのお店でクリーム大福と、果物屋さんでみかんを買って帰りました。和歌山のみかんで、これはすごく美味しい、良いみかんでした。奈良に行くと、せっかく来たのだからと半日でもあちこち回ったのですが、今回は体力も考えて、そのあたりを散策、ならまちぶらぶら歩きも良かったです。それでも、疲れて爆睡しました!
2026年01月30日
2026年1月17日、「斉明を歩く会」という名前の友と私は、東京駅新幹線乗り場近くの弁当屋「祭」前で待ち合わせて、今年の奈良の旅に出発しました。寒いかもしれないけど、初詣気分で気楽に行ってみようかという感じです。テーマは、飛鳥の復習、大体の場所は行ったので、今まで行った場所を辿るつもりで、まあ、お正月らしい和菓子でもあれば、という程度でしたが、直前にユーチューブでいつも参考にしている「飛鳥古代史チャンネル」の梅前佐紀子さんが、人気講師来多村多加史先生と「裴世清の上陸地」を訪れた動画がアップされていて、それは、小野妹子が聖徳太子の失礼な手紙を持っていって怒られたけど、結局隋の皇帝煬帝の返書を持った裴世清と帰って来た場所の紹介でした。国交を開くには、何十年もの日本側の働きかけがあったみたいで、裴世清が来たのは妹子が行った最初かは、知りません。裴世清は難波の湊?に一ヶ月半も待たされ、それは大和川を遡るには水深が浅く、浚渫作業をしていたそうです。そして、仏教伝来の碑のある桜井市に上陸したそうです。その場所の公園には、新羅の博物館にある飾り馬(頭・胴・尻)に飾りをつけた馬、の姿を模した馬が置かれているということ。その馬が75頭並んで裴世清を迎えたそうです。喜多村先生のお話がとても面白く「そうだ!ここから豊浦宮で待つ推古のところに行く、裴世清の道を辿ろう!」という事になりました。1日目は、近鉄奈良駅近くのいつもの宿に荷物を置き、奈良公園、東大寺に表敬訪問。2日目は、トヨタレンタで車を借り、桜井市の飾り馬のある公園から豊浦宮跡の向原寺、中大兄の漏刻跡、地方の豪族を従わせるための饗宴施設の石神遺跡、飛鳥宮跡、飛鳥寺、斉明が祈った2000年発掘の亀形石造物、聖徳太子が生まれたとされる橘寺、斉明が荼毘に付された川原寺跡、いつまでも歩けるようにと現代の飛鳥人が拝みに来る弥勒石、そして最後に蘇我氏の邸宅があった甘樫丘。3日目は、奈良公園とならまちをぶらぶら、お土産を買う、という予定にしました。
2026年01月25日
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